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礼拝説教メッセージ音声:主に栄光を返したペリシテ人(1サムエル記6:1-12):右クリックで保存

『主の箱は七か月の間ペリシテびとの地にあった。』(1サムエル記6:1)

ここは、主の箱はペリシテ人の「野」にあったとも訳す事ができる。
七ヶ月の間に少なくとも2回は移動させた、という事は、災いはそれだけ誰の目にも明確で、主の箱を「町」に置けなかったのだろう。

『ペリシテびとは、祭司や占い師を呼んで言った、「イスラエルの神の箱をどうしましょうか。どのようにして、それをもとの所へ送り返せばよいか告げてください」。彼らは言った、「イスラエルの神の箱を送り返す時には、それをむなしく返してはならない。必ず彼にとがの供え物をもって償いをしなければならない。そうすれば、あなたがたはいやされ、また彼の手がなぜあなたがたを離れないかを知ることができるであろう」。』(1サムエル記6:2-3)
主の「聖」に対して不実を犯した場合は、償いをしなくてはならない事は、確かに律法に記されている。(レビ記5:15-16)
ペリシテ人がイスラエルの律法を調べたのか、それとも、ただで返す事は失礼に値すると考えたのか、ともかく彼らは、降りかかった災いの故に、主に対する恐れ敬いが芽生えた事は確かだ。

『人々は言った、「われわれが償うとがの供え物には何をしましょうか」。彼らは答えた、「ペリシテびとの君たちの数にしたがって、金の腫物五つと金のねずみ五つである。あなたがたすべてと、君たちに臨んだ災は一つだからである。それゆえ、あなたがたの腫物の像と、地を荒すねずみの像を造り、イスラエルの神に栄光を帰するならば、たぶん彼は、あなたがた、およびあなたがたの神々と、あなたがたの地に、その手を加えることを軽くされるであろう。』(1サムエル記6:4-5)
ペリシテ人達は、腫物だけでなく、ねずみによってもかなりの災いを受けたようだ。
彼らは、自分たちはこれらのものによって災いを受けました、その事はイスラエルの神・主がなされた事であり、ここにあなたの栄光を表します、と、主に敬意を表するなら、この災いは軽くされるだろう、と考えたのだ。

『なにゆえ、あなたがたはエジプトびととパロがその心をかたくなにしたように、自分の心をかたくなにするのか。神が彼らを悩ましたので、彼らは民を行かせ、民は去ったではないか。』(1サムエル記6:6)
主がエジプトに対して為した災いはかなり昔であるが、当時、主が為された事は、イスラエル周辺諸国にとどろき渡った。
そのイスラエルの神・主は、今も健在である、と、彼らは恐れており、この主に対して頑なになってはならないと警告している。

『それゆえ今、新しい車一両を造り、まだくびきを付けたことのない乳牛二頭をとり、その牛を車につなぎ、そのおのおのの子牛を乳牛から離して家に連れ帰り、主の箱をとって、それをその車に載せ、あなたがたがとがの供え物として彼に償う金の作り物を一つの箱におさめてそのかたわらに置き、それを送って去らせなさい。』(1サムエル記6:7-8)
普通、くびきをつけた事のない牛に、くびきをつけるなら、牛はそれを振りほどくはずだ。
牛にとって、くびきは不快なものであり、それを初めてされたなら、抗するはずだ。
また、子に乳を飲ませている母牛が、子を置き去りにして行く、という事も、自然の摂理に反する。
その、通常ではあり得ない行動を牛が取るり、神の箱をイスラエルへと運んで行くとすれば、これは主が為さった事だと知る事が出来る、というのだ。

『人々はそのようにした。すなわち、彼らは二頭の乳牛をとって、これを車につなぎ、そのおのおのの子牛を家に閉じこめ、主の箱、および金のねずみと、腫物の像をおさめた箱とを車に載せた。すると雌牛はまっすぐにベテシメシの方向へ、ひとすじに大路を歩み、鳴きながら進んでいって、右にも左にも曲らなかった。ペリシテびとの君たちは、ベテシメシの境までそのあとについていった。』(1サムエル記6:10-12)
乳牛が鳴きながら子から離れて行き、イスラエルへの道を、くびきを負いながら進んで行くのを、彼らは見て驚いただろう。

まさにイスラエルの神は、生きて働いておられる。
この神は、自分達の神々を倒し、ひれ伏させ、腫物やねずみによって自分達を打ち、行く所どこも死の恐怖に怯えさせた。
そして、自分達がこの神である主に栄光を帰すために、償いの備えをしたなら、主はあり得ない形でその栄光を受け取られた様も、彼らは見た。
あのペリシテ人でさえ、主に打たれ懲らしめられたなら、主を恐れたのだ。
私達も主からの懲らしめを受けたなら、速やかに悔い改めて主に栄光を帰すべきである。

しかし、喉元過ぎれば熱さを忘れるの言葉通り、彼らはその恐れと尊敬を持続させず、相変わらずダゴンの神を礼拝し続け、そして神の民・イスラエルを打つのをやめなかった。
だから彼らは結局、主の民を懲らしめる器としてしか用いられず、ペリシテ人という”民族”は現在、残っていない。アレクサンドロス大王の支配下で滅んでしまったのだ。
私達も、ひと度主から懲らしめを受け、主を畏れ敬う者となっておりながら、その主への恐れ敬いを持続させないなら、ただ良くない事にのみ用いられ、そして滅んでしまうのだ。
私達は主への恐れをキープし、祝福を受け続ける者でありたい

礼拝説教メッセージ音声:敵国内でひとりでに栄光をあらわす神の箱(1サムエル記5:1-12):右クリックで保存

イスラエルから奪われてしまった契約の箱だが、その箱には、全能の神とイスラエルとの間に結ばれた契約が入っている。

人の手で担がれなくては何も出来ない偶像とは、全くわけが違う。

『ペリシテびとは神の箱をぶんどって、エベネゼルからアシドドに運んできた。そしてペリシテびとはその神の箱を取ってダゴンの宮に運びこみ、ダゴンのかたわらに置いた。』(1サムエル記5:1-2)
ダゴンとは、頭部が魚、体が人間の、ペリシテ人の偶像神である。
そのそばに安置したという事は、彼らは今回の戦勝に浮かれ、イスラエルの神は自分の神ダゴンよりも劣っていると考えたのかもしれない。

しかし聖書をみると、神の箱はあまりに聖であるため、ケハテ族のレビ人以外は運んではならず、ダビデの時代も、牛車で運ばせたら、その御者が主に打たれて死んでしまった程のものである。
それ程、取り扱いには気をつけなくてはならないものであるのに、なぜか今回、ペリシテ人が運んでも何の害も受けなかった。

この契約の箱は、イスラエル人が神の契約を畏れ敬う心をもって、イスラエルの中で正当に取り扱ってこそ、意味があるものである。
それなのに、本来安置されるべき聖所からお手軽に運び出され、縁起物か何かのように戦いの場へ持っていかれてしまう程に、軽んじられてしまったのであるから、主はそれを正すために、敢えてイスラエルから取り上げ、ペリシテ人の領地へと運ばせたのだ。
契約の箱がどこにあるかよりも、その契約の内容を守る事こそ、神の民としての意義があるように、私達も、何処どこの教会に通っているとか、キリスト教的なアイテムを持っているといった事より、むしろ、キリストそのものであられる御言葉を「わたし」の内に留め、それを守り行ってこそ、信仰者としての意義があるのだ。

『アシドドの人々が、次の日、早く起きて見ると、ダゴンが主の箱の前に、うつむきに地に倒れていたので、彼らはダゴンを起して、それをもとの所に置いた。その次の朝また早く起きて見ると、ダゴンはまた、主の箱の前に、うつむきに地に倒れていた。そしてダゴンの頭と両手とは切れて離れ、しきいの上にあり、ダゴンはただ胴体だけとなっていた。それゆえダゴンの祭司たちやダゴンの宮にはいる人々は、だれも今日にいたるまで、アシドドのダゴンのしきいを踏まない。』(1サムエル記5:3-5)
最初は地震か何かでたまたま倒れたのだろう、くらいに思っていたかも知れないが、翌日には、ダゴンの頭と手が胴体から切り離され、敷居の所にあり、しかも、神の箱の前に向かってひれ伏す形となっていた。
この事から、イスラエルの神のほうが優位で、ダゴンは無力である事を示しているのに、ペリシテ人は、イスラエルの神を敬うのでなく、ダゴンを敬い、今後、ダゴンが伏していた敷居を踏まない事にした。
しかし起きたことは、そればかりではない。

『そして主の手はアシドドびとの上にきびしく臨み、主は腫物をもってアシドドとその領域の人々を恐れさせ、また悩まされた。アシドドの人々は、このありさまを見て言った、「イスラエルの神の箱を、われわれの所に、とどめ置いてはならない。その神の手が、われわれと、われわれの神ダゴンの上にきびしく臨むからである」。
そこで彼らは人をつかわして、ペリシテびとの君たちを集めて言った、「イスラエルの神の箱をどうしましょう」。彼らは言った、「イスラエルの神の箱はガテに移そう」。人々はイスラエルの神の箱をそこに移した。』(1サムエル記5:6-8)
もはや明らかにイスラエルの神は力があり、ダゴンは無力である事は明らかなのに、ペリシテ人は、イスラエルの神を「恐れ」はしても、敬わず、神の箱を縁起の悪いものとして移動させる。

『彼らがそれを移すと、主の手がその町に臨み、非常な騒ぎが起った。そして老若を問わず町の人々を撃たれたので、彼らの身に腫物ができた。そこで人々は神の箱をエクロンに送ったが、神の箱がエクロンに着いた時、エクロンの人々は叫んで言った、「彼らがイスラエルの神の箱をわれわれの所に移したのは、われわれと民を滅ぼすためである」。そこで彼らは人をつかわして、ペリシテびとの君たちをみな集めて言った、
「イスラエルの神の箱を送り出して、もとの所に返し、われわれと民を滅ぼすことのないようにしよう」。恐ろしい騒ぎが町中に起っていたからである。そこには神の手が非常にきびしく臨んでいたので、死なない人は腫物をもって撃たれ、町の叫びは天に達した。』(1サムエル記5:9-12)

彼らは、明らかにこの箱が災いの元であると認めた。
それなのに彼らは、自分たちの力なき神ダゴンから離れてイスラエルの神に立ち返ろうという気にはならなかったし、イスラエルを虐げる事も止めなかった。
またイスラエル人も、こんなにも力ある神が自分たちにおられるのに、自分たちの内から別の神々を捨て去ろう、という気も起きなかったようである。(1サムエル記7:3)
人とは何と愚かで盲目な、そして、自分の好む事を捨てない頑なな者であろうか。

偶像の神は、自分で自分の世話をする事もできず、担がれなくては移動も出来ない、ただ人々の重荷となるばかりであるが、主は私達が罪に陥っている時でも、世話をし、義の道へと立ち返らせて下さり、そして私達が白髪頭となっても、主は私達を運んで下さる。
『ベルは伏し、ネボはかがみ、彼らの像は獣と家畜との上にある。あなたがたが持ち歩いたものは荷となり、疲れた獣の重荷となった。彼らはかがみ、彼らは共に伏し、重荷となった者を救うことができず/かえって、自分は捕われて行く。
「ヤコブの家よ、イスラエルの家の残ったすべての者よ、生れ出た時から、わたしに負われ、胎を出た時から、わたしに持ち運ばれた者よ、わたしに聞け。わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。』(イザヤ46:1-4)

ヨシャパテ王 - 大きな敵の前の賛美というささやかな主の宴席(2歴代誌20:20-24)
第一礼拝・礼拝全体音声(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存
賛美集会音声:右クリックで保存
第二礼拝・礼拝音声(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

今年に入って以来、王なる主キリストのために宴会を整えよ、という事が示され、エステル記から学んでいたが、今回はヨシャパテ王から学びたい。彼は南ユダ王国の4代目の王、名の意味は「主は裁く」である。
彼は当初、主の目に適う政治を行った(2歴代誌17章)が、対立していた北イスラエル王国と和解を図ろうとする余り、主の目に悪を行っていたアハブ王の娘と自分の子を結婚させ、そしてアハブに唆され、アラムとの戦争に出て行った結果、アハブは戦死し、ヨシャパテも散々な目に遭って帰ってきた。(同18章)
私達も、主を畏れ敬わない人との和解を急ぐあまり、相手が主を軽んじたままなのに、連合したり、縁を結んだりしてしまい、彼らの争い事に片足を突っ込んだ結果、災いを身に招いてしまう事がある。
その時、主から預言者が遣わされ、主を憎む者と連合した故に、災いの警告を受けた。(同19章) 
主から注意を受けた時は、へりくだって従うべきである。彼の父アサ王は、彼に警告した預言者に怒りを発して足かせをかけた結果、彼は両足の病にかかり、その足の病が重くなって死んでしまった。

ヨシャパテは、預言による警告を受けた後、主の御胸に適った施政を行っていたが、いよいよ預言されていた災いが来る。エドムから、自軍の何十倍もの数の、おびただしい大軍が攻めてきたのだ。(同20章) 
彼は主に顔を向けて助けを求め、全国に断食をふれさせたので人々は共に集まり、主に助けを求めた。
彼がその集会で祈る祈りは、注目に値する。彼はまず「主がどういうお方であるか」を信仰によって告白する(6節)。主は天に座し全世界を統べ治めるお方であり、対抗できる者は無い事を宣言した。
次に、御言葉を盾にして祈った(7-9節)。彼の先祖アブラハムに永遠にこの地を与えて下さったという主の約束を持ち出し、アブラハムの子孫である自分達がそこから追い出されるのはおかしいと、告白した。
私達も御言葉を盾にとって祈るべきである。病の場合は、イザヤ53章や長血の女の祈り(マルコ5:28)を、貧しさに対しては2コリント9:8-11やピリピ4:19を、悪に対しては詩篇37編などを盾に取って祈るのだ。
その次に彼はやっと、現状を主に訴え、そして最後にようやく彼の願いを申し立てた。(10-12節)
『われわれの神よ、あなたは彼らをさばかれないのですか。われわれはこのように攻めて来る大軍に当る力がなく、またいかになすべきかを知りません。ただ、あなたを仰ぎ望むのみです。』
王と民が心を合わせ祈った時、主は具体的な指示と、恐れなくて良い事を、預言者を通して語られた。
現在、私達は神様の御声を具体的に「聞く」という事は、あまり無いかもしれない。しかし、信仰をもって心を尽くして祈る結果、「神様は答えてくださった」と分かる瞬間が来て、言葉では言い表せないが与えられるものであり、キリスト者である皆さんも、何度か経験がある事だろう。
主に全てを明渡し、御心のままになさって下さいと祈るなら、平安と勝利の確信が主から与えられるのだ。

戦いの日、地平線を埋め尽くすような敵の大軍団を前に、イスラエル軍はどのような陣を張ったか。
なんと、その大軍と自軍との間に、全く武装をしていない、聖なる飾り物をつけた聖歌隊を配備したのだ。
戦術的には全くナンセンスな布陣である。地を覆うような敵軍を前に、この聖歌隊は、どれ程ちっぽけに見えただろう。しかしそれは、主の前に何よりも尊かった。彼らは進み出て賛美した。「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで」。イスラエルは、敵の前の賛美という、ささやかな宴席を、主の前に設けたのである。
すると主は、伏兵を備え敵を襲わせた。伏兵とは、思わぬ所に兵を配備し、敵の意表を突くものだが、主の助けは、私達の思いもしなかった隠れた所から現れ、私達と敵との間に立ちはだかって、戦って下さる。
その結果、敵は敵同士で戦い合い、互いに滅ぼし合い、一人残らず死体になって横たわった。(24節)
最も困難な時、最も忙しい時、最も資力が無い時に、なけなしの時間や体力、資力を用いて、主に栄光を捧げる時、それは主の前にがくわしい香りとなって立ち上り、主の喜ばれる宴席を設ける事になる。
その時、主は思わぬ所から助けを与えられ、敵であるサタンの前で、宴を設けて下さるのだ。
彼らは戦わずして勝利し、分捕りの時、分捕るための武具や高価な物があまりにも多く、3日もかかった。
そして4日目、イスラエルの民はこぞって主を褒め称えて喜び祝い、周りの国々は、主がイスラエルの敵と戦われた事を聞いて、神の恐れが彼らの上に臨み、そのようなわけで、ヨシャパテの治世は平穏であった。
主により頼むという事が、どんなに幸いであるかを知り、主の素晴らしさを味わい尽くす皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

長血を患う女の信仰(マルコ5:25-34)

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その他音声
執筆 : 
pastor 2015-2-15 22:39

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長血を患う女の信仰(マルコ5:25-34):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
必要な経費を納めなさい(マタイ17:24-27):右クリックで保存

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封印のように固く成熟して行く夫婦の愛(雅歌8:1-7)(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存

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つくばエクレシア礼拝(エステル記9-10章):右クリックで保存

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根絶すべきものを惜しんで留めるなら(ヨシュア記23:5-16):右クリックで保存

礼拝説教メッセージ音声:栄光はイスラエルを去った、か?(1サムエル記4:12-22):右クリックで保存

『その日ひとりのベニヤミンびとが、衣服を裂き、頭に土をかぶって、戦場から走ってシロにきた。彼が着いたとき、エリは道のかたわらにある自分の座にすわって待ちかまえていた。その心に神の箱の事を気づかっていたからである。その人が町にはいって、情報をつたえたので、町はこぞって叫んだ。』(1サムエル記4:12-13)

ベニヤミン人といえば、イスラエルの長老達が、シロでの主の祭りに出てきた娘たちをベニヤミン人に略奪させた一件を思い出す。(士師記21章)
そのベニヤミン人が、この時、シロに悪い知らせを告げ知らせ、彼が伝えた先々では、悲しみの叫び声が沸き起こった。

『エリはその叫び声を聞いて言った、「この騒ぎ声は何か」。その人は急いでエリの所へきてエリに告げた。その時エリは九十八歳で、その目は固まって見ることができなかった。』(1サムエル記4:14-15)
エリは、二人の息子ではなく、神の箱の事で気遣って(原意:震えて)いた。
しかし彼が最も聞きたくなかった、最悪の知らせが届く。

『その人はエリに言った、「わたしは戦場からきたものです。きょう戦場からのがれたのです」。エリは言った、「わが子よ、様子はどうであったか」。
しらせをもたらしたその人は答えて言った、「イスラエルびとは、ペリシテびとの前から逃げ、民のうちにはまた多くの戦死者があり、あなたのふたりの子、ホフニとピネハスも死に、神の箱は奪われました」。彼が神の箱のことを言ったとき、エリはその座から、あおむけに門のかたわらに落ち、首を折って死んだ。老いて身が重かったからである。彼のイスラエルをさばいたのは四十年であった。』(1サムエル記4:16-18)

神の箱という、国宝中の国宝を戦いの場に持ち出し、敵に奪われてしまう。
そんな不祥事は、モーセの時代に神から与えられて以来、ヨシュアの時代も、そして邪悪を極めた士師の時代においてさえ、無かった。
自分の子達の悪をそのまま見逃し、私服を肥やしていたがために、なんという不祥事が、自分の代で起きてしまったのだろう。
彼は絶望で倒れ、その時、自身の肥え太った体の重みで首の骨を折り、死んでしまった。

主はいつも赦して下さった、主は赦しの神だ、だからこれから何をしても主はずっと赦して下さるだろう、と思い込んでいる人がいる。
主は、十字架にかかって赦してくれる側。私は、何をしても良い側、何をしても赦される側、と。
そのように信じ込んで疑わず、他人にもそう教える人は、覚えておかなくてはならない。
不従順をいつまでも改めずにいるなら、主はその事の報いもされる事を。

かつて神がホレブにおいて、イスラエルの民が神様と共に歩む事を約束した証明書とも言うべき契約の箱を、敵に勝利したいがために、縁起物として担ぎ出し、のこのこと戦いの場に持ち出して来る。
この事を例えるなら、「自分以外には夫があってはならない、浮気をしてはならない」と約束をして結婚した女性が、結婚後すぐに浮気をして、それを改めないまま、いざ敵が現れたら、結婚証明書を振りかざして夫に守りを求める程に、無神経で、夫の怒りをさらに引き起こすような行為である。
結局、主からの助けは来ないどころか、主ご自身がイスラエル敵対し、契約の箱は、奪われてしまった。
浮気している女性が襲われいても、夫は助けないどころか、その襲う者を助け、彼女が担ぎだしていた結婚証明書書は、敵の手に奪わせたようなものである。

契約の箱は元々、主の栄光の雲が立ったなら、レビ人に担がれて出立し、栄光の雲が留まった所に箱は降ろされ、神の民もそこに留まった。
だから主の栄光は、箱にあるのではなく、主の栄光の導きに箱がついて行き、民もついて行くものなのだ。
私達の歩みも、そして主のミニストリーも、同じである。
主の栄光、主の臨在のある所へと私達が出入りすべきであって、もし、主の栄光と臨在を無視して自分の好む事をするなら、失敗してしまうのだ。

この知らせを受けた時、死んだのは、エリだけではなかった。
『彼の嫁、ピネハスの妻はみごもって出産の時が近づいていたが、神の箱が奪われたこと、しゅうとと夫が死んだというしらせを聞いたとき、陣痛が起り身をかがめて子を産んだ。
彼女が死にかかっている時、世話をしていた女が彼女に言った、「恐れることはありません。男の子が生れました」。しかし彼女は答えもせず、また顧みもしなかった。ただ彼女は「栄光はイスラエルを去った」と言って、その子をイカボデと名づけた。これは神の箱の奪われたこと、また彼女のしゅうとと夫のことによるのである。彼女はまた、「栄光はイスラエルを去った。神の箱が奪われたからです」と言った。』(1サムエル記4:19-22)

もし、彼女の言うように「イスラエルから栄光が去った」としたら、それはいつからだろうか。
契約の箱が奪われた時だろうか?いや、もっと前からのはずである。
ヨシュアが死んで以降、イスラエルが主をないがしろにし出し、御言葉を守り行わなくなりはじめた時から、既にこの序章は始まっていた。
それが目に見える形であらわれたのが、今回のこの事件である。
それでようやくイスラエルは目が覚めたのだ。

彼女は「栄光はイスラエルを去った」と言ったが、果たして、契約の箱が取り上げられてしまったら、神の栄光は無くなってしまうのだろうか?
そんな事は無い。
主の栄光は全地に満ち満ちており(イザヤ6章)、彼らから契約の箱が取り上げられたとしても、主はの目はいつも、昼も夜もまどろむ事なく神の民に注がれている。
現にここ数千年、契約の箱は行方知れずのままだが、神はイスラエルをずっと顧みて来られた事を、歴史が証明している。

今回のこの事件は、士師の時代以来、イスラエルの心にずっと蔓延してきた「どうせ赦されるから」という霊的居眠り状態から覚まさせるために、主が起こされたのだ。
では、契約の箱は一体どうなるのだろうか?それは後にわかるが、全能の主がどうにかして下さる。
その辺の偶像の神輿のように、人に担がれてさえも何も出来ない神々とは、全くもって違うのだ。
現代、契約の箱はどこにあるかも分からない状態であるが、それも将来、必ず現れる時が来るのだ。(黙示録11:19)

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