メッセージ - 礼拝メッセージ説教音声配信カテゴリのエントリ
金曜徹夜祈祷会
最後までとりなし続ける愛なる神の御子キリスト(ルカ23:33-48)
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弱い人間の決心と、揺るぎない聖霊の力、変わらないキリストの信仰(ルカ22:31-34)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 定期祈祷会メッセージ
- 執筆 :
- pastor 2020-4-8 20:56
受難週 水曜昼礼拝
弱い人間の決心と、揺るぎない聖霊の力、変わらないキリストの信仰(ルカ22:31-34)
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イエス様の苦しみと悲しみ、そして私達が赦された事を覚える聖餐(マタイ26:26-29)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 定期祈祷会メッセージ
- 執筆 :
- pastor 2020-4-8 20:53
早天礼拝
イエス様の苦しみと悲しみ、そして私達が赦された事を覚える聖餐(マタイ26:26-29)
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あなた方は世の者ではなく、キリストサイドの者(ヨハネ15:18-27)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » ヨハネによる福音書
- 執筆 :
- pastor 2020-4-6 20:20
早天礼拝
あなた方は世の者ではなく、キリストサイドの者(ヨハネ15:18-27)
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主日礼拝
キリストのパッション(雅歌8:6-7)
第一礼拝 Youtube動画
賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画
週報/メッセージ(説教)概要
本日は教会暦では「しゅろの聖日(パームサンデー)」、本日から受難週(パッション・ウィーク)が始まる。
イエス様の十字架の経験は、ありとあらゆるパッションが込められている。あまりに激しい苦しみ、あまりに深い悲しみ、そして断絶と死の向こうに待ち構えている、決して薄れない喜び。彼が十字架の道を進んだ最たる動機は、彼の、捧げ尽くした愛だった。罪と死の奴隷状態で苦しんでいる人々を、神の子の本来あるべき姿へと戻したい、救いたい。そして、主と共なる永遠の愛の交わりへと、導き入れたい。そのような動機によってイエス様は、十字架への道を進んで下さった。この受難週、主のパッションを味わって行きたい。
イエス様が十字架につく前の晩、ゲツセマネで体験された感情は、「恐れ」ではなく、死ぬほどの「悲しみ」だった(マルコ15:34)。イエス様は、世が始まる前から御父と親密な愛の交わりをしておられた。しかし彼は、本来私達が受けるべき裁きを、身代わりになって受けるため、私達の代わりに御父から捨てられ、断絶され、呪われた。それは、血の汗を滴らせる程、計り知れない大きな悲しみだった。
イエス様が十字架上で脇腹を槍で刺された時、すぐにそこから血と水がほとばしり出た事から、彼は、極度のストレスから心臓破裂で息を引き取り、その時に心臓に溜まった血液と水が流れ出た、と思われる。
全人類の罪を一身に負い、御父から捨てられた事、また、十字架による肉体的苦痛は、どれほどのストレスだっただろう。『キリストは、人としてこの世におられた時、自分を死から救う事のできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。』(ヘブル5:7)
これ程のパッション、情熱をもって、主は十字架にかかられたのだ。父なる神は、愛するひとり子を全人類の身代わりとし、十字架につけて死なせ、そうして、全人類を救う。全能の神はなぜこんなにも痛みが伴う「割りに合わない」方法を取られたのだろう。それは計り知れないが、ともかく、それほどの痛みや苦しみを支払ってでもかまわない程の大きな愛で、私たちを愛し、救いたいと願っておられた事は、真実である。
神は無感覚・無感動の神ではない。情熱の神である。神も痛むし、悲しむし、涙を流す。しかし、罪人の一人が悔い改めるなら、天で大宴会を起こして喜ぶお方である。神は私達のところに降りて来て、面と面を向かって相撲を取って、生々しく関わって下さる。神は私達を熱烈に愛し、もし、私達が別の神に「浮気」するなら、激情に駆られて妬むお方である。
キリストは私達を救うため、天を押し曲げて降りて来られ、人となり、十字架の上で苦しみを受けた。彼を愛する人には、雅歌書で表現されているように、花婿が花嫁を慕い求めるような、甘い愛で迫ってくださる。
ユダヤ人は過越祭の度に雅歌書を朗読するが、そこに書いてある。『わたしを刻みつけて下さい。あなたの心に、印章として。あなたの腕に、印章として。愛は死のように強く、熱情は陰府のように酷い。火花を散らして燃える炎。』(雅歌8:6) ここに、花嫁の花婿に対する愛慕が記されているが、イエス様は十字架上で、その手・その足に、脇腹に、刻みつけて下さった。私達の身代わりとなって下さった、愛のしるしを。
『私の愛する方は私に語られた、「起きなさい。わたしの愛する人、わたしのかわいい人。一緒に行こう。』(雅歌2:10 林直訳) ここの「語られた」は完了形だが、ヘブライ語の動詞は生きていて、過去から現在へ、未来へ飛び越えて来る。過去、幸せだったあの時、愛するあの方が言ってくれたあの言葉、その時の彼の姿、その言葉を聞いた瞬間に感じたしあわせな感覚が、今へとオーバーラップし、あの時の幸せな気持ちに浸る事が出来るように、聖書に書いてある言葉は、その幸せな気持ちが過去から今へとオーバーラップし、新約のイエス・キリストへと会う事が出来る。彼の言葉は、昔も、今も、未来も、ずっと生きているからだ。
私達も、聖書を開く時、花婿であられるキリストが、険しい山々の上のかもしかや、若い鹿のように、時代と空間を飛び越え、十字架の激しい苦しみと悲しみを乗り越え、私達の所に希望をもたらす素晴らしい花婿として、すぐに飛んで来て下さる。あの時代も今も、昨日も今日も、そして未来も、変わらずに。
主は今も変わらず語られる。「起きなさい。わたしの愛する人、わたしのかわいい人。一緒に行こう」と。
私達は、このパッションの主に対し、無感動・無感謝であってはならない。生ぬるくあっては、ならない。
雅歌書の花嫁のように、私達も答えるべきである。「私は、私の愛する方のもの。私の愛する方は私のもの。(韓国語:わたしはあなたに属し、あなたはわたしに属している)」(雅歌6:3) 十字架で死ぬ程の情熱をもって愛して下さったイエス様の愛に、情熱的に答え、愛し、愛されて行く皆さんでありますように!
テトス 講解説教 水曜夕礼拝
働き人の必修課程である牧会書簡(テトス3:8-15)
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自分の道を尋ね調べ、心砕いて悔い改める人に報いて下さる主(哀歌3:40-66)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 哀歌
- 執筆 :
- pastor 2020-4-1 15:20
哀歌 講解説教 水曜昼礼拝
自分の道を尋ね調べ、心砕いて悔い改める人に報いて下さる主(哀歌3:40-66)
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主日礼拝
全てを癒やし、いのちの水で満たして下さるキリスト(ヨハネ1:1-14)
第一礼拝 Youtube動画
賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画
週報/メッセージ(説教)概要
人は、エデンの園で善悪を知る知識の木から食べて以来、神から離れた「善悪判断」という破綻した”ものさし”で物事を判断し、狂わせ、破綻するしか無かった。昨今人類を脅かしているコロナウイルスも、また生活の中のあらゆる労苦や痛み、死は、全てこれが原因である。しかしその全てを治すお方がおられる。
初めに、「ことば」がおられた。「ことば」は、神と共におられた。「ことば」は、神であられた。(ヨハネ1:1)
この人格あることばは、ギリシア語でロゴス、ロジック(論理)の語源で決して変わらない客観的真実である。
この、決して変わらない真実なる「ことば」。彼が宇宙の全存在を創造された。この御方によらずにできたものは何一つ存在しない。この、全世界を創造されたロゴスであられるお方、それはイエス・キリストである。
このお方こそ、全て存在するものを存続させ、全てのいのちの源なるお方、死んでしまったいのちを再びいのちで息吹くお方、一切の闇を圧倒的な光によって塗り替えるお方である。『この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光は闇の中に輝いている。そして、闇はこれに勝たなかった。』(4-5節)
この、ロゴスであられるイエス・キリスト、すなわち、全存在の源であり、全て生命あるものの生命の根源であり、人の光であられるお方の、不変のいのちのことば(ロジック)によって測り直されるなら、全て、本質から外れたゆがみは解消され、あらゆる傷は癒やされ、死はいのちへと飲み込まれて行く。。。
『彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々(現在形能動態:「自ら信じ続ける人々」)には、彼は神の子となる力(権)を与えたのである。それらの人は、「血筋」によらず、「肉の欲」によらず、また、「人の(意)欲」にもよらず、ただ神によって生れたのである。』(12-13節) このように、イエス様を信じ続けている人は、「血筋」の束縛、「肉の欲」の束縛、「人の(意)欲」の束縛から解放されて行く。それらは全て、人間の善悪判断による、本質を外した”ものさし”によるもので、もはや、それらに左右されなくなって来るのだ。
世の人は「血筋」を重んじる。それは生来の能力や外見、社会ステータスも決定づけるからであるが、そうした「血筋」の束縛から開放される。また、「肉の欲」を根拠とする束縛からも開放される。男女が性欲に身を任せ、望まない命が「できてしまった」という事は多々あるが、自分はそういった「人の欲望の産物だ」という空しさもなくなる。また「人の意欲」の束縛、すなわち、親や誰か他人の政略的な操作によって今の自分は存在するのだ、といった空しさからも解放される。信じた人は、ただ、神の完全な愛によって、神の子として愛される存在として、今もこれからも永遠に存在するのだ、と確信し、解放され、全く自由を味わうのだ。
太宰治は、自分は人間失格だ、生まれて来てすみません、と書いて、多くの人から共感を得た。全存在の源である「有る」お方を持たない人が、サタンの言葉に惑わされるなら、そんな言葉に同意してしまう。神の敵・サタンが、人を破壊させる最たる言葉は、おまえは存在するな、居てはならない、有ってはならない、である。それを全くもって打ち消す、超・積極的なことばが、全存在の根拠であられるキリストの言葉である。
光を前にした闇は、消え失せる以外に無いように、キリストが現れたなら、悪魔は消え去る以外に無い。
イエス様は、人が存在する前から、人を愛し、妻として定め、共に住むための家(宇宙)を創り、たとえ人がご自分を裏切る選択をしたとしても、十字架上で身代わりとなって命を捨てる覚悟で人を救おうと、なんと、永遠の昔から愛をもって定めておられたのだ。その意図の中で、人は創造されたのだ。(エペソ1:3-6)
この御方のことばを豊かに住まわせるなら、もはや自分の存在のあやふやさは拭い去られる。
イエス・キリストというが加えられた測りで測り直して行くなら、狂っていた全ては直って行き、いのちの水が湧き出て、死に満ちていた所は、いのちに満ちた所となり、そのいのちにおびきよせられて来る。
その完成形が、天国の、水晶のように光るいのちの川である。この川は神と小羊との御座から出て、その両岸にはいのちの木があり、毎月、十二種の実を結び、その葉は諸国民をいやす。(啓示録22章)
今、世界は死がはびこり、エデン以来受けてきた労苦や痛みにあえいでいる。そんな中、私たちは全く積極的なことば、いのちの源であり、人の光であられるイエス・キリスト、すなわち御言葉を、豊かに住まわせ、死をいのちへと、闇を光へと飲み込んで行き、いのちの水の川を豊かに流しだして、周りをいのちで満たして行く皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!
