メッセージ - 主との年月を積み重ねて行くほどに深みを帯びていくキリストの証(使徒26:9-21) 早天祈祷会 2026年2月6日(Fri)

主との年月を積み重ねて行くほどに深みを帯びていくキリストの証(使徒26:9-21) 早天祈祷会 2026年2月6日(Fri)

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礼拝メッセージ説教音声配信
執筆 : 
pastor 2026-2-6 6:46

主との年月を積み重ねて行くほどに深みを帯びていくキリストの証(使徒26:9-21) 早天祈祷会 2026年2月6日(Fri)

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【概要】

かつてキリスト者を激しく迫害したサウロ。 彼の人き方は、ダマスコ途上での“太陽よりもまばゆい光”によって、一変する。 それから年月が流れ、今や使徒パウロとなった彼は、王アグリッパの前に裁判の被告人として立つ。 彼が弁明した内容は、無罪の主張でも弁解でもなく、なんと、イエス・キリストの証しだった。 迫害者の熱心は、なぜ、キリストを伝える熱心となったのか。 そして「とげのついた棒を蹴る痛み」が意味するものとは――。

【聖書箇所】

使徒26:9-21(特に26:12-14を宣言)

【励ましの言葉】

イエス様は私たち一人ひとりに、最もわかる言葉で語りかけてくださいます。イエス様と共に歩む年月を重ねるほど、あの時の御言葉の深い意味が分かってきます。信仰の深みはどんどん増していくのです。

【戒めの言葉】

自分のための熱心は、実はイエス様を迫害することになります。人から認められたい、人気を得たいという思いで神に仕える時、それはキリストを突き刺すことになるのです。私たちの中心が自分にあるのか、イエス様にあるのか、日々吟味する必要があります。

【勧めの言葉】

あらゆる機会を用いてキリストを証ししましょう。パウロは裁判の席でさえ、自分の無罪を主張するのではなく、イエス・キリストを証しする場としました。限られた時間の中で、効果的にキリストを伝えることに心を注ぎましょう。

【悔い改めの促しの言葉】

キリスト者を迫害すること、兄弟姉妹に暴言を吐くこと、それはイエス様ご自身を迫害していることです。「棘のついた棒を蹴る」ように、私たちは痛みを覚えます。イエス様の御旨に反する都度、私たちは痛みを感じるのです。


【***詳細***】

今日は使徒行伝の26章9節から21節を見ていきます。まず皆さんと共に12節から14節を宣言したいと思います。

「このようにして私は祭司長たちから権限と委任を受けてダマスコへ出かけていきました。その途中、正午頃、王よ、私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と同行者たちとの周りを照らしたのです。私たちは皆、地に倒れましたが、その時、声があって、ヘブル語で私にこう言うのが聞こえました。『サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか。棘のついた棒を蹴るのは、あなたにとって痛いことだ』」(使徒26:12-14)

昨日見た箇所の並行箇所と言えます。昨日は、迫害者であったサウロ、パリサイ人のガマリエルのもとで学んだエリート中のエリート、サウロがイエス様と出会った場面を見ました。

今日の箇所は、内容的には似ていると思った方もいるかもしれません。しかし、これはずっと後、何年も何年も経った後のことです。使徒パウロとして捕らえられて、イエス・キリストをあまりにも宣べ伝えるということで、ユダヤ人たちの恨みを買って逮捕され、ローマへと護送されていく途上での出来事です。

パウロは前回の箇所からさらに後、色んなところでイエス・キリストを証しし続けていました。何度もこのイエス様との劇的な出会いを、ずっと語り続けていたのです。

今日の箇所において、パウロはアグリパという王様の前に連れ出されました。「パウロ、一体何で捕らえられているのか、どんな罪を犯したのか。情状酌量の余地を与えるから、何をしたのか言いなさい」と、王の前で、いわば裁判の席につかされたのです。

通常、裁判の席につかされたら、「私はこういうことをして、ですから私は罪はありません」といった弁明をするはずです。しかし、なんとパウロはイエス・キリストと出会った証を、弁明の中に組み込んで、この王様の前でイエス・キリストを証しするという場に変えてしまったのです。

皆さんもそのようにできるでしょうか。逮捕されて、裁判の席に行って、そこでイエス・キリストを証しする。むしろ、「いや、私は悪くない。私は無罪だ」ということを主張したがるかもしれません。しかし、パウロは「私が捕らえられている理由、それはこれです。それは私の信仰のゆえです」ということで弁明を始めるのです。

9節から見ますと、「以前、私自身もナザレ人イエスの名に強固に敵対すべきだと考えていました」と、この「以前」、キリストと出会うビフォーアフターのうちのビフォーから語り出すのです。

自分もこのイエス・キリストには敵対するものだったと。それをエルサレムで実行して、「祭司長たちから権限を授けられた私は、多くの聖徒たちを牢に入れ、彼らが殺される時にはそれに賛成の票を投じました」(使徒26:10)

サウロだった頃の彼は、何人のキリスト者たちを牢に入れ、また殺される時には賛成票を投じたのか。彼はもしかしたら、このキリスト者が石打ちにされる場面に共に石を投げたかもしれません。あるいは、どういう殺され方をしたのか、その場面場面において、彼も同席して、何度も同席した、そういう経験をしてきました。

「またすべての会堂でしばしば彼らを罰しては強いて冒涜の言葉を言わせようとし」(使徒26:11)こんなこともしたんですね。キリスト者を罰して、なんか拷問じみたことをして、そして、もう無理やりに「お前、イエス・キリストを冒涜する言葉を吐け。そしたら許してやるぞ」、そういうことを彼もしていたのです。

「彼らに対する激しい怒りに燃えて、ついには国外の町々にまで彼らを追跡していきました」(使徒26:11)徹底していますね。もうエルサレムの中のキリスト者だけではなかったのです。本当に国外に逃げていったキリスト者たちをも執拗に追いかけていって、そしてこのキリスト者を迫害しようと、その怒りに燃えてと書いてあります。怒りの感情に燃えていたわけです。

このようなことをしていた彼です。そうして彼が出かけて行った時のことが、昨日の箇所とちょっと表現が違うところがあります。前回の箇所は、実際にサウロだった頃の彼がイエス様と出会った場面を説明しているのですが、今日の箇所では、彼はこう証しています。

「祭司長たちから権限と委任を受けてダマスコへ出かけていきました。その途中、正午頃」、この「正午頃」という言葉があります。「王よ、私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて」、太陽よりも明るかったのです。「また私と同行者たちの周りをその光が照らしたので、私たちは皆、地に倒れました」(使徒26:12-14)

全員が地に倒れたようですね。その時、「その時声があって、ヘブル語で」、これもまた前回の箇所ではなかった表現ですね。ヘブライ語で。そうです。イエス様は本人自身に現れる時、本人自身にわかる言葉で語られるのです。

横浜架橋教会の長老とお話をしていた時、その長老さんもイエス様の御声を中国語で聞いたと言っていました。それぞれの言葉、それぞれ自身のわかる言語で語られるのです。イエス様はお言葉なるお方ですから、もう何語、何語を超越しておられるけれども、特に私たち自身で最もわかる言葉で語られます。

そして皆さん自身も異言ということ、皆さんが日本人であってもアメリカ人にもわかるように、中国人にもわかるように、その言葉、それぞれの国の言葉でわかるような言葉で、神の国の偉大なることを語ることができることが、使徒行伝の2章に書いてありますね。

使徒2章、ペンテコステの日に、本当にいろんな何カ国語もの人々が集まっていた。それぞれの言葉でこの弟子たちが話し出した。どういう内容で語ったか。それぞれの国の人々が証しします。「神の国の大いなることを」。こんなにも多くの言語で語るのを聞こうとは、と驚いたのです。

キリストはお言葉なるお方です。ですから、皆さんがキリストを証しする時、皆さん自身の口が回らないとか、私は口下手、そういったことは気にしなくて大丈夫なのです。お言葉なるお方が語り出すからです。

この口下手な人がより多く語れるということではなく、むしろキリストが語らせてくださるその感性を持った人が、より多くのこのキリストの証をすることができるようになるのです。

ヘブル語でイエス様がサウロに対して語るのを聞こえたと、彼は告白しています。「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか」(使徒26:14)

ここまでは昨日の箇所と同じですね。でもその後のところ、昨日の箇所にはなかったのです。イエス様、さらにこういうふうに言ったと言います。「棘のついた棒を蹴るのは、あなたにとって痛いことだ」(使徒26:14)

このことも、この時自分に語られたということを、アグリパ王に、また、その裁判の席において弁明しています。イエス様と出会ってから何年も経って、イエス様と共にずっと歩んでいくうちに、本当にあの時、ああ、イエス様はこのようにも語っておられたんだなということがわかることがあります。

あるいは、この裁判の席において、この短い時間の中において、いかにキリストへと人々を引き込むかということで、いろいろと話をはしょったり、あるいはこの時、主が語られたと感じたこと、それもこの証の中に混ぜ込んで、そして本当に真実にイエス・キリストが、「あの時こんなに私のことを語ってくださったんだ、こんな私の思いを汲み取っておられたんだ、分かっておられたんだ」ということを、本当に信仰が成熟すればするほど分かってきます。

あの時、イエス様はこういう意図を持って語っておられたのだと分かってくるのですね。この時、どういう意図を持ってイエス様は迫害者サウロに語ったのか。

「なぜ私を迫害するのか。サウロ、サウロ」。サウロ、人から望まれるという名前の意味です。人から望まれることを望んでいるあなた、人から望まれることを望んでいるあなた、なぜ私を迫害するのか。

本当に皆さん自身の功名心、人々から良く見られたり、そういう思いでキリスト、神に仕えようとすると、イエス様を迫害するものになってしまうのです。イエス様に人気が集まるよりも、私に人気が集まってほしい。これ、キリストを突き刺すようなことですね。キリストの栄光の座から引きずり降ろすようなことですね。

サウロだった時、神に仕えると思っていた彼。けれども、その熱心は、実はイエス様を突き刺す、イエス様を迫害する熱心、間違った熱心でした。

私たちが熱心になる時、本当に気をつけなくてはなりません。果たして自分はイエス様に熱心なのか、イエス様を愛するゆえなのか、あるいは自分ゆえの熱心なのか。自分ゆえの熱心だと、逆にキリストを迫害する側にいつの間にかなってしまい、そしてよくわからないままに神様の御旨とは真逆の行動をしてしまうことになってしまいます。

本当に私たちのその中心が一体どこにあるのか。私たちの誇りは一体どこにあるのか。私たちの誇りが自分にあるのではないか、あるいは本当にイエス様にあるのだろうか。本当に日々吟味する必要があります。

イエス様はこの時、「棘のついた棒を蹴るのはあなたにとって痛いことだ」と言いました。本当にこの言葉、パウロにとってずっと痛かった思い、ずっと心の中に響いていた痛みだったんでしょうね。

このキリスト者を迫害する度、キリスト者が死刑になるという宣告に対して賛成の票を投じる度、そのキリスト者たちが、あまりにも清く尊い様でもって、ほふり場に引かれている子羊のように、何の抵抗もせずに、しかし清らかな有様で、「これからイエス様ともうついに天国で出会えるんだ、もうすぐなんだ」という、その輝いた表情のキリスト者たちに対して向かって石を投げる都度、あるいはそのような輝いたキリスト者に、あえて拷問じみたことをして、「お前、イエス・キリストに対して暴言を吐け。そしたら許してやる」と迫る都度、痛みを覚えていたんです。棘のついた棒を蹴るかのような。

この棘のついた棒、当時は道具として使われていたそうです。くびきってありますね。牛を二頭を1組つなぐ、そういう道具なんですけども、そのくびきに若い牛、まだくびきに慣れていない牛を初めてくびきを負わせる時、その若い牛は、くびきが嫌なので、窮屈なので、そのくびきのところを蹴るんですね、足で蹴るんですけれども。

けれども、その若い牛にくびきを負わせる時は、その牛が蹴るようなところに棘をつけるんですね。棘のついた棒をそこに当てはめて、そして若い牛がそのくびきを蹴るたびに、その棘のついた棒を蹴るので痛いんです。だから徐々に徐々にこの若い牛はそのくびきを蹴ることをやめて、そしてそのうちそのくびきが若い牛にしっくりとくるようになって、そしてやがてはそのくびきに負わされることにおいて、何の抵抗もなく、また平安のうちに、共に主人の意のままに働くようになっていくんですね。

私たちも同じです。初め、キリストのくびきを負わされる時、もう嫌で窮屈で蹴るけれども、痛みを覚えるんですね。イエス様の御旨に反する都度、皆さんも経験あるでしょう。イエス様の御旨に反する都度、痛みを覚える。棘のついた棒を蹴るのは痛いことだ。

キリスト者を、イエス・キリストにある兄弟姉妹を蹴るような言葉で暴言を浴びせるような、それは棘のついた棒を蹴るような痛みを覚えることだ。

今日の箇所に出てくる、パウロに、まだ迫害者だったサウロに、「棘のついた棒を蹴るのは、あなたにとって痛いことだ」とイエス様おっしゃいましたけども、これは私たちにも言ってるんですね。

キリスト者を迫害する都度、あるいは、キリストにある兄弟姉妹に暴言を吐いたり、怒ったり、打ち叩いたり、そういう都度、実はそれはキリストを迫害していることだ。イエス様は、「なぜ私を迫害するのか」と言いました。「なぜ私の愛する弟子のあの人、この人を迫害するのか」と言わず、「私、なぜ私を迫害するのか」と、この時、イエス様はおっしゃいました。

ですから、キリスト者を迫害する、キリスト者に暴言を吐く、キリスト者を打つ、言葉の鞭で打ち、あるいは実際の、まあ暴力、まあ、なかなかそういう人はいないと思うんですけども、そうやって打つ都度、棘のついた棒を打つことだ。そしてそれはイエス様ご自身を打っていることなんだということです。

パウロは長年イエス様と連れ添って歩んでいき、その経験を積んで、時間をイエス様と共に過ごしていく中で、このことが分かっていったんです。棘のついた棒を蹴ることは本当に痛いことだ。そして先々でこの証をしたことでしょう。そして多くの人々がこのパウロの言葉を聞いて信仰に入っていったことでしょう。

皆さんもそうなっていくんです、なれるんです。イエス様と共に歩み、イエス様があの時なんて言われたのか、それを思い巡らし、「そうか、そうだ、あの時は実はイエス様、こういうこともおっしゃりたかったんだ。実はこういうことも言葉で表現していなかったけど、実はそういうことも言っていたんだ」、意味が徐々にどんどん分かっていくんです。

イエス様の愛の広さ、高さ、深さ、これ計り知れないです。もう何年かかっても、ようやく「ああ、もっと深みが知れた」。さらにイエス様と共に経験積めば、「もっと実は深かったんだ」ということがどんどんわかっていくんです。

15節から見ますと、「私が『主よ、あなたはどなたですか』と言いますと、主がこう言われました。『私はあなたが迫害しているイエスである。起き上がって自分の足で立ちなさい。私があなたに現れたのは、あなたが見たこと、またこれから後、私があなたに現れて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである』」(使徒26:15-16)

アーメン。これ、昨日の箇所においてはイエス様は言っておりませんでした。イエス様が言ったのはただ、「ダマスコの街の中に入っていきなさい。そうすれば今後あなたがすべきことが告げられる」んですけども。

けど、パウロはおそらくここ、アグリパ王の前で、わずかな言葉で、このアグリパ王をなんとかしてキリスト者にしたい、そういろいろ端折ったのかもしれません。あるいは後になって「ああ、イエス様、あの時このことを言われたのか」と分かったのかもしれませんし、あるいは本当にイエス様があの時こう言われたけれども、前回の箇所が端折ったのかもしれません。

とにかくイエス様が言われたこと、それが本当にこの御霊が促されるままに、この王たちの前で、また人々の前で証しする時、このように言葉が与えられていくんです。

ノンクリスチャンたちは、「パウロが言ってること、前回とこの場面で違うじゃないか」、そういうふうに、なんか食い違いを指さして、「だから聖書は信頼にならない」と言うんですけども、しかし、本当にキリスト者として経験すればしていくほど、「あの時イエス様が言われたこと、あの時イエス様が現れて、このようなことをしてくださったこと、これにはこういう意味があったんだ」、こんな風にしてイエス様との深みがどんどんと深まっていくんですね。

この時、イエス様、「私があなたに現れたその理由、それはこれからまた後、私があなたに現れて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためだったのだ」ということが、パウロは後々分かってきたんですね。パウロは当時は分からなかったかもしれません。まさかイエス様の証し人、また働き人、奉仕者になるなど分かっていなかった。まだくびきに慣れていなかったけれども、そのくびきを負っていくうちに、徐々に徐々に分かっていったんです。「そうか、あの時、主の御心は私が証人になり、奉仕者になることだったんだ」。

そしてさらにパウロのミッションが17節、18節で語られます。「私はこの民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、私を信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって、御国を受け継がせるためである」(使徒26:17-18)

アーメン、もうここまで徹底的に、具体的に、このパウロの役割が啓示されていったことが証しされました。実際にそうでした。パウロのその後の歩みで、もう本当に異邦人へと遣わされ、そして多くの人々に、目の見えない人の目を開き、具体的に目の癒しをしたのみならず、霊的な目が本当に閉ざされていた人の霊的な目を開き、そして闇の中に囚われている人々に光を照らし、サタンの支配の中に、悪霊の支配の中にいた人々を、悪霊を追い出して、そして神の支配の中に導き入れた働きを具体的にしてきましたね。

だから本当にこのイエス様がサウロに与えられたミッション、当時はわからなかったけれども、徐々に徐々にわかっていったんですね。そして罪の赦しによって聖なるものとされた人々を起こし、その彼らに御国を受け継がせるために「あなたを召し出し、こうしてあなたに現れたのだ」と、パウロはこの証の中で告白しました。

19節から見ますと、「こういうわけでアグリッパ王よ。私はこの天からの啓示に背かず、ダマスコにいる人々をはじめ、エルサレムにいる人々に、またユダヤの全地方に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと述べ伝えてきたのです。そのためにユダヤ人たちは私を宮の中で捕らえ、殺そうとしたのです」(使徒26:19-21)

本当に裁判の席において、大いなる証が語られました。そしてパウロはさらに多くの人々にこの福音を宣べ伝えていったんですね。証をしていたんですね。

24節では、パウロがこういうふうに弁明していると、フェストという人が口を出すんですね。「気が狂っているぞパウロ。博学があなたの気を狂わせている」、もうパウロ、あなたがそんな奇跡じみた言葉を言ったりして、まあ、あなたはお勉強しすぎて気が狂ったんだ、そういうふうに言うんですけど、しかし、「フェスト閣下、気は狂っておりません。私は真実な真の言葉を話しています」。

本当にこの言葉を、アグリパ王に対しては、「あなた預言者を信じておられますか。もちろん、信じておられると思います」と言うと、28節でアグリパ王、パウロに「あなたはわずかな言葉で私をキリスト者にしようとしている」と言うんですね。

本当、パウロのこの裁判の席、アグリパ王に対して、このもし一国の王がキリスト者になったら、どれほど素晴らしいことか。パウロは本当にこの機会の中においてもキリストを証しするものになりましたね。わずかな言葉、わずかな時間で、限られた時間の中で、いかに効率的に証をするか。パウロは本当に心を痛めていたんですね。

裁判の席で、いかに自分が無罪になって自由に解放されるかということではなく、いかに短い時間でこの聴衆、人々にキリストを伝えるか、効果的に伝えるか、このことに心を尽くしていました。

私たちも本当にあらゆる機会を用いて、このキリストを宣べ伝えるべきです。このパウロは、キリストと共に人生を歩んでいくうちに、どんどん証しに深みが加わってきました。また「あの時、キリストは、イエス様はこう言いたかったんだ」ということをどんどん理解していきました。

皆さんもイエス様と共に歩んでいくうちに、信仰がどんどん深みを増していくべきですね。教会に十年通っても、全然全くもって世の中の人と同じ、これであってはいけません。イエス様と交わり続けてください。イエス様が皆さんの相続財産です。イエス様が皆さんにとって本当に良き友であり、また、いつでも皆さんに交わりを持ちたい、持ちたいと願っておられる主です。インマヌエルなる主です。共にいます神です。

どうか、この共にいますイエス様といつも交わり、そして都度皆さん自身が必要な助けをいただき、癒しをいただき、必要な働きへと出ていき、そしてますますイエス様との関係が深くなって、イエス様の救いを多くの人々にもたらし、そして、ついには王の前においても証しをしていく皆さんでありますように。

【結論】

パウロは迫害者サウロから使徒パウロへと変えられ、イエス様との出会いの意味を年月を経るごとに深く理解していきました。「棘のついた棒を蹴る」痛みを経験し、自分の熱心が実はキリストを迫害していたことに気づかされました。私たちも日々、自分の中心がどこにあるのかを吟味し、イエス様との交わりを深めていく必要があります。パウロが裁判の席でさえキリストを証ししたように、私たちもあらゆる機会を用いて、効果的にキリストを伝える者とされていきましょう。イエス様は共にいます神であり、私たちの相続財産です。この方との交わりを深め続けることで、信仰の深みはますます増し加えられていくのです。

 

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