メッセージ - あえて真理に耳をふさぎ、喜んで悪に同意し偽りを選択する者に対しての祈り方(詩篇58篇)
あえて真理に耳をふさぎ、喜んで悪に同意し偽りを選択する者に対しての祈り方(詩篇58篇)
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- 執筆 :
- pastor 2020-5-11 9:28
詩篇 講解説教
あえて真理に耳をふさぎ、喜んで悪に同意し偽りを選択する者に対しての祈り方(詩篇58篇)
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詩篇58篇表題「聖歌隊の指揮者によって、「滅ぼすな」というしらべにあわせてうたわせたダビデのミクタムの歌」
この詩篇には、敢えて不正を好み悪魔サタンに同意するような者に対して、どう祈るべきかが記されている。
詩篇58:1 あなたがた力ある者よ、まことにあなたがたは正しい事を語り、公平をもって人の子らをさばくのか。
「あなたがた力ある者」と訳された所の原文は「あなたがた、もの言わぬ者」である。
すなわち、さばきの座で、あえて正しい事や公平な事には口を閉ざす者の事である。
箴言31章に書いてある。
箴言31:8 あなたは黙っている人のために、すべてのみなしごの訴えのために、口を開くがよい。
31:9 口を開いて、正しいさばきを行い、貧しい者と乏しい者の訴えをただせ。
さばく立場において、私たちの口は、御言葉に基づいて、弱い立場の人が守られるように、ただしいさばきを宣告するために、大いに開くべきである。
それなのに彼らは、敢えて口を閉ざすのだ。
正しい事に対し、口を閉ざす彼らは、果たして公平なさばきが出来るのだろうか。「否」である。
詩篇58:2 否、あなたがたは心のうちに悪い事をたくらみ、その手は地に暴虐を行う。
58:3 悪しき者は胎を出た時から、そむき去り、生れ出た時から、あやまちを犯し、偽りを語る。
「暴虐を行う」と訳された語・パーラスは、均一化する、平たくする事の意味である。
彼らは、悪やうそを標準化しようと敢えてたくらんでいる。
もし彼らが御言葉を聞き、叱責を聞いて悔い改めるなら、救われるのだが、残念ながら、彼らはそうではなく、母の胎内にいる時から既に「うそ」で塗り固めていた者だという証明が、4節以降で為されている。
詩篇58:4 彼らはへびの毒のような毒をもち、魔法使または巧みに呪文を唱える者の声を聞かない/耳をふさぐ耳しいのまむしのようである。
まむしや蛇には、手足が無い、はずなのに、その無い手足を使ってでも、御言葉や叱責を聞く耳を塞ごうと、敢えてするのだ。
彼らは神の言葉も人からの叱責も、意図して、聞かないのである。
このように、意図して真理を受け付けない者のために祈る祈りが、6-9節である。
詩篇58:6 神よ、彼らの口の歯を折ってください。主よ、若いししのきばを抜き砕いてください。
58:7 彼らを流れゆく水のように消え去らせ、踏み倒される若草のように衰えさせてください。
58:8 また溶けてどろどろになるかたつむりのように、時ならず生れた日を見ぬ子のようにしてください。
歯や牙は、食べ物を食べるためについてるものだが、そのために用いるのではなく、あえて、人を害するために用いる。
そのような歯や牙は、主が折って下さいますように、と、祈るべきなのだ。
人をあえて傷つけるために込める矢、人を傷つける事において長けた舌という矢を、心の中に蓄えているとするなら、それらは全部へし折って下さい、彼らは水のように流れ去らせ、消え去らせて下さい、元々存在しなかった者のようにしてください、と祈るのだ。
詩篇58:9 あなたがたの釜がまだいばらの熱を感じない前に/青いのも、燃えているのも共につむじ風に/吹き払われるように彼らを吹き払ってください。
当時は、よく燃えるいばらを着火剤にしてたきぎに火をつけ、釜の中の青物や生物を煮ていたが、ここでは、悪人が悪を計画し、準備し、実行し、悪のうまいものを得るという全工程を、料理の工程にたとえている。
悪人が悪のうまいものを料理しようと、準備し、その着火剤に火をつけたその瞬間に、主が釜も、いばらも、中身の具材も、全部一式、つむじ風で吹き飛ばして下さい、と祈るのだ。
まさに箴言1章後半に書いてある。
箴言1:22 「思慮のない者たちよ、あなたがたは、いつまで/思慮のないことを好むのか。あざける者は、いつまで、あざけり楽しみ、愚かな者は、いつまで、知識を憎むのか。
1:23 わたしの戒めに心をとめよ、見よ、わたしは自分の思いを、あなたがたに告げ、わたしの言葉を、あなたがたに知らせる。
1:24 わたしは呼んだが、あなたがたは聞くことを拒み、手を伸べたが、顧みる者はなく、
1:25 かえって、あなたがたはわたしのすべての勧めを捨て、わたしの戒めを受けなかったので、
1:26 わたしもまた、あなたがたが災にあう時に、笑い、あなたがたが恐慌にあう時、あざけるであろう。
1:27 これは恐慌が、あらしのようにあなたがたに臨み、災が、つむじ風のように臨み、悩みと悲しみとが、あなたがたに臨む時である。
1:28 その時、彼らはわたしを呼ぶであろう、しかし、わたしは答えない。ひたすら、わたしを求めるであろう、しかし、わたしに会えない。
1:29 彼らは知識を憎み、主を恐れることを選ばず、
1:30 わたしの勧めに従わず、すべての戒めを軽んじたゆえ、
1:31 自分の行いの実を食らい、自分の計りごとに飽きる。
1:32 思慮のない者の不従順はおのれを殺し、愚かな者の安楽はおのれを滅ぼす。
1:33 しかし、わたしに聞き従う者は安らかに住まい、災に会う恐れもなく、安全である」。
彼らが災いに遭った理由は、悔い改めを促す言葉をかけられても、敢えて耳をふさぎ、無視し、その言葉をあなどったからだ。
意図して真理を憎み、主のいましめを軽んじる者には、恐怖があらしのように臨み、災がつむじ風のように臨み、悩みと悲しみとに覆われて、いっぱいいっぱいになる。
彼らは、自分自身が蒔いた種の実を食らうのだ。
イエス様は、敵を愛し、迫害する者のために祈れ、と言われた。
しかし、悪い者の悪辣さが祝福されるように祈れ、とは言っていないし、うそつきのうそが成功して不正が成功するように祈りなさい、とも言っていない。
もし、私達に害をなしたり迫害する者が、「知らないで」それを行っていて、無知ゆえに、自分に滅びを招くわざをしているとするなら、祈るべきだ。
何が主に喜ばれる事で、何が主に喜ばれない事なのかを知り、また、何が主の前で良い事で何が悪い事であるのかを知って、その呪いを招くわざを止め、祝福の歩みに入るように、と。
しかし、悔い改めの勧めや、叱責の言葉、矯正の知恵を教えても、あえて耳をふさぎ、敢えて悪を選択し、その悪の道を貫くような者に対しては、彼の牙が折られ、その悪のわざがもはや出来ないようにと、祈るべきなのだ。
詩篇58:10 正しい者は復讐を見て喜び、その足を悪しき者の血で洗うであろう。
58:11 そして人々は言うであろう、「まことに正しい者には報いがある。まことに地にさばきを行われる神がある」と。
ここの報いの原語ペリーは、「実を結ぶ」ことである。
正しい者は、正しさの故に結ぶ実を食べる事が出来、しかし悪を行う者は、悪の故の実を食らう。
これは一貫して流れている真実である。