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メッセージ - 礼拝メッセージ説教音声配信カテゴリのエントリ

御言葉によって神の「良し」へと再創造される私達(詩篇19:1-6)
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詩篇19篇の中盤、7節から9節には、主(エホバ)の御名が1節に2つづつ、合計6回登場し、主エホバの御言葉と交わる事の素晴らしい効用がリストアップされている。

19:7a 主の「おきて(トーラー)」は完全であって、魂を「生きかえらせ(シューブ)」

ユダヤ人は「テフィリン教育」すなわち御言葉の暗唱教育をしており、そのため、世界的な天才を多く排出し、富においても支配権においても大きな力を持っている。
この、御言葉暗唱の効用の第一が、「たましいを生き返らせる」事である。
暗唱の過程で、御言葉を1節1節繰り返して宣言して行くごとに、罪と肉に埋もれた人間の魂は、息を吹き返し、耳が、脳が、心が、霊が、蘇生して行くのだ。

主エホバの「おきて(トーラー)」は完全である。
トーラーは主の御言葉であり、そして主の御言葉は、世界を創造した。
主が「光よあれ」と言えば、光が出来、主の言葉によって全宇宙も全被造物も、全生物も、そして私達人間も創造され、そして存続している。
主は、創造したそれら全てを見て「はなはだ良し」と宣言された。(創世記1:31)

その、完全なる主の御言葉が、テフィリンによって私達の中に刻み込められて行く時、魂の生き返り(シューブ)が行われ、罪によってぼろぼろになってしまった私達の人生の中に、主のトーブ(良し)が息吹かれ、再構築されて行くのだ。
シューブとは「帰る」という意味であるが、つまり、主の最初の創造のトーブから離れてしまった私達の中に、主の御言葉が浸透して行く事によって、当初のトーブへと、どんどん「帰る」のである。

19:7b 主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。

私達がテフィリンをするべきもう一つの理由は、賢くなるからである。
主の御言葉が入っていけば行くほど、知恵が高められて行く。
ユダヤ人が頭脳が優れているのは、テフィリン教育によって育てられたからだ。

19:8 主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。

主のさとし(ピクド:定められた法令、戒め、教訓)は、正しく、それを聞けば、心は喜びを覚える。
御言葉をテフィリンする人は、どんどん喜びが増し加わっていき、表情が良くなって行き、目に輝きが増していく。
ユダヤ人女性は美女が多い、と言われているが、それは、まさにテフィリン教育のためであり、御言葉を取り入れる事こそ、最高のエステであると言って良い。

19:9 主を恐れる道は清らかで、とこしえに絶えることがなく、主のさばきは真実であって、ことごとく正しい。

きよくなる事を目指す人は多いが、「主を恐れる事」なしには、あり得ない。
御言葉が入ると、正しく恐れるべきお方が分かるようになる。
そして、正しい真理に立つ事によって、キリストにある私達は、悪魔サタンを少しも恐れる必要が無い、という事も分かるようになって行く。

詩篇19篇の後半では、これら、主エホバの御言葉の素晴らしさが、結論として示されている。

19:10 これらは金よりも、多くの純金よりも「慕わしく(カゥマド)」、また蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い。
19:11 あなたのしもべは、これらによって戒めをうける。これらを守れば、大いなる報いがある。

「慕わしく(カゥマド)」するべきは、御言葉である。
カゥマドしてはならないもの、すなわち、手出ししてはならないものが、十戒で定められている。それはすなわち、隣人の妻や家、隣人の持ち物である。(申命記5:21)
また、主の忌み嫌われる、滅ぼし尽くすべきものもカゥマドしてはならない。
アカンは、聖絶すべきものを「欲しがって(カゥマド)」、自分のみならず、家族をも滅ぼしてしまった。(ヨシュア記7:21)
御言葉こそカゥマドすべきものであり、これは知れば知るほど、また味わえば味わうほどに甘く、麗しく、望ましいものになってゆく。

19:12 だれが自分のあやまちを知ることができましようか。どうか、わたしを隠れたとがから解き放ってください。
19:13 また、あなたのしもべを引きとめて、故意の罪を犯させず、これに支配されることのないようにしてください。そうすれば、わたしはあやまちのない者となって、大いなるとがを免れることができるでしょう。
19:14 わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いが/あなたの前に喜ばれますように。

人は意外と、自分のあやまちを知らない・気づきにくいものであるが、御言葉は、自分が気づかなかった「とが」を知る事が出来、そして、そこから離れる事が出来る手助けをしてくれる。
あるテフィリンを続けた人の体験談として、それまで、Aの物事に対しては無意識的にBで対応して来ていた人が、テフィリンをするようになると、Aで来た事に今までBで返そうとする直前、テフィリンで蓄えてきた御言葉が、その人の心にストップをかけ、さらに、今までBで返してきた事によって人を傷つけ、人から嫌われ、今まで見えていなかったBの行い故に自分が災いを被ってきた数々が思い出され、結果、Bはもはや止めて、御言葉に適ったCの方法で返すようになった、という。
テフィリンした人は、このような御言葉による無意識的・自動的な「矯正体験」を幾つも持っていて、人生つまづく要素がどんどん減って行った、という。

御言葉が入ると、その人の中の罪の性質は拭い去られ、それまで見えなかった、きよい道が見えるようになる。
そして、今まで見えていなかった自分の汚れた所も見えるようになり、恥じ入り、悲しみ、それを心底、投げ捨てる事が出来るようになっていくのだ。
偉大なわざをなすのは、主の御言葉である。

主日礼拝

隷属して生きる「くせ」に勝利するために(出エジプト記3章)

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週報/メッセージ(説教)概要

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 人は子供から大人へと成長していく過程で、色々な制限をかけられながら育って行く。あれをしなさい、これをしてはだめだ、と、周りから言われながら。時には心に傷を受けるほどの激しい言動を受けながら。
そうして自分の中に壁が構築されて行く。それは、無知な子供時代には、その人を防護するものであったかもしれないが、大人になってからその壁が健全に生きる事を阻む壁になってしまっている事がある。
大人になって家庭を持つにあたり、大胆に世界を駆け巡って、神様が用意して下さった祝福のあらゆる良いものを、自分の人生に取り入れ、それを家族や子供達に提供し、自分の家庭をますます富ませて行くのは健全な姿であるが、もし、構築された壁のために、主にあって進んで行くべき所に進めず、狭く貧しい「井の中の蛙」の状態で恐々として生きていかなくてはならないとするなら、それは除かれるべきものである。
エジプトで430年、奴隷として過ごして来たイスラエルの民は、まさにそういう状態だった。彼らは生まれた時から追い使う者の怒号や鞭の恐怖の下、隷属して生きる「くせ」がついてしまい、人生のために戦う事や、新しい未知の領域へ踏み込んで行く事を「するな」と言われて育ってしまった。これを、奴隷根性という。
天地を創造し、あの大空を創られ、全ての生き物に良いものを提供して下さった主は、天に属するお方。
健全で、気前良く、富んでおられ、スカッと晴れ渡った秋の大空よりも広くてすがすがしいお方である。
その主が仰せられた。『わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見、また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。わたしは彼らの苦しみを知っている。』(出エジプト記3:7) 主がモーセに現れたのは、彼らを奴隷としてこき使うエジプトから救い出し、彼らを良い広い地、乳と蜜の流れる地、先祖アブラハムに約束して下さった地、邪悪なカナン人達が占拠してしまっている地に、導き上るためだった。
主は言われる。今、イスラエルの人々の叫びが届き、エジプト人が彼らを虐げるそのしえたげを見た、と。
そしてモーセに言われる。『さあ、わたしは、あなたをパロにつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう』(10節) モーセはエジプトで育ち、エジプトの威力を知っており、散々な目に遭って、逃げて来た。強烈な恐れという壁が、モーセの中にあり、そんなエジプトの王へと使わされていくなど、とんでもない、と思っていた。しかしモーセは、再びエジプトへと戻って行く。奴隷として苦しみ、その不健全な束縛の中にある人々を救い出すために、そして、パロと主にあって対決するために。
彼はどうして、彼の中の壁を打ち破って戻って行く事が出来たのだろう。その根拠は何か?
彼が戻って行くことができたまず第一の根拠は、「主が共におられる」というしるし故である。『神は言われた、「わたしは必ずあなたと共にいる。これが、わたしのあなたをつかわしたしるしである。』(12節)
次に、全てのものを存在させ、存続させるお方が、彼を遣わされた故、である。『イスラエルの人々にこう言いなさい、「わたしは有る」という方が、わたしをあなた方の所へつかわされました、と。」(14節)
そして、その全存在の根源なるお方が、直々に手を延べ、エジプトを打って下さる故である(20節)。
私達も、私達を不当に奴隷にして来たサタン由来の「追い使う者」に、10の災いが降りかかるよう祈るのだ。
さらに主は、モーセに、奴隷として使われた430年分、溜まりに溜まった未払い賃金をごっそりと剥ぎ取らなければならない、と言って下さった(21-22節)。それらの期待ゆえ、モーセは行く事が出来たのである。

私達は、奴隷根性の怖じ気付いた霊を取り除いて下さい、と祈り、自らも追い出す「攻撃」をするべきだ。
主が約束して下さった御言葉を握り、祈りの中に込めて宣言し、その通り行うなら、いかに奴隷の性質が染み付いてしまった人でも、主は解放させてくださるのみならず、この時代のモーセとして用いて下さる。
私達も、この国にはびこる暗闇の勢力、男の子をナイルに投げ込んだエジプト由来の霊、自殺者を年間3万人も出させているこの国の空中の霊に、10の災いを宣言し、奴隷として苦しんでいる人々を解放するモーセのような働き人となる事を目指し、また、そのような指導者を、御言葉教育によって育てるべきだ。 
人生を狭い所で縮こませる「壁」や、エジプトが強いてきた奴隷根性、主の働きを「できません」と言って縮こませる思考パターン、ケチケチ精神など、全て押し付けられて来た束縛を、拒否し、投げ捨てるのだ。
主にある健全ないのちを束縛する不安や恐れに、雹が降る災い、蝿にたかられる災い、蛙にまみれる災いや、その他、エジプトに主が降らせた10の災いが降り、へし折られ、紅海の海に沈んで、二度と来なくなるよう宣言するのだ。そして自分の家族や事業に対しては、祝福を宣言し、今の時代のモーセとして用いられていく皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
父なる神が真に人に与えたかったまことのパンと、分からないでつまづく人達(ヨハネ6:28-51)
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賛美する地球、太陽、星々と、全宇宙の石たち(詩篇19:1-6)
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聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌
19:1a もろもろの天(ハ・シャマイム)は神の栄光をあらわし(サファール)、

この詩は、単なる詩的表現の羅列ではなく全宇宙的な真理の実体が記されている。

もろもろの天(ハ・シャマイム)とは、私達が空を見上げて見える青い空、白い雲のあの空のみならず、その向こう側の宇宙も、さらにその向こう側の天国も含めた「天たち」である。
それらは、神の栄光をあらわす。
この「あらわす」のヘブライ語はサファール、刻みつけ、あるいは刻印して語り告げる意味で、宇宙は、地球は、太陽は、そして天体の全星々は、神様が創世記1章で創造(バラ:創造する、秩序を立てる、秩序や存在を維持させ続ける)以来、ずっと神の栄光を刻みつけつつ回転し、軌道を巡り続けているのだ。

宇宙の星々は、実際、歌っている。
物体は歌う口はないし、宇宙空間は空気が無いので空気振動である声や歌は聞こえない、と思われがちだが、近年NASAによって、そうではない事が分かったのだ。
地球は回転しながら、電磁振動によって音を発しているし、宇宙空間は電磁バーストや電磁パルス、太陽風、荷電粒子などの振動があちこちに満ちている。
それらの振動は、人の耳では聞こえないが、それらを耳で聞こえる音に変換した所、なんと、美しい歌のように、あるいはどんな音楽にも合うようなメロディのように、どんな音楽にも合う伴奏のように聞こえるのだ。

「もろもろの天は神の栄光をあらわし」ている、というのは、詩的表現ではなく、実際にそうなのである。
イエス様も「石が叫ぶ」と言われた。
弟子達も、幼子たちも、「天には平和、いと高きところには栄光あれ」と、御使い達も賛美する賛美をもって喜びほめたたえた。
パリサイ人たちはそれを不服とし、叱るようにイエス様に求めたが、しかしイエス様は、もし彼らが賛美を止めるなら、石が賛美する、と言った。
事実、地球という大きな石は、詩篇にあるとおりに主を賛美しており、そして、地球にある、いや、全宇宙にある小さな石さえ、主を賛美しているのである。

宇宙広しといえども、神が、神の似姿に創られた主の栄光を称える存在とされたのは、この、地球に住んでいる人間だけである。
もし、私達人間が神を賛美しないなら、賛美する権利は、石に、星に、奪われてしまい、その人は、石もに劣る人間なのである。

19:1b 大空(ラキア)はみ手のわざをしめす(ナガド)。

大空(ラキア)は私達が空を見上げて見える、あの空である。1節の前半が、大気圏の外側の宇宙を言うなら、後半は、大気圏の内側を言う。
そこにおいては、御手のわざが示されている(ナガド)。
このナガドとは、明確に表明するという意味である。
この大気圏の内側においては、緑の自然の中を諸々の動植物が生き、海においても多くの生物が生きかい、空には鳥が飛んでおり、それらの全ては、神の栄光をあらわしている。

ローマ1:20 神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。

人は、この自然世界を見る時に、神の永遠の力と神性を明らかに認めており、これを見ておきながら「神はいない」と言うなら、それは不義をもって真理をはばもうとする人間であり、その、あらゆる不信心と不義とに対して、神の怒りが天から啓示される。(ローマ1:18)

19:2a この日は言葉をかの日につたえ、

ここでは、日(昼)は、また次の日に伝えるものがある。太陽がのぼると、地上の植物や動物はその光に輝き照らしだされ、伸びてゆき、育っていく。

日本や韓国などは、日ごとに太陽が登って沈むが、アラスカはアラスカなりに白夜と極夜による月単位の「昼と夜」がある。
それぞれの土地土地に適した太陽の登り方と沈み方をしているが、一年トータルで、日本もアラスカも太陽の時間は一緒である。
そしてそれぞれの地に群生している動物植物は、それぞれが適した所で育つ。
そして、そのトータルで、それぞれの神の栄光を褒め称えている。

19:2b この夜は知識をかの夜につげる。

ここでは、夜は知識を伝えるものだ、と書いてある。
人や動植物は、昼の間に動いて崩れてしまったバランスを、神が元々創造したプログラム(知識)を伝えて、修復する。
全被造物は、形状記憶合金のように、本来ある姿を記憶しており、その記憶を、夜が伝えて、本来ある姿から離れた所から、元の姿へと戻すのである。
だから、夜は休むべきなのだ。このように、神がプログラムして下さった昼の働きと夜の休みの営みを、逆転させてしまっている人は、体調や心に変調を来しやすいのはそのためである。

19:3 話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、

神の栄光と神の法則を、昼から昼へ、夜から夜へと伝える声や音も、宇宙が賛美する声同様、我々には聞こえないけれども、しかし確かにそれは存在し、全ての地へ伝えている。
この、神の栄光の伝令は、信仰の耳が与えられているクリスチャンには分かり、聞こえないけれどもその旋律を理解する。
それが全地にあまねく響き渡っている事を。

19:4 その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。神は日のために幕屋を天に設けられた。

全地は神の栄光の音楽を、オーケストラのハーモニーをもって奏でているのだ。
地球も、太陽も、そして全宇宙にある星々も、その中にある一つ一つのちいさな石も。

19:5 日は花婿がその祝のへやから出てくるように、また勇士が競い走るように、その道を喜び走る。
19:6 それは天のはてからのぼって、天のはてにまで、めぐって行く。その暖まりをこうむらないものはない。
 

あらゆるコンテストでトップになる人の性質(詩篇18:37-50)
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ダビデの人生を象徴的に表す詩の最終部分において、彼はそれまでして来た戦いについて、そして敵に対し、主がどのようにされて来たかを記している。

18:37 わたしは敵を追って、これに追いつき、これを滅ぼしつくすまでは帰らなかったのです。
18:38 わたしが彼らを突き通したので、彼らは立ちあがることができず、わたしの足もとに倒れました。
18:39 あなたは戦いのためにわたしに力を帯びさせ、わたしに立ち向かう者らをわたしのもとに、かがませられました。
18:40 あなたは敵にその後をわたしに向けさせられたので、わたしは自分を憎む者を滅ぼしました。

ダビデは敵を追いかけて、追いつき、滅ぼしつくした。
私達が戦う敵とは、血の通った人間ではなく、私達の家族や人生を、そして、信仰生活を脅かす、あらゆる主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊である。(エペソ6:12)
だからもし、家族や人生を、そして、信仰生活を脅かす人がいるとするなら、その「人」をそそのかしている主権や闇を攻撃するのであり、その人に対しては、その主権や闇から解放されるように執り成すべきである。

もし、「敵」が私達の内に潜む、罪、愚かさ、あるいは自堕落なくせや性質であるとするなら、ダビデのようにそれを攻撃し、追いかけ、徹底的に打ち砕き、二度と立つことができないまでに、滅ぼし尽くすべきである。
そうしないと、敵はすぐにまた体制を建て直して戻ってきて、悩まされるからだ。
戦いも、追いかける事もある種のしんどさがあるが、それを面倒臭がっていると、やがてはその敵は居座って、出て行かなくなってしまう。
しかし、しっかり敵を追いかけて滅ぼし尽くすならば、生涯安泰である。

ギデオンは、三百人で十万以上の敵に勝利する快挙を成し遂げた直後、それで安住せずに、そのまま休まず追撃しに行った。
彼らは同国民から気落ちさせるような事を言われても、追撃の手を休ませず、川を超え、敵が一息ついている所を急襲し、滅ぼし尽くした故に、敵は二度と立ち上がれなくなり、ギデオンの生きている間、ずっと安泰だった。(士師記6-8章)

ヨシュアも、邪悪な先住民たちを滅ぼし尽くすために戦った時、主は太陽や月の動きを止めてまでして、ヨシュア達を助けられた。(ヨシュア記10章)
私達も、自分の肢体に住みついている罪の性質を滅ぼし尽くす努力をし、追撃するなら、主は、太陽や月さえ動かす程の力で助けて下さるのだ!

18:41 彼らは助けを叫び求めたが、救う者はなく、主にむかって叫んだけれども、彼らに答えられなかったのです。
18:42 わたしは彼らを風の前のちりのように細かに砕き、ちまたの泥のように打ち捨てました。

ダビデは、主に叫び求めたら、主が答えて下さり、主は、天を押し曲げて降りてまでダビデを助けられた。
しかし、ダビデを攻めてきた敵は、主にむ向かって叫んでも答えがなかった。
この差は一体、何だろう。
これは、主と主の言葉に対する態度の差である。

詩篇18篇は、ダビデが特にサウルの手から救われた時に記したが、サウルはまさに、主に向かって叫んでも、答えはなかった。
彼は最大の危機に瀕した時、主に伺おうとしたが、祭司にも、預言者にも、夢によっても何の導きも得られなかった。
それはサウルは、祭司を虐殺し、預言者を軽んじ、常々主に対して不誠実だったからだ。
彼は、主からの答えがないと、一晩中悔い改めの祈りをする事もせず、その夜のうちにさっさと口寄せ女に導きを求に行ってしまった。
このような、主に対して不誠実な者は、いくら主を呼んでも答えは無い。
しかし、ダビデのように普段から主を恐れ敬う人は、この詩の通りに、主が盾となり、救いの岩となって下さり、彼が主に助けを呼び求める時、主は天を押し曲げて降りてこられ、速やかに救い出して下さるのだ。

18:43 あなたは民の「争い(リーブ)」からわたしを救い、わたしをもろもろの国民のかしらとされました。わたしの知らなかった民がわたしに仕えました。
18:44 彼らはわたしの事を聞くと、ただちにわたしに従い、異邦の人々はきて、わたしにへつらいました。
18:45 異邦の人々は打ちしおれて、その城から震えながら出てきました。

「争い(リーブ)」は競争、コンテストの意味がある。
スポーツや、あらゆるコンテストなどで、クリスチャンが優勝し、主に栄光を捧げている場面はよく聞くし、よく目にする。
主が彼らを勝利させて下さるのは、彼らが勝利した時に、彼らは主に栄光を捧げるという事を、主が知っておられるからであり、もし、自分の欲や名誉のために「優勝させて下さい」と願うなら、それは虫が良すぎる願いである。

18:46 主は生きておられます。わが岩はほむべきかな。わが救の神はあがむべきかな。
18:47 神はわたしにあだを報いさせ、もろもろの民をわたしのもとに従わせ、
18:48 わたしの敵からわたしを救い出されました。まことに、あなたはわたしに逆らって/起りたつ者の上にわたしをあげ、不法の人からわたしを救い出されました。
18:49 このゆえに主よ、わたしはもろもろの国民のなかであなたをたたえ、あなたのみ名をほめ歌います。
18:50 主はその王に大いなる勝利を与え、その油そそがれた者に、ダビデとその子孫とに、とこしえにいつくしみを加えられるでしょう。


ダビデは主に信頼し、主に守られるたびに主に感謝を捧げ、詩と賛美をつくって主を褒め称えた。
ダビデは、勝利すれば勝利する程、彼は主に栄光をささげ、主の栄光が増し加わって行った。それだから主も、ダビデをもっともっと勝利させて行ったのだ。
そうして、あらゆる外国人はダビデを恐れるようになり、そして、ダビデが仕える主を恐れ敬う心が、国々へと広がって行った。
私達も、主に信頼して歩むなら、相手がいかに強者であったとしても主は勝利させて下さり、まだ見ぬ敵さえ恐れさせ、ますます主の栄光のために用いられて行くのだ。

勉強というコンテストで、ビジネスというコンテストで、主から上を行かせてくださる皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

暴虐をもたらす姦淫の罪(2サムエル記11:16-27)
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2サムエル記11:16 ヨアブは町を囲んでいたので、勇士たちがいると知っていた場所にウリヤを置いた。
11:17 町の人々が出てきてヨアブと戦ったので、民のうち、ダビデの家来たちにも、倒れるものがあり、ヘテびとウリヤも死んだ。

創世記6:1 人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、
6:2 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。
6:3 そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。
6:4 そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。
6:5 主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。
6:11 時に世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた。
6:12 神が地を見られると、それは乱れていた。すべての人が地の上でその道を乱したからである。

2サムエル記11:26 ウリヤの妻は夫ウリヤが死んだことを聞いて、夫のために悲しんだ。
11:27 その喪が過ぎた時、ダビデは人をつかわして彼女を自分の家に召し入れた。彼女は彼の妻となって男の子を産んだ。しかしダビデがしたこの事は主を怒らせた。

レビ記18:2 「イスラエルの人々に言いなさい、『わたしはあなたがたの神、主である。
18:3 あなたがたの住んでいたエジプトの国の習慣を見習ってはならない。またわたしがあなたがたを導き入れるカナンの国の習慣を見習ってはならない。また彼らの定めに歩んではならない。
18:19 あなたは月のさわりの不浄にある女に近づいて、これを犯してはならない。
18:20 隣の妻と交わり、彼女によって身を汚してはならない。
18:21 あなたの子どもをモレクにささげてはならない。またあなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。
18:22 あなたは女と寝るように男と寝てはならない。これは憎むべきことである。
18:23 あなたは獣と交わり、これによって身を汚してはならない。また女も獣の前に立って、これと交わってはならない。これは道にはずれたことである。
18:24 あなたがたはこれらのもろもろの事によって身を汚してはならない。わたしがあなたがたの前から追い払う国々の人は、これらのもろもろの事によって汚れ、
18:25 その地もまた汚れている。ゆえに、わたしはその悪のためにこれを罰し、その地もまたその住民を吐き出すのである。
18:26 ゆえに、あなたがたはわたしの定めとわたしのおきてを守り、これらのもろもろの憎むべき事の一つでも行ってはならない。国に生れた者も、あなたがたのうちに宿っている寄留者もそうである。
18:27 あなたがたの先にいたこの地の人々は、これらのもろもろの憎むべき事を行ったので、その地も汚れたからである。
18:28 これは、あなたがたがこの地を汚して、この地があなたがたの先にいた民を吐き出したように、あなたがたをも吐き出すことのないためである。
18:29 これらのもろもろの憎むべき事の一つでも行う者があれば、これを行う人は、だれでもその民のうちから断たれるであろう。
18:30 それゆえに、あなたがたはわたしの言いつけを守り、先に行われたこれらの憎むべき風習の一つをも行ってはならない。またこれによって身を汚してはならない。わたしはあなたがたの神、主である』」。

詩篇51:3 わたしは自分のとがを知っています。わたしの罪はいつもわたしの前にあります。

詩篇32:1 そのとががゆるされ、その罪がおおい消される者はさいわいである。
32:2 主によって不義を負わされず、その霊に偽りのない人はさいわいである。
32:3 わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時は、ひねもす苦しみうめいたので、わたしの骨はふるび衰えた。
32:4 あなたのみ手が昼も夜も、わたしの上に重かったからである。わたしの力は、夏のひでりによって/かれるように、かれ果てた。〔セラ
32:5 わたしは自分の罪をあなたに知らせ、自分の不義を隠さなかった。わたしは言った、「わたしのとがを主に告白しよう」と。その時あなたはわたしの犯した罪をゆるされた。〔セラ
32:6 このゆえに、すべて神を敬う者はあなたに祈る。大水の押し寄せる悩みの時にも/その身に及ぶことはない。

目に見えるものを根拠とする物理的論理計算と、共にいます主を根拠とする霊的論理計算(申命記1:21-33)
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エジプトでの奴隷状態から解放して下さった主は、最初、最短ルートで約束の地へと導き、あと山ひとつ超えれば約束の地だというカデシュ・バルネアに来た。

申命記1:21 見よ、あなたの神、主はこの地をあなたの前に置かれた。あなたの先祖の神、主が告げられたように、上って行って、これを自分のものとしなさい。恐れてはならない。おののいてはならない』。

この言葉を信じてそのまま進み行けば、約束の地はものに出来たのであるが、しかし民は別の提案を付け加える。

申命記1:22 あなたがたは皆わたしに近寄って言った、『われわれは人をさきにつかわして、その地を探らせ、どの道から上るべきか、どの町々に入るべきかを、復命させましょう』。
1:23 このことは良いと思ったので、わたしはあなたがたのうち、おのおのの部族から、ひとりずつ十二人の者を選んだ。

ところが、これが荒野の40年の元になってしまった。
彼らはモーセと同じ計算方法・評価基準ではなく、共にいます主を除外した、肉的・物理的な論理計算をしたのだ。

1:24 彼らは身をめぐらして、山地に上って行き、エシコルの谷へ行ってそれを探り、
1:25 その地のくだものを手に取って、われわれのところに持って下り、復命して言った、『われわれの神、主が賜わる地は良い地です』。
1:26 しかし、あなたがたは上って行くことを好まないで、あなたがたの神、主の命令にそむいた。

彼らは目に見えた相手と、自分とを比較した。共にいます主を除外して。
そればかりでない。

1:27 そして天幕でつぶやいて言った。『主はわれわれを憎んでアモリびとの手に渡し、滅ぼそうとしてエジプトの国から導き出されたのだ。
1:28 われわれはどこへ上って行くのか。兄弟たちは、「その民はわれわれよりも大きくて、背も高い。町々は大きく、その石がきは天に届いている。われわれは、またアナクびとの子孫をその所で見た」と言って、われわれの心をくじいた』。

彼らは天幕の中でつぶやいた。公にではなく、ひそひそと。
Num 13:32 そして彼らはその探った地のことを、イスラエルの人々に「悪く言いふらし(ディバー)」て言った、「わたしたちが行き巡って探った地は、そこに住む者を滅ぼす地です。またその所でわたしたちが見た民はみな背の高い人々です。
ディバーはダバル(言葉)の変形で、特にひそかな話、悪意ある話を意味する。
だから彼らは、公な言葉ではなくひそひそ話をして、あるいは、天幕の中で、あるいは、心の中で、ひそかにモーセに、カレブをばかにし、その言葉はありえないと、現実的でないと、彼らはつぶやいたのだ。
しかも、主は自分たちを愛して、共にいて共に戦ってあの地を占領させてくださる、ではなく、主は自分たちを憎んで、相手に渡すのだ、と、真逆の評価をした。

1:29 その時、わたしはあなたがたに言った、『彼らをこわがってはならない。また恐れてはならない。
1:30 先に立って行かれるあなたがたの神、主はエジプトにおいて、あなたがたの目の前で、すべてのことを行われたように、あなたがたのために戦われるであろう。
1:31 あなたがたはまた荒野で、あなたの神、主が、人のその子を抱くように、あなたを抱かれるのを見た。あなたがたが、この所に来るまで、その道すがら、いつもそうであった』。

モーセは、霊的論理で説き伏せようとした。すなわち、「神あり」の前提で。

1:32 このように言っても、あなたがたはなお、あなたがたの神、主を信じなかった。
1:33 主は道々あなたがたの先に立って行き、あなたがたが宿営する場所を捜し、夜は火のうちにあり、昼は雲のうちにあって、あなたがたに行くべき道を示された。

残念ながら彼らは信じなかった、ゆえに、荒野での40年が確定してしまう。

1:34 主は、あなたがたの言葉を聞いて怒り、誓って言われた、
1:35 『この悪い世代の人々のうちには、わたしが、あなたがたの先祖たちに与えると誓ったあの良い地を見る者は、ひとりもないであろう。
1:36 ただエフンネの子カレブだけはそれを見ることができるであろう。彼が踏んだ地を、わたしは彼とその子孫に与えるであろう。彼が全く主に従ったからである』。

私達は、相手の富んでいる様を見てはならない。

詩篇49:16 人が富を得るときも、その家の栄えが増し加わるときも、恐れてはならない。

人はどういうわけか、相手が富むと、恐れをなす性質がある。比較するから、卑屈になるのだ。

49:20 人は栄華のうちに長くとどまることはできない。滅びうせる獣にひとしい。

カナン人は、けものに等しかった。神を知らず、恐れなかったからだ。
しかし人は滅び失せる獣に等しい彼らを恐れた。そのため、40年の荒野での不便を体験しなければならなかった。

ダビデの時も同じである。
彼以外の大人たちは、ペリシテ人の体の大きさや武力に長けた様、武器や防具を見て、恐れ、40日の屈辱を味わい続けた。
ダビデはどう評価したか。

1サムエル記17:26 ダビデはかたわらに立っている人々に言った、「このペリシテびとを殺し、イスラエルの恥をすすぐ人には、どうされるのですか。この割礼なきペリシテびとは何者なので、生ける神の軍をいどむのか」。
17:36 しもべはすでに、ししと、くまを殺しました。この割礼なきペリシテびとも、生ける神の軍をいどんだのですから、あの獣の一頭のようになるでしょう」。
17:45 ダビデはペリシテびとに言った、「おまえはつるぎと、やりと、投げやりを持って、わたしに向かってくるが、わたしは万軍の主の名、すなわち、おまえがいどんだ、イスラエルの軍の神の名によって、おまえに立ち向かう。

大人たちはどう評価したか。
17:4 時に、ペリシテびとの陣から、ガテのゴリアテという名の、戦いをいどむ者が出てきた。身のたけは六キュビト半。
17:5 頭には青銅のかぶとを頂き、身には、うろことじのよろいを着ていた。そのよろいは青銅で重さ五千シケル。
17:6 また足には青銅のすね当を着け、肩には青銅の投げやりを背負っていた。
17:7 手に持っているやりの柄は、機の巻棒のようであり、やりの穂の鉄は六百シケルであった。彼の前には、盾を執る者が進んだ。
17:33 サウルはダビデに言った、「行って、あのペリシテびとと戦うことはできない。あなたは年少だが、彼は若い時からの軍人だからです」。
17:38 そしてサウルは自分のいくさ衣をダビデに着せ、青銅のかぶとを、その頭にかぶらせ、また、うろことじのよろいを身にまとわせた。

主を考慮に入れず、ただ相手と自分を比較して、相手が持っているもの、自分が持っていないものを、ひがむ、卑屈な、奴隷根性。
これが、40という数字の放浪を呼び込む。
私達はヨシュアのように、カレブのように、ダビデのように、霊的な計算をはじき、大胆に進み出て、勝利し、祝福を勝ち取るものでありたい。

従順という要塞を打ち破る武器(詩篇18:30-36)
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_______________ 
18:30 この神こそ、その道は完全であり、主の言葉は「真実:ツァラフ」です。主はすべて寄り頼む者の盾です。

「真実」と訳された語ツァラフは、元々「金属等を溶かす、ためす、純粋にする」の意味である。
神の御言葉は、人がどれほど試したとしても、一切不純なものが出てこない、完全に純粋なものである。

銀が、土の炉で何度もためす内に、どんどん純化され、美しさと価値を増して行くように、私達も、私達という「土の炉」で御言葉をよく咀嚼し吟味して行くなら、御言葉は私達の内でどんどん光を放ちって行く。
そして神の目の前に、純粋さ、高価さを増して行く。

そのような人が宣言する御言葉には、剣のような鋭さと恐ろしさがあり、力と権威があり、そして、愛と憐れみがある。
御言葉を信じ、その通り行う時には、癒やしが起こり、物事の解決や必要の満たしが起こり、奇跡も起きる。
主の言葉こそが、たとえ世が滅んだとしても決して滅びることのない、永遠を耐えるものであり、その素晴らしさと尊さを知ったダビデは、以下のように続ける。

18:31 主のほかに、だれが神でしょうか。われらの神のほかに、だれが岩でしょうか。

まさにそうである。ひと度、良いものを味わってしまったなら、不純なものには戻れなくなってしまう。
この御方の完全な力と愛、憐れみに、ひと度ひたされてしまったなら、もはや、他に何かを頼りにする必要性を覚えることがなくなり、ただ主だけを求めるようになって行くのだ。

18:32 神はわたしに力を帯びさせ、わたしの道を安全にされました。
18:33 神はわたしの足をめじかの足のようにされ、わたしを高い所に安全に立たせ、
18:34 わたしの手を戦いに慣らされたので、わたしの腕は青銅の弓をもひくことができます。

これらの優れた力と武器は、御言葉に服従した人のものである。

2コリント10:4 わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。わたしたちはさまざまな議論を破り、
 10:5 神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ、
 10:6 そして、あなたがたが完全に服従した時、すべて不従順な者を処罰しようと、用意しているのである。

この箇所に「服従」という言葉が繰り返し出てきたように、服従こそ、要塞をも破壊する力ある武器だ。
それは、神の知恵に逆らう者、すなわちサタンに対抗し、敵から来るあらゆる災いや呪いを打ち砕く。

この「服従」が完成した時、ダビデが言ったように、主が、その彼の足を雌鹿のようにし、彼の腕を青銅の弓を引くようにされる。
雌鹿は、岩山を難なく飛び跳ね登って、あっという間に高い所へ上って行くが、同じように、主は、主の御言葉に服従する人の人生を、いかなる岩場をもたやすく乗り越える力を与えて下さり、決して揺るがされない土台に立たせ、高い所へと導いて下さる。
青銅の弓を絞るには、かなりの力が要るばかりでなく、ターゲットに当てるコントロール力も必要である。
「罪」(ハマルティア)の元々の意味は「的外し」であるが、主に信頼するなら、青銅の弓を引けるほど力強くして下さるばかりでなく、的を外して来た罪の歩みを卒業させ、きれいに的を射抜くような、真実な道を歩ませて下さるのだ。

18:35 あなたはその救の盾をわたしに与え、あなたの右の手はわたしをささえ、あなたの助けはわたしを大いなる者とされました。

主を頼りとしている人の人生は、救いの盾を得ている状態であり、その盾はたとえ目で見えなくても、確実に主のささえがその人を守っているのだ。
主を頼りとしない人は、盾なしの、丸腰で人生を戦っているようなもので、ただ自分由来の資源だけで戦わなくてはならない。

18:36 あなたがわたしの歩む所を広くされたので、わたしの足はすべらなかったのです。

御言葉に従順して行くなら、その人生は、広い所へと導かれていく。
強い敵が跳梁跋扈している所では、堂々と歩けず、狭いところで縮こまっていなければならないが、日々、御言葉に服従し、その人が構築してしまった小さな要塞を日々、打ち破って行くなら、敵はどんどん制圧され、どんどん自由な領域が拡大して行くのだ。

御言葉を蓄え、従順という武器をもって、あらゆる敵に立ち向かい、勝利し、力も知恵も富も増し加わって行く皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

主日礼拝
私達に出来なかった清めを躊躇なくして下さる聖霊(ローマ8:1-13)

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週報/メッセージ(説教)概要

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 暫くネヘミヤから聖霊の性質を学んでいた。ネヘミヤの名は「神の慰め」という意味で、そのまま聖霊のご性質である。彼が来る前のエルサレムは霊的にも物理的にも荒れ放題だった。霊的指導者のはずの大祭司エルヤシブが、トビヤという汚れた者と結託し、礼拝を疎かにし、神殿にトビヤの私物を置き、民も罪と結託するようになって、神殿で働くべきはずのレビ人は、泣く泣く自分の畑へ逃げ帰った。そこにネヘミヤは来て、トビヤの私物を、聖なる場から放逐して清め、主への捧げ物を回復し、怠慢な指導者達を詰問した。
ネヘミヤによってでなければ汚れた者の占拠状態が改善されなかったのと同様、御霊によってでなければ、私達という神殿のきよめは出来ず、罪の性質も、根付いてしまった汚れたクセも追い出せない。『なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。』(2節) 

肉の頑張りによって肉に刺さった罪に勝とうとしても、無駄なのだ。肉にある者は、律法の要求うを決して全うできないからだ。しかし御霊に従って歩む人は、律法の要求が全うされる、と書いてある。(3-4節)
律法は、人を造り変える事も、永遠のいのちの救いへ導く事も、できない。事実、律法を持っていたイスラエルの歴史は、堕落と災いと、悔い改めと祝福と、また堕落、というサイクルの繰り返しだった。しかし私達は、キリストを信じる信仰によって新しく生まれ、罪と死の法則から解放された。ただしその「生まれ変わり」が実体となって、見える形で表れるのは、聖霊による新生と更新との洗いによって、なのだ。(テトス3:4-6)
ネヘミヤの時代、エルヤシブという肉と罪と結託する者に、人々は泣く泣く従うしかなかったが、ネヘミヤは見事、汚れを一発で除き去り、神殿も民の生活も刷新したのと同様、聖霊は、私達が泣く泣く従うしか無かった罪と死の法則に対抗し、私達にはできない「清め」をして下さる。私達は肉の力では太刀打ちできないが、ネヘミヤ、すなわち、慰め主・聖霊なら、対抗して勝利して下さるのだ!
悪しきものを追い出すのは、聖霊である(マタイ12:28)。聖霊はその人の中で働いて良いわざを為し、悪魔に押さえつけられている人々を癒す(使徒10:38)。いくら肉で力を込めても、奇声で叫んでも、術者のように手を動かしてみても、悪霊は出ていかないし、私達の中の汚れたクセも出ていかない。しかしネヘミヤは躊躇なく悪を出て行かせたのと同じように、聖霊が私達を支配するのであれば、私達の中で場所取りしていた罪や、止められなかった汚れたクセは難なく追い出して下さり、解放のわざを為して下さる。

どうしたら聖霊が与えられるのかは、度々メッセージして来たように「求め、探し、叩く事」(ルカ11:9-13)であるが、本日学ぶべき重要な性質は「従う心」である。『肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊の事を思うからである。』(5節) 教会はキリストの花嫁であり(エペソ5:22-24)、花婿キリストに従う立場にある。
もし自分は花嫁だと主張し、立派に花嫁の格好をしていても、夫に従わず、ただ下さい下さいと言っているだけなら、夫は何かをするだろうか。何時間祈祷しても聖霊が与えられないとするなら、服従する気が元々あったかどうか疑った方がいい。私達は、主人であるキリストの御言葉に従った上で、聖霊を求めるべきだ。
聖霊との関係は「人格的な交わり」、すなわち由意志のある者同士の交わりであり、聖霊の言われる事に聞き従う心を持って歩む人には、主は喜んで聖霊の賜物を増し加えて与えて下さる。聖霊充満とは、聖霊に自分自身を支配させていただく状態なのだ。サウルは一時的に充満だったが、服従する気がさらさら無かったため、聖霊は続けて留まらず、かえって、逆らうことを好む霊、すなわち、悪霊充満になってしまった。
たとえ私達が、肉に負けてしまう事があるとしても、御霊が私達の内に宿っているなら、それによって死ぬべき体をも生かして下さる。御霊は、肉の行いを殺すからである(11-13節)。神殿の中の、汚れたトビヤの私物は、エルヤシブという悪と結託した祭司の支配下にあった人達には、捨てきれなかったが、ネヘミヤはポイポイ捨てた。それと同様に、私達も聖霊に従うなら、私達が罪と結託して手放せなかった汚れたものをも、聖霊はポイポイ捨ててくださる。肉にはできなかった事が、聖霊には出来るからだ!
この素晴らしい聖霊が与えられたいだろうか。そうであるなら、「従順する心構え」を持ちつつ、聖霊が与えられるように「求め、探し、たたく」事を続けるのであるなら、聖霊は必ず与えられる。
聖霊が与えられるなら、今までどうしようも出来なかった罪の問題は、聖霊が解決して下さり、罪の悲しみからますます開放され、御霊の自由にどんどん入り込んで行く事が出来る。そのようにますます御霊にあって歩み、いのちにあって祝福されて行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

ダビデはその時代、神の御胸に従って仕え、先祖達の列に加えられた(詩篇18:20-29)
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18:20 主はわたしの義にしたがってわたしに報い、わたしの手の清きにしたがって/わたしに報いかえされました。
18:21 わたしは主の道を守り、悪意をもって、わが神を離れたことがなかったのです、
18:22 そのすべてのおきてはわたしの前にあって、わたしはその定めを捨てたことがなかったのです。
18:23 わたしは主の前に欠けたところがなく、自分を守って罪を犯しませんでした。
18:24 このゆえに主はわたしの義にしたがい、その目の前にわたしの手の清きにしたがって/わたしに報いられました。

ある人は思うかもしれない。
よくもダビデは、「わたしは主の前に欠けた所なく、自らを守って罪を犯さなかった。」などと言えたものだ、と。
ダビデは、この詩篇を書いた時期は、まだサウル王から救われたばかりで、ウリヤとその妻に対しての罪を犯した時ではなかっただろうにしても、事の大小に関わらず、それなりに罪を犯して来たはずだ。

しかしそれは、人間主体の視点である。よく読むと、ダビデは言っている。
『「主は」わたしの義にしたがい、「その(主の)目の前に」わたしの手の清きにしたがって、わたしに報いられました』、と。(24節)
ダビデは、「主の目における義」「主の目にうつる清さ」にしたがって、報いて下さった、と言っているのだ。
大事なのは、人の目にどう写るかではなく、「主」の目にどう写り、どう主から評価されるかである。

永遠の書物である聖書が、ダビデに対して下した評価が、使徒13:36である。

『事実、ダビデは、「?その時代」の人々に「?神のみ旨にしたがって仕えた」が、やがて眠りにつき、「?先祖たちの中に加えられた。」』(使徒13:36)

この箇所を、コーエン大学総長のカン・シンゴン博士は「ダビデの碑文」と言っている。

まず「?その時代(his own generation)」、すなわち、ダビデの生きた世代には、現代の私達には分からない、その時代独自の文化があった。
その時代を背景に、ダビデだけが見聞きした経験があり、ダビデ以外には誰も代われない葛藤があり、そしてダビデ本人以外には誰も主に対して説明できない事情があり、主との関係があった。

人には、時代由来の事情がある。
藁の靴を履いていた時代には、時代特有の困難や罪があったであろうし、それは現代には無い。
同様に、インターネット時代の現代に特有の困難や罪があるが、それは昔には無い。

主は、全人類の分の、人生のはじまりから終わりまでの全ての痕跡も、時代の事情もご存知であるが、決して変わらない主の評価基準がある。
それは、いかなる時代や事情の下に置かれたのであれ、「?神の御胸に従って仕え」ようとして生きる事である。

どんな時代、どんな誘惑、どんな困難にあったとしても、その人が神の目的、計画、御胸、意図に従って生きる事こそ、主の目に高貴な事であり、それによって評価して下さるのだ。
この価値観に従って生きる人が、「?信仰者の先祖へと加えられる」のである。

ダビデは確かに、ウリヤの妻を寝取り、夫ウリヤを策略にかけて殺すという、赦し難い事をした。(2サムエル記11章)
しかし聖書は、「?彼自身の時代(his own generation)」という言葉をもって、ダビデが犯した全ての罪を覆い、「?神の御胸に従って仕え」ようともがきつつ生きたと評価し、そして「?信仰者の先祖へと加えられた」と結論づけた。
アブラハムも、サラも、旧約を見ると、色々と不信仰な事をして来たが、新約においては一切触れられておらず、ただ信仰によって行った偉大な事のみを取り上げ、諸々の過ちは覆われた。

主は私達をも、一人一人の諸々の罪を、「その時代に」という言葉の中へ、そっと埋めてくださり、主の御胸に従って仕えようとしてもがく一人一人を評価し、そして先祖の列に加えて下さるのだ。
あの時代、あの文化、一人の人生が歩んできた、あの人生・・・時代特有のぬかるんだ道、時代特有の間違いを犯してきた人生だっとしても、それでも主は「神のみ旨にしたがって仕えた」事こそ永遠に残して下さるのだ。

18:25 あなたはいつくしみある者には、いつくしみある者となり、欠けたところのない者には、欠けたところのない者となり、
18:26 清い者には、清い者となり、ひがんだ者には、ひがんだ者となられます。

主に対してねじ曲がった考え方をしている者を、主はどうされるか。
イエス様は「ミナのたとえ話」の中で話しておられる。

『ご主人様、さあ、ここにあなたの一ミナがあります。わたしはそれをふくさに包んで、しまっておきました。あなたはきびしい方で、おあずけにならなかったものを取りたて、おまきにならなかったものを刈る人なので、おそろしかったのです。』(ルカ19:20-21)

このしもべは、1ミナという大金を主人から預かっておきながら、自分が働かなかった事を棚に上げ、主人を「あなたはきびしい方で、おあずけにならなかったものを取りたて、おまきにならなかったものを刈る人」と、真実ではない邪推をし、その邪推を根拠に、主人を「きびしい方」と逆に責め、働かなかった事の言い訳をした。
それに対する主人の評価は次のものだった。

『悪い僕よ、わたしはあなたの言ったその言葉であなたをさばこう。わたしがきびしくて、あずけなかったものを取りたて、まかなかったものを刈る人間だと、知っているのか。では、なぜわたしの金を銀行に入れなかったのか。そうすれば、わたしが帰ってきたとき、その金を利子と一緒に引き出したであろうに。』(ルカ19:22-23)

このしもべは、こんな主人に対してはわずかな「利息」さえ儲けさせるまい、という心だったため、主人は、彼が「さばいた通りに、さばき返した」のだ
主は、ねじ曲がった者に対しては、ねじ曲げる方である。
それ故、ダビデは言う。

18:27 あなたは苦しんでいる民を救われますが、高ぶる目をひくくされるのです。

これは、ダビデが人生を通して知った、主のご性質である。
主は、主の前にへりくだって自分の罪を言い表し、それを悔い、御前できよく歩もうとする心をこそ、ご覧になられる。

『神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心を/かろしめられません。』(詩篇51:16-17)

18:28 あなたはわたしのともしびをともし、わが神、主はわたしのやみを照されます。
18:29 まことに、わたしはあなたによって敵軍を打ち破り、わが神によって城壁をとび越えることができます。

結局、主に良しも悪しきも全部打ち明け、そのまま等身大で主に飛び込んで行く事こそ、主に愛され、主から助けをいただける性質なのだ。
色々な罪あやまちを犯して来た彼であった。
にも関わらず、彼が主に愛され、守られて来た秘訣は、そこにある。

主は、人の弱さを全部ご存知であり、全人類の弱さを思いやって執り成す大祭司である。

ヘブル4:14 さて、わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエスがいますのであるから、わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではないか。
 4:15 この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。
 4:16 だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。
 
それだからダビデは言うことが出来たのだ。
「このゆえに主はわたしの義にしたがい、その目の前にわたしの手の清きにしたがって/わたしに報いられました。」(24節)

私達もイエス・キリストゆえに大胆に御前に進み出て、おりにかなった助けをいただくものでありたい。

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