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まことの夫へと納まる(ルツ記4章(13-17))
第一礼拝・礼拝全体音声(韓国語通訳あり):右クリックで保存
第二礼拝・説教音声:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

ルツは「あなたの神はわたしの神」という信仰告白によって神の恵みを拾う者になり、神の民に加えられ、また、信仰の先輩であるナオミに言われた通りに従順に実行して、ボアズの所に行った。
彼女はボアズに「あなたは誰か」と訊ねられた時、自分とボアズの関係を告白し、あなたの衣で自分を覆って下さいと願った。その御言葉への従順をボアズは賞賛し、ルツを迎え入れるための手続きへと入った。
「わたしの娘よ、成り行きがはっきりするまでじっとしていなさい。あの人は、今日中に決着がつかなければ、落ち着かないでしょう。」(3:18) 私達も、信仰の先輩たちの言う通り主の所に行き、自分が主のはしためである事を告白し、主の救いの衣の内に入らせて下さるよう願うなら、主はそれを喜び、主の方が心配して全ての算段を整えて下さり、私達が納まるべき所に納めるまで、働いて下さる。
私達の責任は信仰告白とその実践であり、後は皆、主が為して下さるのをじっと待っていれば良い。

ボアズは早速、正式にエリメレクの畑を買戻してルツをめとる為、ボアズよりも近い親類の者と、町の長老10人を呼び寄せ、座ってもらった。(4:1-2) 日本語聖書では丁寧な言葉で親類に呼びかけているように訳されているが、原文は、ボアズのほうが目上の立場としてこの親類に呼びかけており、また町の長老を10人も呼び寄せる所を見ると、ボアズはかなりの有力者で、また年長者であった(3:10)と見る事ができる。
かの親類は、資産はあったが、ルツをめとる事は拒んだ。なぜなら、そうしたら最初に生まれてくる息子は自分のものとはならず、ルツの亡夫マフロンの名を継がせなくてはならないからである。(申命記25:5-10)
栄光の家系を受け継ぐ者は、血肉を頼みとし、物質的・肉的な相続を優先させる者ではなく、信仰によって身寄りのない人を養い、御言葉を実践する者である。(1コリ15:45-50)
肉にある者は結局、自分の身を捨ててまで妻を愛しつくす事はできないし、養えるだけの甲斐性もないが、真のボアズであるイエス様は、自身を捨て私達を愛し、買い取って下さり、完全に養う事ができる。

こうしてボアズは、神と人との前で祝福されつつ、正式にルツをめとり、主はルツに男の子を授けて下さる。
律法によると本来、この子の名はマフロンとなるはずだが、女たちはなぜか「オベデ」と呼んだ。(4:17)
ルツの亡夫「マフロン」の名には「大きな欠点」「病弱」という意味があるが(ちなみにオルパの夫キルヨンは「浪費する」「消え失せる」の意味)、「オベデ」という名には「仕える」「僕」という意味がある。
ルツの以前の夫は病弱で、欠点があり、ルツを養いきれずに死んでしまったが、彼女は信仰によって、まことの夫・ボアス(名の意:「彼に内住する力」)へと嫁ぎ、買い戻され、完全に養われるようになった。
私達も以前、律法という不完全な夫に縛られていたが、キリストにあって古い自分に対して死に、また私たちも律法に対して死んだ結果、欠点や弱さから解放され、新しい霊に「仕える者」とされた。(ロマ7:1-6)

女たちは次のように言って喜んだ。「主をたたえよ。主はあなたを見捨てることなく、家を絶やさぬ責任のある人を今日お与えくださいました。・・・その子はあなたの魂を生き返らせる者となり、老後の支えとなるでしょう。あなたを愛する嫁、七人の息子にもまさるあの嫁がその子を産んだのですから。」(4:14-15)
この子はナオミにとって、家を絶やさぬ者となり、老後に背負う者となった。
同じように、ひとりのみどりごが私達のために生まれた。その方こそ私達の主イエス様であり、彼は私達の主権者、ワンダフル・カウンセラーであり、力ある神、平和の君(イザヤ9:6)、 老後にも背負う者である。
『あなたはもはや「捨てられた者」と言われず、あなたの地はもはや「荒れた者」と言われず、あなたは「わが喜びは彼女にある」ととなえられ、あなたの地は「配偶ある者」ととなえられる。主はあなたを喜ばれ、あなたの地は配偶を得るからである。 若い者が処女をめとるように/あなたの子らはあなたをめとり、花婿が花嫁を喜ぶように/あなたの神はあなたを喜ばれる。』(イザヤ62:4-5 口語訳)
ここの「あなたの子らはあなたをめとり」の「子」の原意は、子孫や氏、国などの広い意味を持ち、「めとる」の原意は「主人になる」という意味である。
ルツの子オベデはナオミの老後を養う者となって子孫にダビデやイエスキリストが出たように、私達も信仰によってキリストを宿し、信仰によって生んだ霊的な子孫たちは後に私達を養い、そして私達ともども、キリストの花嫁、すなわち、神の教会(エクレシア:召し出された者達)として完成されて行くのである。

今まで一年以上の間続いていた聖書学び会は、今日で最後となり、それまで労を負って下さっていた豊川先生を、祈りと祝福で送り出しました。

これからの先生の歩みが全ての面において祝福されますように!

昨日は久しぶりに父親が横浜に来て、ゴスペルに参加しました。

ゴスペルの後、しばし教会で交わり、その後、料理屋いっさくの女主人が、パスターと父親に、と、サムゲタンを振舞って下さいました。

それから、新潟から来ている働き人の祖母が危篤状態という事で、彼女がかの地において主の光を届ける使者となるように、と、御言葉と祈りをもって皆で送り出しました。

夜の礼拝の後は父親が泊っているホテルに宿泊させてもらい、久しぶりに親子の交わりが出来ました。

そして帰ってきて、こうして昨日のメッセージ配信をしている次第です。

思えば今週一週間、教会に来ている兄弟姉妹の多くに変化がありました。

月曜は長年執事を務めて来た家族が韓国に帰り、ある働き人はテントメーカーとして歩みを初め、一年続いた聖書の学びが次回で終わり、ある兄弟は新しいビジネスに着手し、ある中国の兄弟が教会に集うようになりました。

主が新しい息吹を教会に吹いておられるようです。

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
イエスの血潮の力(レビ17:11):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声:サタンの誘惑の方法(創世記3:1-5):右クリックで保存
(韓国語通訳有)

「主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。」(創世記3:1)
この蛇こそ、天から投げ落とされた、全人類を惑わす者、すなわち悪魔とかサタンとか呼ばれる、あの古い蛇(黙示録12:9)である。

サタンのやり口は、まず御言葉に不純物を混ぜ、心に不安の波紋を起こさせる所から始まる。
『蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。』(創世記3:1)
神が言われたのは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい、 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない、だったが、サタンは、神様から与えられている全ての良き祝福には全く言及せず、たった一つのしてはならない事にクローズアップさせ、あたかも神は我々に大きな制限を課しているかのような錯覚を、吹き込ませる。

エバはその掻き乱し攻撃に、まんまと乗ってしまった。
エバは「園にある木の実を食べてよいのです」と答えて、「どの木からでも」「思いのまま」を省いてしまい、神様からのあらゆる良き恵みを、彼女の中で縮小させてしまい、さらに「園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」と続けた。
「ない」を3つ続けた所に、エバの神様に対する認識、神様は「ない」を良く言うお方だという認識を、垣間見る。

神は「触れてはいけない」とは言っていなかった。
エバとしては、神様をかばうつもりで拡大させて言ったのかもしれないが、神は、御言葉に付け足したり引いたりせず、正しく告白する事を喜ばれる。
御言葉に人間的な解釈をつけ足しする事は、パリサイ派や律法学者の道であり、それはますます人を束縛し、御言葉から遠のけさせ、サタンを喜ばせる事である。

神は「それ(善悪を知る知識の実)を取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ」と言われたが、エバの中では「死んではいけない」と変換されており、「必ず死ぬ」という確信が揺らいでいる事が分かる。

私達がサタンに心かき乱されるような事を言われた時、答えに急いて、口からでまかせを言ったり、自分なりの解釈を言ってはならない。
主はサタンに試みられた時、御言葉によってを撥ね付けたように、私たちも、そのままの御言葉に、信仰を混ぜて宣言するなら、サタンはいずれ去っていく。

サタンは信仰の篭っていない御言葉解釈や人間的な力・知恵など、これっぽちも怖くはない。
むしろ、御言葉に付け足したり、差し引いたりする事を、サタンは大喜びし、さらに惑わしを吹きかけて来る。
エバの中に御言葉への確信がなく、付け足したり差し引いたりしたのを、サタンは見て、今度は御言葉の全否定に取り掛かった。
「蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」(3:4-5)

サタンの本質的は、神を降ろして自分が高くなる事である(イザヤ14:12-15)。
しかし救いの道は、自分を降ろしてイエス様が高くなる事である。
私達が主とするべきお方は唯一キリストのみ、土台とすべきは自分の考えではなく御言葉のみである。

サタンの策略を知り、勝利していく皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
人の側の管理責任(創世記2:15-21):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
1ペテロ1:18-25:右クリックで保存
韓国語通訳有

礼拝説教メッセージ音声:結婚のための条件(創世記2:15-20):右クリックで保存
韓国語通訳有

神は、造られた生物達をアダムの前に連れてきたが、彼は相変わらず独りで、どの生き物たちの中にも、ふさわしい助け手は見出せなかった。
「主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。」(創世記2:21-22)

アダムに深い眠りが与えられてエバが造られたように、また、キリストが死を経て教会を生み出したように、未婚の男女が、ふさわしい助け手を得るには、まず、深い眠り、すなわち、死を通る必要がある。
結婚は人生の墓場だと良く言われるが、それはある意味、正しい。
独身時代は自分のために思うがままに生き、あらゆる異性が結婚相手になるかもしれない可能性があったが、結婚してからは、そうはいかなくなる。
自分に対しては死に、伴侶のために、そして新しく生まれるいのちのために生きるのでなければ、結婚は成り立たない。
自分に対して死ぬのであれば、結婚生活において、さらにすぐれた命の喜びを見出す事になる。
そういうわけで、結婚のための第一条件は、自分に対して死ぬ、という事である。

「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」(23節)
アダムの所に女が連れてこられた時、アダムはこのように言って、はなはだ喜んだ。
同じように、キリストも自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足すされる。(イザヤ53:11)

アダムは「女」と名前をつけた。つまり、夫が妻の「主」であり、保護者である。
聖書では、妻は、全ての面で夫に従い仕える事が勧められており、そして夫には、キリストが教会を愛し捧げ尽くしたように、妻を愛し(アガペー)捧げ尽くす事が勧められている。(エペソ5:22節以降)
それらは男性にとっても女性にとっても難しい命令に聞こえるかもしれないが、それは、キリストにあってこそ可能であり、もし夫婦がそのような関係に入るのであれば、それはエデンにおけるような最も素晴らしい夫婦関係となる。
「いずれにせよ、主においては、男なしに女はなく、女なしに男はありません。それは女が男から出たように、男も女から生まれ、また、すべてのものが神から出ているからです。」(1コリント 11:11-12)

結婚のための第二条件は、父母の庇護から離れて、一人立ちしている事である。
『「それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。」この神秘は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです。』(エペソ5:31-32)

男も女も、親の庇護から離れなくては伴侶を苛立たせてしまうように、私達もキリストの庇護に入ったからには、世という親元からは離れていなければならない。
女の居場所は男の腕の中、脇腹の所であるように、私達教会の居場所も、キリストの腕の中、脇腹ぴったり寄り添っているべきである。
キリストは私達教会のために、いのちを投げ出して下さった。それ故、私達教会はキリストを敬い、従うのであり、それこそ夫婦生活のお手本である。

礼拝説教メッセージ音声:人に任された管理責任(創世記2:15-20):右クリックで保存
韓国語通訳有

神は人に、エデンの土地を耕し、守る仕事を与えられた。(15節)
私達は、たといエデンのような素晴らしい所が与えられるとしても、ただ安穏と何もしないのは御心ではなく、与えられた領域をしっかりと管理し、私達という人間性をしっかりと耕して、豊かな実を結び続ける努力をしなくてはならない。

神が人に与えられた命令は「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」(2:16-17)
神は、して良い事としてはならぬ事、そして、してはならぬ事をした結果、どのようになってしまうのかを、明言した。

神は、ずっと後に定められる律法においても、また、イエスキリストの福音においても、して良い事としてはならぬ事、そして、してはならぬ事をした結果どのようになるかの明示は、必ずなされる。
私達は生かされている領域を、しっかりと耕して管理し、神様から示された良い事を為し、してはならぬ事をしない、という事を、守り続けるべきである。
エデンにおいて唯一してはならなかった事とは、善悪を知る知識の実を食べる事だったが、今私達も、神から離れた独善的な善悪判断は、してはならない。

神が唯一「良くない」と言われたのは、人が独りでいる事だった。(2:18)
1章26節において神は「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。」と仰せられたが、神は三にして一なるお方であるように、人間もまた、神の前に夫婦は二人にして一人である。

さてここで、神は男と女とに創造されたと1章では書いているのに、2章ではなぜか、男が独りのままである。これはどういう事だろうか。
1章での創造の時、エバはまだアダムの脇腹にいて、外見上はアダム独りであったかもしれないが、神の目は、アダムの中にいるエバを既に見ていた、と思われる。
それと同じように、キリストを信じて救われ、キリストの花嫁となった私達も、キリストが十字架につけられ死んだ時、キリストの脇腹にいて共に死に、キリストが復活した時、共に復活し、キリストが天に昇られた時、共に天の所に座させてくださったのだ。(エペソ2:6)

神は人のところに、野の獣、空の鳥を連れてきて、それにどんな名をつけるかを見ていた。(創世記2:19)
親が子に名前をつけるように、名前をつけるとは、その者の支配者であり保護者であるという事を示す。
人は元々、全ての生き物の支配者として創られた。(1:28)
アダムの所にライオンなどの強い獣が連れられた時も、彼は全く恐れず、名前をつけて支配する側となったように、私達も、神様が送って下さったあらゆる状況に対して、主にあって恐れる事なく、正しい名をつけ、御言葉に沿った正しい判断をして、支配者として立つべきである。

神が創造された生き物に、人間が名前をつけ、そうして全ての生き物は、神と人間とによって共同で支配されるものとなったように、私達もキリストと共に全てを治めるのである。

『次のことばは信頼すべきことばです。「もし私たちが、彼とともに死んだのなら、彼とともに生きるようになる。もし耐え忍んでいるなら、彼とともに治めるようになる。もし彼を否んだなら、彼もまた私たちを否まれる。私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」』(2テモテ2:11-13)

礼拝説教メッセージ音声:エデンの園と新しいエルサレム(創世記2:4-14):右クリックで保存
韓国語通訳有

「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり(ヤッツァー:form)、その鼻に命の息(ネシャマ:霊)を吹き入れられた。人はこうして生きる者(たましい)となった。」(7節)
人の構成は、土を素材とする「体」と、神の息を素材とする「霊」と、霊が吹き込まれた時に出来た副生物「たましい」の、3要素から成る。

神は人間を、ご自身の手によって練り込んで形づくり、ご自身の息吹を吹き入れられ、特別な存在として造られた。
人は、神の霊抜きにはただの塵にすぎず、元々、神と関わるように創られているのだ。

「地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。」(5節)
創世の時代は雨が降らず、地の面は、立ち昇る露によってまんべんなく潤されており、主の恵みと支配が、まんべんなく行き届いていた状態だった。(ハバクク2:14)

神はさらに、人の必要を満たす所、また、人の働くべき所として、エデンを造られ、そこに命の木と善悪を知る知識の木とを、生えさせられた。(8-9節)
この「命の木」、すなわちキリストを選ぶか、それとも、「善悪の知識の木」すなわち自分で善悪判断する道を取るか、という選択は、聖書を一貫して貫く重要テーマであり、私達人間には、常にその選択が迫られている。

黙示録21章以降に、全てが成就した世界の有様が記されている。
そこにも命の木は登場するものの、善悪の木は、もはやそこには無く、神と人とは共にひとつとして住み、もはや呪われるべきものは何も無い。(黙示録22:3)
呪われるべきものとはすなわち、神から離れて善悪判断する生き方であり、その善悪判断の集大成である律法に拠る人々は、全て呪いのもとにある。(ガラテヤ3:10)

「エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。」(創世記2:10)
黙示録においても、いのちの木やいのちの水の川が流れている様を見る。
いのちの木の実を食べる者、すなわち御言葉なるイエスキリストを食べる者は、その人の腹から命の水が川々となって流れ出るようになり(ヨハネ4:14)、神が住まわれる神殿となり、天におけるまことのエデンに入る事が許される者となる。
エデンから流れる川々のほとりからは、良質の金や宝石類が産出し、その川の水によって諸国に恩恵をもたらした(創世記2:11-14)。
同じように、黙示録におけるまことのエデン、新しくされたエルサレムでも、諸々の宝石や、透き通ったガラスのような純金によって豪華絢爛に飾られており(黙示録21:18-21)、川は諸国へと流れて行き、諸国を潤し、癒す。(黙示録22章)

創世記と黙示録のこうした一致は、人間の完成とはすなわち、神から離れて善悪判断しつつ生きる道を捨て、キリストなる命の木に結び合わされ、神とひとつとなって共に住む事であるからだ。

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