メッセージ - 主が働かれる「間」を待つ(エステル記5:3-8) 2026/06/11

主が働かれる「間」を待つ(エステル記5:3-8) 2026/06/11

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pastor 2026-6-11 8:20

主が働かれる「間」を待つ(エステル記5:3-8) 2026/06/11

メッセージ音声

 【概要】

神様の御心と時を第一にすることの重要性を、王の前に立ったエステルの姿から学びます。私たちは自分の願いを性急に求めるのではなく、慎み深く主の言葉に耳を傾け、主が働かれる「間」を設けるべきです。

【聖書箇所】

エステル5:3-8

箴言21:1

詩篇127:1-2

【励ましの言葉】

主はその愛する者には、眠っている間に備えてくださるお方です。私たちが主の時を待ち望むなら、主は最善の形で物事を働かせ、私たちの想像をはるかに超える結果を与えてくださいます。

【勧めの言葉】

王の前に立ったエステルのように、私たちも王の王であるイエス様の前に進み出る時、まず主が好まれる飾りを身につけ、自分の言葉よりも先に、主が語られる言葉に耳を傾けるべきです。

【悔い改めの促しの言葉】

私たちはしばしば、自分の願いを第一にし、焦って事を進め、主の時や御心を聞かずに物事を台無しにしてしまうことがあります。自分の思いが先走り、主の働かれる「間」を設けなかったことを悔い改めましょう。

【***詳細***】

恵みをいただく御言葉はエステル記の5章3節から8節です。

エステル記5章3節を宣言いたします。

「王は彼女に言った。『どうしたのだ、王妃エステル。何を望んでいるのか。国の半分でもあなたにやれるのだが。』」(エステル5:3)

アーメン。一言お祈りします。

ハレルヤ。王の王であられるわが主イエス様。今、我らはあなたの御前に進み出ました。主よ、お語りください。僕(しもべ)は聞きます、との思いをもって主の御前に進み出ました。どうか私たちもいつも、まず、あなたが語られる言葉を聞くことができますように。どうか取り次ぐ僕(しもべ)の口を清め整えてください。また、これを聞く一人一人の耳を清くして、あなたの御声、あなたの御心をしっかりと聞いて、そして聞いたならばそれを行う、その僕(しもべ)の心を持って聞くことができますように、どうか助けてください。これからのすべてをあなたに期待します。我らの主イエスキリストのお名前によってお祈りをいたします。アーメン。

ハレルヤ。主の御名を褒め、大いに賛美いたします。

エステル記から見ていますが、前回のところで、エステルが王妃の衣装を着て、王様の前に立った場面を見ました。それは王様にとって好みの衣装でした。そしてまた、このエステルの姿は私たちの姿でもありました。私たちもイエス様の前に、イエス様の好む飾りをつけて進み出るのです。イエス様の好む飾りとは、「穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ心の中の人柄」を飾りにすることです。それをもってイエス様、すなわち王の前に立つことが重要だということを見ました。

本当にエステルには、この時、切実な願いがありました。自分の民族を救うために王の前に出たのです。エステルとしてはもう真っ先に語りたかったでしょう。王様から金の笏(しゃく)をこうやって述べられる前に、言いたいことは心の中に満載していたかもしれません。「私はどうしても申し上げたいことがあって、ここに来ました。命をかけてこれを言わなくてはなりません。」そういった思いがあったかもしれません。けれども、彼女はまず王様の反応を待ったのです。彼女はそれまで、ただ静かにその佇まいを王様に見せるために、王の前に進み出ました。それに対して、王様の方から笏を述べるというアクションをしたのです。

こうして彼女の命は守られて、エステルは近寄って、その笏の先に触れました。ここで王様はついにエステルに語りかけます。「どうしたのだ、王妃エステル。何を望んでいるのか。王国の半分でもあなたにやれるのだが。」(エステル5:3)。アーメン。このお言葉をいただいただけで、もうエステルの願いは半分叶ったようなものです。自分の命は長らえ、王の好意を得ました。

ここで大事なことは、エステルが王の前に立った時に先に話し出したのは、エステルではなく王の方だったということです。王の方が彼女に「何を望んでいるのか」と問いかけたのです。その順番に私たちも注目すべきです。

私たちも、王の王であられるイエス様の前に進み出る時、だいたい願い事があって祈ることがありますね。願い事がなければイエス様に進み出ないということもあります。願い事がなくてもイエス様と交わるべきではあるのですが、願い事があってもイエス様の前に進み出ないということも、ままあります。そしてイエス様の前に進み出たかと思ったら、ただ願い事を先に並べ立て、私だけがベラベラと喋り出し、願いを吐き出して、イエス様が何を語られようとしていたのか、それを待たないまま…あるいはイエス様が何か語られたけれども、それも分からないまま、喋るだけ喋って祈った気になっている、ということがよくあるものです。

本当に私たち自身が、まず王の王であるイエス様を前に、このエステルのような嗜(たしな)みを身につけていくべきです。もちろん、イエス様の前に進み出て願い事をすることは悪いことではありません。主も「求めなさい、探しなさい、たたきなさい」と言われました。あらゆる場合に、願い事を主に注ぎ出しなさい、そうすれば人知を超えた平安があなたを支配する、とも言われています。けれども、まず大事なことは、イエス様の御心が先だということです。私たちはもちろん願っていいのですが、しかし、イエス様の時、イエス様の御心、これがまず先です。

エステルの場合、まず自分の言葉をぶつけませんでした。切実な願い事があり、命を差し出す思いで王の前に進み出たにもかかわらず、エステルは何も言わずに、王が言われることをまず待ちました。王の好みの衣装をまとい、王の好む飾りを身につけて進み出ました。私たちも切実な願いがあればあるほど、このイエス様の好む飾り、すなわち善い行いという清らかな衣を着て、また柔和で穏やかな霊という朽ちることのない飾りを身につけて、それで大いなる王イエス様の前に進み出て、そして大いなる王イエス様が語られる言葉に耳を傾けるべきです。イエス様の前に進み出る時、私たちは口よりも先に耳を差し出すべきなのです。

すると、王の方から語られるのです。「どうしたのだ」「何を望んでいるのか。王国の半分でもあなたにあげるのだが」と。アハシュエロス王(クセルクセス王)はそう言いました。なんと、王国の半分もあげる、と言ってくださったのです。私たちはいつも願い求めていますが、エステルは王の好意を得て、「王国の半分でもあげる」と言われたのに、「じゃあ王国の半分、早速ください」とは言いませんでした。

ここに、本当に神様が物事を支配しておられる様が見えます。この王の心を、神様が支配しておられるのです。エステル記には「神」という言葉も「主」という言葉も一度も出てきませんが、しかし、確かに神様はこの王様の心を手に取って、そして王様を通して、イスラエルの救いを、また神様の御心を進めておられるのです。箴言にはこうあります。「王の心は主の御手の中にあって、水の流れのようだ。主は御心のままにその向きを変えられる。」(箴言21:1)。ですから、この国の王、あるいは世界を支配している人間の王の心を、水路の流れのように支配されるのは、天の父なる神様だということです。

エステルにとっては、この目の前のクセルクセス王の機嫌が彼女の命に関わるものでした。王様がそこで怒れば終わりです。王様が拒否すれば、このユダヤ人の救いはありません。けれども、神様がこの王の心を支配して変えておられるのです。私たちの王イエス様は、人間の王の心をも支配してくださいます。だから私たちは、人の心をあれこれ心配する必要はないのです。会社の上司の心だとか、相手の反応、社会を支配している者たちの反応、相手がどう受け止めるかなど。私たちが御言葉に立って、真の王であるイエス様に願いを求めるのであれば、それを恐れる必要はありません。

もちろん、私たちは社会に対して無礼であってはいけません。このエステルのように、しっかりと整えられた態度で進み出るべきです。そしてエステルが国の法令に背いてでも「私は出ます」と言ったのは、ユダヤ人の救いのため、また神の御旨を貫き通すためでした。私たちは自分の意見を貫き通すために社会の道を曲げる者ではなく、むしろ、この御言葉を貫き通すために、時にはこのエステルのように、人間の法令に背いてでも、そうしなくてはならないことがあります。人間の法令よりも、天の法令、神様の御言葉の方が上ですから、私たちはそれを貫くべきです。

けれども、私たちは時をわきまえ、また皆、身だしなみをわきまえるべきです。エステルは時をわきまえました。この時、早速自分の願いをベラベラとしゃべりはしませんでした。時をわきまえていたからです。エステルはこう答えます。「もしも王様がよろしければ、今日私が王様のために設ける宴会に、ハマンとご一緒にお越しください。」(エステル5:4)。アーメン。

エステルは、すぐに願い事をこの場で訴えませんでした。まず王様を宴会に招いたのです。ここにエステルの知恵があります。祈って、断食して、主の御前に身も心も整えた人は、主がその心に正しい道を備えてくださるのです。その気がなくても、何かそういう正しい心の通りにしてしまうのです。断食して祈り、身なりと思いを整えた人はそうなります。けれども、主の前に整えない人、焦って恐れだけで動く人は、すぐに何もかも言いたくなって、時をわきまえないで、もっと傷口を広くしてしまいます。怒りだけで動く人は、すぐに相手を責める言葉、嫌味な言葉だけが先に出てしまいます。不安で動く人は、すぐにもう結論を出そうとして焦ってしまう。

けれども、祈った人は、時を見分けるのです。何をいつ言うべきか、どんな風に、どういう身だしなみや態度で言うべきか。今言うべき時なのか、いや、黙っているべき時なのか。エステルはそれをこの時、非常にわきまえていました。エステルがこの時、願いを先延ばしにした理由は書いてありません。怖かったから口から出てこなかったのか、王様の前に30日ぶりに出たから何も言えなかったのか、そういったことはわかりません。そうだったかもしれません。けれども、「時」ではなかったから、この時、ただ宴会に誘っただけだったのです。

5節を見ますと、「すると王は、『ハマンを急いで来させて、エステルの言ったようにしよう』と言った。王とハマンは、エステルが設けた宴会にやって来た。」(エステル5:5)。アーメン。エステルはハマンも宴会に招きました。本当にここも不思議ですね。エステルにとっては、ハマンこそ身の毛がよだつほど嫌っていい相手です。生理的に受け付けられないような嫌な相手かもしれません。けれども、エステルはこのハマンも一緒に宴会に誘いました。ハマンと王様を同じ席に、同じテーブルに引き出すということをエステルはしたのです。

私たちにとって真の王はイエス様です。そして私にとってのハマンは悪魔サタンであり、皆さんにとっては、皆さんを嫌がらせする誰かさんかもしれません。けれども私たちも、イエス様のこの宴会の席に、その相手も連れてくるのです。

この王とハマンがエステルの宴会にやってきました。この宴会の席でも王様はエステルに尋ねます。「あなたは何を願っているのか、それを授けてやろう。王国の半分でもそれを叶えてやろう」と。エステルはここで「やった、チャンスが来た!」と思ったわけではなく、この時もまた王の王なる神様の「時」ではないと判断したのでしょうか、願いを先に延ばすのです。「私が願い望んでいることは、もしも私が王様のご厚意を受けることができ、また、王様がよろしくて私の願いを許し、私の望みをかなえていただけますなら、私が設ける宴会にもう一度ハマンとご一緒にお越しください。そうすれば、明日、私は王様のおっしゃったとおりにいたします。」(エステル5:7-8)。アーメン。

エステルの言葉は前置きが長いですね。けれども、この前置きの内容が非常に重要です。「もしも私は王様のご厚意を受けることができ、また王様がよろしくて私の願いを許し、私の望みをかなえていただけますなら」。私たちもイエス様に願い事を申し上げる時、ここまでへりくだるべきです。「イエス様、あなたのご厚意をいただけますならば」「イエス様、あなたがよろしければ、私の願いを許して、私の望みをもし叶えていただけるのであるならば」。私たちは「イエス様、愛してください!」と早速言いがちですが、しかし、本当にこのイエス様の御前に、このように「イエス様第一、イエス様の御旨がなりますように。イエス様のお心がなりますように。イエス様がもしよろしければ」という態度が、とってもとっても必要なのです。

エステルはこの王様の前に、徹底して「王様、あなたが望まれる通りに。あなたがよろしければ」という姿勢を貫いたからこそ、誰よりも好意を得たのです。王様の好意を、また人々からの好意を得ました。ここまで慎ましいからこそ、人々からの好意を得られるのです。自分の願いファーストでベラベラしゃべり、相手の願うことは一切聞かずに、ただ自分がしゃべって終わりという人は、誰からも好意は得られません。私たちは人から、神様から好意を得るためには、まず「父なる神様、あなたが第一です。イエス様、あなたの御心がなりますように」と、これを第一にするべきです。

というわけで、エステルがユダヤ人の救いのための願い事を言うのが、もう一日、後にずれました。なぜか、エステルがどういうわけでそうしたのか、聖書には説明がありません。けれども、私たちはこの後の流れをよく知っていますね。この後、王様は眠れなくなります。その夜、そして昔の記録の書が読まれ、たまたまそのページにモルデカイのことが書いてあり、何の報いも受けていなかったことが明らかにされます。そして、その日のうちに、ハマンがモルデカイを吊るすための柱を立てるのです。

モルデカイにとってピンチに思える、そういうことが起こる一日。また、王様が眠れなくなる、その一日のうちに神様が働かれたのです。私たちも神様が働かれる「間(ま)」を、神様にあげなくてはなりません。神様が働かれるための時間です。エステルが待った、一日待ったそのゆえに、神様が色々と働かれました。王は眠れなくなり、そしてエステルはその夜、どう過ごしたでしょうか。眠ったでしょう。けれども、主は私たちが眠っている間に備えてくださることがおできになるお方です。冒頭で宣言したのは詩篇127篇の1節と2節でした。

「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、見張る者の見張りはむなしい。あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる。」(詩篇127:1-2)。アーメン。

主の御心でないところに家を建てるのなら、一年後に洪水で流される土地に家を建ててもしょうがありません。主の御旨でないところに家を建てても虚しいのです。主が行くなと言っている所に行けば、虚しい結果が起きてしまいます。けれども主は、皆さんのことを心配しておられます。皆さんが早く起きて遅く休んでまで、自分のやりたいことを叶えるために仕事をしても、それは虚しい、と127篇に書いてあります。「主はその愛する者には、眠っている間に備えてくださる」、また「眠りを与えてくださる」とも書いてあります。

このエステルが先延ばしにした一日、そのエステルが眠っている間に、主はすべての手続きを進め、物事を働かせました。私たちも神様が働かれる「間」というものを設けるべきです。「間が悪い」人というものがいます。間が悪い人は、待つことが苦手です。すぐに言いたい、すぐに答えが欲しい、自分が願ったことを今日中にやっておかなくては気が済まない。間が悪い人は待つことが苦手です。私たちは神様が働かれる「間」を設けるべきです。間が抜けちゃっている人を「間抜け」と書きますね。私たちはそういうふうになってはなりません。神様の「間」、神様の時、これを待つべきです。

神様の時は今日かもしれませんし、明日であるかもしれない。一週間後かもしれない。ですから、私たちは神様の時を待つべきです。焦って今日してしまえば、神様が明日に備えようとしておられることを、私たち自身の手で潰してしまうことになります。間が悪い人はその日のうちにやってしまって、明日、明後日の主の御業を逃してしまうのです。けれども、このエステルのように、「もしも王様がよろしくて」「王様、あなたが第一です」「王様、あなたが語られるのがまず先です」という、その嗜みを身につけるのであるならば、私たちもこのエステルのごとく、本当に神様が働かれて、私たちが考えたことよりも、はるかに上回る結果を神様が出してくださいます。

私たちも、この神様の時を求めましょう。神様を第一にしましょう。そして、私たちの願い、本当に何でも主の御前に持っていっていいのです。家族の救い、病の癒し、この日本の救い、本当に切実な願いがあります。けれども、神様の時、神様がまず第一です。どうか皆さんは、このエステルのごとく、本当に主の御前に慎ましく、身なりを整えて進み出て、そして主が語られる言葉をまず求めましょう。私たちは願い事を携えていく時、主はそれをご存知です。そして主は同時に、皆さんの願いがどのような形で、いつ、最善の形でなされるかもご存知です。主の御前に委ねて、この主を第一として歩んでいく今日一日でありますように。イエス様のお名前によって祝福いたします。アーメン。

【結論】

私たちの切実な願いは、王の王であるイエス様の御前に持っていくべきです。しかし、エステルが王の前に慎み深く立ち、王の言葉を待ったように、私たちもまず主の御心と時を第一に求めるべきです。焦って自分の思いで動くのではなく、主が働かれるための「間」を信頼して主に明け渡す時、主は私たちの眠っている間にさえ最善を備え、私たちの想像をはるかに超える驚くべき御業を成し遂げてくださるのです。

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