メッセージ - 債務整理の相談なら(ローマ6:9-14)
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韓国語通訳有
イエス様は人類の罪を、自らの体を身代わりとして死に渡す事によって、罪そのものを罰し、滅ぼして下さった。
イエス様が死なれたのはただ一度、罪に対して死んだのであり、他方、彼が生きる生命は、彼は、神に対して生きている。
「あなたがたもまた、一方で自分たちが罪に対して死んだ者である事を、他方でキリスト・イエスにおいて神に対して生きる者である事を、認めなさい。」(11節 岩波訳)
この「認めなさい」の原意は、会計用語の「仕分け」の意味で、客観的に成っている事を当てはめなさい、という事である。
すなわち、キリストを信じる信仰によって、罪に対しては「死んだ」として仕分けし、神に対しては「生きる」として仕分けなさい、という事だ。
私達がかつて重大な過ちによって莫大な債務を背負ってしまったのを、イエス様が借金を肩代わりして全て払ってくれたため、私達の貸借対照表にある罪の債務は「支払済み」として仕分けするのが、在るべき姿だ。
そんな事はない、私にはまだ怒り癖がある、怠け癖がある、などと、罪の借金が依然としてリアルな支配力を持ったままだと信じている人は、罪に対しての「死んだ」という仕分けが為されていないのである。
日本の将棋では、敵駒を取ったら自分の手駒(武具)として、好きな時に出す事が出来るが、私達の肢体を神の陣営の駒とするか、それともサタンの陣営の駒とするかは、私達の自由意志に委ねられている。(13節)
「それゆえに、罪があなたがたの死ぬべきからだを支配して、その結果、その〔からだの〕欲望にあなたがたが服従することがないようにしなさい。」(12節)
私達はかつて、自らの体を不義の武具としてサタンに捧げ、神に敵対する陣営の奴隷生活をしていたが、イエス様は私達を罪の奴隷から解放して下さった。
イエス様が自由として下さった私たちの肢体を、欲望に委ねて罪の手駒とするのではなく、イエス様に支配していただく神の武具として用いていただく皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!