メッセージ - 愛によって一つとなる(ローマ12:9-16)
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韓国語通訳有
前回は御霊の賜物の現われについて学んだが、それら賜物よりも大切で優れているものは、愛である。
「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。」(9,10節)
ここで使われている愛は、アガペーの愛、すなわち自己を省みない、捧げつくす愛である。
兄弟姉妹の間で愛し合う事においては、取り繕う仮面や打算を入れてはならない。
また、ここの「偽り」には「仮面」や「芝居」の意味がある。
サスペンスドラマでは、外面を「仮面」で取り繕い、いかに高度に、かつ非情に騙しあうか、というような、おどろおどろしい展開を良く見る事が出来る。
ドラマでは悪役あるいは主人公が、善人そうな仮面をつけて騙し、出し抜きながら登りつめ、最後にはさらに上手な騙しテクニックを持った者に滅ぼされるが、仮面をつけて騙しだまされる者達の最後は、滅びである。
そして、人を自分より勝っていると思うよう勧められている理由は、各々の賜物は同じ御霊を源としているし、それが与えられたのは、同じ目的(キリストを立て上げる)の為だからである。
そして愛をもって主に仕える事の原動力は、喜びと希望であり、そして失望しないために、たゆまず祈る事である。(12節)
「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。」(14節)
なぜなら、私達は唇の結ぶ実によって刈り取りをする(箴言18:20)ものであり、もし呪いの言葉を唇に登らせるなら、かえって良くない結果を招くからだ。
敵のために祝福を祈るなら、相手の頭に炭火を置く事になる(ローマ12:12)ばかりでなく、自分の身に祝福を招くという、2重のメリットがある。
「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(15節)
聖徒が一人泣いているのに、周りが省みもせず喜んでいるというのは、望ましくない。
教会はキリストのからだで、一人ひとりは各器官だから、一部分が痛ければ全体が痛いし、からだの一部分が栄誉を受ければ、全体が喜ぶものである。
このように私達は、キリストにあって一つとなって、愛をもってキリストの体を建て上げてゆくべきである。