メッセージ - パスター日記カテゴリのエントリ
今日は、焼き鳥屋の販売用テーブルを作りました。
当初は、折りたたみ机を設置しようと予定していたのですがそれはサイズが大きすぎ、教会に余っている机を持って行っても、それも不安定で、どうしようか迷っていました。
そこでリサイクルショップに行って手頃そうな2段式の棚を買い、さらに焼き鳥店に余っていた化粧版を加工して、折りたたみ式のテーブルを作りました。
のこぎりやハンマーを使って木材を加工したり、蝶番を取り付けたりするのは、久しぶりでした。
この化粧版は、ちょうど新装開店時から場所を占めるだけで何の用途も無かったのが、今こうしてちゃんと役に立って、とても嬉しいです。
そういうわけで、今日から店頭でキムチを販売するようになりました。
横浜に来た際には、ぜひ教会にも焼き鳥屋にもお立ち寄り下さい。
今日は、なんだかこわいメッセージになってしまいました。
自分としてはこわい事はあまり語りたくないのですが、でも御言葉に書いてある事を促されるままに語りだすと、その内容がどうあれ、勝手に止める訳にはいかないのです。
勝手に止めて、それ以外の事を語ろうにも、それ以外の事が頭に浮かばず、その事だけがハッキリ自分の中にあるので、その事を流しださずにはおれない感じです。
世の中には、無愛想になったり脅したりする事で、周りの人を動かしたり、支配しようとする人がいます。
きっと小さい時からそういう行動パタンが身についてしまったのでしょう。
そういう人と関わり、間違いを指摘し、正してあげるには、根気とエネルギーが要るので、親や友人の中でそういう人がいないと、この性格のまま固まってしまうのです。
しかし彼らに待っているのは、悲惨なほどの孤独です。
ただキリストだけが全てを解決する手がかりですが、キリストを伝えても伝えても受け入れず、相変わらず頑ななままでいて、悲惨な孤独に陥る行動パタンに束縛されたままなのを見ているのは、悲しいです。
私もかつては、頑なにキリストの言葉を受け入れませんでしたが、砕かれに砕かれた末に、主から差し伸べられた手を握った時、私の頑なで冷え切っただった心は愛で溶かされ、暖かにされました。
誰もが、キリストから延べられた手を握り返すよう、祈りに覚える次第です。
最近、久しぶりに信仰の忍耐が試されています。
必要としているものがあるのだけれど、それが中々与えられない。
何かが詰まっているのか、何かが足りないのか分からないけれども、期日は迫っている。
思えば仕事をしていた頃は、これういった似た忍耐をするのは、しょっちゅうだったような気がしますけれど、なんで忍耐が「久しぶり」なのだろうかと、考えて見ました。
やはり主にあって、ノホホンとする度合いも、のほほんとしている時間も、増えてきているのだなあ、と思います。
以前だったら心配で不安で仕方なくなる、というような事が起こっても、なぜかノホホンとして、そうこうしているうちに解決する。
支配権を自分で握り締めるのを止め、主にお任せする事が増えている。
そう感じます。
私が毎日のように講壇で語っているように、イエス様は助け主、このお方に信頼していきたいと思います。
最近、アメージンググレースの曲が妙に心に響いてきます。
この曲を作詞したのはジョン・ニュートンで、彼は若かりし頃、奴隷船で働いていましたが、後には牧師となり、82歳で天に召されました。
彼は晩年、こんなことを述べていたそうです。
"My memory is nearly gone, but I remember two things, that I am a great sinner, and that Christ is a great Saviour."
「薄れかける私の記憶の中で、二つだけ確かに覚えているものがある。一つは、私がおろかな罪人であること。
もう一つは、キリストが偉大なる救い主であること。」
この二つの事は、私も一緒です。
午後の祈祷会メッセージはヘブル12章からで、神様は私達の親として懲らしめられる事があるから、懲らしめられても、力を落とさないように、というメッセージをするつもりでした。
ところが、講壇に立ってみると、導きによって、逆のメッセージ、つまり、親である者は、努めて子を懲らしめたほうがいい、というメッセージへと導かれてしまいました。
今の時代、「子供を懲らしめる?!とんでもない!」と考える親が多いですが、聖書が示す所は、努めて子を懲らしなさい、と語っています。
むしろ、「むちを控える者はその子を憎む者である。子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる。」(箴言13:24)とさえ言っております。
ダビデは、アムノンやアブシャロムを懲らすべき時に懲らさず、放置していたため、子に反逆され、この二人の子を失ったばかりでなく、妻達や娘が辱められるまでに至りました。
どんなメッセージへ導かれたのか、聞きたい方は、下の音声メッセージをどうぞ。(mp3ファイル)
http://voice.of.christ.yokohama/media/2011/kitoukai/111012k1_korashime.mp3
新潟から来られている姉妹も、洗礼準備会を学びたい、という事でしたので(彼女も昔に授洗している)、今日もやりました。
問答形式の学びで、内容的には結構堅いのですが、受けられた方は皆、はやく次を学びたい、と言うので、驚きです。
今日学びを受けられた姉妹も、4時間の長丁場でしたが、さらに続きがあると知って、楽しみだと言っていました。
やはり真理は知れば知るほど自由になっていき、さらに深めて行きたいという願いが起こされるものですね。
いつもは礼拝前はじっくり賛美し、10分前になったら皆で手を繋ぎ、輪になって礼拝のために祈り、心と体の整えをしています。
ところが昨日、ある事によってそれが邪魔され、その貴重な整えの時間を泥棒され、教会の備品が無駄になり、それらを思って心がかき乱されました。
そのような時、イヤな思いに心が囚われるなら、礼拝中もそれによって縛られ、それこそサタンの思う壺になります。
そういう時は、現象の改善を祈るのではなく、その現象を引き起こした「サタンよ、イエスの名によって、盗まれた分の百倍、おまえから分捕り返してやる!」と祈ります。
お陰で礼拝中、ますますサタンの嫌がる「いのちの御言葉のつとめ」への熱心が燃え立たせられました。
かえって攻撃を仕掛けてきたサタンは、私達の祝福のネタにされた次第です。
今日から、第一と第二の礼拝が合同となりました。
先週1週間の間、肉体的にも精神的にも、サタンから色々な嫌がらせがありましたが、そういうあからさまな攻撃があるという事は、我々は、よっぽどサタンが嫌がる事をしているのだな、と分かり、ひいては、その向こうに大きな祝福が待っている、という事です。
今日は、新潟から音楽の賜物のある姉妹が、そして静岡から一ファミリーが来ました。
今日の音声配信の中には、新潟の姉妹の特別賛美が収録されています。
礼拝が終わった後、皆で焼き鳥屋に移動し、楽しく交わったりおいしく食べました。
今は皆で教会に戻り、交わりにまだ花が咲いています。
日曜日、映写機が壊れた事で、「この道を行きなさい」という主からの明らかなGOサインをいただきました。
詳細:http://voice.of.christ.yokohama/modules/d3blog/details.php?bid=572&cid=10
その記事を読んで下さった読者、ペンネーム・つくばの馬場さんから、俳句が届きましたので、ご紹介します。
「映写機壊れ感謝する 主の群れ天よりの声を喜ぶ」(字余り)
まさしく映写機が壊れた事が天からの声だね、と、天声の聖徒達もその俳句を詠んで笑いあいました。
