メッセージ - 悩みの時に神殿に向かって祈る人々のための、ソロモンの執り成し(1列王記8:31-40)

悩みの時に神殿に向かって祈る人々のための、ソロモンの執り成し(1列王記8:31-40)

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pastor 2016-1-19 23:30

悩みの時に神殿に向かって祈る人々のための、ソロモンの執り成し(1列王記8:31-40)
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ソロモンは続いて、「これこれの人が、この状況で、この神殿にて祈る時、その祈りを聞いて下さい」というパターンを、7つの場合に分けて祈っている。

その一番目は、人と人との間で何かトラブルがあって、この神殿に来て主の御前に持ち込んで来た場合、主がそのさばきを正統に裁いてください、というものである。
『もし人がその隣り人に対して罪を犯し、誓いをすることを求められる時、来てこの宮であなたの祭壇の前に誓うならば、あなたは天で聞いて行い、あなたのしもべらをさばき、悪人を罰して、そのおこないの報いをそのこうべに帰し、義人を義として、その義にしたがって、その人に報いてください。』(1列王記8:31-32)
人は、正統にさばくという事が難しい。人は、他人の心に秘めている事や動機までも探り出す事ができないからだ。
時には、裁かれるべき不当な事が隠されたままであったり、あるいは、何も悪い事をしていないのに断罪されてしまう、という事もある。
神の民がこの神殿に持ってくるさばきを、全てを見透かしておられる主が正しく裁いてください、と、ソロモンは祈っているのだ。

『もしあなたの民イスラエルが、あなたに対して罪を犯したために敵の前に敗れた時、あなたに立ち返って、あなたの名をあがめ、この宮であなたに祈り願うならば、あなたは天にあって聞き、あなたの民イスラエルの罪をゆるして、あなたが彼らの先祖に賜わった地に彼らを帰らせてください。』(1列王記8:33-34)
2番目の場合は、敵に打ち負かされてしまった時、この神殿に来て、祈り願う場合である。

ソロモンは、「あなたに対して罪を犯したために敵の前に敗れた時」と言っており、「主に対して罪を犯す」事と「敗北する」事を一体とみなしている。
そう、神の民は、主に罪を犯したまま勝利に勝利を重ねる、という事は、ありえないのだ。
エリコに大勝利したヨシュアは、アイという小さな町での敗北を大いに憂慮し、主に切に祈り求めた結果、主は、イスラエルの民の、たった一人が犯した罪を指摘され、それを取り除くように言われた。
主は、純粋である事をその民に求められる。
最初から神に見向きもされていない者であるなら、罪を犯した状態で勝利に勝利を重ねる事は、あるだろう。
それは、その者が自ら滅びを積み重ねるためだ。
しかし、神の民が罪を犯したまま、それを放置する時、主はその事を気づかせ、悔い改めて主に立ち返らせるために、敢えて、敗北させられる。

私達も人生で敗北が重なる時は、自分自身に目を向け、自分の中に敗北の原因となっているような主に対する罪、主の御前に取り扱っていない罪があるのではないかと探るべきであり、それを取り除くべきなのだ。
だから、小さな敗北の時に大いに憂慮して主に導きを求めたヨシュアは、さすがなのである。

続いて、3番目のケースは、干ばつの時に主に祈り求める場合である。
『もし彼らがあなたに罪を犯したために、天が閉ざされて雨がなく、あなたが彼らを苦しめられる時、彼らがこの所に向かって祈り、あなたの名をあがめ、その罪を離れるならば、あなたは天で聞き、あなたのしもべ、あなたの民イスラエルの罪をゆるし、彼らに歩むべき良い道を教えて、あなたが、あなたの民に嗣業として与えられた地に雨を降らせてください。』(1列王記8:35-36)
私達も、人生の中であたかも天が閉ざされ、恵みの雨が一切降らないように感じる場合、やはり、自分の中に主の御前に取り扱われていない罪があるかないかを疑うべきである。

ソロモン達の住んでいる「約束の地」は、「乳と蜜の流れる地」と呼ばれてはいるが、しかしそこは、主の御前に罪を犯したままそれを残している人に対しては一切雨が降らない地と化してしまう。
『もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行なわないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる。あなたは町にあってものろわれ、野にあってものろわれる。・・・またあなたの頭の上の天は青銅となり、あなたの下の地は鉄となる。主は、あなたの地の雨をほこりとされる。それで砂ほこりが天から降って来て、ついにはあなたは根絶やしにされる。』(申命記28:16-24)

キリスト者もその「乳と蜜の流れる地」に住んでいるも同じで、もし主の御声に聞き従い、御言葉の通り守り行って歩むなら、そこは乳と蜜の流れる地として豊かな祝福を受ける。
しかし、もし主に聞き従わず、御言葉を守り行わないとなれば、その人生から恵みの雨は差し止められ、潤いの無い砂漠のような人生となってしまう。
「彼らがこの所に向かって祈り、あなたの名をあがめ、その罪を離れるならば、あなたは天で聞き、あなたのしもべ、あなたの民イスラエルの罪をゆるし、彼らに歩むべき良い道を教えて、あなたが、あなたの民に嗣業として与えられた地に雨を降らせてください。」
悔い改めて立ち返る人に、主はこのようにして下さるのである。

4番目は、色々な災いのケースが記されている。
『もし国にききんがあるか、もしくは疫病、立ち枯れ、腐り穂、いなご、青虫があるか、もしくは敵のために町の中に攻め囲まれることがあるか、どんな災害、どんな病気があっても、もし、だれでも、あなたの民イスラエルがみな、おのおのその心の悩みを知って、この宮に向かい、手を伸べるならば、どんな祈、どんな願いでも、あなたは、あなたのすみかである天で聞いてゆるし、かつ行い、おのおのの人に、その心を知っておられるゆえ、そのすべての道にしたがって報いてください。』(1列王記8:37-39)

ここに記されている色々な災いは「ききん」「疫病」「立ち枯れ」「腐り穂」「いなご」「青虫」、もしくは「敵のために町の中に攻め囲まれること」「災害」「病気」である。
これらの事が起きた時は、「その心の悩みを知って」この宮に向かって祈って願う時、主はそれを聞いて赦し報いてください、とソロモンは祈っている。

このケースでは、人々が特に「罪を犯した」とは明記されていない。
人は特段、罪を犯さなくても、主が何らかの理由で災いを送られる事はある。
例えば、訓練を与えて信仰を成長させるためであったり、敢えてその人にそのような所を通らせる事で鍛え、強めるためであったり。
そして、その人が主の宮に向かって手を差し伸べて祈る時、主がその祈りを聞いて、答えて下さい、とソロモンは祈っている。

『ただ、あなただけ、すべての人の心を知っておられるからです。あなたが、われわれの先祖に賜わった地に、彼らの生きながらえる日の間、常にあなたを恐れさせてください。』(1列王記8:39-40)
主は、一人ひとりの心を知っておられる。
主こそ、全ての人のの成り立ちと最善をご存知である。
いつ試練を与えられるか、いつ幸いと報いを与えられるか、そのタイミングとさじ加減は、完璧であり、全ての道に従って正統に裁き、正統に報いられるお方なのだ。

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