メッセージ - 誰の奴隷になるか(ローマ6:15-23)
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韓国語通訳有
我々は、イエス様によって罪が覆われ恵みの下にいるのだ、神は赦しの神だ、だから罪を犯し続けても問題ない、と言う者がいるが、はたしてそうだろうか。
「もし、わたしたちが真理の知識を受けた後にも、故意に罪を犯し続けるとすれば、罪のためのいけにえは、もはや残っていません。」(ヘブル10:26)
罪の赦しをいただいたのに「ことさらに(口語訳、新改訳)」「故意に(新共同訳)」罪を犯し続けるのであれば、それは「神の子を足げにし、自分が聖なる者とされた契約の血を汚れたものと見なし、その上、恵みの霊を侮辱する」行為であり、重い刑罰が待っている。(ヘブル10:29)
ヘブル書ではそのように警告しているが、ロマ書6章では、それは「罪の奴隷状態」になる事で、その結ぶ実は死であると警告している。
奴隷には主人がいて、その主人に対して自由意志は通用せず、主人の命令には好むと好まざるとに関わらず、従わざるを得ない。
私たちは、何の奴隷となるかによって、結ぶ実も違ってくる。
例えば、たばこを止めたい時にいつでも止められるなら、たばこに対しては自由だが、自由に止められない人は、たばこの奴隷状態であり、その奴隷になり続けるなら、肺ガンなど健康障害という死の実を結ぶ。
同様に「あなたがたは、だれかに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷となる。つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです。」(ローマ6:16)
もし罪の奴隷にあれば、ガラテヤ5:19-21の実を結び、それらは恥じるべきものであり、それらの終局は死である。(21節)
「あなたがたは、今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいます。行き着くところは、永遠の命です。」(22節)
私たちが留まるべきは、キリストが罪の奴隷から解放して下さったという立場である。
「 しかし、神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、罪から解放され、義に仕えるようになりました。」(17,18節)
もし私たちがキリストの僕(奴隷)となるなら、カナの婚礼でイエス様に使えた僕のように(ヨハネ2章)、イエス様の密かな御技を見る事が出来るばかりでなく、イエス様が用意された極上のぶどう酒を味わう事が出来、それを人々に届けて人々にいのちを与え、喜びに満たす働きをする事が出来るのである。