メッセージ - 霊的戦いによって組み立てられる神の時(エステル記7:1-6)

霊的戦いによって組み立てられる神の時(エステル記7:1-6)

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pastor 2026-7-23 7:00

霊的戦いによって組み立てられる神の時(エステル記7:1-6)

メッセージ音声

【概要】

 

エステル記7章1-6節を通して、霊的な戦いの本質と神の時を待つことの重要性について学びます。王妃エステルが王とハマンを同席させた宴会で、ついに敵の悪を明らかにし、神の民を救うために声を上げる決定的な場面です。

【聖書箇所】

  • エステル7:1-6

  • 伝道者3:7

【励ましの言葉】

神様は私たちを通り良き管として用いてくださいます。イエス様の時を待ち、イエス様の喜ばれる宴会(礼拝、賛美、祈り)を設けるとき、神様は必ず敵を打ち負かしてくださいます。

【勧めの言葉】

霊的な戦いは戦闘服を着て武器を持つ戦いではありません。王妃の衣装、すなわちイエス様の喜ばれる良い行いと佇まいをまとい、主の前に進み出るべきです。すべてのことにイエス様を招き入れ、「イエス様、イエス様」と主の名を呼び、主の時を測る力を求めましょう。

【戒めの言葉】

自分の思い、感情、タイミングで動くことは間抜けです。十字架で死んだ者であるならば、自前の命は動くべきではありません。言いたいことがあっても、神様が「今いいよ」と言われるまで待つべきです。

【***詳細***】

今日恵みをいただく御言葉はエステル記7章1節から6節です。エステル記7章1節と2節を読みます。

「王とハマンは王妃エステルの宴会にやってきた。この宴会の2日目にも、王はエステルに尋ねた。あなたは何を願っているのか。王妃エステル、それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でもそれを叶えてやろう。」(エステル7:1-2)

アーメン。

祈っていて思ったんですけれども、本当に私たちはイエス様を通すべき通り良き管となるべきなんですね。この通り良き管に詰まりがあっては、流し出すことはできません。何が詰まりになるかというと、「私これがしたい」とか、あるいは神様の仕事をしている代において、これが一番その妨げになりそうなんですね。

私もある程度メッセージの準備をあらかじめしてきたんですけれども、準備した通りに語ろうっていう、その思いがその通り良き管の詰まりになってしまうことがあるわけです。これは奉仕においてもそうですね。私の意向、私の思いで、そうした諸々がその通り良き管を詰まらせてしまうということがあります。

本当に都度都度、イエス様に聞くべきです。イエス様は、「私は父から何も聞かない限りは、私から何もすることができません」というふうに言いましたね。私たちも本当に都度、主に聞く態度、これをいつもいつも持っているべきであって、何かことが起きたら、そのことの大変さに頭がわーっとなるのではなく、本当にその時も「主よ、イエス様」ってまずそういうふうにしたら、主が心に平安を与えてくださって、そして物事が見えるようになるんです。

ハガルが逃げていった時、目が何も見えなくなって、それですぐそこに井戸があるにもかかわらず、それが見えないで、「私とこの可愛い子供は死ぬんだ」って言って、「私は子供が死ぬのを見たくない」って言って、その子供を木の下に置き去りにして、遠くに行って、そして泣きましたね。井戸がそこにあるんですけれども、悲しみが目を塞いで、あるいは神様に心を向けないで。けれども、その時、神様はハガルの声ではなく、イシュマエルの声を聞いて、それでハガルに現れてくださって、目を開いてくださって、井戸がそこにあるのを見つけ出させてくださいましたね。

本当に私たちも、自分の感情だとか、「私かわいそう」だとか、ハガルのようになるのではなく、イシュマエルが神様に叫んだようにまず神様に叫んで、「神様、あなたの御旨、あなたの御心は何ですか」っていうふうに、そういうふうに聞くべきですね。

このエステルなんですけども、いよいよ、その決定的な時が来ますけれども、その決定的な時というのは、どういう状況だったか。1節の方ではね、「王とハマンは王妃エステルの宴会にやってきた」って書いてありますね。ですから、戦いの場、決戦の場ではあるんですけど、しかし、現実的な目で見れば、そこはね、豪華絢爛な、華々しい宴会の場なんですね。

エステルは王をもてなすために万全の整えをしています。もう王妃の服も着て、化粧もばっちり整えてきたことでしょう。王様の喜びになるために、自分の中で一つもくすみがあってはならない。それほどまでに自分自身をそのようにしっかりと王の御前に整えて、そして万全の服で、万全の立ち居振る舞い、表情で、出てきました。

霊的な戦いはその外装ではなくて内側なんですね。エステルは戦闘服を着て戦いに来たのではありません。王妃の服、王妃の衣装、王妃の飾りを身につけて王の前に進み出て、そして王だけではなく、この敵も一緒に王と一緒に敵もその場に連れてきました。これが霊的な戦いの本質です。

皆さんが今、敵がいるとするのであるならば、それが霊的な敵であろうと、あるいは人間の敵であろうとも、それを王と一緒に宴会の場、王を喜ばせる宴会の場に、王様と一緒にその敵も連れてくる。これが霊的な戦いの本質なんです。王なるイエス様と敵を同席させて、そして主の時を待つんです、主の時。

それはなかなか来ませんでした。王様がこの言葉、「あなたは何を願っているのか。王国の半分でも叶えてあげる」って王様が尋ねたのはこれで3度目です。3度目。1度目の時でもありませんでした。2度目の時でもありませんでした。3度目の時、それが神様の時だったんです。エステルはこの神様の時に、神様から示された方法で、この敵を打ち負かす。そして自分の神の民を救う。このことを発動させたんですね。

ですから神の国の仕事をする人というのは、何でも思ったことをすぐにパッと口にするという人が立て上げられるものではありません。神様が備えられた時に、神様にあって必要なことを語る人が神の国のために大いに用いられる人なんですね。

その時はどのようにして得るべきか。こればかりはね、本当に神様に祈って神様に伺うしかありませんね。冒頭で引用したのは、伝道者の書3章7節のところですね。「黙っているのに時があり、話をするのに時がある」と書いてあります。天の下には何事にも神様が定めた時があります。

その時を見極めること、このエステル記でとても大事なのは時ですね。あるいは日本人が好きな「間」という、そういう意識ですね。お茶の間とか床の間とかありますね。その空間だけでなく、時間の間合いもあります。そしてこの時間的な間合いを、これを外している人は間抜けというふうに言うんですね。間が抜けているからですね。

この間を度外視して、自分の好きな時に好きなことを言う、ハマンが間抜けなんですね。王様が寝ている時間にもかかわらず、もうあのモルデカイを吊るす50キュビトの柱は立てたいがために、もう夜が明ける前にさっさと行っちゃうんですね。また、エステルに命乞いをするべき時も間を外していて、エステルのそのベッドの上に跪いているから、王様の目にはもう乱暴しているかのように見えたんですね。

間を外してはならないんです。私たちも本当に神様の時、神様の空間、神様の間、これを見極めるべき時があるんです。

王様が問いました。それに対してエステルが初めて、この自分の願い事を言うんですね。3節です。

「王妃エステルは答えた。『王様、もしも私があなた様のご厚意を受けることができ、また王様がよろしければ、私の願いを聞き入れて、私に命を与え、私の望みを聞き入れて、私の民族にも命を与えてください。』」(エステル7:3)

アーメン。本当に切実な願いです。王様としては、何か宝石でも欲しいのかなとか、あるいは何かもっと軽く考えてたかもしれません。けれども、エステルの願いはとても重くて重くて、エステルが本当になんでここまで黙っていたのかって思えるような、それほどの重い願いですね。

しかもエステルのその願い方。もういきなり願い事を言うんじゃないんです。エステルの願い方。「王様、もしも私があなた様のご厚意を受けることができ、また王様がよろしければ」、まず王様が私の願い事を聞き入れてくださるかどうか、まずあなた様のご自由になさってくださいという、そこから始めてるんですね。本当に慎ましいです。そして本当にまず、王様の御心ありきなんですね。

私たちも真の王様であるイエス様の御心がまずありき。「イエス様、もしあなたの御心にかなったのでありましたら」、これが願い事をする時におけるまず真っ先にイエス様に問うことなんですね。

しかもエステルのこの願い事の内容は、「私の願いを聞き入れて私に命を与え、私の望みを聞き入れて、私の民族にも命を与えてください」。命を与えてくださいという、そういう願いです。今まさに殺されようとしている。だから命を助け、命を与えてください。

エステルが続きます。4節。

「私たちは売られて根絶やしにされ、虐殺され、滅ぼされようとしています。」(エステル7:4)

本当にね。根絶やしにされ、虐殺され、滅ぼされる三つの動詞ね。これは曖昧な危険なことではない。もう本当に徹底的な絶滅の計画が立てられている。これね、3章13節の法令の言葉をそのまま王様に突き返す、その表現だったんですね。

ハマンは徹底的にこの三つの動詞でもって、自分の憎む相手を殺そうと企んだ。それをそのまま王様と、また同席しているハマンを前にして、このままこの3つの動詞をそのまま突き返したんです。

私たちも敵がしていること、それをそのまま神様に突き返すべきなんです。ヒゼキヤがそうでしたね。キム先生はこれをパラシ戦略と言いました。敵の手紙をそのまま広げてパラシして、そして神様に持って行って、「神様、これこれです。どうぞご覧になってください」。そのまま突き返しました。エステルもまさにそれをしたんです。

今皆さんは敵から攻撃を受けているでしょうか。困難があるでしょうか。するならば王と敵を同席させた宴会を、皆さんが王なるイエス様の喜ばれる宴会を設けて、そしてパラシしましょう。

エステルの言葉、本当にこの王様もハマンもびっくりしたことでしょうね。ハマンの方もきっとエステルは何か宝石でも欲しいのかなって、そんな風に思っていたかもしれませんけれども、けれども、この王とハマン、王と敵を同席させて、そして敵の言葉をそのまま神様に、王なるお方に突き返す。それをするべきなんです。

エステルは続きます。

「私たちが男女の奴隷として売られるだけなら、私は黙っていたことでしょうが、そうはいきません。」(エステル7:4後半)

エステルは何事も大声で訴える、そういう人ではなかったことでしょう。むしろ、耐えるべきこと、黙っているべきことは、しっかりと黙っている、そういう人でした。実際、すぐに願い事も申し上げずに、そのまま黙って、そして王様が3度目に聞いた時に、こうして話しましたね。

本当に黙っているべき時はあるんです。あるにはあります。けれども黙ってはならない。声を立てるべき時もまたあるわけです。エステルはいよいよ声を立てるべき時に来ました。特に神の民が殺害を受けている時、私たちは黙っていてはなりません。祈るべき時、はっきりと私たちも祈って、また、訴えるべき時、しっかりと訴えるべきなんです。

私たちはね、自分の憎たらしいから訴えるということではなく、むしろ本当に神の民のために、また敵がこのままもっと罪を犯させないために、黙っていてはならない時があるんです。

エステルは続きます。

「その迫害する者は、王のお受けになる損失を償うことはできないのですから。」(エステル7:4最後)

アーメン。エステルはこのことは王の多大な損失につながると言っております。ユダヤ人を殺すことはこれは王国にとっても取り返しのつかない損失になるということを訴えております。ハマンが受ける利益よりも王が失うものの方がはるかに大きい。

この悪いこと、悪事というものは一見するとすぐに利益がもたらされるかのように見えるかもしれません。人のものを盗むってこれは一見すると本人からすればすぐにお金が手に入るんだ。そういうふうに思うかもしれないんですが、しかし多大な損失を実は本人自身の人生において、霊的において損失をもたらすものなんですね。

何か良くないことが起きる時にすぐに声を荒げる。これは本人にとってはすぐ自分の望みが叶うかもしれませんけれども、しかし最終的には人間関係を壊し、またその場所、その組織、それを破壊してしまう、そういった損失をもたらすものです。ですから私たちはこのエステルのように慎ましく、そして思慮深くなるべきですね、思慮深さ。これを皆さん求めてください。思慮深さ。

そして5節。

「クセルクセス王は王妃エステルに言った。『そんなことをしようと心に企んでいる者は一体誰か。どこにいるのか。』」(エステル7:5)

王様は確かにこのユダヤ人殺害の法令を許可しました。けれども、それが実はこの王妃自身を殺し、また王にとって損害になるということをよくわからないまま許可してしまったんですね。

それでこの王は、このことを言いますね。「そんなようなことをしようと心に企んでいる者は一体誰か」。原文的には、その心を満たして、このようなことをしようとした者は誰か。心を満たすというのは、要するにそういった悪事ね。そうしたそんな大胆な悪を行おうと、あえて心して企んだという意味の表現ですね。こういう悪事を心して、自分から進んで企んだ。そういう者は一体誰かっていうふうに、王様は問うたわけですね。

本当にこの志、これがとても大事です。心の方向性ね。悪どいことをしようとして悪をする人がおり、あるいはね悪はしたくないけれども、つい悪はしたくないのにやってしまうという悪があります。

ここにおいて王様が問うているのは、心して好き好んで悪をした者は一体誰かということですね。悪は隠されている間は何か強く見えます、はびこっているかのように見えますけれど、しかし、神様の光が当てられるとその隠れていた悪の正体が明らかにされるんですね。

エステルは言います。

「迫害する者、敵とはこの悪人ハマンです。」(エステル7:6前半)

「ハマンは王と王妃の前で震え上がった。」(エステル7:6後半)

アーメン。エステルはですね、「誰かさんが悪いことをしました」とは言いませんでした。断定的に「この悪人ハマンです」っていうふうにはっきりと言いました。明らかにしました。

ですから、真実を語るというのは人を感情的に攻撃することではありません。けれども、この神の民を守り、神様の御旨御心を守るためには、悪を悪とはっきりと言わなくてはならない時があります。

エステルはこれ恐れがなくなったから語ったのではありません。恐れていたかもしれません。ハマンは王に次ぐ第2の人物、ナンバー2です。自分は時には30日もお呼びがかからないような、そういう弱い女性です。けれども語るべきこと、真実をはっきりと語りました。神様に信頼して、そして本当にこの語るべきこと、これを語ること、これは皆さんにとって必要なことです。

皆さんも王妃エステルのごとく、教会というキリストの花嫁、皆さん一人一人がそうです。皆さんも本当にこの語るべき時にしっかりと語るべきです。

今、本当にクリスチャンは世界中いたるところで迫害されており、そしてこの日本という国においてはもう1%未満という本当に救われていない魂。その他大勢がもう99%以上が救われていない魂という現状があります。

皆さんは黙っているべき時ではないんです。祈るべきです。エステルはこの敵を訴える時において宴会の席を設けました。私たちもイエス様の喜ばれる礼拝という宴会、賛美という宴会、祈りという宴会を設けて、王妃の服を整えて着て行ったように、私たちも本当に良い行い、そしてイエス様の喜ばれる佇まいという服を着ていくべきです。

霊的戦いは戦闘服を着て武器を持つ戦いではありません。イエス様に喜ばれる王妃の衣装をまとい、そしてイエス様の喜ばれる宴会にその敵も一緒に連れてくる。これが霊的な戦いです。

【結論】

エステル記7章を通して、霊的な戦いの本質が明らかにされました。それは戦闘服を着て武器を持つ戦いではなく、王妃の衣装、すなわちイエス様の喜ばれる良い行い、佇まい、態度をもって王の前に進み出る戦いです。王と敵を同席させた宴会を設け、神の時を待ち、神が「今だ」と言われる時に真実を語る。これが神の民を救う戦いの方法です。

私たちもエステルのように、すべてのことにイエス様を招き入れ、「イエス様、イエス様」と主の名を呼び続ける者となりましょう。自分の思いや感情、タイミングではなく、神様の時を測り、神様の間合いを見極める思慮深さを求めましょう。そして語るべき時には、恐れずに真実を語り、祈るべき時には切実に祈る、そのような王妃のような信仰者として、この日本の地において、つくば未来市において、神の御心が行われるために立ち上がりましょう。

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