メッセージ - 世の方法に流されないために(創世記16:1-4) 2026/01/14 水 早天礼拝
世の方法に流されないために(創世記16:1-4) 2026/01/14 水 早天礼拝
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 定期祈祷会メッセージ
- 執筆 :
- pastor 2026-1-14 7:10
世の方法に流されないために(創世記16:1-4)
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1.約束を受け取った“その後”に起こること
創世記16章は、15章の直後に続く場面です。
アブラムは、はっきりと主のことばを受け取りました。
「恐れるな、アブラムよ。
わたしはあなたの盾。
あなたへの報酬は、はなはだ大きい。」
これは、ただのみことばではありません。
神の臨在の中で、約束を直接受け取った、非常に霊的で濃い体験でした。
けれども――
その直後に起きたことが、今日の箇所です。
2.神の臨在から離れたとき、聞こえてくる「リアルな声」
16:1
アブラムの妻サライは、彼に子どもを産まなかった。
彼女にはエジプト人の女奴隷ハガルがいた。
16:2
サライはアブラムに言った。
「どうぞ、私の女奴隷のところにおはいりください。」
ここで語られている言葉は、
一見すると「現実的で」「合理的で」「責任感がある」ように見えます。
しかし、この言葉には
神との交わりから生まれた重みがありません。
神の臨在を体験していない人の
「世の中ではこうする」というリアルな声です。
そして、人は一度でも神の臨在の場から離れると、
驚くほど簡単に、
その世のリアルに飲み込まれてしまうのです。
信仰の父アブラハムでさえ、そうでした。
3.なぜ約束を貫けなかったのか
私たちは問うかもしれません。
なぜ、あれほど素晴らしい体験をしたのに、
なぜ約束を貫けなかったのか。
答えは、こうです。
体は離れても、心がまだ離れていなかった。
アブラムは、
本土、親戚、父の家を「体としては」離れました。
しかし、
「考え方」「価値基準」「判断の軸」は、
まだ世のまま残っていたのです。
だから――
神の臨在をまだ知らないサライの口から出た
世の方法を聞いたとき、
そちらに流されてしまったのです。
4.神のことばを“思いめぐらす”という信仰
私たちは、神からいただいた約束を
いつも思いめぐらす必要があります。
それは、単なる暗記ではありません。
申命記6章6節には、こう書かれています。
「これらのことばを、あなたの心に置きなさい。」
これは、
神のことばが心に満ちあふれ、あふれ出る状態を意味します。
それが、ティフィリンの本質です。
神のことばが心からあふれ出て、
そのことばの洪水が、
自分の家も、生活も、判断も、
すべてを飲み込んでいく。
それが本来の信仰の姿です。
5.神のことばを思いめぐらさないと、どうなるか
しかしもし、
-
神のことばを思いめぐらさず
-
神の素晴らしさを期待せず
-
神と交わることをやめてしまうなら
人は、いとも簡単に
世の言葉に流されていきます。
そしてそのとき、
「問題」に見えていなかったものが、
急に“解決しなければならない問題”に変わるのです。
アブラムとサライにとって、
「今、子どもがいない」という状況は、
本当は問題ではありませんでした。
神はすでに
「星の数のような子孫」を約束していたからです。
必要だったのは、
解決策ではなく、待つ信仰でした。
6.世の方法に頼ると、何が起こるのか
16:4
ハガルはみごもった。
そして自分の女主人を見下げるようになった。
世の方法に頼った瞬間、
世は神の民を尊重しません。
むしろ、
舐め、見下し、支配し始めます。
神の民が、
嘘や不正や世の方法に頼れば、
世の側はそれを十倍にして返してきます。
サライは、
どれほど惨めだったでしょうか。
何年も子が与えられなかった自分。
一瞬で妊娠した女奴隷。
見下げられる自分。
神の民が世に媚びると、
必ずこのような惨めさが生じます。
7.されよ、去りなさい
神は、はっきりと言われます。
「去りなさい。」
ヨセフは、誘惑の場から
衣を捨ててでも逃げました。
それは敗北ではありません。
勝利の選択です。
神のことばに敵対する状況で、
まだ自分の内側に
神のことばが満ちあふれていないなら、
その場所を去ることは、
信仰の後退ではなく、
信仰を守る行為なのです。
8.どこに留まるのか
神の臨在がない場所に留まり続け、
世の言葉が好き放題に語られている中で、
それに従って生きるなら、
人はどんどん惨めになっていきます。
今日、私たちは問われています。
-
どの声を聞いているのか
-
どの言葉を思いめぐらしているのか
-
どこに留まっているのか
9.結び
神は、すでに約束を語られています。
問題がないところに、
私たちが勝手に問題を作る必要はありません。
必要なのは、
世の方法ではなく、
神の時を待つ信仰です。
神のことばが、
皆さんの心からあふれ出るまで。
そのことばに、
人生のすべてを支配していただきましょう。





