メッセージ - 人は「一人でも多く」を求めるが、主は人数の多さを振るい捨て、純粋な信仰者を求める(士師記7:1-8) 水曜昼礼拝
人は「一人でも多く」を求めるが、主は人数の多さを振るい捨て、純粋な信仰者を求める(士師記7:1-8) 水曜昼礼拝
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- 執筆 :
- pastor 2026-2-25 14:20
人は「一人でも多く」を求めるが、主は人数の多さを振るい捨て、純粋な信仰者を求める(士師記7:1-8) 水曜昼礼拝
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【概要】
敵軍13万5千に対し、自軍は3万。 人は「一人でも多く」と思うが、主は「まだ多すぎる」と言われる。 主は恐れる者と、目の前の欲しいものに没頭する者とを切り離し、ただ、主の戦いに覚悟ができた三百人だけを残され、この三百人を通して13万5千を打ち倒す働きを起こされる。
【聖書箇所】
士師7:1-8
黙示21:8
【AIによる文字起こし】
今日は、士師記の7章から、ギデオンの物語の続きを見ていきましょう。神様は、私たちが自分を小さく弱いものだと感じていても、人の目には不可能に見えるような勝利を実現してくださいます。今日は、ギデオンが神様からの召しを受けて、実際にイスラエルを勝利へと導いていく、その第一歩についてお話しします。
まず、ギデオンはイスラエルの軍勢を集めました。1節を見ると、「そこでエルバアル、すなわちギデオンと、彼と一緒にいた民はみな、朝早くハロデの泉のそばに陣を敷いた」とあります。敵であるミディアン人の陣営は、そこから北へおよそ5キロメートルほどの距離に迫っていました。
相手のミディアン軍の数は、なんと13万5千人です。それに対して、集まったイスラエル軍は3万2千人ほどでした。これだけでも、敵の数はイスラエルの約4倍から5倍です。圧倒的に不利な状況です。
普通、人間的な感覚で言えば、「もっと人数が欲しい」「猫の手も借りたい」と思うのが人情でしょう。祈りの中でも、「もっと人をください」「もっと資金をください」と求めることが多いかもしれません。しかし、神様の評価はまったく逆でした。神様は「まだ人数が多すぎる」と言われるのです。
2節を読んでみましょう。
「そのとき、主はギデオンに仰せられた。『あなたと一緒にいる民は多すぎるから、私はミディアン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが自分の手で自分を救ったと言って、私に向かって誇るといけないから。』」(士師7:2)
神様は、もしこの人数のままで勝利させたら、イスラエルの民が神様のおかげであることを忘れ、「自分たちの実力で勝ったんだ」と誇ってしまうことを見抜いておられました。だからこそ、まだ勝利を渡すわけにはいかないと言われるのです。そこで、神様による「第一の選別」が始まります。
3節にその基準が書かれています。
「今、民に聞こえるように告げ、『恐れおののく者はみな帰りなさい。ギルアデ山から離れなさい』と言え。すると民のうちから二万二千人が帰って行き、一万人が残った。」(士師7:3)
第一の選別、それは「恐れおののく者」、つまり臆病な者は帰りなさい、というものでした。この命令によって、なんと2万2千人もの人が帰ってしまいました。
ここからわかることは、神の国の戦いにおいて、臆病な者はふさわしくないということです。会社や組織でもそうですが、ただ人数が多ければいいというわけではありません。その中に「もうダメだ」「私たちは負ける」と叫ぶ臆病な者が一人でもいれば、その恐れは周囲に伝染し、少数精鋭たちの足をも引っ張ってしまうからです。
かつて出エジプトの時にも同じことがありました。約束の地を偵察に行った12人のうち、10人が「あそこの住民は強い。私たちはイナゴのようだ」と恐れを口にしました。すると、民全体がその言葉に影響され、夜通し泣き明かしたのです。神様がエジプトで十の災いを下し、紅海を割り、圧倒的な力で救い出してくださったにもかかわらず、彼らは神様を忘れ、自分たちをイナゴのように低く見積もりました。その結果、彼らは荒野を40年間さまよい、滅びることになってしまいました。
臆病であることは、神の国においては罪深いことなのです。黙示録にもこうあります。
「しかし、おくびょうな者、信仰のない者…(中略)…は、火と硫黄の燃える池に入れられる。」(黙示21:8)
天国を相続できない者リストの筆頭に「臆病な者」が挙げられています。ですから、私たちは「自分にはできない」「ふさわしくない」という思いを根絶し、イエス様のお名前によって追い出さなければなりません。
さて、第一の選別で2万2千人が帰り、残ったのは1万人です。敵は13万5千人ですから、ますます不利な状況になりました。しかし、神様は「民はまだ多すぎる」と言われます。ここでもはっきりと、戦いの勝敗は人間の頭数や装備ではないことが示されています。そして、神様はさらに数を絞るために、「第二の選別」を行われます。それは「水の飲み方」によるテストでした。
5節を見てみましょう。
「そこでギデオンは民を連れて水のところに下って行った。すると主はギデオンに仰せられた。『犬がなめるように舌で水をなめる者は残らず別にしておき、またひざをついて飲む者も残らずそうせよ。』」(士師7:5)
二通りの飲み方がありました。「手で水をすくって犬のように舌でなめる者」と、「膝をついて直接口をつけて飲む者」です。どちらが選ばれたでしょうか。
正解は、6節と7節にあります。
「そのとき、口に手を当てて水をなめた者の数は三百人であった。残りの民はみな、膝をついて水を飲んだ。そこで主はギデオンに仰せられた。『手で水をなめた三百人で、私はあなたがたを救い、ミディアン人をあなたの手に渡す。残りの民はみな、それぞれ自分の家に帰らせよ。』」(士師7:6-7)
選ばれたのは、手で水をすくって飲んだ300人だけでした。
敵はすぐ近く、5キロ先に迫っています。いつ襲撃があるかわからない緊迫した状況です。それなのに、自分の「水を飲みたい」という欲望を優先させ、武器を地面に置き、膝をついて無防備に水をガブ飲みするような者たちは帰されました。
一方で、選ばれた300人は違いました。彼らは片手に武器を持ち、もう片方の手で水をすくい、周囲への警戒を怠りませんでした。これから戦いがあることを自覚し、胃袋を水で満腹にして動きが鈍くならないよう、なめる程度で済ませたのです。
神様の働きは、物見遊山や観光旅行ではありません。「喉が渇いたから」と自分の欲求に没頭するのではなく、常に霊的な武器を握り、主の御用のために自分を整えている人。そのような人が、主の勇士として選ばれるのです。
戦いは人数ではありません。信仰と従順です。そして、心のセットアップがどこに向いているかが重要です。自分の欲望なのか、それとも神様のミッションなのか。
3万2千人でも「多すぎる」と言われ、1万人でも「多すぎる」と言われました。神様が求めておられるのは、人間の力に頼らず、徹底して主に従う300人の勇士です。臆病を捨て、自分の欲を捨て、ただ主の御言葉に従順する者を通して、神様は大きな勝利を与えてくださいます。
【結論】
神様の戦いにおいて重要なのは、人間の数や能力ではなく、信仰と従順、そして霊的な警戒心です。神様は、自分たちの手柄だと誇ることがないように、また恐れや自分の欲望に支配されることがないようにと、あえて少数の者を選ばれました。私たちも、臆病な心や自分の楽しみを優先させる心を捨て、主の御言葉に聞き従う「信仰の勇士」として歩んでいきましょう。
