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裏切った花嫁と、最初の契りをずっと誠実に守り続けておられた主(エゼキエル16:1-43)
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- pastor 2016-10-4 11:00
天の議会に連ならなかった偽預言者たち(1列王記22:15-28)
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ミカヤを呼びに行った使者は、彼に「預言者たちは一致して王に良い事を言いました。どうぞ、あなたも、彼らのひとりの言葉のようにして、良い事を言ってください。」と言ったが、ミカヤは「主は生きておられます。主がわたしに言われる事を申しましょう。」と言った。
『彼が王の所へ行くと、王は彼に言った、「ミカヤよ、われわれはラモテ・ギレアデに戦いに行くべきでしょうか、あるいは控えるべきでしょうか」。彼は王に言った、「上っていって勝利を得なさい。主はそれを王の手にわたされるでしょう」。』(1列王記22:15)
アハブは、戦いに行くべきか、控えるべきかを聞いてきたのに対し、ミカヤは、他の預言者達と同様、「行きなさい」言った。
しかし、どうもそれは真剣味に欠けたような、むしろ蔑みを含んだ口調や表情で言ったものと思われる。
なぜならアハブは、ミカヤに次のように答えるからだ。
『幾たびあなたを誓わせたら、あなたは主の名をもって、ただ真実のみをわたしに告げるでしょうか。』(1列王記22:16)
アハブは、ミカヤに言った。あなたは主の名をもって、ただ真実のみを告げよ、と。
それでミカヤは、彼の望む通り、主の御名をもって真実を告げた。
『彼は言った、「わたしはイスラエルが皆、牧者のない羊のように、山に散っているのを見ました。すると主は『これらの者は飼主がいない。彼らをそれぞれ安らかに、その家に帰らせよ』と言われました」。』(1列王記22:17)
ミカヤは、主から見せられた。
イスラエルは、牧者がいない羊のように迷わされ、散らされている有様を。
主は、神の民が散らされている様を見て、深くうめき、憐れまれる主である。
『イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた。』(マタイ9:35-36)
ここの「深くあわれまれた」のギリシア語は「スプランキニゾマイ」、原意は「はらわたがちぎれる思い」で、心の痛みを伴って「ああ、かわいそうに!」と叫ぶ時の思いである。
主は、人々が羊飼いがいないような有様で弱り果てて倒れている様を、そのような思いでご覧になられる。
しかしアハブには、そんな主のうめきは届かなかったようだ。
『イスラエルの王はヨシャパテに言った、「彼がわたしについて良い事を預言せず、ただ悪い事だけを預言すると、あなたに告げたではありませんか」。』(1列王記22:18)
彼は、自分がイスラエルの良き羊飼いである、とでも思い込んでいたのかもしれない。
しかし、主のイスラエルに対する評価は「羊飼いがいない」であり、アハブは、自分を差し置いて羊飼いがいないなどと言うのは、心外だ、と思ったかもしれない。
さらにミカヤは、主から示された事を詳しく告げる。
『ミカヤは言った、「それゆえ主の言葉を聞きなさい。わたしは主がその玉座にすわり、天の万軍がそのかたわらに、右左に立っているのを見たが、主は『だれがアハブをいざなってラモテ・ギレアデに上らせ、彼を倒れさせるであろうか』と言われました。するとひとりはこの事を言い、ひとりはほかの事を言いました。その時一つの霊が進み出て、主の前に立ち、『わたしが彼をいざないましょう』と言いました。
主は『どのような方法でするのか』と言われたので、彼は『わたしが出て行って、偽りを言う霊となって、すべての預言者の口に宿りましょう』と言いました。そこで主は『おまえは彼をいざなって、それを成し遂げるであろう。出て行って、そうしなさい』と言われました。それで主は偽りを言う霊をあなたのすべての預言者の口に入れ、また主はあなたの身に起る災を告げられたのです」。』(1列王記22:19-23)
ミカヤは、天における会議の情景を見せられた。
そう、天では会議が開かれ、そこには御使達いが参加し、時にはサタンさえも参加して、彼ら全員は主が御心を実行するために用いられるのだ。(ヨブ記1-2章)
エレミヤ書にも、偽預言者に対する警告の中に、天の議会についての言及がある。
『万軍の主はこう言われる、「あなたがたに預言する預言者の言葉を聞いてはならない。彼らはあなたがたに、むなしい望みをいだかせ、主の口から出たのでない、自分の心の黙示を語るのである。彼らは主の言葉を軽んじる者に向かって絶えず、『あなたがたは平安を得る』と言い、また自分の強情な心にしたがって歩むすべての人に向かって、『あなたがたに災はこない』と言う」。』(エレミヤ23:16-17)
ここはまさに、アハブと、アハブを取り巻く預言者達にそのまま当てはまる事である。
『彼らのうちだれか主の議会に立って、その言葉を見聞きした者があろうか。だれか耳を傾けてその言葉を聞いた者があろうか。見よ、主の暴風がくる。憤りと、つむじ風が出て、悪人のこうべをうつ。主の怒りは、み心に思い定められたことを/なし遂げられるまで退くことはない。末の日にあなたがたはそれを明らかに悟る。
預言者たちはわたしがつかわさなかったのに、彼らは走った。わたしが、彼らに告げなかったのに、彼らは預言した。もし彼らがわたしの議会に立ったのであれば、わたしの民にわが言葉を告げ示して、その悪い道と悪い行いから、離れさせたであろうに。』(エレミヤ23:18-22)
ここも、今回のアハブと偽預言者の事が、そして、天の議会についての言及が記されている。
ミカヤは、主の議会でやり取り為された内容を主に示され、災いが来る事を預言した。しかし、主の議会に連なりもしなかった他の預言者達は、ただ、アハブ王の耳に心地良い事ばかりを告げた。
驚く事に、ミカヤが見た天の議会の議題は、アハブを倒れさせるために如何にすれば良いか、という事であり、主はその内容を、全部アハブに公開している。
一体、作戦会議で、会議の内容を敵に明かす者はいるだろうか。
しかし主は、その内容を堂々とミカヤを通して公開したのだ。
しかしアハブも、その取り巻きの預言者達も、このミカヤに与えられた内容を、「失礼な戯言」として受け取った。
『するとケナアナの子ゼデキヤは近寄って、ミカヤのほおを打って言った、「どのようにして主の霊がわたしを離れて、あなたに語りましたか」。ミカヤは言った、「あなたが奥の間にはいって身を隠すその日に、わかるでしょう」。』(1列王記22:24-25)
真理を伝える預言者は、迫害を受けるものである。
しかし、偽預言者は、自分が発した言葉に責任を持たず、都合が悪くなるとすぐ逃げるものである。
ゼデキヤは、鉄の角まで作って預言しアピールした事とは全く逆の事をミカヤが言ったので、彼を殴った。
もしゼデキヤが、主の言葉をそのまま伝えるなら、反する事を言われたとしも、ゼデキヤが侮辱されたのではないから、何も殴る必要は無いはずである。実際、ミカヤは憤慨しなかった。
結局、ゼデキヤがミカヤを殴った行為は、彼は、主から受けた事を語ったのではなく、ゼデキヤ自身から出たアイデアをアピールしていたのだという事を表している。
『イスラエルの王は言った、「ミカヤを捕え、町のつかさアモンと、王の子ヨアシの所へ引いて帰って、言いなさい、『王がこう言います、この者を獄屋に入れ、わずかのパンと水をもって彼を養い、わたしが勝利を得て帰ってくるのを待て』」。ミカヤは言った、「もしあなたが勝利を得て帰ってこられるならば、主がわたしによって語られなかったのです」。また彼は言った、「あなたがた、すべての民よ、聞きなさい」。』(1列王記22:26-28)
こうしてミカヤは、わずかな食料でかろうじて生かされる形で、幽閉されることとなってしまう。
しかし、ミカヤが正しかったと証明される日は、それ程遠くない。
今、この時代、偽預言者や反キリストが世に出てきており、できれば、聖徒をも惑わそうと狙っている事を、私達は知るべきである。(1ヨハネ2:18)
反キリストの霊の見分け方は、父と御子を否定する者(1ヨハネ2:22)、人となって来られたキリストを告白しない霊だ。(1ヨハネ4:1-4、2ヨハネ2:7)
私達はこの終わりの時代、忍耐と、あかしのことばによって、それらに勝利するのだ。
忍耐し、主のあかしを保つなら、この世にどのような試練の時代が来ようとも、その人は主に守られ、偽預言者達は、思い知らされるのだ。
『見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくて、偽る者たちに、こうしよう。見よ、彼らがあなたの足もとにきて平伏するようにし、そして、わたしがあなたを愛していることを、彼らに知らせよう。
忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。』(黙示録3:8-10)
愛の故に肉を裂き血潮を流して下さったイエス様(黙示録21:1-4)
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週報/メッセージ(説教)概要
普段の主日は聖書人物から、最近はダビデからメッセージを頂いているが、本日聖餐礼拝は、特に、主イエス様がなぜ天から降りて来られ、十字架で死に、復活して下さったのか、その基本を今一度学びたい。
イエス様は何故、十字架でいのちを投げ出されたか。それは私達が犯してしまった罪の結実である「死」の負債を、私達に代わって支払うため、そして私達人間が、キリストに代わって永遠のいのちを得るためだ。
それは一方的な恵みであり、ただ私達を愛する愛の故である。主はなぜこれ程、私達を愛されるのか。
それは、神が男と女とを創造され、結婚を制定された所の聖書の箇所から、垣間見る事が出来る。
神は人を、ご自身のかたちに創造され、男と女とに創造された。この世界の全ての物事は、天にある実体の写しであるが(ヘブル8:5)、男と女、夫と妻の有様も、「キリストと教会」という実体の写しである。
男はなぜ、女を愛するものなのか。それは、男と女とは元々、「一つ肉」だったからである。
『「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」。それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体(一つ肉)となるのである。』(創世記2:23-24)
この奥義は偉大である。主はご自分を愛し従う人達、すなわち教会を、キリストの花嫁として定められた。
教会はキリストの花嫁である。神が定められた結婚は、一夫多妻制ではなく「ふたりは一体となる」(エペソ5:31)であるが、では、多数いる私達と、キリストとの関係は、どういう関係なのか。
キリストの元の「一つ体」は、十字架上で裂かれた。その裂かれたキリストのからだに与るように、聖餐が制定された。『わたしたちが祝福する祝福の杯、それはキリストの血にあずかることではないか。わたしたちがさくパン、それはキリストのからだに与ることではないか。パンが一つであるから、わたしたちは多くいても、一つのからだなのである。みんなの者が一つのパンを共にいただくからである。』(1コリント10:16-17)
私達一人一人はおのおの、キリストのからだの各器官である、と書いてある。(1コリント12:27)
つまり、キリストを受け入れた人々が、キリストの裂かれた肉である聖餐のパンに共にあずかる事によって、各々がキリストの一つからだである教会に組み入れられ、キリストと一つとなるのだ。
私達がキリストと「一つからだ」になるからには、キリストは、自分のからだを愛するように私達を愛して下さる。
誰も自分のからだを憎んだ者はいない。かえって、これを養い育てる。キリストは教会をそうされたのだ。
この事が記されているエペソ5章には、妻と夫に対する命令が書いてあるが、その実体は「キリストと教会」である。 『キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられた・・・キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。』(エペソ5:25-27)
花婿は花嫁を愛し、きれいにし、飾るように、キリストもまた、罪で汚れた私達を洗い清めるために、ご自身のいのちを投げ出され、ご自身の血をもって私達を洗い清め、あらゆる良きもので飾って下さる。
結婚の本質は、「花婿なるキリスト」と、「花嫁である教会」の結婚である。それ故、聖書の最初に結婚が定められ(創世記)、そして聖書は、キリストと教会(新エルサレム)の結婚で終わる。(黙示録)
人は元々、万物の源なる御子キリストの結婚する相手として創られていたにもかかわらず、人は御言葉に逆らい、神に反逆し、罪と死が導入されてしまった。本当なら、花嫁から除外され、捨てられても仕方ない存在となってしまったにもかかわらず、神は人を捨てる事なく、いのちを投げ出してでも救おうとされた。
主は、罪に陥って死ぬ以外に無いような私達を血潮で洗い、贖いの衣で包み、「生きよ」と言って下さった。
『わたしは着物のすそであなたをおおい、あなたの裸をかくし、そしてあなたに誓い、あなたと契約を結んだ。そしてあなたはわたしのものとなったと、主なる神は言われる。そこでわたしは水であなたを洗い、あなたの血を洗い落して油を塗り、縫い取りした着物を着せ、皮のくつをはかせ、細布をかぶらせ、絹のきれであなたをおおった。』(エゼキエル16:8-10) 主は私たちを愛する故、生かすために、ご自身の血潮をもって私達の罪を洗い清め、贖いの衣の中に入れられた。私達は御腕の中に包まれ、愛される者となった。
主は、買い戻しの権利者であり、聖なる衣のすそを広げ、この卑しい者を覆って下さった。私達はその主の一方的な愛に、ただただひれ伏して感謝するのみである。
人の言葉や行動にいちいち心を留めてはならない理由(伝道者の書7:21-25)
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- pastor 2016-9-30 23:50
まだ見ぬ、しかし、同じいのちを得た愛する聖徒達への祈り(コロサイ1:1-12)
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- 執筆 :
- pastor 2016-9-28 23:20
偽預言者と真の預言者の違いと特徴(1列王記22:10-14)
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『さてイスラエルの王およびユダの王ヨシャパテは王の服を着て、サマリヤの門の入口の広場に、おのおのその王座にすわり、預言者たちは皆その前で預言していた。ケナアナの子ゼデキヤは鉄の角を造って言った、「主はこう仰せられます、『あなたはこれらの角をもってスリヤびとを突いて彼らを滅ぼしなさい』」。預言者たちは皆そのように預言して言った、「ラモテ・ギレアデに上っていって勝利を得なさい。主はそれを王の手にわたされるでしょう」。』(1列王記22:10-12)
アハブが召し出した400人ほどの預言者達は、皆が皆、主エホバの名をかたって、勝利の預言をした。
しかもゼデキヤという預言者は、鉄の角までこしらえて、勝利のパフォーマンスをした。
アハブはさぞかし気分が良かっただろうが、その実はどうだったか。
アハブがこの戦いに行った結果、アハブは戦いに負け、そして命を落とす事になる。
彼らは、主エホバの御名を用い、勝利の「預言」してはいるが、それは真実ではない。
このような預言は「偽預言」というが、なぜ偽預言者が現れるのか。
そして偽預言には、どんな特徴があるのか。
偽預言の特徴は、やたら「平安」を乱発し、耳ざわりの良い、人受けし易い言葉を多様する事だ。
『万軍の主はこう言われる、「あなたがたに預言する預言者の言葉を聞いてはならない。彼らはあなたがたに、むなしい望みをいだかせ、主の口から出たのでない、自分の心の黙示を語るのである。彼らは主の言葉を軽んじる者に向かって絶えず、『あなたがたは平安を得る』と言い、また自分の強情な心にしたがって歩むすべての人に向かって、『あなたがたに災はこない』と言う」。』(エレミヤ23:16)
偽預言者の目的は、自分の思いついた言葉に、主の御名を付けることによって権威付けし、自分に注目を集めさせ、自分が利益を得る事である。
アハブの所にいた400人は、アハブから利益を得たいがために、大勢で彼に取り巻き、耳障りの良い事を言って、彼を気分良くさせ、そうしてアハブから食い扶持を得ているのだ。
だから偽預言者は、ゼデキヤのように鉄の角を造ったり、剣で傷つけ合いながら踊り狂ったり、そういった派手なパフォーマンスをよくするのだ。
それはちょうど、ホステスに大金をつぎ込む男性と、ホステスとの関係に、良く似ている。
偽預言を囲う側は「自分を持ち上げてもらいたい」「心地良い言葉をもらいたい」という心がある故に、また、偽預言者の側は、お金や食を得たいが為に、需要供給関係が成り立ち、相ともに集まるのだが、そこには、真実も主を敬う心も何も無い。
まさに、パウロがテモテに警告している通りである。
『人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。』(2テモテ4:3-4)
私達は、知るべきである。
聖書の預言は、耳に心地良い預言よりも、耳に痛い預言のほうが圧倒的に多い事を。
また、預言者たる者は、人受けするよりも煙たがられる事のほうが多く、もてはやされる事よりも、迫害される事のほうが多い事を。
そして預言者達は、世の富や栄誉には一切見向きせず、ただ、主の御心が正しく成就する事を望み、たとえ自分が語る事によって、不利益が被ろうとも、たとえ殺されてしまう事になろうとも、それでも、主の真実を語らざるを得ない、のである。
『さてミカヤを呼びにいった使者は彼に言った、「預言者たちは”一致して(一つの口で)”王に良い事を言いました。どうぞ、あなたも、彼らのひとりの言葉のようにして、良い事を言ってください」。』(1列王記22:13)
ようするに、彼ら「預言者の取り巻き」の第一目的は、神の言葉を正しく取り次ぐ事ではなく、アハブ王の喜ぶ言葉を言って気分を良くしてあげる事だ。
現代の預言者に相当する牧師達・教師達は、気をつけるべきである。
人受けする言葉やパフォーマンスを駆使して人の気を引こうとしたり、人に媚びても神を恐れないような者に堕する事が無いように。
この時、彼らは”一致して(一つの口で)”王に良い事を言っているが、実はこれは、主の許された事であった。
主はなぜ、このような事が許可されたのか。
それは今まで長らく見てきた通り、アハブは、主から何度警告されても聞かず、正しい道に立ち返らず、呪われるべき悪しき行いを改めない事を続けた故に、彼の心の赴くまま、滅びに行かせるためだ。
そして、アハブによって多大な”とばっちり”を被っている大勢のイスラエルの民をアハブから救うためである。
主は、主の警告を何度も無視する人、一向に悔い改めずに我が道を行くのが好きな人は、ついに、彼をその好きな道に行かせるようにし、そのまま滅びへ通じる道を行くに任せる。
『なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである。ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互にはずかしめて、汚すままに任せられた。彼らは神の真理を変えて虚偽とし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのである。創造者こそ永遠にほむべきものである、アァメン。』(ローマ1:21-25)
預言者ミカヤは、アハブの「預言者の取り巻き」達とは、一線を画していた。
『ミカヤは言った、「主(エホバ)は生きておられます。主(エホバ)がわたしに言われる事を申しましょう」。』(1列王記22:14)
彼はただ、「主エホバがわたしに言われる事」のみを言うと宣言した。
この姿勢こそ、正しい預言者の姿勢である。
彼は、たとえアハブが気に食わない事であっても、真実を語った。それ故、彼はアハブから嫌われてしまった。
しかし、私達も彼と同じ姿勢を貫くべきである。
パウロも勧めている。
『神のみまえと、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスのみまえで、キリストの出現とその御国とを思い、おごそかに命じる。御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。
人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。』(2テモテ4:1-5)
また、ペテロとヨハネも、指導者達・権威ある人達を前に、同じ姿勢を取った。
『そこで、ふたりを呼び入れて、イエスの名によって語ることも説くことも、いっさい相成らぬと言いわたした。ペテロとヨハネとは、これに対して言った、「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい。わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない」。』(使徒4:18-21
この終わりの時代、クリスチャン達の中から、健全な教えから離れ、互いに気持ち良くする事を言ったり、言ってもらったりしながら、真理からますます逸れていく人々が、多く出てくる事は言われている。
そのような仲間に加わる事がないように、むしろ、真理の御言葉をまっすぐに語り、きよい器として主に用いられて行く皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!
聖徒の交わり - 互いの重荷を負い合い、全て良いものを分け合う事(ガラテヤ6:1-10)
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- 執筆 :
- pastor 2016-9-27 10:20





