メッセージ - 逆転の主(エステル記9章)
逆転の主(エステル記9章)
メッセージ音声
【概要】
エステル9:1-19を通して、主が悪しき企てを一変させ、神の民に勝利と安息を与えられることを語る。私たちの戦いは血肉に対するものではなく、罪と悪に対する霊的戦いであり、徹底して行うべきである。
【聖書箇所】
エステル9:1-19
エペソ6:10-13
【励ましの言葉】
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主は逆転の主。悪の計画は一変し、神の民に勝利が与えられる。
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キリストに堅く立つ者を悪は恐れる。主はバックアップしてくださる。
【戒めの言葉】
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信仰は行いとともに実施するもの。行わない信仰は死んだも同然。
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罪への妥協を残してはならない。徹底して根を断つこと。
【勧めの言葉】
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神のすべての武具を身につけ、邪悪な日に対抗し、すべてを成し遂げて堅く立つこと。
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戦いの動機を欲望に置かず、主の御旨の成就に置くこと。
【悔い改めの促しの言葉】
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罪を惜しみ、後始末を怠る心を捨てる。主を恐れ、命を惜しむ者へと心を新たにする。
【***詳細***】
今日の箇所はエステル9:1-19です。まず、次の御言葉が宣言されました。「第十二の月、すなわちアダルの月の十三日、この日に王の命令とその法令が実施された。この日に、ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたのに、それが一変してユダヤ人が自分たちを憎む者たちを征服することとなった。」(エステル9:1)
この「一変して」という言葉は、エステル記全体を象徴し、また世界の歴史の最終的な方向をも示す言葉です。もともと私たちは罪と悪魔サタンに支配され、好き放題されていた者でした。しかしイエス・キリストが勝利し、救いの御旨を発布してくださったことにより、サタンの支配は一変します。以前の私たちは罪に支配されていましたが、イエス様にある者は勝利できるのです。主は一切の悪魔、サタン、罪の束縛から解放してくださる方です。
このアダルの月の十三日は、もともとハマンによりユダヤ人が滅ぼされると定められた日でした。けれども、その同じ日に「集まって身を守ってよい。敵を滅ぼし尽くしてよい。財産を奪ってもよい」という逆転の法令が公布され、ついにその日が来たとき、勝利したのは神の民であるユダヤ人側の圧倒的勝利でした。「一変して」という言葉の通り、悪の支配は主の勝利へと一転します。これはやがて世界全体において完成される現実です。今はその途上であり、キリストの完全勝利の実現に私たちも参加する時です。
彼らが勝利したのは、王が定めた法令を「実行」したからです。信仰は行いと共にあるべきものです。行わない信仰は死んだも同然です。実施しないならば、死と罪に飲み込まれます。しかし、御霊の法則に従って罪と悪魔に戦い続けるなら、「王の王」なる方がバックアップしてくださいます。かつてアハシュエロス王がユダヤ人を後押ししたように、私たちの主イエス・キリストが後押ししてくださり、その御支援のもと必ず勝利する戦いになります。罪に対する戦いはイエス・キリストによって必ず勝利する戦いです。
実際、記されている通り敵は神の民を恐れました。2節にはこうあります。「誰もユダヤ人に抵抗する者はいなかった。民は皆、ユダヤ人を恐れた。」(エステル9:2)キリストにしっかり立つ者を悪は恐れ惑い、逃げ隠れします。古代の戦いでも、主に従う神の民には恐れが生じ、圧勝することがありました。人間的に見て敵の装備が充実し、恐れが湧くことがあるかもしれません。しかし、実際に戦ってみると主が共におられるがゆえに容易に勝利することがあるのです。ヨシュアの時代も連戦連勝でした。ただ、アイの戦いだけは主の命令を守らず、主に伺わなかったために敗北しました。主の御言葉に従い続け、主の御旨に歩む限り連戦連勝—これが神の戦いです。
さらにこう記されています。「諸州の長官、総督、王の役人も皆、ユダヤ人を助けた。彼らはモルデカイを恐れたからである。というのは、モルデカイは王宮で勢力があり、その名声はすべての州に広がっており、モルデカイはますます勢力を伸ばす人物だったからである。」(エステル9:3-4)モルデカイは神を恐れ敬う者でした。主が彼を引き立て、有能にし、敵に対する恐れをも植え付けられました。
5節からは実際の戦いの描写です。「ユダヤ人は彼らの敵を皆、剣で撃ち殺し、虐殺して滅ぼし、自分たちを憎む者を思いのままに処分した。ユダヤ人はシュシャンの城でも五百人を殺して滅ぼし、また…ハマンの子十人を虐殺した。しかし、彼らは獲物には手をかけなかった。」(エステル9:5-10)現代の私たちに適用すると、それは人を害することではありません。私たちの戦いは「血肉に対するものではなく」(後述)心の中の罪、悪しき性質、悪魔の誘惑と戦うことです。徹底して罪を処分することが求められています。
繰り返し「彼らは獲物には手をかけなかった」と三度記されています(エステル9:10, 15, 16)。これは彼らの戦いの動機が奪い取る欲望ではなく、神の命令の成就であったことを示します。神の命令—アマレクの子孫を根絶やしにせよ—が数百年越しに果たされました。かつてサウルは惜しんで徹底しなかったため、後の世に災いの根が残り、ハマンの事件へとつながりました。ユダヤ人たちは今、神の命令を徹底して果たしているのです。私たちも戦いの動機を欲望に置いてはなりません。人類史が果たせなかった悪魔サタンに対する勝利を、キリストにあって歩む者として日々の罪の誘惑に対して戦い続けるべきです。徹底して打ち滅ぼし尽くし、勝利し尽くすことが求められます。
例え話として、タバコを捨ててもライターを捨てないなら、結局また負けるということが語られました。罪を捨てるなら、その罪につながる思考パターン、習慣も捨てなければなりません。徹底が鍵です。
11節以降では王とエステルの対話が続きます。「その日、シュシャンの城で殺された者の数が王に報告されると、王は王妃エステルに尋ねた。『ユダヤ人はシュシャンの城で五百人とハマンの子十人を殺して滅ぼした。王の他の諸州では、彼らはどうしたであろう。あなたは何を願っているのか。それを授けてやろう。あなたはなおも何を望んでいるのか。それをかなえてやろう。』」(エステル9:11-12)王が先回りしてエステルの不安に応えます。エステルは答えます。「『もし王様よろしければ、明日もシュシャンにいるユダヤ人に今日の法令どおりにすることを許してください。またハマンの十人の子を柱にかけてください。』」(エステル9:13)王はそのようにせよと命じ、翌日さらに三百人の敵が滅ぼされました。「しかし、彼らは獲物には手をかけなかった。」(エステル9:15)
16節にはこうあります。「王の諸州にいる他のユダヤ人も団結して自分たちの命を守り、彼らの敵を除いて休みを得た…すなわち、自分たちを憎む者七万五千人を殺したが、獲物には手をかけなかった。」(エステル9:16)戦いの目的は命を守ることであり、その後には「休み」が与えられます。戦いは終わりなきものではなく、解放と安息へと向かいます。
17節から19節では、勝利後の祝宴が描かれます。「これはアダルの月の十三日のことであって、その十四日には休んで、その日を祝宴と喜びの日とした。」(エステル9:17)「…それを喜び祝う日とし、互いにごちそうと贈り物を交わす日とした。」(エステル9:19)救われた喜び、安息、平安が大いに湧き起こりました。戦いの結果は人々に喜びをもたらし、神の民が悪に勝利して栄えていくための道が開かれます。
最後に、戦いの性質を明確にするためにエペソの御言葉が宣言されました。「終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身につけなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天にいる諸々の悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また一切を成し遂げて堅く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。」(エペソ6:10-13)
今この時代、悪が主権や力を握りしめているように見えることがあります。しかし、皆さんは光の子として、御霊とともにキリストの言葉の剣を握り、勝利に次ぐ勝利へと進み、多くの人々を救う働きへと召されています。さらに祈りが捧げられました。主が先んじて勝利してくださったことへの感謝、キリストの側につき続けることへの願い、戦いに加わる勇気と徹底、今日一つでも罪に勝利し光の領域を広げる祈り。続いて、愚かさを取り除き、少し良くなったからと有頂天になって後始末を怠らないようにという願い。主の命令を恐れ敬い、人の顔色や権威を恐れず主を恐れる者となる祈り。ハマンは滅ぼすことに専念し、モルデカイとエステルは助けることに専念した—主は命を惜しむ者を御側に立たせてくださる、という確認。地域の教会、次世代、親子三代の礼拝のための祈り、癒しのための祈りも捧げられました。最後に主の御名を呼び求めて終わりました。
【結論】
主は逆転の主です。悪の計画は一変し、神の民に勝利と安息が与えられます。信仰を行いに移し、神の武具を身につけ、罪への妥協を残さず徹底して戦うなら、キリストの後押しのもと必ず勝利します。勝利の後には喜びと休みがあり、その喜びが共同体に広がります。今日、少なくとも一つの罪に勝利し、光の領域を広げていきましょう。
