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男性ではなく女性をターゲットに惑わす悪しき者の常套手段(1列王記2:13-25)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 1列王記
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- pastor 2015-12-9 23:50
男性ではなく女性をターゲットに惑わす悪しき者の常套手段(1列王記2:13-25)
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偉大な王・ダビデが死んだ。
そこで、アドニヤがまたしても、良からぬ企みを起こす。
『さて、ハギテの子アドニヤがソロモンの母バテシバのところへきたので、バテシバは言った、「あなたは穏やかな事のためにきたのですか」。彼は言った、「穏やかな事のためです」。』(1列王記2:13)
アドニヤは、ソロモンの母、バテ・シェバの所に来た。
彼が来た時、彼女は真っ先に「あなたは穏やかな事のためにきたのですか」と問うたが、そんな質問は、誰にでもするようなものではない。
彼女が真っ先にそんな質問をしなければならなかった事が、アドニヤがいかに普段から平和とは反対の人物であったかを物語っている。
『彼はまた言った、「あなたに申しあげる事があります」。バテシバは言った、「言いなさい」。彼は言った、「ごぞんじのように、国はわたしのもので、イスラエルの人は皆わたしが王になるものと期待していました。しかし国は転じて、わたしの兄弟のものとなりました。彼のものとなったのは、主から出たことです。』(1列王記2:14-15)
彼は何か、とてつもなく身の程知らずな勘違いをしている。
主が定められたダビデの正統な跡継ぎである王は、ソロモンだった。
それなのに彼はそれを無視し、自分が王になろうと、しゃしゃり出たが、結局、ダビデ王も、世間も彼にはつかなかった。
彼は「イスラエルの人は皆わたしが王になるものと期待していました。」と言っているが、ソロモンが王になった時、群衆の歓声は地が割れんばかりになり、アドニヤについていた人々は皆、震え上がって、彼を独り残し離れて行き、彼自身も、神殿の角を握り締めてまでして赦しを乞い願ったのを、彼はすっぽり忘れてしまったのだろうか。
本当なら彼は、反逆罪で殺されても不思議でない所を、ソロモンに憐れみを受け、命拾いした身であった。
それでもなお、「ごぞんじのように」「国はわたしのもので」と言って、あたかも自分が王になる事が当然であるかのように、そして現状、自分の弟が王になっている事が不当であるかのような物言いをしている。
高ぶる者は、悔い改めが無い故に、周囲や場の空気が読めず、また、過去に起きた事を忘れ去って、どうしても自分を滅ぼしてしまうための行動を取ってしまうものである。
彼は、懲らしめを受けずにちやほやされながら育っているので、全世界は自分の思い通りに動く、という、根拠の無い錯覚が、彼の不動の世界観となって、疑わないのだ。
しかし悲しい事に、自分に自信が無い人や、気が弱い人は、その者の言葉がどんなに勘違い甚だしくても、美貌と自信と勢いをもって確信犯的に畳み掛けれてしまうなら、飲まれてしまうものだ。
バテ・シェバは元々は一平民であり、また、スキャンダラスな形である日突然ダビデ王家に入ってきたため、彼女は王家の中でも肩身が狭かっただろうし、アドニヤはそんな彼女をやり込める自信はあっただろう。
『今わたしはあなたに一つのお願いがあります。断らないでください」。バテシバは彼に言った、「言いなさい」。彼は言った、「どうかソロモン王に請うて、――王はあなたに断るようなことはないでしょうから――。』(1列王記2:16-17)
アドニヤは、母バテ・シェバの願い事なら、ソロモンは断らない、と、確信犯的に言っている。
彼は、ソロモンに自分の願い事を通すには、まずは、ソロモンが言うことを聞いてくれる女・バテ・シェバを落とす事が近道だ、と、踏んでいたわけである。
そしてバテ・シェバなら、自分の美しい外見と、勢いと、確信に満ちた言葉で押すなら、落とすのはたやすい、と。
男を落とすために、まずは、彼の大切な女性から落とす・・・どこかで聞いた話である。
そう、この手法は、エデンの園の時以来、サタンが人を堕落させるために用いてきた、古典的常套手段である。
男性は、女性が、「蛇(サタン)」に由来するものを持ってきた時、アダムのように、それをそのまま受け取って食べてしまってはならず、そのような時には主にある不動の立場に立ち、御言葉に基いて、正しい方向へと、女性をリードして行くべきである。
もしかすると、女性は時に、蛇(サタン)が投げて来た負の思い、激浪のような感情に翻弄された状態で、突然男性の前に現れるかもしれない。
そのような状態の女性に、深夜、突然起こされてしまうかもしれないし、仕事中に突然そのような状態の女性から、電話がかかってくるかもしれない。
そのような時、男性はそれを「彼女由来のもの」として、そのまま「食べて」しまってはならない。
それでは、背後にいる「蛇(サタン)」の思う壺である。
もしそれを彼女の手から「食べて」しまうなら、アダムとエバのように、責任のなすり合いといがみ合いの末、男女ともども「失楽園」してしまう。
男性は、女性がそのようになってしまった場合、その向こう側で操る「蛇(サタン)」のたくらみを見抜いて、女性を責めるのではなく、サタンを責めるべきだ。
そうして、家庭の中に、男女関係の中のエデン(喜び、楽しみ、の意)を守らなくてはならない。
ちょうど、ソロモンがバテ・シェバを責めるのではなく、彼女を通して背後で操ろうとしたアドニヤを責めるように。
アドニヤがバテ・シェバに言った内容は、次のものだった。
『シュナミびとアビシャグをわたしに与えて妻にさせてください。』(1列王記2:17)
これは一見すると、害がないかのように思える。
バテ・シェバはよく分からずに、この言葉をそのままソロモンの所に持って行く。
バテ・シェバはソロモンに願う。
『「あなたに一つの小さいお願いがあります。お断りにならないでください」。王は彼女に言った、「母上よ、あなたの願いを言ってください。わたしは断らないでしょう」。彼女は言った、「どうぞ、シュナミびとアビシャグをあなたの兄弟アドニヤに与えて、妻にさせてください」。ソロモン王は答えて母に言った、「どうしてアドニヤのためにシュナミびとアビシャグを求められるのですか。彼のためには国をも求めなさい。彼はわたしの兄で、彼の味方には祭司アビヤタルとゼルヤの子ヨアブがいるのですから」。』(1列王記2:20-22)
ソロモンは、バテ・シェバには見抜けなかったアドニヤの企みを、全て見ぬいた。
アビシャグを妻として求める裏には、どんな意図があるか。
アビシャグといえば、父ダビデの老いた体を温めるために、ダビデに侍らせられた女で、ダビデは彼女と肉体関係は持っていなくても、ダビデと床を共にしていた女性である。
その女性を妻とするなら、自分はダビデの女性をめとっている者だ、ひいては、ダビデの王位を継ぐに相応しい者だ、と主張する取っ掛かりを得られる事になる。
もっとも、そんな事をした所で、ソロモン王権には全く傷はつかないであろう。しかし問題は、事の大小ではなく、アドニヤの心がどこに向かっているか、である。
「ごぞんじのように」「国はわたしのもので」「イスラエルの人は皆わたしが王になるものと期待していました。」「しかし国は転じて、わたしの兄弟のものとなりました。」などと言って、母・バテ・シェバにその願いを持ってきた以上、もはや彼が王になろうとして、王権転覆の志を今だに持ち続けていた事は、確定的である。
これは、小さな事であっても、決して野放しにしていてはならない。
『そしてソロモン王は主をさして誓って言った、「もしアドニヤがこの言葉によって自分の命を失うのでなければ、どんなにでもわたしを罰してください。わたしを立てて、父ダビデの位にのぼらせ、主が約束されたように、わたしに一家を与えてくださった主は生きておられる。アドニヤはきょう殺されなければならない」。ソロモン王はエホヤダの子ベナヤをつかわしたので、彼はアドニヤを撃って殺した。』(1列王記2:23-25)
このように、彼は殺されてしまった。ひと度憐れみを受けたのに、それでもなお恩を仇で返すような者だったからだ。
私達は、高慢は滅びに先立つ(箴言16:18)事を、よく心に止めておかなくてはならない。
そして私達も、ソロモンのような、見分ける知恵と啓示の霊が与えられるように、求めるべきである。
人が何かたくらみを持って来た時、それを見抜けるように。
そして、惑わされてしまっている人の背後に働くサタンの意図を見破り、その人ではなくサタンをイエスの名によって処罰する者でありたい。
ダビデの死と、そしてダビデの永遠の将来(1列王記2:1-12)
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『ダビデの死ぬ日が近づいたので、彼はその子ソロモンに命じて言った、』(1列王記2:1)
ダビデは死を目前に、彼の後継の王であるソロモンに、個人的な指示をする。
その内容は、ソロモンが成功するためのアドバイスと、そして、ある人達をどう扱うべきかの指示であった。
『「わたしは世のすべての人の行く道を行こうとしている。あなたは強く、男らしくなければならない。あなたの神、主のさとしを守り、その道に歩み、その定めと戒めと、おきてとあかしとを、モーセの律法にしるされているとおりに守らなければならない。そうすれば、あなたがするすべての事と、あなたの向かうすべての所で、あなたは栄えるであろう。』(1列王記2:2-3)
まずは、強くあって男らしくせよ(原意:男である事を示せ)と命じている。
それも、神である主のさとし(charge)を守り、その道に歩み、その定め(statutes)と戒め(commandments)と、おきて(judgments)とあかし(testimonies)とを、モーセの律法に従って守れ、と。
これが全ての事、全て所において成功し、栄える秘訣であるからだ。
強さ、男らしさは、御言葉あっての男らしさでなくてはならない。主を恐れる事と御言葉なき「男らしさ」は、野蛮に過ぎない。
かつては野蛮と言われていた国でも、御言葉の福音が入った後は、野蛮さが抜け、秩序的な文明国になって行った例は、世界に沢山ある。(北欧のバイキングなど)
だから私達も、御言葉に基づいて、勇気と力を発揮すべきであり、それを除外した勇気と力は、単なる蛮勇に過ぎないのだ。
『また主がさきにわたしについて語って『もしおまえの子たちが、その道を慎み、心をつくし、精神をつくして真実をもって、わたしの前に歩むならば、おまえに次いでイスラエルの位にのぼる人が、欠けることはなかろう』と言われた言葉を確実にされるであろう。』(1列王記2:4)
主はかつてダビデに、彼の王権は、決して取り去られない、という事を、約束された。(2サムエル記7章)
しかし結論から言えば、王権は確かにダビデからは取り除かれなかったが、ソロモンは人生の後半、父ダビデの命令を守らず、主から離れ、偶像礼拝をし、堕落してしまったため、ソロモンの子孫からは、王権が取り上げられてしまった。
実は、イエス・キリストは、ダビデの血は継いでいても、ソロモンの血は継いでいないのだ。これはどういう事か。
マタイ一章の系図は、ダビデ王族としてのイエスキリストの系図で、ダビデからソロモンが生まれ、その後、しばらく王権は続くが、バビロン捕囚以降、王は立たなくなってしまい、そうしてイエス・キリストの時代まで続いている。
イエス様は、聖霊によってみごもり、処女マリヤから生まれているため、「養父」ヨセフの血を継いでいない。それは、「継いではならない」理由があるからだ。
系図の中、マタイ1:11に、エコニヤの名があるが、彼とその前の王達は、あまりに悪い事をし続けたため、主は以下のように預言している。
「この人を、子なき人として、またその一生のうち、栄えることのない人として記録せよ。その子孫のうち、ひとりも栄えて、ダビデの位にすわり、ユダを治めるものが再び起らないからである。」(エレミヤ22:30)
実際、エコニヤ以降に王は出なかった。
では、イエス様は王族ではないのか?ダビデの子ではないのだろうか?いいや、ダビデの子であり王族である。
実は、ルカの福音書三章に、もう一つの系図がある。
この系図は、マリヤの家系の系図であり、マタイ一章のヨセフ系図では、ダビデの子はソロモンであるが、ルカのマリヤ系図では、ダビデの子はナタン(バテ・シェバの子でソロモンの兄:1歴代3:5)となっており、それ以降のマタイとルカの系図は、分岐している。
つまり、イエスの母マリヤは、歴代の王族の家系ではないものの、れっきとしたダビデの子孫であり、そして、悪に染まった王族の血を、継いでもいない。
つまりイエス様は、法的にはヨセフの子、すなわち、法的には歴代の王族の子であり、そして血筋としては、ソロモン以降の悪しき王達の血を継がない、「純粋なダビデの子孫」なのである。
まことに主は、いかなる歴史を通じても、そしていかに人々が不真実であっても、それでも真実な方であり、正確に義を遂行されるお方である。
ダビデは続いて、ソロモンに、人間の「仕分け」を命じる。
『またあなたはゼルヤの子ヨアブがわたしにした事、すなわち彼がイスラエルのふたりの軍の長ネルの子アブネルと、エテルの子アマサにした事を知っている。彼はこのふたりを殺して、戦争で流した地を太平の時に報い、罪のない者の血をわたしの腰のまわりの帯と、わたしの足のくつにつけた。それゆえ、あなたの知恵にしたがって事を行い、彼のしらがを安らかに陰府に下らせてはならない。』(1列王記2:5)
ヨアブは度々、自分のやりたい事と、自分のキャリアの保身のために、主君・ダビデの命令に背いて、罪なき人々の血を流し、平和を流血で染めた。
だから彼は、どんなに功績を立てても、ダビデの三十勇士には名が記されなかったし、そして軍団長の地位から降ろされるのだ。
神の国においても同じである。
どんなに功績を上げても、まことの主君・イエス・キリストを軽んじて、不従順を重ね、主の御旨でない者を担ぎ上げてしまうなら、特別な地位から降ろされ、御国のリストから除外され、抹殺されてしまうのだ。
『ただしギレアデびとバルジライの子らには恵みを施し、彼らをあなたの食卓で食事する人々のうちに加えなさい。彼らはわたしがあなたの兄弟アブサロムを避けて逃げた時、わたしを迎えてくれたからである。』(1列王記2:7)
バルジライは、ダビデがアブシャロムのクーデターによって都を追われて本当に困っていた時、バルジライは彼の富を活用し、ダビデと数千人はいる彼の部下たちを助け、クーデターが解決するまで、彼らを養った。
それでダビデは、彼の子孫たちに良くしてやりなさい、と命じたのだ。
私達も、イエス様が真に栄光を受けていない今、むしろこの時代、軽んじられているようなイエス様とそのしもべたちを助けるなら、後には永遠につづく報いが待っているのだ。
『またバホリムのベニヤミンびとゲラの子シメイがあなたと共にいる。彼はわたしがマハナイムへ行った時、激しいのろいの言葉をもってわたしをのろった。しかし彼がヨルダンへ下ってきて、わたしを迎えたので、わたしは主をさして彼に誓い、『わたしはつるぎをもってあなたを殺さない』と言った。しかし彼を罪のない者としてはならない。あなたは知恵のある人であるから、彼になすべき事を知っている。あなたは彼のしらがを血に染めて陰府に下らせなければならない」。』(1列王記2:8-9)
シメイは、ダビデがアブシャロムに追われて本当に困っていた時、ダビデ一行に、さかんに呪いの言葉を浴びせかけ、石を投げつけながら同行した者であったが、ダビデが勝利した時、真っ先にダビデの元に駆けつけて謝罪し、命を拾った者である。
彼は、とてつもなく無礼な事をダビデにしたが、絶妙のタイミングで絶妙の事をしたため、赦され、命は救われたのだ。
しかし彼のような者は、表に出ない所でどんな陰口を流すか分かったものではないし、いつ手のひらを返して裏切るか分からない。
まことに彼は、口先と行動力で上手に世渡りしている者であるが、ダビデが最後にこの指示をしたという事は、やはりシメイは、表向きはダビデを恐れているものの、心の底からダビデを敬う事をして来なかったのを、ダビデは見抜いていたのだろう。
事実シメイは、後の王ソロモンの命令を破り、それが元で、彼自身の破滅を招く事となる。
『ダビデはその先祖と共に眠って、ダビデの町に葬られた。ダビデがイスラエルを治めた日数は四十年であった。すなわちヘブロンで七年、エルサレムで三十三年、王であった。このようにしてソロモンは父ダビデの位に座し、国は堅く定まった。』(1列王記2:10-12)
こうして、1サムエル記から長らく活躍して来たダビデもまた、先祖の列に加えられ、葬られた。
しかし、あまり悲しいものではない。
彼は永遠に滅んだのではなく、必ず復活し、全ての聖徒達と共に、天の王国を共に継ぐのだから。
ダビデは歌っている。
『わたしは常に主をわたしの前に置く。主がわたしの右にいますゆえ、わたしは動かされることはない。このゆえに、わたしの心は楽しみ、わたしの魂は喜ぶ。わたしの身もまた安らかである。
あなたはわたしを陰府に捨ておかれず、あなたの聖者に墓を見させられないからである。あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。』(詩篇16:8-11)
私達も、死とよみに打ち勝たれた私達の主、イエス・キリストを、自分の前に置くなら、主は私達をよみに捨て置かせず、墓を見させない。
この、死に勝利された主にあって、私達もよみがえらされ、わしのように若くされるのである。
『主はあなたのすべての不義をゆるし、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを墓からあがないいだし、いつくしみと、あわれみとをあなたにこうむらせ、あなたの生きながらえるかぎり、良き物をもってあなたを飽き足らせられる。こうしてあなたは若返って、わしのように新たになる。』(詩篇103:3-5)
まことに主にある者は、老いるにも、死ぬにも、そして復活するにも、栄光に満ちているのだ。
栄光のみどり児を委ねられた夫婦の成り立ち(マタイ1:18-25)
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賛美集会音声
第二礼拝音声
週報/メッセージ(説教)概要
クリスマスが近づくと、世間は華やいで来るが、クリスマスの主人公であるイエス様の誕生の次第と、それに関わった人達の成り立ちは、あまり華やいだものではなかった。主は聖霊によりて宿り、おとめマリヤより生まれ…一瞬で口ずさんでしまえるこの一文の陰に、実はイエス様の母マリヤとその夫ヨセフの、想像を超えた試練と苦悩の思い出が、そして、信仰の高貴さと、信仰により勝利した栄光の思い出がつまっている。
乙女マリヤは、優しい信仰者の夫・ヨセフとの結婚が決まっていて、貧しいながらでも、ささやかな幸せを胸に膨らませながら、婚約の期間を過ごしていた。そんなある日、突然御使いが現れ、告げられる。
これからあなたは身篭り、男の子を生む。しかもその子は永遠に支配する王である、と。(ルカ1:26-38)
結婚を控えている微妙な時期に、子を身籠る事は、世間からの追求もさる事ながら、何より、愛するヨセフがどんな反応をするか、大いに懸念される所だ。律法に従えば、結婚前に姦淫を犯した女は石打、それを免れても、ヨセフに見放されるなら、姦淫の子持ちの女として再婚も叶わず苦しい人生が待っているだろう。
「神にとって不可能な事は何一つ無い…」彼女は、この僅かな御使いとのやり取りで、大胆な決心をする。
「お言葉どおり、この身に成りますように・・・。」 彼女は、自分の都合、自分の善悪は全て降ろし、ただ、神のことばを優先したのだ。結婚も、夫も、世間も、将来も、全部、主にゆだねて。夫ヨセフはどうだったか。
婚約者マリヤは、自分の知らぬ間に身篭っている。男性なら、非常に怒り、悩み、落ち込む所である。
ねたみに駆られて、石打の求刑も出来ただろうし、払った花嫁代を全額返済してもらい、公に離縁して、別の女性との結婚を一からやり直す事もできたろう。しかし、彼が選んだのは、ひそかな離縁だった。
ヨセフは、彼女を愛した故に苦しんだが、真実であろうとした。それで、ひそかな離縁を選択したのだ。
そうこう思い悩んでいる所に、御使いが現れる。「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである。」(マタイ1:20-21)
ヨセフもまた、主の御言葉に従った。ユダヤ社会から冷ややかに「結婚前に身篭った夫婦」と後ろ指をさされる一生を恐れず、この、自分の血が流れていない特別な子を、守り、養い、育てようと、決心したのだ。
彼ら夫婦はこのような性質、すなわち自分の善悪判断、将来の心配は一切降ろし、ただ主の御言葉に従う性質だったからこそ、救い主キリストの育ての親となる栄誉を勝ち取り、人類全体に救い主を導入したのだ。
それに対しアダムとエバ夫婦は、御言葉ではなく自分の感覚を優先し、子々孫々に呪いを残してしまった。
妻は、主でも夫でもなく、蛇(サタン)の言う事に耳を傾け、従う。さらには夫を操って過ちに陥れる。夫も自分の過ちを棚に上げ、妻のせいにして突き放す。これが、いさかいと争いに満ちた呪いの生き方である。
主にある夫婦のスタンダードは、次のものである。
『妻たる者(ギュネー:成人女性)よ、(自身の)夫に仕えなさい。それが、主にある者にふさわしいことである。』(コロ3:18) 夫婦への命令は、新約に3箇所出てくるが、いずれも「妻」に対する命令から初まり(エペソ5章,コロサイ3章, 1ペテロ3章)、いずれも「夫(アネア:成人男性、将来の夫)」に従いなさい、という点が、夫より先に命じられている。従うとはフーポタッソー、軍隊用語で、自分を下位に置く、服従させる事だ。
これは女性差別以前の話で、主が創造の初め以来定められた権威の順序であり、従うなら幸いを得る。
では、男性は得なのか?得というより、男性のほうが責任重大である。エバの失敗に対し主はアダムを責められ、サラの失敗に対し主はアブラハムを責められた。『夫たる者よ、妻を「愛し(アガパオー:命よりも大切にし)」なさい。「つらくあたって(ピクラノー:苦々しい思いにさせて)」はいけない。』(コロサイ3:19)
男性は、女性を愛する事、それも、自分の命より大切にする事が、命じられている。女性は男性の保護下にあってこそ、安心できるものであり、男性は、女性に敬われてこそ、力を得るものである。
このようにしない夫婦は、アダムとエバのように、自分自身に、そして子々孫々に呪いをもたらしてしまう。
しかし、マリヤとヨセフのように、主の言葉に従順し、夫は妻を責めたりせず守り、妻は夫がたとえ「今晩エジプトに逃げよう」と言ってもそれに従順する程であるなら、より多く任され、尊い命を任されるようになる。
マリヤとヨセフのように、素晴らしい男女となり、素晴らしい結婚生活が出来る皆さんでありますように!
ポンテオ・ピラトの前で苦しみを受け(マタイ27:11-26)
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- pastor 2015-12-5 9:47
真の王が王座につく時(1列王記1:41-53)
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『アドニヤおよび彼と共にいた客たちは皆食事を終ったとき、これを聞いた。ヨアブはラッパの音を聞いて言った、「町の中のあの騒ぎは何か」。』(1列王記1:41)
アドニヤが勝手に王を名乗った事に対する、ダビデ達の対応は、素早かった。
ソロモンを王とし、それを公にする一連の手続きは、アドニヤが”王”となった事を祝う宴会が終わるまでに、全て、完了していた。
ソロモンが王となった事は、ダビデに仕えて来た人々にとっては、喜びの良き知らせであったが、アドニヤ達に対しては、そうではなかった。
『彼の言葉のなお終らないうちに、そこへ祭司アビヤタルの子ヨナタンがきたので、アドニヤは彼に言った、「はいりなさい。あなたは勇敢な人で、よい知らせを持ってきたのでしょう」。ヨナタンは答えてアドニヤに言った、「いいえ、主君ダビデ王はソロモンを王とせられました。』(1列王記1:42-43)
真に王となるべきお方が、王となる時、「グッドニュース(福音)」と取る人達もいれば、「悪いニュース」と取る人達もいる。
悪いニュースとなってしまう人達は、アドニヤのように、真の王たるお方を差し置いて、自分が王にのし上がろうとしていた人であり、また、ヨアブのように、真の王が王になってもらっては不都合なので、別の者を王に仕立てあげようとしていた人達である。
イエス様という”まことの王”が王座につく時、まさにこの二分化が起る。
ソロモンが王座についた時、群衆の間で喜びのどよめきが沸き起こったように、その時、イエス様が王座につかれる事を待ち望んでいる人達の間で、大きな喜びの歓声が沸き起こる。
『わたしはまた、大群衆の声、多くの水の音、また激しい雷鳴のようなものを聞いた。それはこう言った、「ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、王なる支配者であられる。わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。』(黙示録19:6-7)
そしてその時、キリストを軽んじ、ないがしろにし、ことに、彼にはいなくなってもらいたいと、突き刺した者達は、嘆く。
『見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。』(黙示録1:7)
『王は祭司ザドクと預言者ナタンおよびエホヤダの子ベナヤ、ならびにケレテびとと、ペレテびとをソロモンと共につかわされたので、彼らはソロモンを王の騾馬に乗せて行き、祭司ザドクと預言者ナタンはギホンで彼に油を注いで王としました。そして彼らがそこから喜んで上って来るので、町が騒がしいのです。あなたが聞いた声はそれなのです。』(1列王記1:44-45)
ソロモン王は、父ダビデの直接の指示で王の騾馬に乗せてもらった。しかし、アドニヤにそれは無かった。
ソロモン王には、王としての正統な油注ぎ(任職)があったが、しかしアドニヤには無かった。
『こうしてソロモンは王の位に座し、かつ王の家来たちがきて、主君ダビデ王に祝いを述べて、『願わくは、あなたの神がソロモンの名をあなたの名よりも高くし、彼の位をあなたの位よりも大きくされますように』と言いました。』(1列王記1:46-47)
ダビデの家来たちはことごとく、息子ソロモンが王になった事を、自分から祝儀をのべに行った。
それに対し、アドニヤについた人達は、ただずっとアドニヤが振る舞ったごちそうを飲み食いし、そのどんちゃん騒ぎに付き合っていただけだった。
正統でない違法な、イリーガルなものは、一時的には流行るかもしれないが、その”どんちゃん騒ぎ”は、長続きしないものである。
この世の、偽りの王のどんちゃん騒ぎも、永遠の観点で見るなら、アドニヤの宴会のように、ほんの一瞬で消えてしまうものである。
『そして王は床の上で拝されました。王はまたこう言われました、『イスラエルの神、主はほむべきかな。主はきょう、わたしの位に座するひとりの子を与えて、これをわたしに見せてくださった』と」。』(1列王記1:47-48)
ダビデは感無量の内に、主への喜びと感謝が湧き上がったのだろう、ヤコブがしたように、床の上で、主に礼拝を捧げた。
イエス様も、ご自身の激しい苦しみによって生み出した信仰の子孫たちが栄えて行く様を見て、満足される。(イザヤ53:10-12)
『その時アドニヤと共にいた客はみな驚き、立っておのおの自分の道に去って行った。そしてアドニヤはソロモンを恐れ、立って行って祭壇の角をつかんだ。ある人がこれをソロモンに告げて言った、「アドニヤはソロモンを恐れ、今彼は祭壇の角をつかんで、『どうぞ、ソロモン王がきょう、つるぎをもってしもべを殺さないとわたしに誓ってくださるように』と言っています」。』(1列王記1:49-51)
アドニヤと彼に追従した人達は、ソロモンが王になった事を聞いて、震え上がり、みんなアドニヤの周りから去って行って、ただアドニヤが残された。
彼は祭壇の角をつかんだが、祭壇の角は、罪を赦すのためのいけにえの血が塗られる部分である。(レビ4:7)
彼は自分の驕り高ぶり故に、身の危険を感じた土壇場で、祭壇の角という、宗教的ご利益のありそうな所につかまって、赦しを乞うた。
彼は生涯、罪のためのいけにえを捧げるために、祭壇に行った事は何度かあったであろう。
しかし彼は、普段から主を恐れるような人ではなかった。
もし彼が、本当に主を恐れていれば、ダビデやソロモンを差し置いて王になろうなどと、御心に反した行動は取らなかっただろう。
彼は普段は主を軽んじ、いよいよ困った時、この「赦しの儀式」が行われる祭壇の角をつかみ、神の民の憐れみにすがって助かろうとしたのである。
確かに主は憐れみ深い方であり、神の民も”優しい”ものである。
彼は土壇場になってそれを「利用」したが、私達自身も、このアドニヤの性質を、取り扱うべきである。
困った時だけ、主の祭壇に入って赦しを求めたり、聖徒の良心を利用するような性質を。
『ソロモンは言った、「もし彼がよい人となるならば、その髪の毛ひとすじも地に落ちることはなかろう。しかし彼のうちに悪のあることがわかるならば、彼は死ななければならない」。ソロモンは人をつかわして彼を祭壇からつれて下らせた。彼がきてソロモンを拝したので、ソロモンは彼に「家に帰りなさい」と言った。』(1列王記1:52-53)
よく、悪い事をした人が捕らえられた時、「もうしません」「赦して下さい」という言葉を発するが、その人が「もうしない事」は、後になって分かる事で、もし本当にその後、悔い改めに相応しい実を結ぶなら、その人は助かる。
しかし、もしその後、再び悪い所が見いだされるようなら、もう、弁解の余地は無い。
私達も、その人の言葉で判断するのではなく、その人がその後に結ぶ「実」によって見分けるべきであり、その後どのように為すべきかは、実を見て判断すべきだ。
ソロモンはこの時点ではアドニヤを放免したが、アドニヤがこの後、どのような実を結ぶかが、査定される事となる。
私達も、この世では色々な罪を犯しても、主に立ち返るなら、赦され、罪は放免されるが、もしそれでもなお「好きこのんで」「率先して」悪い実を結び続けるようなら、もはや弁解の余地は残されていない。(ヘブル10:26)
ソロモン王の即位(1列王記1:28-40)
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ダビデは、4男アドニヤが勝手に王を名乗った事を、妻バテ・シェバから聞かされ、そして預言者ナタンから聞かされた。
ダビデのその後の対処と行動は早かった。
『ダビデ王は答えて言った、「バテシバをわたしのところに呼びなさい」。彼女は王の前にはいってきて、王の前に立った。すると王は誓って言った、「わたしの命をすべての苦難から救われた主は生きておられる。わたしがイスラエルの神、主をさしてあなたに誓い、『あなたの子ソロモンがわたしに次いで王となり、わたしに代って、わたしの位に座するであろう』と言ったように、わたしはきょう、そのようにしよう」。』(1列王記1:28-30)
この「**の主は生きておられる」という語り出しは、これから自分が宣言する事は、生きておられる主の御前で宣言する事であり、確かな事である、という、ユダヤ流の宣言文句である。
ダビデは主を、「わたしの命をすべての苦難から救われた主」と呼んだ。
主は、ダビデが若く清い信仰だった時も、サウルの手から救ってくださったし、彼が高慢になり、姦淫と殺人の罪を犯し、諸々の災いが降りかかった時さえも、主は、彼の助けと憐れみを求める呼び声に応じて、救って下さった。
この度の出来事も、イスラエル王国を分断しかねない危機ではあったが、ダビデは彼をあらゆる災いからも救って下さった彼の主にかけて、誓った。
きょう、ソロモンを王とするための手続きをしよう、と。
『王は彼らに言った、「あなたがたの主君の家来たちを連れ、わが子ソロモンをわたしの騾馬に乗せ、彼を導いてギホンに下り、その所で祭司ザドクと預言者ナタンは彼に油を注いでイスラエルの王としなさい。そしてラッパを吹いて、『ソロモン王万歳』と言いなさい。それから、あなたがたは彼に従って上ってきなさい。彼はきて、わたしの位に座し、わたしに代って王となるであろう。わたしは彼を立ててイスラエルとユダの上に主君とする」。』(1列王記1:33-35)
ダビデはまず、ソロモンを王の騾馬に乗せなさいと指示した。
王が、自分の乗る乗り物を降りて、別の人をそこに乗せる事は、王の栄誉をその人に与える事である。(創世記41:43、エステル記6:8)
私達の主イエス様も、自ら乗るべき乗り物を降り、悪しき者に傷つけられ全てを奪われ行き倒れになってしまったような私達を、乗せて下さり、安全な所へと導いて下さった。(ルカ10:29-37)
罪過の中に死んでいた私たちを、ただ恵みによりキリストと共に生かし、共によみがえらせ、共に天の所に座らせて下さった。(エペソ2:5-6)
そして私達をキリストにあって王国とし、共に治める者として下さった。(黙示録5:10)
ダビデは年老いた故に、王座を降りて、ソロモンへと王権を譲ったが、私達の主イエス様は、決して死ぬという事が無く、永遠に王の王であり、私達はキリストと共なる共同相続人である。
『そこで祭司ザドクと預言者ナタンおよびエホヤダの子ベナヤ、ならびにケレテびとと、ペレテびとは下って行って、ソロモンをダビデ王の騾馬に乗せ、彼をギホンに導いて行った。祭司ザドクは幕屋から油の角を取ってきて、ソロモンに油を注いだ。そしてラッパを吹き鳴らし、民は皆「ソロモン王万歳」と言った。民はみな彼に従って上り、笛を吹いて大いに喜び祝った。地は彼らの声で裂けるばかりであった。』(1列王記1:38-40)
この時点で、イスラエルの王権はダビデから離れ、その子・ソロモンへと引き継がれた。
アドニヤは、父ダビデ王の許可もなく、油注ぎという王としての任職もなく、ただの「名乗り上げ」と「既成事実化」によって王になろうとしたが、それに対し、ソロモンは父ダビデ王直接の認可の下、王としての任職の油を公に注がれ、正当な手続きを経て、王となった。
そして、一緒にいた民の喜びの叫びとどよめきは、地が張り裂けんばかりにまでなった。
まことに、アドニヤが自称・王として受けた栄光は、ソロモンが正統に受けた真の栄光に比べれば、全く取るに足りない。
悪しき者は、公にではなく、こそこそと非合法な方法を弄し、分不相応な「王権」を得ようとして罪に罪を重ねる。
私達はそのような、不当に非合法に得なくてはならないニセモノを掴まされてはならない。
私達は御言葉に沿って歩み、主の示された道を正当な手続きを経つつ歩んでいくなら、主は、最高に栄誉あるゴールへと導いて下さる。
いかに、報われないような日々が長く続くとしても、主は、ちょうど良い時に引き上げて下さるのだ。
ソロモンは、王になる事が主にあって決まっていたのに、なかなか王にはしてもらえなかったが、不穏分子が現れたちょうどその時、王として引き上げられた。
ダビデは詩篇で歌っている。
『あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。わたしの生きているかぎりは/必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。』(詩篇23:5-6)
ソロモンは敵の前で油を注がれ、宴を設けられた。
どうして、よりによって敵が生え出てきた時に、と思うかもしれない。
しかし実は、逆に、隠れていた不穏分子がこの時現れてくれたおかげで、新しい治世にあたって、それを取り除く助けとなったのだ。
今の時代、麦と毒麦が共に同じ畑に育つようなものである。
麦と毒麦は一見、見分けがつかないが、成長して実った段階でその違いがあらわになる。
主は、その時まで、待っておられるのだ。(マタイ13:24-43)
こうして、無事、バテ・シェバの子・ソロモンは王となったが、もしバテ・シェバが預言者の言葉に従順していなかったなら、この事は起きなかった。
もし従順していなかったならば、王権は不相応な者に奪われ、本人たちは反逆者として命を落としていただろう。
私達も、御言葉によって、すばらしい地位と祝福は約束されている。
しかし、悪しき者が侵入して来ても、何も対処しないとするなら、せっかく与えられた素晴らしい地位も、祝福も奪われ、最後にはいのちを落としてしまうのだ。
永遠の祝福は、今、私達がキリストの言葉に従順するかどうかにかかっている。
聖霊の導きとキリストの御言葉に従順し、いのちを救い、永遠に祝福される皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!
不法な侵犯者を放置するなかれ(1列王記1:11-27)
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『時にナタンはソロモンの母バテシバに言った、「ハギテの子アドニヤが王となったのをお聞きになりませんでしたか。われわれの主ダビデはそれをごぞんじないのです。』(1列王記1:11)
アドニヤは、次に王となるべきソロモンを出しぬいて、そして、現在王として立てられている父・ダビデには何も知らせないまま、勝手に「へびの石」のかたわらに人々を招いて、自分が王であると宣言して、勝手に記念の祝会を開いた。
まったく、あの古い「へび」・サタンと同じやり口である。
サタンはおごり高ぶって、多くの御使い達や人間たちをそそのかし、自分の所に引き寄せ、自らは神の座す高みへと勝手に領域侵犯し、いと高き者のようになろうとした。
『黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。あなたはさきに心のうちに言った、『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果なる集会の山に座し、雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』。しかしあなたは陰府に落され、穴の奥底に入れられる。』(イザヤ14:1-15)
そこで、預言者ナタンは、ソロモンの母・バテ・シェバに助言して言う。
『それでいま、あなたに計りごとを授けて、あなたの命と、あなたの子ソロモンの命を救うようにいたしましょう。』(1列王記1:12)
そう、権威の座に勝手に不法侵入して来る者に、何の措置も取らずに放置する事は、自分の「命を救わない」事なのだ。
キリストにあって王族の祭司とされた私達に対し、勝手に領域侵犯して来る悪しき者は、放置していておいてはならず、すみやかに対処すべきだ。
どのように対処すれば良いか。
それは、祈りによって聖霊様の警告に耳を傾け、そして、不思議な助言者・キリストの「御言葉」に対処法を求め、それに従う事によって、である。
ちょうど、預言者ナタンが、バテ・シェバに警告と助言を与え、それに従ったように。
『あなたはすぐダビデ王のところへ行って、『王わが主よ、あなたは、はしために誓って、おまえの子ソロモンが、わたしに次いで王となり、わたしの位に座するであろうと言われたではありませんか。そうであるのに、どうしてアドニヤが王となったのですか』と言いなさい。あなたがなお王と話しておられる間に、わたしもまた、あなたのあとから、はいって行って、あなたの言葉を確認しましょう」。』(1列王記1:13-14)
預言者ナタンがバテ・シェバに助言した内容は、ダビデが彼女にかつて約束してくれた言葉を盾に取り、それとはそぐわない現実が今まかり通ろうとしている現実を訴えるように、というものだった。
私達も、この要領で、まことのダビデである主キリストに、御言葉の約束を盾にとって訴えるべきだ。
すなわち、真実が正しく行使されていない現状を。
悪しき者が勝手に偽りの表明をし、立ってはならない権威の座に、立とうとしている事を。
ソロモンが王となって、神の宮を建築する事は、ソロモンが生まれる前から既に主にあって約束された事である。(1歴代誌22:6-9)
その彼が生まれた時、彼は預言者ナタンから「エディデヤ(主に愛される者)」とうい名前までいただいている。(2サムエル記12:25)
アブラハムの正統な家系は、肉の力によって生まれたイシュマエルにではなく、約束によって生まれたイサクが受け継いだように、権威は人間のはかりごとや力づくによって成り上がるのではなく、主の約束によって与えられるものである。
私達キリスト者は、御言葉により、すばらしい約束が与えられている。
『神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。』(エペソ1:3-5)
『わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。世がわたしたちを知らないのは、父を知らなかったからである。愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。』(1ヨハネ3:1-2)
『あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。』(1ペテロ2:9)
私達は、この与えられている素晴らしい特権を、領域侵犯して来る者に手放したりしてはならないし、また、俗悪なエサウのように、一杯のなくなる食物と引き換えに売り渡したりしてはならない。
『そこでバテシバは寝室にはいって王の所へ行った。(王は非常に老いて、シュナミびとアビシャグが王に仕えていた)。』(1列王記1:15)
アビシャグは若く美しく、いつも王のそばにいて仕えてはいたが、彼女は王妃ではない。
しかしバテ・シェバは王妃であり、ダビデの所に大胆に進み出て、おりに叶った助けをいつでも願い出る事が自由に出来る。
私達もキリストに救われ神の子とされた者として、またキリストの花嫁として、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づく事が出来るのだ。
『彼女は王に言った、「わが主よ、あなたは、あなたの神、主をさして、はしために誓い、『おまえの子ソロモンがわたしに次いで王となり、わたしの位に座するであろう』と言われました。そうであるのに、ごらんなさい、今アドニヤが王となりました。王わが主よ、あなたはそれをごぞんじないのです。彼は牛と肥えた家畜と羊をたくさんほふって、王の子たち、および祭司アビヤタルと、軍の長ヨアブを招きましたが、あなたのしもべソロモンは招きませんでした。」・・・バテシバがなお王と話しているうちに、預言者ナタンがはいってきた。』(1列王記1:17-21)
バテ・シェバは、預言者から受けた助言の通り、ダビデが過去にしてくれた誓いを盾に、王に願い出た。
すると、ナタンはあらかじめ言っていた通りにダビデ王の元に進み出て、彼女の言葉をフォローし、裏付けして助けてくれた。
私達も、聖霊の導きに従って行動をすれば、聖霊様はフォローし、裏付けして下さる。
しかし、導きに従って行動しないなら、そのバックアップは無い。
もし今、世の何者かが私達に与えられている大いなる特権を侵害し、キリストにある自由と栄光と富を侵犯して来る者がいるなら、私達は聖霊の導きに従って、主に訴え、祈り、主が示して下さる対処方法に従って、速やかに行動すべきである。
