メッセージ - 201008のエントリ
メッセージ音声:レギオン_前編(マルコ5:1-13) 한국어예배
メッセージ音声:向こう岸へ渡ろう(マルコ4:35-41)
メッセージ概要
この1週間の間、身近な3人の死に関わったが、それについて何か語らせていただくというのは、あまりに
重い事であり、「これこれの意味がある」などと第3者的に解説できるものでもない。
しかしこの事を置いて他を語る気がしないのは、兄弟姉妹の喜びや悲しみは、キリストの体の交わりにおい
て互いに無関係ではありえず、また、これら出来事を通して学んだ貴重な事は、分かち合わなくてはならな
いと切実に思うからである。
神様の個人個人に対するお取り扱い、特にいのちに関する事柄は、本人といえど不可解なものである。
ダビデとバト・シェバの間に生まれた子は、何もしていないのに父親の罪の故に神から打たれた。
ある者が罪を犯して本人が罰されるのは理解できるが、別の者が代わりに罰されるのは、不条理に見える。
彼の死によって、生き残った多くの者達、すなわちダビデとその王国は、周辺の異国のように罪にまみれる
事から防げたが、それでは一体、その子はどうなるのか。
人は、世における行いに従っておのおの裁かれると書かれてあるため、善も悪もしないまま亡くなったその
子は裁かれる事無く、ラザロのように、世では得るに至らなかった慰めを主の懐で享受していると思われる。
親の罪故に亡くなった子の弟に当たるソロモンは、以下の言葉を残している。
「私は、まだいのちがあって生きながらえている人よりは、すでに死んだ死人のほうに祝いを申し述べる。
また、この両者よりもっと良いのは、今までに存在しなかった者、日の下で行なわれる悪いわざを見なかっ
た者だ。」(伝道者4:2,3)
ソロモンは、世のあらゆる栄華を極め、甘いも酸いも嘗め尽くした結果、この言葉に至った。
いたずらに苦しみや罪を増し加えるためだけに生きる人生もあるため、主の御前では、「この世で生き続け
る」事が最善であるとは限らず、むしろ早く世を去ってキリストの御許に行くほうが優れている事もある。
主は死を容認しているわけではなく、サタンの唆しによって人に入ってきてしまった「死」を非常に憎まれる。
サタンはいのちを憎み、その瑞々しさ、美しさ、その躍動を、何とかして破壊しようとするが、神はいのちを
量っておられ、それに手をつける事はサタンであってもできない。(ヨブ2:6)
キリストは死に対し、サタンに対し、罪に対し、圧倒的に勝利し、主の愛から引き離す者は何者も無い。
「死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そ
のほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできませ
ん。」(ローマ8:39)
もし死が全ての終わりであるならば、この世は不条理の極みであるが、キリスト者には、死の向こう側がある。
イエスがあえてラザロが死ぬまで沈黙されたのは、イエスご自身が、よみがえりでありいのちである事を私
達が知り、イエスを信じるまでに至る事が、文字通り「死ぬほど大事」だったからである。
御父の思いは天を越えて遥かに高く(イザヤ55:8-11)、御父の愛は死を超えて遥かに強い。
御父は御子を十字架から助ける事など指を動かすよりも遥かに簡単だったはずなのに、あえて沈黙された。
それは、御子の死の向こう側に、より良い「いのち」があり、私達人間を彼にあって死から開放するためだ。
子が嘲られ、罵られ、死に渡されようとしている時、沈黙して何もしないような親はいるだろうか。
人間の愛はインスタントに、子を苦しみから解き放とうとするが、父の愛は死を超えて遥かに強いのである。
しかし、単に強いだけではなく、私達の心の辛さ、言葉にならないうめきも全て受け止めておられる。
御霊は弱い私たちを助けてくださり、私達はどのように祈ったら良いか分からなくても御霊ご自身が言いよ
うもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださるのだ。(ローマ8:26)
キリストにあって眠った者たちはよみがえらされ、主はあらゆる権威、権力、不条理を滅ぼし、そして最後の
敵である死をも滅ぼされるのである。(1コリント15:20-26)
この主に在る者は、決して滅びる事は無い。
まだ作りかけの部分もありますが、天声キリスト教会サイトを公開します。
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