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正しい奉仕方法と相応しい奉仕者の総チェック(2サムエル記6:10-15)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 2サムエル記
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- pastor 2015-7-29 6:12
正しい奉仕方法と相応しい奉仕者の総チェック(2サムエル記6:10-15)
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『ダビデは主の箱をダビデの町に入れることを好まず、これを移してガテびとオベデエドムの家に運ばせた。』(2サムエル記6:10)
ウザの事件で、ダビデは恐れたのだろう。
調子に乗って分相応でない事をしようとしたのではないだろうか、自分ごときが、神の箱を自分の都に運び込んでも良いものか、と。
しかし、神の箱がエルサレムに来る事は、主の御心だった。
『神の箱はガテびとオベデエドムの家に三か月とどまった。主はオベデエドムとその全家を祝福された。』(2サムエル記6:11)
ガテといえばペリシテの領地である。昔、神の箱がガテに来た時、非常な災いが起こり、多くのガテ人が打たれた。(1サムエル記5:9)
また、オベデエドムの名の意味は「エドムに仕える」である。きっと彼は、異邦人でありながらイスラエルの神に帰依した人であろう。
そのような人でも、主の箱がそこに安置されて以来、その家には災いならぬ祝福が来た。
『ダビデ王は、「主が神の箱のゆえに、オベデエドムの家とそのすべての所有を祝福されている」と聞き、ダビデは行って、喜びをもって、神の箱をオベデエドムの家からダビデの町にかき上った。』(2サムエル記6:12)
わずか3ヶ月で、明らかに「神の箱のゆえに」祝福されたという報告がされたからには、その祝福は余程、あからさまで分かりやすいものだったのだろう。
それでダビデは悟った。
主の箱を自分の所に運び込む事については「青信号」だったけれども、その手段が「赤信号」だったのだ、と。
ダビデは今回の失敗の原因と、これからどうすべきかを調べた。
『ダビデは言った、「神の箱をかくべき者はただレビびとのみである。主が主の箱をかかせ、また主に長く仕えさせるために彼らを選ばれたからである」。』(1歴代誌15:2)
ダビデは聖書から調べ、そこから見出した。神の箱を運ぶのは、神に選ばれた働き人・「レビ人」の、それもケハテ族以外には許されていない事を。
それでダビデは大祭司の一族とレビ人を集め、『彼らに言った、「あなたがたはレビびとの氏族の長である。あなたがたとあなたがたの兄弟はともに身を清め、イスラエルの神、主の箱をわたしがそのために備えた所にかき上りなさい。さきにこれをかいた者があなたがたでなかったので、われわれの神、主はわれわれを撃たれました。これはわれわれがその定めにしたがってそれを扱わなかったからです」。』(1歴代誌15:12-14)
前回の時、ダビデは軍人たちには相談しても、祭司やレビ人という神に仕える人には相談していなかったようである。
ダビデは告白した。失敗の原因はそこにあった、前回、この奉仕を当たらせるべきだったレビ人にはさせず、無知故に、勝手に選んだ人・勝手に考えだした方法でそれに当たらせたため、神はわれわれを撃たれたのだ、と。
『そこで祭司たちとレビびとたちはイスラエルの神、主の箱をかき上るために身を清め・・・』(1歴代誌15:14)
ダビデは、それに相応しい奉仕者を呼び寄せた後、彼らの身を聖別させた。
主に任命された相応しい奉仕者に、その仕事を当たらせるだけではなく、彼らをきよめなくてはならない。
実際、アロンの子ナダブとアビフは、任命された奉仕者ではあったが、相応しくない仕方で御前に出た故、火で滅ぼされてしまった。(レビ記10章)
神の箱の中には、神の言葉が刻まれた石板と、生命を息吹いたアロンの杖、天からのいのちの養いであるマナの壺が入っていたが、現代の御言葉を運ぶ奉仕者も、それに相応しく整えられた人であるべきだ。なぜなら、整えられていない人が聖なる奉仕に携わって過ちを犯してしまう時、その人にとっても、周囲にとっても災いだからだ。
ウザを死なせてしまったのは、相応しくな奉仕者を当たらせてしまったダビデの責任でもある。
私達も、聖なる務めをする奉仕者は、「自分のよかれ」で選ぶべきではなく、主の御前において相応しい人を選ぶべきである。
『ダビデはまたレビびとの長たちに、その兄弟たちを選んで歌うたう者となし、立琴と琴とシンバルなどの楽器を打ちはやし、喜びの声をあげることを命じた。』(1歴代誌15:16)
ダビデは、賛美の奉仕者も、レビ人の中から任命した。
最初に失敗した時、「ダビデおよびすべてのイスラエルは歌と琴と立琴と、手鼓と、シンバルと、ラッパをもって、力をきわめて神の前に踊った。」(1歴代誌13:8)と記されているが、どうやらこの時の賛美奉仕者は、特に選別されていなかったようだ。
しかし今回、ダビデは、賛美においても、箱を守るにおいても、全てレビ人で統一し、神の働き人として相応しい者の中から任命した。
私達も、信仰が無い人や御前に相応しくない人は、いかに世の音楽やダンスに精通している人であっても、奉仕に当たらせるべきでないのだ。
『ダビデは亜麻布の衣服を着ていた。箱をかくすべてのレビびとは、歌うたう者、音楽をつかさどるケナニヤも同様である。ダビデはまた亜麻布のエポデを着ていた。こうしてイスラエルは皆、声をあげ、角笛を吹きならし、ラッパと、シンバルと、立琴と琴をもって打ちはやして主の契約の箱をかき上った。主の契約の箱がダビデの町にはいったとき、サウルの娘ミカルが窓からながめ、ダビデ王の舞い踊るのを見て、心のうちに彼をいやしめた。』(1歴代誌15:27-29)
ダビデはこの時、王といえども、他の働き人達と全く同じ格好をし、他の人達と全く同じように、共に主を喜び楽しんでいた。
それも、妻ミカルに蔑まれるほどに。
主の御前の奉仕は、本来、社会地位も立場も一切関係無いのだ。
『こうしてダビデとイスラエルの全家とは、喜びの叫びと角笛の音をもって、神の箱をかき上った。』(2サムエル記6:15)
今回は何のトラブルも無く、大きな喜びの内に、主の箱をエルサレムに迎え入れる事が出来た。
それはダビデがこの奉仕の「方法」と「奉仕者」を、御言葉によって総ざらいし、きよめ、心して主を第一としたからだ。
私達も、神の国の事柄において仕え奉仕するとき、正しい奉仕者を用い、正しい方法、正しい心で当たるなら、それは主の喜びと栄光が大いにあらわれるものとなる。
水を差された「主・不在」の熱狂イベント(2サムエル記6:1-9)
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- 執筆 :
- pastor 2015-7-27 6:19
水を差された「主・不在」の熱狂イベント(2サムエル記6:1-9)
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『ダビデは再びイスラエルのえり抜きの者三万人をことごとく集めた。そしてダビデは立って、自分と共にいるすべての民と共にバアレ・ユダへ行って、神の箱をそこからかき上ろうとした。この箱はケルビムの上に座しておられる万軍の主の名をもって呼ばれている。』(2サムエル記6:1)
今回ダビデが兵を集めたのは、戦うためではなく、神の箱を、自分の街エルサレムに運び入れるためだった。
神の箱は、長い間、放置状態だった。
この時からさかのぼる事数十年前、サムエルがまだ若かった時、イスラエルは主を軽んじた故に、神の箱がペリシテに奪われてしまう、という事件があった。(2サムエル記4章)
しかし箱は、どの人間の手も借りず、ペリシテの地で多くの災いをもたらし、御者のいない牛車によって、ひとりでに戻されたが、その戻された所のイスラエルの人々は箱の中を見てしまったため、不敬の故に、大勢の人々が倒れた。(同5-6章)
それ以来、神の箱はずっとアビナダブの家に安置され、そのまま何十年かが経過していた。
『彼らは神の箱を新しい車に載せて、山の上にあるアビナダブの家から運び出した。アビナダブの子たち、ウザとアヒオとが神の箱を載せた新しい車を指揮し、ウザは神の箱のかたわらに沿い、アヒオは箱の前に進んだ。ダビデとイスラエルの全家は琴と立琴と手鼓と鈴とシンバルとをもって歌をうたい、力をきわめて、主の前に踊った。』(2サムエル記6:3-5)ダビデは、今までにないアイデアを駆使し、盛大に神の箱を運んだ。
新しい牛車を用意し、そこに神の箱を載せ、アビナダブの子達にその車を指揮させ、三万もの選り抜きの兵士と共に、色々な楽器を用い、新しい賛美とダンスをもって主をほめたたえながら運んだ。
かなり大掛かりで華やかなイベントが進行していたが、その盛り上がりの頂点の時、全部を覆してしまうような事が起きた。
『彼らがナコンの打ち場にきた時、ウザは神の箱に手を伸べて、それを押えた。牛がつまずいたからである。すると主はウザに向かって怒りを発し、彼が手を箱に伸べたので、彼をその場で撃たれた。彼は神の箱のかたわらで死んだ。主がウザを撃たれたので、ダビデは怒った。その所は今日までペレヅ・ウザと呼ばれている。』(2サムエル記6:6-8)
牛がつまづいて、神の箱が倒れそうになったのを支える、という、「いい事」をしたはずのウザが、主に撃たれ死んでしまう・・・なぜこのような事が起きるのだろう。
聖書を探ってみると、実は、ダビデ達の側に正さねばならない事があった事に気づく。
今回、ダビデが主の箱を運び入れようという行動に至った経緯が、第一歴代誌に詳しく記されている。
『ここにダビデは千人の長、百人の長などの諸将と相はかり、そしてダビデはイスラエルの全会衆に言った、「もし、このことをあなたがたがよしとし、われわれの神、主がこれを許されるならば、われわれは、イスラエルの各地に残っているわれわれの兄弟ならびに、放牧地の付いている町々にいる祭司とレビびとに、使をつかわし、われわれの所に呼び集めましょう。また神の箱をわれわれの所に移しましょう。われわれはサウルの世にはこれをおろそかにしたからです」。』(1歴代誌13:1-3)
ダビデはここで「もし、このことをあなたがたがよしとし、われわれの神、主がこれを許されるならば」と言っている。
つまり、「あなたがた」千人隊長や百人隊長が「先」で、「われわれの神、主」が「後」になっている。
人が先で、主の御名が後。これがまず一つである。
『会衆は一同「そうしましょう」と言った。このことがすべての民の目に正しかったからである。そこでダビデはキリアテ・ヤリムから神の箱を運んでくるため、エジプトのシホルからハマテの入口までのイスラエルをことごとく呼び集めた。』(1歴代誌13:4-5)
この一大イベント企画は、軍人たちの賛同が得られ、多くの人達が動員された様子は記されているものの、ダビデが主に伺ったとか、祭司やレビ人に相談を求めた、といった記述は見いだせない。
ようするに、ダビデ達は一見、主を敬っているかのように見えるが、実は人間が主体で「主・不在の人間的盛り上がりイベント」に過ぎなかった、という事だ。
いかに多くの人達の賛同が得られても、また、何万人を動員するイベントが企画され実行されてしまっていても、主の御心を外して突き進んでしまうのは、危険である。
なぜなら、御言葉は「法則」であり、「これをすれば死ぬ」と言われている事をするならば、死んでしまうからだ。
今回彼らは、神の箱を移動しているのだが、その場合、どうしなくてはならないのだろうか。
その作法は、民数記4章に記されている。
『宿営の進むとき、アロンとその子たちとが、聖所と聖所のすべての器をおおうことを終ったならば、その後コハテの子たちは、それを運ぶために、はいってこなければならない。しかし、彼らは聖なる物に触れてはならない。触れると死ぬであろう。会見の幕屋のうちの、これらの物は、コハテの子たちが運ぶものである。』(民数記4:15)
つまり、神の箱は、大祭司の子孫によって梱包された上、レビ人のコハテ族が担ぎ棒で担いで運ぶものであり、この取り扱いを一歩間違えると、「死ぬ」恐れがある事が、元々記されている。
だから、箱が晒された状態で、コハテ族以外の者に、それも牛車で運ばせるなど、とんでもない事だったのだ。
かつて、主の箱が、御者のいない牛車に載せられて、ひとりでにイスラエルへと戻るように仕向けて下さった主は、今回、牛がひっくり返さないようにする事など、当然出来たはずである。
それなのになぜ、主は、大勢の人達が集っているイベントの真っ最中、しかも、その熱狂が最高潮に盛り上がっている時に、この事をおこされたのか。
もし、ダビデのこの斬新な企画が、何の落ち度もないまま進んで行っていたとしたら、ダビデ達は確実に御言葉に聞かない方向へと進んで行っただろう。
「なんとなく御言葉に従っているつもり」だと思い込んでいながら、実はよく分かっておらず、企画したイベントの成功や、人々の盛り上がりにばかり苦心して、突き進んで行く内に、御言葉が「してはならない」と警告している領域を侵犯し、滅びへと突き進んでいるような事は無いだろうか。
これは、現代を生きる神の民である私達がよくよく留意すべき事である。
現代の私達が、クリスチャンイベント、礼拝イベント、伝道イベント、諸々の事を興すとするなら、それは主から出たもの・主を中心とするべきものである。
もし私達も、主が、そして御言葉が置き去りにされたまま、人の祭りに酔いしれるなら、何かしらの犠牲を伴う警告が与えられるものである。
『その日ダビデは主を恐れて言った、「どうして主の箱がわたしの所に来ることができようか」。』(2サムエル記6:9)
ダビデは恐れ、このイベントを急遽中止したが、『主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。』(箴言1:7)
ここからダビデは御言葉に求め、人が主体である事を捨て、主が主体であるべきだとする思いが芽生えただろう。
私達も、良かれと思っていた方法を進めている時に、いきなり冷水を浴びせられるような事が起きるかもしれない。
その時は、御言葉に立ち返るべき時である。
バビロンの中で秀でた者となるために(ダニエル1章)
第一礼拝: Youtube動画 / 音声
賛美集会音声
第二礼拝: Youtube動画 / 音声
週報/メッセージ(説教)概要
昨今のニュースを見ていると、日本も世界も民主主義の自由さが無くなりつつあり、反キリスト的な思惑を持った権力者達が、強引に、堕落と混乱へと世界を導こうとしているのを感じる。
全ての上におられる神の主権を人が奪い、人が神のようになろうとし、真理を退け不法がはびこっていく様を”バビロン化”と言うが、このバビロンの起源は、ノアの洪水のすぐ後、あのバベルの塔に発端がある。
かの時、ノアの恥を覆って祝福されたセムの子孫達は、自分達の定住地を離れ、ノアの恥を晒したハムの子孫達の住んでいるシヌアルの地へ移動し、定住した。シヌアルの地は、メソポタミア平原、すなわち後のバビロンであり、今のイラクの地方に位置するが、この地は代々、神の民を誘惑し(ヨシュア7:21)、神の国の器を奪い(ダニエル1:2)、罪悪が安置される所(ゼカリヤ5:11)である。
そして現在、この「シヌアルの地」から出たモスレム達が、世界各国へ進出し、オイルマネーを背景に実権を掌握しつつあり、キリスト者を迫害し、殺害し、世界を暴力と恐怖で支配しようとしている。
元々「バベルの塔」は、神と共に歩むべきセム族が、呪われるべき性質のハム族と妥協し、混ざり合い、造られて行ったが、今まさに、神の民が世と妥協を繰り返した結果、世界のバビロン化が一層進んでしまった。
私達はこれを悔い改め、偽りに対して妥協しない姿勢を身に着けるべきである。本日、バビロンの中にあっても妥協せず信仰を貫き通し、かえって素晴らしい証を立てて行ったダニエル達から学びたい。
『主はユダの王エホヤキムと、神の宮の器具の一部とを、彼(バビロンの王)の手にわたされたので、彼はこれをシナル(シヌアル)の地の自分の神の宮に携えゆき、その器具を自分の神の蔵に納めた。』(2節)
イスラエルは神に不従順だった故に、全イスラエルと、聖なる器たちはバビロンへ運び込まれてしまった。
その邪悪な国の中にあっても、信仰を貫き通し、そのゆえに主から守られ、祝福され、栄え、王に対し、国全体に対し、素晴らしい主のあかしをした信仰の偉人たちがいた。ダニエルと3人の友人たちである。
彼らは、少年だった時、祖国イスラエルが攻め落とされ、捕囚としてバビロンに連れて行かれた。
バビロンは全世界から捕囚して来た人々の中から、生まれも育ちも申し分なく、知恵、知識、思慮において王宮に仕えるに相応しい若者たちを、アシュペナズという王室の学者に委ね、政治、経済、文化、哲学、言語などを、3年の間、特別教育をさせた。今で言う所の最高学府、東大やハーバード大などの元である。
『ダニエルは王の食物と、王の飲む酒とをもって、自分を汚すまいと、心に思い定めた。』(8節) ダニエル達はバビロンという国の中で、そこの飲み食いに染まる事なく、主の禁じたものを取り入れまいとして、ただ自分達には野菜を食べさせ、水を飲ませて下さいと宦官の長に願い出、十日だけ試みる事が許された。
『十日の終りになってみると、彼らの顔色は王の食物を食べたすべての若者よりも美しく、また肉も肥え太っていた。』(15節) 神の民が御言葉に従って摂り入れるものは、世の価値観からすれば頼り無いかのように見えるが、実は世の飲み食いのほうが不健全で、神の国の飲み食いの方がはるかに健全なのだ。
そればかりではない。主は、主の道に歩もうとする人を守り、栄えさせて下さる。『この四人の者には、神は知識を与え、全ての文学と知恵にさとい者とされた。ダニエルはまた全ての幻と夢とを理解した。』(17節)
現在を生きる私達にも、世というバビロンが、世の言葉、世の価値観を飲み食いさせようとして来る。
しかし私達は、世が食べさせようとして来るあらゆる価値観や知識を、全て御言葉に照らし合わせ、主が禁じたものは摂り入れず、むしろ、御言葉を摂り入れて行くなら、世の何者にも勝るものへと、主がして下さる。
『王が彼らと語ってみると、彼らすべての中にはダニエル、ハナニヤ、ミシャエル、アザリヤにならぶ者がなかった』(19節) 御言葉をよく食べ、よくテフィリンして行くなら、世の誰によりも知恵に秀でた者になるのだ。
このバビロンの中で、ダニエル達は何度も異教的な価値観を押し付けられたり、主を礼拝する事を止めさせようと企みが為されもしたが、彼らは主の故に、ことごとく主の道を貫き通した。そのため火の炉の中や、ライオンの穴にも投げ込まれたが、主はことごとく彼らを守り、かえって主の素晴らしさがその国に広まった。
私達も、バビロンのような環境の中においても、主の道に歩む事を貫き通すなら、真実なる主がことごとく、私達に真実で返して下さり、逆にバビロンのほうが体制を崩して行くのである。
ダニエル達のように、世の皆が取り入れている飲み食いをせず、むしろ御言葉をよく食べ、誰より秀でた者とされ、この日本と世界を造り変えて行く皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!
偽善な律法学者、パリサイ人たち(マタイ23:13-22)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » マタイによる福音書
- 執筆 :
- pastor 2015-7-25 14:26
イザヤ書講解説教メッセージ
バビロンの性質とそれに対する預言 2(イザヤ14:1-11)
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【概要】
バビロンの裁きとイスラエルの回復に関するイザヤ書14章のメッセージ
【聖書箇所】
イザヤ書14:1-11
【励ましの言葉】
神は必ずイスラエルを憐れみ、再び選び、彼らの土地に帰らせてくださる。
【戒めの言葉】
バビロンのように高慢になり、人々を強いたげてはいけない。
【悔い改めの促しの言葉】
自分の中にあるバビロンの性質を取り除き、神に立ち返るべきである。
【***詳細***】
今日のメッセージはイザヤ書14章1-11節に基づいています。これは先週に続いてバビロンに対する預言の続きですが、単なる一国家に対する裁きではなく、罪人全体に対するより大規模な裁きを示しています。世の終わりには、バビロンに象徴される者たちに対する裁きがなされると先週学びました。
まず1節を見ると、**「誠に主は、ヤコブを憐れみ、再びイスラエルを選び」**と書かれています。ヤコブとイスラエルは同じ民を指しますが、ヤコブは神に従順でない状態のイスラエルを表しています。それでも神はそのようなヤコブを憐れみ、再び選んでくださるのです。
さらに、「彼らを自分たちの土地に移す」とあります。これはバビロン捕囚からの帰還を予言していますが、同時に1948年のイスラエル建国も予見しています。2500年以上前のこの預言が文字通り実現したのです。聖書には他にも未実現の預言がたくさんありますが、それらも必ず実現するでしょう。なぜなら、「神のことばは生きており」(ヘブル4:12)、たとえ天地が滅びても神のことばは残るからです。
2-3節では、イスラエルが回復されると、かつて彼らを虐げた者たちを逆に支配するようになると預言されています。実際、現代のイスラエルは世界に大きな影響力を持つ国となっています。
4-11節では、バビロンの王の没落が描かれています。高慢で横暴だったバビロンが滅ぼされると、全地が安らかに憩い、喜びの歌声をあげると預言されています。これは私たちへの警告でもあります。私たちの内にバビロンのような高慢さや横暴さがあるなら、それを取り除くべきです。
特に注目すべきは9-11節です。バビロンの王が黄泉(よみ)に下ると、そこにいる死者たちがざわめき、迎えに出るという描写があります。**「あなたもまた、私たちのように弱くされ、私たちに似たものになってしまった」と彼らは言います。さらに、「あなたの下には、うじが敷かれ、虫けらがあなたの覆いとなる」**と書かれています。
これは単なる比喩ではありません。マルコ9:48にも、**「そこでは、彼らを食う虫は尽きることがなく、火も消えることがありません」**と書かれています。死後の世界、特に神を拒んだ者たちの行き先について、聖書は明確に警告しているのです。
しかし、良い知らせがあります。イザヤ1:18には、**「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる」**とあります。どんなに罪深くても、神に立ち返るなら赦され、清められるのです。
私たちは自分の中にある「バビロンの性質」、つまり高慢さや人を虐げる性質を取り除かなければなりません。マルコ9:43-47では、罪を犯させる手や足や目があれば、それらを切り捨てなさいと教えています。これは比喩的な表現ですが、罪との妥協を許さない徹底的な態度が必要だということです。
最後に、黙示録19:1-4を見ると、バビロンが裁かれた時、天では大勢の群衆が「ハレルヤ」と叫び、24人の長老と4つの生き物が神を礼拝する様子が描かれています。私たちもまた、バビロンの性質を捨て去り、永遠の礼拝に加わる者となりたいものです。
【結論】
バビロンの性質を取り除き、神に立ち返ることで、永遠の命と喜びを得ることができる。自分をつまずかせる罪は徹底的に取り除き、神の憐れみと赦しを求めよう。
内外の敵に対する正しい対処(2サムエル記5:17-25)
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全イスラエルの王とされ、堅固な都エルサレムに王宮を建てて住み、さらに妻をめとり多くの子を産んで行くダビデ。
成功の道をまっしぐらに進んでいるかのようなダビデだが、神に属する人が栄えると、それを妬んで攻撃して来る者も現れる。
『さてペリシテびとは、ダビデが油を注がれてイスラエルの王になったことを聞き、みな上ってきてダビデを捜したが、ダビデはそれを聞いて要害に下って行った。ペリシテびとはきて、レパイムの谷に広がっていた。』(2サムエル記5:17-18)
ペリシテが集結したレパイムの谷は、エルサレムのすぐ近く、ほんの数キロほど南である。
ダビデの町の喉元まで迫ってきたのだ。
サウルは、ペリシテが攻めて来た時、その軍勢を見て恐れ、わなないたが、今回もかなりの数と装備で攻め寄せて来たと思われる。
ダビデはどうしたか。
『ダビデは主に問うて言った、「ペリシテびとに向かって上るべきでしょうか。あなたは彼らをわたしの手に渡されるでしょうか」。主はダビデに言われた、「上るがよい。わたしはかならずペリシテびとをあなたの手に渡すであろう」。』(2サムエル記5:19)
かつてダビデは、サウルから逃れるために、主に御心を求めずにペリシテの地へ行き、世の中的な生存競争の泥沼に陥った挙句、妻子や財産全てを奪われ、部下たちに殺されそうにまでなったが、その時、彼は主に伺って奮い立ち、見事全てを取り返した。(1サムエル記27章)
この事があってだろうか、彼は以後、何事に対しても主に伺うようになった。
私達もダビデのように、何事についても主の守りと祝福を、そして導きを求めて祈るなら、平和と尊厳の内に人生を全うできる。
『そこでダビデはバアル・ペラジムへ行って、彼らをその所で撃ち破り、そして言った、「主は、破り出る水のように、敵をわたしの前に破られた」。それゆえにその所の名はバアル・ペラジムと呼ばれている。』(2サムエル記5:20)
「バアル・ペラジム」の名は、神は突破口を開いて下さる、という意味である。
人は、自分の考えや経験に基づいた行動によって突破口を開こうとするが、それは最善ではなく、多かれ少なかれ自分や他人を傷つけるものである。
しかしダビデのように主に伺うなら、主はどんな問題であっても、最善かつ完璧な突破口を開いて下さる。
『ペリシテびとはその所に彼らの偶像を捨てて行ったので、ダビデとその従者たちはそれを運び去った。』(2サムエル記5:21)
ダビデは、敵の残して行った偶像を、しっかり除去したが、これは大事な事である。
カナンの偶像は、性的・肉的情欲をそそる表現が、あからさまに施されていたり、また、肉欲の逸脱的な発散行為が「礼拝」とされているような地であった。
エルサレム近くの谷に置き去りにされた偶像を片付けさせた事は、言うならば、純粋な青少年男子をかかえている親が、性的不健全な本やビデオが近所に散乱しているのを、すぐ片付けさせたようなものか。
目に見える偶像に従うのは、肉的には、非常にラクだ。
それに対し、見えない神に信頼し、書かれてある御言葉に信頼して歩む道は、肉的には困難を覚える。
その事は、信仰者である皆さんは日々、実感している事であろう。
だから主は、特に偶像を警戒させたのだ。
『あなたは彼らの神々の彫像を火に焼かなければならない。それに着せた銀または金をむさぼってはならない。これを取って自分のものにしてはならない。そうでなければ、あなたはこれによって、わなにかかるであろう。これはあなたの神が忌みきらわれるものだからである。あなたは忌むべきものを家に持ちこんで、それと同じようにあなた自身も、のろわれたものとなってはならない。あなたはそれを全く忌みきらわなければならない。それはのろわれたものだからである。』(申命記7:25-26)
実際、列王記や歴代誌を見ると、ダビデの子孫である王達で、偶像が堕落のきっかけとなってしまった事例を、多く見る事が出来る。
だから、偶像をしっかり除去させたダビデは、その点素晴らしいのだ。
ペリシテ人は、懲りずにまた攻めてきた。
『ペリシテびとが、ふたたび上ってきて、レパイムの谷に広がったので、ダビデは主に問うたが、主は言われた、「上ってはならない。彼らのうしろに回り、バルサムの木の前から彼らを襲いなさい。バルサムの木の上に行進の音が聞えたならば、あなたは奮い立たなければならない。その時、主があなたの前に出て、ペリシテびとの軍勢を撃たれるからである」。』(2サムエル記5:22-24)
ダビデは再び、主に伺った。
人は特に、一度勝利したり成功したりすると、その経験や成功パターンに飛びついて主に伺う事を止めてしまう事が多い。
しかし彼は、そうではなかった。
ダビデが今回取るべき「主の戦法」は「登って行くな」であったが、もし主に伺わずに行っていたら、どうなっていただろう。
ヨシュアの時代、城塞都市エリコに大勝利した直後、アイという小さな町を攻略する上で、彼らは「今回も楽勝だろう」と考え、主に伺わずに出て行った結果、負けてしまった。
彼らの中には聖絶すべきものがあったため、どんな小さな相手にさえも勝てない状態に陥っていたのだが、主に伺っていなかったため、それに気付けなかった。
『ダビデは、主が命じられたようにして、ペリシテびとを撃ち、ゲバからゲゼルに及んだ。』(2サムエル記5:25)
以上のように、ダビデは、聖絶すべきものを徹底して除去する事についても、主に伺うという事においても、ぬかりはなかった。
そのため、ダビデは至る時、至る所で大勝利し、結構な北方まで領地を奪回した。
私達もダビデのように、滅ぼし尽くすべきものにおいて、また、主に伺う事において抜かり無くして、祝福を逃さないものでありたい。
そのような皆さんでありますように、イエス様のお名前によって祝福します!
