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最も偉大な人の最もみじめな死に様(マタイ14:1-12)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » マタイによる福音書
- 執筆 :
- pastor 2014-11-8 14:09
礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
最も偉大な人の最もみじめな死に様(マタイ14:1-12):右クリックで保存
礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
黒いけれども美しい(雅歌1:5-8):右クリックで保存
礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
主は御使いを使わしてあなたの旅を守らせる(創世記24:26-27):右クリックで保存
礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
サマリヤの女(ヨハネ4:15):右クリックで保存
礼拝説教メッセージ音声:その名は、不思議(士師記13:15-25):右クリックで保存
『マノアは主の使に言った、「どうぞ、わたしたちに、あなたを引き留めさせ、あなたのために子やぎを備えさせてください」。主の使はマノアに言った、「あなたがわたしを引き留めても、わたしはあなたの食物をたべません。しかしあなたが燔祭を備えようとなさるのであれば、主にそれをささげなさい」。マノアは彼が主の使であるのを知らなかったからである。マノアは主の使に言った、「あなたの名はなんといいますか。あなたの言われたことが事実となったとき、わたしたちはあなたをあがめましょう」。』(士師記13:15-17)
イスラエルは長い間、民族レベルで主から離れていたため、主がどのようなお方か、また、主と向かう時の正しい流儀知らなかったのだろう。
マノアは、御使いを、何か霊的なレベルの高いな人であるかのように思って、ごちそうで接待しようとしたが、御使いは、人の飲み食いするものを食べたりはしない。ただ、人の主への捧げ物や祈りを受け取って、それを主の元へと運んでいく。(黙示録8:3-4)
主から使わされている者は、人であれ、天使であれ、自分が伏し拝まれる事を好まない。
使徒ヨハネは自分に啓示を伝えてくれた御使いにひれ伏したが、御使いは言った。「そのようなことをしてはいけない。わたしは、あなたと同じ僕仲間であり、またイエスのあかしびとであるあなたの兄弟たちと同じ僕仲間である。ただ神だけを拝しなさい。」(黙示録19:10)
また、使徒パウロもペテロも同様に、自分が拝まれる対象である事を拒否し、主のみを礼拝するよう勧めた。(使徒14:15、10:26)
『主の使は彼に言った、「わたしの名は不思議です。どうしてあなたはそれをたずねるのですか」。』(士師記13:18)
マノアは御使いに、あなたをあがめたいから名前を教えて欲しい、と聞いたが、それに対し主の使いは、自分の名を「不思議」と言った。
そう、私達があがめるべきは、御使いや誰か人間ではない。主の不思議なわざ、くすしいわざである。
詩篇には「主の不思議なわざをほめたたえます」「主のくすしいわざをほめたたえます」と、至る所に散りばめられているように、私達も、主の不思議なわざ、くすしいわざをこそ、誉め称えるべきなのだ。
子が生まれるには、もう望み得ないようなマノア夫婦の間に、ひとりのみどりごが与えられる。そしてその子は、暗闇に満ちた時代のイスラエルを、救うという。
それはまさしく、キリストの型である。
『苦しみにあった地にも、やみがなくなる。さきにはゼブルンの地、ナフタリの地にはずかしめを与えられたが、後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与えられる。暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。・・・ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。』(イザヤ9:1-6)
キリストは、その名を、「不思議な助言者(ワンダフル・カウンセラー)」ととなえられる。
士師の時代、ひとりのみどりごがイスラエルを救うという預言が、御使いによって、不妊の女マノアの妻に与えられた。
同じように、この暗闇に満ちた全世界に、ひとりのみどりごが与えられるという約束が、子を産むなど決して望み得ない一人の処女マリヤに、御使いを通して与えられた。
まさにサムソンの生まれる様は、キリストの生まれる様によく似ている。
聖書には至る所に類似性があり、それらは全て、キリストを示している。
律法も、預言書も、詩篇も、キリストのご性質、キリストの品性を示しているのだ。
『「わたしが以前あなたがたと一緒にいた時分に話して聞かせた言葉は、こうであった。すなわち、モーセの律法と預言書と詩篇とに、わたしについて書いてあることは、必ずことごとく成就する」。そこでイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて言われた、「こう、しるしてある。キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。』(ルカ24:44-47)
不思議な助言者・キリストに聞き従い、キリストのみを伏し拝み、キリストを至る所に宣べ伝え、暗闇に満ちたこの世界に、キリストの光を届ける皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!
礼拝説教メッセージ音声:母の胎にいる時から任命された士師(士師記13:1-14):右クリックで保存
先の12章では、4人の士師たちが、現れては消えて行ったが、この4人の統治した中で最長が10年と、かなり短い統治期間となって来ており、イスラエルの混迷はどんどん深くなっている事がわかる。
『イスラエルの人々がまた主の前に悪を行ったので、主は彼らを四十年の間ペリシテびとの手にわたされた。』(士師記13:1)
士師記では、このパターンは既に何度も繰り返されているが、40年という被虐期間は、過去最長である。
そして、いつものパターンなら、イスラエルは悔い改めて主に叫び、それで主が助けを送られるものであるだが、今回は、イスラエルが悔い改めたという記述は、無い。
40年経っても、全然主に立ち返らなかったのだ。
それだけ、イスラエルの霊的状態は地に落ちているのだが、今回、主のただ一方的な憐れみの故に、イスラエルに士師が使わされる。
それは、士師記の中では最後の士師・サムソンである。
『ここにダンびとの氏族の者で、名をマノアというゾラの人があった。その妻はうまずめで、子を産んだことがなかった。主の使がその女に現れて言った、「あなたはうまずめで、子を産んだことがありません。しかし、あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。
それであなたは気をつけて、ぶどう酒または濃い酒を飲んではなりません。またすべて汚れたものを食べてはなりません。あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。その頭にかみそりをあててはなりません。その子は生れた時から神にささげられたナジルびとです。彼はペリシテびとの手からイスラエルを救い始めるでしょう」。』(士師記13:2-5)
士師サムソンは、生まれる以前から主に選ばれたナジル人であった。(ナーザル:「聖別する」「分離する」の意)
ナジル人については民数記6章で学んでいるが、彼らは特別な誓願により世俗から分離され、神のものとして聖別された特別な人で、ぶどうの実によるものは摂ってはならず、頭にかみそりを当ててはならない等の、様々な規定がある。
自ら誓願をかけて一定期間ナジル人となる人もいれば、今回のように、生まれる前から一方的に捧げられている人もいる。(他にはサムエル、バプテスマのヨハネ等)
『そこでその女はきて夫に言った、「神の人がわたしのところにきました。その顔かたちは神の使の顔かたちのようで、たいそう恐ろしゅうございました。わたしはその人が、どこからきたのか尋ねませんでしたが、その人もわたしに名を告げませんでした。しかしその人はわたしに『あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。それであなたはぶどう酒または濃い酒を飲んではなりません。またすべて汚れたものを食べてはなりません。その子は生れた時から死ぬ日まで神にささげられたナジルびとです』と申しました」。』(士師記13:6-7)
彼女が神の人から言われた事の中で、夫に伝えていなかった事が一つあった。
それは、「その頭にかみそりをあててはなりません。」(15節)という事である。
この士師は、彼女が伝えこぼした「頭にかみそりを当てる事」において、将来失敗してしまう。
私達は、主から御言葉を受けた時、それを取りこぼす事なく、軽んじる事なく、心してそれを覚えて、その通り実行するように気をつけるべきだ。
『そこでマノアは主に願い求めて言った、「ああ、主よ、どうぞ、あなたがさきにつかわされた神の人をもう一度わたしたちに臨ませて、わたしたちがその生れる子になすべきことを教えさせてください」。神がマノアの願いを聞かれたので、神の使は女が畑に座していた時、ふたたび彼女に臨んだ。しかし夫マノアは一緒にいなかった。女は急ぎ走って行って夫に言った、「さきごろ、わたしに臨まれた人がまたわたしに現れました」。』(士師記13:8-10)
マノアは主に求め、それは聞き入れられたが、主の使いは二度、妻の所に現れた。
それは、乙女マリヤの時と同じように、子を身ごもる女性のほうに、特別な指示を主が与えるためだろう。
『マノアは立って妻のあとについて行き、その人のもとに行って言った・・・「あなたの言われたことが事実となったとき、その子の育て方およびこれになすべき事はなんでしょうか」。主の使はマノアに言った、「わたしがさきに女に言ったことは皆、守らせなければなりません。すなわちぶどうの木から産するものはすべて食べてはなりません。またぶどう酒と濃い酒を飲んではなりません。またすべて汚れたものを食べてはなりません。わたしが彼女に命じたことは皆、守らせなければなりません」。』(士師記13:11-14)
主の命令は、「わたしがさきに女に言ったことは皆、守らせなければなりません。」だった。
私達も子育てについては、主からあらかじめ命じられている通りの事、すなわち、御言葉によって育てるべきである。
このように御使いが二度現れ、生まれてくる子は、確かに将来、イスラエル人を敵の虐げから救う者であると宣言された。
聖書は実に、不妊の女、生まれるはずのない女に、奇跡的に子を生まれさせ、その子に特別な役割を与えられる記述が多い。(サラ、ハンナ、エリザベツ、そして乙女マリヤ)
それは、救いは人の力によるのではなく主によるものであると示し、おごり高ぶる者を退け、卑しくされている人を高く引き上げ、力ある方が、貧しい者に大いなる事をして下さったと、多くの人々が誉め称えるためである。(ルカ1:46-55)
礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
川越純福音教会断食聖会メッセージ1 メッセンジャー:林和也(ヨハネ4章):右クリックで保存
川越純福音教会断食聖会メッセージ2 メッセンジャー:川合ゆきえ(イザヤ書58章):右クリックで保存
礼拝説教メッセージ音声:短命な士師達(士師記12:1-15):右クリックで保存
イスラエルはせっかくアンモン人という敵に勝ったのに、内に棲む敵の故に、多くの犠牲者を出してしまう。
その内なる敵とは、名誉欲や嫉妬、自己義という、肉の内に潜む罪である。
『エフライムの人々は集まってザポンに行き、エフタに言った、「なぜあなたは進んで行ってアンモンの人々と戦いながら、われわれを招いて一緒に行かせませんでしたか。われわれはあなたの家に火をつけてあなたを一緒に焼いてしまいます」。』(士師記12:1)
エフライム族は、自分達はヤコブから右手の祝福を受けた者だという奢りがあったのかもしれない。(創世記48:14)
彼らは、ギデオンの時代にも、彼ら抜きで闘いにギデオンが勝利した事後、この闘いになぜ自分たちを誘わなかったのか、と言って迫った。
現代でも、「なぜ自分をその大事な会議に誘わなかったのか」などと言って、平和に物事が進んでいる所に余計な波風を立て、ややこしくしてしまうような者がいるが、高ぶった者は、何でもしゃしゃり出てずにはおれず、その者自身を滅びに招き、そればかりでなく、その集団全体に災いを招いてしまう。
『高ぶりは滅びにさきだち、誇る心は倒れにさきだつ。 』(箴言16:18)と記されている通りである。
おおよそ、同国民同士の争いや殺し合いの原因は、嫉妬である。
カインが弟を殺したのも、嫉妬が原因だった。
『あなたがたの中の戦いや争いは、いったい、どこから起るのか。それはほかではない。あなたがたの肢体の中で相戦う欲情からではないか。あなたがたは、むさぼるが得られない。そこで人殺しをする。熱望するが手に入れることができない。そこで争い戦う。あなたがたは、求めないから得られないのだ。求めても与えられないのは、快楽のために使おうとして、悪い求め方をするからだ。』(ヤコブ4:1-3)
ギデオンの時は、平和の内にエフライム族をあしらって、争いを回避し、敵をさらに追撃しに行ってイスラエルに平和を取り戻した。(士師記8章)
しかし今回、エフタは、相手の低レベルな土俵に降りてきてしまい、平和を失ってしまう。
『エフタは彼らに言った、「かつてわたしとわたしの民がアンモンの人々と大いに争ったとき、あなたがたを呼んだが、あなたがたはわたしを彼らの手から救ってくれませんでした。あなたがたが救ってくれないのを見たから、わたしは命がけでアンモンの人々のところへ攻めて行きますと、主は彼らをわたしの手にわたされたのです。どうしてあなたがたは、きょう、わたしのところに上ってきて、わたしと戦おうとするのですか」。』(士師記12:2-3)
これは正論かもしれない。しかし、いかにこちらが正論を持っていると言えども、相手の低次元な言葉のふっかけに真正面から返して感情的になってしまうなら、話はさらにややこしくなってしまう。
『そこでエフタはギレアデの人々をことごとく集めてエフライムと戦い、ギレアデの人々はエフライムを撃ち破った。これはエフライムが「ギレアデびとよ、あなたがたはエフライムとマナセのうちにいるエフライムの落人だ」と言ったからである。』(士師記12:4)
エフライム族は、エフタやギレアデ人を「落人」だと言って、ばかにしている。
このような低レベルな者である。きっと、エフタが遊女の子である事や、全く関係の無い所で、人格攻撃をしただろう。
エフタは怒りの火がついてしまい、こうして、イスラエル部族内で戦争状態になってしまった。
普通、敵に勝利したなら、平和が取り戻されるはずが、勝利したが故に、無駄な争いが味方同士で勃発してしまう。
『乳をかき回すと凝乳ができる。鼻をねじると血が出る。怒りをかき回すと争いが起こる。』(箴言30:33)と記されている通りである。
プライドが強く、何でもかんでも、しゃしゃり出ずにはおれない者が、その集団を内部から争いへと導いてしまうものだ。
私達は、そのような者達を、賢くあしらわなくてはならない。
賢いあしらいとは、ギデオンのように、相手の土俵に乗らず、柔和に対応する事だ。
『怒りをおそくする者は英知を増し、気の短い者は愚かさを増す。穏やかな心は、からだのいのち。激しい思いは骨をむしばむ。』(箴言14:29-30)
『そしてギレアデびとはエフライムに渡るヨルダンの渡し場を押えたので、エフライムの落人が「渡らせてください」と言うとき、ギレアデの人々は「あなたはエフライムびとですか」と問い、そ の人がもし「そうではありません」と言うならば、またその人に「では『シボレテ』と言ってごらんなさい」と言い、その人がそれを正しく発音することができないで「セボレテ」と言うときは、その人を捕えて、ヨルダンの渡し場で殺した。その時エフライムびとの倒れたものは四万二千人であった。』(士師記12:5-6)
この「シボレテ」は、「流れ」「洪水」などの意味があり、頭文字は「シ」とも「セ、スィ」とも発音される言葉である。
ギルアデ人は、戦いに負けて逃げようとしているエフライム人を、出国させず、ヨルダン川の渡し場で四万人以上を殺した。
それもまた、明らかにやり過ぎである。そのような怒りを燃やして憐れみを閉ざす者は、命を短くしてしまう。
『エフタは六年の間イスラエルをさばいた。ギレアデびとエフタはついに死んで、ギレアデの自分の町に葬られた。』(士師記12:7)
六年という統治。未だかつて無い短さである。
柔和な者は地を相続する。
しかしその逆の、激しく怒る者は、統治の権が奪われ、いのちを短くしてしまうのだ。
エフタには、やくざ者を統率する程の力があり、頭も良く、御言葉を良く知っていたが、自分の正論を築き上げてその道に突っ走ってしまう彼の性質が元で、大切な娘を失ってしまい、さらにはイスラエルを混乱状態へと導いてしまい、そして、自分の統治といのちを短くしてしまった。
エフタの後、さらに、三人の士師が現れては消える。
『彼の後にベツレヘムのイブザンがイスラエルをさばいた。彼に三十人のむすこがあった。また三十人の娘があったが、それを自分の氏族以外の者にとつがせ、むすこたちのためには三十人の娘をほかからめとった。彼は七年の間イスラエルをさばいた。イブザンはついに死んで、ベツレヘムに葬られた。彼の後にゼブルンびとエロンがイスラエルをさばいた。彼は十年の間イスラエルをさばいた。ゼブルンびとエロンはついに死んで、ゼブルンの地のアヤロンに葬られた。
彼の後にピラトンびとヒレルの子アブドンがイスラエルをさばいた。彼に四十人のむすこ及び三十人の孫があり、七十頭のろばに乗った。彼は八年の間イスラエルをさばいた。ピラトンびとヒレルの子アブドンはついに死んで、エフライムの地のアマレクびとの山地にあるピラトンに葬られた。』(士師記12:8-15)
彼らが何をした、とは記されていないが、いずれも子が多い。おそらく、政略結婚などで多くの妻を持ったのだろう。
ギデオンの時にも学んだが、妻が多い事も、災いの元である。
この士師記12章には4人の士師達が現れては消えていくが、その中で最も統治が長かったのは(と言ってもわずか10年だが)、子の数が一切記されていないエロンだった。
このように、自分のよかれを押し通す時代、士師記の時代が進めば進む程、混迷もまた深まっていく。
自分の”よかれ”は速やかに十字架の元に下ろし、主の御言葉に聞き従う人は、いのちを長くし、何をしても栄える。私達は、そうあるべきである。
『これはあなたが子や孫と共に、あなたの生きながらえる日の間、つねにあなたの神、主を恐れて、わたしが命じるもろもろの定めと、命令とを守らせるため、またあなたが長く命を保つことのできるためである。それゆえ、イスラエルよ、聞いて、それを守り行え。そうすれば、あなたはさいわいを得、あなたの先祖の神、主があなたに言われたように、乳と蜜の流れる国で、あなたの数は大いに増すであろう。』(申命記6:2-3)
リベカ - 主に整えられていた導き(創24:10-27)
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アブラハムの老僕は、遥々千キロ旅をして、やっとアブラハムの故郷に着いたが、心は曇っていた。
見ず知らずの遠い土地の、一度も会った事もない男性に嫁ぎに来てくれるような女性を、アブラハムの血縁の信仰者の中から探し、連れて行くという、条件があまりに厳しすぎる、結婚相手探しの旅である。
もしその女性に断られ、敬愛する主人アブラハムの元に一人で帰らなくてはならないとしたら、主人とイサクはどれ程落胆するだろう。ともかく彼は、夕暮れ時、井戸の傍にらくだを臥させて待った。
当時、水汲みは女の仕事で、女達は涼しくなる夕暮れ時に水を汲みに来るからである。老僕はこのように、来るべき所まで旅し、知恵を駆使して、女性が集いそうな所で待つという所まで実行したが、それ以上の事は、自分の知恵や力ではどうしようも無い。そこで彼は、必死に祈る。「主人アブラハムの神、主よ、どうかきょう、わたしにしあわせを授け、主人アブラハムに恵みを施してください。」(12節)
私達も、主人イエス様の幸いのために知恵と力を尽くして仕え、為すべき事を為したら、後は祈るのみだ。
この僕は、イサクの結婚相手が具体的にわかるよう祈り求めた。『私が娘に「どうかあなたの水がめを傾けて私に飲ませてください。」と言い、その娘が『お飲みください。私はあなたのらくだにも水を飲ませましょう。』と言ったなら、その娘こそあなたがしもべイサクのために定めておられたのです。』(14節)
アブラハムは条件の厳しい頼み事を、僕に託したが、この僕が主に求めた事も、かなり条件が厳しい。
当時の井戸は竪穴で、水を汲むには、内周の階段を降りて行き、何キロにもなった水がめを持って登るという大変な労働であり、しかも、砂漠を旅したらくだは風呂桶ほどの量の水さえ平気で飲み干してしまう。
水をくみに来る女性は当然、見慣れぬ十頭のらくだが目に入るだろう。それを見ておきながら、らくだにも水を飲ませましょうと自ら申し出る女性がいるなら、よほど親切で、勤勉で、もてなしの豊かな女性である。
彼がその祈りを終わるか終わらないかの内に、ちょうど一人の美しい女性が水を汲みに来た。
老僕は彼女に駆け寄り、「あなたの水がめの水を少し飲ませてください」と語りかけると、彼女は「わが主よ、お飲みください」と答えて、飲ませてくれたばかりでなく、「あなたのらくだもみな飲み終るまで、わたしは水をくみましょう」と自ら走って行き、全てのらくだにも水 を汲だ。彼が祈り終わらない内に来た女性が、彼が願った以上の事をあっけなく成してしまった。
しもべは最後までじっと見守っていた。私達も、祈ったなら主が成し遂げて下さるまで信じて見守るべきだ。
彼女はらくだ全部にも水を飲ませたが、御国の花嫁として最も肝心な事は、勤勉さや人の良さではない。アブラハムの血縁の者、すなわち、神を畏れる者である事だ。そこで彼は贈り物の品を取って彼女に聞く。
「あなたはだれの娘か、わたしに話してください。」彼女は答えた、「わたしはナホルの妻ミルカの子ベトエルの娘です。」これではっきりした。彼女こそ全て条件を満たした娘、イサクの嫁となるリベカである。
リベカは、普段から勤勉で、目上の旅人を迷わずにもてなす品性を持ち、らくだという”所有物”さえ疎かにしない「小さな事への忠実さ」を持っていた。それで主は彼女に、栄光の家系の母という、大きな任をまかされたのだ。私達も日々、小さい事にも忠実に仕え、自らを霊的に整えているなら、主はさらに大きな事を任せるために、素晴らしく整えられた結婚相手、あるいは整えられた連合先へと、導いて下さるのだ。
老僕は主を褒め讃え、その場でひざまづいて礼拝せざるを得なかった。私達も、物事は具体的に祈るべきであり、祈ったら焦らずじっと見守り、叶えられたなら真っ先に礼拝して、感謝と賛美を捧げるべきである。
今回は、出来過ぎた話に思える程、物事がとんとん拍子に進んだが、クリスチャンは何でもかんでもとんとん拍子に進むわけではないし、神様も、人の身勝手な願いを何でも叶えて下さるわけではない。
このしもべは、”主人アブラハム”のために、祈って、叶えられたように、私達も、主人であるキリストの御心が成就するようにと祈るなら、その祈りは良しとされ、物事はとんとん拍子に進むのだ。
今の時代、信仰者の結婚相手を見つける事に限らず、信仰の働き人を見つける事も難しいように見えるかもしれないが、主はちゃんと必要な伴侶を、バアルに膝を屈めない七千人を、備えておられるのである。
主はその民には、物事がうまく行くよう、神様が特別優遇パスを用意しておられるのだ。(詩篇4篇)
私達が心を尽くして主を愛し、主の御声に聞き従い、御言葉を守り行うなら、私達は主の宝の民となり、世を歩く時も、あらゆる局面でも、主からの特別待遇をいつでも受けられるのだ。(申命記26:16-19)