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御言葉を伝え、御言葉に従い続けて、疲れた働き人を励まして下さる主(エレミヤ15章)
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- pastor 2016-11-11 9:20
この世の幼稚な教えの者達から騙し取られるなかれ(コロサイ2:16-23)
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- pastor 2016-11-9 9:10
御子は万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っている(コロサイ1:13-20)
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- pastor 2016-11-8 8:40
主権をもって秩序を創造された神 (創世記1:1)
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先週もまた、コーエン大学博士課程で、ヘブル思考による聖書解釈を学ぶために韓国に行って来た。
毎回、聖書の一つの書物をターゲットに(例えば、イザヤ書なら66章全部、レビ記なら27章まで全部)を5日間で学ぶという、非常に内容の濃い授業を受けてきたが、今回はなんと、「創世記1:1」だけで一日を費やし、「1章」だけで4日も費やし、そして全5日で学んだのはわずか1〜5章のみという、異例の講義だった。
それ程、創世記1章には、重要な意味が詰め込まれているのだ。今回はそれを少し分かち合いたい。
創世記1:1は、次の言葉で始まる。 בראשׁית ברא(ベレシート バラー) ベレシートは「はじめに」、バラーは「創造した」と訳されている。この二単語は、ヘブル語的には単語の繰り返しであり、繰り返し部分に下線を引くと、בראשׁית ברא、つまり「バラー」が繰り返されている。バラーは単に「創造する」と訳されているが、そこには「神は秩序を創った」事の意味が込められている。神は、「秩序」を繰り返して強調される。
創世記には、「信じなさい」という言葉は、一つも無い。ただ、神が宣言されたのみであり、信じる事は、言うまでもない大前提である。神の言葉、神の秩序を「本当にそう?」と疑問を投げかけて来たり、あれやこれやと批評を混ぜ込んで来たりするものは、全てサタンに由来する事は、3章に表れている。
ギリシャ思考は、分類し、批評し、多方面から分析するが、それはサタン由来である。神の言葉は、信じて宣言するものであって、探ったり議論するものではない。多くの人が、まず、自分の頭で理解しようとし、その理解したものを人にあげようとして多くの失敗をして来た。伝道とは頭で理解したものを説明するものではなく、まず信じ、信じた結果、豊かになったいのちと神の恵みを、そのまま流し出す事なのだ。
「バラー」は、秩序を創ったのみならず、その秩序を維持、保全、経営、進行する事も含まれている。
この、保持された秩序こそ、何より重要である。世界の法則の秩序が崩壊する時は、全宇宙が崩壊する時であり、私達一人一人も、もし、心臓や脳の秩序が少しでも崩壊するなら、深刻に大騒ぎする。
神は、秩序を宣言した故に、その「宣言」が今も働き、一人一人の体や、全宇宙の運行が為される。
毎日、瞬間瞬間、何気なく生きているようでも、実は神の秩序すなわち恵みの連続だ。どうして心臓は百年も休まずに動き続けるのか、寝ている間に止まったりしないだろうか、などと心配する人は、ほぼいない。
もし、「心臓を動かし続ける」という神の主権、命令、恵みを疑い、次の瞬間に心臓が止まってしまうのでは、と心配する人がいるなら、その人生は、ずっと心配と重荷を持ち続けなくてはならない。秩序が崩壊されているのだ。いかに多くの人が、サタンに惑わされ、要らぬ心配をして、人生の多くを台無しにしているだろう。
神の「恵み」とは、「秩序の回復」を意味する。神は元々、世界を完全な秩序の元に創造されたので、「回復」する必要は、無かった。しかし今時点、人は、恵みと回復を必要としている。なぜなら、世界も人も、呪われた状態となってしまったからだ。はじめに神は、完全な秩序を創られたが、そこに割り込んで来る者がいた。それが、サタンである。サタンは、神と私たちとの関係に入り込み、人間関係に入り込み、歴史に介入して秩序を崩壊させるのが仕事であり、そこには、何の躊躇も憐れみも無い。
サタンがある瞬間、ふっと入って来て、その場を支配すると、それまで平安だった心が一瞬でかき乱され、平穏だった関係が、突然壊される。どんなに光の天使のような成りでも、羊のような外見でも、それが来たとたんに、温度が下がり、思いや考えがイガイガしくなるのは、サタンが働いた時である。
ベレシート バラー。それは神が全宇宙を創造し、見えない秩序を定められた事であり、そしてそれを維持、保全、経営、進行しておられる事である。その秩序が崩れると、私達は何も出来ない無力な存在となる。
この神の秩序、神の主権を、背後で壊すのがサタンであり、しかもサタンは、人間を通して、神の秩序を破壊させる。神は元々、この世界を治めるようにと、人を創られた。神の言葉を信じ、その通り行うなら、創造のわざが起き、秩序が保たれ、全ての事は「良し」とされて行くが、サタンの思惑に従って神の主権を疑い、御言葉に逆らうなら、破壊と死が働いてしまう。神の宣言された言葉どおり生き、この破壊されてしまった世界に、福音という秩序を回復する皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
思い巡らすことばを管理しなかったサウル(1サムエル記22:6-23)
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週報/メッセージ(説教)概要
私達の思いの中には、常時、何かの「言葉」が流れているものであるが、その思い巡らす言葉の内容はいつも管理すべきだ。なぜなら私達は内外に流れる「ことば」に浸し込まれ、その内容に影響を受け、「人となり」が構築されて行くからである。サウルは、健全な主の言葉から耳を背け、その代わり、内からこみ上げて来る「妬み」「怒り」「殺意」などのサタンの好む言葉をいつも思い巡らしていたため、彼はどんどんサタンの性質を帯びるようになり、ついには取り返しのつかない、してはならない事をするようになってしまう。今回は、言葉の管理をしなかったサウルが何をしてしまったかを見て、私達も戒めを受けたい。
『サウルはギベアで、やりを手にもって・・・おり、家来たちはみなそのまわりに立っていた。』(6節)
サウルの人格の崩れ度合いは、さらに進行している。槍は人を殺める武器であり、敵に対して用いるべきなのに彼はいつも手にしている。部下を威圧するためか、気に食わない者に槍を投げつけるためであろう。
聖書を「サウル」「槍」で検索すると、彼が敵に槍を投げた記述は一切無く、ただダビデ、ヨナタンに投げ、あとは部下達を前にいつも持っているだけだ。そして最後は、彼に敵が追い迫って死ぬ間際、彼は槍にもたれていた。(2サムエル記1:6) イエス様が「剣をとる者はみな、剣で滅びる」と言われた通りである。
自分の敵サタンには槍を投げず、自分を助け養ってくれた人には槍を投げるような者であってはならない。
『あなたがたは皆共にはかってわたしに敵した。…わたしの子がわたしの僕をそそのかしてわたしに逆らわせ、道で彼がわたしを待ち伏せするようになっても、わたしに告げる者はない。』(8) 彼はすごい被害妄想に憑かれており、誰も心配しない、みんな自分に敵対している、と思っている。信仰の逆、「疑い」をいつも抱き続ける人はそうなってしまい、人が喜び笑う顔を見ただけでも、自分が嘲られたと思ってしまうものだ。
主に敵対しているのは、むしろサウルの方である。彼は既に主から王位を退けられたのに、ずっと王位にしがみつき、むしろ、油注がれた王・ダビデを殺そうと付け狙っている。もし人がおとなしく自分の「王座」から降りて、主に明け渡さないなら、逆に「王座」に支配され、振り回され、やがて「王座」に滅ぼされてしまう。
そこに、例外は無い。王座は人が座るものではなく、唯一、主イエス様が座すべき所であるからだ。
ベニヤミン人の部下達は何も言えなかったが、ただ一人、エドム人ドエグがサウルに応える。
『わたしはエッサイの子がノブにいるアヒトブの子アヒメレクの所にきたのを見ました。アヒメレクは彼のために主に問い、また彼に食物を与え、ペリシテびとゴリアテのつるぎを与えました」。そこで王は人をつかわし…みな王の所にきた。』(9-11) ドエグは、一杯の食物で尊いものを売り渡した、エサウの子孫である。
彼は、地位や名誉という一杯の食物ほしさに、神の祭司を告げ口する。
『サウルは彼に言った、「どうしてあなたはエッサイの子と共にはかってわたしに敵し、彼にパンと剣を与え、彼のために神に問い、きょうのように彼をわたしに逆らって立たせ、道で待ち伏せさせるのか」。』(13)
アヒメレクは唐突こんな事を言われ、暫く訳が分からなかっただろう。サウルのようにいつも被害妄想を巡らせている者は唐突に意味不明な事で人を責め、凍りつかせるものだが、それが絶対権力を持つ王であるならその国は悲惨である。サタンは歴史上、何度も王を被害妄想にさせ、多くの国々を悲惨に陥れて来た。
そもそも本来、イスラエルの王は祭司に物申す事はできないはずで、逆に王が祭司の御言葉に服従しなくてはならない。(申命記17:14-20、2歴代誌26:16-23) それなのにサウルは祭司も御言葉も、完全に自分の下に敷いてしまっている。彼は御言葉を退けた故に、王座から退けられた、とサムエルは言った。
祭司アヒメレクは、王の言葉には、事実を答え、極めてもっともな事を言ったが、『王は言った、「アヒメレクよ、あなたは必ず殺されなければならない。あなたの父の全家も同じである」。』(16) こうしてサウルは祭司を抹殺し、自ら主に伺う道を断ってしまった。それでダビデは、逆に、主に伺う祭司を得る事になる。
人は、思い巡らす内容によって人格が形成される。サウルのように猜疑心・妬み・怒りを思い巡らしているなら、サタンに似た者となって行き、断絶してはならない人を断絶し、主への道をも自ら断ってしまう。
いつも健全な主の言葉を思い巡らし、昼も夜も口ずさみ、水のほとりに植えられた木のように、時が来れば豊かに実らせ、何をしても栄える皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!