メッセージ - 最新エントリー

信仰が完成する瞬間とは(創世記17章)
Youtube動画
メッセージ音声

イザヤ書 講解説教メッセージ
口を閉ざしているなら敵はどんどん罠にはまって行く(イザヤ36:13-22)
Youtube動画
メッセージ音声

エペソ人への手紙 講解説教メッセージ
格闘の相手は血肉に対するものではなく(エペソ6:10-12)
Youtube動画
メッセージ音声

天権授与式(黙示録5:6-14)
Youtube動画
メッセージ音声

『わたしはまた、御座と四つの生き物との間、長老たちの間に、ほふられたとみえる小羊が立っているのを見た。それに七つの角と七つの目とがあった。これらの目は、全世界につかわされた、神の七つの霊である。』(黙示録5:6)
なぜ「ほふられた」小羊が「立つ」事ができるのか。それは、よみがえって、生きているからだ。
この小羊は、一切の罪や汚れの無い、世の罪を取り除く神の小羊であり(ヨハネ1章)、七つの目すなわち七つの霊によって、全世界の物事をくまなく見ておられる。
神の霊は、私達の立つのも伏すのも見ておられ、心の内も、私達の出生も生い立ちも、全部探り尽くしておられる。(詩篇139篇)

彼がここで立っている「立ち位置」は重要だ。
そこは、御座と長老たちの間、すなわち、神と人との間である。
彼はひと度、完全なるいけにえとなって、十字架上でほふられ、なだめのそなえものとして神に捧げられた。
だからこそ神はなだめられ、彼の後ろにつく全ての人々は、神との間に和解が成立しているのだ。
このまことの小羊キリストを自分自身の救い主とし、神と自分との間に彼を置く人はすべて、彼の故に神との間に和解が成立し、神の子とされ、天国の民とされるのだ。
人は本来、天国という聖なる、あまりにも素晴らしい所に到底入る事のできない、入ってはならない、罪を犯した存在だ。それなのに、入ることができている。
だから天国に入った全ての人は、いや、人間のみならず、全被造物は、ほふられてなだめの供え物となって下さった小羊に感謝してもし尽くせず、賛美してもし尽くせないのだ。

『小羊は進み出て、御座にいますかたの右の手から、巻物を「受けとった(ランバノー)」。』(黙示録5:7)
ランバノーの意味は、「受ける」「引き継ぐ」などの意味もある。
この場面は、ほふられた小羊が、全能の父なる神から全ての権威が委譲された「天権授与式」とも言える。
彼は、全宇宙・全被造物に対してとても重要な、その巻物を受け取る事によって、全能なる神の権威を行使する事が委ねられ、そして彼はその巻物の封印を次々に解いていく。
そして、原初より隠されていた全被造物の重要な秘密が、一つまた一つと解き明かされて行き、ずっと滞っていた全被造物の深刻な問題の一つ一つが、解決へと向けて流れ出して行く。

『巻物を受けとった時、四つの生き物と二十四人の長老とは、おのおの、立琴と、香の満ちている金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒の祈である。』(黙示録5:8)
金の鉢の中に入っているもの、それは「聖徒達の祈りである」と書いてある。
つまり、キリストにあって聖徒とされた人達の「祈り」は、香として天に立ち昇り、それらは御使の手によって金の鉢の中に蓄えられている。
『また、別の御使が出てきて、金の香炉を手に持って祭壇の前に立った。たくさんの香が彼に与えられていたが、これは、すべての聖徒の祈に加えて、御座の前の金の祭壇の上にささげるためのものであった。香の煙は、御使の手から、聖徒たちの祈と共に神のみまえに立ちのぼった。』(黙示録8:3-4)

神様を知らない人が「祈り」の姿を見るなら、目を閉じた人の、独り言のつぶやきのように見えるかもしれない。
しかし、キリストにあって聖なる者とされた私達・一人ひとりの祈りは、御使いの手を通し、天の神の御座の前へと、御使の手を通して立ち上って行き、積み重ねれられ、力を発揮するものだと認識すべきである。
世においては、税金を払っても、全然民意が反映されないまま、不正な者の懐へと消えて行くような事は、ある。
しかし天において、祈りにおいては、そのような事は一切無い。王であられる主は、義なるお方であり、天には不正な者が入れないからだ。

『御使はその香炉をとり、これに祭壇の火を満たして、地に投げつけた。すると、多くの雷鳴と、もろもろの声と、いなずまと、地震とが起った。そこで、七つのラッパを持っている七人の御使が、それを吹く用意をした。』(黙示録8:5-6)
祈りが金の鉢を満たした時、御心の成就が遂行されて行く。
祈りとは、天の神の御胸の遂行に参加するものであり、天権行使に、私達も関わる事ができる手段であるのだ。

小羊が巻物を受け取った瞬間、全礼拝者の礼拝の対象は、小羊へと集中する。
『彼らは新しい歌を歌って言った、「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう」。』(黙示録5:9-10)
彼ら(四つの生き物と長老たち)は、「新しい歌」を歌った。
彼らは前章でも、全能の神様に冠を投げ出して賛美したが、今度は、「新しい歌」を、小羊に向かって賛美している。
イエス様は、ほふられて下さった。そして、その流された血によって、私達・キリストにある聖徒達を「買い戻して」下さった。
そして贖われた聖徒達は天国民となり、祭司となり、地上を支配するのである。

人が支配者となる事。この事は、神様が世を創られ人間を創られた当初から、神様が意図されていた。
その事への、正統な復帰である。
なぜなら聖書の最初の書、最初の章に書かれている。
『神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。』(創世記1:26-28)


人は堕落して以来、全被造物は、神の荷姿から離れた人間たちの、恐怖政治にうめいている状態だった。
本来、人が罪を犯したから、人が断絶されるべきであるはずが、小羊が、神と人との間に立ち、身代わりにほふられた。
そして、贖われた聖徒達は王となり、祭司となり、神に属する民としての、正統な支配が戻ってきたのだ。
もはや、神の荷姿からかけはなれてしまった人間による不当な支配、恐怖政治に、悩まされる事は無い。
だから、全被造物は、その全ての解決をして下さった小羊に賛美するのだ。

幾万幾千の御使い達も、賛美を捧げているる。
『さらに見ていると、御座と生き物と長老たちとのまわりに、多くの御使たちの声が上がるのを聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍もあって、大声で叫んでいた、「ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい」。
またわたしは、天と地、地の下と海の中にあるすべての造られたもの、そして、それらの中にあるすべてのものの言う声を聞いた、「御座にいますかたと小羊とに、さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが、世々限りなくあるように」。四つの生き物はアァメンと唱え、長老たちはひれ伏して礼拝した。』(黙示録5:11-14)

このように天上では、贖われた人々、4つの生き物、そして、幾千万もの御使い達がおり、彼らは皆、小羊を賛美し、礼拝している。
ダビデが詩篇150で書いたように、全て造られし者が、色々な楽器を用いて賛美を捧げている。
ダビデはまさに、天上の礼拝の「型」を、地上で演じていたのだ。

小羊に賛美が集中する時、父なる神は、栄光をお受けになる。
ちょうど子供が運動会で一等賞を取った時、それを見ている親も栄光を受けるように。
『キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。
それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。』(ピリピ2:6-11)

キリストにあって聖徒とされた私達は、天においてどのような王国を治めるのかは分からない。
しかし私達は天を目指し、地上で任されている日々の「小さなこと」を、忠実に守り行うべきである。

祈りの家で楽しませられる宦官たち(イザヤ56:1-8)
Youtube動画
メッセージ音声

太古より封じられてきた秘密を解くお方(黙示録5:1-5)
Youtube動画
メッセージ音声

ヨハネはまたさらに、天で隠されていた秘密を見せられる。
『わたしはまた、御座にいますかたの右の手に、巻物があるのを見た。その内側にも外側にも字が書いてあって、七つの封印で封じてあった。また、ひとりの強い御使が、大声で、「その巻物を開き、封印をとくのにふさわしい者は、だれか」と呼ばわっているのを見た。しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開いて、それを見ることのできる者は、ひとりもいなかった。巻物を開いてそれを見るのにふさわしい者が見当らないので、わたしは激しく泣いていた。』(黙示録5:1-4)

太古より、全能の父なる神によって計画され、人知れず、長らく封じられて来た秘密がある。
ヨハネに、この天上の幻が見せられた時点で、人類史上初めて、その封じられてきた秘密が「あった」という事が、明らかにされたのだ。

終わりの時代になれば、なる程、多くの人々は、知識を求め、色々と探り調べる事になる。(ダニエル12:4)
事実、今も聖書の秘密について、多くの人々が色々な説を起こし、諸説や議論が咲き乱れているが、私達はそうした事どもに参加する必要は無いし、してはならない。
私達は主がダニエルに言った言葉に注目すべきである。

『わたしはこれを聞いたけれども悟れなかった。わたしは言った、「わが主よ、これらの事の結末はどんなでしょうか」。彼は言った、「ダニエルよ、あなたの道を行きなさい。この言葉は終りの時まで秘し、かつ封じておかれます。多くの者は、自分を清め、自分を白くし、かつ練られるでしょう。しかし、悪い者は悪い事をおこない、ひとりも悟ることはないが、賢い者は悟るでしょう。・・・しかし、終りまであなたの道を行きなさい。あなたは休みに入り、定められた日の終りに立って、あなたの分を受けるでしょう」。』(ダニエル12:8-13)
あの、主から愛されたダニエル、知恵深いダニエルさえ悟れずに主に聞いた秘密に対し、主は「それは封じておかれる」「あなたの道を行きなさい」と答えられた。
私達もダニエルのように、「いつ」とか「どんな時」とか、知る必要はない。(使徒1:7)
それよりも、主から与えられた道のりを、イエス様が来られる日まで、走り尽くすべきなのだ。そうして、走るべき道のりを終えた後に、受けるべき報いがある。

ヨハネは、この巻物を開いて封印を解ける者が誰もいない事で、激しく泣いた。
それは、この巻物を解く事は、とても切実な事だったからである。
天上の、地上の、地の下の全存在にとって、とても切実な。
もし、これが解かれないままであるなら、天上・地上・地下において封じられていた諸々の問題は、解決されないまま置かれ、神が定めた「完成」には至らないままになってしまう。

ところが、ダニエルの時には明かされなかった諸々の秘密は、黙示録で次々と明らかにされて行く。
なぜなら、「勝利され、封印を解く事ができるお方」があらわれたからだ。

『すると、長老のひとりがわたしに言った、「泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」。』(黙示録5:1-5)
ここの「勝利(ニカオ)」のギリシア語は、直接法アオリスト形能動態という、特殊な時制が使われている。
それはすなわち、この「勝利」は、過去のある時点において「完結」され、全問題は「解決済み」となり、その勝利以降、その効力は今に至るまでのみならず、これから後もずっと続いていく事だ。
その、決定的勝利をした時点は、「ほふられた時」、すなわち、十字架である。
ユダ族から出たしし(ライオン)、勝利された「ダビデの根」、それはまさしく、イエス・キリストである。

勝利した彼には、全能の父なる神から全権が委譲され、次々と封印を解いて行くのだが、その都度、はるか昔に神によって用意されていたスケジュールが動き出し、隠されていた秘密が露わにされていく。
アダム以降、人類が抱え持ってしまった深刻な問題、天においても地においても、地の下においても、誰にも解決できなかった諸々の問題は、この、ほふられて勝利した小羊キリストによって、どんどん解決されて行くのだ。

聖霊に満たされた人のありさま(使徒2章)
第一礼拝 Youtube動画 / 音声
賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画
賛美集会音声
第二礼拝音声
週報/メッセージ(説教)概要

五旬節の日、弟子達は主が約束しておられた通り、聖霊に満たされ、他国の言葉(異なる舌)が与えられた。
聖霊充満された人、すなわち、聖霊の支配に服しその支配が行き届いた人には、どのような特徴が現れるだろう。そして私達は何を目指すべきだろう。聖霊充満されたペテロの言葉と行動から、それを学びたい。

この日、天からの激しい風のような響きと、弟子達が他国の言葉で「神の大きなみわざ」を語るのを聞いて集まって来た多くの人々は、驚き惑い、「一体これは何を”セロー(意味する、したいと思う)”のだろう」と言っていたが、ある人々はあざ笑い、「あの人たちは新しい酒で酔っているのだ」と(繰り返し)言っていた。
そこでペテロは立って(押し出されて)説教を開始するのだが、彼の説教は、御言葉に裏付けられ、人々の心を刺し、悔い改めと救いへ導くものだった。ペテロはまず、彼らが知りたがっていたこの「しるし」について説明する(14-21節)。「今は朝だから、彼らは酒に酔っているものではない・・・」。ペテロは悪意ある人のあざけりに対しては、この一言で終わらせ、この不思議は、預言者ヨエルの書の成就である事を語った。

続く22-35節は「ナザレ人イエス」についてであり、イエス様こそが説教の中心かつ大部分を占めている。
聖霊はイエス・キリストを証しする霊であり、罪について、義について、裁きについて世にその過ちを認めさせる。だから、イエス無き説教、御言葉なき説教、聖霊の「押し出され」無き説教は、力が無い。
「ナザレ人イエスは、神が彼をとおして、あなたがたの中で行われた数々の力あるわざと奇跡としるしとにより、神からつかわされた者であることを、あなたがたに示された」(22節) この事は既に全イスラエルが知っている事だったが、彼らの中で広まっている事は、イエス様はよみがえられたのではなく、弟子達が遺体を盗んだ、という偽の情報だった。しかし、彼がよみがえる事、死に縛られていない御方である事は、前もって聖書に書かれてある通りだと、ペテロは、詩篇16篇を引用してあかししている。(25-28節)
もう一つ、彼が引用した聖書は詩篇110篇である。ダビデはキリストの復活を予め知ったため、彼の主キリストについて『彼は黄泉に捨ておかれる事がなく、またその肉体が朽ち果てる事もない』と言った。
『このイエスを、神はよみがえらせた。そして、わたしたちは皆その証人なのである。それで、イエスは神の右に上げられ、父から約束の聖霊を受けて、それをわたしたちに注がれたのである。このことは、あなたがたが現に見聞きしているとおりである。』(32-33節) イエスこそ神と預言者に認証された救い主メシヤである事を、彼は聖書から証したが、では、その事は今の私達に何か関係あるのだろうか?大ありである!
『だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」。』(36節)
イエス様を十字架につけたのは、誰だろう? 実際に手を降したのはローマ兵であり、それを指揮したのはイスラエルの指導者達だ。この、五旬節の日に集まった彼らが手を降したりした訳ではない。ここは私達も知らなければならない。罪なき神の御子キリストを十字架につけたのは、まごうことなき、私達全人類だと。
私達も、それを伝えなくてはならない。すなわち、ナザレ人イエスについて。彼は私達の罪のために十字架で死なれ、そしてよみがえられられ、神の右に上げられ、聖霊を与えて下さる事を。
人々はこれを聞いて心刺されたが、心を刺して終わりではない。ちゃんと救いの道を示さなくてはならない。
「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。」(38節)

こうしてこの日、三千人が仲間に加えられた。何と大胆に、立派になったペテロであろう。五十日前、人々の前でイエス様を「知らない」と誓った人物とは到底思えない。主が予め言っていた通り、聖霊に縛られ導かれるなら、本人の思いのままではなく聖霊に導かれるまま進まされるのである。(ヨハネ21:18)
救われた彼らは、使徒達の教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈り、全ての物を共有にしていた。
心を一つにして毎日礼拝する所に集い、賛美し、一同の心に恐れが生じて、多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれ、全ての民に好意を持たれ、主もまた、毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。
これが、初代の教会(エクレシア)である。聖霊に満たされる事なしには、この事は有り得なかった。
私達もまさに聖霊を求めるべきだ。聖霊に満たされ、イエス様を大胆に証する皆さんでありますように!

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ
伝道や説教で必ず伝えなくてはならない事柄(使徒2:14-36)
Youtube動画
メッセージ音声

御座の前にいる四つの生き物(黙示録4:6-11)
Youtube動画
メッセージ音声

前回、御座の周りに、二十四人の長老が座についていた事を見たが、さらに御座のそば近くには、特別な生き物がいた。
『御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。御座のそば近くそのまわりには、四つの生き物がいたが、その前にも後にも、一面に目がついていた。第一の生き物はししのようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人のような顔をしており、第四の生き物は飛ぶわしのようであった。この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その翼のまわりも内側も目で満ちていた。』(黙示録4:6-8a)
「御座のそば近くそのまわり」を直訳するなら「御座の真ん中には、また、御座の周り」である。
御座の四辺のそれぞれ真ん中に、彼らが位置した、という事であろうか。
いずれにせよ、この生き物達は、主の御座からとても近い位置にいるようである。

ここに登場する四つの生き物と似たものが、旧約エゼキエル書にも登場する。
『顔の形は、おのおのその前方に人の顔をもっていた。四つの者は右の方に、ししの顔をもち、四つの者は左の方に牛の顔をもち、また四つの者は後ろの方に、わしの顔をもっていた。彼らの顔はこのようであった。その翼は高く伸ばされ、その二つは互に連なり、他の二つをもってからだをおおっていた。・・・四つの輪には輪縁と輻とがあり、その輪縁の周囲は目をもって満たされていた。』(エゼキエル1:10)

エゼキエルはさらに、「位(キセェ:御座)のようなもの」を見たが、それも、ヨハネが見た御座の特徴とよく共通している。
『生きものの頭の上に水晶のように輝く大空の形があって、彼らの頭の上に広がっている。大空の下にはまっすぐに伸ばした翼があり、たがいに相連なり、生きものはおのおの二つの翼をもって、からだをおおっている。・・・彼らの頭の上の大空の上に、サファイヤのような位の形があった。またその位の形の上に、人の姿のような形があった。・・・
そしてその腰とみえる所の上の方に、火の形のような光る青銅の色のものが、これを囲んでいるのを見た。わたしはその腰とみえる所の下の方に、火のようなものを見た。そして彼のまわりに輝きがあった。そのまわりにある輝きのさまは、雨の日に雲に起るにじのようであった。主の栄光の形のさまは、このようであった。』(エゼキエル1:22-28)
御座、水晶、にじ、宝石、いずれもヨハネが見たものと一致している。

それにしても、彼らの表現を元に「この情景の絵を書きなさい」と言われるなら、百人百様の絵が完成するであろう。
人の日常では到底無いような、普通の言葉ではとても表現できないような天的な有様を見せられた事には間違いないが、とにかく、両方に共通している事は、この4つの生き物は御座のすぐ近くにいるものであり、それらは「人、しし、牛、わし」の性質が現れており、翼があり、目でいっぱい満ちており、また、彼らがいる御座の周囲には、水晶に似たガラスの海のようなものがあって、宝石のような輝きがあり、虹のような栄光の輝きがある、という点は、共通している。

エゼキエルは最初、この4つの生き物が何であるのかを知らなかったが、後に、それが「ケルビム」である事を知った。(エゼキエル10:20)
ではケルビムとは何者で、どういう生き物なのか。
ケルビムが、聖書で最初に登場するのは、かなり初期で、創世記3章に現れる。
アダムとエバが、禁断の実を取って食べてしまった故に、楽園(エデン)から追い出されてしまった時、もはや人が楽園の中から「いのちの木」を食べて永遠に生きないようにするために、”(全方向に)回転する炎の剣”をもって楽園をガードする者として登場する。(創世記3:24)

その次に出て来るのは、出エジプト記である。
イスラエル民族が主から与えられた最も聖なる「契約の箱」を、その翼で覆う者として「ケルビム」を造るよう、主はモーセに命じられた。
また、契約の箱が安置された聖所の幕屋の、最も内側は、ケルビムが織り込まれた幕によって覆われていた。
『その所でわたしはあなたに会い、贖罪所の上から、あかしの箱の上にある二つのケルビムの間から、イスラエルの人々のために、わたしが命じようとするもろもろの事を、あなたに語るであろう。』(出エジプト記25:22)

主は、ケルビムの間から命じ、語られると言われた。
この、ケルビムに覆われたあかしの箱は、いわば、主の命令が発せられる「御座」のようである。
実際、主は「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神」と表現され(詩篇80:1、99:1、イザヤ37:16)、また、ケルブ(ケルビムの単数形)は、主の乗り物としての役割もあるようである。(詩篇18:10)
以上の事から、ケルビムは、常に主のすぐそばに常に侍り、聖と俗とを区切る者として、聖なる所を守る者として、また、主を運ぶ者としての共通点がある。

ケルビムは、創世記では回転する炎の剣を持っており、エゼキエル書でも、車輪と呼ばれる輪の間に火を持っていた。(エゼキエル10:6)
しかし、黙示録に登場する彼らには、それは無い。
ヨハネが見ている「天」は、もはや「楽園(パラダイス)の中」であるため、回転する炎の剣も必要ないのであろう。

エゼキエルとヨハネは、それぞれ、立ち位置も視点も、主から託された働きも違う。
エゼキエルの場合、「彼に霊が入った」のだが、ヨハネの場合、「彼が霊の中に入れられた」のだ。(エゼキエル2:1-2、黙示録4:1)
エゼキエルは、地上からはるか上方を見上げて幻を見ていたのに対し、ヨハネは天に「上って」、天そのものから、これらの幻を見せられている。
エゼキエルは「御座のようなもの」と表現したが、ヨハネは、はっきり「御座」と言った。
エゼキエルは、反逆の家にさばきを伝えるために、これらを見せられたのに対し、ヨハネは、天上の隠されていた事、神がこれからご計画しておられる事を、公に示すために、これらの事を見せられ、それを書き記すように命じられた。
だからヨハネは、今までの預言者には無かったような経験をしており、彼は天をはっきり見せられているのである。

黙示録においては、その生き物は主の御座のすぐ近くで、絶え間なく主を誉め讃えている。
『この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その翼のまわりも内側も目で満ちていた。そして、昼も夜も、絶え間なくこう叫びつづけていた、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者にして主なる神。昔いまし、今いまし、やがてきたるべき者」』(黙示録4:8)
彼らの賛美の内容は、客観的な主のご性質そのものを叫んで賛美している。
それに対し長老たちは、より人間味ある、気持ちが篭められた賛美を捧げている。

『二十四人の長老は、御座にいますかたのみまえにひれ伏し、世々限りなく生きておられるかたを拝み、彼らの冠を御座のまえに、投げ出して言った、「われらの主なる神よ、あなたこそは、栄光とほまれと力とを受けるにふさわしいかた。あなたは万物を造られました。御旨によって、万物は存在し、また造られたのであります」。』(黙示録4:9-11)
長老たちは「平伏す」「自分の冠を御座の前に投げ出す」という行為と共に、「われらの主なる神」と、自分と主との関係を明白にして、気持ちを込めて主をほめ讃えている。

冠を自分の頭から外して、主の御前に投げるのは、自分は罪を犯したという記憶があり、決してこんなに素晴らしい天国にいるに値しない者である、との自覚があり、そして、赦された記憶があるゆえである。
だから天国では、永遠に感謝が絶えない。

私達は、罪の記憶など、すぐに消してしまいたい、あんな記憶、なくしてしまいたい、と思っても、それでも消されずに残っている理由は、こんなに惨めになってしまっていた自分を、主は愛してくださり、良くしてくださり、救って天国に入れて下さる事を、永遠に感謝するためであって、決して、自分は罪深いと自分に言い聞かせて苦しむためではない!
罪を犯した記憶なしには、感謝は生まれない。

もう一度言う。
罪の記憶が消えていない理由は、自分は罪深いのだと自分に言い聞かせて苦しむためでは、決してない。
そんな自分をも救い、赦して下さった主を、永遠に感謝し、賛美するためである。
罪の責めをするのはサタンであり、もし自分から進んで過去の自分を罪定めするとするなら、主の完全なる贖いと赦しをないがしろにする「傲慢」である。

天上で生息しているものは、全て「賛美」する。人も、生き物も、御使も。
ダビデはイエス・キリストの雛形であるが、彼は命じている。
「息のあるすべてのものに主をほめたたえさせよ。」(詩篇150:6)
「主が造られたすべての物よ、そのまつりごとの下にあるすべての所で、主をほめよ。わがたましいよ、主をほめよ。」(詩篇103:21)
特に、詩篇148篇では、人や生き物のみならず、天使も、日も、月も、星も、天も、天上の水も、その他、ありとあらゆるものに対して「主をほめたたえよ」と命じている。

全て造られたものは、本来、主をほめたたえるものであるはずが、人間の罪の結果、虚無に服してしまった。それで被造物は、うめきつつ、神の子のあらわれを待っている。(ローマ8章)
私達、キリストにあって贖われた聖徒は、神の子であり、神に賛美と栄光を捧げる者である。
全被造物は、そのあらわれを待っていたのだ。

賛美は、聖徒達の口にふさわしい。大いに主をほめたたえて「天の前味わい」をし、地上において神の子としての使命を全うする皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

イエス様から癒やしを引き出せる人と、引き出せない”その他大勢”との違い(マルコ5:25-34)
Youtube動画
メッセージ音声

メインメニュー
礼拝ライブ中継

礼拝ライブ中継!

礼拝ライブ中継!

過去の礼拝映像も視聴できます

メッセージ
このページを紹介!

 
 
 
礼拝週報
メッセージ音声
携帯メールで毎日メッセージを購読!無料!

以下コードを読み込み、空メールを送信すれば登録できます。

パソコン/ウィルコム/スマートフォンで受信:以下にメールアドレスを入力下さい。

メルマガ購読・解除
日々のバイブルメッセージ
   
バックナンバー
powered by まぐまぐトップページへ
Podcast

以下画像をitunesへドラッグすれば、更新が自動的にPodcast配信されるようになります。

※2020/1/1より以前に登録された方は、再度、以下Podcast画像をitunesへドラッグする必要があります。

 主日礼拝ポッドキャスト

定期祈祷会ポッドキャスト

その他音声 ポッドキャスト

検索
Copyright ©Yokohama Voice of Christ Church 横浜天声キリスト教会
All Rights Reserved.
 〒231-0058 神奈川県横浜市中区弥生町2-17 ストークタワー大通公園?-201
TEL/FAX:045-326-6211

ephes_03-tensei@ yahoo.co.jp
© 2022 Powered by XOOPS Cube 2.1
Welcome Guest