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メッセージ - 礼拝メッセージ説教音声配信カテゴリのエントリ

主日礼拝
ヘブライ語 - 神のことばを構成するDNA(マタイ5:17-19)
第一礼拝 Youtube動画
賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画
週報/メッセージ(説教)概要

 
 今週はジャパンコーエンの学びの週である。いつもは聖書の一つの書をピックアップして、その書をヘブライ思考で学んでいるが、今回は異例にも、ヘブライ語アルファベット22文字に込められた意味を学ぶ。
 ヘブライ語は、一般言語として現実にユダヤ人の間で用いられているが、他の言語と違い、単語の組み合わせにも、そして一点一画にも、霊的意味が込められた「神の言語」である。またヘブライ語は、神が人を創造し、エデンに置いて以来、バベルの塔の時に言語が混乱してしまうまで、全人類が一つの言葉で話していた、原初の言語である。今週の講義に先立ち、その神秘的な性質の一端を、少し見て行きたい。
 
エデン以来使われていた言語はヘブライ語である、という根拠は、アダムがエデンで会話した言葉にある。
『これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男(אִישׁイシュ)から取ったものだから、これを女(אִשָּׁהイシャー)と名づけよう』(創世記2:23) 日本語で読むと、「男」から取ったらなぜ「女」と名付けられるのか、根拠が分からないが、この時話されていた言語がヘブライ語であるなら、音声的「語呂合わせ」となる事がなんとなく分かるが、そればかりではない。ヘブライ語に込められた意味も探って行くと、アダムが「女(אִשָּׁהイシャー)」という名を選んで付けた所に、霊的な意味も込められている事が分かって来る。
 男(イシュאישׁ)と、女(אִשָּׁהイシャー)。男(אישׁ)からユッド「י」を取ると、אשׁ(エシュ:火)となり、また女性(אִשָּׁה)からヘー「ה」を取っても、אשׁ(エシュ:火)となる。男と女から「יה」が抜けると、火となってしまう…。その「יה」はヤハと言い、主ジェホバ(יהוה)の略である(イザヤ12:2,26:4)。つまり男と女は、神でる主を抜きにすると、「火」と化してしまうのだ。このような「高度な語呂合わせ」は、ヘブライ語以外では不可能である。
 また、主・ジェホバのヘブライ語יהוהは、それぞれの文字の意味を順に並べると、「手、見よ、釘、見よ」となり、つまり主の御名の中には、イエス・キリストの十字架の福音が込められていた事が分かる。
 
 また、ヘブライ語は、それぞれの文字に「数字」としての意味も含まれている。最初の語アレフאは数字の「1」の意味があるが、母音が変わってエレフになると、「1000」になる。『その最も小さい者は氏族(エレフאֶלֶף:千)となり、その最も弱い者は強い国となる』(イザヤ60:22) つまり、いかに最弱な者であっても、神がタッチしてくださるなら千倍になるのだ。 『あなたの大庭にいる一日は、よそにいる千日(אֶלֶף)にもまさる(טוֹבトーブ: パーフェクト、ビューティフル、グッド)のです』(詩篇84:10) 主の庭の外でどんな千日を過ごしたとしても不完全であるが、主と共に主の庭にいる一日は、パーフェクト、ビューティフル、グッドなのだ。
 主に立ち返って静かにすれば、救われ、落ち着いて信頼すれば力を得る。しかしそれをしないで、自分の思った方法を採用するなら、いかに神の民と言えど、敵のたった一人の威嚇によって千(エレフאֶלֶף)が散り散りに逃げる事になってしまう(イザヤ30:15-17)。神なしには一、しかし、神が共にいるなら、千なのだ。
 
 書記官が代々、ヘブライ語で手書きで写されて来た聖書は、手書きならではの特徴もそのまま伝授されて来た。ある字がわざと大きく、または小さくされていたり、一見すると写し間違えや文法ミスに見えるような「謎の記載」も、所々にある。しかし主は、そこに大きな意味を隠しておられる。例えば、敢えて逆さまに記された文字と文字の間に、新約のキリストの復活と聖徒達の復活が隠されていたり、あるいは、ヘブライ語の法則を破って記されている箇所に、処女から生まれたひとりのみどり子の繁栄が示されていたり…。
 これはほんの一端で、今週の講義では多くのヘブライ語の神秘を学ぶ事が出来るだろう。まさに『天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされる』(マタイ5:18) である。
 ヘブライ大学で22年勉強したキム先生の友人が、言ったそうだ。ヘブライ語は神の言語であり、霊的言語であり、天国の言語だ、と。実際、神の言葉・聖書が記されているヘブライ語は、調べれば調べるほど、いのちのDNAが、宇宙の法則と組成が、そして、神の息遣いが組み込まれている、と、実感して来る。
 『初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。』(ヨハネ1:1) 私達は聖書を、世にあまたある本の一つとして扱ってはならない。天地を創造し、いのちを創造し、そして全宇宙の法則以上の根源的な言葉として重んじ、そして、御言葉を「神ご自身」として敬いつつ、私達のうちに摂り入れるべきである。
 

 

早天礼拝
ひとりの人が死んで多くの国民が死なないほうが得である(ヨハネ11:47-57)
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第二テモテ 講解説教 水曜夕礼拝
霊の父として(2テモテ1:1-8)
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 エレミヤ書 講解説教 水曜昼礼拝

バビロンを破壊する者の霊を奮い立たせる主(エレミヤ51:1-35)

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早天礼拝
御霊と知恵と信仰と力に満ちたステパノ(使徒6:8-15 )
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主日礼拝
救いの働きの根幹 : 聖霊とまぼろしと福音(使徒16:6-10)
第一礼拝 Youtube動画
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週報/メッセージ(説教)概要

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 先々週、韓国コーエンにて、総長のポール・カン先生から、救いの働きについての重要な概念を学んだ。
 鍵はやはり、聖霊である。カン先生は言う。韓国のキリスト教はなぜ衰退してしまったのか。それは、韓国の教会は最近、繁栄神学にのめりこみ、本質を忘れてしまったからだと。また、日本はなぜ優れた神学者が多いのに、リバイバルが起きないのか。それは、学問はしっかりしているものの、聖霊が無いからだ、と。
 パウロは言った。『わたしたちの福音があなたがたに伝えられたとき、それは言葉だけによらず、力と聖霊と強い確信とによったからである。』(1テサロニケ1:5) パウロはテサロニケでは、わずか3週間しか宣教できなかったのに、そこの聖徒たちは、パウロが不在にもかかわらず、マケドニヤとアカヤの聖徒達の模範と呼ばれるまでに霊的成長を遂げ。それは、パウロの力と聖霊と強い確信に満ちた宣教に他ならない。
 
 礼拝において、また悪しき者との戦いにおいて、御言葉と聖霊のどちらが先であるべきか。それは、聖霊である。イエス様は「霊とまこと(真理)」による礼拝者を父は求めておられる、と言われた(ヨハネ4:23)。パウロも悪魔と戦うための武器は「御霊の与える御言葉の剣」と言った(エペソ6:17)。いずれも御霊が先である。
 宣教とは、国境や言語、文化を超えて、異なった地に福音を伝えに行く事であるが、そのコンセプト(定義)を、パウロは3つの単語であらわした。すなわち、1,聖霊、2,まぼろし、3,福音、である。その根拠となる御言葉が、今回の、使徒16:6-10におけるパウロの宣教の箇所である。
 『それから彼らは、アジヤで御言を語ることを聖霊に禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤ地方をとおって行った。そして、ムシヤのあたりにきてから、ビテニヤに進んで行こうとしたところ、イエスの御霊がこれを許さなかった。それで、ムシヤを通過して、トロアスに下って行った。』(6-8節) ルステラからトロアスまでの道のりは、千キロ以上。車や飛行機が無い当時の、千キロの伝道旅行は、どれほど労が多かっただろう。
 パウロ達が行く先々で、聖霊は、ことごとく御言葉を語る事を禁じられた。人は思う。御言葉を伝える事は、至上の良い事だ、自分は至上の良い事をしているのに、なぜ結果が得られないのか、と。しかしそのような時こそ、私達は自分の善悪判断を投げ捨て、聖霊が導かれる事に従順すべきである。御霊が禁じられる時、どんなに「良い事」を頑張っても、実りは一切無い。パウロ達は行く先々で、神がかり的なストップをされ続け、主に祈り求めた結果、見せられたのが、うめき懇願しているマケドニア人の「まぼろし」だった。
 『ここで夜、パウロは一つの幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が立って、「マケドニヤに渡ってきて、わたしたちを助けて下さい」と、彼に懇願(パラカレオー)するのであった。』(9節)
 どうか、こちらに渡って来てください。海を超え、境界を超え、私達を助けに来て下さい。私達の罪から、訴えて来るサタンから、悲惨に満ちたこの世から、そして、地獄の滅びから、私達を救い出してください…。
 私達は、闇雲に自分が良いと思った事をしてしまいがちだ。しかし一切をご存知であられる主は、世界の片隅にある人のうめき、懇願をご存知であり、それを「まぼろし」として見せて下さる。
 パウロがあんなに伝道に熱心だったのは、何ゆえか。なぜ、鞭打ちされても、石打ちにされても、海の難、盗賊の難に遭っても、なお伝道旅行に出かけて行ったのか。彼は言っている。わたしは全ての人に返さなくてはならない負債を負っている、と(ローマ1:14)。この、イエス様の深い憐れみ、聖霊の深いうめき、そして、救いを届けるという「借金返済」を、何とかして、しなくては、という熱心が、彼を突き動かしていたのだ。
 パウロは、アジア宣教を聖霊によって止められ続け、不毛な働きに疲れた時、自分の思いを全て主に明け渡しただろう。その時、主は、まぼろしを見せて下さった。私達も、自分の「よかれ」や、善悪判断は粉々に割って、そして主の御旨を求めるべきである。その時、その人がきよければ、主はまぼろしを見せてくださり、主はその人に、ご自身のうめき、憐れみ、ご計画を示し、そしてその人は、突き動かされて出て行く。
 
 あの、パウロに懇願したマケドニア人は、その後どうなっただろう。パウロ達がマケドニア入りして、最初に宣教した地・ピリピに、「ルデヤの家」という、ヨーロッパ最初の「教会」が建った。以降、ヨーロッパはキリスト教が最も栄え、そして世界中に宣教師を送り出す地として、霊的にも文明的にも大いに発展して行った。
 聖霊を求め、まぼろしを求めるべきである。「国を超え、ことばを超え、私達を助けに来てください」、というまぼろしを得て、聖霊のうめきを共にし、イエス様のはらわたがちぎれるような憐れみを共に溢れさせつつ、いのちの働きに進み行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

第二テモテ 講解説教 水曜夕礼拝
第二テモテへの手紙概要(2テモテ1:1-2)
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早天礼拝

教会が成長するにつれ出てくる問題への正しい対処(使徒6:1-7)

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早天礼拝
奴隷が、牢屋の囚人が、総理大臣へとなる道(創世記39:20-23)
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創世記39:20 そしてヨセフの主人は彼を捕えて、王の囚人をつなぐ獄屋に投げ入れた。こうしてヨセフは獄屋の中におったが、

39:21 主はヨセフと共におられて彼にいつくしみを垂れ、獄屋番の恵みをうけさせられた。

39:22 獄屋番は獄屋におるすべての囚人をヨセフの手にゆだねたので、彼はそこでするすべての事をおこなった。

39:23 獄屋番は彼の手にゆだねた事はいっさい顧みなかった。主がヨセフと共におられたからである。主は彼のなす事を栄えさせられた。

 

創世記39:2 主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な者となり、その主人エジプトびとの家におった。

39:3 その主人は主が彼とともにおられることと、主が彼の手のすることをすべて栄えさせられるのを見た。

39:4 そこで、ヨセフは彼の前に恵みを得、そのそば近く仕えた。彼はヨセフに家をつかさどらせ、持ち物をみな彼の手にゆだねた。

39:5 彼がヨセフに家とすべての持ち物をつかさどらせた時から、主はヨセフのゆえにそのエジプトびとの家を恵まれたので、主の恵みは彼の家と畑とにあるすべての持ち物に及んだ。

 

ダニエル1:17 この四人の者には、神は知識を与え、すべての文学と知恵にさとい者とされた。ダニエルはまたすべての幻と夢とを理解した。

1:18 さて、王が命じたところの若者を召し入れるまでの日数が過ぎたので、宦官の町は彼らをネブカデネザルの前に連れていった。

1:19 王が彼らと語ってみると、彼らすべての中にはダニエル、ハナニヤ、ミシャエル、アザリヤにならぶ者がなかったので、彼らは王の前にはべることとなった。

1:20 王が彼らにさまざまの事を尋ねてみると、彼らは知恵と理解において、全国の博士、法術士にまさること十倍であった。

1:21 ダニエルはクロス王の元年まで仕えていた。

 

創世記39:7 これらの事の後、主人の妻はヨセフに目をつけて言った、「わたしと寝なさい」。

39:8 ヨセフは拒んで、主人の妻に言った、「御主人はわたしがいるので家の中の何をも顧みず、その持ち物をみなわたしの手にゆだねられました。

39:9 この家にはわたしよりも大いなる者はありません。また御主人はあなたを除いては、何をもわたしに禁じられませんでした。あなたが御主人の妻であるからです。どうしてわたしはこの大きな悪をおこなって、神に罪を犯すことができましょう」。

 

ダニエル1:8 ダニエルは王の食物と、王の飲む酒とをもって、自分を汚すまいと、心に思い定めたので、自分を汚させることのないように、宦官の長に求めた。

 

2テモテ2:20 大きな家には、金や銀の器ばかりではなく、木や土の器もあり、そして、あるものは尊いことに用いられ、あるものは卑しいことに用いられる。

2:21 もし人が卑しいものを取り去って自分をきよめるなら、彼は尊いきよめられた器となって、主人に役立つものとなり、すべての良いわざに間に合うようになる。

 

1ペテロ5:6 だから、あなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい。時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう。

5:7 神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。

5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。

5:9 この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。あなたがたのよく知っているとおり、全世界にいるあなたがたの兄弟たちも、同じような苦しみの数々に会っているのである。

5:10 あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。

5:11 どうか、力が世々限りなく、神にあるように、アァメン。

主日礼拝
未来が開けている今なすべき事(申命記1:8)
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週報/メッセージ(説教)概要

 
 天声のカレンダーの8月の御言葉は、申命記1:8であった。『見よ、わたしはこの地をあなたがたの前に置いた(ナタティ:与えた)。この地にはいって、それを自分のものとしなさい。これは主が、あなたがたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓って、彼らとその後の子孫に与えると言われた所である』。』 この希望に溢れた御言葉は、どのように語られ、私達に何を教えるか。8月に入った今、この御言葉から恵みを得たい。
 
 この言葉はいつ、どこで与えられたか。『われわれの神、主はホレブにおいて、我々に言われた』(6a節) 
主がホレブでイスラエルに言われた時。それは、荒野の40年の「前」、ヨシュアもカレブも若かりし頃、出エジプトした60万人の男子が、荒野で死に絶える前、彼らがまだ健在だった時である。ホレブからカデシュ・バルネアまで、11日で行ける距離(2節)で、その時、約束の地にはすぐにでも入れる希望があった。
 その、約束の地のいよいよ一歩手前であるカデシュ・バルネアに来た時、モーセは、「主はこの地をあなたの手に渡した、上れ、占領せよ、恐れてはならない、おののいてはならない」と言った(21節)。
もう後は、ただ主から言われた通り、信じて行けば良かった、のに、彼らは余計な事をしてしまった。
 モーセは部族ごとに「知恵があり、悟りがあり、経験のある人々」を千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長とした(13節)。彼のしゅうと・イテロの助言は、「有能な人で、神を恐れ、誠実で不義の利を憎む人」から人選しなさい(出18:21)、だったのに、モーセは、神を畏れる人でなく、誠実な人でもなく、不正の利を憎む人でもなく、「知恵があり、悟りがあり、経験のある人々」を長とした。そこが過ちの始まりだった。
 
 彼らは、神の「行け」というシンプルな命令を、脇に置き、人間中心の提案を別途立てた。『我々は人を先に遣わしてその地を探らせ、どの道から上るべきか、どの町々に入るべきかを復命させましょう。』(22節)
 世の中では、見えない御言葉への信仰で動くよりも、経験と調査を重視し易く、また、人選する時も、神を恐れ不正を憎む誠実な人よりも、経験豊富で多少不正を犯してでも”成果を上げる人”を選びやすい。
 世では、それが通常であっても、神の国の長たる者は、まず、神を恐れる者でなければならない。なぜなら神の国の事柄は、人間的な力や量、効率よりも、全能の神に従う事こそ、最優先すべきものだからだ。
 結局、彼らの提案を受けて行った「事前調査」の結果は、人々を恐れさせ、御言葉からさらに離れさせ、人間中心の提案が大勢を占めるようになり、モーセ達は石打ちにしてエジプトへ帰ろう、と言い出した。
 主は怒って、誓って言われた。『この悪い世代のこれらの者のうちには、わたしが、あなたがたの先祖たちに与えると誓ったあの良い地を見る者は、ひとりもいない。ただエフネの子カレブだけがそれを見ることができる。彼が踏んだ地を、わたしは彼とその子孫に与えよう。彼は主に従い通したからだ。』(34-36節)
 
 主に聞き従わない事、イコール、滅びの道であるが、その根源は、御言葉を無視し自分で善悪判断する思考である。結局、約束の地に入れた人は誰だったか?『あなた方が、かすめられるであろうと言ったあなたがたのおさなごたち、およびその日にまだ”善悪”をわきまえないあなたがたの子供たちが、そこに入るであろう。わたしはそれを彼らに与える。彼らはそれを所有とするであろう。』(39節) 主イエス様も言われた。悔い改めて「子どものように」信じない限り、決して天の御国には入れない、と(マタイ18:3)。
 荒野で滅びる事が確定してしまった者達と、アダムとエバとに共通している事。それは、御言葉を無視し、自分の善悪判断で行動した事、その結果、死と呪いを刈り取り、主が用意された良き地から吐き出されてしまった事だ。『こうしてあなた方は、あなた方が留まった期間だけの長い間カデシュに留まった。』(46節)
 私達は、自分の経験や感覚よりも、常に御言葉の約束を優先して頼って生きるべきであり、常に、御言葉による計測飛行をしているかどうか、感覚による目視飛行をしていないかどうかに、注意する必要がある。
目で見える現実が、感覚が頭をもたげる時こそ、テフィリンによって御言葉に寄りすがるべきだ。
 
 8月に入り、この言葉の成就が、特に積極的に攻め取ろうとする聖徒達・働き人達に、間近に迫っている。
約束の地をいよいよ前にした時、人間中心の思考が頭をもたげる時、不信仰な人達による思考がもたげる時こそ、御言葉に寄りすがって行くべきである。そのためにはテフィリンで御言葉を自分になじませる事が有効だ。未来がまだ開けている今、ますます御言葉にあって大胆に進みゆく皆さんでありますように!
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