メッセージ - ただ黙って一緒にいた七日七夜(ヨブ2:11-13)

ただ黙って一緒にいた七日七夜(ヨブ2:11-13)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » ヨブ記
執筆 : 
pastor 2026-8-24 13:00

ただ黙って一緒にいた七日七夜(ヨブ2:11-13)

メッセージ音声

 【概要】

苦難にある者に対して私たちがどう寄り添うべきか、ヨブの友人たちの沈黙と発言を通して学び、人間の浅知恵ではなく共にいて痛みを分かち合うことの大切さを説くメッセージ。

【聖書箇所】

ヨブ2:11-13

ローマ12:15-16

ヨブ3:1

【慰めの言葉】

苦しむ友に対して焦って言葉をかける必要はありません。ただ同じ空間にいて、共に悲しみを分かち合い沈黙することが最大の慰めとなります。イエス様もそのように、私たちの痛みに寄り添ってくださるお方です。

【戒めの言葉】

主の御名がない人間の浅知恵や正論は、かえって相手を傷つけ、正しい人でさえも信仰から遠ざけてしまう結果になります。自分を知恵のある者と考えて、上から相手を裁いたり評価したりしてはなりません。

【悔い改めの促しの言葉】

私たちはこれまでに焦って不用意な言葉をかけ、良かれと思って多くの人を傷つけてきました。その罪を悔い改め、鼻で息をする人間に頼るのではなく、主によって唇を清めていただかなければなりません。

【***詳細***】

今日恵みをいただく聖書箇所は、ヨブ2:11-13です。

「さて、ヨブの3人の友がヨブに降りかかったこれらすべての災いのことを聞き、それぞれ自分のところから訪ねてきた。すなわち、テマン人エリファズ、シュアハ人ビルダデ、ナアマ人ツォファルである。彼らはヨブに同情し、慰めようと互いに打ち合わせてきた。」

私たち人間というものは、本当に間違いを犯しやすいものです。イエス様につながっていないと、こちらが良かれと思ってやったことがことごとく裏目に出て、相手に悪い結果を押し付けてしまうようなことになります。

今日の箇所によりますと、ヨブの3人の友人たちが、ヨブが大変な災いに遭ったという知らせを聞き、示し合わせてヨブを慰めるためにやってきました。ヨブ記を読むと、物語の大半はヨブとこの3人の友人たちとの議論で占められています。物語の展開を「起承転結」で言うなら、2章までの箇所は「起」の部分にあたり、3章から「承」へと発展していきます。今日の箇所はその「起」と「承」をつなぐちょうつがいのような部分ですが、この段階での3人の友人の対応は、友人として完璧なものでした。

しかし、3章以降になると、その対応は完璧ではなくなってしまいます。ヨブを慰めるために来たはずの彼らが、全く逆のことをしてしまい、ヨブを安らげるどころか、かえってもっと苦しめるようになってしまうのです。それは彼らが、人間的な知恵や格言に基づいた議論を吹きかけて、ヨブを正しい道に導こうとしたからです。彼らの議論の中には、主(ヤハウェ)の御名が一切出てきません。主の御名がないまま、人間の知恵だけで相手を正しい道に導こうという動機であったとしても、結局は人を傷つけ、さらに苦しめるだけで何の解決ももたらさなかったのです。

ヨブはそれまで、10人の子どもたちを失い、自分の体全体がサタンによってひどい腫れ物で打たれ、妻からは「神をのろって死になさい」とまで言われていました。そこまでされても、ヨブは唇で罪を犯しませんでした。本当に正しい人としての器は最高のものでした。しかし、そんな正しい人を腐らせてしまうもの、それが主の御名がない人間的な小賢しい知恵なのです。

とはいえ、最初のうち、この友人たちはとても素晴らしい行動をとりました。時間を割き、示し合わせてヨブを慰めに来たことは非常に良いことです。さらに12節と13節にはこう書かれています。

「彼らは遠くから目を上げて彼を見たが、それがヨブであることを見分けられなかった。彼らは声を上げて泣き、それぞれ自分の上着を引き裂き、ちりを天に向かって投げ、自分の頭の上にまき散らした。彼らは彼とともに七日七夜、地に座っていたが、誰も一言も彼に話しかけなかった。彼の痛みが非常に大きいのを見たからである。」

これは当時の行動としては、最も深い悲しみを表す激しい仕草です。ヨブの体は腫れ物とかさぶたで覆われ、灰をかぶっていて、外見的には目も当てられない姿でした。友人たちはその姿を見て、真っ先に声を上げて泣きました。上着を引き裂き、ちりを天に向かって投げました。そして、何も言葉をかけませんでした。彼らはなんと七日七晩、一言も声を出さず、ずっと沈黙を保ったのです。ただ一週間、ヨブと一緒にいて、一緒に座っているだけでした。その理由は「彼の痛みが非常に大きいのを見たからである」と書かれています。

彼らの沈黙は、気まずさや無関心からではありません。相手の痛みや苦しみが本当に大きいことが分かると、言葉は出ず、沈黙しか出てこないものです。何か言葉をかけてあげなければと、焦って言葉を出そうとしてはいけません。焦った時点で、一言も発してはならないのです。沈黙していること、ただ一緒にいること。これが、本当に苦しんでいる人に対する正しい接し方です。ただそこにいて、同じ空間にいてその人を見る。その人の痛みを感じ、思いやる。これがベストなのです。

ローマ12:15-16にはこう書かれています。

「喜んでいる者たちと共に喜び、泣いている者たちと共に泣きなさい。互いに一つ心になり、思い上がることなく、むしろ身分の低い人たちと交わりなさい。自分を知恵のある者と考えてはいけません。」

「共に」ということが大事です。ただ一緒にいる。それが、痛んでいる友に対して最も雄弁に語る言葉であり、それが沈黙です。

面白いことに、ヨブ3:1でヨブが口を開くとき、ヘブライ語の原語では「答えて言った」と書かれています。ずっと七日間沈黙し、何も喋らなかった友人たちに対して、ヨブが「答えて言った」のです。ヨブは何に対して答えたのでしょうか。それは、七日間沈黙して一緒にいてくれたことに対してです。友人はずっと黙っていました。ヨブもずっと黙っていました。ただ一緒にいただけです。この「共にいる」ということ、「共に泣く」ということがとても肝心なのです。

イエス様は「インマヌエル(神は私たちと共におられる)」というお方です。皆さんが苦しい時、悲しんでいる時、また人を傷つけてしまって悲しんでいる時、共にいて悲しんでくださるお方です。皆さんが病で苦しんでいる時、イエス様も共に沈黙して、共にいてくださいます。ですから、友人たちが共にいて黙っていた時は、本当に完璧なことをしていたのです。ヨブが最も必要としていたのは、共に黙ってそこにいて、痛みを感じてくれることでした。

しかし、その完璧だった友人たちが口を開いた瞬間から、すべてが台無しになっていきます。4章以降、彼らの口からは哲学的な言葉や人間の知恵に満ちた言葉が飛び出します。「あなたが今苦しんでいるのは、あなたが罪を犯したからだ。悔い改めて神に立ち返れば、すぐに癒される」と、異口同音に語り出します。慰めに来たはずの彼らが、いつの間にか高い場所に立ち、上から大上段に論理の言葉でヨブを切り裂いていくのです。

主の御名がない、人間の知恵や格言を使った言葉。そして「私は悪くない、あなたが悪い」といった主義主張の応酬は、ただ人を苦しめ、場を険悪にするだけです。正しい人でさえも切り裂き、腐らせてしまいます。何か言わなければと口を開いた途端に、彼らは険悪になり、愚かになってしまいました。

だからこそ私たちは、この口をどのように用いるべきか、聖霊様に教えていただく必要があります。私たちには限界があり、間違いを犯しますが、聖霊様には限界がなく、間違いを犯しません。私たちの唇は汚れているため、聖なる炭火で清めていただく必要があります。聖霊を通した言葉こそが、人を本当に立て上げ、癒すことができます。もし聖霊からの示しがないのなら、黙っているべきです。的外れな言葉で人を傷つけてしまうからです。

言葉を発しようとする時は、「主よ、どうかお言葉をください。この唇を清めてください。この人は傷ついています。慰め主である主よ、どのように語ればよいのか教えてください」と祈るべきです。言葉が来ないなら、黙って一緒にいてあげるだけでいいのです。

イエス様はインマヌエル、共にいます主です。私たちの痛みを見て、知っておられ、はらわたがちぎれるほどの思いで憐れんでくださるお方です。ずっと無言で一緒に居続け、寄り添い続けてくださるイエス様に私たちも倣いましょう。そして、イエス様がお言葉をかけてくださる時、それをそのまま届ける「預言者(言葉を預かる者)」であるべきです。人間の知恵による善悪の論争は、ただ人を傷つけ、争いを起こすだけです。

友人たちは、自分の知恵を誇り、大上段から相手を裁いてしまいました。それによってヨブは引き裂かれ、ついには怒り爆発して、神様にまで論争を吹きかけるようになってしまいました。あんなに立派だったヨブをそこまで追い詰めたのは、結局、人間の浅知恵だったのです。

私たちは、まことにインマヌエルなる主イエス様から御言葉をいただき、もし御言葉が来ない時は待ち、真に寄り添うべきです。皆さんがイエス様を届ける者として、この地上で豊かに用いられますように。

私たちはこれまで、浅知恵で焦って何か言葉をかけなければと思い、多くの人を傷つけてきました。そのことを悔い改め、主によって唇を清めていただきましょう。

自分に不本意なことが起きたとしても、それがイエス様の許しのもとで起きているのなら、「なぜこんなことが起きるのだろう」という愚かな問いに走るのではなく、口をちりにつけ(へりくだり)、「主よ、このことから私を解放してください」と祈るべきです。

目の前にある人の姿を見て、自分より劣っていると見下したり、逆に優れているからといって卑下したりする、そんな私たちの腐った価値観を捨てる必要があります。目の前の現実に振り回されるのではなく、奥まった部屋に入り、イエス様と出会うまでそこから出ずに祈り続けることが大切です。どんなに親しい人であっても、鼻で息をする者(人間にすぎない者)に頼ったり、向き合って評価したりしてはいけません。

もし愛する者がひどい目に遭っているなら、私たちが語るべき言葉はただ「主よ、憐れんでください」だけです。人を評価してはいけません。自分の身に起きたことに対しては口をちりにつけ、人の前に行って人をじっと見るのではなく、ただ「イエス様、助けてください」と祈り続けること。これが、私たちがヨブ記から学ぶべき、苦難に直面した際の立ち振る舞いなのです。

【結論】

苦しんでいる人に対して、私たちは自分の知恵や正論で相手を裁いたり、焦って言葉をかけたりするべきではありません。共に泣き、黙って寄り添うことが最大の慰めとなります。常に聖霊によって唇を清められ、人間の浅知恵や評価を手放し、ただ主に祈り頼りながら、イエス様の愛と御言葉を届ける者となるべきです。

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