メッセージ - 最も親しい妻からの鋭い攻撃と、ヨブの驚くべき対応(ヨブ記2:1-10)
最も親しい妻からの鋭い攻撃と、ヨブの驚くべき対応(ヨブ記2:1-10)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » ヨブ記
- 執筆 :
- pastor 2026-8-21 12:50
最も親しい妻からの鋭い攻撃と、ヨブの驚くべき対応(ヨブ記2:1-10)
メッセージ音声
【概要】
サタンによる第二の攻撃を受けたヨブが、全身の激しい痛みと痒み、そして最愛の妻からの「神を呪って死になさい」という言葉に直面しながらも、唇によって罪を犯さず、誠実を貫き通した姿から、試練の中での信仰と神への信頼を学ぶメッセージ。
【聖書箇所】
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ヨブ2:1-10
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創世記3章
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黙示録12:10-11
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ローマ8:28
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ヤコブ書(ヨブの忍耐について)
【慰めの言葉】
地上で誰にも認められなくても、私たちが主に捧げた誠実さは神の御前でちゃんと覚えられ、認められている。
【励ましの言葉】
たとえ痛みや痒み、周囲からの理不尽な言葉があっても、神は私たちを見捨てず、最善へ、より深い祝福へと導いておられる。
【戒めの言葉】
サタンは最も親しい人を通して攻撃を仕掛けてくる。私たち自身も、悪魔に利用されて配偶者や家族を傷つける道具にされてしまうことがあるので注意が必要。
【勧めの言葉】
たとい近しい人からひどい言葉を受けても、ヨブのように相手を思いやり、唇で罪を犯さないこと。良いことも悪いことも主から受け取るという全き信頼の姿勢を持つこと。
【***詳細***】
今日、恵みをいただく御言葉はヨブ記2章1節から10節です。まずヨブ2:3を宣言します。
「主はサタンに言われた。『おまえは、わたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように、誠実ですぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない。彼はなお、自分の誠実さを固く保っている。お前は私をそそのかして彼に敵対させ、理由もなく彼を飲み尽くそうとした』」
ヨブ記から本当に多くの、天における隠されたこと、また私たち人間の中に隠されているもろもろが明らかにされていきます。前の1章において、サタンはヨブを訴えました。ヨブはサタンの攻撃にあいましたが、その攻撃の中でも彼は主を呪うのではなく、逆に主を礼拝しました。この大きな試練の中で、彼の本性は呪いではなく礼拝だということが明らかにされました。このことによってヨブの本性が明らかにされ、サタンの面目は失われました。けれども、サタンは一度面目を失ったからといって諦めません。もう一度、天の会議にやってきます。
2:1から見ますと、「ある日、神の子らがやってきて、主の前に立った。サタンも彼らの中にやってきて、主の前に立った。主はサタンに言われた。『お前はどこから来たのか。』サタンは主に答えた。『地を行き巡り、そこを歩き回ってきました。』」
主はサタンの本性を暴くために、あえてサタンに尋ねています。「お前、どこから来たのか。」神様はご存知なのに、あえて質問したのは、私たちにサタンがどこから来るのかを知らせるためです。「地を行き巡り」とサタンは答えましたが、私たちが知るべきは、サタンは地を行き巡るものだということです。ヘブライ語では、これはあてもなく徘徊するという意味です。皆さんは夜中にあてもなく徘徊してはいないでしょう。サタンはそのようなことをします。何のために徘徊するかというと、食い物になるものを見つけるためです。
サタンは食い物にする人間を探し回っています。創世記3章において、蛇、サタンの食い物は塵だということが定められましたが、私たち人間は、主の霊を持っていないとするならば、塵に過ぎない存在です。ですから、私たちが主の御霊を、イエス様をしっかりと握りしめていないと、結局サタンの食い物にされてしまいます。私たちはサタンの食い物にされている人たちを救い出す役割であるべきです。
このサタンは日夜、聖徒を訴える者です。黙示録12章10節に書かれています。このサタンは地に投げ落とされて、地を這いずり回って、訴えることによって人を食い物にします。訴えて、地に引きずり落として、お互いに罪を犯し合う、そういう罪の泥仕合の中に引きずり込みます。私たちも本当にそんな悪魔サタンの企み、目論見に引っかかってはならないのです。
けれども、このサタンに対処する術が黙示録12:11に書かれています。
「兄弟たちは子羊の血と自分たちの証の言葉のゆえに龍に打ち勝った。彼らは死に至るまでも自分の命を惜しまなかった。」
子羊の血と証の言葉によって、龍(サタン)に対して勝利すること。たとえ蛇から龍に「昇格」したところで、私たちが勝利する術があります。これはイエスの血と証の言葉です。これによって勝利します。ヨブも見事な証の言葉によって、サタンの面目を丸つぶしにしましたが、それでもサタンはまだ引き下がりません。サタンは一度私たちに敗北したとしても、またにょろにょろとやってきます。けれども、慌てる必要はありません。サタンは神様が許可した範囲内でしか動けません。
2:3において、神様はヨブを弁護します。「お前は理由もなく彼を飲み尽くそうとした。お前は私をそそのかして彼に敵対させようとしたか」と。神様はサタンに対して、再びヨブを誇りに思っています。あたかも自分の子供を誇るかのように、主はサタンに言います。「お前は私のしもべヨブに心を留めたか。」ヨブは神様を見たことはありませんでした。神様を見ることができるのはもっと後の方の章になります。神様を見ないけれども、主のしもべとして神様は認めておられます。「彼のように誠実ですぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は地上には一人もいない」と誇り、「彼はなお自分の誠実さを固く保っている」とサタンに言いました。ヨブはこの時、地上の人間から認められはしませんでしたが、神様の御前においてはちゃんと覚えられ、認められているのです。
これは私たちにとっても本当に慰めです。私たちは地上において認められていない、誰も分かってくれないとしても、皆さんが主に捧げた誠実はちゃんと神様において認められており、皆さんの立ち振る舞い、全行動、また心の中の全ての動きもご存知です。神様が皆さんのことを評価してくださるのです。
天の法廷におけるこの判決、ヨブに対する判決は、「ヨブは全きものであることを貫いた。誠実を貫いた。ヨブのようなものはいない」というものでした。けれども悪魔サタンはさらにヨブを訴えます。4節から見ますと、
「サタンは主に答えた。『皮には皮を持ってします。自分の命の代わりには、人は全て持っているものすべてを与えるものです。しかし、手を伸ばして、彼の骨と肉を打ってみてください。彼はきっと面と向かってあなたを呪うに違いありません。』」
サタンはさらにヨブをいやらしく訴えます。「皮には皮を持って」つまり、ヨブは自分の命に対しては何もかも投げ出すでしょう。財産や子供は自分にとっては他人事だったけれど、自分自身の命に対してはどうでしょうね、というふうに、サタンは実にいやらしく、厚かましいものです。
主はそれに対して何と答えられたか。6節「主はサタンに言われた。『では彼をお前の手に任せる。ただ、彼の命には触れるな。』」主はなんとこんなにも誠実を尽くしたヨブに対して、サタンが手を加えることを許可されます。これは本当に驚きです。人は「わからない、理解できない」と言うかもしれません。けれども私たちは、話を途中まで聞いて全て分かったかのようなふりをするべきではありません。ちゃんと最後まで見るべきです。物語の途中だけを見て議論をし出すと、永遠に終わらない議論になってしまいます。ヨブ記についての議論は、「神様はひどい」といった議論になりがちですが、ヨブ記の結論を私たちは知っています。ヤコブ書にもヨブ記の結論が書いてあります。「ヨブの忍耐」を私たちは知っています。
ここから結論づけられることは、神様は慈愛に富み、また誠実であられるお方だということです。なぜ神様がここで試練を許されたか、それはヨブに2倍の祝福を与えたいから、より神様のことを深く知らせたいからです。そして今、ヨブの心の奥底にしっかりと紐づいている自己義を手放してほしいから。神様との関わり、神様のことをもっと見てほしいから。そしてヨブの後半の人生を、より長く、より祝福された形で送っていただきたいから。だからあえてこの悪魔サタンに一線を引いて、「ここから先はいい、でもここからこっちはダメだよ」という許可付きでサタンを泳がせるのです。
そもそもヨブの災いを願い出たのはサタンです。神様ではありません。私たちは「なんで神様は」と訴えるべきではなく、「悪はサタン、お前よくも兄弟しもべを訴えたな」とイエス・キリストの名前によってサタンをこそ訴えるべきなのです。神様は実際サタンが好き勝手できないように境界線を引かれます。6節にあるように「ただ彼の命には触れるな」と、しっかりとサタンをコントロールしているのです。
けれどもサタンは許可を受けた範囲内で、人間を徹底的に打ち叩きます。7節「サタンは主の前から出て行き、ヨブを足の裏から頭の頂きまで悪性の腫物で打った。ヨブは陶片を取り、それで体を掻いた。彼は灰の中に座っていた。」
足の裏から頭の頂きまで、悪性の腫物がヨブにできてしまいました。陶片で体中を掻きむしります。本当に痛みがあり、また痒みが人を消耗させます。夜も眠れないでずっと掻き続けます。横になることもできません。床についたところが痒くて痛い。私たちが今、癒しをお祈りしているホ・ジュビ幹事を覚えます。彼女は体の45%を火傷を負いました。普通なら命の危機に関わりますが、神様は彼女の命を救ってくださり、また聖徒たちが日夜捧げている祈りに応えておられます。ホ・ジュビ幹事は今、全身の痛みから、今度は痒みに変わったりします。本当にどれほどの痛み、痒み、壮絶な思いをされているか、私たちは祈ることをずっとやめてはなりません。
神様はもともと人が健やかであることを望んでおられます。けれども、より神様との関わりを深くするために、あえてこのような試練を与えることは確かにあります。このヨブ記を見ますと、神様は人間の痛み、痒み、また人から見れば「なぜこんなこと」と思うようなことを軽くは見ておられないことがわかります。それ以上に神様は人をより深く立て上げ、より悪魔サタンから遠ざけ、より神様との親しい関係を持たせたいと願っておられます。
今日冒頭で宣言したローマ8:28に書いてあります。「神を愛する人たち、すなわち神のご計画に従って召された人たちのためには、すべてのことが共に働いて益となることを私たちは知っています。」神様がなさることは最善であると書いてあります。最善よりも悪いことはされない、ということは、最善以上に最善のことを神様は備えておられるのです。
9節に、ヨブにとってさらに手痛い仕打ちが待っています。「すると妻が彼に言った。『あなたはこれでもなお、自分の誠実さを固く保とうとしているのですか。神を呪って死になさい。』」
ここに一番手痛い一撃が来ます。それは外の敵からではありません。妻という最も親しいはずの身内からの一言です。妻はこれまで人生をずっとヨブと共にしてきました。子供を産みました。事業を支えてきました。この妻から「神を呪って死になさい」という一言。ヨブは何度も人生、妻の助言を受けて、従って助けられてきたことでしょう。この妻からの言葉は、今までの何よりも深く、神様を呪って死にたいような、そういう思いに駆られたことでしょう。
サタンはいつもこういう手口を使ってきます。最も親しい人を通して、最も親しい人が怒りを爆発させて、えぐるような一言を投げかけるように攻撃してくるのです。サタンはアダムに対してエヴァを通じて攻撃してきました。最も親しい友人、最も親しい身内、妻、夫からのこのような言葉、これは本当に痛いものです。悪魔サタンが親しい人をその手に操るということ、怒りや妬み、そうした諸々をついて攻撃してきますし、私たち自身も妻を、夫を、悪魔サタンに利用されて攻撃する道具にしてしまうことがあります。私たちは本当にいつもイエス様を握りしめ続けて、いつも清らかな思い、心を持って歩み続けていくべきなのです。
ヨブはそれに対して何と答えたか。10節「しかし、彼は妻に言った。『あなたはどこかの愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、災いも受けるべきではないか。』ヨブは、このすべてのことにおいても、唇によって罪に陥ることはなかった。」
ヨブは本当に痛いのです。痒いのです。絶叫したいぐらい痛い、痒い。その中において神を呪って死になさいという言葉を受けました。そんな中でも、なおヨブは妻に対して思いやりがある言葉を返しています。妻に対して「あなたは愚かな女だ」とは言っていません。「どこかの愚かな女が言うようなことをあなたは言っている」というふうに、この期に及んで妻に対する思いやり深い心がこの一言から垣間見られます。やんわり諭したのです。攻撃を持って返したのではありません。バシンと叩いたのではありません。突き放さないで、その弱さをなおも担ったのです。本当に最も辛い中においても、なおも親しい人を思いやる。私たちも自分が痒い、痛い、苦しい時に、相手が思いやりのある言葉を言っても、バシンと攻撃しがちなものですが、ヨブはここまでも誠実を保ちました。だから当代一の富豪になり、祝福されて、神様が囲いを置いて守ってくださったのです。
このヨブの性質から私たちはいろいろと学ぶところがあります。近い人がたとえどんなひどいことを言ったとしても、「ああ弱いんだな」と思いやるべきなのです。ヨブはこの時、良いことも悪いことも主からいただくものはいただくのだ、というふうに、さらに優れた告白をしました。前回のところでは「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」と言いましたが、ここではさらに一歩進んで、この災いに遭ったことの中において、ヨブはなおも唇で罪を犯さず、良いことも悪いことも主から受け取るものだ、と、妻に対して、しかも本当にひどいことを言った妻に対して、さらに優れた宣言をしました。主に対しての全き信頼がここにあるからです。
「ヨブは、これがすべてのことにあっても、その唇で罪に陥ることはなかった。」この「唇で」というところがあります。確かに心の中でいろいろ渦巻くこと、うごめくことがあります。けれども、私たちは唇で罪を犯さないこと、これはとても大切なことであり、神様は少なくともこの時点で評価しておられます。心の中にいろいろうごめくものがあることを主はご存知です。それは後々の章で神様が取り扱っていかれます。けれども、少なくともこの章においては、神様はヨブを本当に褒めて、悪魔サタンに対して「私の僕」ということを評価しました。
今、私たちが覚えるべきは、確かにこの地上において報われていないことは絶対あるかもしれませんし、また順調でないこともあるかもしれません。痛みの中にあるかもしれません。けれども、主は天においてしっかりと私たちの最善を導くために、あえてことを行われる、許可をされることは確かにあります。けれども、その向こうには、主は憐れみ深く、恵み深いお方だということを、私たちはしっかりと握りしめて歩んでいくべきです。
どうか皆さんは、今日も本当に主の働き人として、誠実を尽くし、また、たとい隣人が近い人が傷つけるような言葉を言ったとしても、このヨブのごとく口で罪を犯すことなく、誠実を貫いて、主から評価をいただいて、さらに多くを任されていく皆さんでありますように。イエス様のお名前によって祝福いたします。
【結論】
ヨブは、全身の激しい痛みと痒みという肉体的苦しみに加え、最も親しい妻からの「神を呪って死になさい」という言葉という精神的な痛みにも直面しました。しかし彼は妻を非難することなく、思いやりを持って諭し、良いことも悪いことも主から受け取るという全き信頼をもって唇で罪を犯すことがありませんでした。サタンは今も私たちの最も親しい人を通して攻撃を仕掛けてきますが、私たちはイエス・キリストの血と証の言葉によって勝利することができます。地上で報われず、痛みの中にあったとしても、神様は私たちを見捨てず、最善以上の祝福へと導いておられます。ヨブに倣い、誠実を貫き、唇で罪を犯さない歩みをしていきましょう。
