メッセージ - 20260803のエントリ
エステル記9:20-10:3
メッセージ音声
【概要】
エステル記は、神の御名が直接記されていなくても、神がご自身の民を絶望的な状況から救い出し、悲しみを喜びに変えてくださることを示す壮大な物語です。私たちも、神が人生でしてくださった救いの御業を忘れず、次世代へ語り継ぎ、どんな悪しき状況でもすべてを益としてくださる神に信頼し続けることの大切さを学びます。
【聖書箇所】
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エス 6:1-14
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エス 7:1-10
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エス 8:1-17
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エス 9:1-32
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エス 10:1-3
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創 50:20
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ヘブ 6:10
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ロマ 8:28
【慰めの言葉】
神の御名が目に見えなくとも、主は私たちの苦難のただ中で静かに、しかし確かに守っておられます。あなたが流した涙や汗、困難の中での信仰と奉仕を、神は決して忘れることはありません。それらは全て神の永遠の書物に記されており、やがて必ず報いてくださいます。
【励ましの言葉】
神を愛する人、神のご計画に従って召された人たちのためには、全てのことが共に働いて益となります。今起こっているどんな困難なことも、神様が益へと変え、神の栄光が現されることを信じましょう。
【勧めの言葉】
神様がしてくださった素晴らしい救いの御業を、一時の喜びで終わらせず、人生の出来事の一つひとつに「神様がしてくださった」というしるしをつけ、子や孫、次の世代へと語り継いでいきましょう。モルデカイのように、神の民の幸福を求め、全世界に平和の福音を告げ知らせる者となりましょう。
【悔い改めの促しの言葉】
神を前面に出せずにいる弱さを認め、主に憐れみを求め、日々の生活の中で主を第一にする心へと立ち返りましょう。
【***詳細***】
皆さん、こんにちは。エステル記もいよいよ本日で最後となります。最初に、お祈りから始めたいと思います。
「イエス様、今日でしょうか。主よ、あなたが輝いてくださる主であることを信頼して、待ち望む者でありますように。ハレルヤ、主よ、感謝します。」主が私たちの日々の歩みに光を与えてくださることを信頼します。また、検査に臨む阿部先生の上に主が共にいてくださり、結果が最善となりますように、祝福をお祈りいたします。「今日一日をイエス・キリストによって数えられて、素晴らしい一日を過ごさせてください。私たちの生活のすべてを守ってくださる主イエス・キリストの御名によって感謝してお祈りいたしました。アーメン。」
愛する天の父なる神様、あなたが私たちを勝利させ、解放してくださったことを感謝いたします。私たちも主イエス様、あなたに続く者とならせてください。どうか、今から語るこのしもべの唇を清め、また聞く一人ひとりの耳を清めてください。私たち一同が、あなたの命と恵みに豊かにあずかることができますように。一つも漏らすことなく、あなたの恵みを受け取ることができますように。主よ、あなたご自身がお語りください。このしもべを、あなたの言葉を取り次ぐ管としてお用いください。初めから終わりまで、すべてをあなたの支配の御手にゆだねて、私たちの愛する主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
ハレルヤ!素晴らしい主、王の王なる私たちの主イエス・キリストの御名を褒め称え、賛美いたします。
今日、エステル記の最後の箇所を皆さんは読んでくださいました。エステル記の結びにおいて、主が苦難と流浪の中にいたユダヤ人たちを、不思議な方法で守り、栄光を与え、プリムの祭りを与えられたことに感謝を捧げます。この書物全体を貫いているテーマは、「悲しみが喜びに変えられた」ということです。灰の代わりに冠が与えられ、嘆きが祝いの日に変わりました。
もともと、エステルは一人の孤児でした。しかし、モルデカイによって神様の御言葉で養われ、ついには王妃にまでなりました。モルデカイもまた、初めは王の門に座る一人の役人に過ぎませんでした。そして、ユダヤの民全体が、ハマンの悪しき企みによって滅ぼされることが、決して変えることのできない法令によって定められてしまいました。彼らはまさに死ぬべき運命にあったのです。
しかし、その日は一転して、神の民の敵が打ち破られ、神の民が勝利する日となりました。それが、アダルの月の14日と15日です。この救いを記念して、モルデカイは祝宴と喜びの日を定める法令を書き記しました。
モルデカイはこれらのことを書き記して、クセルクセス王のすべての州の、近いところや遠いところにいるすべてのユダヤ人に書簡を送った。それは、ユダヤ人が毎年、アダルの月の十四日と十五日を、自分たちの敵からの安息を得た日、悲しみが喜びに、嘆きが祝いの日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにご馳走を送り交わし、貧しい人々に贈り物をする日と定めるためであった。(エス 9:20-22)
これは、神様の救いを一瞬の喜びで終わらせなかったということです。「ああ、助かってよかったね」「命拾いしたね」で終わらせるのではなく、神様がこのようにして救ってくださったという事実を、後の世代に至るまで覚え続けるように定めたのです。
私たちは、苦しかったことはよく覚えていても、その出来事に「神様が助けてくださった」というラベルを貼るのを忘れがちです。「あの時は辛かったな」で終わってしまい、そこに働かれた神様を思い出さないことがよくあります。しかし、私たちは、すべての出来事に対して「神様が助けてくださったんだ」というラベルをしっかりと貼るべきです。
旧約聖書のヨセフは、いつもそのようにしていました。兄たちからどんなにひどい仕打ちを受けても、ポティファルの妻から濡れ衣を着せられても、彼は決して「神様は」という視点を手放しませんでした。その結果、彼はエジプトで高く上げられました。モルデカイも同じです。彼もそのような信仰の性質を持っていたからこそ、神様に大いに用いられ、高く上げられたのです。そして、その高くされた地位を用いて、神様がしてくださった偉大な御業を多くの人々に覚えさせるための記念日を制定しました。
ユダヤ人は、すでに守り始めていたことであるが、モルデカイが彼らに書き送ったことを受け入れた。実に、アガグ人ハメダタの子で、全ユダヤ人の敵ハマンは、ユダヤ人を根絶やしにしようとたくらんで、プル、すなわち、くじを引いて、彼らをかき乱し、根絶やしにしようとしたが、そのことが王の耳に入ったとき、王は書簡で命じ、ハマンがユダヤ人に対してたくらんだ悪い計略をハマン自身の頭上に返し、彼とその子らを柱にかけるようにさせたのであった。(エス 9:23-25)
興味深いことに、ユダヤ人たちはモルデカイが法令として定める前から、自発的にこの記念日を祝い始めていました。これが神の民の姿です。私たちも神の民として、神様がしてくださった良いことを、子どもたちに、孫たちに、そして次の世代へとずっと伝えていくべきなのです。
そして25節、「そのことが王の耳に入ったとき」とあります。これは、エステルが王に願い出たことを指しています。エステルの嘆願によって、王はハマンの企みの全貌を知り、その悪しき計略をハマン自身に返したのです。私たちの役割もこれと同じです。私たちの仕事は、王の王なるお方、主イエス・キリストに「嘆願する」ことです。悪しき者たちを裁くのは私たちの仕事ではありません。それは、王であるイエス様の仕事です。ですから私たちは、今の日本を覆う悪霊やサタンの働きを、イエス様に訴えるのです。そうすれば、王であるイエス様ご自身が、悪に敵対する者たちを何とかしてくださいます。
こうして「プリムの祭り」が制定されました。「プリム」とは、ヘブル語でくじを意味する「プル」の複数形です。この「プル(くじ)」は、もともとハマンがユダヤ人を滅ぼす日を決めるために使った道具でした。しかし、その滅びの道具であったはずの名前が、逆に救いを記念する祭りの名前となったのです。
私たちの主イエス様がかけられた十字架も、もともとは最も残虐な死刑の道具でした。しかし、今やそれは私たちにとって救いの記念のしるしとなっています。神様は、私たちに降りかかるあらゆる悪や良くないことを、逆転させて益に変えてくださるお方です。そのことを覚え、ユダヤ人は「プリムの祭り」を制定したのです。私たちの周りには、悪を謀る者がいるかもしれません。しかし、神様はそれを益に変えてくださるお方です。ヨセフは、自分に悪を謀った兄たちに対して、後にこう言いました。
あなたがたは私に悪を計りましたが、神はそれを良いことのための計らいとなさいました。(創 50:20)
神様は、皆さん一人ひとりに対しても同じです。皆さんに降りかかるあらゆる悪を、良きこと、益に変えてくださるお方なのです。ユダヤ人は、この救いの記憶が子孫の中で絶えてしまわないようにしました。
ユダヤ人は、自分たちとその子孫、および自分たちにつくすべての者たちが、その文書のとおりに、毎年定まった時にこの両日を守り行い、これを廃してはならないと定めた。また、この両日は代々、すべての家族、諸州、町々において記念され、祝われなければならないとし、これらのプリムの日がユダヤ人の間で廃されることがなく、この記憶が自分たちの子孫の中で絶えてしまわないようにした。(エス 9:27-28)
私たちクリスチャンも、神様からの祝福を自分たちの代だけで終わらせず、神様がどれほど良くしてくださったかを、代々子どもたちに教えていくべきです。プリムの祭りでは、ユダヤ人の間でこの物語が代々語り継がれ、劇が行われます。エステル役やモルデカイ役は大変な名誉なことだそうです。
この祭りを定着させるため、エステルとモルデカイはさらに書簡を送りました。
アビハイルの娘である王妃エステルとユダヤ人モルデカイが、プリムについてのこの第二の書簡を全権をもって書き記し、確かなものとした。この書簡は、平和と誠実の言葉をもって、クセルクセス王国の百二十七州にいるすべてのユダヤ人に送られ…(エス 9:29-31a)
ここで大切なのは、この書簡が「平和と誠実の言葉」(シャローム・ヴェ・エメット)をもって書かれたということです。「シャローム」は平和、平安。「エメット」は真実、誠実を意味します。彼らが伝えたかったのは、単に「敵に勝ったぞ」ということではありませんでした。神が与えてくださった「平安と真実」を伝えるべきなのです。私たちもモルデカイとエステルのように、このことを伝えていく者でありたいと思います。
では、一体どのようにしてこの逆転劇が起こったのでしょうか。エステル記は、神の御名が一度も出てこない特異な書ですが、その背後で主の御手が働いていることが全体から伝わってきます。
物語の転換点は、王が眠れなかった夜に始まります。
その夜、王は眠れなかったので、記録の書、年代記を持って来させて、王の前で読ませた。そこには、モルデカイが…王を手にかけようとたくらんだことを告げたことが書いてあった。(エス 6:1-2)
この偶然のような出来事がきっかけで、モルデカイへの報いがなされることになります。ちょうどその時、ハマンはモルデカイを処刑するための柱を準備し、王に許可を願い出ようとしていました。しかし、王に呼ばれたハマンは、王が栄誉を与えたい人物をどう遇すべきか尋ねられます。自分自身のことだと勘違いしたハマンは、盛大な栄誉を与えるよう助言しますが、その栄誉はなんと、彼が憎むユダヤ人モルデカイに与えられることになったのです。
王はハマンに言った。『急いで、お前が言ったとおりに衣装と馬を持って行き、ユダヤ人モルデカイにそうせよ。…お前の言葉のうち、何一つ省いてはならない。』(エス 6:10)
そして、王妃エステルの二度目の宴で、ハマンの陰謀は完全に暴かれます。
王妃エステルは答えて言った。『王よ、もし王がよろしければ、私の命、そして私の民の命をお救いください。私たちは売られて、滅ぼされ、殺され、絶やされようとしています。』…王は言った。『それは誰だ。…』エステルは言った。『敵、憎む者は、この悪しきハマンです。』(エス 7:3-6)
恐れおののくハマンは、やがて彼自身がモルデカイのために用意した柱にかけられて滅びます。しかし物語はここで終わりません。ハマンの家はエステルに与えられ、モルデカイは王に次ぐ大臣の座に上げられました。そして、取り消し不能だったユダヤ人虐殺の勅令に対抗するため、ユダヤ人が自衛を許可する新しい勅令が全国に布告されました。
その日、ユダヤ人の敵たちは彼らを制し得ると思っていたが、事態は逆転し、ユダヤ人が憎む者たちを制した。(エス 9:1)
こうして、主の不思議な守りのもとで逆転が起こり、涙の日が喜びの日に変えられたのです。
続くエステル記10章には、モルデカイがどれほど偉大な人物になったかが記されています。
彼の権威と勇気によるすべての功績、王に重んじられたモルデカイの偉大さについての詳細は、それはメディアとペルシアの王の歴代誌に確かに記されている。(エス 10:2)
モルデカイの功績は、長い間、誰にも気づかれず、報われることがありませんでした。しかし、最終的には王の公式な歴史書にまで彼の偉大さが記されることになったのです。人は忘れても、神様は決して忘れません。
神は不公平な方ではありませんから、あなたがたの働きや、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、今も仕えることによって神の御名のために示した愛を、お忘れになったりはなさいません。(ヘブ 6:10)
皆さんが捧げてきた奉仕、流してきた涙や汗、その一つ一つを神様は覚えておられ、神様の永遠の書物に記されています。特に困難な中で信仰を貫き、神様のために働くことは、非常に尊いことです。
エステル記の締めくくりは、こうなっています。
実に、ユダヤ人モルデカイはクセルクセス王の次の位にあって、ユダヤ人にとっては大いなる者であり、多くの同胞たちに敬愛された。彼は自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語る者であった。(エス 10:3)
彼が何を求めたか、それが重要です。彼は「自分の民の幸福を求め」「全民族に平和を語った」のです。聖書的に「高くされる」とは、単に社会的な地位が上がることではありません。モルデカイのように、神の民の幸福のために働き、すべての人々に平和を告げ知らせる者となることです。私たちがそのような性質を持つなら、神様は皆さんを社会的に高くしてくださることもあるでしょう。
私たちもこの日本という国で、神様のことを前面に出すことがまだできないようなところがありますが、どうぞ憐れんでくださいと祈ります。しかし、ここで一つの御言葉をしっかり握りましょう。
神を愛する人々、すなわち、そのご計画に従って召された人たちのためには、すべてのことが共に働いて益となることを私たちは知っています。(ロマ 8:28)
王の不眠、年代記の朗読、エステルの勇気、モルデカイの忠節、ハマンの計略の自滅——これらすべてが「すべてのことが共に働いて益となる」という御言葉の具体例です。目に見える状況がどうであっても、神は主権をもって導いておられます。私たちの日々でも、小さな出来事、望まない出来事、理解できない出来事が、主の大きな計画へとつながっているのです。ぜひ私たちもそれを忘れず、いつも主の名を覚え、感謝して、あなたを褒めたたえ、また次世代に伝える私たちとしてください。主よ、次世代の働きを助けてください。山田君の働きを導き、あなたの助けがありますように。信じます。感謝します。
最後に、祈りをもって終わりたいと思います。
愛する天の父なる神様。私たちもモルデカイのように、多くの神の民の平和を願い求め、また全世界の人々の平和を告げ知らせる者とならせてください。主イエス様、あなたは十字架にかかり、死に勝利されました。その勝利を私たちにも与えてくださり感謝します。戦いの勝敗はあなたにあります。私たちは自分の手で戦うのではなく、すべての戦いをあなたに委ねる賢い者でありますように。
今、世界で起こっている戦争の上に、平和の君であるあなたの力が及びますように。悪が根絶され、福音が掲げられますように。そして、私たちがいつも祈り求めている次世代の救いと、あなたの栄光が現される時が、今日来ますように。エステル記からいただいた多くの恵みに感謝して、私たちの愛する主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。
【結論】
エステル記に神の御名が記されなくても、主の御手は確かに働いて、苦難を逆転させ、喜びに変えてくださいます。ローマ8:28の約束を握り、主の名を覚え、感謝と賛美を絶やさず、次世代へ主の御業を語り継ぎながら、2026年8月3日の今日も主に信頼して歩んでいきましょう。
