メッセージ - 古きは死の向こう側へ(ローマ7:1-6)
礼拝説教メッセージ音声:古きは死の向こう側へ(ローマ7:1-6):右クリックで保存
韓国語通訳有
ローマ7章をよく読むと、1-3節と4-6節とでは、「夫」「死んだ対象」がそれぞれ違う事が分かる。
まず1-3節に出てくる夫とは、前章の関連からすると「古き人間(ローマ6:6)」であり、この「夫」がキリストと共に十字架につけられて死んだため、私たちはその古き連れ合い(夫)から解放されている。
そして4-6章では、今度は死んだのは「私たち」となり、私たちはキリストの体を通じ、過酷な要求ばかりする夫(律法)に対して死別させられている。(ローマ7:4-6)
ローマ7章後半で学ぶが、「古き人間」と「私」とは、別物である事に注意する必要がある。
私達は2重の意味で死に明け渡されており、私たちを良くない行いばかりに仕向けてきた古き連れ添い(古き人間)は死んだため私たちは解放され、また、私たちに過酷な要求ばかりして縛ってきた夫(律法)に対しても、死別させられたのだ。
「この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。」(ガラテヤャ6:14,15)
古い自分も、世も、律法も、呪いも、私たちにとっては十字架の死に明け渡され、十字架の向こう側へと、逝ってしまっているのである。
そして十字架のこちら側、私たちの側にはイエスがおられ、愛によって結ばれ、共に新しい創造として歩んで行けるのである。
私たちが既に新しい創造であるなら、それらしく歩む続けるべきである。