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メッセージ - 中途半端な従順と神の民としての一線(エステル記3:1-6)

中途半端な従順と神の民としての一線(エステル記3:1-6)

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礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » エステル記
執筆 : 
pastor 2026-6-4 21:10

 中途半端な従順と神の民としての一線(エステル記3:1-6)

メッセージ音声

【概要】

数百年越しの確執がついに表面化する場面。モルデカイが報われず、代わりにアガグ人ハマンが昇進する。しかしモルデカイは神の民としての一線を守り、ハマンに膝をかがめることを拒んだ。中途半端な従順が後の世代に災いを残すことを警告している。

【聖書箇所】

  • エステル3:1-6

  • エステル2:5

  • ローマ12:2

  • 第一サムエル15章

【戒めの言葉】

中途半端な従順は後々の世代に災いを残す。御言葉に対して「このくらいならいいだろう」という妥協は、自分自身や子孫に害をもたらすことになる。

【励ましの言葉】

報われていないように見えても、神様の救いの計画における大切な一手として、あなたは置かれている。神様の計画はすでに動き始めている。

【勧めの言葉】

神の民として膝をかがめてはならない一線を守り続けること。毎日繰り返される誘惑や圧力に対しても、信仰的な筋を通し続けることが求められる。

【***詳細***】

今日の箇所はエステル記3章1節から6節です。初めに1節を読みます。

「これらの出来事の後、クセルクセス王はアガグ人ハメダタの子ハマンを重んじ、彼を昇進させて、その席を彼と共にいる首長たちの誰よりも上に置いた。」

前回までエステル記の2章までを見てきました。本当に控えめなエステルが王妃に選ばれて、そしてそのエステルの育ての親、モルデカイが王の門の前で座り続けており、そしてこの王の暗殺計画をモルデカイが暴いて、王様の命を救いました。その功績が年代記の書に記されたとだけは書いてあるんですけど、実際的なご褒美をもらえるとか、そういったことはないままで3章に入ります。

モルデカイがいよいよ報われるのか、章が変わったと思いきや、そうではないんですね。モルデカイではない者が地位を得ました。「クセルクセス王はアガグ人ハメダタの子ハマンを重んじ、彼を昇進させて、その席を彼と共にいる首長たちの誰よりも上に置いた」と書いてあります。

昇進したのはモルデカイではなく、ハマンでした。一方、モルデカイは相変わらずこの王様の門の前にただ座っているだけの状態ですね。報われないけれども、他の人がもっと昇進してしまう。これは私たちも日々生活している中でよくある経験することですけれども、正しいことをしたのに報われない。むしろ間違っているかのように見える人の方が引き立てられて目立って、上に立てられていく。

けれども、このエステル記はそれをただの不運として描いているわけではありません。運がなかったなということではないんですね。ここから物語が大きく動いていくんです。この大きく動く物語って、一体どれほど大きなストーリーだったのか。実はこれ、数百年ほどのストーリーが動いている様があるんですね。

この1節をよく見ますと、このハマンは何者かというと、アガブ人ハメダタの子ハマンというふうに書いてあります。彼はアガブ人、これがこのハマンの本性です。ハマンの素性、アガクの子孫で、アガク、聖書に出てきます。アガクが出てくるのは第一サムエル記の方です。

第一サムエル記の15章において、預言者サムエルがこのイスラエルの最初の王サウルにこういうふうに命じるんですね。「行ってアマレクを打て。彼らに属するすべてのものを聖絶せよ。容赦してはならない。」けれども、サウルはこの命令に完全に従いませんでした。

このアマレクの王がアガクだったんです。このアガクを生かしたまま捕らえて、そしてこの戦利品の分捕ったもののうち全部聖絶しなさい、分捕り物は取ってはならない、全部滅ぼし尽くしなさいと言われていたにもかかわらず、その肥えた物を惜しんで、これは残しておいてもいいよねと、つまらないものだけを滅ぼして、残してはならないものを残した。

この中途半端な従順、従順は完全でなくてはならないんですけど、しかし中途半端な従順は後々その中途半端さが後々災いを残してしまうんですね。このサウルが残した故に数百年流れた後、このエステルの時代、その災いが一気に降りかかるんですね。このアガグ人のハマン、これはサウルが残してしまったあのアガクの末裔であったわけです。

さらにですね、このモルデカイの出自について、またよく見てみたいんですけどもね。エステル2:5を見ますと、モルデカイはベニヤミン人キシの子の子孫として紹介されています。これ、要するにサウル王と同じ血筋なんですね。ですから、この3章で始まったのは、数百年越しのその確執の再現であったわけです。つまり、サウルとアガクの対決の、その数百年越しの再現がこの3章で始まったわけなんですね。

サウルが取り残したこのアマレクの末裔が、今、この次世代のまたさらなる次世代、もっとさらなる子々孫々に下った後に、それが害として現れて、そしてこの民全体を滅ぼそうと、またこのアマレクのアガグ人、それが今この3章においてまさに実現しようとしていたわけです。

ですから、本当にここから学ぶべきことは、私たちは御言葉に対して中途半端な従順であってはならないんです。その従順の中に中途半端さを残していたら、その中途半端さが、いずれやがて自分自身に跳ね返り、あるいは自分の代に跳ね返ってこないとしても、自分の子供の孫の後々の世代に害となって現れてしまうわけです。

ですから、今日、私たちが御言葉に対して、御言葉がやめなさいと告げていることに対して、ちょっとぐらいはいいじゃないかというふうに言うとしたならば、その人は自分自身の後、あるいは自分自身の子孫に害を残すことになってしまうわけです。

現実、実際、今自分自身に起きている報われないなということで、それ、自分が犯した罪じゃないのにと思っていたかもしれなくても、先祖が犯した罪が実は今、この代の自分に返ってきてしまうということがあるわけです。だから私たちは先祖の犯した罪を本当に悔い改めて祈るべきなんですね。

2節の方を読みますと、「王の門のところにいる王の家来たちは皆、ハマンに対して膝をかがめてひれ伏した。しかし、モルデカイは膝もかがめず、ひれ伏そうともしなかった」と書いてあります。

モルデカイは、なぜ膝をかがめなかったのか。この自分より高い地位にある者に対してひれ伏すことは、当時はまあ、ごく普通の習慣というか、儀礼だったんですけども。なんでモルデカイはこの彼に膝をかがめなかったか。4節にはっきり理由が示されています。

「モルデカイが自分がユダヤ人であることを彼らに打ち明けていたからである」と書いてあるんですけども、モルデカイは自分がユダヤ人であることをみんなに打ち明けていたとあります。ですから、ここに理由があるんですね。

モルデカイはハマンが嫌いだったからとか、わがままだったからとか、そういったことではなくて、ユダヤ人だったから。つまりモルデカイは自分は神の民、そして神の民としてひれ伏してはならない一線を、彼ははっきりと持っていたんですね。

ハマンはアガグ人です。ハマンはモルデカイにとって、モルデカイ自身の先祖サウル王が残した敵でした。アガクはまたアマレク人です。聖書に書かれてあります。「主はアマレクと代々戦う。」あのモーセの時代、モーセが手を挙げて祈っていた時は、ヨシュアの軍勢が優勢、手を疲れて下ろしていたら、ヨシュアの軍勢が不利になった。その相手がアマレクで、そしていよいよモーセの疲れた手を、両隣からアロンとフルが支えて、そしてしっかりとその祝福の手が降りなかったゆえにヨシュアたちが勝利しました。

そこで主が宣言されたのは、「私は代々アマレクと戦う」ということを主は仰せられました。ですから、モルデカイはその律法を知っていた。そしてこのアマレクは主の敵である。主はこのアガブ人、ハマンと代々戦う。今このように取り上げられているけれども、しかし主は必ずこのハマンを取り下ろすということを、律法からモルデカイが知っていたから、だから、決して膝をかがめなかったんですね。

もちろん、王様に対してはね、礼儀として膝をかがめましたね、モルデカイは。けれども、ハマンに対しては、神の民として、またこのキシの子、ベニヤミン人として、決して膝をかがめてはならない相手だったんですね。

今日の私たちね、膝をかがめてはならない、そういう相手、いるでしょうか。神の民として、これは別に気に食わない相手であってはなりません。神の民として、そのかがめてはならない欲望があり、またかがめてはならない罪があります。世の中において、みんなはこの偶像礼拝をしているから、自分もこの同じようにしようって、そういったこと、かがめてはならないんですね。

聖書には偶像拝んではならないって、非常に事細かく書いてあります。冒頭で宣言したのは、ローマ12:2なんですけども、書いてあります。「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ神の御心は何かを見分けるために、心の一新によって自分を変えなさい」と書いてあります。

私たちも膝をかがめてはならない罪があり、欲望があり、誘惑があります。この御言葉が示すこと、私たちは本当にこの一線を守るために毅然と立つことはできるでしょうか。

さらにですね、3節から4節のところに、見落としてはならない一言があるんですね。3節から4節見ますと、この王の家来たちはモルデカイに、「あなたはなんでこのハマンに膝をかがめないのか。これ、つまり王の命令に背くことだ。なんで王の命令に背くのか。」彼らは毎日そう言ったが、モルデカイは耳を貸そうとしなかったと書いてありますね。

毎日そういうふうに言われました。毎日です。信仰の戦いは一度勝利したということで満足してはならなくて、2日目、3日目にまた誘惑が来たら、その一線を越えてはならない戦いがあるわけです。信仰の戦い、これは毎日。しかもモルデカイは毎日繰り返し同じ圧力がかけられたんですけども、でも耳を貸そうとしなかったんですね、モルデカイは。

このモルデカイの有様だけ見ると、なんて頑固で、なんか融通が利かないって思う人がいるかもしれないですけど、しかしモルデカイとしては、この律法から、また神の民として、そして自分の血筋として膝をかがめてはならない相手だった。だから耳を貸そうとしなかったんですね。

モルデカイは毎日毎日繰り返し同じ圧力がかけられても、耳を貸そうとしませんでした。これが本当の信仰の戦いです。多くのユダヤ人はハマンに膝をかがめました。モルデカイはかがめませんでした。でもエステル記の最後を見ますと、ユダヤ人の中で唯一モルデカイが大いに取り上げられて高く地位が上げられたわけですね。主が引き上げたんです。それはこのモルデカイが、決して膝をかがめてはならない、神の民としてはかがめてはならない相手にかがめなかった。それを貫き通したからなんですね。

このモルデカイは自分がユダヤ人であることを隠さないで打ち明けておりました。エステルは時が来るまで自分の出自を隠していなさいとモルデカイが言ったんですけども、モルデカイは違いました。これはそれぞれの任された場所、それぞれ任された地位において、それぞれの導きがあるんですね。

エステルは明かさないことが益でした。けれど、モルデカイは自分はユダヤ人だと明らかにしていたからこそ、だからこのハマンに対して膝をかがめない。その理由、信仰的な筋が通っていて、そしてみんな周りにそれが知らされたわけですね。自分はユダヤ人、そして相手はこのアガグ人だから、ユダヤ人として、信仰者として膝をかがめないということだったんですね。

私たちも本当に自分がどこに所属するのか、私たちは天国に所属する、イエス様に所属する。はっきり証を立てていくべきです。

さらに5節から6節見ますと、ハマンは、このモルデカイが自分に対して膝をかがめないのを聞いて、憤りに満たされた。しかもハマンはこのモルデカイ一人に手を下そうとするだけでは満足しないで、ハマンはすべてのユダヤ人、このモルデカイの民族全体を根絶やしにしようと企みました。

本当に恐ろしいものです。自分のそのプライド、高慢が傷つけられたことに対する怒りを、決して個人だけでなく、その個人が所属する集団全体、民族全体を滅ぼそうという憎しみに膨れ上がっていった。ここに、このアマレクのその汚さと言いますか、その罪深さが垣間見られます。

自分に膝をかがめなかったあの一人に対する憎しみ、これが全集団に対して、その民族に対して、その国全体に対する怒りに変わっていく。これがまあ、今よく囁かれているヘイトの構造ですね。ですから、あの時代から今に至るまで、この構造が変わっていないわけですね。

本当にこのハマンの中で動いていたこの蠢く怒り、その性質、これモーセの時代からまたサムエルの時代、サウル王の時代からずっと働いていた。いやむしろその前から悪魔サタンがすべてこの神の民を根絶やしにしようと滅ぼそうと企んで、そうしてこのようなハマンを用いて、悪魔サタンがハマンを用いて神の民を根絶やしにしようって企んでいたわけです。これ今でも、それは世界的な戦争において、本当にそれが起こされております。

けれども、覚えておくべきことは、神の子イエス様は、まさにその悪魔の業を打ち壊すために来られたんです。私たちの信じるイエス様は、必ずこの悪魔サタンの業を打ち壊してくださいます。

このエステル記の3章は、確かにこの暗い始まり方をしたかもしれません。けれども、神様はその中において、もうすでに空いた王座にエステルを据えておられたんです。神様の一手、それはもうこの前に置かれていたわけですね。「このような時のために」、エステル記において重要なキーワードでした。

ハマンのこの企みが膨らみ始めるその以前から、もう神様の救いの計画、その一手はもうすでに置かれているんです。王宮の中で、もうすでにこの神様の救いの計画は動いていたわけです。

今の私たちに対して、このエステル記3章は問いかけております。まずは皆さん、モルデカイのように報われていないなって、それを感じる場面あるでしょうか。でも皆さん、しっかりと神様の一手として皆さんは置かれているんです。このつくばみらいの地に、それぞれの場所、場所に。神の一手として皆さんが置かれて、そしていかに報われていないかのように見えても、実はですね、それ布石なんですね。

また、今日の箇所が示すこともう一つ、膝をかがめてはならない一線というものがあります。その置かれている場所、場所において、その一線は人によって違うかもしれません。私たちは本当にこの祈りを通して、御言葉を通して、その一線をはっきりと知る必要があります。そして、たとえみんなが膝をかがめたとしても、皆さんはその罪に、誘惑に膝をかがめてはならないんです。

また、私たち、「このくらいになったら別にいいじゃないか」、そのようなサウルのような、「このくらいなら別にいいじゃないか」、これは本当に捨て去るべきです。中途半端な従順、これが後々に災いを残しました。皆さんは本当にこの自分の中に残してはならないアガクを残していないでしょうか。私たちはしっかりとそれは取り扱って、そして本当にこの完全な従順を通して、全き祝福に入っていくべきです。

皆さんはこの神の民としてのプライドをしっかり保ち、そして神様に対する従順を保って、そして祝福へと入っていきましょう。本当にこの従順が完全になる時、一切の不従順は処罰される準備ができます。皆さんが本当に神さんに対する従順を保って、そして一切の不従順を処罰する皆さんでありますように、イエス様のお名前によって祝福いたします。

【結論】

私たちは御言葉に対して中途半端な従順であってはならない。サウルの中途半端な従順が数百年後の子孫に災いをもたらしたように、私たちの妥協も後の世代に影響を与える。しかし、モルデカイのように神の民としての一線を守り続けるなら、たとえ今は報われていないように見えても、神様はすでに救いの計画を動かしておられる。私たちは神の民としてのプライドを保ち、完全な従順を通して全き祝福へと入っていくべきである。

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