メッセージ - 救いへと至る神の力(ローマ1:13-23)
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韓国語通訳有
パウロがなんとかして福音をローマの人達に伝えたいと願った(13節)のは、色々な地方で伝えた福音の実が、あらゆる良き物に満ち溢れたのを見、そして体験したからである。
信じる者の病が癒され、悪霊から解放され、貧しさからも解放され、死の影の地に住んでいる者には光が照り、呪いの下でうめいていた者に祝福が溢れたのだ。
「私は福音を恥じはしない。なぜならば、それはすべての信じる者たちにとつて、ユダヤ人をはじめとしてギリシア人にとっても、救いへと至る”神の力”だからである。
」(1:16)
福音を知らない者達に福音を伝える事に、ある程度の勇気がいるのは、目に見えない希望や常識であり得ない事を「ある」として伝えるため、反発される可能性のほうが多いと思われるからである。
しかし信じる者には神の力が働き、実際に目に見える形で、それが現れて来るのだ。
人は言う、なぜ見えないものを信じなくてはならないのか?と。
ところが世の中は、見えるもの見えないもの一つ一つを取ってみても、神を感じずにはいられないものだ。
「神についての目に見えないことがら、すなわち神の永遠の力と神性とは、世界の創造以来、被造物において理解されうることが認められている」(1:20)
私達は目に見えるものにあまりに慣れすぎて、世の中が見えない神の不思議に溢れている事に、中々気づかない。
ニュートンはリンゴが落ちるのを見て万有引力の存在に気づいたが、その法則はあまりに身近すぎて、人類は1665年になるまで気付かなかったのである。
自転車を漕ぐ時、なぜあんなに不安定な2輪で立っていられるのかと不思議に思い、初めて乗る時は、自分も出来るのだろうかと信じられず恐怖する。
自転車が2点で立って走る事を取っても、複雑な数学や物理を学んでその仕組みを知るものだが、皆さんが自転車に乗れるようになったのは、仕組みを知ったからだろうか。それとも体験したからだろうか。
知識を知らない子供でさえ自転車を操縦出来るのは、彼らは恐れずペダルを漕ぎ出し、何度も転んで、そうして体得して行ったからである。
信仰も全く同じで、頭の中で神学をごちゃごちゃと振り回しても、一歩も進めない。
福音は、神学知識として頭で理解するものではなく、感じ、体験し、その中を生きる事によって掴んでいくものであって、人間の頭におさまる形で神を意義付ける者は、愚かである。
「彼らは自ら知者であると断言しながら、愚かにされ、不朽なる神の栄光を、朽ちゆく人間や鳥や〔四本足の〕獣や這う生き物の像に似通ったものに変えたのである。」(1:22)
これが神だ、と分かったつもりになってしまうと、信仰はそこでストップしてしまい何の発展もなくなってしまう。
福音とは神の力、それも人々にいのちを与え、祝福を与えるダイナミックな力である。
転ぶ事を恐れずに信仰のペダルを漕ぎ出し、祝福といのちに満ちた神様の力と法則をますます体験し、自分のものとしていく皆さんでありますように。
詳細は音声メッセージで。。。
今日も皆さんにとって良き一日でありますように。
主イエス・キリストの名前によって祝福します!
