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聖徒のプライベートに当たる所なので明確には書けませんが、主は、人の愚かさや罪深ささえ用い、それを改善させ、ついでにそれを用い、今まではびこっていた闇や偽りを一掃し、そして、ご自身により頼む聖徒たちは、徹底的に守って下さる事を、示して下さいました。

このお方を主とする事はなんと幸いなのだろう、なんと幸いだろう、と思わされる日々を、過ごさせて頂いております。

 

礼拝説教メッセージ音声:水からの分離と実を結ぶ木(創世記1:9-13):右クリックで保存
韓国語通訳有

創造の第三日目、神は水と渇いた地面との区別をされ、種を生じさせる草や木、果樹を創造された。

水は、死や災い、さばきを意味し(創世記6:17、出15章、ローマ6:4)、その水の中から土が現れる様は、死からの復活を暗示する。
土(アダム)は人の組成そのものであるが、三日目に水の中から現れた土は、第二のアダムであるイエスキリストの復活を思い起こさせる。

神は、水と渇いた所の境界を定め、ここまでは水が来て良い、ここからは越えてはならない、と命じられた。(詩篇104:5-9)
同様に、神は災いや死に対しても境界を定めかれ、キリストにある私達には、災いに対して来てはならないと叱り、必要な時には、救いに預からせるために災いを許可される。

第三日に水から上がった土地、すなわち、キリストに繋がって死からの復活を経験した者達は、実を結ぶようになる。

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」(ヨハネ15:5)
「あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。」(同8節)

第三日目、地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。
神はそれを見て、良しとされた。
この地上で実を結ぶ植物は、実に多様な種類があるように、死と復活を経たキリスト者達も、実に多様な種類があり、それぞれ結ぶ実もユニークであり、私達が身を結ぶことによって、神はよしとされるのである。

肉に対しては死に、キリストと共によみがえった者として、まことのぶどうの木であるキリストに繋がり、ますます豊かな実を結んで行く皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声:神が唯一「よし」としなかった創造の日(創世記1:6-8):右クリックで保存
韓国語通訳有

創世の第二日は、神が水を分けて大空を造り、水と大空とを区別された日であるが、この日は、他の日とは違う特筆すべき特徴がある。
それは、他の日の創造は、神が「よし」と言ったのに、この第二日目だけ「よし」と言っていないのだ。

そのヒントを、以下の御言葉から得る事が出来る。
「この世を支配する者、かの「空中」に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。」(エペソ2:2)
空中は、悪しき霊どもがその勢力を置く所であり、この第二日目の、水(アビス)と大空との分離の時に、その霊が解き放たれてしまったためではなかろうか。

では、その悪しき霊どもは、一体なぜこの時、存在していたのか。
また、エデンにはサタンがいたが、一体いつのまに存在したのか。
それに対して色々な説が唱えられているが、そのうちの一つとしての参考に、G.H.Pemberの「ギャップセオリー」を紹介したい。

ギャップセオリーとは、創世記1章1節から3節までの間に、膨大な時間(ギャップ)があったのではないか、という理論である。

創世記1章1-2節は、「初めに、神は天地を創造された。(しかし)地は混沌となってしまった」と訳す事も出来る。
1節のみ「バラ(無から有の創造)」が使われており、それ以降の創造は、生物を除けば「アサ(既にある素材から物を造ること)」が用いられている。

「神である方、天を創造し、地を形づくり/造り上げて、固く据えられた方/混沌として創造されたのではなく/人の住む所として形づくられた方」(イザヤ45:18)
1節の創造「バラ」は完璧であったのに、1節と2節の間に何かの事件が起こり、地は混沌と「なってしまった」のだ。
一体何があったのだろうか。

エゼキエル28章やイザヤ14章には、サタンの反逆と敗北、地に落とされた様が記されており、この反逆によって、当初の完全に調和の取れていた神の創造が破壊され、混沌となってしまったと思われる。
「さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。
この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。」(黙示録12:7-9)

黙示録に出てくる「海」は、獣が出てきたり、長らく閉じ込められていたりする所で、あまりいい印象を受けない。
実は、ここに出てくる海は「アビス」で、創世記1:2にて「大いなる水」とも「深遠」とも訳されている言葉である。
イエス様がレギオンを追い出す時、悪霊どもは「底知れぬ所」に行けとは命じないように懇願したが、この、悪霊の嫌がる「底知れぬ所」がアビスである。

つまりアビスとは、悪しき霊的勢力が天における戦いに敗れ、閉じ込められた所である。
しかし第2二日目の時に、その一部が解き放たれてしまい、悪しき支配者は、この空中を根城にして、今も不従順な者たちに働いている。
だから二日目には「よし」が無い、というのだ。

しかし、神はやがて、空中を根城にしているサタンの勢力も、アビスに閉じ込められている全ての悪しき者達も、罰される。

証(音声のみ)
「ヤクザも害を及ぼせない」(川合姉妹):右クリックで保存

今日から講解説教は創世記に入りました。

そのままでの流れでは、エペソ人への手紙になるはずでしたが、2年ほど前から教会での学び会でエペソから続く箇所をやりましたし、パウロの手紙に偏るのもナニですので、思い切って旧約の最初の書にしました。

それまでとは毛色が違い、説教の準備の仕方もだいぶ違いますので少し大変ですが、主から知恵を頂きつつ、やって行きたいと思います。

礼拝説教メッセージ音声:秩序をもたらす神(創世記1:1-5):右クリックで保存
韓国語通訳有

今日より講解説教は創世記に入る。

「初めに、神は天地を創造された。」(創世記1:1)
ここで「神」と訳されている言葉の言語は「エローヒム」、崇高なるお方「エローア」の複数形であるが、「創造された」の動詞は、なぜか単数形で用いられている。
例えば英語で「They is God」と書けば文法ミスになるが、そのような、一見文法ミスであるかのような書き方が、わざと為されている。
それは、神は一にして三なるお方、すなわち父・子・聖霊なる三位一体の神であるからである。

また、ヘブライ語に「つくる」という言葉には3種類あり、一つ目は「バラ」(create)、無から有を創造する意味で、二つ目は「アサ」(make)、既にある材料を加工して作る意味で、3つ目は「ヤッツァー」(form)、粘土などを練り上げて形づくる意味がある。
1節の創造は「バラ」が用いられ、全くの無から有への創造であり、この「バラ」は他にも生物や人間を創る際にも用いられている。

「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」(2節)
この節からは、非常に広大で、暗澹とした情景を思い浮かべるが、その暗闇で混沌な深淵においても、神の霊は動き、その全てを御翼で覆っておられたのだ。

そして神は、その闇と混沌に対して「光よあれ」と言葉を発された。
それまで光の無かった世界に光が提供され、神は光を「よし」として闇と区別された。

神は、天地創造の御業において、混沌状態の中から光と闇を区別されたように、混沌状態からあらゆるものに秩序をもたらし、光を「よし」として闇には「よし」と言わなかったように、何が「よし」で何がそうでないかを区別される。

この天地創造の有様は、私達が整えられる有様にもよく似ている。

私たちがまだ大いなる闇の中にあった時、神はその御翼の陰に私達を覆い、導いておられた。
私たちは以前は暗闇であったが、ある時、キリストという義の太陽があらわれ、この光なるお方によって造り変えられ、光の子とされた。
秩序である神は、以前は混沌であった私達をも、御言葉によって秩序がもたらし、区別し、「よし」の状態へと導かれた。

創造のみわざの素晴らしさを、これからますます味わって行きたい。

大麦の刈り入れの頃(ルツ記1章(1-7))
第一礼拝・礼拝全体音声(韓国語通訳あり):右クリックで保存
第二礼拝・説教音声:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

ナオミはユダヤのベツレヘムで夫・息子二人とで幸せに暮らしていた。しかしある時、飢饉のためにパンが無くなり、家族と相談の上、モアブに移住する事にした。 パンのあるモアブに来た当初は「来て良かったね」と語り合っていたかもしれないが、結論から言えば、全ての災いの始まりであった。
ユダヤ人にとって、「神の約束の地」を捨てて外国に行く事は、神ご自身を捨て、神の民たるアイデンティティを捨てるに等しい事であり、神の賜った叱責から逃げる事は、さらなる災いをその身に招く事になる。
しばらく忍耐すれば飢饉は去ったのに、この一家は困難から逃げ出したいばかりに、安易な解決方法に飛びついて選択を誤り、 神の約束を信じて忍耐する事を捨て、取り返しのつかない事になってしまった。
困難から逃れるために、自分で編み出した脱出方法に頼るよりも、主に信頼して忍耐し、主が解決して下さるのをじっと待つ方事の方が、確実な救いへと至るのだ。(詩篇37篇)

主の民から遠く離れ、モアブの野で淋しく取り残されてしまったナオミに、神がご自分の民を顧み、食べ物をお与えになった、という、風の便りが届いた。この風の便りはナオミの心に、神の国である自分の故郷を思い起こさせ、「わたしのもとに帰っておいで」という、主の優しい語りかけとして響いたに違いない。
私達も、このような神様からの語りかけを聞いていないだろうか?聞きつつも、離れていないだろうか?
ナオミは神の国に帰るまでに10年かかってしまい、その間、夫に先立たれ、息子にも先立たれてしまった。
大切なものを全て失い、ついに、自分の拠り所は主の元にしかないのだ、とナオミに分かったのだ。
放蕩息子は、父の所には有り余るほどパンがあるのに自分はここで飢え死にしそうだ、と我に返ったが、
自分がいかに神から離れ、神の望まれる形から離れてしまったかを、見つめ直す所から、回復は始まる。

「オルパはやがて、しゅうとめに別れの口づけをしたが、ルツはすがりついて離れなかった。」(14節)
オルパは、自分がナオミと一緒にいる事がナオミにとって苦しみとなる(13節)事を聞いて、ナオミの元を去ったのは、大人としての「思いやり」だったのかもしれないが、帰っていったのは偶像の神の元であった。
それに対しルツは、「あなたの民はわたしの民/あなたの神はわたしの神」と言って、まことの神を自分の神とする「信仰告白」をし、ナオミについて行こうとしたのだ。
いつまでも真に有益なのは、大人の対応でも人間的な思いやりでもなく、信仰・希望・愛である。
ルツにとって、ナオミについて行く事には、何のメリットもないが、ナオミにとっても、ルツは重荷だったかもしれないし、ユダヤでは特に役に立ちそうもない異邦の娘だったかもしれないが、それでも互いが互いにとって、いつも一緒にいる、かけがえのない家族なのだ。「愛は自分の利益を求めない」(1コリント13:5)。

ナオミにとっては10年ぶりの帰郷であったが、それは懐かしさよりも惨めさに満たされたものだった。
かつての知人たちは、口々に「ナオミさんではありませんか」と声をかけ、色々聞いて来たが、彼女にはそれが苦痛で耐えられず、「どうか、ナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください。全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです。出て行くときは、満たされていたわたしを/主はうつろにして帰らせたのです。」(21,22節)と、自己卑下に満ちた言葉を返さざるを得なかった。
人々との交流が苦痛で仕方ない時こそ、真剣に神に向き合い、神に近づく事の出来るチャンスである。
家族やパンという「快さ」は、いつ「マラ」になってもおかしくはない。神は、ご自身以外のものによって快くなろうとする「ナオミ」は、「マラ」にされ、決して無くならず、色褪せる事のない「ナオミ」へと導かれる。
彼女のうつろな帰国は、そこへ導くための祝福へのステップであり、その鍵は、ルツの存在である。
ルツは、祝福の器となって、ナオミに希望と喜びをもたらすようになり、そればかりでなく、彼女はイスラエル全体に祝福をもたらす器となった。ルツの曾孫にダビデが生まれ、イエスキリストが生まれたのだ。
新約を生きる私達は、マラでもナオミでもなく、ルツである。なぜなら、ただ信仰によってイエスを宿すチャンスが、皆に一様に与えられているのだから。
大麦の刈り入れの頃、それは過越祭の直後、ちょうど今くらいのシーズンに始まり、神はちょうど豊作の年の、落穂の拾える時期、ベツレヘム(パンの家)へと、ベストのタイミングと場所へと、導いて下さる。
ルツとして信仰告白し、家族に、国全体に、祝福をもたらす皆さんでありますように!

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
苦しみのときに主に叫べ(詩篇107篇):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
3年半ぶりの雨(1列王17-18章):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
1ペテロ1:6-12:右クリックで保存
韓国語通訳有
 

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