メッセージ - エステル記、神の計画 VS 悪人の企て(エステル基3:7-15)
エステル記、神の計画 VS 悪人の企て(エステル基3:7-15)
メッセージ音声
【概要】
悪しき者ハマンはユダヤ人を滅ぼすため「くじ(プル)」を投げますが、その決定さえ主の御手の中にあり、神は民の救いのための時間を確保されました。地上の王が権威を乱用するように見えても、真の王なる神はすべてを支配し、エステルとモルデカイのような誠実な者を用いて御計画を進められます。
【聖書箇所】
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エステル3:7-15
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箴言16:33
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エステル3:10
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ヨハネ10:10
【慰めの言葉】
この世で悪しき者が権力を握っているように見えても、真の王である神がすべてを支配しておられます。その権威はやがて神を敬う者の手に渡されるので、絶望する必要はありません。
【励ましの言葉】
人の目には絶望的に見える状況でも、神は裏で働き、すでに救いの手筈を整えておられます。日々の小さなことに忠実であるなら、主はいざという時に大きなことを任せ、多くの人を救う働きに用いてくださいます。
【戒めの言葉】
人を憎む心は時間・財産・健康を奪う高価な代償を払わせます。悪魔は真理にわずかな嘘や毒を混ぜて人を欺きます。巧妙な言葉や抽象的な非難に注意し、ねじ曲げられた真実に惑わされないように。
【勧めの言葉】
許せない心を投げ捨て、神の御心に従って誠実に歩みましょう。神から信頼され、権威(印鑑・指輪)を託されるようなエステルやモルデカイのような者となりましょう。
【悔い改めの促しの言葉】
過去の世代の不従順は後の時代に災いをもたらします。自分の理性や知性で神の言葉を裁かず、聖書をそのまま信じて実行する素直な心を持ちましょう。
【***詳細***】
本日のメッセージの恵みの御言葉はエステル記3章7節から15節です。初めに7節と8節を宣言します。
「クセルクセス王の第十二年の第一の月、すなわちニサンの月に、日と月とを決めるために、ハマンの前でプル、すなわち、くじが投げられた。くじは第十二の月、すなわちアダルの月に当たった。ハマンはクセルクセス王に言った。『王国のすべての州にいる諸民族の間に、散らされて離れ離れになっている一つの民族がおります。彼らの法令はどの民族のものとも違っていて、王の法令を守っておりません。彼らをそのままにさせておくことは、王のためになりません。』」(エステル3:7-8)
愛する主よ、悪しき者はこのようにして悪しき企みをしますが、しかし、あなたはもうすでにその前に布石を打っておられた神であることを感謝いたします。今、その神がなんと私たちの神であり、今こうして私たちが礼拝するあなたであることを、あらゆることを感謝します。どうか今、私たちに御言葉を教え、あなたの法則、また世の法則、そして世に立ち向かう法則を教えてください。この説き明かす者の唇、また聞く人々の耳通りをよくしてくださり、天から流れ滴るあなたの命の言葉を豊かに命として受け取らせてください。初めから終わりまでのすべてを、あなたの支配の御手にお委ねして、私たちの愛する主イエス様のお名前によってお祈りいたします。アーメン。
ハレルヤ。素晴らしい主の御名をほめたたえ、賛美いたします。
ここに「くじが投げられた」と書いてあります。ある牧師先生は、夫婦げんかの時に「神様に聞こう。私の提案か、あなたの提案か、どちらかにしよう」とくじを投げるのだそうです。するといつもその先生の案に当たるので、奥様は面白くない顔をされるのだそうです。しかし、聖書はこう言います。「くじは膝に投げられるが、そのすべての決定は主からくる。」(箴言16:33)そうです。悪人が投げるくじも、実は主の御手の中にあります。悪人が投げるくじに限って、神様が働くことができないということは決してありません。
先週、エステル記3章1節から6節までを学びましたが、アガグ人ハマン、つまり神が滅ぼし尽くすように命じられたアマレク人の末裔である彼が突然昇進しました。それに対して唯一ひざをかがめなかったユダヤ人のモルデカイがいました。ハマンの怒りは、モルデカイ個人への憎しみから、ユダヤ民族全体を根絶やしにするという企てへ広がりました。しかし、その前の2章で、神はすでにエステルを王妃という地位に据えて、先手を打っておられました。
3章では、ハマンのユダヤ人に対する憎しみが取り消せない方向へと進みます。けれども、神は人の目にはどんなに絶望的に見えることであっても、裏で働き、手筈を整えられます。エステル記には「主」や「神」という語が現れませんが、確かに神が働いておられます。私たちの日常も、神という文字が見えないかのように思える時があります。しかし、その裏、はるか天において、神は既に手を打っておられるのです。私たちは「絶望だ」「どうしたらいいのか分からない」と思う時でも、神の御手は必ずあることを覚えましょう。
7節を見ると、くじはペルシア語で「プル」と言います。ハマンはユダヤ人を滅ぼすのに最もふさわしい日を決めるため、くじを投げました。当時、重大な政治的決定を「神の意志」に委ねる習慣がありました。ハマンは自分の信じる「神」に問い、くじを投げました。しかし、真の神がその決定を支配されたのです。「くじは膝に投げられるが、そのすべての決定は主からくる。」(箴言16:33)
ハマンがくじを投げたのは第一の月(ニサン)、当たったのは第十二の月(アダル)でした。ほぼ一年先の日です。ハマンは明日にでも実行したかったかもしれませんが、くじは最も遠い月に当たりました。こうして、ユダヤ人には約一年の猶予が与えられました。ハマンが自分の「神」に投げたくじでしたが、実は真の神が御手を動かし、ご自身の民の救いに最も良いタイミングに事を当てておられたのです。神は時間と空間を支配される方です。この神が、ハマンのくじを通して民を救うための時間と空間を確保してくださいました。
この猶予の間に、エステルが王の前に進み出る時があり、モルデカイが断食を呼びかけ、ユダヤ人たちが祈る時間が与えられました。神は「神」という名を出さずに、当時の人々と今の私たちに、ご自身が生きて働かれることを示されます。私たちの人生でも、「たまたま」「偶然」に見える出来事や「アンラッキー」に見えることがあるでしょう。しかし、神は最善を用意しておられます。最悪ではなく最善をもって導かれる神に感謝しましょう。今日、2026-06-05に起こるかもしれない、偶然に見える一つ一つの出来事の裏に、神は働いておられます。
さて、くじで日程が定まり、ハマンは王の前に進み出ます。8節と9節でこう言います。
「王国のすべての州にいる諸民族の間に、散らされて離れ離れになっている一つの民族がおります。彼らの法令はどの民族のものとも違っていて、王の法令を守っておりません。彼らをそのままにさせておくことは、王のためになりません。」(エステル3:8)
さらに「私はその仕事をする者たちに銀一万タラントを測って渡します」と申し出ます。
ハマンの言葉に注目すると、彼は「モルデカイの民族」「ユダヤ人」と具体名を出さず、「一つの民族」「散らされて離れ離れ」という抽象的表現を用います。これは巧妙です。悪に長けた者は、抽象的で印象操作的な語りにより、私たちの判断を鈍らせます。
ハマンの告発には一つの真実が混ざっています。「彼らの法令はどの民族のものとも違っています」。これは真実です。世の法則と神の法則は違います。世で正しいとされることが、神の民には正しくないことがあります。また、世の人がしないことを神の民はします。その違いのゆえに、私たちは迫害や困難に直面することがあります。
ハマンはその「違い」を利用し、王の心を「滅ぼすべきだ」に傾けるため、真実に少しの嘘を混ぜました。ねじ曲げられた真実は人を信じやすくします。これは悪魔サタンの常套手段です。神の言葉という真理に、ほんの少しの毒を混ぜるだけで、人を破滅へ導きます。もしカレーに1グラムの毒が混ざれば、それは人を殺す毒のカレーになります。同様に、ほんの少しの毒が全体を台無しにします。ハマンは真実と嘘を混ぜ、王の心を動かし、神の民ユダヤ人を滅ぼそうとしました。
しかも、彼は「銀一万タラント」をそのために差し出すと言います。これは当時のペルシア帝国の年間税収のおよそ3分の2に相当する途方もない額です。彼が個人で支払えたかは不明ですが、彼の憎悪の徹底ぶりが金額に現れています。
人を憎む心は非常に高くつくものです。もし誰かを憎むなら、その時間、財産、健康は無駄に浪費されます。罠を買い、装置を用意し、本を読み、相手を貶めようとする努力は時間とお金を奪い、健康も損ないます。憎しみの多い人は病にかかりやすく、表情も険しくなります。許せない心は人生から多くを奪います。イエス様は主の祈りで「われらに罪をおかす者をわれらがゆるすごとく、われらの罪をもゆるしたまえ」と教えられました。許す心は日々の糧と同じくらい重要です。私たちは許せない心を投げ捨てるべきです。
さて、エステル記3章10節にはこうあります。「王は自分の手から指輪をはずして、アガグ人ハメダタの子でユダヤ人の敵であるハマンにそれを渡した。」(エステル3:10)
王は気前よく「その銀はおまえに与えよう。またその民族も、おまえの好きなようにするがよい」と言いました。しかし王は、どの民族を滅ぼそうとしているのか確かめもしませんでした。王の指輪には王の印があり、それを渡すことは王の全権委任を意味します。王の印が押された決定は覆せません。王は面倒を避け、何百万もの命に関わることを深く考えもせず、悪魔的志を持つハマンに権威を渡しました。これは恐ろしいことです。
この王は自分が世界の支配者だと思っていたでしょう。しかし、この出来事のずっと前に、神はすでに一手を打っておられました。確かにこの時点では王の指輪がハマンの手に渡り、ユダヤ人根絶の勅令が通りました。しかし、聖書の結末を私たちは知っています。その指輪はやがてハマンの手から取り去られ、モルデカイの手に渡されます。
今、この世の実権が悪しき者に渡っているように見えるかもしれません。しかし、聖書は教えます。実権はやがて神を敬う者に渡されるのだと。伝道の書は「悪人が富をたくわえるのは、神の御心にかなう人にそれを渡すためである」と語ります。悪人は自分のために財を蓄えますが、それはやがて神にかなう人が用いるために、労苦だけが悪人に与えられるのです。ハマンも一見、好き勝手に進めているようですが、天には王の王なるイエス様がおられ、すべては主の御手の中にあります。
こうして全世界に勅令が行き渡りました。「第十二の月、すなわちアダルの月の十三日の一日のうちに、若い者も年寄りも、子どもも女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの財産をかすめ奪え」。悪魔サタンは、神の御心がユダヤ人を通して成就することを知っているため、彼らを根絶やしにしたくてたまりません。この勅令は「根絶やしにし、殺害し、滅ぼし」と同義語が三重に重なり、人間の憎しみの執念深さを示します。ハマンの憎しみは年寄りも子どもも女性も、一切の例外を認めません。これはサタンの性質です。イエス様は「盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない」(ヨハネ10:10)と言われました。悪魔の動機は、まさに盗み、殺し、滅ぼすことなのです。
この勅令は首都スサだけでなく全土に早馬で伝えられ、人々は混乱に陥りました。しかし、張本人の王とハマンは王宮で酒を酌み交わしていました。スサの都が混乱したということは、ユダヤ人だけでなく、彼らと交わって生活し商いをしていた他民族も恐れおののいたということです。懇意のユダヤ人商人が突然滅ぼされると聞いて、人々は驚き、恐れ惑いました。一度発布されたペルシャの法令は変えることができないのに、ハマンはあっさり書き、王は確かめもせずに印を押したのです。
しかし、天の神はすべてを覚えておられ、すでに手を打っておられます。現代の私たちにとっても同じです。悪しき王のような者が権力を振るい、人々を苦しめる法令を出し、酒を酌み交わしていても、真の神はしっかり動いておられます。そして、その権威を神のために用いるべきは誰かを見ておられます。神は苦難の中で私たちがどのように高潔(ノーブル)な行動をとるかを見ておられます。私たちの集いがどんなに小さく無名でも、誠実に行動する者を主はご覧になり、やがて印鑑(指輪)を託してくださいます。私たちは御言葉に従って誠実に働きましょう。主は必ず報いてくださる方です。
どうか私たち一人ひとりが、日々の小さなことに忠実に歩むことで、神から「この人になら印鑑を渡してもよい」と見なされる者となりますように。そして、いざという時に大きなことを任され、多くの人々を神のもとへ導き救う働きに召されますように。
愛するイエス様、あなたこそ真の王の王です。地上の王たちは好き勝手に権威を振りかざし人々を苦しめますが、あなたはすでに私たちという布石を、この地に、それぞれの場所に置いてくださっていることを感謝します。どうか私たち一人ひとりが、御前にあって凛々しく高潔なエステルであり、モルデカイでありますように。そして、悪のたくらみを打ち砕き、あなたの御心がこの地上に豊かになされるための神の民でありますように、助け導いてください。すべてを感謝し、イエス様のお名前によってお祈りいたします。アーメン。
聖書は、私たちが忘れてはならないことを書き記しています。サウル王が神の命令を実行せず、滅ぼし尽くすべきものを残したために、その残骸から生まれたハマンによって、今度はユダヤ人全体が滅ぼし尽くされそうになりました。この因果関係を知るべきです。聖書を知らない人々には前後関係が分からず、防ぎようがありません。しかし、神は私たちに恵みとして聖書を与え、前後を知る者としてくださいました。
人の理性や知性は頑固で、自分の考えに合わないことは受け入れない性質があります。しかし、私たちは自分の理性で判断するのではなく、神が記してくださった御言葉の中に生きる道しるべを見出し、それをそのまま実行する者となりましょう。私たちの知性、理性を御前にへりくだらせ、御言葉が示すことをそのまま信じる素直な者となりますように。
私たちの先祖が神に逆らったことが、どれほど後世に災いをもたらしてきたかを思うと恐ろしくなります。私たちはイエス様にあって、ただ主だけについていきます。主よ、私たちがモルデカイのようにこの世を見張り、エステルのような次世代を育てることができますように。この悪い時代にあって、神の正義のために逆風を起こすことができるエステルを育てることができますように。私たち自身が従順と服従で身を飾り、王の前に出ることができますように。
主よ、あなたは今日、この聖書の箇所を通して、ただあの時代の出来事としてではなく、この私自身に決断を迫っておられることを覚えます。主よ、あなたの決断に私たちが加わることができますように。
【結論】
ハマンの巧妙な企てと莫大な富を用いた悪意は、くじ(プル)という出発点から始まりました。しかし、そのくじさえ主の完全な支配の中にあり、神は民の救いのための一年の猶予を与えられました。地上の王が指輪を悪人に渡し、覆せない勅令が発布されても、真の王なる神はすでに先手を打ち、やがて権威を神を敬う者の手に移されます。私たちは憎しみに心を支配されず、許しと誠実をもって歩み、聖書の御言葉に素直に従う者となりましょう。神は日々の小さな忠実を見ておられ、時至って大きな働きと権威を託し、多くの人々を救う器として用いてくださいます。すべての偶然に見える出来事も主の御手の中にあり、最善へと導かれる神の計画の一部です。
