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全く同一である列王記のパターンと、私達の人生のパターン(1列王記22:41-53)
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- pastor 2016-10-10 21:10
全く同一である列王記のパターンと、私達の人生のパターン(1列王記22:41-53)
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第一列王記の講解説教は、いよいよ今回で終わる。
と言っても、原典ヘブル語聖書には元々、「第一」や「第二」の区切りは無かったので、この「第一」の終わりの内容も、何か物語の終わりを飾るに相応しいストーリー的な盛り上がりが特にあるわけではないし、第二列王記の始まりも、「第一」の続きがすぐに始まる。
そしてこの第一列王記の終わりは、アハブと同時代を生きたヨシャパテ王の歩みと、アハブの子・アハズヤの歩みの簡潔な説明によって終わる。
『アサの子ヨシャパテはイスラエルの王アハブの第四年にユダの王となった。ヨシャパテは王となった時、三十五歳であったが、エルサレムで二十五年世を治めた。その母の名はアズバといい、シルヒの娘であった。』(1列王記22:41-42)
ヨシャパテ王については、第二歴代誌のほうがもっと詳細に記されている。
『ヨシャパテは父アサのすべての道に歩み、それを離れることなく、主の目にかなう事をした。ただし高き所は除かなかったので、民はなお高き所で犠牲をささげ、香をたいた。』(1列王記22:43)
イスラエルにおける礼拝は、本来、エルサレムの神殿でのみ行うべきものであったが、長い歴史の中で、イスラエル各地にある「高き所」でもずっと行われてきた。
この「高き所」は元々、異邦の民が築き上げた礼拝所で、全て粉砕されなくてはならない事はモーセをとして命じられていた。(申命記12:1-3)
しかしこの高き所は、後の時代にもずっと残りり続けていた。
良い王と悪い王とが交錯する長い歴史の中で、律法の知識が廃れ、イスラエルの民は何が礼拝の基準であるのかが分からないままに行なってしまっていたのを、主は杓子定規に裁く事はせず、むしろ彼らを憐れんで下さった。
『ヨシャパテはまたイスラエルの王と、よしみを結んだ。ヨシャパテのその他の事績と、彼があらわした勲功およびその戦争については、ユダの王の歴代志の書にしるされているではないか。彼は父アサの世になお残っていた神殿男娼たちを国のうちから追い払った。』(1列王記22:44-46)
神殿男娼は、彼の父アサの時代にも追い出したはずであったが(1列王記15:9-12)、それは徹底されていなかったのだろう。
ヨシャパテは、それを追い出した。
このようにヨシャパテは、主の目に良い事を行なって祝福されたが、第二歴代誌を見ると、彼はイスラエルの王・アハブと同盟を結んだ故に、災いが起こってしまう事が預言されている。
『ユダの王ヨシャパテは、つつがなくエルサレムの自分の家に帰った。そのとき、先見者ハナニの子エヒウが出てヨシャパテを迎えて言った、「あなたは悪人を助け、主を憎む者を愛してよいのですか。それゆえ怒りが主の前から出て、あなたの上に臨みます。しかしあなたには、なお良い事もあります。あなたはアシラ像を国の中から除き、心を傾けて神を求められました」。』(2歴代誌19:1-3)
ヨシャパテは、預言者から警告を受けた後、イスラエルの主だった人々を集め、彼らには主を恐れ敬うよう、主の道を歩むように指導した。
しかしその内に、モアブ人・アンモン人の連合軍が大軍をもってヨシャパテの国に攻め寄せて来た。(同20章)
そこでヨシャパテ王は、全国に断食を布告し、ただ主に助けを求め祈る集会をした。
その時、主の霊が一人の人に臨み、主の言葉が告げられた。
すなわち、この戦いは、ヨシャパテ達の戦いではなく、主が戦って下さる、だから恐る事は無い、と。
ヨシャパテは主をほめ讃え、苦しみの中に始まった集会は、喜びの集会となった。
戦いの日、彼らは兵士を先頭に配置せず、賛美の聖歌隊を先頭に配置した。
彼らが主と敵との前で賛美の声を上げはじめると、主は伏兵を遣わし、敵を同士討ちさせるようにして下さり、こうしてイスラエルはただ賛美を捧げている内に、敵は全滅してしまった。
彼らが分捕りをするために出ていくと、あまりにも多くの分捕りがあったために、それだけで3日もかかったという。
こうしてヨシャパテ王は、いよいよ栄えて行った様が、第二歴代誌20章に記されている。
しかし彼は、そのように名声と富が増し加わった時、再び過ちを犯してしまう。
『そのころエドムには王がなく、代官が王であった。ヨシャパテはタルシシの船を造って、金を獲るためにオフルに行かせようとしたが、その船はエジオン・ゲベルで難破したため、ついに行かなかった。そこでアハブの子アハジヤはヨシャパテに「わたしの家来をあなたの家来と一緒に船で行かせなさい」と言ったが、ヨシャパテは承知しなかった。ヨシャパテはその先祖と共に眠って、父ダビデの町に先祖と共に葬られ、その子ヨラムが代って王となった。』(1列王記22:47-50)
ヨシャパテは船団を造って、富をさらに増し加えようとしたのだが、頓挫した。
それは、彼は悪しき者と結託してしまったためであった。
『この後ユダの王ヨシャパテはイスラエルの王アハジヤと相結んだ。アハジヤは悪を行った。ヨシャパテはタルシシへ行く船を造るためにアハジヤと相結び、エジオン・ゲベルで一緒に船数隻を造った。その時マレシャのドダワの子エリエゼルはヨシャパテに向かって預言し、「あなたはアハジヤと相結んだので、主はあなたの造った物をこわされます」と言ったが、その船は難破して、タルシシへ行くことができなかった。』(2歴代誌20:35-37)
つまりヨシャパテは、富をさらに得たいがために、主の目に忌み嫌われる者であるアハズヤと結託してしまったのだ。
彼はアハブ王と結託し、散々な目に遭ったというのに、同じ過ちを犯してしまった。
私達は、世に出て行って、主の目に悪を行っているような人達とも一緒になって生きざるを得ないし、一緒に仕事をしなくてはならないものだが、ここで注意すべきは、私達・神の民は、世に媚びるために、または世の栄華や富を得るために、神の国の価値観を捨て去って、世に対して媚びたり卑屈になったりしてはならない事だ。
私達は、邪悪な者達もいる世に出て行って、ビジネスしたり、福音を伝えたりする事によって、はびこっている死をキリストのいのちでどんどん飲み込んで行くべきではあるけれど、ヨシャパテがアハブの言いなりになってしまったように、邪悪な者のいいなりになって、彼らの欲望満足のために汚れた事に利用されたりしてはならないのだ。
私達・「教会」や「兄弟姉妹の集い」は、きよく保ち続けるべきである。
『あなたがたは、少しのパン種が粉のかたまり全体をふくらませることを、知らないのか。新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたは、事実パン種のない者なのだから。わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ。ゆえに、わたしたちは、古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で真実なパンをもって、祭をしようではないか。』(1コリント5:6-8)
ヨシャパテは、アハズヤというパン種を、自分の王国の中にに混入させてしまったために、彼が構築していた船団は、主にあって破壊されてしまった。
彼はこの出来事に懲りたのだろう、彼はアハズヤから「わたしの家来をあなたの家来と一緒に船で行かせなさい」と言われた時、承知しなかった。(1列王記22:49)
『アハブの子アハジヤはユダの王ヨシャパテの第十七年にサマリヤでイスラエルの王となり、二年イスラエルを治めた。彼は主の目の前に悪を行い、その父の道と、その母の道、およびかのイスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムの道に歩み、バアルに仕えて、それを拝み、イスラエルの神、主を怒らせた。すべて彼の父がしたとおりであった。』(1列王記22:51-53)
アハブとイゼベルの間の子、アハズヤが王として統治した期間は、たった2年だった。
彼はその短い統治の間、父と母の道に歩み、バアル礼拝をし、主を怒らせた、と記されている。
彼の父・アハブの時代、エリヤやミカヤ、その他の預言者達から、あれだけ主に立ち返るように、と、多くのしるしをもって示されて来たというのに、それでも彼はバアルを拝み、主に忌み嫌われる事を積極的に行った。
それで彼は、せっかく主から与えられた恵みの猶予を全く無駄使いしてしまい、彼の王国と人生は早々と閉じられてしまう事になる。
どのようにして彼は死ぬのか、また、彼が神からどのような警告を受けたのか、それらの話は、第二列王記へと引き継がれる。
このように「第一列王記」は、全く今までの「列王記のパターン」通りに終わり、第二列王記もまた、そのパターン通りに始まる。
列王記のパターン、それは、イスラエルの王達それぞれの治世の記録であり、何年統治したか、その王は、主に従った「良い王」であったか、主に従わない「悪い王」であったかという評価が、淡々と記されている。
その王が主に聞き従う「良い王」であるなら、祝福され、栄える。
しかし、王が主に従わないなら、その時代は呪われ、衰退する。
この決して揺るがされなかったパターンは、まさに私達の人生に全く当てはまる。
私達がこの書を読む時、自分自身の人生で、何をしたら祝福され、何をしたら呪われるのか、それをよく読み解いて行くべきである。
イエス様というサインを互いに出し合うように(1サムエル記20:24-42)
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週報/メッセージ(説教)概要
ダビデとヨナタンは、互いに連絡が取れていなかった事で、誤解し合ったまま喧嘩別れしてしまう危険があったが、互いに自分の「思い込み」を主張せず、柔和で穏やかな言葉によって「分裂」という悪魔の策略に勝利した。私達もそのような心を持つべき事を、前回のサムエル記から学んだ。ダビデとヨナタンは、全て問題の元凶となったサウルの本心をあばくため、新月祭にダビデが「参加しない」事で、探りを入れる。
『ところがその日サウルは何も言わなかった、「彼に何か起って汚れたのだろう。きっと汚れたのにちがいない」と思ったからである。』(26) この言葉から伺える事は、サウルにはあたかも、ダビデを何度も殺そうと槍を投げたり、待ち伏せたり、遠くまで追手を遣わしたり追いかけて来た事が、一切無かったかのようだ。
このように、周囲の調和をひどく破壊し、人の心や体を傷つけ、さんざん迷惑を撒き散らしたというのに、それら一切を全く覚えていないかのように、何事も無かったかのように平然と振舞う人は、確かにいる。
そのような人は、悪霊が住みついている場合が多い。悪霊に動かされ発作的に破壊活動したとしても「自分がした」という意識や記憶が全く無いのだ。もちろん全部が全部悪霊のせいと言う訳ではないが、少なくともサウルのように御言葉に背き続け、頑なに罪を握りしめ続けているなら、明らかに「霊的な問題」である。
なぜなら悪霊の好むエサは、ガラテヤ5:19に記されている「不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、その類」だからだ。これらを野放しにしておくと、悪霊に支配されるようになり、極端な”発作的行動”を無意識的にしてしまうようになる。
新月祭の二日目もダビデは不在だったので、サウルはヨナタンに尋ねる。どうしてダビデは今日もいないのか、と。ヨナタンはダビデの家の都合であると答えたが、その何気ない、わずかな言葉と共にサウルは豹変し、すごい剣幕でヨナタンを、そしてヨナタンの母さえ冒涜する「汚し言葉」を発した。(27-31)
「お前は心の曲った背く女が産んだ子だ、お前は自分の身を辱め、母の裸を露わにしている(原意)」と。
ヨナタンはただ、ダビデには都合あってこの食事の席に参加できない、と言っただけなのに、どうして突然そんな返答が来るのか、さっぱり理解出来なかっただろう。そのような人は、汚れた悪しき思いをいつも頭にぐるぐる巡らし、常人には到底連想できない考えに導かれ、些細なきっかけで爆発し、ぶちまけるのだ。
『ヨナタンは父サウルに答えた、「どうして彼は殺されなければならないのですか。彼は何をしたのですか」。ところがサウルはヨナタンを撃とうとして、槍を彼に向かって振り上げたので、ヨナタンは父がダビデを殺そうと心に決めているのを知った。』(32-33) 今度はなんと、自分の跡継ぎ息子である彼にさえ槍を投げた。
悪魔や悪霊に秩序を求めてはならない。彼らはただ破壊し殺す事が衝動であり、目的なのだ。
ヨナタンは彼自身のみならず、彼の母まで辱められたのに、ダビデが辱められた事をこそ憂いた。(34)
主にある兄弟姉妹とは、自分や自分の家族より、危機の中にある愛する兄弟姉妹を心配し、案じるのだ。
翌日、ヨナタンは野に出て、ダビデと打ち合わせたサインを送る。すなわち、矢を放ち、それを取りに行く子供に「矢はあなたのこちら側だ」と言うなら安全で、「向こう側だ」と言うなら危険である、というサインを。
『ヨナタンは子供の後ろから呼ばわって、「矢は向こうにあるではないか」と言った。ヨナタンはまた、その子供の後ろから呼ばわって言った、「早くせよ、急げ。とどまるな」。』(38-39) ヨナタンはダビデに、事態は最悪だ、早く遠くに逃げよ、と切に伝えたのだ。それは子供には分からない、有志にのみ分かるサインである。
迫害下の初代教会も、信仰の有志にのみ分かるサインで、互いの信仰を確認し合い、また危険を伝えた。
私達も信仰者が持つサイン、すなわち、イエス様というサインを互いに言い表し、真実を尽くし合うべきだ。
『彼(キリスト)についてこの望みを「積極的に抱き続ける者(原意)」は皆、彼がきよくあられるように、自らをきよくする。すべて罪を「意図的に犯し続ける(原意)」者は、不法を行う者である。罪は不法である。あなたがたが知っているとおり、彼(キリスト)は罪をとり除くために現れたのであって、彼にはなんらの罪がない。すべて彼に「意図して在り続ける者(原意)」は、罪を「積極的に犯そうとしない(原意)」。すべて罪を「積極的に犯そうとし続ける(原意)」者は彼を見たこともなく、知ったこともない者である。』(1ヨハネ3:3-6)
ダビデとヨナタンのようにイエス様という信仰者のサインを出し合い、悪に悪で返さず、善によって悪に勝利する皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
イスラエル最悪の王として確定してしまったアハブの死(1列王記22:29-40)
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- pastor 2016-10-5 20:10
イスラエル最悪の王として確定してしまったアハブの死(1列王記22:29-40)
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『こうしてイスラエルの王とユダの王ヨシャパテはラモテ・ギレアデに上っていった。』(1列王記22:29)
アハブは、真に主が語られたミカヤの預言を退け、彼おかかえの、自分に都合のいい言葉を言ってくれる”預言者達”にそそのかされ、戦いに進み出た。
しかし彼は、預言者達の”都合のいい預言の言葉”だけでは心配だったようで、自分の身の安全のため、さらに防護策を取る。
『イスラエルの王はヨシャパテに言った、「わたしは姿を変えて、戦いに行きます。あなたは王の服を着けなさい」。イスラエルの王は姿を変えて戦いに行った。』(1列王記22:29-30)
なんとアハブは、敵の標的になる事から逃れるために、ヨシャパテひとりに王服を着させ、自分は王でないかのように変装して戦いに臨もうとしたのだ。
そもそもヨシャパテは、この戦いに加わっても何のメリットも無い。
それなのにアハブは、厚顔無恥にも、善意で助けに来てくれたヨシャパテひとりにリスクを負わせ、自分だけが安全になろうとしたのだ。
『悪しき者は物を借りて返すことをしない。しかし正しい人は寛大で、施し与える。主に祝福された者は国を継ぎ、主にのろわれた者は断ち滅ぼされる。』(詩篇37:21-22)
アハブは、おかかえの預言者達から、この戦いは必ず勝つと言われていたのだから、別にそんな、姑息な防護策を取らなくても良かったであろうに。
結局、彼はおかかえの預言者の言葉さえ信じていなかったという事だ。
彼の頭の中は、いつも自分がしたい事でいっぱいで、今回も、「戦いに勝ってその土地を取り戻し名誉を回復したい」という、思いつき的な願望が先走り、彼のこの願望に「そうだそうだ」と言ってくれる人を沢山はべらせたかったがために、”預言者”を400人も抱え込んだのだ。
彼にとっての預言者とは、自分のしたい事を主の名によって賛同してくれるための取り巻きに過ぎなかったのだ。
『さて、スリヤの王は、その戦車長三十二人に命じて言った、「あなたがたは、小さい者とも大きい者とも戦わないで、ただイスラエルの王とだけ戦いなさい」。』(1列王記22:31)
シリヤの王のこの命令は、ヨシャパテにはますますピンチ、アハブにはますます有利、と思われるかもしれないが、結果的に、その真逆であった事が後になると分かる。
『戦車長らはヨシャパテを見たとき、これはきっとイスラエルの王だと思ったので、身をめぐらして、これと戦おうとすると、ヨシャパテは呼ばわった。戦車長らは彼がイスラエルの王でないのを見たので、彼を追うことをやめて引き返した。』(1列王記22:32-33)
ヨシャパテが「呼ばわる」と、シリヤの戦車隊は、彼がイスラエルの王アハブではないと知った。そして彼に何も害を加えないまま引き返した。
一体どうして、そうなるのか。
それは、第二歴代誌の平行箇所、18章31節を見ると分かる。
すなわちヨシャパテは、主エホバに叫び求め、すると主が彼を助け、戦車隊を彼から離れさせるようにしたのだ。
シリヤの戦車隊が、王服をまとったヨシャパテ王に迫った時、この者がイスラエルの王アハブではないと判断した材料は、彼がとっさに「主エホバを呼び求めた」事だった。
きっとシリヤの間では、アハブは主エホバを求めるような者ではない、と、有名だったのだろう。
ともかくヨシャパテはこうして、主に助けを呼び求めた事により、また、あらかじめシリヤ王が発していた命令のおかげで、危ない所で命が救われた。
人の目に「これは状況が悪化した」と思える事でも、実はそれは、主が状況を好転させるために為された、という事もあるのだ。
ヨシャパテはこの度、悪しき者同士の、欲深い領土争いに足を突っ込んでしまって、とんだとばっちりを受けたが、主は、そのような罠に陥ってしまった主の民を悪人同士の争いの中から引き上げ、救い出す事がお出来になるお方である。
この戦いには、ヨシャパテの南ユダの兵士達も混ざっており、悪しき者と善き者とが混在状態ではあったものの、シリヤ王があの命令を下してくれたおかげで、ヨシャパテ側の兵士達から犠牲者が多く出る事からも守られたのだ。
どんなに、善き人に対不利な戦局が展開されようとも、主はその人を助け出される事が可能であり、そして、悪しき者がいかに二重三重の防護策を講じようとも、その者が主の裁きから免れられる事は無い。
『しかし、ひとりの人が何心なく弓をひいて、イスラエルの王の胸当と草摺の間を射たので、彼はその戦車の御者に言った、「わたしは傷を受けた。戦車をめぐらして、わたしを戦場から運び出せ」。その日戦いは激しくなった。王は戦車の中にささえられて立ち、スリヤびとにむかっていたが、ついに、夕暮になって死んだ。傷の血は戦車の底に流れた。日の没するころ、軍勢の中に呼ばわる声がした、「めいめいその町へ、めいめいその国へ帰れ」。王は死んで、サマリヤへ携え行かれた。人々は王をサマリヤに葬った。
またその戦車をサマリヤの池で洗ったが、犬がその血をなめた。また遊女がそこで身を洗った。主が言われた言葉のとおりである。』(1列王記22:34-38)
ついにアハブ王は死に、彼は、悪人が受けるべき報いを得た。
誰かが何気なく放った矢が、見事、戦車で激しく動いているアハブの、それも胸当てと草摺の間にヒットし、彼を死に至らしめたのだ。
結局、主には全ての事がお出来になるのだ。
アハブとしては、姑息な手を使ってでも万全を期して臨んだのであろうが、そのような小賢しい知恵や努力も、主の「為す」と定められた災いを防ぐ事は出来ない。
もし人が、主の定められた審判を免れたいのであるなら、ただ、悔い改めて主に立ち返るだけで良いのであって、一切の小賢しい手段は、必要無い。
アハブに対する災いの預言は、あらかじめ3人の預言者達によって預言されていた。
最初、預言者のともがらの一人からは、アハブは主が滅ぼそうと定めた人を勝手に放免させた故に、アハブの命はその者の命の代るとなる、と言われていた。(20:42)
次に、アハブがナボテという罪なき人を謀殺し、その地所を手に入れようと出て行った時、エリヤから次のように言われた。
『あなたが主の目の前に悪を行うことに身をゆだねたゆえ、わたしはあなたに災を下し、あなたを全く滅ぼし、アハブに属する男は、イスラエルにいてつながれた者も、自由な者もことごとく断ち、またあなたの家をネバテの子ヤラベアムの家のようにし、アヒヤの子バアシャの家のようにするでしょう。これはあなたがわたしを怒らせた怒りのゆえ、またイスラエルに罪を犯させたゆえです。』(21:20-22)
そして最後に、戦いに出る直前、ミカヤからの預言の警告も無視し、むしろ、ミカヤを獄屋に閉じ込め、そして戦いに出てしまった。
このように、3度も災いの預言が下されておきながらも、なお自分の好む道に突き進んで行ったが故に、彼は滅びるしかなかったのだ。
もし誰かが、「この先は崖だから進んで行くな」と言われても、その助言を無視し飛び出して行くなら、身分の大小・老若男女も関係なく、必ず崖から落ちてしまうように、誰であっても、主が「してはならない」と言われた事を無視し続けて突き進むなら、必ず災いと滅びへ至ってしまうのだ。
『アハブのそのほかの事績と、彼がしたすべての事と、その建てた象牙の家と、その建てたすべての町は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされているではないか。こうしてアハブはその先祖と共に眠って、その子アハジヤが代って王となった。』(1列王記22:39-40)
彼は、象牙という高価な材料を使って、家を建てていたが、イスラエルは、そんなにリッチだっただろうか?
否、アハブの主を怒らせる数々の行い故に、三年半もの間、天が閉ざされ、人々は飢えていた。
そのような状況でも、アハブの妻イゼベルは合計850人もの異教の預言者達を飼っていたのだ。
民はどれ程、苦しんでいただろう。
また、イスラエルの軍隊がシリヤとの戦争に召集された時、イスラエルの人々は「やぎの二つの小さい群れのよう」であったのに対し、シリヤ人はその地に満ちていた、と言われている程、イスラエルの軍隊は、貧弱であった。
それでも主は、いつでも、アハブに良い事をして下さった。しかしアハブは、主に対していつでも仇でしか返さなかった。
そこで主は、アハブの悪政の元で苦しむイスラエルを救うために、アハブを滅びへと引き渡されたのだ。
それ故、アハブはイスラエル最悪の王と呼ばれ、永遠にその名を晒してしまったのである。
キリストの本質と万物の存在目的(コロサイ1:13-20)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » コロサイ人への手紙
- 執筆 :
- pastor 2016-10-4 23:00
私達の事を何千年も前から見透かしておられた主(イザヤ44:21-28)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » イザヤ書
- 執筆 :
- pastor 2016-10-4 17:00
裏切った花嫁と、最初の契りをずっと誠実に守り続けておられた主(エゼキエル16:1-43)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 定期祈祷会メッセージ
- 執筆 :
- pastor 2016-10-4 11:00
天の議会に連ならなかった偽預言者たち(1列王記22:15-28)
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ミカヤを呼びに行った使者は、彼に「預言者たちは一致して王に良い事を言いました。どうぞ、あなたも、彼らのひとりの言葉のようにして、良い事を言ってください。」と言ったが、ミカヤは「主は生きておられます。主がわたしに言われる事を申しましょう。」と言った。
『彼が王の所へ行くと、王は彼に言った、「ミカヤよ、われわれはラモテ・ギレアデに戦いに行くべきでしょうか、あるいは控えるべきでしょうか」。彼は王に言った、「上っていって勝利を得なさい。主はそれを王の手にわたされるでしょう」。』(1列王記22:15)
アハブは、戦いに行くべきか、控えるべきかを聞いてきたのに対し、ミカヤは、他の預言者達と同様、「行きなさい」言った。
しかし、どうもそれは真剣味に欠けたような、むしろ蔑みを含んだ口調や表情で言ったものと思われる。
なぜならアハブは、ミカヤに次のように答えるからだ。
『幾たびあなたを誓わせたら、あなたは主の名をもって、ただ真実のみをわたしに告げるでしょうか。』(1列王記22:16)
アハブは、ミカヤに言った。あなたは主の名をもって、ただ真実のみを告げよ、と。
それでミカヤは、彼の望む通り、主の御名をもって真実を告げた。
『彼は言った、「わたしはイスラエルが皆、牧者のない羊のように、山に散っているのを見ました。すると主は『これらの者は飼主がいない。彼らをそれぞれ安らかに、その家に帰らせよ』と言われました」。』(1列王記22:17)
ミカヤは、主から見せられた。
イスラエルは、牧者がいない羊のように迷わされ、散らされている有様を。
主は、神の民が散らされている様を見て、深くうめき、憐れまれる主である。
『イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた。』(マタイ9:35-36)
ここの「深くあわれまれた」のギリシア語は「スプランキニゾマイ」、原意は「はらわたがちぎれる思い」で、心の痛みを伴って「ああ、かわいそうに!」と叫ぶ時の思いである。
主は、人々が羊飼いがいないような有様で弱り果てて倒れている様を、そのような思いでご覧になられる。
しかしアハブには、そんな主のうめきは届かなかったようだ。
『イスラエルの王はヨシャパテに言った、「彼がわたしについて良い事を預言せず、ただ悪い事だけを預言すると、あなたに告げたではありませんか」。』(1列王記22:18)
彼は、自分がイスラエルの良き羊飼いである、とでも思い込んでいたのかもしれない。
しかし、主のイスラエルに対する評価は「羊飼いがいない」であり、アハブは、自分を差し置いて羊飼いがいないなどと言うのは、心外だ、と思ったかもしれない。
さらにミカヤは、主から示された事を詳しく告げる。
『ミカヤは言った、「それゆえ主の言葉を聞きなさい。わたしは主がその玉座にすわり、天の万軍がそのかたわらに、右左に立っているのを見たが、主は『だれがアハブをいざなってラモテ・ギレアデに上らせ、彼を倒れさせるであろうか』と言われました。するとひとりはこの事を言い、ひとりはほかの事を言いました。その時一つの霊が進み出て、主の前に立ち、『わたしが彼をいざないましょう』と言いました。
主は『どのような方法でするのか』と言われたので、彼は『わたしが出て行って、偽りを言う霊となって、すべての預言者の口に宿りましょう』と言いました。そこで主は『おまえは彼をいざなって、それを成し遂げるであろう。出て行って、そうしなさい』と言われました。それで主は偽りを言う霊をあなたのすべての預言者の口に入れ、また主はあなたの身に起る災を告げられたのです」。』(1列王記22:19-23)
ミカヤは、天における会議の情景を見せられた。
そう、天では会議が開かれ、そこには御使達いが参加し、時にはサタンさえも参加して、彼ら全員は主が御心を実行するために用いられるのだ。(ヨブ記1-2章)
エレミヤ書にも、偽預言者に対する警告の中に、天の議会についての言及がある。
『万軍の主はこう言われる、「あなたがたに預言する預言者の言葉を聞いてはならない。彼らはあなたがたに、むなしい望みをいだかせ、主の口から出たのでない、自分の心の黙示を語るのである。彼らは主の言葉を軽んじる者に向かって絶えず、『あなたがたは平安を得る』と言い、また自分の強情な心にしたがって歩むすべての人に向かって、『あなたがたに災はこない』と言う」。』(エレミヤ23:16-17)
ここはまさに、アハブと、アハブを取り巻く預言者達にそのまま当てはまる事である。
『彼らのうちだれか主の議会に立って、その言葉を見聞きした者があろうか。だれか耳を傾けてその言葉を聞いた者があろうか。見よ、主の暴風がくる。憤りと、つむじ風が出て、悪人のこうべをうつ。主の怒りは、み心に思い定められたことを/なし遂げられるまで退くことはない。末の日にあなたがたはそれを明らかに悟る。
預言者たちはわたしがつかわさなかったのに、彼らは走った。わたしが、彼らに告げなかったのに、彼らは預言した。もし彼らがわたしの議会に立ったのであれば、わたしの民にわが言葉を告げ示して、その悪い道と悪い行いから、離れさせたであろうに。』(エレミヤ23:18-22)
ここも、今回のアハブと偽預言者の事が、そして、天の議会についての言及が記されている。
ミカヤは、主の議会でやり取り為された内容を主に示され、災いが来る事を預言した。しかし、主の議会に連なりもしなかった他の預言者達は、ただ、アハブ王の耳に心地良い事ばかりを告げた。
驚く事に、ミカヤが見た天の議会の議題は、アハブを倒れさせるために如何にすれば良いか、という事であり、主はその内容を、全部アハブに公開している。
一体、作戦会議で、会議の内容を敵に明かす者はいるだろうか。
しかし主は、その内容を堂々とミカヤを通して公開したのだ。
しかしアハブも、その取り巻きの預言者達も、このミカヤに与えられた内容を、「失礼な戯言」として受け取った。
『するとケナアナの子ゼデキヤは近寄って、ミカヤのほおを打って言った、「どのようにして主の霊がわたしを離れて、あなたに語りましたか」。ミカヤは言った、「あなたが奥の間にはいって身を隠すその日に、わかるでしょう」。』(1列王記22:24-25)
真理を伝える預言者は、迫害を受けるものである。
しかし、偽預言者は、自分が発した言葉に責任を持たず、都合が悪くなるとすぐ逃げるものである。
ゼデキヤは、鉄の角まで作って預言しアピールした事とは全く逆の事をミカヤが言ったので、彼を殴った。
もしゼデキヤが、主の言葉をそのまま伝えるなら、反する事を言われたとしも、ゼデキヤが侮辱されたのではないから、何も殴る必要は無いはずである。実際、ミカヤは憤慨しなかった。
結局、ゼデキヤがミカヤを殴った行為は、彼は、主から受けた事を語ったのではなく、ゼデキヤ自身から出たアイデアをアピールしていたのだという事を表している。
『イスラエルの王は言った、「ミカヤを捕え、町のつかさアモンと、王の子ヨアシの所へ引いて帰って、言いなさい、『王がこう言います、この者を獄屋に入れ、わずかのパンと水をもって彼を養い、わたしが勝利を得て帰ってくるのを待て』」。ミカヤは言った、「もしあなたが勝利を得て帰ってこられるならば、主がわたしによって語られなかったのです」。また彼は言った、「あなたがた、すべての民よ、聞きなさい」。』(1列王記22:26-28)
こうしてミカヤは、わずかな食料でかろうじて生かされる形で、幽閉されることとなってしまう。
しかし、ミカヤが正しかったと証明される日は、それ程遠くない。
今、この時代、偽預言者や反キリストが世に出てきており、できれば、聖徒をも惑わそうと狙っている事を、私達は知るべきである。(1ヨハネ2:18)
反キリストの霊の見分け方は、父と御子を否定する者(1ヨハネ2:22)、人となって来られたキリストを告白しない霊だ。(1ヨハネ4:1-4、2ヨハネ2:7)
私達はこの終わりの時代、忍耐と、あかしのことばによって、それらに勝利するのだ。
忍耐し、主のあかしを保つなら、この世にどのような試練の時代が来ようとも、その人は主に守られ、偽預言者達は、思い知らされるのだ。
『見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくて、偽る者たちに、こうしよう。見よ、彼らがあなたの足もとにきて平伏するようにし、そして、わたしがあなたを愛していることを、彼らに知らせよう。
忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。』(黙示録3:8-10)
