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メッセージ - 礼拝メッセージ説教音声配信カテゴリのエントリ

礼拝説教メッセージ音声:苦もなく安息に入る人の特徴(ヨシュア記2:15-24):右クリックで保存

『そこでラハブは綱をもって彼らを窓からつりおろした。その家が町の城壁の上に建っていて、彼女はその城壁の上に住んでいたからである。』(ヨシュア記2:15)

ラハブは、城壁の中に建て込まれていた”マンション”の一室に住んでいたため、彼らを安全に送り出すために、その窓から吊り降ろした。
このようにして助けだされた二人は、約束どおり、ラハブとその家族の救いの方法を示した。
『ふたりの人は彼女に言った、「あなたがわれわれに誓わせたこの誓いについて、われわれは罪を犯しません。われわれがこの地に討ち入る時、わたしたちをつりおろした窓に、この赤い糸のひもを結びつけ、またあなたの父母、兄弟、およびあなたの父の家族をみなあなたの家に集めなさい。ひとりでも家の戸口から外へ出て、血を流されることがあれば、その責めはその人自身のこうべに帰すでしょう。われわれに罪はありません。しかしあなたの家の中にいる人に手をかけて血を流すことがあれば、その責めはわれわれのこうべに帰すでしょう。』(ヨシュア記2:17-19)

主から指示された救いの印を付けて、その中でじっとしている。そうするなら、さばきの日に守られる。
これは、聖書の色々な箇所において共通する、救いの方法である。(出エジプト記12:7、ヨシュア2:18-21、エゼキエル9章、黙示録7:3,9:4)

二人の斥候は、ラハブに、救われるために「赤い印」を家に付すよう指示したが、それは、主がイスラエルをエジプトから救い出された時を彷彿させる。
『主が行き巡ってエジプトびとを撃たれるとき、かもいと入口の二つの柱にある血を見て、主はその入口を過ぎ越し、滅ぼす者が、あなたがたの家にはいって、撃つのを許されないであろう。』(出エジプト記12:21-23)

かつてイスラエルは、エジプトがさばかれる日、血潮の赤いしるしを付与し、滅びを免れた。
その日、血潮の赤いしるし境に、いのちと死がはっきり分かれた。
ほふられた小羊の血のしるしの内では、ごちそうと安全と感謝があり、しるしの外側では、死と叫びと滅びがあったのだ。

この”赤いしるし”の内側に助けを求めて来る人が救われる事は、今の私達も全く同じである。
すなわち、世の罪を取り除くまことの小羊イエス・キリストの血によって、人の罪は洗い清められ、その血潮の内側に救いを求めて来る人は、誰でも、罪が赦され、罪の刑罰をまぬがれ、さばきの日には滅びは届かず、改まった世において永遠に生きる幸いが与えられるのだ。
『イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」』(ヨハネ11:25)
そして、ほふられた小羊キリストに贖われた人達は、救いを成就して下さった彼を、永久にほめたたえるのである。
『ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい。』(黙示録5:12)

『ラハブは言った、「あなたがたの仰せのとおりにいたしましょう」。こうして彼らを送り出したので、彼らは去った。そして彼女は赤いひもを窓に結んだ。』(ヨシュア記2:21)
「あなたの仰せのとおりに」。
これこそ、苦もなく救われる人が、よく口にする言葉である。
赤い印を結ぶのは、裁きの日の前日でも、滅びのラッパが吹き鳴らされる直前でも別に良かったのだが、彼女は、言われた時にすぐに実行した。

大いなる裁きの日、赤い印を結んだ状態で、かつ、その中にいる事。
それが、救いの条件であるが、御言葉に対し「でも」や「だって」が多い人は、信仰の歩みには苦労が多い。
そういう人は、御言葉を身勝手に解釈して、ややこしい事をしたり、人々に「あれせよ、これせよ」と言っておきながら、かんじんのその日、見事に赤いしるしを結び忘れていたり、あるいは、しるしの外に飛び出して、滅びてしまったりするのである。

私達も、自分自身に結びつけるべきものがある。
それは「御言葉」であり、信仰によって結びつけるものである。
『それだから、神の安息にはいるべき約束が、まだ存続しているにかかわらず、万一にも、はいりそこなう者が、あなたがたの中から出ることがないように、注意しようではないか。というのは、彼らと同じく、わたしたちにも福音が伝えられているのである。しかし、その聞いた御言は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、「信仰によって結びつけ」られなかったからである。ところが、わたしたち信じている者は、安息にはいることができる。』(ヘブル4:1-3)

信仰によって結びつける、それは、自我のうごめく自分自身の心をとりこにし、御言葉に服従させ、御言葉を交ぜ合わせ、その御言葉と一体化する事である。
聞いた御言葉に、信仰を交ぜないなら、聞いた御言葉は何の益にもならないし、決して安息に入れない。
「彼等は聞きし言葉に信仰を交ぜざりしかば、その聞ける言葉も彼等を益せざりき。」(永井訳 ヘブル4:2)

苦もなく安息へと入る人は、聞いた御言葉を、信仰によって、自身に結びつける人である。
聞いた御言葉に、信仰を混ぜ込んで、御言葉と一体化するなら、御言葉の守りが、きよめが、私達へと一体化され、そうして私達は、滅びを免れるのである。

礼拝説教メッセージ音声:求める人にはご自身を現して下さる主(ヨシュア記2:8-14):右クリックで保存

ヨシュア記の多くは、カナンでの戦闘と土地分与の記録に多くの文量を割いているが、この2章については、遊女ラハブと2人の斥候のやり取りに終始している。
この遊女ラハブが取った行動と、その行動の結果、彼女とその家族とが得た救いの有り様は、私達異邦人の救いの有り様とよく似ており、それは新約を生きる私達にとって重要だからであろう。

『ふたりの人がまだ寝ないうち、ラハブは屋上にのぼって彼らの所にきた。そして彼らに言った、「主がこの地をあなたがたに賜わったこと、わたしたちがあなたがたをひじょうに恐れていること、そしてこの地の民がみなあなたがたの前に震えおののいていることをわたしは知っています。あなたがたがエジプトから出てこられた時、主があなたがたの前で紅海の水を干されたこと、およびあなたがたが、ヨルダンの向こう側にいたアモリびとのふたりの王シホンとオグにされたこと、すなわちふたりを、全滅されたことを、わたしたちは聞いたからです。』(ヨシュア記2:8-10)

ラハブは、非常に重要な情報を、斥候に提供した。すなわち、この地の民は皆、イスラエルを恐れ、震えおののいているというのだ。
しかもそれは、彼らがエジプトから出てきた時から、すなわち、その40年も前からなのだ。
40年前、ヨシュアとカレブを除いた斥候10人は、臆病の霊にとりつかれ、この地について悪い情報をもたらした。
すなわち、カナンの地は堅固で強大で、自分達がいなごのように見えた、と言って、全イスラエルを迷わせ、荒野の放浪へと陥れたが、実のところ、あの時から既に、カナン人は、エジプトを徹底的に懲らしめた主と、主がついておられるイスラエルの民を恐れ、震えおののいていたのだ。
あの時からカナン人は震えおののいていたのだから、40年前、恐れずに進み行っておれば、やすやすと占領できたのに、不信仰のゆえに、荒野で無駄に40年の時間を費やし、また無駄に命を落としてしまったのだ。

『わたしたちはそれを聞くと、心は消え、あなたがたのゆえに人々は全く勇気を失ってしまいました。あなたがたの神、主は上の天にも、下の地にも、神でいらせられるからです。』(ヨシュア記2:11)

ラハブと、エリコの他の住人との決定的な違いは、主の圧倒的な力と権威を目の当たりにし、それに対してどのように応対したか、である。
エリコの住人は、主の為されたわざを聞いて、恐れおののいた。
しかし彼らは、城門を固く閉ざし、高くそびえ立った先祖由来の城壁を頼りにし、神とその民に対抗する事にして、探りに来た神の国の使者を探し出し、剣や槍をもって捕らえようとした。
一方ラハブは、その神の国の使者に、憐れみを乞うた。
『それで、どうか、わたしがあなたがたを親切に扱ったように、あなたがたも、わたしの父の家を親切に扱われることをいま主をさして誓い、確かなしるしをください。そしてわたしの父母、兄弟、姉妹およびすべて彼らに属するものを生きながらえさせ、わたしたちの命を救って、死を免れさせてください」。』(ヨシュア記2:12-13)

傍から見れば、敵地の真っ只中にいる二人の斥候こそ、ラハブに命乞いをするはずの立場なのに、逆に、彼女のほうが、命乞いをしている。
彼女のその態度は、真実をついている。
なぜなら、彼女が告白した通り、「神、主は上の天にも、下の地にも、神でいらせられるから」である。

言ってみれば、エリコの王は、全宇宙を支配している”社長”である主に敵対して、社長が何も言わないのをいい事に好き放題をして、全社に不利益ばかりをもたらしている不採算部門の課長のようなもので、それにひきかえ、この二人の斥候は、社長から遣わされた監査役のようなものだ。
ラハブは、その権威構造を正しく理解していたため、この二人をかくまい、助けを求めたのだ。

ラハブと、この二人の斥候とを、うまく引き合わせたのは、主である。
彼女は、この、神の民の噂を聞く度に、願っていたのではなかろうか。この城壁の壁に囲まれた町で、身売りをするような日々から救われ、出来る事なら、このうわさの神の民に入りたいと。
それで主は、彼女の心の叫びを聞かれ、彼女の家に二人の斥候を遣わされたのではないか。
なぜなら主は、御目をもってあまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に、御力をあらわしてくださるお方だからだ。(2歴代誌16:9)

主は、岩砂漠の中に立てられたエリコの城壁の壁に住んで、身売りをしながら生活していたラハブの声を聞かれたように、現代、コンクリート砂漠の壁の中で、身売り同然の過酷な労働をしつつ搾取されているような現代人達をさえも、御目をもって見渡し、救いを求めて神に立ち返ろうとしている人を見い出し、その人のところには、神の国からの使いを遣わして下さるのだ。
私達が救われた時の有り様も、そのようではなかっただろうか。なぜこのような私に、と。よくぞこんな私に目を留めて見出して下さったと、不思議だったのではなかろうか。

かつてのエリコの住人のように、不道徳に満ちたこの世界の終わりが近づいている、と、なんとなく認知して、その滅びから救われたい、と思っている人は多い。
しかし、救われるためには、ラハブのような決断が必要である。
私達を造られた、全能なる主を認め、救われたいと願い求めるなら、主はどこにでもおられるお方である。主は、必ずその人に答えて下さる。
そして、イエス・キリストを救い主として受け入れるなら、あなたも、あなたの家族も、救われるのである。(使徒16:30)

礼拝説教メッセージ音声:真の権威に従順だった遊女ラハブ(ヨシュア記2:1-7):右クリックで保存

『ヌンの子ヨシュアは、シッテムから、ひそかにふたりの斥候をつかわして彼らに言った、「行って、その地、特にエリコを探りなさい」。』(2:1a)
ヨシュアは、もしかしたら恐れがあったために斥候を遣わしたのかもしれない。しかし、この敵情視察は、最終的にヨシュアに励ましと勇気をもたらした。
主は、恐れるギデオンにも、羊の毛のしるしや、ギデオンに対して恐れを抱いている敵を見させる事よって、勇気づけたように(士師記6,7章)、御心を求める人には、GOサインを示して下さる。
そして、主がそれを示して下さったからには、その道は是が非でも行くべきなのだ。
なぜならそれは主の御旨であり、行く先には勝利しか無いからである。

『彼らは行って、名をラハブという遊女の家にはいり、そこに泊まったが、エリコの王に、「イスラエルの人々のうちの数名の者が今夜この地を探るために、はいってきました」と言う者があったので、エリコの王は人をやってラハブに言った、「あなたの所にきて、あなたの家にはいった人々をここへ出しなさい。彼らはこの国のすべてを探るためにきたのです。」』(ヨシュア記2:1b-3)

このラハブという女性は、イエスキリストの系図に名を連ね、王族の家系の産みの母の一人として名を連ね(マタイ1:5-6)、新約聖書では、信仰の人として度々出ている。
一体なぜ、聖絶の対象であるカナン人の、しかも遊女という、およそ救いからは程遠いような彼女が、そのような栄光を受けたのだろうか。
それは、以下の彼女の行動によってである。
『しかし、女はすでにそのふたりの人を入れて彼らを隠していた。そして彼女は言った、「確かにその人々はわたしの所にきました。しかし、わたしはその人々がどこからきたのか知りませんでしたが、たそがれ時、門の閉じるころに、その人々は出て行きました。どこへ行ったのかわたしは知りません。急いであとを追いなさい。追いつけるでしょう」。その実、彼女はすでに彼らを連れて屋根にのぼり、屋上に並べてあった亜麻の茎の中に彼らを隠していたのである。』(ヨシュア記2:4-6)

彼女のこの行動を、ヤコブは、行いをともなった信仰の行動として、褒めている。
信仰の人といえばアブラハムであるが、ヤコブは、アブラハムに続いて、ラハブのこの行いを取り上げた。
『「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」という聖書の言葉が成就し、そして、彼は「神の友」と唱えられたのである。これでわかるように、人が義とされるのは、行いによるのであって、信仰だけによるのではない。同じように、かの遊女ラハブでさえも、使者たちをもてなし、彼らを別な道から送り出した時、行いによって義とされたではないか。霊魂のないからだが死んだものであると同様に、行いのない信仰も死んだものなのである。』(ヤコブ2:23-26)

ある人は言う。彼女は嘘をついて自国の王を、裏切った、と。
しかし、彼女のこの行動は、そんな瑣末な善悪判断で計るレベルの問題ではない。
これは、救いと滅びの問題であり、神かサタンか、光か闇か、そのどちらに属すのか、という問題なのだ。

遊女である事を強いるような、搾取され続ける事を強いるような、また、聖なる事や命なる事をあざ笑い、阻害し、打ち壊すような、そのようなサタンに属する権威に対しては、断固として、敵対するべきである。
その場合、至高なる神を裏切った堕天使に「裏切り者」呼ばわりされる筋合いは無いし、偽りの父であるサタンに「嘘つき」呼ばわりされる筋合いは無いし、最も偉大な権威に不従順な者から「不従順」と言われる筋合いは、一切、無い。

『信仰によって、遊女ラハブは、探りにきた者たちをおだやかに迎えたので、不従順な者どもと一緒に滅びることはなかった。』(ヘブル11:31)
もしあなたが平社員なら、社長に不従順な課長と、社長と、どちらに従うべきだろう。その場合、最終的に勝つのは、もちろん、社長に従順な人である。
同じようにラハブは、全宇宙の”社長”である神を侮る”不従順な部署”であるエリコに敵対し、圧倒的高位である神の視察団を、エリコの王から守ったが故に、救いを得たのだ。

人は、この遊女ラハブのように、早かれ遅かれ究極の選択が迫られる時が来る。
不真実で不従順な世に対して、今までどおり”忠実に”属し続けるのか。
それとも、真実なる神への従順を選択するのか。

ピラトは、義なるお方・イエス様をかくまわず、かえって邪悪な者どもに引き渡した。
そのため彼は、キリスト教会が使徒信条を告白する度に、義なるお方を邪悪な者共に渡した”裏切り者”として、その名は朗読されている。
遊女ラハブは、義なる人達を、邪悪な者には引き渡さずに、かくまった結果、栄光の家系に名を連ねる栄誉を得た。
『サルモンはラハブによるボアズの父、ボアズはルツによるオベデの父、オベデはエッサイの父、エッサイはダビデ王の父であった。』(マタイ1:5-6)

『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。・・・まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』(マタイ25:40、45)
遊女ラハブのように、不従順な世から脱却し、神に属する兄弟姉妹を大切にし、栄光の家系へと入る皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

ノア - 滅びの日が来る前に為すべき事(創世記7章)
第一礼拝・礼拝全体音声:右クリックで保存
第二礼拝・礼拝全体音声(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

ノアとその家族以外の人類は、全て、暴虐と不品行に染まってしまった時代においても、ノアは、子供達や嫁達にしっかりと信仰を継承し、本当に起こるとも分からない大洪水に備えるために、百年をかけて、全長およそ135mの巨大な船を、主から示された通りの寸法で造り続けた。
その間、彼らは義を宣べ伝え続けたが、結局、誰も改心しなかったようである。(2ペテロ2:5)
そうして、ついに箱舟は完成し、主が定められた時が近づいた。

『主はノアに言われた、「あなたと家族とはみな箱舟にはいりなさい。あなたがこの時代の人々の中で、わたしの前に正しい人であるとわたしは認めたからである。』(創世記7:1)
主に命じられた通りの仕様で箱舟が完成した時、ノアの信仰は実体となり、主から「わたしの前に正しい人」と認められた。信仰は行いによって実体化される。行いの無い信仰は死んだものである。(ヤコブ2:17)
このようにノアは、行いを伴った信仰によって、多くのいのちを救う箱舟を造る働きをしたが、彼が主に命じられて救ったのは、きよい動物だけでなかった。「あなたはすべての清い獣の中から雄と雌とを七つずつ取り、清くない獣の中から雄と雌とを二つずつ取り、また空の鳥の中から雄と雌とを七つずつ取って、その種類が全地のおもてに生き残るようにしなさい。」(創世記7:2-3)
主は、清い動物だけでなく、清くない動物をも、滅びから救われる。この事は、救いは、きよい民だけでなく、きよくない民である異邦人にも開かれている事を意味し、主の働き人の宣教を通して救いは広められる。
ペテロは幻の内に、四隅を吊るされた敷布が天から降りてきて、そこに、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っているのを見せられ、主に屠って食べるよう言われた。彼は「できません」と断ったが、主は「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」と言われた。(使徒10:9-16)
救われたのは、きよいかきよくないかは関係なく、ただその時、救いの箱舟に入っているかどうかであった。
同じように今、救われるのは、良い人か悪い人かは一切関係なく、ただイエスを信ているかどうかなのだ。

「雄と雌とが、二つずつノアのもとにきて、神がノアに命じられたように箱舟にはいった。」(9節)
この動物たちが主の促しによって救いを得たように、私達も、主の促しが聞き分けられるように、いつも耳を研ぎ澄ませ、主の御声を聞けるようにしているべきである。
もし世の思い煩いや富の誘惑によって、霊的感性が鈍っていたら、主の御声を聞き分けられず、ノアの家族以外は箱舟をばからしく思ったように、救いの箱舟に入るべき時に「入らない」のだ。
「そこで主は彼のうしろの戸を閉ざされた。」(16節) その日その時、救いの扉を閉ざすのは人ではなく神であり、ひと度、救いの門が閉じられたら、内にいる者には救いが、外にいる者には滅びが確定してしまう。
今は救いの時だが、それにはリミットがあり、それがいつなのかは、ただ主だけがご存知である。
「その日に大いなる淵の源は、ことごとく破れ、天の窓が開けて、雨は四十日四十夜、地に降り注いだ。」(創世記7:11-12) 悔い改める事をせずにいた人々に、ついに、裁きの時が来てしまった。
天の水門が一気に開かれ、地の底の深淵の源が張り裂け、そこから溢れる水は大波のように、濁流のように全てを洗い流し、わずか40日ほどで、何千メートル級の山々さえ水没し、その上15キュビトも覆うほど、地球全体は水で覆われた。人々はそれまで、めとったり嫁いだり、売ったり買ったりしながら築きあげて来た家も土地も財産も、ことごとく、一瞬にして流し去ってしまった。
それまで、天の上の水も地の下の水の源も、元々は全て生けるものを潤す恵みとして与えられていたが、この日、それらは全てのいのちに反旗を翻し、死のために押し迫った。

やがて来るべき終わりの日にも、同じことが起きる。私達は今、恵みが恵みとして注がれている今の内に悔い改め、救いの箱舟であるイエスキリストへと立ち返るべきである。
そして、ノアが忍耐しながら箱舟を建て上げつつ、義を宣べ伝えたように、私達も、忍耐しつつキリストの体を建て上げる働きをしつつ、福音を宣べ伝えるべきである。
ノアのように、キリストの体を建て上げつつ、多くのいのちを救いへと導く皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
伴侶以外に開いてはならぬもの(雅歌4:12-15):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
花婿が一緒にいるなら(マタイ9:14-15):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
二人は一人にまさる(伝道者の書4:7-16):右クリックで保存

【概要】

伝道者の書4章7-16節を基に、一人でいることの虚しさと、互いに助け合うことの大切さを説く説教。

【聖書箇所】

伝道者の書4:7-16、創世記2:18、第1サムエル記25章

【励ましの言葉】

二人は一人よりも勝っています。互いに助け合い、支え合うことで、より強くなれます。

【戒めの言葉】

人の忠告を聞かず、頑固になることは愚かです。謙虚な心を持ち、他者の言葉に耳を傾けましょう。

【勧めの言葉】

キリストの体である教会の一部として、有機的につながり合いましょう。

【***詳細***】

今日、私たちが恵みをいただく御言葉は、伝道者の書4章7節から16節までです。

ソロモンは晩年、非常に虚しい日々を送りました。彼は好き放題のことをし、主の教えを捨て、預言者の忠告も聞き入れませんでした。その結果、彼の後の世代でイスラエルは分断され、ダビデの家はユダ族とベニヤミン族の二部族しか従わなくなってしまいました。

ソロモンは冒頭で、**「一人ぼっちで仲間もなく、子も兄弟もない人がいる」**と述べています。確かに、物理的に一人きりの人もいれば、家族や仕事があっても孤独を感じる人もいます。しかし、一人ぼっちになる理由は、多くの場合その人自身に問題があると言えるでしょう。

13節で**「貧しくても知恵のある若者は、もう忠言を受け付けない年取った愚かな王に勝る」**と言われています。人の言うことを聞かなくなった頑固な人は、救いようがありません。そのような人は、周りの人々から見放されていきます。

神様は創世記2章18節で、**「人が一人でいるのは良くない。私は彼のために、彼にふさわしい助け手を作ろう」**と仰せられました。神様は人が一人でいることを良しとされなかったのです。確かに、一人でいる方が気楽で自由かもしれません。しかし、年を重ねるごとに虚しさと寂しさが増していくでしょう。

私たちは、キリストの体である教会の一部分として、有機的につながり合うべきです。夫婦であれば、さらにイエス様を加えた三者で家庭を築き上げるべきです。聖書は**「三つより合わせた糸は簡単には切れない」**と言っています。

第1サムエル記25章に登場するナバルという人物は、人の言うことを聞かない愚かな人でした。彼はダビデから受けた恩を忘れ、助けを求めに来たダビデを追い返しました。このような態度は人々から嫌われます。一方、ナバルの妻アビガイルは聡明で美しく、知恵のある女性でした。彼女の機転のおかげで、ナバルの家は救われました。しかし、ナバルは結局、主に討たれて死んでしまいました。

私たちは互いに助け合うものとして造られました。兄弟姉妹が何か諭し、注意してくれたら、謙虚な心でそれを受け入れるべきです。頑なな心を続けていくと、ナバルやサウル王のように悲惨な最後を迎えてしまいます。

イエス様は私たちのために取り成してくださいます。ペテロが三度イエス様を知らないと言った時も、イエス様はあらかじめ彼のために祈っておられました。

私たちは一人になることなく、2人また3人の交わりの中にしっかりといるべきです。御言葉に耳を傾け、兄弟姉妹の忠告に従い、決して切れることのない強い絆を持った教会として、キリストを土台として建て上げられていくべきです。

【結論】

一人でいることの虚しさを認識し、互いに助け合い、支え合う関係を築きましょう。謙虚な心で他者の言葉に耳を傾け、キリストの体である教会の一員として、共に成長していきましょう。

礼拝説教メッセージ音声:指導者ヨシュアの最初の指示(ヨシュア記1:10-18):右クリックで保存

主はヨシュアに再三、強く、雄々しくあるようにと励ましたが、彼はそれを受けて、早速、指導者として”初の”アクションを起こした。
『そこで、ヨシュアは民のつかさたちに命じて言った。「宿営の中を巡って、民に命じて、『糧食の準備をしなさい。三日のうちに、あなたがたはこのヨルダン川を渡って、あなたがたの神、主があなたがたに与えて所有させようとしておられる地を占領するために、進んで行こうとしているのだから。』と言いなさい。」』(ヨシュア記1:10-11)

主は、アブラハムの時以来、何百年もの前から、このカナン人の地を与える事を約束しておられたが、もう、その地はすぐそこに迫っている。
そして、もうあと数日もすれば、そこに突入する所に来ている。
ヨシュアは民のつかさたちに、食料を整え、いつでも出立できるよう、必要な備えをしておくよう命じたが、その地に突入する際には、真っ先に進み行かなくてはならない人々がいた。

『ヨシュアは、ルベン人、ガド人、およびマナセの半部族に、こう言った。「主のしもべモーセがあなたがたに命じて、『あなたがたの神、主は、あなたがたに安住の地を与え、あなたがたにこの地を与える。』と言ったことばを思い出しなさい。
あなたがたの妻子と家畜とは、モーセがあなたがたに与えたヨルダン川のこちら側の地に、とどまらなければならない。しかし、あなたがたのうちの勇士は、みな編隊を組んで、あなたがたの同族よりも先に渡って、彼らを助けなければならない。主が、あなたがたと同様、あなたがたの同族にも安住の地を与え、彼らもまた、あなたがたの神、主が与えようとしておられる地を所有するようになったなら、あなたがたは、主のしもべモーセがあなたがたに与えたヨルダン川のこちら側、日の上る方にある、あなたがたの所有地に帰って、それを所有することができる。」』(ヨシュア記1:12-15)

かつてルベン人、ガド人、およびマナセの半部族は、ヨルダン川の東側で既に勝ち得ている領土を、先んじて与えてください、という事を、モーセに願っていた。
彼らの当初の願いは、「もし、あなたの恵みを得られますなら、どうぞこの地をしもべらの領地にして、われわれにヨルダンを渡らせないでください。」(民数記32:4)という、自己中心的なものだったが、それをモーセに咎められたため、その要望を変えた。
すなわち、自分達は相続地を先にいただく代わりに、他の部族が戦いに出る時は、一緒になって、それも、先頭に立って戦い、全部族が相続地を受ける時までは帰らない、と。(民数記32:16-19)

今、ヨシュアは、彼らがかつてモーセにしたその約束を、果たすように命じたのだ。
この時も、ヨシュアは、もしかしたら恐れがあったかもしれない。
果たしてこの民は、自分のこの初の命令を、聞くだろうか、と。

果たして彼らは、ヨシュアに答えた。
『彼らはヨシュアに答えて言った。「あなたが私たちに命じたことは、何でも行ないます。また、あなたが遣わす所、どこへでもまいります。私たちは、モーセに聞き従ったように、あなたに聞き従います。ただ、あなたの神、主が、モーセとともにおられたように、あなたとともにおられますように。あなたの命令に逆らい、あなたが私たちに命じるどんなことばにも聞き従わない者があれば、その者は殺されなければなりません。ただ強く、雄々しくあってください。」』(ヨシュア記1:16-18)

ヨシュアには、期待以上の答えだったろう。
彼らは、自分達はモーセに聞き従ったように、ヨシュアの命令にも、何でも聞き従う、と。
もし命令に逆らう者があれば、その者は殺されなければならない、と。
しかも、「主が共におられますように」という祝福をしてくれたばかりでなく、主が再三、励まして下さったのと全く同じ言葉、「強く、雄々しくあるように」という言葉まで、返って来たのだ。
これでヨシュアは、指導者としての自信を得、自分に与えられた主のミッションを心置きなく遂行できる、と、安心しただろう。

ヨシュアには元々、恐れなど無かったのかもしれないが、そうだとしても、あるいはその逆で大いに恐れていたとしても、主は、その働き人には、必ず必要な励ましと、勇気の源となるしるしと、部下を統率する権威とを、与えてくださるのだ。

礼拝説教メッセージ音声:強く、雄々しくある根拠(ヨシュア記1:7-9):右クリックで保存

『ただ強く、また雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法をことごとく守って行い、これを離れて右にも左にも曲ってはならない。それはすべてあなたが行くところで、勝利を得るためである。』(ヨシュア記1:7)
「強くあれ、雄々しくあれ」という励ましは、キリスト教会ではよく語られるが、実際にその言葉の通りに、強く雄々しく快進撃して行けるかどうかは、本人次第である。

ソロモンも、ヨシュアと全く同じ祝福を受けた。
「あなたは強く、男らしくなければならない。あなたの神、主のさとしを守り、その道に歩み、その定めと戒めと、おきてとあかしとを、モーセの律法にしるされているとおりに守らなければならない。そうすれば、あなたがするすべての事と、あなたの向かうすべての所で、あなたは栄えるであろう。また主がさきにわたしについて語って『もしおまえの子たちが、その道を慎み、心をつくし、精神をつくして真実をもって、わたしの前に歩むならば、おまえに次いでイスラエルの位にのぼる人が、欠けることはなかろう』と言われた言葉を確実にされるであろう。」(1列王記2:2-4)
ソロモンは最初は御旨に適った歩みをしていたため、確かに、どの王にも勝る栄華を極めた。
しかし、後にはおごり高ぶり、御言葉に背き、主から離れたため、人生の終わりの時には、全てが虚しく、うつろなものとなってしまった事は、伝道者の書に記されているとおりである。
御言葉への従順なしの「強くあれ、雄々しくあれ」は、ただのむなしい空文である。
強さ、雄々しさの根拠たるお方、主を、しっかり敬い、主の御言葉をことごとく守り行い、それを離れて右にも左にも逸れずに歩まない事には。

『この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。』(ヨシュア記1:8)

律法の書、それは現代で言うところの聖書の御言葉だが、御言葉は何も、礼拝中や教会の中だけで取り交わされる「非現実」の言葉ではない。
職場、家庭、学校など「現実」の生活の場において、信仰をもって語りだす時、それは「現実」の力となり、問題の解決となり、祝福の根拠となる。
御言葉を日々の生活においても口ずさみ、その内容に心を留めてそれを守り行う人は、流れのそばに植えられた木のように、どんなに日照りのような時でも、しっかり実を結び、その葉は枯れず、何をしても栄える事が出来るのだ。(詩篇1:2-3)

『わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない。』(ヨシュア記1:9)
主が「強く、また雄々しくあれ」とヨシュアに仰せられたのは、これで三度目である。
ヨシュアには、最初から強く雄々しい、というイメージがあるが、もしかしたら彼にも恐れがあったのかもしれない。

ヨシュアは、偉大な指導者・モーセの従者として、長年彼の傍で仕えて来たため、モーセの偉大さも、民の頑なさも、十分に知っている。
その偉大な指導者・モーセがいなくなり、これからは、自分が直接、神様から示しを頂きながら、この60万以上の民を、導いて行かなくてはならない。
どれ程のプレッシャーを、彼は感じただろうか。
先代があまりに偉大であるなら、二代目は、すぐに潰れてしまうというパターンは多いが、ヨシュアは見事、モーセが成し得なかった事を為し、イスラエルを約束の地へと導き入れた。

絶対に失敗しないコツ、それは実にシンプルである。
それは、申命記で幾度も聞かされてきた通り、主の御声に聞き従い、御言葉を守り行う事だ。
そして、決して変わる事の無い主の愛の中に、とどまり続けるなら、世の何者も恐れる必要は無くなる。
『だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。「わたしたちはあなたのために終日、/死に定められており、/ほふられる羊のように見られている」/と書いてあるとおりである。しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。
わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。』(ローマ8:35-39)

御言葉から右にも左にも逸れる事なく、祝福の王道の真ん中を歩んで行く皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:「何者も立ちはだかる者なし」という特別パス(ヨシュア記1:5-6):右クリックで保存

『あなたが生きながらえる日の間、あなたに当ることのできる者は、ひとりもないであろう。わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう。わたしはあなたを見放すことも、見捨てることもしない。強く、また雄々しくあれ。あなたはこの民に、わたしが彼らに与えると、その先祖たちに誓った地を獲させなければならない。』(ヨシュア記1:5-6)

一生涯の間、誰一人、立ち向かう者はいない・・・とても魅力的な言葉である。
人は、ドラマや映画のヒーローのように、向かう所、敵なし、という姿に憧れがちだが、主がその特権をヨシュアに与えられたのは、彼らに勝利のいい気分を味わわせるためではなく、彼が為さなくてはならない責務のため、すなわち、イスラエルを約束の地へと導き入れるという、主のご計画を成就するために、彼を「向かう所、敵なし」状態にする必要があったからである。
私達は何かと、ヒーローになりたがるが、もし、主がその人をヒーローのようにするとするならば、主の栄光のため、天の御国の拡大のための責務がある事を、忘れてはならない。

神の国の働き人が為すべき責務とは、以下のイエス様の命令である。
「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのであるとの名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。」(マタイ28:18-20)

私達・キリスト者の責務は、行って、あらゆる国の人々を弟子とし、父と子と聖霊との名によってバプテスマを授け、主の命令を守り行うように命じる事である。
一国の大使には、様々な特権が与えられているように、主の奉仕者、神の国の働き人には、向かう所敵なしという”特別パス”や、万軍の主がいつも共にいるという”セキュリティ”も与えられているため、世の何者に対しても、強く雄々しく、大胆に、主から与えられた責務を行使する事が出来るのだ。

パウロも、コリントの宣教地で、反対者が現れた時、主が現れて言われた。
「恐れるな。語りつづけよ、黙っているな。あなたには、わたしがついている。だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない。この町には、わたしの民が大ぜいいる。」(使徒18:9-10)
パウロはその主の命と承認を得たため、一年六か月の間、コリントに腰をすえて伝道し、多くの人々を救った。

主は、御言葉を伝える神の国の奉仕者を、プライドをかけて、守られる。
なぜなら御言葉は、主イエスキリストご自身であり、世の何者にも勝る、計り知れない宝だからだ。

『わたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。
わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。わたしたち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されているのである。それはイエスのいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためである。こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのである。』(2コリント4:7-12)

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