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イザヤ書 講解説教メッセージ
いにしえの昔から私達の事を分かりきっておられた主(イザヤ44:1-8)
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髪の毛一筋さえ損なわれる事なく守られる信仰者たち(ダニエル3:13-30)
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世の価値観と神の価値観が相対する時(1列王記21:1-16)
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なぜアハブはイスラエル最悪の王と評されるのか。
その主な原因は、誰に対しても「イエス」と答えるけれど「ノー」を言えない、どっちつかずの性質ゆえであるが、そればかりでない。
彼は主から、見合わないほどの憐れみと助けを、何度も頂いておきながら、その時その時で「ラッキー」で終わらせ、学ぶ所が無く、主に恩を報いようとも、誠実に歩んで行こうともしない「恩知らず」であり、それでいて、主から叱責と警告をもらったら不機嫌になってふさぎ込む。
そのように、恩知らずでいい所どりの信仰、行き当たりばったりの信仰の彼であるが、その性質は21章において、ますますはっきりする。

『さてエズレルびとナボテはエズレルにぶどう畑をもっていたが、サマリヤの王アハブの宮殿のかたわらにあったので、アハブはナボテに言った、「あなたのぶどう畑はわたしの家の近くにあるので、わたしに譲って青物畑にさせてください。その代り、わたしはそれよりも良いぶどう畑をあなたにあげましょう。もしお望みならば、その価を金でさしあげましょう」。ナボテはアハブに言った、「わたしは先祖の嗣業をあなたに譲ることを断じて(主エホバにあって)いたしません」。』(1列王記21:1-3)
アハブは一見、何の変哲もない不動産売買を持ちかけているようである。
しかもアハブは、ナボテという平民に、好条件と気遣いを示したのに、それをナボテは断った。

ナボテのほうが不親切で偏屈者に見えるが、実は、御言葉に照らすなら、アハブのほうが悪く、ナボテのほうが正しい。
世の中の常識では、Aのほうが良くてBのほうが悪い、と見える事柄でも、実は神の国においては、Aのほうが悪くBのほうが正しかった、というような事は多々ある。
今回もまた、そうである。

御言葉には、次のように書いてある。
『地は永代には売ってはならない。地はわたしのものだからである。あなたがたはわたしと共にいる寄留者、また旅びとである。』(レビ記25:23)
『君たる者はその民の嗣業を取って、その財産を継がせないようにしてはならない。彼はただ、自分の財産のうちから、その子らにその嗣業を、与えなければならない。これはわが民のひとりでも、その財産を失わないためである。』(エゼキエル46:18)
ナボテは、主エホバの御名によって、アハブの申し出を拒否した。
彼は主エホバへの熱心ゆえに、主に対し悪を行なってばかりいるアハブが気に食わなかったという事も、あったかもしれない。
ともかく、御言葉に照らすなら、ナボテのほうが御言葉に適う事をしたのであり、アハブは違った事を行なったのは事実である。

『アハブはエズレルびとナボテが言った言葉を聞いて、悲しみ、かつ怒って家にはいった。ナボテが「わたしは先祖の嗣業をあなたに譲りません」と言ったからである。アハブは床に伏し、顔をそむけて食事をしなかった。』(1列王記21:3-4)
アハブはナボテを王に逆らった科でいきなり死刑にする事はせず、悲しみ怒って、ふて寝した。
もしナボテが、超独裁国に生まれていたなら、すぐに殺され、財産没収されていた事だろうが、それに比べるならアハブは、まだましなようにも見える。
そこをもってしても、なぜ彼は「最悪な王」と評されているのか。
その疑問を持ち、なぜなのかを考え、御言葉から調べる習慣こそ、私達が霊的成長する上で非常に大事である。

『妻イゼベルは彼の所にきて、言った、「あなたは何をそんなに悲しんで、食事をなさらないのですか」。彼は彼女に言った、「わたしはエズレルびとナボテに『あなたのぶどう畑を金で譲ってください。もし望むならば、その代りに、ほかのぶどう畑をあげよう』と言ったが、彼は答えて『わたしはぶどう畑を譲りません』と言ったからだ」。妻イゼベルは彼に言った、「あなたが今イスラエルを治めているのですか。起きて食事をし、元気を出してください。わたしがエズレルびとナボテのぶどう畑をあなたにあげます」。
彼女はアハブの名で手紙を書き、彼の印をおして、ナボテと同じように、その町に住んでいる長老たちと身分の尊い人々に、その手紙を送った。彼女はその手紙に書きしるした、「断食を布告して、ナボテを民のうちの高い所にすわらせ、またふたりのよこしまな者を彼の前にすわらせ、そして彼を訴えて、『あなたは神と王とをのろった』と言わせなさい。こうして彼を引き出し、石で撃ち殺しなさい」。』(1列王記21:5-9)

権威のある者が、気に食わない無実の人に濡衣を着せ、抹殺し、その財産を取り上げる事は、確かに邪悪であるが、この世では珍しくはないように思えるかもしれない。
しかし十戒に書いてある。
偶像礼拝してはならない、主の御名をみだりに唱えてはならない、殺してはならない、姦淫してはならない、盗んではならない、隣人について偽証してはならない、隣人のものを欲しがってはならない、と。
イゼベルの行おうとする事は、それら全てを破る事であるが、アハブは自分が欲しいものを手に入れられるなら、手段が邪悪であっても、御言葉に背いていても、目をつぶろう、と、権威の実印を彼女にわたしてしまう。

本来、神の民であるなら、御言葉に反する事を勧められた来た時には、「御言葉にこう書いてある」と言って、きっぱり退けるべきだが、アハブは、イゼベルという女をなすがままにした。
『あなたは、あのイゼベルという女を、そのなすがままにさせている。この女は女預言者と自称し、わたしの僕たちを教え、惑わして、不品行をさせ、偶像にささげたものを食べさせている。わたしは、この女に悔い改めるおりを与えたが、悔い改めてその不品行をやめようとはしない。見よ、わたしはこの女を病の床に投げ入れる。この女と姦淫する者をも、悔い改めて彼女のわざから離れなければ、大きな患難の中に投げ入れる。』(黙示録2:20-22)
私達は、神の民を惑わすイゼベルを、なすがままにさせたり、ましてや、大切な実印を邪悪な者に明け渡してはならない。
イゼベルがアハブの印鑑を用いて成した事は、世の中では珍しくなくても、神の国では邪悪な事だった。

『その町の人々、すなわち、その町に住んでいる長老たちおよび身分の尊い人々は、イゼベルが言いつかわしたようにした。彼女が彼らに送った手紙に書きしるされていたように、彼らは断食を布告して、ナボテを民のうちの高い所にすわらせた。そしてふたりのよこしまな者がはいってきて、その前にすわり、そのよこしまな者たちが民の前でナボテを訴えて、「ナボテは神と王とをのろった」と言った。そこで人々は彼を町の外に引き出し、石で撃ち殺した。』(1列王記21:11-13)
彼らは、二人以上の証人の証言とか(申命記17:6)、断食を布告するとか、一見聖書的な事を言ってはいるが、結局、彼らがした事は偽証であり、殺人である。
彼らは、二人のよこしまな者を連れてきて、偽りの証言をさせ、ナボテを死刑にしたが、それも明らかに律法に反している事である。

彼らはなまじ御言葉を知っている故に、知らないで犯す罪より、重い。
申命記19章に書いてある。偽りの証人を立てて相手を陥れる事が発覚した場合、手には手、歯には歯、いのちにはいのちで返さなくてはならない、と。
そして彼らは、それに従って裁かれてしまう事になる

アハブは思うかもしれない。
自分は邪悪な心は持っていませんでした、むしろナボテに親切にしました、自分は善良です、と。
しかし、この世の契約ごとにおいても、もし第三者に印鑑を託したなら、彼がその印鑑を用いて為した事、イコール本人の意思決定と見做され、責任がつきまとうのと同じように、アハブがイゼベルに印を渡して委託したのなら、イゼベルがした事は、アハブ本人自身がした事となる。
これは、私達についても全く同じであり、もし私達が、主を知らない者にアドバイスされた通り実行したり、その者に自分の支配権や行動権を託したりするなら、その者の邪悪な価値観に基いて受けるべきさばきを負ってしまう。

こうして、ナボテという義人は、殺された。
義人の血が流されるなら、その血はその土地から主に向かって叫ぶ。
そしてその土地は、血を流した者に対して「不作」を返し、その者は、働いても種を蒔いても実りが無く、呪われた者となってしまう。(創世記4章)
無実ゆえに流されてきた血は、決して虚しく消える事は無い。
その血は主の御前で叫ぶ。主はその人達のたましいに安息を与えられ、そして主の時が来た時、血を流した者達は必ず、その血を飲まされる事となる。(黙示録6:9-11,16:6)

『イゼベルはナボテが石で撃ち殺されたのを聞くとすぐ、アハブに言った、「立って、あのエズレルびとナボテが、あなたに金で譲ることを拒んだぶどう畑を取りなさい。ナボテは生きていません。死んだのです」。アハブはナボテの死んだのを聞くとすぐ、立って、エズレルびとナボテのぶどう畑を取るために、そこへ下っていった。』(1列王記21:15)
こうしてアハブとイゼベルは、せっかく主の憐れみが示されて、悔い改めるべき時期が与えられていたのに、それを無視し、あたかも主がいないかのように、何をしても許されるかのようにふるまい、しまいには、偽証をして無実の血を流し、その持ち物を奪った。
このような、主を敬わない態度を取り続ける者には、やがて滅びが追いついてしまう。

私達は、この世の常識や慣習と神の国の真理との間で、板挟みになる事はある。
しかしその都度、私達御言葉に従う道を選択し、歩んで行くべきである。

聖霊によって軍事力から守られる聖徒達(1サムエル記19:18-24)
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賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画
賛美集会音声
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週報/メッセージ(説教)概要

 私たちのこの地上での日々には、苦難があるが、それら全ては全能なる主のコントロールの下にある。
主がそれらを許されるのは、それらを通して私達を練り、鍛え、ちょうど良い時に高めて下さるためだ。
今日もダビデが歩んだ苦難の日々から、主はいかに主を頼る人達を守って下さるかを、見ていきたい。

サウルに追われ、自分の家さえ安全でなくなってしまったダビデが最初に逃げた先は、彼に油を注いだ預言者・サムエルの所だった。ダビデはサウルが自分にした全ての事を彼に告げると、彼らはナヨテに行って住んだ。「ナヨテ」はヘブル語で「住居」、アラム語訳では「教えの家」を意味し、預言者学校という語も、ここから出たらしい。そこには、預言者としての訓練を、サムエルから受けている人々の群れがあった。
預言者学校ではどんな訓練が為されていたのだろう。そこでは日々、主に心を向け、色々な楽器を用いて主をほめ讃えつつ、御言葉を宣言する集会が開かれていたと思われる。なぜなら「預言」は、その漢字の通り、神の言葉を預かって宣言する事であり、また、賛美と預言とは、密接な関係があるからだ。(10:5)
ダビデは暫くそこで養いを受けていたが、サウルはそれを聞きつけ、そこにも追手が迫る。(19-20)
サウルは、思ったかも知れない。ダビデの周りには、預言を学ぶ生徒達がいるだけで、鍛えた体と武器を持った追手を邪魔する者はいない、簡単に捕らえられるだろう、と。しかし、知るべきだ。聖徒達に賛美されるお方は、天地万物を創られた万軍の主。ダビデを囲んでいるのは、軍隊よりも遥かに強力な聖霊だ。
後のエリシャの時代、預言者学校の一人の生徒が、朝早く起きてみると、シリヤの軍隊に囲まれていた。
シリヤがイスラエルに戦いを仕掛けようと策略を巡らしても、預言者エリシャによってことごとく見破られ、先手を打たれる事が続いたので、怒ったシリヤの王は軍隊を差し向け、エリシャ達を滅ぼうそうとしたのだ。
『その若者はエリシャに言った、「ああ、わが主よ、わたしたちはどうしましょうか」。エリシャは言った、「恐れることはない。われわれと共にいる者は彼らと共にいる者よりも多いのだから」。そしてエリシャが祈って「主よ、どうぞ、彼の目を開いて見させてください」と言うと、主はその若者の目を開かれたので、彼が見ると、火の馬と火の戦車が山に満ちてエリシャのまわりにあった。』(2列王記6:15-17)
「主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。」とは、ダビデが後に詠んだ詩であるが(詩篇34:7)、ダビデは、この預言者学校で守られている時、それを知ったのだろう。

ダビデを捕える使者達が来た時、ちょうどサムエルがリードする預言の集会の最中で、聖徒達はそれぞれ主をほめたたえ、祈り、御言葉を宣言し、あるいは語られる御言葉に耳を傾けていた。「その時、神の霊はサウルの使者たちにも臨んで、彼らもまた預言した。」(20-21)
実にユニークな守られ方である。サウルから遣わされた捕り手達は主の霊に臨まれ、預言し、そしてダビデを捕らえる事を止めたのだ。実際にそのような事は、ある。コロンビアのある教会で、悪霊に憑かれた人が入ってきて刃物を出し、牧師を刺そうとするのだが、人々が祈ると彼は何も出来なくなり、その場で倒れた。
主の霊が満ち溢れる聖なる所では、悪しき者は活動する事が出来なくなるのだ。
この事は、サウルに対する主の明らかな警告である。主はダビデの側についている、サウルのダビデを殺そうとする企みは、完全に御心に反する事だ、サウルはそれを知ってそれをやめ、悔い改めよ、と。
サウルはそれをも心に留めず、再三、捕り手を遣わした挙句、最後にはサウル自らダビデを捕らえに行く。
しかしなんと、サウルにさえも神の霊が臨み、サムエルの前で預言し、王服を脱いで裸で倒れ伏していた。
イスラエルの間では「サウルもまた預言者たちのうちにいるのか」というい言葉が、ことわざのように言い交された(23-24)。人々は本当に驚いただろう。聖霊充満から程遠いような人が、聖霊に満たされるのだから。
しかし、やがて来る。しもべにもはしためにも主の霊が注がれ、預言する時代が。今が、その時代である。
どんなにつまらない者でも、悪どい事をしていた者でも、主イエスが語られるなら、聖霊によって主を知り、悔い改めるなら、聖霊に導かれる新しい永遠の人生が始まる。
しかしそれでも罪の道を選び、聖霊様を悲しませ続けるなら、やがて救いの道は閉ざされてしまうのだ。
こうして、またしても、サウルの企みは退けられ、ダビデは軍事力によらず、神の霊によって守られた。
私たちを守られる方は、世のあの者よりも強く、賛美は私たちの防護壁となる。いつも主を賛美し、万軍の主に守られつつ安全に歩んでいく皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
安息に入る人の性質:ピストゥス(忠実)と、ピスティス(信仰)(ヘブル3章)
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主のしもべ達は食べる。しかし、主に恩知らずの者達は飢える。(イザヤ65:8-16)
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主に聞かず、「おだて」に乗って、ほいほいと契約を進めてしまったアハブ(1列王記20:31-43)
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主に対し罪ばかり犯してきたイスラエルは、主から保護されるような要素は一切無かったというのに、ただ、主の一方的な憐れみによって、勝てる要素の全く無い戦いに二度も勝利した。
アハブは、主に感謝しても、しきれない筈であり、その後はただ主に聞き従って、何事も主に相談して歩めば良いはずだった。
しかし彼は、自分勝手な道を歩み続けてしまう。

『家来たちは彼に言った、「イスラエルの家の王たちはあわれみ深い王であると聞いています。それでわれわれの腰に荒布をつけ、くびになわをかけて、イスラエルの王の所へ行かせてください。たぶん彼はあなたの命を助けるでしょう」。そこで彼らは荒布を腰にまき、なわをくびにかけてイスラエルの王の所へ行って言った、「あなたのしもべベネハダデが『どうぞ、わたしの命を助けてください』と申しています」。アハブは言った、「彼はまだ生きているのですか。彼はわたしの兄弟です」。』(1列王記20:31-32)
アハブは、「憐れみ深い王」という言葉と、ベン・ハダデの徹底的に低くなった態度に、気を良くしたのかもしれない。
それで彼は、決定的ミスを犯してしまう。

『その人々はこれを吉兆としてすみやかに彼の言葉をうけ、「そうです。ベネハダデはあなたの兄弟です」と言ったので、彼は言った、「行って彼をつれてきなさい」。
それでベネハダデは彼の所に出てきたので、彼はこれを自分の車に乗せた。ベネハダデは彼に言った、「わたしの父が、あなたの父上から取った町々は返します。またわたしの父がサマリヤに造ったように、あなたはダマスコに、あなたのために市場を設けなさい」。アハブは言った、「わたしはこの契約をもってあなたを帰らせましょう」。こうしてアハブは彼と契約を結び、彼を帰らせた。』(1列王記20:33)

アハブは相手を「兄弟」呼ばわりし、その者を連れて来て、自分の戦車に同乗させ、契約を結び、自由にしてしまった。
しかし相手は、そんな事は決してしてはならない相手だったのだ。

今まで悪どい事を繰り返しして来た者が、痛い目にあって、表面上へりくだって来たとしても、すぐさま気を許したり、こちらの懐を見せたりしてはならない。
イエス様が言われた戒め、すなわち、もし兄弟姉妹が一日に七度罪を犯し、そして七度『悔い改めます』と言ってあなたに来るなら赦してやりなさい、と言ったのは「兄弟姉妹間の事」であり、なおかつ、相手が「悔い改めます」と言って来た場合の事である。(ルカ17:3-4)
ベン・ハダデは兄弟ではないし、自分が悪かった事を認める言葉も、もう立ち向かう事はしませんという言葉も、一切言っていない。

実際、ベン・ハダデは解き放たれた後、イスラエルに町々を返さなかったし、再び戦争状態となった。
ベン・ハダデは後に、イスラエルを包囲して兵糧攻めにし、その時、イスラエル内は、母達が自分の子を煮て食べる程の飢餓状態に陥ってしまった。(2列王記6:24-25)
ダマスコの市場を解放するとか、契約とか、全くのうそ八百である。
彼は、恩を仇で返す事に何の躊躇もない、主の目に「滅ぼされるべき者」だったのだ。

契約において、買い物において、人間関係において、よく失敗してしまう人の性質は、アハブのように、主に相談しないで、「おだて」に乗せられたなら、ほいほいと契約ごとを進めてしまう人だ。
このように、口八丁手八丁を駆使して、守りもしない約束を連発し、憐れみを受けてもそれを覚えておらず、平気で約束をひっくり返して牙をむくような者は、いつの時代でも存在する。
洞察力のある人でなければ、見抜く事は難しい。
だからこそ私達は、何事も主に伺うべきであって、即答すべきではない。
特に、重要な決断をする時や、大きな買い物をする時、大きな契約をする時などは。

それに対し、当時の南ユダ王国の王・ヨシャパテは、いつも主に伺うたしなみがあった。
アハブはその後、ベン・ハダデに戦いを仕掛けようとして、ヨシャパテ王に一緒に行くように持ちかけた時、ヨシャパテは「まず、主のことばを伺ってみてください。」と勧めた。(1列王記22:5)


『さて預言者のともがらのひとりが主の言葉に従ってその仲間に言った、「どうぞ、わたしを撃ってください」。しかしその人は撃つことを拒んだので、彼はその人に言った、「あなたは主の言葉に聞き従わないゆえ、わたしを離れて行くとすぐ、ししがあなたを殺すでしょう」。その人が彼のそばを離れて行くとすぐ、ししが彼に会って彼を殺した。』(1列王記20:35-36)
「ともがら」を打つ事には、誰でも気が引けるし、憐れみを示したくもなる。
しかし、たとえ相手がともがらであっても、ベン・ハダデであっても、あるいは、自分のかわいい子であったとしても、打たなくてはならない場合がある。
特に、「主が」打てと言われる場合は。
その主の言葉に従わず、「下手な憐れみ」を示してしまうなら、やがて相手は「しし」に変わり、こちらを食い殺しにかかって来るからだ。

『彼はまたほかの人に会って言った、「どうぞ、わたしを撃ってください」。するとその人は彼を撃ち、撃って傷つけた。こうしてその預言者は行って、道のかたわらで王を待ち、目にほうたいを当てて姿を変えていた。』(1列王記20:37-38)
彼は、自分自身に傷を負わせてでも、主の命令ゆえに、王の前に出て主の言葉を伝えなくてはならない事情があった。

『王が通り過ぎる時、王に呼ばわって言った、「しもべはいくさの中に出て行きましたが、ある軍人が、ひとりの人をわたしの所につれてきて言いました、『この人を守っていなさい。もし彼がいなくなれば、あなたの命を彼の命に代えるか、または銀一タラントを払わなければならない』。ところが、しもべはあちらこちらと忙しくしていたので、ついに彼はいなくなりました」。イスラエルの王は彼に言った、「あなたはそのとおりにさばかれなければならない。あなたが自分でそれを定めたのです」。
そこで彼が急いで目のほうたいを取り除いたので、イスラエルの王はそれが預言者のひとりであることを知った。彼は王に言った、「主はこう仰せられる、『わたしが滅ぼそうと定めた人を、あなたは自分の手から放して行かせたので、あなたの命は彼の命に代り、あなたの民は彼の民に代るであろう』と」。』(1列王記20:39-42)
主の御心は、ベン・ハダデおよびアラム(シリヤ)を、滅ぼす事だった、というのに、アハブは彼を手放し、行かせてしまった。

主から、滅ぼし尽くすように、と定められたもの、例えば、自分自身の悪い習慣や、手くせ、悪いつきあいなど、それらを手放さなず、むしろそれらを自由に解き放ち、再契約してしまうようなら、今度は、自分自身が主に滅ぼされる対象となってしまう。
サウル王もそうだった。
主から「滅ぼし尽くしなさい」と言われていたアマレクを滅ぼし尽くさず、一部を惜しんでしまった故に、彼は王位から退けられてしまった。
それでサウル王も、アハブ王も、一致した運命を辿る。
すなわち、自分が滅ぼし尽くさなかったその相手から、逆に滅ぼされてしまう、という運命だ。

『イスラエルの王は悲しみ、かつ怒って自分の家におもむき、サマリヤに帰った。』(1列王記20:43)
アハブの、主からの言葉に対する対応は、不機嫌になって、激しく怒り、自分の所に帰る、というものだった。
これは、滅びが確定してしまう者の性質である。

イスラエルで最も偉大な王・ダビデの場合は、預言者から罪が指摘された時、「わたしは罪を犯した」と言ってすみやかに悔い改め、主に赦しを乞うた。(2サムエル12章、詩篇51篇)
主はそれで、ダビデから死を免れさせて下さり、彼は死なかった。

イスラエルで最も偉大な王と最悪な王との違いは、罪を犯す・犯さないの違いではなく、神の人から罪を指摘された時、自分の非を認めて悔い改めたか、それとも、怒ってそっぽ向いたかの違いであり、その違いが、私達を偉大にもするし、最悪にもする。
聞き従う事こそ、何にも勝るいけにえである。
そして背く事は、占いの罪であり、強情は、偶像礼拝の罪である。(1サムエル記15:22-23)
主の言葉を聞いて、不機嫌になるなど、とんでもない事だ。

人は罪を犯す。間違いも犯す。何が正しい事であり、どの道を行けば良いのか分からないものである。
だからこそ、主に聞く必要があるのだ。
ダビデのように、主を愛し、いつも主に伺い、罪を指摘されたらすぐ悔い改める、この偉大な王としての性質を身につけ、偉大になっていく皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

ピリピ人への手紙 講解説教メッセージ
思い入れのあるあなた方全てに、よろしく(ピリピ4:14-23)
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イザヤ書 講解説教メッセージ
主ご自身の一方的な憐れみ赦し故に、そむきの罪はぬぐい去られる(イザヤ43:22-28)
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主の憐れみを受けたときに学ばなくてはならない事(1列王記20:22-30)
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イスラエルは本来、主から助けられるには全く値しないような、主に対して不誠実続きだったにもかかわらず、一方的に主からの恵みを受け、到底勝ち目の無いシリヤとの戦いは、勝利へと導かれた。

『時に、かの預言者がイスラエルの王のもとにきて言った、「行って、力を養い、なすべき事をよく考えなさい。来年の春にはスリヤの王が、あなたのところに攻め上ってくるからです」。』(1列王記20:22)
戦いは終わりではない、これからは主にあって何をなすべきか、主にあってどのような心構えでいるべきか、よく考えなさい、と、預言者は言う。
私達も、主に良くして頂いたなら、よく考えるべきである。
今後、自分は主に対しどのように在るべきか。主と共に、いかに歩んで行くべきかを。

いつも主の御前にどうあるべきかを、わきまえ知るために、知恵が必要である。
また、悪魔の攻撃は日々迫り来るものであり、誘惑との戦いも、ひっきりなしに来る。それに立ち向かうためにも、知恵が必要である。
知恵はいかにして見つけるべきだろうか。

知恵は、主を恐れる事から始まる。(箴言9:10)
私達には、主に対する「恐れ敬い」は、あるだろうか?
もし今、目の前に、総理大臣が来たとしたら、普段よりは身と心を引き締めるかもしれない。しかし主は、総理大臣よりもはるかに上に座しておられるお方である。
主を前にして礼拝する時、相応しい畏れ敬いは、あるだろうか?
もし、知恵を頂きたいのであれば、主に対する恐れ敬い、尊敬を、その態度で示すべきだ。

アハブは、「力を養い、なすべき事をよく考えなさい。」と言われたからには、一連の起きた出来事をよく思い返し、主は自分に何を望んでおられるのかを求めつつ、次の年の戦いに備えるべきだった。
主を待ち望む者こそ、新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができるからだ。(イザヤ40:31)

『スリヤの王の家来たちは王に言った、「彼らの神々は山の神ですから彼らがわれわれよりも強かったのです。もしわれわれが平地で戦うならば、必ず彼らよりも強いでしょう。それでこうしなさい。王たちをおのおのその地位から退かせ、総督を置いてそれに代らせなさい。またあなたが失った軍勢に等しい軍勢を集め、馬は馬、戦車は戦車をもって補いなさい。こうしてわれわれが平地で戦うならば必ず彼らよりも強いでしょう」。彼はその言葉を聞きいれて、そのようにした。』(1列王記20:23-25)
シリヤは、自分たちが敗北した戦いを分析し、作戦を練りなおした。これは肉弾戦ではなく、背後にいる神が、勝敗の鍵を握っている、と。
しかし彼らは、イスラエルの神である主を、あたかも、数多ある神々のうちの一つであるかのように見た。
彼らの着眼点は非常に良いのだが、イスラエルの神に対する認識が誤っていた。

彼らは、思っていた。
地方地方には、固有の影響力を持つ神々がいて、それぞれ、得意分野・不得意分野がある、と。
現代日本人も、多くはそう思っているかもしれないが、あいにく、イスラエルの神である主は、「沢山ある神々のうちの一つ」ではない。
全地・全宇宙を創られた全能なる神であり、人の空想の産物である「神々」を、むなしいものとされるお方である。(詩篇97:9)

『春になって、ベネハダデはスリヤびとを集めて、イスラエルと戦うために、アペクに上ってきた。イスラエルの人々は召集され、糧食を受けて彼らを迎え撃つために出かけた。イスラエルの人々はやぎの二つの小さい群れのように彼らの前に陣取ったが、スリヤびとはその地に満ちていた。』(1列王記20:26-27)
再び戦いが起きるが、やはりイスラエルは、数では勝ち目はなさそうである。
しかし、主の言葉は、あらかじめあった。

アハブは、主をわきまえ知る時間が1年与えられていた。
その間、アハブはどんな心備えをしていたのかは書かれていない。もしかすると、全くしていなかったかもしれない。
しかし、この度の戦いも、ただ主ご自身が一方的に働かれる。

『その時神の人がきて、イスラエルの王に言った、「主はこう仰せられる、『スリヤびとが、主は山の神であって、谷の神ではないと言っているから、わたしはこのすべての大軍をあなたの手にわたす。あなたは、わたしが主であることを知るようになるであろう』」。』(1列王記20:28)
神の人からのこの情報は、イスラエルは別に知っていなくても、勝負の決定には関係無かったかもしれない。
しかし、この情報は、主がどんなお方であり、人はどのように神と関係して行くべきかを知るためには非常に重要な事柄である。
すなわち、神は、山の神や海の神など、人間が限定できるようなお方ではなく、全地を治め、全ての神々を見下ろし無とされる主であり、敵が陣営の中で思い巡らすはかりごとさえ、全て知っておられるお方であるという事、そして、主を見くびる者には主は災いをもって報いられるお方である事だ。

申命記で、モーセは、似た事を言っている。
『あなたの神、主があなたの前から彼らを追い払われた後に、あなたは心のなかで『わたしが正しいから主はわたしをこの地に導き入れてこれを獲させられた』と言ってはならない。この国々の民が悪いから、主はこれをあなたの前から追い払われるのである。あなたが行ってその地を獲るのは、あなたが正しいからではなく、またあなたの心がまっすぐだからでもない。この国々の民が悪いから、あなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるのである。これは主があなたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた言葉を行われるためである。
それであなたは、あなたの神、主があなたにこの良い地を与えてこれを得させられるのは、あなたが正しいからではないことを知らなければならない。あなたは強情な民である。』(申命記9:4-6)

主はなぜ、勝ち目のない敵をイスラエルに渡され、勝利をもたらされるのか。
それは「敵が悪いため」である。
何度も繰り返して言われている事は「あの者達が悪いから」「あなたが正しいからではない」という事であり、もし、イスラエルが勝利した場合は、「自分が正しいから」「自分の知恵や力のおかげだ」などと、思ってもみてはならない。
主はむしろ、あなたがたは頑なだ、主の前に強情だ、と言われる。
ただ、この国々の民が悪いから、あなたの神、主は彼らをあなたの前からあの者共を追い払われるのである、と。

モーセの時代も、アハブの時代も、主の御前にイスラエルは、何の益も見いだせなかった。
むしろイスラエルは頑なで、主を煩わせる者達であったが、主はそんな彼らさえ、主の御名を置き、彼らの手を用いて勝利をもたらされるのだ。
だから、もし勝利がもたらされるとしたら、自分には何の誇りも無く、ただ主に栄光を捧げ、これからは主にのみ聞き従いつつ、歩むだけである。

『彼らは七日の間、互にむかいあって陣取り、七日目になって戦いを交えたが、イスラエルの人々は一日にスリヤびとの歩兵十万人を殺した。そのほかの者はアペクの町に逃げこんだが、城壁がくずれて、その残った二万七千人の上に倒れた。ベネハダデは逃げて町に入り、奥の間にはいった。』(1列王記20:29-30)
こうして、やぎの群れのようだったイスラエルは、十万もの相手を打ち破った。
さらには、城壁が崩れて二万七千人を打ったのは、まさに主ご自身だ。
主はこの度も、大勝利を与えて下さった。

これで、イスラエルはわきまえ知るべきだった。
自分はただ、主により頼んでいれば良いのだ、と。

しかしアハブは、残念ながら、主を知ろうという意欲がなかった。

私達は、何にもまして、知恵を得ることを求めるべきである
『それを忘れることなく、またわが口の言葉にそむいてはならない、知恵を得よ、悟りを得よ。知恵を捨てるな、それはあなたを守る。それを愛せよ、それはあなたを保つ。』(箴言4:5-6)
『あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。ただ、疑わないで、信仰をもって願い求めなさい。疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている。そういう人は、主から何かをいただけるもののように思うべきではない。そんな人間は、二心の者であって、そのすべての行動に安定がない。』(ヤコブ1:5-8)

とがめる事なく豊かに知恵を与えて下さる主に、求め、豊かに与えられ、主の栄光と共に歩む皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

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