メッセージ - 真の美しさ(エステル記2:12-23) 2026/6/2
真の美しさ(エステル記2:12-23)
メッセージ音声
【概要】
本当の美しさとは、外見ではなく、真の王であるイエス様の喜びとなることを求め、その御心に従うことです。自分の価値観や好みを捨て、ただ主を恐れ敬い、従順であることこそが、神と人からの好意を受ける秘訣です。
【聖書箇所】
エステル2:12-23
箴言31:30
【勧めの言葉】
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自分の好みや価値観ではなく、真の王であるイエス様の御心を第一に求め、その喜びとなることを目指しましょう。
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自分の手柄を主張せず、霊的な指導者の教えや命令に謙虚に従いましょう。
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麗しさや外見の美しさ以上に、主を恐れ敬う心を大切にしましょう。
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たとえ今すぐ報いがなくても、私たちの行いはすべて神の年代記に記録されており、やがて必ず報いられることを信じましょう。
【***詳細***】
皆さん、こんにちは。
今日皆さんと共に見ていきたい御言葉は、エステル記2章12節から23節です。まず、12節をお読みします。「娘たちは女たちの規則に従って十二か月の期間が終わった後、一人ずつ順番に、アハシュエロス王のところにはいっていくことになっていた。準備の期間は、六か月は没薬の香油を、次の六か月は香料と女たちのための化粧品を用いて化粧することで完了するのであった。」アーメン。
愛するイエス様、今、私たちがあなたの御心にかなうもの、美しいものとなれますように。あなたが「さあ、立って出ておいで」と言ってくださるような者となりたいです。主よ、本当の美しさとは何か、外見に勝る美しさとは何かを教えてください。今、取り次ぐ僕を清め、このメッセージを受け取るお一人お一人を整えてください。礼拝に来られない方々の上に、あなたの癒しと導きがありますように。イエス様のお名前によってお祈りいたします。アーメン。
ハレルヤ。主の御名を褒め称えます。
ここ最近、エステル記から「本当の美しさ」とは何かを学んでいます。このエステル記の物語では、まずペルシャ全国から美しい娘たちが集められました。そして、その中からたった一人の王妃が選ばれるのです。たくさんの娘たちが集まりましたが、王妃になれるのは一人だけ。彼女たちは、ある意味で必死だったことでしょう。
今日の箇所、12節にあるように、彼女たちは12ヶ月もの間、徹底的にエステティックなケアを受けていました。最初の6ヶ月は没薬の香油で、次の6ヶ月は香料や化粧品で体を整え、体から良い香りが滲み出るほどでした。
ちなみに、「エステ」という言葉は、このエステル記が語源かと思いきや、実は違うようです。フランス語の「エステティック(美学)」は、元をたどるとギリシャ語の「アイステーシス(感知する、感じる)」という言葉から来ています。一方、聖書のエステルという名前は、ペルシア語で「星(スターラ)」を意味するか、あるいはバビロニアの愛と美の女神「イシュタル」に由来すると言われています。エステルの本来のユダヤ名は「ハダサ」で、これは「ミルトス」という植物を意味します。イザヤ書には「いばらの代わりにミルトスが生え…これが主の記念となる」という言葉があります。いばらのような私たちでも、主にあってミルトス、つまりエステルのように美しい存在になることができるのです。
さて、多くの娘たちが王のもとへ行きます。13節にはこうあります。
「このようにして娘が王のところにはいっていくとき、その娘の願うものはみな与えられ、それを携えて後宮から王宮にいくことができた。」
これはすごい待遇です。一年間、徹底的に美を磨き上げられ、さらに王に会うときには、欲しいものを何でも与えられたのです。彼女たちはきっと、自分の価値観で「これが一番良い」と思う最高の宝石や衣装、香水を求めて、王の前に出たに違いありません。一晩で人生が変わるかもしれない、王の心を射止められるかもしれない、そんなチャンスに全てを賭けていたのです。ハーレム(後宮)は、自分の美しさで王の心を掴もうという女性たちの気迫で満ちていたことでしょう。
しかし、その世界は非常に厳しいものでした。14節を見てみましょう。
「娘は夕方にはいっていき、朝になると第二の後宮に帰ることになっていた。そこはそばめたちの監督官である王の宦官シャアシュガズの管理のもとにあった。その女は王が気に入って指名されるのでなければ、二度と王のところにはいけなかった。」
王に気に入られなければ、二度と会うことはできません。一晩きりで、その後一生召されることなく生涯を終えた女性も多かったでしょう。その夜の王の機嫌や、ほんの偶然によって運命が左右される。多くの女性たちは、その一瞬の偶然に賭けるしかなかったのです。これは、私たちの世界にも通じる厳しさです。たった一度の面接やテスト、タイミングや偶然によって、その後の人生が大きく変わってしまうことがあります。この後宮は、まさにそうしたこの世の厳しさが凝縮された場所でした。
しかし、その中で一人、必死さを感じさせない女性がいました。それがエステルです。15節です。
「さて、モルデカイが引き取って自分の娘とした彼の叔父アビハイルの娘エステルが、王のところにはいっていく順番が来たとき、彼女は、女たちの監督官である王の宦官ヘガイの勧めたもののほかは、何一つ求めなかった。こうして、エステルは彼女を見るすべての者から好意を受けていた。」アーメン。
他の女性たちが自分の好みで飾り立てたのとは対照的に、エステルは自分の価値観を一切持ち出しませんでした。彼女が求めたのは、ただ一つ、「王の宦官ヘガイが勧めたもの」だけでした。ヘガイは、王のことを誰よりもよく知るプロフェッショナルです。王の好み、好きな衣装、色、仕草、言葉遣いまで、すべてを熟知していました。エステルは、「王様は何を求めておられるのだろうか」「何が王様の心を穏やかにするのだろうか」ということだけを追求し、ヘガイの言う通りにしたのです。
そして、「こうして」という接続詞に注目してください。「こうして、エステルは彼女を見るすべての者から好意を受けていた」。彼女が好意を受けた理由は、プロフェッショナルの言うことに素直に従ったからです。
このエステルの態度は、20節にも表れています。
「エステルは、モルデカイが彼女に命じていたように、自分の生まれも自分の民族も明かしていなかった。エステルはモルデカイに養育されていたときと同じように、彼の命令に従っていた。」アーメン。
彼女は、霊的な指導者であり、父親代わりであるモルデカイの命令にも従順でした。「おっしゃることは何でもいたします」というこの姿勢こそが、王の心を射抜き、すべての人から好意を得る秘訣だったのです。真の王妃となる人の性質は、自分の好みを押し出さず、ただ王の好みを追求することです。
これは、受験生が自分のやりたいことではなく、受験のプロの言うことを聞けば合格しやすいのと同じです。コンテストでも、専門家のアドバイスに素直に従う人が受賞するのです。
エステルは、見事に王の心を射抜きました。17節です。
「王はほかのどの女よりもエステルを愛した。このため彼女はどの娘たちよりも、王の好意と寵愛を受けた。王は王冠を彼女の頭に置き、ワシュティの代わりに彼女を王妃とした。」アーメン。
ここで、元王妃ワシュティの名前が出てきます。ワシュティは王の命令に逆らい、自分の好みを通した結果、王妃の位を追われました。一方、エステルは宦官ヘガイと養父モルデカイの言葉に従いました。この「従順」のゆえに、彼女は王の心を掴んだのです。
さらに、エステルは主を恐れ敬う女性でした。彼女はユダヤ人として、神の民に敵対する者には決して頭を下げないという強い信仰を持つモルデカイに育てられました。冒頭で読んだ箴言31章30節には、「麗しさは偽り。美しさはむなしい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる」とあります。
女性が美しくありたいと努力することは素晴らしいことです。しかし、クリスチャン女性にとって、それ以上に大切なのは、主を恐れ敬うこと、そして真の王であるイエス様の好みは何かを求め、その喜びになりたいと願う心です。
雅歌の中に、男性が女性を褒め称える場面があります。彼は、自分が彼女に贈った金の首飾りや宝石を身につけている彼女の姿を「美しい」と褒めるのです。男性は、自分が飾りたいと思ったものを身につけている女性を、愛おしく、美しいと感じるのです。私たちも、自分の好みではなく、誠の王であり夫であるお方の好みを身につけ、その方に喜ばれる者となりたいです。
さて、物語は21節から23節に進みます。ここに、後の大きな出来事への伏線が記されています。
モルデカイが王の門に座っていた時、二人の宦官が王の暗殺を企てているのを知ります。彼はそのことを王妃エステルを通して王に伝えました。22節には、「王妃エステルは、これをモルデカイの名で王に告げた」とあります。ここでもエステルは、自分の手柄にせず、モルデカイの名を立てています。なんと慎ましい女性でしょう。
この企ては調査され、二人の宦官は処刑されました。そして23節の最後に「このことは王の前で年代記に記録された」とあります。
この時、モルデカイは王の命を救ったにもかかわらず、何のご褒美もありませんでした。「なんで?」と思ったかもしれません。しかし、この記録こそが、後にユダヤ民族全体が危機に陥った時に、彼らを救う重要な伏線となるのです。この時点では彼は無名のままで、その功績に対する賞賛も報酬もありませんでした。
私たちも、今、自分の働きが報われていないと感じることがあるかもしれません。しかし、この物語が示しているように、神様はすべてを見ておられます。
「このことは王の前で年代記に記録された。」アーメン。
皆さんの昨日までの行い、今日の行いは、すべて天の書物に記録され続けています。人が見ていても見ていなくても、イエス様の喜びとなる行動をするとき、それは地上で、あるいは天で必ず報いられます。良いことも悪いこともすべて記録されているのです。今日の一日が、皆さんの行動が王の年代記に記され、将来の祝福の伏線となる一日でありますように。イエス様の御名によって祝福いたします。
【結論】
真の美しさとは、外見的な麗しさではなく、主を恐れ、その御心に従う従順な心にあります。エステルのように、自分の好みや価値観を手放し、ただ真の王であるイエス様が何を喜ばれるかを求めるとき、私たちは神と人からの好意を受け、真に美しい者とされるのです。たとえ今すぐには評価されなくても、私たちのすべての行いは神の書物に記録されており、最も良い時に必ず報いられます。主への従順こそが、私たちを飾る最高の宝石なのです。
