メッセージ - 礼拝メッセージ説教音声配信カテゴリのエントリ
礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
まことのパン(ヨハネ6:25-35):右クリックで保存
礼拝説教メッセージ音声:実際に祝福される者とは(創世記48:8-22):右クリックで保存
『ところで、イスラエルはヨセフの子らを見て言った、「これはだれですか」。ヨセフは父に言った、「神がここでわたしにくださった子どもです」。父は言った、「彼らをわたしの所に連れてきて、わたしに祝福させてください」。』(創世記48:8)
ヨセフとしては、長男マナセに、より大きな祝福を与えたいがため、マナセを父の右手側に連れて来たのだが、父は意外な行動を取った。
『すると、イスラエルは右の手を伸べて弟エフライムの頭に置き、左の手をマナセの頭に置いた。マナセは長子であるが、ことさらそのように手を置いたのである。』(創世記48:14)
なんと父は、わざわざ手を交差させて、長男マナセを左手で祝福し、次男エフライムを右手で祝福した。
右手は力や権力をあらわすため、普通なら長男を右手で祝福するものだが、イスラエルは意図的にそのようにしたのだ。
『そしてヨセフは父に言った、「父よ、そうではありません。こちらが長子です。その頭に右の手を置いてください」。父は拒んで言った、「わかっている。子よ、わたしにはわかっている。彼もまた一つの民となり、また大いなる者となるであろう。しかし弟は彼よりも大いなる者となり、その子孫は多くの国民となるであろう」。』(創世記48:18)
イスラエルの父・イサクも、老齢で目がかすんだ時、彼が愛した子エサウを祝福しようとしたが、彼が祝福を受けて欲しいと願った子の祝福は、弟ヤコブによって奪われてしまった。
ヤコブもまた老齢となり、目がかすみ、死を前にして子を祝福したが、彼が望んだ通りに、エフライムがその後祝福されていったかというと、そうでもなかった。
民数記には、1章と26章にて2回の人口調査が行われたことが記されているが、第一回目の人口調査では、マナセ部族は32200人、エフライム部族は40500人で、ヤコブの祝福どおり、エフライムのほうが多かった。
しかし、2回目の人口調査(26章)では逆転し、マナセ部族は52700人、エフライム部族は32500人。
エフライム部族の数は、12部族中、ワースト2位になってしまう程、荒野で減ってしまった。
エレミヤ書を見ると、エフライムは早い時代に主に背き、懲らしめを受け、恥じて後悔い改め、その後、主の憐れみを受けたようだ。
『わたしは、エフライムが嘆いているのを確かに聞いた。『あなたが私を懲らしめられたので、くびきに慣れない子牛のように、私は懲らしめを受けました。私を帰らせてください。そうすれば、帰ります。主よ。あなたは私の神だからです。私は、そむいたあとで、悔い、悟って後、ももを打ちました。私は恥を見、はずかしめを受けました。私の若いころのそしりを負っているからです。』と。
エフライムは、わたしの大事な子なのだろうか。それとも、喜びの子なのだろうか。わたしは彼のことを語るたびに、いつも必ず彼のことを思い出す。それゆえ、わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない。――主の御告げ。――』(エレミヤ31:18)
必ずしも、父が願った人が、祝福されるとは限らない。
また、聖書では、長男が衰え、末っ子が栄える、というパターンが多いが、だからといって、長男は宿命的に祝福を受けられない、とは限らないし、末っ子なら自動的に祝福されるわけでもない。
元々、イスラエルの長男はルベンだが、彼は奔放過ぎた行動の故にその権は剥奪され、父はヨセフに長子の権を与えたが、実際は、兄弟達の長となり王達が生まれたのは、ユダ族だった。
『イスラエルの長子ルベンの子らは次のとおりである。――ルベンは長子であったが父の床を汚したので、長子の権はイスラエルの子ヨセフの子らに与えられた。それで長子の権による系図にしるされていない。またユダは兄弟たちにまさる者となり、その中から君たる者がでたが長子の権はヨセフのものとなったのである。――』(1歴代5:1-2)
結局のところ、その人が実際に祝福されるかどうかは、祝福を受けた後、どのような信仰で歩み、どのような行いを積み重ねて行くかにかかっているのだ。
エジプトではなくカナン、世ではなく天(創世記47:27-48:7)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 創世記
- 執筆 :
- pastor 2012-10-11 22:58
礼拝説教メッセージ音声:エジプトではなくカナン、世ではなく天(創世記47:27-48:7):右クリックで保存
『さてイスラエルはエジプトの国でゴセンの地に住み、そこで財産を得、子を生み、大いにふえた。』(創世記47:27)
イスラエル全家は、ゴシェンの地にてヨセフに養われ、この一族はそこで大いに栄え、増えて行った。
イスラエルの息子・娘達が生んだ孫やひ孫も数を増していき、愛する息子ヨセフもここエジプトで盤石の地位にいる。
もはや十分に生き、この世界で思い残す事は無い、とも思えるようなイスラエルであるが、彼の心には焦燥させられるものがあり、ヨセフを呼び寄せて、ある事を誓わせた。
『もしわたしがあなたの前に恵みを得るなら、どうか手をわたしのももの下に入れて誓い、親切と誠実とをもってわたしを取り扱ってください。どうかわたしをエジプトには葬らないでください。』(創世記47:29)
手を腿の間に入れての誓いは、最も厳粛な誓いで、かつてアブラハムも、イサクの嫁探しの時、しもべに誓わせた。(創世記24:2)
この厳粛な誓いをさせた、イスラエルにとっての最重要事項とは、彼をエジプトには葬らせない事。
彼が眠りについたなら、先祖達の墓に葬ってもうらう事である。
イスラエルはエジプトで増え、ヨセフもエジプトで地位を得たのに、彼らの思いは、富と権力の頂点を取ったエジプトには、無かった。
彼らにはエジプトの栄華は一切眼中に無く、思いはいつも神に向けられ、心の置所はいつも、神が示された地・カナンにあった。
イスラエルは死期が近いと悟った時、彼の信仰の原点であり、神が初めて彼と出会ったルズ(ベテル)で語られた事を、ヨセフに話した。
『わたしはおまえに多くの子を得させ、おまえをふやし、おまえを多くの国民としよう。また、この地をおまえの後の子孫に与えて永久の所有とさせる。』(創世記48:4)
あの時神が言われた通り、今やイスラエルはまさにここエジプトで、数多く増えようとしている。
しかし、神があの時言われた「この地」とはエジプトではない。カナンである。
『エジプトにいるあなたの所にわたしが来る前に、エジプトの国で生れたあなたのふたりの子はいまわたしの子とします。すなわちエフライムとマナセとはルベンとシメオンと同じようにわたしの子とします。』(5節)
エフライムとマナセをイスラエルの直接の子とするという事は、彼らを「イスラエル12部族」として、カナンに相続地を得る権利を与える事を意味する。
イスラエルは、エジプトで満ち足りて大往生しようとしているのに、ヨセフとの会話では、エジプトの栄光は全くもって話題になっておらず、あたかも、これからカナンで歴史の続きが始まるような話しぶりである。
彼の思いはエジプトには一切無く、地上の富や栄光にも無く、ただカナンに、神が示された約束の地にあった。
私達も、思いは地上に向けるのではなく、天に向けるべきである。
『自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。』(マタイ6:19)
『こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。』(コロサイ3:1-3)
昨日は2箇所からお米や食料が大量に届き、教会は今日も兄弟姉妹達との愛さんで賑わいました。
届けて下さった聖徒の方々、ありがとうございました。
主がその食料庫を豊かにして下さり、ますます感謝と喜びに溢れますように!
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城壁を立て直せ(ネヘミヤ1章):右クリックで保存
ネヘミヤ記1章からのメッセージ
【概要】
ネヘミヤ記1章を通して、崩された城壁の再建について学びます。城壁は私たちの内側と外側を区別し、大切な時間、エネルギー、尊厳を守るために必要なものです。ネヘミヤのように祈り、悔い改め、御言葉に従順することで、神の慰めによって城壁は再建されます。
【聖書箇所】
ネヘミヤ1:1-11
【慰めの言葉】
ネヘミヤという名前は「神の慰め」という意味です。皆さんの城壁を建て直すのは神の慰めによるものです。神様が皆さんを慰めてくださるからこそ、崩された城壁を建て直してくださいます。
【励ましの言葉】
主と共に歩んでいくのであれば、皆さんの城壁はしっかりと再建されて、もはや敵の好き放題、攻め入られ放題にはなることはありません。
【悔い改めの促しの言葉】
城壁が崩されたのは罪の結果です。城壁を建て直したいのであれば、罪を告白して、それに対して悔い改めるべきです。主に立ち返って、主の命令を守り行うということを徹底しないのであれば、城壁はまたしても崩されてしまいます。
【勧めの言葉】
御言葉をこれからしっかりと従順しますと告白して、実際にこれから生活の中で御言葉に従順していないところに気づいたのであれば、そこを徹底して改めて、城壁を築き直していくことが必要です。
【***詳細***】
今日の箇所は、ネヘミヤ記の1章です。ネヘミヤ記はですね、聖書の3分の1ぐらいめくったところにあります。私がネヘミヤ記からメッセージするのは初めてだと思います。
ちょっとですね、開く前に、このネヘミヤ記はどういう書かというのをご説明したいんですが、まずネヘミヤというのは、イスラエルがバビロン捕囚に連れて行かれて、イスラエルが崩壊した70年後、イスラエルにクロス王の命令によって、捕囚の地からイスラエルにどんどんどんどん帰ってきている、その時代の人で、で、まだイスラエルがですね、城壁も崩されたまま、神殿も崩れたまま、また捕囚の地からやっと帰ってきて、その人たちの有様はまだまだ悲惨な状態だった。
そういう時代に、このイスラエル、エルサレムの城壁を築き直した人です。そのネヘミヤ記は10章くらいあるんですけれども、ずっとその中で、このエルサレムの城壁をいかにして築き直したかということが書かれてあるんですけれども、じゃあ一体なんで、その城壁がそんなに大事なのかというところですけれども、皆さん、城壁は大事です。
皆さん自身の囲いの内側と外側、外側の区別は皆さんちゃんとできているでしょうか。このエルサレムの城壁は、城壁がまだ崩されていたので、囲いの内と外の区別がない。だから敵は入り放題だったのです。悪いものは入り放題でした。例えば、みずほさんのお部屋ありますね。3-Aの部屋ですね。皆さんにも部屋があるかと思います。
ある時、皆さんがその部屋のところに、窓がちょっとだけ開いていて、その窓の隙間からコンセントの線が伸びていた。みずほさんのお家の壁のコンセントにそのコンセントが刺さっていて、窓の外をたどってみたら、上の階の住人のところにそのコンセントがビーッと伸びていて、みずほさん家の電気が盗まれていた。そういった場合、どうしますか?怒りますよね。電気が泥棒されていたんですね。
電気料金をこっち持ちで使われるのも困る。そうですね。これが城壁が侵害されている場合のことです。皆さん自身の中にですね、いろいろな大切な資源があります。今の話は電気だったんですけども、皆さん自身の、例えば、時間だとか、エネルギーだとか、そういったものは侵害されてないでしょうか。敵はですね、皆さんのその諸々の大切な、皆さんの大切な城壁の内側にて守られるべきものを侵略してこようとするんですね。
例えば、皆さんが寝るべき時間、夜中の2時とかに、突然なんか電話とかで、ねちねちねちねち電話してきて、夜中の2時とか3時とか寝るべき時間に電話してくる、それは時間が侵略されて、そういったケースです。子供たちを育てるときに、子供たちがお母さんのことをデブとか、お母さんのことをノロマーとか言う場合、これは親の尊厳が侵略されているケースですね。
非常に心当たりがある方がいるみたいですかね。そうです。とにかく城壁をしっかりと築いてですね、皆さんの大切な資源、守るべき尊厳を守らなきゃいけないですし、また時間も守らなきゃいけない、エネルギーも守らなきゃいけないんですね。だから城壁を築くということが大事なんです。城壁の概念がないともうやられっぱなしです。
だから2階からコンセントが伸びてくる、言われてきて、部屋の中に電気が刺さっていても、それを、あ、コンセントが刺さって電気が盗まれている。あ、でもちょっと厳しいことを言うのは、ちょっとはばかれるなとか、右の頬を叩かれたら左の頬を差し出しなさいと言われているから、これは盗まれっぱなしのままがいいのかなとか、だめです。皆さん自身には、聖なるもの、守るべき聖なるものがあるんです。
ネヘミヤは、その守るべき聖なるものを、城壁、それが守る壁なんですが、それが崩されていることを大いに悲しみました。
じゃあちょっとネヘミヤの1章を読んでみましょうか。
「ハカルヤの子ネヘミヤの言葉。第20年のキスレウの月に、私がシュシャンの城にいたとき、私の親類の一人、ハナニがユダから来た数人の者と一緒にやってきた。そこで私は、捕囚から残って逃れたユダヤ人と、エルサレムのことについて彼らに尋ねた。すると彼らは私に答えた。あの州の捕囚から逃れて生き残った残りの者たちは非常な困難の中にあり、また、そしりを受けています。その上、エルサレムの城壁は崩され、その門は火で焼き払われたままです。私はこの言葉を聞いたとき、座って泣き、数日の間、喪に服し、断食して天の神の御前に祈っていった。ああ、天の神、主、大いなる恐るべき神、主を愛し、主の命令を守る者に対しては、契約を守り、慈しみを賜る方。どうぞあなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。私は今、あなたのしもべイスラエル人のために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯したイスラエル人の罪を告白しています。誠に私も、私の父の家も、罪を犯しました。私たちは、あなたに対して非常に悪いことをして、あなたのしもべモーセにお命じになった命令も、おきても、定めも守りませんでした。しかしどうか、あなたのしもべモーセにお命じになった言葉を思い起こしてください。『あなた方が不信の罪を犯すなら、私はあなた方を諸国民の間に散らす。あなた方が私に立ち帰り、私の命令を守り行うなら、たといあなた方のうちの散らされた者が天の果てにいても、私はそこから彼らを集め、私の名を住まわせるために、私が選んだ場所に、彼らを連れて来る』と。これらの者たちは、あなたの偉大な力とその力強い御手をもって、あなたが贖われたあなたのしもべ、あなたの民です。ああ、主よ、どうぞこのしもべの祈りと、あなたの名を喜んで敬う、あなたのしもべたちの祈りとに耳を傾けてください。どうぞ今日、このしもべに幸いを見せ、この人の前に憐れみを受けさせてくださいますように。」その時、私は王の献酌官であった。
彼はこの時、王の献酌官をしておりました。イスラエルのことは、しかし彼の頭の内にはいつもあり、そしてそのエルサレムがどのようになっているか、その状況を聞きたいと思っていたのですが、たまたまその時、イスラエルに行って、そしてこのネヘミヤのところ、その人に聞きました。
あの、エルサレムはどういう状況になっていますかと。すると、3節ですね。非常な困難の中にあって、そしりを受けている。エルサレムの城壁は崩されたままで、門は火で焼き払われたままですと。この言葉を聞いて彼は座って泣いて、喪に服して断食して祈るんです。城壁が崩れているということは、そこまで悲しむべきことなんです。
皆さん自身の城壁はあるでしょうか。崩されたままになっていないでしょうか。敵が来て、やられっぱなしになっていないでしょうか。敵が皆さんの大事な領地の中に手を突っ込んできて、土足で踏みにじって、そして入ってきて、皆さんはどうでしょうか。皆さんの大切な聖なる、本来聖なる神様に捧げるべき時間やエネルギーなどなど侵略されていないでしょうか。
例えば、もし皆さん自身のエネルギーや時間、あるいは皆さんの思い、心が礼拝するべき時間に、それが、例えば、礼拝すべき時間に疲れて、もうこっくりこっくり眠ってしまうとか、あるいは礼拝すべき時間に、皆さんの頭で、あいつちょっと憎たらしいんだけどどうしようかとか、あるいは礼拝の中で、なんか別のこと、仕事のこととか、思い煩いにふけったりしないでしょうか。その時は、この城壁を皆さん自身が意識するべきです。
しっかり、例えば、時間の概念がない人に対しては、夜中の2時とかに電話がかかってきたら、今は寝るときなので、すみませんって言ってガチャって切る勇気を持つべきです。それが3度4度続けば、もうこの人にはこの時間電話かけても無駄だなっていう、もうその人にはわかりますし、また例えば子供に対しても、そういうことを言うとお母さん、とても気分が悪くなるとか、子供に相手に自分がそういうことをされたら不快であることを明確に伝えるべきです。
相手がどういうふうに、例えば相手が心がしおれるんじゃないかと思って、それをとどめていたりしてはならないんです。もし皆さん自身の城壁が崩れているとしたなら、このネヘミヤのようにまず悲しんで、そして祈るという概念をまず持ってください。城壁を持つという概念。それが大事なんですよ。ネヘミヤその人でした。
ちなみにネヘミヤという名前の意味なんですが、このネヘミヤ記のネヘミヤ、神の慰めという意味です。神の慰め。それでネヘミヤ記の1章から十何章かまではずっとその城壁の再建について書かれてあるんですが、皆さんの城壁を建て直すのは神の慰めによるものです。神様が皆さんを慰めてくださるからこそ、皆さん自身の城壁はこのネヘミヤという神の慰めの代理人がこのエルサレムの城壁を直しましたし、そして皆さん自身の崩された城壁もそれを建て直してくださるんです。
まずネヘミヤの祈りが4節、5節以降あるんですけれども、その祈りはですね、大きく4つに分かれます。まず第1が、この5節ですね。彼はまず、主がどういうお方であるのかを告白しております。ヨシャパテの祈りと同じパターンです。このネヘミヤの祈りも。まず、天の神、主がどういうお方であるのか。
その神は、天の神であり、大いなる恐るべき神。主を愛し、主の命令を守る者に対しては、契約を守り、慈しみを賜る方。まず主がどういうお方か告白します。そして第2に、自分自身の罪の告白ですね。この6節の後半の方を。私たちがあなたに対して犯したイスラエル人の罪を告白します。
誠に私も、私の父の家も罪を犯しました。城壁が崩されたのは罪の結果です。エルサレムが陥落したのは、エルサレムの中にいる人たちが罪を犯したからに他なりませんね。彼らが罪を犯したから、だから城壁が壊されて、そして敵が侵入していって、そして大切な宝物とかを奪い取っていったわけです。だから城壁を建て直したいのであれば、だから第2に罪を告白して、そしてそれに対して悔い改めるべきです。
そして3番目として、8節以降、御言葉で祈るということです。御言葉を盾にとって祈る。ヨシャパテも全く同じでした。御言葉を盾にとって祈ってますね。8節では、モーセにお命じになった言葉を、思い起こしてくださいと。
この二重鍵括弧の中が、これは申命記の中、神様がイスラエルのために約束してくださったことを、それをそのまま御言葉に対して祈っています。ここで、「あなた方が不信の罪を犯すなら、私はあなた方を諸国民の間に散らす。あなた方が私に立ち帰り、私の命令を守り行うなら、たといあなた方のうちの散らされた者が天の果てにいても、私はそこから彼らを集め、私の名を住まわせるために、私が選んだ場所に彼らを連れてくる」と。
この言葉を盾に取ったからには、この言葉の内容をそのままネヘミヤたちが守り行うべきなんです。つまり、9節に書いてあります。あなた方が私に立ち帰り、まず主に立ち帰り、立ち返るということなしには、城壁の立て直しはないです。そして命令を守り行うのだ。もしそうであるなら、散らされた者が天の果てにいても、そこから彼らを集めると。
この言葉を盾に取ったからには、ネヘミヤはその行動をしなくてはなりません。で、事実ですね、ネヘミヤ記の9章とか10章の方を見ると、ネヘミヤの前に、ネヘミヤが不在だった時にイスラエルの民が、結婚のことで罪を犯したりしているのを、徹底的に彼は悔い改めを促すんですよね、イスラエルのために。主に立ち返って、主の命令を守り行うということを徹底しないのであれば、城壁はまたしても崩されてしまうとネヘミヤは分かっていたからです。
だから、彼は結構徹底的にイスラエルの人たちを導くんですね。そうしてネヘミヤは最後に11節のところで、やっと自分のこと、願いを主の御前に申し述べます。11節。「ああ主よ、どうぞこのしもべの祈りと、あなたの名を喜んで敬うあなたのしもべたちの祈りとに耳を傾けてください。どうぞ今日このしもべに幸いを見せ、この人の前に憐れみを受けさせてくださいますように。」
ネヘミヤ自身がエルサレムに行って、そして城壁を建て直す仕事に取り掛からせてくださいと、本当に切にこの時最後に祈るんです。その時彼は王の献酌官で、アルタシャスタ王に仕えていなくてはならなかったんですけども、しかしその祈りが聞かれました。
彼は主の御前に出て、まず主の前に、主がどういうお方であるかを告白し、自らの罪、そして先祖たち、同胞たちが犯してきた罪を告白して悔い改め、そして御言葉で御言葉を盾にとって祈り、そして最後に彼自身の祈りを祈ったから、だからその祈りが聞かれました。2章の方では、彼の王がそのネヘミヤの願いを聞いてくれるんですね。
王はしかも、彼のためにいろいろな支援をして、そして無事にイスラエルまでの道のりを守って、そして手紙も書いて、無事に彼が仕事をしやすいようにと、とりはからってくれるんですね。2章以降、3章とか4章とか見ていくと、確かにいろいろな迫害や邪魔も入ります。
またイスラエルの中からも、この土くれの山を一体どうしようという、そういう心の内部からの気落ちもあります。内部からの攻撃もありますし、外部からの攻撃もあります。でもそうすると、このネヘミヤは心を奮い立たせて、そして主に祈って、主から力をいただいて、そしていよいよその仕事が完成します。結構早い後期で完成するんですね。
そうしてイスラエルの城壁はしっかりと建つことになります。私たちも自分の城壁が、どこかが破れているとわかったのであれば、あるいは崩されている敵が、もしそういうことであるのであれば、皆さん自身もこのネヘミヤのようにまず祈ってみてください。そして、まずどこから失敗したのか。
このエルサレムの城壁が破壊されたのは、その先祖の罪のゆえでした。その先祖の罪のために、罪を告白して、そして悔い改めて、そして御言葉をこれからしっかりと従順しますと告白して、実際にこれから生活の中で御言葉に従順していないところに気づいたのであれば、そこを徹底して改めて、そして城壁を築き直していくこと。
もちろん敵の妨害もあります。また内部からの気落ちなどもあります。私は果たして大丈夫だろうか。でも、主と共に歩んでいくのであれば、皆さんの城壁を知ってください。城壁がしっかりと再び再建されて、もはや敵の好き放題、攻め入られ放題にはなることはありません。
どうか皆さん自身も、このネヘミヤのように主の御前にまず祈って、そしてそれから直すべきところが示されて、そして、もはや敵が皆さん自身の人生や時間や、あるいは大切な家族、皆さんのお金、そういったものがもはやこれ以上奪われるようなことがないように、無駄な浪費をしたりすることもないように、サタンに無駄に見つぶようなことがないように、しっかりと皆さんの城壁を再建して守られて、そして生活していく皆さんでありますように、イエス様のお名前によって祝福いたします。アーメン。
【結論】
ネヘミヤは「神の慰め」という意味です。主が私たちの城壁を再建してくださいます。そのためには、まず主がどのようなお方であるかを告白し、自らの罪を告白して悔い改め、御言葉を盾にとって祈り、そして主に願い求めることが必要です。御言葉に従順し、城壁をしっかりと再建して、もはや敵が私たちの大切な時間、エネルギー、家族、お金を奪うことがないように守られて生活していきましょう。
礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
1ヨハネ2:1-11:右クリックで保存
礼拝説教メッセージ音声:憐れみ深い政策がもたらすもの(創世記47:13-26):右クリックで保存
世界的な飢饉の時、ヨセフは最初は銀で食料を売っていたが、銀が底をついてしまった人には家畜で物々交換し、それも底をついてしまった人には、その人の農地を引き取って、食料を与える事とした。
そうして得た銀や家畜、土地をパロに収めたので、パロの家はますます豊かになり、必然的に土地も家畜もこの時国有化された。
ヨセフの政策は、とても憐れみ深い。
『収穫の時は、その五分の一をパロに納め、五分の四を自分のものとして田畑の種とし、自分と家族の食糧とし、また子供の食糧としなさい」。』(創世記47:24)
つまり、税率20%の小作農である。
日本の平均的な家庭、年収430万円世帯の税率は、所得税と住民税を合わせると約30%であり、法人税は40%である。(2009年時点)
現代日本と比べても、ヨセフの政策が民にやさしかった事が分かる。
『彼らは言った、「あなたはわれわれの命をお救いくださった。どうかわが主の前に恵みを得させてください。われわれはパロの奴隷になりましょう」。』(創世記47:25)
普通なら、飢饉になると人々は暴動を起こし、政府転覆を狙うのが歴史の常だが、ヨセフ治世のエジプトはその逆で、人々は自ら奴隷になろうと進み出るのである。
それ程ヨセフの政策は優れ、人々の支持を得、その後この税率がずっとエジプトで続いた。(26節)
ヨセフはなぜそんなに優れた政策が出来たのか。それは、神から知恵を頂いていたからである。
ヨセフの行動はまさしく、イザヤ58章そのものである。
『わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて/虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え/さまよう貧しい人を家に招き入れ/裸の人に会えば衣を着せかけ/同胞に助けを惜しまないこと。
そうすれば、あなたの光は曙のように射し出で/あなたの傷は速やかにいやされる。あなたの正義があなたを先導し/主の栄光があなたのしんがりを守る。』(イザヤ58:6-7)
人は祝福を頂きたくて断食を行うが、主の喜ばれる断食とは、これである。
ヨセフは、食料が無くて困った人の足元を見て税率を跳ね上げたり、貧しい者をそのまま飢え死にさせるような事はせず、憐れんでやったからこそ主に喜ばれ、彼の行いは光のように輝き、正義が常に彼を先導し、主の栄光が、彼のしんがりを守ったのだ。
『あなたが呼べば主は答え/あなたが叫べば/「わたしはここにいる」と言われる。軛を負わすこと、指をさすこと/呪いの言葉をはくことを/あなたの中から取り去るなら、飢えている人に心を配り/苦しめられている人の願いを満たすなら/あなたの光は、闇の中に輝き出で/あなたを包む闇は、真昼のようになる。』(同9-10節)
ヨセフは、彼の兄弟や、ポティファルの妻など、指をさして訴えたり呪いの言葉を吐いたりしても良さそうな人達はいたが、決してそのような事はせず、むしろ、苦しんでいる兄弟達に心を配り、彼らを憐れみ、彼らの願いを叶えてやる素養があったからこそ、ヨセフが無実だった事も彼の良い性質も明らかにされ、真昼のように輝いたのだ。
『主は常にあなたを導き/焼けつく地であなたの渇きをいやし/骨に力を与えてくださる。あなたは潤された園、水の涸れない泉となる。人々はあなたの古い廃虚を築き直し/あなたは代々の礎を据え直す。人はあなたを「城壁の破れを直す者」と呼び/「道を直して、人を再び住まわせる者」と呼ぶ。』(同11-12節)
もし私達もそのようになりたいのであれば、すなわち、主にいつも導かれ、焼けつく地で渇きがいやされ、骨に力が与えられたいのであれば、また、潤された園のように、水の枯れない泉のようになりたいのであれば、
あるいは、「道を直して、人を再び住まわせる者」と呼ばれたいのであれば、私達もヨセフのように、うしろ指を指す事や、兄弟姉妹を訴える言葉を口から捨て去り、苦しんでいる兄弟姉妹達に心を配り、彼らの願いを叶えてやるべきである。
ヨセフは神から示された事をしっかり受け止め、来るべき飢饉に備えて穀物をひたすら備蓄した。
私達にも、霊的な飢饉が来ることが聖書に示されているのだから、いや、既に到来しているのだから、今、霊的な食物である御言葉をたっぷりとイエス様からいただいて、蓄えるべきである。
私達が御言葉をしっかり蓄えておくなら、やがて霊に飢えた人々が土地や家畜を携えて全世界から集まり、私達に蓄えられた御言葉を慕い求めて来るのである。
礼拝説教メッセージ音声:短く不幸せだった百三十年(創世記47:1-12):右クリックで保存
『パロはヨセフの兄弟たちに言った、「あなたがたの職業は何か」。彼らはパロに言った、「しもべらは羊を飼う者です。われわれも、われわれの先祖もそうです」。』(創世記47:3)
兄弟達はヨセフ忠告どおり、自分達が羊飼いである事を正直に伝えた。
羊飼いはエジプト人の忌み嫌う職業であるため、これでイスラエルはエジプト人から隔離されて生活する事となり、その後430年間、イスラエルの民族的・宗教的純潔が保たれた。
『そこでヨセフは父ヤコブを導いてパロの前に立たせた。ヤコブはパロを祝福(barak)した。』(創世記47:7)
ここの祝福(barak)という言葉は、神がアダムやノア、アブラハムに「生めよ、増えよ、地に満ちよ」と祝福した時にも用いられた言葉である。(創世記1:22,28、9:1、12:2-3)
時の世界のスーパーパワーであるエジプトの王パロと、カナンに寄留中の70人の遊牧民の長ヤコブ。
パロの方が圧倒的に権威が上であるかのように見えるが、小なる者が、大なる者から祝福をいただくのである。(ヘブル7:7)
つまり、外見上はパロの方が上に見えても、真理の上ではヤコブのほうがパロより圧倒的に上であり、事実、永遠の書物である聖書には、ヤコブは遥かに栄誉ある者として記されている。
主イエスに服従する者は、全能の神から権威を与えられる。
神から権威を付与された権威者は、ポンテオ・ピラトの前のイエスのように、外見的には大した権威を帯びているようには見えないものであるが、主イエスに従う者は、汚れた霊を追い出すけんい、あらゆる病気やわずらいをいやす権威を与えられ(マタイ10:1)、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けられ(ルカ10:19)、後には、諸国の民を支配する権威を授けられる。(黙示録2:26)
『パロはヤコブに言った、「あなたの年はいくつか」。ヤコブはパロに言った、「わたしの旅路のとしつきは、百三十年です。わたしのよわいの日はわずかで、ふしあわせで、わたしの先祖たちのよわいの日と旅路の日には及びません」。』(創世記47:8-9)
百三十年という年月は、決してわずかとは言えないが、ヤコブは自分の生きてきた年月はふしあわせに満ち、先祖たちには顔見せできないような日々を送ってきた事を告白した。
彼の父たち、アブラハムやイサクは、自分の思いや願いを、神の御前に手放す人だったのに、ヤコブはその逆で、自分の思い願いを頑として掴んで離さない人だった。
つかみ取ってなんぼという価値観は世の価値観で、それは一見栄えるかのように見えて実は災多く、尻すぼみな生き方である。
彼は生涯のはじめから兄のかかとを掴み、騙し、父イサクをも騙して祝福をつかみとったが、そこには居られなくなってしまった。
彼は伯父ラバンの元で20年搾取され、土地を購入した地で娘は犯され、息子達はその地の男を皆殺して略奪してしまい、また、溺愛したヨセフは兄達によって殺されそうになってエジプトへ売られ、長らく悲嘆の内に過ごす事となった。
彼がようやく自分を主の御前に手放したのは、ベニヤミンをも失おうとしていた時であった。
ヤコブのように、かたくなであればあるほど、打ち砕かれ方はひどいものとなり、手放さない手が固ければ固いほど、打たれる度合いは痛く、長くなってしまう。
ヤコブは白髪頭になるまで、頑なにつかむ生き方を改めなかったが、私達はそこまでなる必要は無い。
自分の願うものを掴む手は、主に速やかに手放し、全ての重荷は主の御前に全て下ろし、人生の早い段階から楽に生きるコツをつかむ皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!
礼拝説教メッセージ音声:栄光にあふれた再会(創世記46:28-34):右クリックで保存
『ヨセフは車を整えて、父イスラエルを迎えるためにゴセンに上り、父に会い、そのくびを抱き、くびをかかえて久しく泣いた。』(創世記46:29)
ヤコブが最後にヨセフを見たのは、22年以上前、シェケムで羊を飼っている兄達の様子を知るために、ヨセフをおつかいに送り出したのが最後で、その時以来の再会である。
その時出ていったヨセフの姿は、父が贈った長服を着ていた。
しかしその長服は血まみれになって返って来て、それ以来、ヨセフは死んだものと思っていた。
それが今、20数年ぶりに会ったヨセフは、高級外車で迎えに来て、亜麻布の宰相服を身につけ、金の首飾りをかけており、パロの指輪をはめていた。
かつて、大切なわが子に、と身につけさせてやった長服やアクセサリーよりも、はるかに優れたものを彼は身に帯びており、かつて、ただ大切にしてかわいがっていたい、と思っていたヨセフだったのに、今や自分が、ただ彼に助けられ、養われる側となっていた。
ヤコブは、かつてヨセフが見た夢、あの太陽と月と十一の星がヨセフを伏し拝んでいる様子を、思い起こした事だろう。
その時、その夢はヤコブの心を害したが、ヨセフは決して好き好んで、その夢をみたのでもないし、好き好んでエジプトの主となったわけでも、夢の通りに兄弟達や父母を養う者となったわけでもなかった。
ただ神が一方的に、イスラエル一族を救うため、予めヨセフを選び、その夢を見させ、予めエジプトへ送っていたのだ。
『時に、”イスラエル”はヨセフに言った、「あなたがなお生きていて、わたしはあなたの顔を見たので今は死んでもよい」。』(創世記46:30)
彼は、地上の祝福を掴み取ろうとする「ヤコブ」の生き方はもはや未練が無くなり、神のご計画が成就した事に満足を見出し、ただ神に支配されるがままの生き方をする「イスラエル」となった。
かつて「ヤコブ」は、世的な祝福を掴んで離さない生き方だったが、それら掴んできたものはやがて無理やり彼の手から引き剥がされて行った。
ラケルが剥がされ、ヨセフが剥がされ、そしてベニヤミンも、という所まで来た。
その時、「子を失わなければならないのなら、失ってもよい」(創世記43:14)と告白し、全てを全能の神の御手に委ねた。
するとヤコブは、ベニヤミンだけでなく、ヨセフをも取り返し、それも、思ってもみなかった程遥かに優れた形になって、彼の元に帰ってきたのだ。
自分で握りしめていたものを、主の御前に手放し、明け渡し、委ねる。そうして、主の元から再び返してもらう。
それが十字架と復活の経験である。
神は、その人が主の元へ手放したもの、主の故に失ったものを復活させ、以前よりも遥かに優れた形で、栄光のいのちを伴った形で、返して下さるのだ。
それはアブラハム、イサク、ヤコブが経験した事であり、私達も経験すべき事なのだ。
ヨセフは父や兄達に助言する。
『もしパロがあなたがたを召して、『あなたがたの職業は何か』と言われたら、『しもべらは幼い時から、ずっと家畜の牧者です。われわれも、われわれの先祖もそうです』と言いなさい。そうすればあなたがたはゴセンの地に住むことができましょう。羊飼はすべて、エジプトびとの忌む者だからです」。』(創世記46:33-34)
なぜわざわざ、エジプト人に嫌われる事を言うようにと、助言したのだろうか。
それは、ヨセフはエジプト人の有様を良く知っており、エジプト人とイスラエルの家が互いに和合し、血が混ざり、宗教が混ざらぬように、と思ったからであろう。
実際そのお陰で、430年後にイスラエル民族がエジプトを脱出する時、エジプト人とユダヤ人ははっきりと区別されており、民族的・宗教的純潔がずっと保たれていた。
兄達も「この国に寄留しようとしてきました」とパロに言い(47:4)、自分達はエジプトに永住するつもりは無い、ただ神が定めた時まで寄留するだけのつもりだと表明した。
私達も、世に対しては寄留者であるとの意識を持つべきである。
『しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。あなたがたは、以前は神の民でなかったが、いまは神の民であり、以前は、あわれみを受けたことのない者であったが、いまは、あわれみを受けた者となっている。
愛する者たちよ。あなたがたに勧める。あなたがたは、この世の旅人であり寄留者であるから、たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい。
異邦人の中にあって、りっぱな行いをしなさい。そうすれば、彼らは、あなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのりっぱなわざを見て、かえって、おとずれの日に神をあがめるようになろう。』(1ペテロ2:9-12)
近隣の聖徒から「皆でアイスを召し上がって下さい」と、ささやかな献金をいただいていたので、礼拝後、残った皆と一緒にアイスを楽しんでおります。
砂糖を使っていない、天然素材のみのフィリピンの(高級?)アイスで、とってもおいしいです。
また、ある聖徒からお祈りの要請の手紙をいただき、信仰による捧げものと共に主の御前に手紙を広げ、収めました。
イザヤ37章で、ヒゼキヤ王が万軍の主に依り頼んで大いなる救いを得たように、万軍の主が、依り頼む聖徒を救って下さいますように。
