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メッセージ - 講解説教(旧約)カテゴリのエントリ

イザヤ書 講解説教メッセージ
鷲のように翼をかって上る(イザヤ40:27-31)
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アサ - 久しぶりに現れた主の目に適った王(1列王記15:9-15)
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9節以降は、アビヤムの子・アサ王のついての記録となる。

『イスラエルの王ヤラベアムの第二十年にアサはユダの王となり、エルサレムで四十一年世を治めた。その母の名はマアカといってアブサロムの娘であった。アサはその父ダビデがしたように主の目にかなう事をし、神殿男娼を国から追い出し、先祖たちの造ったもろもろの偶像を除いた。』(1列王記15:9-12)
アサは、ソロモン以降では初めて「良い王」として記録されている。
良い王の基準は11節にある通り、ダビデのように、主の目にかなう事を行う事だ。

彼は主の忌み嫌うものを取り除いた。
主の祝福が来るには、まず、自分の内から主の忌み嫌われるもの、性質を取り除く所からである。

『彼はまたその母マアカが、アシラのために憎むべき像を造らせたので、彼女を太后の位から退けた。そしてアサはその憎むべき像を切り倒してキデロンの谷で焼き捨てた。』(1列王記15:13)
彼は自分の母といえど、主が忌み嫌う事をするなら位から退けるという徹底を貫いた。
それは、主の大切な働きを為す器として、相応しい性質である。(ルカ14:26、出エジプト記32:29)

彼が為した事と、その結果、主がどのようにして下さったのかについては、第二歴代誌のほうに、3章に渡って、詳しく記されている。

彼は、諸々の偶像の祭壇を除き去り、また人々に命じて主を求めさせ、教えと戒めとを行わせた。
それで彼が王になってから十年の間、穏やかであった。(1-6節)
『彼はユダに言った、「われわれはこれらの町を建て、その周囲に石がきを築き、やぐらを建て、門と貫の木を設けよう。われわれがわれわれの神、主を求めたので、この国はなおわれわれのものであり、われわれが彼を求めたので、四方において、われわれに平安を賜わった」。こうして彼らは滞りなく建て終った。』(2歴代誌14:7)

しかし、主は時に、その人の信仰を試し、より深くするために、試練を送られる。
すなわち、エチオピア人が百万の軍隊と三百の戦車を率いて攻めてきたのだ。

『時にアサはその神、主に向かって呼ばわって言った、「主よ、力のある者を助けることも、力のない者を助けることも、あなたにおいては異なることはありません。われわれの神、主よ、われわれをお助けください。われわれはあなたに寄り頼み、あなたの名によってこの大軍に当ります。主よ、あなたはわれわれの神です。どうぞ人をあなたに勝たせないでください」。そこで主はアサの前とユダの前でエチオピヤびとを撃ち敗られたので、エチオピヤびとは逃げ去った。・・ユダの人々の得たぶんどり物は非常に多かった。』(2歴代誌14:11-13)
私達の人生でも、試される事がある。その試練は、何によってパスするのか。
アサは、主に依り頼む事によって、見事パスした。

私達が救われる方法は、単純である。
主イエスを信じ、救いの拠り所を彼に置くのだ。
そうするなら、自身も、その家族も、救われる。(使徒16:31)
人生のあらゆる苦難や戦いの時、主を呼び求める事が、救われる鍵である。

『彼らはまた、ゲラルの周囲の町々をことごとく撃ち破った。主の恐れが彼らの上に臨んだからである。そして彼らはそのすべての町をかすめ奪った。その内に多くの物があったからである。また家畜をもっている者の天幕を襲い、多くの羊とらくだを奪い取って、エルサレムに帰った。』(2歴代誌14:14-15)
周囲は彼を恐れて、もはや攻めてくる事は無かった。
主を恐れる人は、周囲から一目置かれ、敵からも恐れられるのだ。(創世記35:5、申命記2:25)

主は、信仰に立って勝利した彼に、預言書を遣わして、激励の言葉をかけた。
『時に神の霊がオデデの子アザリヤに臨んだので、彼は出ていってアサを迎え、これに言った、「アサおよびユダとベニヤミンの人々よ、わたしに聞きなさい。あなたがたが主と共におる間は、主もあなたがたと共におられます。あなたがたが、もし彼を求めるならば、彼に会うでしょう。しかし、彼を捨てるならば、彼もあなたがたを捨てられるでしょう。』(2歴代誌15:1-2)

主にとっては、やっと、主を恐れ敬う良い王が現れたのだ。
ソロモン時代以来、長らく主を呼び求める王が無かった所に。
主は、どれほど喜ばれただろう。
主は彼に、信仰に立って物事を行う事を続けよ、と激励される。

『そのころは、出る者にも入る者にも、平安がなく、大いなる騒乱が国々のすべての住民を悩ました。国は国に、町は町に撃ち砕かれた。神がもろもろの悩みをもって彼らを苦しめられたからです。』(2歴代誌15:5-6)
主を恐れ敬わない期間は、根拠不明な恐怖や不安に悩まされ、する事なす事失敗し、敵にかすめ奪われてしまうものである。
そして、根拠不明な怒りや憎しみが沸き起こるゆえに、味方同士・身内同士で必要の無い争いや喧嘩があって、いらないエネルギーロスで消耗し合い、共に砕かれてしまうのだ。
『あなたがたのうちで生き残る者にも、彼らが敵の国にいる間、彼らの心の中におくびょうを送り込む。吹き散らされる木の葉の音にさえ彼らは追い立てられ、剣からのがれる者のように逃げ、追いかける者もいないのに倒れる。追いかける者もいないのに、剣からのがれるように折り重なって、つまずき倒れる。あなたがたは敵の前に立つこともできない。
それまではそういう時代だった。』(レビ記26:36-37)

『しかしあなたがたは勇気を出しなさい。手を弱くしてはならない。あなたがたのわざには報いがあるからです」。』(2歴代誌15:7)
主は預言書を通して言われた。主を恐れ敬う道には、大きな報いが待っている。
主は言われる。それを期待して歩みなさい、と。

彼が祝福されている様を見て、北イスラエル王国の人々も多く集って来た。(2歴代誌15:8-9)
北イスラエル王国は、ずっと悪い王がずっと続いて災い続きだったためだ。

主の道に歩む事こそ祝福の道であり、その道に歩み続けるなら、成功する。
しかし、成功した時こそ、自分の中から「高慢」という敵が沸き起こって来る事をいつも気をつけるべきである。
彼は、初期の頃は主の喜ばれる良い道を歩み、大いに祝福されたものの、人生後半になると高ぶってしまう。

主の喜ばれる道から、右にも左にもそれる事なく、祝福の道を歩む皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

アビヤム - 主の目に悪を行い3年しか続かなかった統治(1列王記15:1-8)
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15章では、南ユダ王国・レハブアム王に続く二人の王についての記録があり、1−8節は、レハブアムの次の王・アビヤムについてである。

『ネバテの子ヤラベアム王の第十八年にアビヤムがユダの王となり、エルサレムで三年世を治めた。その母の名はマアカといって、アブサロムの娘であった。彼はその父が先に行ったもろもろの罪をおこない、その心は父ダビデの心のようにその神、主に対して全く真実ではなかった。』(1列王記15:1-3)
アビヤムもまた、彼の父・レハブアムに続いて「悪い王」であった。
彼の治世はわずか3年で終わってしまっている。
法則として、主に従わない王の代は、栄える事はない。

『それにもかかわらず、その神、主はダビデのために、エルサレムにおいて彼に一つのともしびを与え、その子を彼のあとに立てて、エルサレムを固められた。それはダビデがヘテびとウリヤの事のほか、一生の間、主の目にかなう事を行い、主が命じられたすべての事に、そむかなかったからである。』(1列王記15:4)
南ユダ王国に対し、主が憐れみを注がれた理由は、ひとえに、彼らの父祖・ダビデの故である。
父親がどんなに信仰が立派な、良い人であっても、その子が主に従わないなら、子の代で、速やかに落ちぶれてしまう。
しかし主は、いきなりその子を再起不能な程に懲罰されるという事はない。その子が悔い改めて立ち直るための「憐れみの期間」を設けられる。
それだから、親が子のために祈る事には大きな意味がある。
事実主は、南ユダ王国については、ダビデに免じて、その子の代にも、孫の代にも、憐れみを注がれた。
これは彼らの父・ダビデの「信仰の資産」があったためであるが、主の戒めと懲らしめをあくまで軽んじ続けるなら、やがてはその「資産」が尽きてしまい、災いが下される事になってしまう。

十戒の中で最も重要な「第一戒」は、まことの神である主をさし置いて何者をも神としてはならない、という事であり、その次の「第二戒」は、偶像を作ってはならない、である。
ソロモンも、レハブアムも、早速それらを破ってしまい、そして3代目のアビヤムの統治は、わずか3年で終わってしまった。

『「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。』(出エジプト記20:2-6)

親が主に対して犯したそむきの罪ゆえに、子々孫々が呪われてしまう。
それは、本当に防がなくてはならない事である。しかしその呪いは宿命的に回避不可能なものではなく、キャンセル可能なものである。
もしその子が、親の犯した主への背きを捨て去り、主を畏れ敬うのであるなら、彼の真実が自分を救い、主は呪いを取り止め、慈しみを与えて下さる。
事実、アビヤムの次の王・アサの代を見れば、それが分かる。
彼はアビヤムと同じ父・母から生まれたにもかかわらず、彼は主の目にかなう事を行なったため、41年もの間、王として栄える事ができたのだ。
私達も同じである。
いかに代々、偶像礼拝の家系であっても、いかなる呪いを先祖の代で受けてしまったとしても、ただ、その人自身のイエス・キリストを信じる信仰によって、血筋的・霊的呪いはキャンセル可能であり、イエス・キリストを信じた人は、血筋によってでなく人間の欲求によってでもなく、ただ神によって生まれた者である。(ヨハネ1:12-13)

一方は、父の罪にならって、そのまま御前に罪を歩み続けた故に、3年しか王になれなかった。
他方は、同じ父母から生まれたのに、父の罪を捨て去り、主を恐れ敬う者として道を歩んだ故に、41年もの間、王となり続けられた。
同じ親から生まれているのに、こんなにも違う。
まさしく、主の道に歩むか歩まないかによって、祝福とのろいは、はっきり別れるのだ。

私達の前にも、祝福と呪いが置かれている。
主に従うなら、確かに祝福されるが、敢えて主の道を歩まないなら、呪いの縄目が徐々にきつくなって行ってしまい、最後には災いの内に滅ぼされてしまう。
そうならない内に、速やかに悔い改め主に立ち返るべきだ。

神である主を自分の主人とし、主の道に歩むなら、恵みといつくしみが追いかけてくる。
恵みといつくしみを自分で追いかける人生でなく、主を主として、恵みといつくしみから追いかけられる皆さんでありますように。
イエス様のお名前によって祝福します!

イザヤ書 講解説教メッセージ
わたしを誰になぞらえ、誰と比べようとするのか(イザヤ40:12-26)
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統治わずか5年目にしてソロモンの財を奪われてしまったレハブアム(1列王記14:21-31)
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前回の北イスラエル王国のヤロブアム王に続き、南ユダ王国の話に移る。

『ソロモンの子レハベアムはユダで世を治めた。レハベアムは王となったとき四十一歳であったが、主がその名を置くために、イスラエルのすべての部族のうちから選ばれた町エルサレムで、十七年世を治めた。その母の名はナアマといってアンモンびとであった。』(1列王記14:21)
レハブアムの母は、アモン人であった事が特記されている。
ソロモンがイスラエルで王であった期間は四十年(11:42)、その子であるレハブアムは四十一歳で王になった、という事は、ソロモンは、王になってまだ早い時期にアモン人の妻をめり、レハブアムが産まれた、という事であろう。

アモン人は主の集会に加わってはならない、と定められている。(ネヘミヤ13:1、申命記23:3)
ダビデの曾祖母は、モアブ人ルツだったが、それとは全く趣きを異にしいる。ルツはイスラエルの神、主を自分の神として、何もかも捨ててイスラエルに来たのだが、ソロモンは、ただ異邦の女を愛した故で、信仰による動機は一切なかった。
どうして、よりによって、アモン人との間に生まれた者を、王として継がせなくてはならなかったったのかは、書いていないので分からない。
しかし彼は、わなのような女は死よりも苦い事を(伝道者の書7:26)、また、自分の財産を後に来る者に継がせなくてはならないのを絶望している事(伝道者の書2:18-21)からすると、彼はもしかしたら、そのモアブの女に何かしらの形で捕らえられ、縛られ、その子供に王権を継がせなくてはならなくなってしまったのかもしれない。

『ユダの人々はその先祖の行ったすべての事にまさって、主の目の前に悪を行い、その犯した罪によって主の怒りを引き起した。』(1列王記14:22)
レハブアムは、イスラエルの神・主に向かうという所が無く、ただ、ソロモンの不信仰な部分、節操の無い偶像礼拝の性質、だけを引き継いでしまったようだ。
その彼が国のリーダーであるなら、その配下の人々も、総じてそれに習う者となってしまう。

『彼らもすべての高い丘の上と、すべての青木の下に、高き所と石の柱とアシラ像とを建てたからである』(1列王記14:23)
高い丘や青木の下、高き所は、カナン人が偶像礼拝する礼拝場所である。
レハブアムに触発された彼らは、ユダの至る所にそれを作ってしまったのだ。

『その国にはまた神殿男娼たちがいた。彼らは主がイスラエルの人々の前から追い払われた国民のすべての憎むべき事をならい行った。』(1列王記14:24)
神殿男娼は、カナンの異教礼拝で行われていた宗教的淫売で、偶像礼拝・同性愛の二重の罪から、主から特に禁じられている。(申命記23:17)

主が禁じられていた事を敢えてし続けるなら、当然、恵みと憐れみは逃げて行き、呪いに追いかけられてしまう。
その結果、国は衰退してしまう。これは神の国の法則である。

『レハベアムの王の第五年にエジプトの王シシャクがエルサレムに攻め上ってきて、主の宮の宝物と、王の宮殿の宝物を奪い去った。彼はそれをことごとく奪い去り、またソロモンの造った金の盾をみな奪い去った。レハベアムはその代りに青銅の盾を造って、王の宮殿の門を守る侍衛長の手にわたした。王が主の宮にはいるごとに、侍衛はそれを携え、また、それを侍衛のへやへ持ち帰った。』(1列王記14:25-28)
エルサレムは堅固な要害の町で、そうそう外敵に攻め込まれる所ではないはずなのに、どういうわけか、エジプトにいとも簡単に攻め落とされてしまっている。
こうして、ソロモンがせっかく蓄えた多くの金銀財宝は、彼が政権を退いてから、わずか5年で、エジプトに全部奪い去られてしまった。
レハブアムは、ダビデの孫である。
ダビデからわずか3代目で、こんなにも早く、こんなにも落ちぶれてしまうものか、と思うかもしれない。
そうである。
親がいかに、信仰において優れていても、その子が主を敬わず、主の忌み嫌われる事を続けるなら、あっという間にその人の財は奪われ、落ちぶれてしまうのだ。

しかし、金銀財宝は奪われてしまっても、人命や王国が奪われなかったのは、主の憐れみとしか言いようがない。
それは、レハブアムがこれを機にへりくだり、少しでも、主に立ち返ったからである。(2歴代誌12:12)

『レハベアムのその他の事績と、彼がしたすべての事は、ユダの王の歴代志の書にしるされているではないか。レハベアムとヤラベアムの間には絶えず戦争があった。レハベアムはその先祖と共に眠って先祖と共にダビデの町に葬られた。その母の名はナアマといってアンモンびとであった。その子アビヤムが代って王となった。』(1列王記14:29-31)
レハブアムの歴史の最後に、もう一度、彼の母がアンモン人であった事が繰り返されて、この事が強調されている。

男性が、生涯の伴侶とすべき女性を選ぶのは、とても大事な事である。
一時的な情欲に駆られてではなく、将来、自分の子ができる時、その母として適切であるか、よく考えるべきだ。

こっそりいい所取りしようとしてもそうは行かなかったヤロブアム(1列王記14:1-20)
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預言者アヒヤを通して主から王として任命されたヤロブアムは、その与えられた権限を主のために行使せず、かえって身勝手な事をして、多くの人々を偶像礼拝へと導いてしまった。
そんな彼に、他の預言者を通してありえないような不思議・しるしが示され、主に立ち返るよう戒められても、彼は立ち返らなかった。
ソロモン王国を懲らしめる杖として王に任命されたヤロブアムであったが、結局ソロモンと同じ道を進んでしまい、ソロモンと同じ運命を辿ってしまう。

『そのころヤラベアムの子アビヤが病気になったので、ヤラベアムは妻に言った、「立って姿を変え、ヤラベアムの妻であることの知られないようにしてシロへ行きなさい。わたしがこの民の王となることを、わたしに告げた預言者アヒヤがそこにいます。パン十個と菓子数個および、みつ一びんを携えて彼のところへ行きなさい。彼はこの子がどうなるかをあなたに告げるでしょう」。』(1列王記14:1-3)
ヤロブアムは、子が病であるのに、自ら預言者の所には行かず妻に、しかも、妻が王妃だとは分からないよう変装させて行かせた。
それは彼が、この主の預言者と面を向かって会えない「やましさ」があったからである。
そのやましさは、彼自身の、今まで主に対して不忠実に生きて来た事に由来する。

自分が構築した偶像や神々に頼めば良いものを、彼はこの期に及んで、神である主に解決を求めに行くのだが、面と面を向かってではなく、こっそり行こうとした所を見ると、彼はただ解決方法や癒しだけを引き出したいという思いがあったのかもしれない。
しかし、人がどんなに変装し取り繕っても、主はその心の動機からして、全部ご存知である。

『ヤラベアムの妻はそのようにして、立ってシロへ行き、アヒヤの家に着いたが、アヒヤは年老いたため、目がかすんで見ることができなかった。しかし主はアヒヤに言われた、「ヤラベアムの妻が子供の事をあなたに尋ねるために来る。子供は病気だ。あなたは彼女にこうこう言わなければならない」。
彼女は来るとき、他人を装っていた。しかし彼女が戸口にはいってきたとき、アヒヤはその足音を聞いて言った、「ヤラベアムの妻よ、はいりなさい。なぜ、他人を装うのですか。わたしはあなたにきびしい事を告げるよう、命じられています。』(1列王記14:4-6)
預言者は、目が見えなかったのに、彼女が戸口に入る以前から、言うべき事があらかじめ与えられ、彼女である事が分かっていた。
主と、主の預言者と、あるいは、主にある交わりに参加したり関係を築こうとしたりせずに、ただ、都合の良い所だけをこっそりもらって帰ろうとする者には、主からきびしい事を告げられてしまうのだ。

『行ってヤラベアムに言いなさい、『イスラエルの神、主はこう仰せられる、「わたしはあなたを民のうちからあげ、わたしの民イスラエルの上に立てて君とし、国をダビデの家から裂き離して、それをあなたに与えたのに、あなたはわたしのしもべダビデが、わたしの命令を守って一心にわたしに従い、ただわたしの目にかなった事のみを行ったようにではなく、あなたよりも先にいたすべての者にまさって悪をなし、行って自分のために他の神々と鋳た像を造り、わたしを怒らせ、わたしをうしろに捨て去った。』(1列王記14:7-9)
「わたしをうしろに捨て去った」。つまりヤロブアムは、主を自分のうしろに置き、自分を主よりも前に置いたのだ。
私達も、悪い欲を好んで得るために、神である主をうしろへと置いてしまうような事は、していないだろうか。
それは、主が忌み嫌われる「偶像礼拝」に他ならない。(コロサイ3:5)

『それゆえ、見よ、わたしはヤラベアムの家に災を下し、ヤラベアムに属する男は、イスラエルについて、つながれた者も、自由な者もことごとく断ち、人があくたを残りなく焼きつくすように、ヤラベアムの家を全く断ち滅ぼすであろう。ヤラベアムに属する者は、町で死ぬ者を犬が食べ、野で死ぬ者を空の鳥が食べるであろう。主がこれを言われるのである」』。』(1列王記14:10-11)
この預言は、確かに後には実現するのだが、「すぐ」ではない。
なぜ、すぐではないのか。それは、主が、悔い改めて立ち返る猶予を計り与えておられるからだ。
ヨナ書を見ても分かる通り、主は、ひと度、災いの警告を発せられた場合、人がその警告を聞いて悔い改めるなら、災いを思い直されるお方である。
しかしヤロブアムは、この最終的な警告を聞いても、なお改めなかった。
全くソロモンと同様である。

『あなたは立って、家へ帰りなさい。あなたの足が町にはいる時に、子どもは死にます。そしてイスラエルは皆、彼のために悲しんで彼を葬るでしょう。ヤラベアムに属する者は、ただ彼だけ墓に葬られるでしょう。ヤラベアムの家のうちで、彼はイスラエルの神、主にむかって良い思いをいだいていたからです。』(1列王記14:12-13)
主は、全ての人の心をご存知である。
ヤロブアムの子の心が、主に向かって良い思いを抱いていた事を、主はご存知だった。
しかしそんな「良い彼」が、どうして病で死ななくてはならないのか。
人は思う。死ぬ事は災いだ、悪だ、と。
しかし「永遠」も「死後の世界」も、確かに存在する。
人は、死後の世界も永遠も分からず、この世での命が長らえる事をよしと考えるが、永遠の観点で人を導かれる主は、一人一人の「永遠の」最善を完璧にご存知である。
つまり主は、その子が悪しき王の悪しき環境の中で成長してしまう前に、命を取り上げられたのだろう。

『主はイスラエルの上にひとりの王を起されます。彼はその日ヤラベアムの家を断つでしょう。』(1列王記14:14)
この事は、次章で実際に起こってしまう。しかし、すぐにではない。

『その後主はイスラエルを撃って、水に揺らぐ葦のようにし、イスラエルを、その先祖に賜わったこの良い地から抜き去って、ユフラテ川の向こうに散らされるでしょう。彼らがアシラ像を造って主を怒らせたからです。主はヤラベアムの罪のゆえに、すなわち彼がみずから犯し、またイスラエルに犯させたその罪のゆえにイスラエルを捨てられるでしょう」。』(1列王記14:15-16)
イスラエルが、ユーフラテス川の向こう側に追いやられてしまう。
それはさらに数百年の時を経て、アッシリアの時代に起きた。
失われたイスラエル10部族は、今なお、ユーフラテス川の向こうの、どこかにいる。
そして彼らは、やがては戻ってきて、イスラエルは一つにまとめられる。(イザヤ11:12、56:8、エゼキエル38:8)

『ヤラベアムの妻は立って去り、テルザへ行って、家の敷居をまたいだ時、子どもは死んだ。イスラエルは皆彼を葬り、彼のために悲しんだ。主がそのしもべ預言者アヒヤによって言われた言葉のとおりである。ヤラベアムのその他の事績、彼がどのように戦い、どのように世を治めたかは、イスラエルの王の歴代志の書にしるされている。ヤラベアムが世を治めた日は二十二年であった。彼はその先祖と共に眠って、その子ナダブが代って王となった。』(1列王記14:17-20)
こうして北イスラエル最初の王の、一つの世代が終わった。
この列王記で、一貫して貫かれている法則は、主に従う王は栄え、主に従わない王は災いに満ちている、という点だ。

その法則は、現代の私達にも貫かれている。
人はみな、罪があり、間違った方向へ行く事もあるが、そんな自分を悲しみ、悔い改め、主に立ち返るなら、主はその人を憐れみ、赦して下さる。
しかしヤロブアムやソロモンのように、指摘された罪を悔い改めず、むしろ罪の楽しみにふけり、なお改めないなら、災いへと導かれてしまう。

「ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者、わたしは、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。」と言われたイエス様は、立ち返る事を願っておられる。
誰の死をも望んではおられない。
いつでも主の道に歩み、もし罪が指摘され、悔い改めが促されたなら、すぐに立ち返り、祝福の道を外れず歩んでいく皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

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