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メッセージ - 礼拝メッセージ説教音声配信カテゴリのエントリ

イザヤ書 講解説教メッセージ
主に依り頼もうという決心をくじく者(イザヤ36:4-12)
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火曜早天祈祷会
今すぐ主の霊が注がれ主の言葉が知らされるには(箴言1:20-23)
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聖霊充満とは(使徒2:1-4)
第一礼拝 Youtube動画 / 音声
賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画
賛美集会音声
第二礼拝音声
週報/メッセージ(説教)概要

 本日はペンテコステ(聖霊降誕日)、すなわち主イエスを信じて約束を待ち望んでいた弟子達が聖霊に満たされた日であり、この日を境に、彼らは大胆に力強く変えられ、死をも恐れない強力な働き人となった。
キリスト者の生活と働きの根源は、聖霊である。キリスト者は、イエスが主であるとした時、既に聖霊を受けている(1コリ12:3)。弟子達も、復活の主から息を吹きかけられた時、聖霊を受けたが、聖霊に満たされてはいなかったし、聖霊に満たされるというのが、よく分からなかった。そこで彼らは、主から約束された指示に従い、聖霊を受ける事を待ち望みつつ、共に一つ所に集まり、心合わせ、祈りに専念していた。
聖霊に満たされる事が、よく分からないだろうか。今日、ペンテコステでの出来事を原語的に詳しく見る事によって、「聖霊充満」とはいかなる事か、また、どうすれば聖霊に満たされるかを学びたい。

弟子達が大胆に力強く変えられる、その境となった日、起きた事は、次の事だった。
『五旬節(ペンテコステー)の日がきて、皆の者が一緒に(ホモスダモン:心一つに)集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音(エイコス:騒音、ニュース)が天から起ってきて、一同が(ずっと)座っていた家いっぱいに響き渡った。また、舌のようなものが炎のように分れて現れ、一人一人の上に留まった(カスィゾー:座す、位につく)。すると、一同は聖霊に満たされ(プレソー:吹きこまれる、感化する、充満する)、御霊が語らせるままに、色々の他国の言葉(ヘテロス グロッサ:異なった 舌)で語り出した。』(使徒2:1-5)
つまり、この日起きた事を詳細に見るなら、主の復活から「7週+1=50日」が満了した時、イエス様の指示に従い約束を望む「志ある」聖徒達が心一つにし、一つ所に集まっていると、天から(持ち運ばれている)激しい風のような響き(ニュース)」が、彼らがずっと座っていた家の全体を満たした、という事だ。
そして彼らに、火のような、分けられた数々の舌が現れ、それが一人ひとりの上に座した(位についた)。
すると彼らは、聖霊に吹きこまれ(英influence: 感化され、突き動かされ)、その霊が、彼らに(次々と)語らせて下さるままに異なる舌(言語)で、(大声で/大胆に)言明し出した。
つまり、キリストの弟子達が力強く大胆に変えられた根源、「聖霊充満」とは、聖霊様が、その人の支配の王座に座し、聖霊に支配され突き動かされる事を言い、その人は聖霊様から見せられ、思わせられ、語らせるまま行動するものであり、それは以前生きていた時の考え方や言葉・行動とは全く異なったものとなる。
「聖霊充満」は、何かを強く念じたり眉間に力を込めたりして成るものではない。聖霊様は三位一体なる神の一つの位格であり、その、人格あるお方へと自分の支配権を明け渡す事によって、彼の支配がその人の隅々まで行き届き(充満し)、彼に感化され、突き動かされ、導かれるままを話し、行動している様を言う。
だから、自分の思い込みや「よかれ」を頑なに握りしめている内は、決して聖霊様の支配下には入れない。

聖霊に満たされるためには、かの時代の弟子達のように、自らを準備する必要がある。
まずは、主イエス様の十字架と復活を信じ、体験し、「7という完全数」が7に満了するまで、主の指示に従い、聖徒達と心を一つにして、主の御約束が成る事を期待し積極的に祈り求める事である。
そして、天的な激しい音(ニュース)によって、それまでずっと座していた家(オイコス:居住地)が揺さぶられた時、すなわち、聖霊が激しく心揺さぶっているのを感じたなら、それを拒否せず、その支配の御手に委ねる事である。間違った霊に委ねてはならない。聖霊様は、イエス様を証し、栄光化する霊である。
聖霊様はどういう御方か。それは、次の良き実を実らせる御方であって、悲しみや絶望、暗い不安を募らせるような御方ではない。「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」である。
聖霊様に突き動かされている人は、不品行や好色、偶像礼拝、争い、怒り、憤り、党派心、分裂、嫉妬といった「肉の行い」を忌み嫌い、以はそれを好んでいたとしても、出来なくなって行く。(ガラテヤ5:19-23)
聖霊様に支配されている人は、唇が変えられ、人間的な汚れた言葉を言わなくなって行く。だから、聖霊に満たされているかどうかを見分けるには、口から発せられる言葉と、その実を見れば、判別できる。

人の歩む道は、二つに一つである。御霊に従って生きるか、それとも肉に従って生きるか。肉の思いは死であるが、霊の思いはいのちと平安である。自らを聖霊に支配されるに相応しく整え、聖霊様に支配され、感化され、突き動かされるままにイエス様を大胆に証する、力強い働き人である皆さんでありますように!

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
聖霊降誕前の整え(使徒1:12-26)
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エペソ人への手紙 講解説教メッセージ
男女関係・夫婦関係の聖書的スタンダード(エペソ5:22-33)
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イザヤ書 講解説教メッセージ
脅しを飲めばもっと過酷な要求をして来る者に対して(イザヤ36:1-10)
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ラオデキヤ教会のメッセンジャーに対する書き送り(黙示録3:14-22)
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七つの教会の内の第七番目、ラオデキヤ教会への書き送りは、次の構造となっている。

1,一次受信者の指定
『ラオデキヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。』(3:14)

2,語られるキリストの姿
『アァメンたる者、忠実な、まことの証人、神に造られたものの根源であるかたが、次のように言われる。』(3:14)

3,賞賛と激励
なし

4,叱責と警告
『あなたは、自分は富んでいる。豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。』(3:17)

5,勧めの宣言
『このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。あなたは、自分は富んでいる。豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。そこで、あなたに勧める。富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。また、見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい。』(3:16-18)

6,勝利者に約束されている報い
『勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である。』(3:21)

7,二次受信者への命令22
『耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。』(3:22)


主は、ヨハネに7つの教会のメッセンジャー達に対して手紙を送りなさい、と命じられたが、その最後・7つ目の教会が、ラオデキヤ教会である。
この教会には、主からの賞賛は一切無く、ただ、叱責しか無い。
それは7教会中、このラオデキヤだけである。

ラオデキヤは当時、金融都市で、医療を学ぶ所もあり、フルギヤの目薬工場を直営する富裕な地域だった。
また、ラオデキヤから8キロ離れたヒエラポリスという都市には、パムッカレ(トルコ語で「綿の宮殿」の意味)という有名な温泉があり、各地から多くの人が治療目的で訪れて、温泉を楽しむ所だった。

ここの教会に対し、主はご自身を「アァメンたる者、忠実な、まことの証人」と紹介される。
アーメンも、忠実も、まこと(真実)も、いずれも同じ意味である。
ヘブル語のアマン(アーメン)には、忠実、真実の意味があり、「アーメン」は全てのクリスチャンの信仰告白の言葉となった。
イエス様はまことに、全ての聖徒達が「アーメン」と信仰告白する対象であられるお方、忠実また真実なるお方、神に造られた全ての根源なるお方である。

『わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。』(黙示録3:15-16)
物質的に恵まれ、自分の事を「富んだ者」と言ってはいるが、主は「なまぬるい」と評価された。
そして主は言われる。なまぬるいよりは、むしろ、冷たいか熱いかであってほしい、と。

なお、ヒエラポリスからラオデキヤへと流れてくる温泉水は、ラオデキヤに到達する頃にはなまぬるくなっており、この水で体を洗うと、皮膚病になった、と言われている。
熱いでもなく、冷たいでもない。それは逆に、体をむしばんでしまうのだ。

熱い事、熱心な事は、結構である。
冷たい事も、「なまぬるい」よりはまだましだ。
「愛」の反対言葉は「憎しみ」ではなく、「無関心」だと言われている。
親子関係や男女関係において、憎しみがある内は、まだ良い。それは、相手に対して関心がある、という事の裏返しだからだ。
しかしもし、相手に対して何の感情も関心も抱かないとするなら、その親子関係・男女関係は、致命的な段階に来ている。
ましてや主との関係なら、なおさらだ。

信仰者にとって致命的なのは、主に対する無感覚、無関心、距離を置いた「事なかれ」的ななまぬさであり、そのような人は、主から遠く離れた者である。
日本には現在、キリスト教への迫害は無く、あらゆる宗教に対して寛容で、経済的にもある程度富んだ国である。
一見すると、迫害下にある国々よりはましに見えるが、霊的に見るなら致命的だ。
事実、過去多くの宣教師たちがこの国に派遣されているにも関わらず、日本のクリスチャン人口は、今だに1%にも満たない。
この、真理に対する熱さも冷たさもない「なまぬるさ」が、重要な原因の一つであろう。

『あなたは、自分は富んでいる。豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。』(黙示録3:17)
彼らは確かに物質的には富んでいたかもしれない。
それで「自分は富んでいる。豊かになった、なんの不自由もない」と自分で自分を評価しているが、主は逆に、彼らに5つのマイナスな事柄を、すなわち、「みじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者」と指摘している。
そして、それを脱却するために、3つのものを「買いなさい」と指示されている。

『そこで、あなたに勧める。富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。また、見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい。』(黙示録3:18)
この「買う(アゴラゾー)」は、買い戻す事の意味もあり、十字架上で主が血の値をもって私達を「買い戻し」て下さった単語であり(1コリント7:23,30)、買い戻されて赦された私達・信仰者には重要かつ基本的な事をあらわす単語でもある。
ここでは「買い戻し」を3度並行させているが、この、同意的な言葉を並行的に繰り返す事によって強調するのは、ヘブル的キアズム構造の強調表現である。
主は、強調される。
なまぬるさからの脱却は「値をもって、買い戻す」事によるものだ、と。

まず買い戻すべきは、「火で精錬された金」であるが、火で精錬された金について、1ペテロに書いてある。
『そのことを思って、今しばらくのあいだは、さまざまな試錬で悩まねばならないかも知れないが、あなたがたは大いに喜んでいる。こうして、あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちる外はない金よりもはるかに尊いことが明らかにされ、イエス・キリストの現れるとき、さんびと栄光とほまれとに変るであろう。』(1ペテロ1:6)
ここでは、様々な試練によってためされた信仰が、「火で精錬された金」と平行して書かれているが、まず買い戻すべきは「信仰」、それも、試練によって試され純化された信仰である。

また、次に買い戻すべきは、「裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣」だ。
この白い衣については、長老の一人がヨハネに説明している。
「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。」(黙示録7:14)
また、主は言われた。
「見よ、わたしは盗人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである。」(黙示録16:15)
主はいつ来られるか、分からない。
しかし主のしもべが、罪を犯しても、主の贖いの血潮で洗わないままに、あい変わらず罪の飲み食いのどんちゃん騒ぎをし続けているなら、その者は裸の恥をさらしたままである
主のしもべは、罪のけがれがついたなら、その日が暮れない内に小羊の血潮で洗い、きよい状態を保ち続けるべきなのだ。

3つめの買い戻すべきものは、「見えるようになるため、目にぬる目薬」である。
イエス様ご自身が目薬を塗って下さった記事が、ヨハネ9章に記されている。
『イエスはそう言って、地につばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人の目に塗って言われた、「シロアム(つかわされた者、の意)の池に行って洗いなさい」。そこで彼は行って洗った。そして見えるようになって、帰って行った。』(ヨハネ9:6-7)
「顔にドロを塗る」「顔につばきをかける」、いずれも屈辱を受ける事の表現だが、「見える」ためには敢えてそのような経験を「買い求める」事も、必要だろう。
主から直接、目にドロを塗られる時、その人が「遣わされた者」の所に行って、洗うなら、目からウロコが落ち、それまで見えなかったものが見えるようになり、働き人として整えられるのだ。(使徒9:18)

『すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい。』(黙示録3:19)
主は、愛すれば愛するほどに、しかったり、懲らしめたりする。(申命記8:5、ヘブル12:5-11)
主は、ラオデキヤの人を愛しておられるからこそ、このような厳しい事を言われる。
だからメッセンジャーは、このラオデキヤの箇所を、憎い人を裁断するための道具として用いてはならない。
むしろ過ちに陥っている人には、その人が倒れてしまわないように、愛をもって戒め、諭し、立ち返らせるべきだ。

『見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし(デイプネオー:夕食あるいは宴会をする)、彼もまたわたしと食を共にするであろう。』(黙示録3:20)
なんとラオデキヤでは、イエス様は、扉の外におられる。
「ラオデキヤ」は「ラオス+ディケー:民衆の義、民衆の判決」の意味があるが、人が裁き、人が自分の義を主張するなら、イエス様は戸の外に追いやられてしまっている。

イエス様は、彼らの中に入ろうとして、戸を叩く。
もしイエス様が叩くのを聞いて、扉を開き、彼を受け入れるなら、イエス様は入ってきて、共に食事(デイプネオー:夕食あるいは宴会)ができる。
しかしもし、民衆の議論や義の中で喧々諤々したまま、イエス様の叩く音を無視するなら、イエス様は去って行ってしまう。(雅歌5:6)

『勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である。』(黙示録3:21)
主は「わたしと共にわたしの座につかせよう。」と言われた。
だから、イエス様抜きにして、勝利を得てもいないのに、自分が勝手に王の座・裁きの座に着こうとするのは不当であり、そこから引きずり降ろされてしまう。
主が座に招いてくださり、そしてそこに主が着かせて下さる。それを待つべきなのだ。

『耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』(黙示録3:22)
主は、これらの事を、私達にも語っておられる。
もし私達の中に、ラオデキヤに対して主が叱責されたような事があるなら悔い改め、買い戻すべきものを、主から買うべきである。

自分が呪われても子に祝福を継がせたい母の愛 - リベカ(創世記27:1-17)
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