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メッセージ - 礼拝メッセージ説教音声配信カテゴリのエントリ

礼拝説教メッセージ音声:主のバックアップの下で(創世記31:17-24):右クリックで保存

ヤコブは意を決し、与えられていた御言葉をいよいよ行動に移した。
「ヤコブは直ちに、子供たちと妻たちをらくだに乗せ、パダン・アラムで得たすべての財産である家畜を駆り立てて、父イサクのいるカナン地方へ向かって出発した。」(創世記31:17-18)

2人の妻と2人の妾、11人の息子たち、また、膨大に増えた家畜たちと使用人たち、奴隷たちも含めた、大移動である。
そのリスクや労力を考えるとかなり大変だったであろうが、何より、ラバンに対する恐れ、エサウに対する恐れなど、この脱出は、彼にとっておそれるべき要素は色々あった。
しかし、彼は御言葉の約束を信じ、実行した。

「そのとき、ラバンは羊の毛を刈りに出かけていたので、ラケルは父の家の守り神の像を盗んだ。」(創世記31:19)
この守り神の像「テラフィム」は、厄除けや先祖崇拝のために用いる偶像としての役割の他、家督権を主張できる置物だったのではないかと言われている。
彼女がこの時、これを盗み出した動機は分からないが、この事は後に、彼女自身に災いを招いた。

サウルの娘・ミカルの家にもテラフィムがあった。(1サムエル19章)
ミカルとラケルに共通している事といえば、子を産まない事である。
テラフィムは、異教徒にとって先祖供養や子孫繁栄などにご利益があるかもしれないが、神の民が偶像に望みを置く場合、ご利益どころか、災いが振りかかる。

ミカルは生涯子を産まなかったし、ラケルは後に新しい命を生み出す段に当たり、自分の命を落としてしまう。
まことの神を知る者が、神以外のものに心の拠り所を置く時、災いがもたらされてしまうのだ。

「ヤコブもアラム人ラバンを欺いて、自分が逃げ去ることを悟られないようにした。」(創世記31:20)
確かにラバンは俗悪な雇用主だったかもしれないが、曲がりなりにも、20年もお世話になった義理の父親に、何も言わずに出ていってしまうのは、道理に反する事である。
そのようにしてしまったのは、ヤコブの弱さからだったかもしれないが、神は、そうせざるを得なかった彼を憐れみ、物事を根回しして下さる。

ラバンは、ヤコブが逃げた事を三日目に知り、すぐに追いかけ、7日の道のりを追って行った。
すぐに武器を持った手勢を連れて出て、たった7日で追いついたのだから、相当の行動力である。
怒りに燃え、あわよくばヤコブを殺してしまおう、という勢だったのかもしれない。

しかし主は、直接ラバンの夢に現れて、言われた。
「あなたは心してヤコブに、よしあしを言ってはなりません」(創世記31:24)
アブラハムの妻サラが、ペリシテの王アビメレクに召しいれられてしまった時、夢に現れ、この王を震え上がらせてしまった主である。
ラバンも、相当恐れた事だろう。

こうしてヤコブとラバンとの対話が始まるのだが、それは全て、主の守りの下に行われるのである。

私達は弱さの故、非常識な、道理に反する事も、してしまうかもしれない。
しかし主は、ご自身に拠り頼む者の弱さを憐れみ、徹底して守って下さる。
そして、私達の中に道理に叶っていない性質があるなら、時にはラバンのような者をも用いて、義の道へと修正させ、導いて下さるお方である。

礼拝説教メッセージ音声:決して見捨てない主(創世記31:1-16):右クリックで保存

『ヤコブは、ラバンの息子たちが、「ヤコブは我々の父のものを全部奪ってしまった。父のものをごまかして、あの富を築き上げたのだ」と言っているのを耳にした。』(創世記31:1)
果たして、そうだっただろうか??
30章35節を見ると、むしろ逆で、ヤコブの受け取るべき報酬は、ラバンの息子たちが受け取って遠くに行ってしまっていた事が、記されている。

世の中には、誠実に働いて富を増やした人を妬み、有ること無い事を言いふらして陥れようとする者も多い。
また、過酷な要求をしたり、騙し取ったり、契約をころころ自分の有利なように変える雇い主も多い。
しかし主は、悪者の道に歩まず誠実に働く人をこそ祝福し、そのような所から出して、さらに優れた地へと導いて下さるが、悪者は、風に吹き飛ばされるもみがらのように散らされる。(詩篇1篇)

『主はヤコブに言われた。「あなたは、あなたの故郷である先祖の土地に帰りなさい。わたしはあなたと共にいる。」』(創世記31:3)

彼は、そのパダン・アラムの地から出て行くにあたり、2つの心配事があった。
ひとつは、自分が仕えている、ずる賢いラバンから、どうやってうまく出て行けるのか。
もう一つは、故郷にいる兄エサウが、今だ殺意を抱いているかどうか。
しかし主は、「わたしはあなたと共にいる。」と勇気づけ、明確に「帰りなさい」と導きを与えられたのだ。

『お父さんが、『ぶちのものがお前の報酬だ』と言えば、群れはみなぶちのものを産むし、『縞のものがお前の報酬だ』と言えば、群れはみな縞のものを産んだ。神はあなたたちのお父さんの家畜を取り上げて、わたしにお与えになったのだ。』(創世記31:8-9)
これは奇跡的な事であるが、主は、いのちを支配する主であり、全てを益として最善へと導いて下さる主である。

たとえ意地悪な雇用主が、過酷で納得行かない事を命令しても、それに従った結果、いのちや財産や地位がそれによって助かったり、以前を上回る報酬が与えられるようになったり、という証は、キリスト者の間でよく聞かれる。
主は、主に信頼し御翼の陰に助けを求めて来る人を守り、祝福して富を増し加えて下さるのだ。

「ラバンのあなたに対する仕打ちは、すべてわたしには分かっている。」(創世記31:12)
状況が中々変わらない時、主は見ておられないのでは、自分の事を忘れられているのでは、と、思う時があるかもしれない。
しかし、主は確かに見ておられ、主への叫びをしっかり聞き、時が来ればそこから導き出して下さるのである。

出エジプトの時も、主はエジプトにいるご自分の民の苦しみをつぶさに見、追い使う者の怒号も、労苦している彼らの叫び声も聞き、その痛みを知られたゆえ、主は降ってエジプト人の手から彼らを救い出し、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地へと、彼らを導き上った。(出エジプト3:7-9)

『わたしはベテルの神である。かつてあなたは、そこに記念碑を立てて油を注ぎ、わたしに誓願を立てたではないか。さあ、今すぐこの土地を出て、あなたの故郷に帰りなさい。』」』(創世記31:13
ヤコブが故郷を出てきた時は、たった一人で、持ち物といえば杖一本で出て来た。
そのような心細さの極みの時、主はベテルで現れ、天から地に向けてはしご架け、約束して下さった。
「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」(創世記28:15)
この御言葉が、ヤコブの信仰の原点である。
そんな彼も、今や、妻たちを得、息子も11人生まれ、多くの家畜の群れや奴隷、らくだ等を持つまでに至り、主はそれに至るまでも約束をずっと果たして来て下さった。

『ラケルとレアはヤコブに答えた。「父の家に、わたしたちへの嗣業の割り当て分がまだあるでしょうか。ラバンは、二人の娘達にも冷たくあしらい、言ってみれば売り渡し、見捨ててしまったようなものだ。わたしたちはもう、父にとって他人と同じではありませんか。父はわたしたちを売って、しかもそのお金を使い果たしてしまったのです。』(創世記31:14)

彼女たちは、肉親である父親に、売られ、捨てられてしまったようなあしらいを受け、悲しかったであろう。
しかし彼女たちは、決して捨てる事のない、真の父なる神に望みを置くようになり、ヤコブに、神様の言うとおりにして下さい、と勧めた。(16節)

「父母はわたしを見捨てようとも/主は必ず、わたしを引き寄せてくださいます。」(詩篇27:10)

世の親は、その娘や息子を、捨てるかもしれない。
しかし、たとい親が私達を見捨てたとしても、主は決して見捨てないし、忘れない。
なぜなら主は、十字架上で、手のひらに私達を刻みつけられたからである。

「シオンは言う。主はわたしを見捨てられた/わたしの主はわたしを忘れられた、と。女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも/わたしがあなたを忘れることは決してない。見よ、
わ た し は あ な た を / わ た し の 手 の ひ ら に 刻 み つ け る。
あなたの城壁は常にわたしの前にある。」(イザヤ49:14-16)

ベツレヘム祈祷院での泊まりがけの集会は本当に楽しく祝福されました。

いただいた恵みは多くあるのですが、中々書き記す時間がありません。

一言だけ言うとしたら、主イエス様は本当に真実なお方で、主に依り頼む人、主に依り頼む教会は、これでもか、と言える程愛され、祝福されるのだ、と、実感した事です。

礼拝説教メッセージ音声:水溜に十字架の木を入れよ(創世記30:35-43):右クリックで保存

「ところが、その日、ラバンは縞やまだらの雄山羊とぶちやまだらの雌山羊全部、つまり白いところが混じっているもの全部とそれに黒みがかった羊をみな取り出して自分の息子たちの手に渡し、ヤコブがラバンの残りの群れを飼っている間に、自分とヤコブとの間に歩いて三日かかるほどの距離をおいた。」(創世記30:35-36)

この時、ラバンが取り出した家畜たちは、本来、ヤコブに与えるべき報酬であったはずである。(創世記30:32)
それなのにラバンは、ヤコブの手に少しでも自分の資産を「渡すまい」と、息子たちに持って行かせてしまい、ヤコブは仕方なく、その残りの群れを飼っていた。

このように、正直者が馬鹿を見る弱肉強食の世界がパダン・アラムであり、サタンの流儀がはびこるこの世の有様でもある。
ラバンは、このような神の国からはかけ離れた世でうまく渡り合い、それなりの富を築いた、ずる賢い者であった。
果たしてヤコブは、そんな世界で栄え、富を増し加えて行けたのだろうか? 行けたのである!
果たしてキリスト者は、こんな世界で栄え、富を増し加えて行けるのだろうか? 行けるのである!
その条件は、全てを超えておられる主・イエスキリストを助けとし、より頼んでいるなら、である。

ヤコブは不利な状況の中で、実に不思議な方法で、家畜を増し加えて行った。
「ヤコブは、ポプラとアーモンドとプラタナスの木の若枝を取って来て、皮をはぎ、枝に白い木肌の縞を作り、家畜の群れがやって来たときに群れの目につくように、皮をはいだ枝を家畜の水飲み場の水槽の中に入れた。そして、家畜の群れが水を飲みにやって来たとき、さかりがつくようにした」(創世記30:37-38)

この行動で家畜にさかりがつくような科学的根拠は無いし、彼の取った行動には、果たしてどのような意味があるのか、についても、色々な異論が別れる。
しかし結論から言える事は、彼がそのようにしたら家畜にはさかりがついて、彼の持ち物は祝福され、増えて行った、という事である。

論理や科学で証明されない事を、人は疑うものだが、主がなさる事と、主の祝福は、人間の論理や科学を超えている。
もしあなたが、論理や科学を超えた祝福を求めるのなら、まず、論理や科学の裏付け無しには納得しない自分、納得しないと動かない自分を、主に取り扱ってもらわなくてはならない。

モーセの時代、エジプトを出た民は、三日間荒野を歩いても水を得ることができず、ようやく見つけた泉の水は、苦かった。
そのままでは大勢の人達が渇いて死んでしまう。そのような時、神はモーセに一本の木を示され、その木を水に投げ入れると、その水は甘くなった。(出エジプト記15:22-25)
その一本の木とは、イエス・キリストの十字架の型である。

ヤコブもモーセも、いのちをつなぐために必要な水溜、水の源に、木を入れた結果、その水は、いのちがあふれるようになり、苦かった水は甘くされた。
ヤコブは当初、僅かな元手しか無く、実に不利な条件でのスタートであったが、後には、ヤコブの資産はますます祝福され、ラバンの資産は先細りになっていった。
ずる賢い世の権力者の、不当な圧迫に対抗し、勝利するコツは、十字架である。
私達キリスト者も、最初はぶんどられているようでも、十字架に望みを置いている限り、世から、サタンから多くを分捕り、持ちもいのちも、ますます増えていくのである。

私達にとって、いのちをつないでいる水溜とは何だろうか?
そこは、いのちを生み出さないままだろうか。苦々しさを放っているだろうか。
主は、行き詰まってどうしようもなく渇きを覚える私達に、一本の木、すなわち、十字架を示される。
十字架をそこに投げ込むなら、いのちを生み出すようになり、苦さは甘さへと変えられるのである。

今日はこれから、教会の皆と、ベツレヘム祈祷院へ泊まりがけの修養会に行ってきます。

当教会では毎週のように泊まりこみの交わりはしていますが、教会外へ、自然豊かな所へ兄弟姉妹たちと共に行き、賛美したりバーベキューしたりしに行くのは、とても久しぶりで、楽しみです。

今日は遠く静岡から2名の姉妹が、そして、はるばる京都から訪ねて来られた姉妹もおられました。

第一礼拝、第二礼拝の後、姉妹達も含め10名ほどが残って、聖書学び会(洗礼準備会)に突入し、そしてそのまま中華料理屋に移動して、皆で夜ご飯を食べに行きました。

それで、さっき戻って来たのですが、また今、賛美集会が始まっています。

初めて来られた姉妹も、主の臨在に浸る事がやみつきになって、時間を惜しんでいるのです。

本当に幸いな時を過ごさせていただいております。

信仰の競争(ヘブル12:1-2)
第一礼拝・礼拝全体音声:右クリックで保存
第二礼拝・説教音声:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

<私達は競技者であり、目標がある>
オリンピックの選手達はメダルを勝ち取る事を目指しているが、私達キリスト者は、何を目指すべきだろうか。
キリスト者の目標は、神によって定められており、それは、御子キリストに似た者へと造り変えられて行く事である。そのためにこそ主は、万事を変えて益とし、私達を最善へと導いて下さるのだ。(ローマ8:28-29)
万事を変えて益として下さる、という御言葉を、何か、神様はやがて自分の願い通りにさせて下さるものだと、勘違いしている人は多いが、主は「ワタシ」の身勝手な願望を成就させるための道具ではない。
私達の益とは?最善とは?それは、御子と同じ姿になっていく事であり、私達が大人になってキリストの満ち満ちた身丈にまで達し、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達する事だ。(エペソ4:11-15)

<競技者であるからには競技するフィールドがあり、観客もいる>
「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。」(ヘブル12:1-2)
皆さんは知っていただろうか?私達もキリストにあって競技者であり、そんな私達を見守る観客がいる事を。
私達がオリンピック観戦して、自国の競技者を応援するように、神の国でも、信仰の先人達が、地上というフィールドで競技している「私達」を固唾を飲んで見守り、応援し、自国のために賞を取る事を願っている。
そういうわけだから、私達も、まとわりつく一切の罪の重荷を捨てて、忍耐して走り続けるべきである。
何を目指して走り続けるのか?それは、信仰の創始者であり、完成者であるイエスを目指して。

<この競技にはルールがある>
私達キリスト者は皆、キリストに選びだされ、召しだされた競技者であるからには、ルールを守らなくては、栄冠を受けられない。(2テモテ2:1-8)
競争選手は、スタートの合図と共に、一斉にゴールを目指して走り出すものだが、フライングを繰り返したり、合図が出されたのに走り出さず遊んだりしていたら、失格になってしまう。
同じように、神の国の競技者も、主の合図にフライングをしたり、御言葉のルールを無視して身勝手にしているなら、やがてイエローカードが出され、それをも無視して身勝手を続けるなら、失格者となってしまう。

<私達の競技の内容>
私達のこの人生は、イエスキリストを目指し、障害物を乗り越えつつチェックポイントを通過して行く障害物競争のようなもので、よりキリストの似姿に近づいた者が、より優れた栄冠を勝ち取る事が出来る。
人生という競技において、より高いスコアを出すコツは、イエスから目をそらさず、イエスを目指して走り続ける事に限る。それだから敵陣営であるサタンは、いかにそこから目を離させるか、という事にやっきになる。
障害物競争には数々のハードルがあるが、信仰の障害物競争で立ちはだかるのは、諸々の誘惑である。
ある人は金銭的誘惑というハードルに目を奪われて足止めを喰らい、ある人は性的誘惑というハードルに目を奪われて足止めを喰らって、アドバンテージを逃してしまう。
あるいは、場外の敵陣営から罵声を浴びせられて、気を挫かれたり、悲しんだりして、足が止まってしまう。
あるいは、周りの選手にどんどん先おこされ、取り残されていく自分自身を見て、心萎えてしまう事もある。
忘れてはならない。目を向けるべきは、ハードルではなく、周りではなく、自分でもなく、イエス様だ。
イエス様に目を留めつつ走っているなら、最短コースでチェックポイントを次々に通過できるが、イエス様から目を反らして、世の雑事や心配事にじっと目を凝らし、留まり続けているなら、次に進む事は出来ない。

<私達を待ち受けている栄冠>
「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。」(2テモテ4:7-8)
私達を信仰の選手として召しだして下さった主を喜ばせるために、しっかりとルールを守り、イエス様から目を離させようとする障害物には目をくれず、イエス様だけを見続けて走りぬく皆さんでありますように。
競技を終えるかの日には、雲のように取り巻く証人達の歓声を受けつつ、天に凱旋し、「よくやった、良い忠実な僕よ」と主に褒められ、決して朽ちることのない栄光の冠を、主から頂く皆さんでありますように。イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
主に召しだされた兵士(ローマ8:28-29):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
アイドルに気をつけよ(出エジプト20:1-6):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
2ペテロ2:1-8:右クリックで保存

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