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メッセージ - 礼拝メッセージ説教音声配信カテゴリのエントリ

今日もなぜか第2礼拝中にコンピュータがおかしくなり、急遽私がメッセージを取り次ぎました。

教会には新しい中国の親子が来られ、子供達が走り回るにぎやかな交わりとなりました。

3つの礼拝の後、聖書の学び会をし、交わりし、それからPennyさん達が来て、21時現在の今も交わり中です。

礼拝説教メッセージ音声:

第一礼拝(日本語): 御言葉はそのままに(黙示録22:18,19):右クリックで保存

第二礼拝(韓国語通訳つき)メッセージ:右クリックで保存

週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

9x9は、81である。
九九は算数の基本中の基本で、小学2年で学び、その時は訳も分からず覚え込ませられるが、大学に行っても、社会に出ても、計算の際には必ず必要になってくる。
当然のごとく、誰も9x9を20とは主張しないし、81以外の例外を証明できた者はいない。
算数や数学の答えは単純明快、世界共通であり、私情を挟む余地が無いものである。

主イエスは、算数という「ことば」を創られたお方であり、主の御言葉の一点一画が落ちるよりは、算数や物理法則を含めた全宇宙の理(ことわり)が滅びる方が、はるかにたやすい。(ルカ16:17)
にもかかわらず、人は御言葉において、「私の9x9は11だ」とか「今日の気分は9x9=1だ」とか、「みんな一人一人、個性的な解釈があって良いんじゃないか」といったような事を、なぜか仕出かす。
9円の商品が9個欲しいなら、きっちり81円出さなくては、お店の人は商品を出さないし、「私の9x9は11だ」と主張しても、商品はもらえない。
それと同様、人の救いの贖い代は値高く、きっちり支払えるのは御子イエスのみである。(詩篇49)

聖書は算数よりも確かな法則で、「こうすればこうなる」の宝庫であり、蓄えれば蓄えるほど生きる上で必要な知恵に満たされ、信じれば信じるほど豊かになる。
収穫物の初物を捧げれば、主はきっちりと、倉に穀物を満たし搾り場に新しい酒を溢れさせてくださる(箴言3:9,10)し、イエスを信じれば、あなたもあなたの家族も救われる(使徒16:31)と書いてある。
倉が満たされないのは、主に捧げていないからであり、あなたもあなたの家族も救われないのは、肝心の「イエスを信じる」事をおろそかにしているからではなかろうか。

「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」(ヨハネ1:4)
御言葉は人を照らす光であり、人がどのような状態であるかを明るみに出す。

人は体重計に乗って、指し示す数字を見て「ひどい」と言う事は出来ない。
その目盛りが重すぎるのならダイエットすべきであり、それが軽すぎるなら、きちんと栄養を取るべきである。
「体重計は私の心を傷つけてばかりいるから、体重計の方が間違っている。」とか、「体重計が今100を示しているけれど、実はこれこれの意味があって、その場合は50と解釈すれば良いのだ」などと余計な解釈を付け足したりしていたら、いつまでも不健康のままである。
人は、そのような解釈による付け足しを、御言葉において、なぜか仕出かす。

御言葉が人を量る時、人の罪の本性を指し示す。それを希釈してはならないし、付け足してもならない。
罪から救い出せるお方はイエスキリストお一人であり、例え罪が緋のように赤くとも雪のように白くされる。
「この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。」(黙示録22:18,19)
エバはサタンにそそのかされた時、善悪の実に「触れてもいけない」と、御言葉に勝手な解釈を付け加えたが、それはパリサイ派の種であり、偽りへ踏み出す第一歩である。
御言葉に対しての正しい対処は、御言葉は足し引きせず、そのままいただく事である。
御言葉は一人一人に対する愛の込められた手紙であり、信仰をもってそのままいただくなら、キリストの香りが春の花の香りのように心と霊、体に充満し、愛と嬉しさによって満たされるのである。

もっとも強力な祈りは、御言葉をそのまま祈る祈りであり、難しい事は考えずいつでもどこでもシンプルに
「イエスよ助けて下さい」と祈るなら、イエス(イエシュア=「神は救い」)は救いを与えて下さる。
御言葉ご自身であるキリストを豊かに住まわせる皆さんでありますように。イエスの名によって祝福します!

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

英国Kingdom FaithよりPenny女史が来日していて、昨夕、カタコトの英語と身振り手振りでしたが、主にあって静謐とした交わりが出来ました。

その後、祈祷会では、暫く来ていなかったある姉妹が久しぶりに来ていました。

彼女は生活保護を受けているのに、日本の行事(正月や節分など)のたびにそういうグッズを大量に仕入れては”献品”してました。

献品といっても彼女の場合、行為が常時を逸していて、偶像を持ってきたり、こないだの節分の時には1万円以上の量の恵方巻きを買おうとしたりで、イエス様や兄弟姉妹が尊いからというのではなく変な霊に操られている事が明白だったので、今度来たらリアルに「鬼は外」してやろうと思っていたのですが、中々来ませんでした。

昨晩久しぶりに来て、今度は雛祭りグッズを置いて、礼拝に出ずに帰ろうとしたので、、、ついにイエスの名によって「鬼は外」しちゃいました。

彼女の口でイエスを主とする告白の祈りをさせ、「あなたから真理を覆い隠して不幸の中に縛っている奴が憎くて仕方ない」「だから是非イエス様を主として幸せになって下さい」と言ったら、攻撃性に固まっていた目が、人らしく変わって来ました。

その後の祈祷会では、集まった一人ひとりの口で「イエスは勝利を取られた」を賛美し、一人ひとりの口でエペソ1:3-5の御言葉を告白し、祈りの時間では「イエスよ助けて下さい」とだけ祈ったら、よく分からないけれどすごい嬉しさが沸き起こってきて、皆生き生きとなって行き、終わった時には皆若返った感じで帰って行きました。

その後は、最近教会に来ていなかった中国人が手伝っている新装オープンのお店にご馳走になりに行き、、、と、実に充実した日でした。

なんか、、、パスターになったこの1年で、10年分は生きた気がします。

礼拝説教メッセージ音声:御使いのような表情(使徒6:8-15):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배

ステファノは信仰と聖霊に満ちた人で、民の間で大いに徴と奇跡を行っていた。
その彼に、外国のいわゆる会堂に属するユダヤ人達が議論を仕掛けたが、知恵と聖霊によって語ったため、太刀打ち出来なかった。
そこで彼らは人々をそそのかし、モーセや神に冒涜の言葉を吐いた、と言って最高法院に引き立てて行った。
もはやステファノに対しては、人の知識や経験では太刀打ちできないため、彼のように聖霊に満たされたキリスト者を黙らせるには、もはや偽りの証人を立てて捕らえるしか無いのである。

使徒の働きの学びをしてから、最高法院はすっかりお馴染みになってしまった。
ペテロほか使徒達は既に2回立たされたし、主イエス様も引っ立てられて行った場所で、ステファノも捕らえられて行った。

彼は最高法院にて偉い権威ある人達に囲まれ、その中に一人立たされた。
偽りの証人によって訴えが為された時、最高法院に集っていた憎悪の群集は彼に目を注ぐが、彼の顔は恐怖に怯えるどころか、逆に、御使いのように輝いた顔をしていた。
そのような状況において御使いのような表情になれるのは、必死の取り繕いではなく、聖霊によるものである。

主の証をする時は、御霊と知恵に満たされていないと、ボロが出てしまう。
人間の知恵や自分の栄誉のために福音を伝えるなら、こういった状況では対応出来ないし、御使いのような表情を取り繕おうとしても、胡散臭い顔になるのである。

イエス様は予めこう言われた。
「人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く、、、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。」(ルカ21:12-15)
私達はそのような状況において、がんばる必要は全く無い。
イエス様ご自身が口の言葉を与えてくださるから。

使徒7章は、非常に長いステファノのメッセージになっている。
アブラハムから始まり、モーセ、ダビデまでの歴史であるが、それは最高法院の者達が好きな栄光の歴史ではなく、父祖達が預言者や神の立てた者達に逆らってきた、恥の歴史であった。
ステファノは、メッセージを語ったがゆえに殺される。
このメッセージによって、悔い改めやリバイバルが起きる事は一切なく、一人残らず彼に歯軋りし、そして彼を殺すのである。

全ての義人たちの血はこの時代に降りかかる、とイエスは言った。
その通り、ステファノを殺した者達の時代のすぐ後に、エルサレムは包囲され壊滅し、義人達の血が降りかかった。

ルカ21:17-19「わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」

世のどんな荒波、どんな歯軋り、悪意、偽りに晒されても、霊肉ともに髪の毛一本すら乱されない程の御霊の満たしを与えられますように。
イエス様の名前によって祝福します!

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

礼拝説教メッセージ音声:12弟子の非道い(?)決議(使徒6:1-7):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배

弟子達が増えるにつれ、教会にある問題が持ち上がった。
古今東西、教会には人間が集まる故、問題は付き物であるが、初代教会においてどのように問題を解決して行ったのか、またどのような事に優先順位を置くべきなのか、この箇所から多くを学ぶことが出来る。

問題とは、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちから、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して、自分たちのやもめらが、日々の配給で、おろそかにされがちだ、というものであった。

人は何かと文化や言葉が違う者を理解するのが難しいものだが、当時の彼らにはそればかりでなく深刻な問題を生みやすい要素があった。

ギリシア語を話すユダヤ人とは、ローマ所属州の各地に住んでいる者達である。
なぜ外国に住んでいるのか、色々な理由があった。
ユダヤ近辺で商売するよりも、外国でするほうが儲かって裕福な生活が出来たり、ユダヤの堅苦しい文化を出てヘレニズム文化という当時としてはハイカラな文化を求めて行ったり、あるいは外国人と結婚してその地に住み着いている、といった理由である。

民族意識が強いヘブライ語を話すユダヤ人からすれば、そのような者達は神の民を捨てた、軽薄な、いけ好かない者であり、
ギリシヤ語を使うユダヤ人たちからすれば、彼らは頭の固い、古臭い、ダサい者達であった。
あまり仲がよろしくない集団が混ざり合っていたわけである。
そして、一方のやもめ、援助すべき弱者が、見過ごしにされている、というのだ。

人権意識の進んだ、上から下までクレーム対応第一の現代において、このような事が起こるとすれば、真っ先に取り組んで解決したい問題ではある。
12弟子はどのように問題を解決して行っただろうか。

12弟子が真っ先に語った言葉は、弱者を大切にしましょうとか、民族や文化の差別の無くしましょうとか、皆さんもっと仲良くしましょう、といった、現代人なら真っ先に考え付くようなものは全く無く、「神の言葉をほうって置いて、食事の奉仕をするのは良くない」である。
さらに3,4節、
「そこで兄弟たちよ、霊と知恵に満ちた評判の良い人達を、7人探し出してもらいたい。その人達にこの役割を任せよう。
他方、私達は祈りと身言葉の奉仕に専念しよう。」
邪険な見方をすれば、この12人は、この問題を別の人達に丸投げし、私達は別の事に専念しよう、とも見れる。
ヒューマニズム主義の人達からすれば、ずいぶんひどい対応に見える。
しかし、教会という所は、ヒューマニズムという人間中心で動くところではなく、御言葉が中心となって動く所である。

ここで12人が提案した、7人の選別基準は何であろうか。

食卓の奉仕なので、現代の教会であれば、栄養や調理のプロ、弱い立場へ配慮が出来る人、諍いやクレーム処理するのに長けた口達者な人、など、その道のプロを選ぶ所である。
ところが選別基準は、3節「霊と知恵に満ちた、評判の良い人」である。
社会的地位や能力の高さがあっても、霊と知恵に満ちていない人は、落とされるのである。
また評判の良い人でなくてはならない。
教会という閉じた世界では通用しても、外の社会で通用しないような者は、落とされるのである。
これこそ、教会の働き人を選ぶべき基準である。

この12人が、重大問題を差し置いて専念したかった事は、何だったか。

それは、4節「祈りと御言葉の奉仕」である。
人権問題は誰かに委ねて自分は祈りと御言葉の奉仕の方を優先するのは、世の考え方では「ひどい」かもしれないが、しかしそれがエクレシアにおける要職者の取るべき選択である。

エクレシアの主だった人達が祈りと御言葉の奉仕に専念し、霊と知恵に満ちた評判の良い人々がその奉仕に当たった結果、どうなったか。

7節「神の言葉は広まっていき、弟子達の数は猛烈に広がって行った。」
そして、使徒達を迫害していた祭司達さえも仲間に加えられていった。

今日、教会においてこのような増え広がりが無い原因は、教会で要職にある人々が、祈りや御言葉よりもヒューマニズムを優先させたり、
働き人として、霊や知恵に満ちていない者、社会で評判の良くない者が就いたりしているからである。

私達が評価すべきは、霊と知恵に満ち、そしてその実である評判の良い人である。
優先すべきは、祈りと御言葉の奉仕である。
これは教会においてだけでなく、家庭においてもこの優先順位を守るなら、大いに祝福される。

祈りと御言葉に専念し、大いに祝福される皆さんでありますように。イエス様の名前によって祝福します!

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

1日より、ある若者を朝夕の祈祷会に全て参加させています。

ほぼ無理矢理のような感もあり、毎日が戦いのような様相もありますが、教会として人を良い方向へ導くためには、そのような戒めも必要だというのが聖書の語る所と認識しています。

「むちと戒めとは知恵を与える、わがままにさせた子はその母に恥をもたらす。」箴言29:15

礼拝説教メッセージ音声:イエスの名は永遠に(使徒5:29-42):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배

サドカイ人達はペテロ達に再び尋問した。
イエスの名を語ってはならないと言ったのになぜ語ったのか、しかもイエスの血の責任を我々に転嫁しようとしている、と。
そこでペテロ達がまず答えたのは、前の尋問時と同様、人間に従うより神に従うべきである事。

イエスの名によって、既に多くの徴が行われており、それだけ明らかに、イエス様の名に力があると示されているのだから、本来、イエスを信じて然るべきである。
にもかかわらず、なおこの世の富や権力に目を奪われ、激しく怒り、殺そうとまで思ったほど、彼らの存在が邪魔で、自分達の立場や教えは大切なのである。

この人達はたまたま、自分の王座の根拠をサドカイ派という派閥や既得権威に置いていたが、人間、誰しも自分や自分の属するものが王であって欲しいもので、まことの神を脇に置いてでも、それを頑なに握り締めるものである。
しかし、神様に与えられた救いの道は、一つしかない。
自分の握り締めている王座を手放し、イエスに明け渡す事である。
このイエスの名の他に、救いの名は無い。

さて、ここに民全体に尊敬されている律法の教師ガマリエルというパリサイ派の指導者が、最高法院に立ち、次のように提案する。

人間が自分の主張をして人々を先導するのであれば、いつまでも続かないものである。
かつてテウダスという者が自らを預言者と騙り、大いなる事をしてみせると言ったが、結局滅ぼされた。
またガリラヤ人ユダという者はユダヤ民族意識を高揚する正論によってローマへの反逆を煽ったが、結局彼も滅ぼされた。

ガマリエルはさすがに人々から尊敬を受けるだけに、人間から出るものは必ず滅びるし、神から出ているものは永遠に残る、という知恵を語ったのである。
しかももし、キリスト者達が神から出ているなら、あなたたちほうが神に敵対する者となる、と。
実にその通りである。
人類歴史において、色々な政治家宗教家が現れては消えていったが、人間由来で人々を自分の下に引き寄せるというわざは、永遠には残らなかった。
それに引きかえ、弟子たちの行為は神から出ていたため、この2000年来、この教えはずっと増え広がり、イエス復活依頼、多くの人々を造り変え、人生を良い方向へと導いて行った。
福音は、神から出ている事は、もはや明らかなのである。

最高法院の人達は弟子達を呼び出し、鞭を内、イエス様の名で語ってはならないと命じた上で釈放した。

この弟子達は、御名のために辱しめをうけるに足る者とされたことを喜びながら、最高法院の面前から出て行った。
イエス様の名の故に辱めを受けたという事は、それほど明らかに「イエス様の弟子である事」が認められ、天においての報いは大きい事を喜んだのである。

そして彼らは釈放され、その命令を違反して、毎日イエス様の名前で福音を告げ知らせた。
定められた法律には従順に従うべきであるが、福音と相反するのであれば、福音のほうを取るべきである。
事実、イエスの名を語ってはならないというサドカイ派の定めた事はすぐ滅び、彼の伝えているイエスの名が永遠に残っている。

人々に従うのではなく、神に従う皆さんでありますように。イエス様の名前によって祝福します!

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

礼拝説教メッセージ音声:留め置けない命のことば(使徒5:17-28):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배

使徒達は、再び大祭司たちに捕まってしまった。
その動機は嫉妬であり、自分達が民の指導者でいたいのに、使徒達のほうが大いなる奇跡を行って、目立っているからである。

福音を邪魔する者の特徴として、もっとも特徴的なのは、嫉妬である。
彼らは民衆の目を気にし、相集い、自分達の権威を振りかざす事で存在をアピールする。
イエスの名によって多くの徴が行われているにもかかわらず、イエスがキリストであるという考えに結びつかないのは「我々」が第一優先だからであり、力強いあかしと奇跡に裏打ちされたイエス様の名を否定してでも、あくまで自分達が支配者の座に座っていたいのである。

ペテロは「あなたがたがキリストを十字架につけた」と、外国から来た者達にも言ったし、イスラエルに元々住んでいる者にも、道端の物乞いにも、そして祭司長達にもまったく同じく言ってきた。
全ての人がイエス様を十字架につけたのだ。
悔い改めて永遠のいのちに入れられる者とは、心刺され、イエスキリストを信じた者達である。
故に、ことさら「我々のせいにしようとしている」と読み取っているサドカイ人達は、まことに自分の事しか見ていない。

福音を伝える者達は確かに迫害を受けるが、しかし福音を留めおくことは出来ない。
どんなに牢獄の鍵をがっちりかけても、番人たちが牢の外で見張っていようとも、主はその中から救い出す事が出来る。
何のために救い出すのか。それは20節「いのちのことばを全ての民に向かって語りなさい」これが理由である。
主は、確かに聖徒達を苦しいところから助け出されるが、聖徒達が「聖徒」たる行いをする動機があれば、大いに救い出してくださる。

「いのちのことば」とは何か?
それは、ペテロが2回のメッセージにて一貫して伝えている「十字架につけられたイエスキリスト」の事である。
彼を十字架につけたのは人類全てであり、悔い改めて信じる者には、罪の赦し、永遠のいのち、約束の聖霊が与えられ、大いなる徴や不思議を成す。

祭司長達はあくまでイエスの名を語ってはならないと命じたが、いのちのことばは病や汚れた霊に苦しめられている人達を解放し、邪悪な行いをしていた者達は聖なる行いをするようになり、生まれつき歩けなかった者も、神殿に入れなかったものも、喜び踊りながら神殿に入って、神を礼拝する者となるのだ。
どうしてこの尊い「いのちのことば」を黙す事が出来るだろうか。

弱い者達が次々と壮健に変えられていくのも、祭司長達が耐えられない理由のひとつであった。
世の中の価値観では、弱者は弱者のままであって欲しい。
世の価値観は人々を束縛し奴隷状態にするが、主の価値観は、人々をいのちで満たし、奴隷から解放する。

しかし、いのちのことばは、留め置く事ができないのである。
春になれば、芽を出す。そのめは例えアスファルトに覆われていようと、突き破って行くように、いのちのことばを伝えるなら、どんな邪魔も迫害も、留め置く事はできない。

しかし、聖徒達が恐れるなら話は別である。
サタンは色々な方法を使って邪魔を試みる。
特定の人達を使って直接の妨害をする事もあるし、何かしようとしたらそれをするに当たって欠かせない物が壊れたり、あるいは、聖徒達をささいな事で仲たがいさせたりする。
サタンのその策略を見言葉の光に照らし出し、見破り、イエスの血をふりかけるなら、妨害は無効化され、より大いに主の御技を成す事ができる。

サタンの策略に立ち向かい、いのちのことばを大胆に広める皆さんでありますように。イエス様の名前によって祝福します!

昨日は早天の直後、教会に通う高校生の卒業式に参加しました。

学校という場所には滅多に入らないですが、来て見るとなんとも懐かしい思いが溢れて来ます。

当時は意味が無いと思えていた諸々の事柄は、主にあってしっかりと意味を成していた事が後になって分かるものです。

卒業した高校生には、是非、主にある希望の道を歩んでいただきたいです。

2/25祈祷会のメッセージです。

この日は当ホームページを見て、2名の方がおいで下さいました。

この教会は色々な言葉で祈りが成されていますが、手話による祈りは初めて聞き(見)ました。

イエスの名による祈りは、いつも、どれも嬉しくなります。

メッセージはお馴染みノアの洪水の話ですが、この出来事の意味は今の時代のみなさんと大いに関係があります。

メッセージ音声:ノアの洪水

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