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汚れた者と共にくびきを負ってしまったヨシャパテ(2歴代誌18:1-8)
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- pastor 2018-1-17 7:09
汚れた者と共にくびきを負ってしまったヨシャパテ(2歴代誌18:1-8)
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2歴代誌18:1 ヨシャパテは大いなる富と誉とをもち、アハブと縁を結んだ。
アハブは、イスラエル史上、最悪の王とされている。
ヨシャパテはせっかく自国を霊的に清め、主から祝福を受けたのに、よりによってアハブと縁を結んでしまった。
これがきっかけで、ヨシャパテは諸々の災いの中に突入して行く事になる。
18:2 彼は数年の後、サマリヤに下って、アハブをおとずれた。アハブは彼と彼に従ってきた民のために羊と牛を多くほふり、ラモテ・ギレアデに一緒に攻め上ることを彼にすすめた。
アハブは豪勢なごちそうの接待でヨシャパテを迎え、一緒にラモテ・ギルアデ、すなわちシリアに、一緒に戦いを仕掛けよう、とすすめた。
実はその少し前、シリヤは圧倒的な大軍を率いてアハブの国に攻めて来た事が、二度あったにもかかわらず、二度とも、主の一方的な憐れみ故に勝利できた。
それなのにアハブは主に感謝せず、主に聞こうともせず、勝手にシリヤと契約を結び、みすみす王を逃してしまった経緯がある。(1列王記20章)
それ以来、シリヤはイスラエルに攻めてくる事はしなかったが、シリヤは、イスラエルに返還すると約束していた町々を返さないまま年月が過ぎた。
アハブはシリヤと「契約」を結んだのだから、本来、外交的に使者を遣わして申し出るのが筋であるはずだが、いきなり「奪い返す」という暴力手段に訴えようとしている。
それも、ヨシャパテ王が、友好的な関係を結ぼうとして来たタイミングで。
アハブはヨシャパテをごちそう攻めにして、彼を利用して戦争しようとしたのだ。
2歴代誌18:3 イスラエルの王アハブはユダの王ヨシャパテに言った、「あなたはわたしと一緒にラモテ・ギレアデに攻めて行きますか」。ヨシャパテは答えた、「わたしはあなたと一つです、わたしの民はあなたの民と一つです。わたしはあなたと一緒に戦いに臨みましょう」。
ヨシャパテは「わたしはあなたと一つです、わたしの民はあなたの民と一つ」などと答えてしまった。
どれ程本気で言ったのかは分からないが、しかし発せられた言葉は、力を持ってしまう。
私達はこの口から出る言葉を、よく注意し管理するべきだ。良い言葉すなわち神の御言葉を信仰じて発するなら、良き主人が良い実を落として下さる。しかし悪い事を言ったら、空中の悪い主人が悪い実を振り落とさせてくる。
『人は自分の言葉の結ぶ実によって、満ち足り、そのくちびるの産物によって自ら飽きる。死と生とは舌に支配される、これを愛する者はその実を食べる。』(箴言18:20)
ヨシャパテはアハブと一緒になり、アハブの汚れた欲望を満たす道具となってしまい、欺瞞に満ちた争いごとに加担してしまった故、その報いを受ける事になって行く。
主は、悪い交わりとは関わりを持ってはならない、と戒められる。
『不信者と、つり合わないくびきを共にするな。義と不義となんの係わりがあるか。光とやみとなんの交わりがあるか。キリストとベリアルとなんの調和があるか。信仰と不信仰となんの関係があるか。神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮である。神がこう仰せになっている、/「わたしは彼らの間に住み、/かつ出入りをするであろう。そして、わたしは彼らの神となり、/彼らはわたしの民となるであろう」。
だから、「彼らの間から出て行き、/彼らと分離せよ、と主は言われる。そして、汚れたものに触れてはならない。触れなければ、わたしはあなたがたを受けいれよう。そしてわたしは、あなたがたの父となり、/あなたがたは、/わたしのむすこ、むすめとなるであろう。全能の主が、こう言われる」。』(2コリント6:14-18)
主は、私達の内に住まわれる故、私達の内に汚れたものがあるとするなら、聖であられる主は、共にいてくださらない。
だから、汚れた行いや汚れた交友関係からは出ていくべきであり、もし既に出ているのであれば、悪者同士が裏切りあったり騙しあったり、争いあったりする中へと入っていってはならないのだ。
私達は、イエス様くびきを共にすべきである。
イエス様は、わたしのくびきを負いなさい、と言っている。
マタイ11:28 すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
11:29 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。
では、キリスト者と言われている者の中で、汚れた事をする者についてはどうすればいいか。パウロは書いている。
1コリント5:9 わたしは前の手紙で、不品行な者たちと交際してはいけないと書いたが、
5:10 それは、この世の不品行な者、貪欲な者、略奪をする者、偶像礼拝をする者などと全然交際してはいけないと、言ったのではない。もしそうだとしたら、あなたがたはこの世から出て行かねばならないことになる。
5:11 しかし、わたしが実際に書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、不品行な者、貪欲な者、偶像礼拝をする者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪をする者があれば、そんな人と交際をしてはいけない、食事を共にしてもいけない、ということであった。
5:12 外の人たちをさばくのは、わたしのすることであろうか。あなたがたのさばくべき者は、内の人たちではないか。外の人たちは、神がさばくのである。
5:13 その悪人を、あなたがたの中から除いてしまいなさい。
パウロは言った。キリストにあってひと度救われた人の中で、なおも汚れた事を止めない、その汚れた事をしてしまう自分を悲しまないで、堂々として、兄弟姉妹を悲しませ、聖なる集いを汚すような者とは、交際してはならない、食事さえ、一緒にしてはならない、と。
確かに汚れた事をする者一人が、聖なる食卓を汚すものである。
「その悪人を、あなたがたの中から除いてしまいなさい。」(1コリント5:13)と書いてある。
2歴代誌18:4 ヨシャパテはまたイスラエルの王に言った、「まず主の言葉を求めなさい」。
アハブは自分が戦いを起こす事について、主に聞いていなかった。
しかしヨシャパテが南ユダ王国の良い王として数えられたのは、主に聞くたしなみがあったからだった。
2歴代誌18:5 そこでイスラエルの王は預言者四百人を集めて彼らに言った、「われわれはラモテ・ギレアデに、戦いに行くべきか、あるいは控えるべきか」。彼らは言った、「上って行きなさい。神はそれを王の手にわたされるでしょう」。
アハブには、400人ほどの預言者がいた。
エリヤは、バアルの預言者400人と、アシェラの預言者450人と戦ったが、アハブは、預言者をたくさん集めるのが好きなようである。
しかし、預言者は、頭数が多ければ良いというものではない事はエリヤの時に証明されたはずだ。
神の国の運営は、多数決の原理ではない。60%の預言者がイエスで、40%がノーなら、60%で行こう、というようなものでは決して無い。
主はただ、100%間違いの無い、真実な御言葉によって示されるものであるからだ。
パウロは言う。
『神のみまえと、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスのみまえで、キリストの出現とその御国とを思い、おごそかに命じる。御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。』(2テモテ4:1-4)
アハブはまさに、「健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれて」いる状態だ。
これらの大勢の預言者達は、「神はそれを王の手にわたされるでしょう」と口をそろえて言っているが、この”神”は、エホバではない。どの神かも分からない。
ヨシャパテ王は、400人皆が皆こぞってアハブに都合の良い事を告げるのを見て、何か非常に胡散臭いものを感じたのだろう。
18:6 ヨシャパテは言った、「ほかにわれわれが問うべき主の預言者はここにいませんか」。
18:7 イスラエルの王はヨシャパテに言った、「ほかになおひとりいます。われわれはこの人によって主に問うことができますが、彼はわたしについて良い事を預言したことがなく、常に悪いことだけを預言するので、わたしは彼を憎みます。その者はイムラの子ミカヤです」。ヨシャパテは言った、「王よ、そうは言わないでください」。
18:8 そこでイスラエルの王はひとりの役人を呼んで、「イムラの子ミカヤを急いで連れてきなさい」と言った。
アハブは、主エホバの御心を伺うことのできる預言者が、いる、と答えた。
いたのに、その預言者はそこには呼ばず、彼以外の、しかも主エホバの御心を伺う事をしない400人を連れてきて、こぞってアハブに都合の良い事を言わせ続けていた。
アハブはその預言者を憎んでいるとヨシャパテに言ったが、その憎んでいる理由は、彼はアハブに良い事を預言せず、悪いことばかり預言するからだ、と言った。
自分が気に入る・気に入らないの基準で、主の言葉を伝える人を受け入れたり拒否したりする。
そのような人は、アハブの道、滅んでしまう人の道を歩んでいるのだ。
ヨシャパテは、アハブと縁を結んでしまった事がきっかけで、諸々の災いの中に突入して行く事になる。
私達はそのような汚れた
私達は汚れた者とは最初から付き合う事をせず、ましてやくびきを共にする事なく、ただイエス様と共にくびきを負って歩み、災い知らずの歩みを主と共にして行きたい。
ヨシャパテ - 主の祝福が留まり続ける人のたしなみ(2歴代誌17章)
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- 執筆 :
- pastor 2018-1-16 6:55
ヨシャパテ - 主の祝福が留まり続ける人のたしなみ(2歴代誌17章)
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アサは最初は主に従う王であったが、最終的に驕り高ぶってしまい、足の病によって死んでしまった。
17:1 アサの子ヨシャパテがアサに代って王となり、イスラエルに向かって自分を強くし、
17:2 ユダのすべての堅固な町々に軍隊を置き、またユダの地およびその父アサが取ったエフライムの町々に守備隊を置いた。
アサの子ヨシャパテは、良い王として記録されており、歴代誌では4章に渡ってその行いが記されている。
彼が歩んだ道は、私達に大いに示唆を与えてくれる。
17:3 主はヨシャパテと共におられた。彼がその父ダビデの最初の道に歩んで、バアルに求めず、
17:4 その父の神に求めて、その戒めに歩み、イスラエルの行いにならわなかったからである。
17:5 それゆえ、主は国を彼の手に堅く立てられ、またユダの人々は皆ヨシャパテに贈り物を持ってきた。彼は大いなる富と誉とを得た。
なぜ主がヨシャパテと共におられたのか。その理由がこれらの節の中に込められている。
すなわち、彼がダビデの最初の道に歩み、バアルに求めず、父の神に求め、その戒めに歩み、イスラエルの行いにならわなかった、からだ。
主が共におられた人は、聖書の中に幾つか見られるが、共通する事は、彼らは全て、主を敬い、主を第一としていた点である。
ヤコブの子ヨセフはそうだった。
創世記39:1 さてヨセフは連れられてエジプトに下ったが、パロの役人で侍衛長であったエジプトびとポテパルは、彼をそこに連れ下ったイシマエルびとらの手から買い取った。
39:2 主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な者となり、その主人エジプトびとの家におった。
39:3 その主人は主が彼とともにおられることと、主が彼の手のすることをすべて栄えさせられるのを見た。
ヨセフは、兄弟達の悪意に対して悪を返すことをせず、ポティファルの妻に陥れられ牢に入れられても、その先々で権威に忠実に従うスタンスを捨てたりしなかった。
彼はいつでも「神は」が口ぐせで、どんな事があっても自分の手柄にはしなかった。
そのヨセフの性質の故に、神が彼を守り、彼の敵に神が弓を射返し(詩篇64篇)、流れのほとりに植えられた木のように、時が来た時には垣根を越えて広がる程の、豊かな実を結ばせるに至ったのだ。
私達も、イスラエルの岩なる牧者・イエスキリストに拠り頼む事によって、あらゆる悪から守られる。
17:6 そこで彼は主の道に心を励まし、さらに高き所とアシラ像とをユダから除いた。
この、自分達の中から主に忌み嫌われるものを取り除く、という行為は、私達が周囲から恐れられ、高められる、という事をもたらず。(後述)
17:7 彼はまたその治世の三年に、つかさたちベネハイル、オバデヤ、ゼカリヤ、ネタンエルおよびミカヤをつかわしてユダの町々で教えさせ、
17:8 また彼らと共にレビびとのうちからシマヤ、ネタニヤ、ゼバデヤ、アサヘル、セミラモテ、ヨナタン、アドニヤ、トビヤ、トバドニヤをつかわし、またこれらのレビびとと共に祭司エリシャマとヨラムをもつかわした。
17:9 彼らは主の律法の書を携えて、ユダで教をなし、またユダの町々をことごとく巡回して、民の間に教をなした。
ヨシャパテは、主の道に歩むことで祝福され、ますます主を愛する心が奮い立ち、主の道を町々に教えた。
主を恐れることを配下の人々に教える、これは祝福が倍増する秘訣である。
例えばヨシャパテの教育の結果、配下に百万の主に従う人が育ったとしたなら、主に祈る人が百万倍になり、主に愛され主から守られる人が百万倍に増える、という事になるからだ。
17:10 そこでユダの周囲の国々は皆主を恐れ、ヨシャパテと戦うことをしなかった。
17:11 また、ペリシテびとのうちで贈り物や、みつぎの銀をヨシャパテの所に持ってくる者があり、またアラビヤびとは雄羊七千七百頭、雄やぎ七千七百頭を彼に持ってきた。
主を恐れるなら、周囲の主を知らない者達から恐れられる。
ヤコブがまさにそうだった。
創世記35:1 ときに神はヤコブに言われた、「あなたは立ってベテルに上り、そこに住んで、あなたがさきに兄エサウの顔を避けてのがれる時、あなたに現れた神に祭壇を造りなさい」。
35:2 ヤコブは、その家族および共にいるすべての者に言った、「あなたがたのうちにある異なる神々を捨て、身を清めて着物を着替えなさい。
35:3 われわれは立ってベテルに上り、その所でわたしの苦難の日にわたしにこたえ、かつわたしの行く道で共におられた神に祭壇を造ろう」。
35:4 そこで彼らは持っている異なる神々と、耳につけている耳輪をことごとくヤコブに与えたので、ヤコブはこれをシケムのほとりにあるテレビンの木の下に埋めた。
35:5 そして彼らは、いで立ったが、大いなる恐れが周囲の町々に起ったので、ヤコブの子らのあとを追う者はなかった。
主の恐れが、ヤコブの周辺に及んだ。それは、ヤコブが「異なる神々を捨て、身を清めて着物を着替え」、主が最初に現れてくださったベテルへ戻り、主を礼拝する志を確立させたからだ。
このように、主に忌み嫌われるものと主以外に頼りとするものとを捨て去り、身をきれいにして生き方を改め、そして、主を礼拝する志を確立させるなら、主はその道を守るために、周囲に恐れを送られる。
2歴代誌17:12 こうしてヨシャパテはますます大いになり、ユダに要害および倉の町を建て、
17:13 ユダの町々に多くの軍需品を持ち、またエルサレムに大勇士である軍人たちを持っていた。
私達も、主を敬い、主を第一とし続けるなら、その間、主の祝福がいつも留まり続けるのである。
どんな密室で言った言葉も、翼ある者が聞いており記録されている(マタイ12:33-37)
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- pastor 2018-1-15 6:43
どんな密室で言った言葉も、翼ある者が聞いており記録されている(マタイ12:33-37)
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マタイ12:33 木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければ、その実も悪いとせよ。木はその実でわかるからである。
12:34 まむしの子らよ。あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることができようか。おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである。
12:35 善人はよい倉から良い物を取り出し、悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。
12:36 あなたがたに言うが、審判の日には、人はその語る無益な言葉に対して、言い開きをしなければならないであろう。
12:37 あなたは、自分の言葉によって正しいとされ、また自分の言葉によって罪ありとされるからである」。
創世記4:6 そこで主はカインに言われた、「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。
4:7 正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。
4:8 カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。
4:9 主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。カインは答えた、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。
伝道者の書10:20 あなたは心のうちでも王をのろってはならない、また寝室でも富める者をのろってはならない。空の鳥はあなたの声を伝え、翼のあるものは事を告げるからである。
エペソ2:2 かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。
詩篇17:1 ダビデの祈
主よ、正しい訴えを聞き、わたしの叫びにみ心をとめ、偽りのないくちびるから出るわたしの祈に/耳を傾けてください。
17:2 どうかわたしについての宣告がみ前から出て、あなたの目が公平をみられるように。
17:3 あなたがわたしの心をためし、夜、わたしに臨み、わたしを試みられても、わたしのうちに/なんの悪い思いをも見いだされないでしょう。わたしの口も罪を犯しません。
17:4 人のおこないの事をいえば、あなたのくちびるの言葉によって、わたしは不法な者の道を避けました。
17:5 わたしの歩みはあなたの道に堅く立ち、わたしの足はすべることがなかったのです。
詩篇12:1 主よ、お助けください。神を敬う人は絶え、忠信な者は人の子らのなかから消えうせました。
12:2 人はみなその隣り人に偽りを語り、へつらいのくちびると、ふたごころとをもって語る。
12:3 主はすべてのへつらいのくちびると、大きな事を語る舌とを断たれるように。
12:4 彼らは言う、「わたしたちは舌をもって勝を得よう、わたしたちのくちびるはわたしたちのものだ、だれがわたしたちの主人であるか」と。
12:5 主は言われる、「貧しい者がかすめられ、乏しい者が嘆くゆえに、わたしはいま立ちあがって、彼らをその慕い求める安全な所に置こう」と。
12:6 主のことばは清き言葉である。地に設けた炉で練り、七たびきよめた銀のようである。
12:7 主よ、われらを保ち、とこしえにこの人々から免れさせてください。
12:8 卑しい事が人の子のなかにあがめられている時、悪しき者はいたる所でほしいままに歩いています。
言葉の振動によって世界をつくる神と私達(詩篇19篇)」
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週報/メッセージ(説教)概要
前回、天を揺り動かして祝福をふるい落とそう、という事が語られた。良い木を揺り動かしたら良い果物が落ちて来るように、今年は私達も、天を揺り動かし、良いものを振るい落として拾い集めよう、という事が語られた。ではどうやって天を揺り動かす事ができるのか。それは、御言葉を声で発する事によって、である。
言葉は、振動である。喉を触りながら言葉を発すると声帯が震えているのが分かるが、その震えが空気を伝わって相手の耳に届き、耳の鼓膜を振動させ、言葉が伝達する。この「振動」はとても興味深い。ある周波数の音は人を癒し、ある音は不快にする。ある内容の言葉は人を生かし、ある言葉は人を死へと導く。
音叉を水面に立ててその音叉を鳴らせる時、固有の波紋が生じるのだが、音叉が出す周波数によって、波紋の形が、花の形そのものになったり、ある周波数では巻き貝の模様そのものになったり、あるいは台風の渦や、銀河の渦そのものの形になったりする。
全被造物は、神のことばによって創造された。周波数と振動があることばのとどろきによって。ことばによらずに出来たものは、宇宙に一つも無い。(ヨハネ1:1-3) 宇宙が創造された時、宇宙は歌で満ちていた。
『かの時には明けの星は相共に歌い、神の子たちはみな喜び呼ばわった。』(ヨブ記38:7) この宇宙はその歌が今なお残って広がっている。そしてやがて、神の言葉のとどろきによって滅ぼされる。『主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。』(2ペテロ3:10 ) 全宇宙は、今なお「神の言葉の振動」で満ちており、「ことば(ロゴス:”理”)」をもって定めた諸々の法則をもって、万物を保たたせているのだ。
『もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。神は日のために幕屋を天に設けられた。日は花婿がその祝のへやから出てくるように、また勇士が競い走るように、その道を喜び走る。それは天のはてからのぼって、天のはてにまで、めぐって行く。その暖まりをこうむらないものはない。』(詩篇19:1-6)
神は唯一、人を、神の似姿として創られた。人が他の被造物と違う点は、ことばを話す、という点である。
だから、私達が言葉を発して空気を震え動かし、天をゆり動かす事によって、世界の諸々の事象に変化を加える事が出来るのである。アダムとエバは、神の言葉に逆らい、神から離れた自分勝手な善悪判断を、くちびるから発するようになり、自分自身は呪われ、そして全被造物は呪われてしまった。(ローマ8:22)
彼らは「目が開け」、言葉によってでなく見えるものによって一喜一憂するようになった。(申命記28:34)
この呪いを、唯一打ち消すのは、世界を創造された神のことばを信じ、口から発する事によって、である。
『悪人はくちびるのとがによって、わなに陥る、しかし正しい人は悩みをのがれる。人はその口の実によって、幸福に満ち足り、人の手のわざは、その人の身に帰る。』(箴言12:13-14) 悪人がこうむる災いは、くちびるから発した悪い言葉が、空気を振動させ、霊の世界に伝達し、悪霊たちを惹きつけさせ、災いが振りかかる。ちょうどやまびこのように、言葉は遠くまで伝達して行った後、自分自身に跳ね返って来るのだ。
「霊」はギリシア語でπνεῦμα(ニューマ)、風、息、動く空気の事である。(ヨハネ3:5-8) 言葉は空気を震えさせるだけだと思ってはならない。霊の世界に伝達し、そしてかつ、全て記録されているのだ。『審判の日には、人はその語る無益な言葉に対して、言い開きをしなければならないであろう。』(マタイ12:36)
だから、私達はこの口から出る言葉を、よく注意し管理するべきだ。良い言葉すなわち神の御言葉を信仰じて発するなら、良き主人が良い実を落として下さる。しかし悪い事を言ったら、空中の悪い主人が悪い実を振り落とさせてくる。 『人は自分の言葉の結ぶ実によって、満ち足り、そのくちびるの産物によって自ら飽きる。死と生とは舌に支配される、これを愛する者はその実を食べる。』(箴言18:20)
以上のように、言葉を声として発する事には、霊を揺り動かし宇宙をも動かす力がある。
この教会は奇しくも「天声教会」という名である。この新しい年、信仰を混ぜた御言葉宣言により、天の声をもって世界を揺り動かし、自分の家に、人生に、家族に、職場に、たくさん祝福を振るい落としていくみなさんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
既にさばかれている者 - 光が来ているのになお闇を愛する者(ヨハネ3:13-21)
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- pastor 2018-1-12 23:50
「傲慢」という敵によって負かされてしまったアサ王(2歴代誌16章)
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アサは、主の目に適った良い王として記され、当時はその名声が鳴り響いた。
しかし、成功し栄えた人生を暫く送った時、誰にも例外なく忍び寄ってくる敵が現れる。
それは、私達の内に潜む「傲慢」という罪だ。
この「傲慢」という敵を対処しなかった故に、せっかく大成功したのに、大きく落ちぶれてしまった王達、牧師達もまた数多いる。
アサも、その例にもれなかった。
16:1 アサの治世の三十六年にイスラエルの王バアシャはユダに攻め上り、ユダの王アサの所にだれをも出入りさせないためにラマを築いた。
彼の治世は41年だったので、36年目は、彼の治世が終わる5年前である。
その時に、事が起きた。
ラマは要所であり、そこを敵に封鎖されるなら、南ユダにとってかなり不利な事になる。
16:2 そこでアサは主の宮と王の家の宝蔵から金銀を取り出し、ダマスコに住んでいるスリヤの王ベネハダデに贈って言った、
16:3 「わたしの父とあなたの父の間のように、わたしとあなたの間に同盟を結びましょう。わたしはあなたに金銀を贈ります。行って、あなたとイスラエルの王バアシャとの同盟を破り、彼をわたしから撤退させてください」。
16:4 ベネハダデはアサ王の言うことを聞き、自分の軍勢の長たちをつかわしてイスラエルの町々を攻め、イヨンとダンとアベル・マイムおよびナフタリのすべての倉の町を撃った。
16:5 バアシャはこれを聞いて、ラマを築くことをやめ、その工事を廃した。
16:6 そこでアサ王はユダの全国の人々を引き連れ、バアシャがラマを建てるために用いた石と木材を運んでこさせ、それをもってゲバとミヅパを建てた。
一見すると、ある脅威に対して外交的手腕を働かせ、それが功を奏し、以前よりも良くなった状態になった、かのように見えるが、実はこの解決方法に既に問題があった。
アサは、かつてのように主に伺ったり寄り頼んだりする事ではなく、持てる資産や手腕を用いて解決しようとした。
それも、ひと度「主のもの」として聖別したはずの金銀の宝物を、主の宮から持ちだし、それを異邦の王、ベン・ハダデに贈って、外交交渉をしたのだ。
主の民は、主に依り頼むべきであって、世のものに自分の宝を明け渡すべきでない。
私達は王族として、世のものを支配する権威が与えられた。世のものが頭をもたげて来ようとした時、踏みつけるべきである。
アサは、一度主に捧げられ、もう自分の手から離れ、主のものとして聖別された宝を、世に媚びて、世に貢いでしまった事について、主から警告を受ける。
16:7 そのころ先見者ハナニがユダの王アサのもとに来て言った、「あなたがスリヤの王に寄り頼んで、あなたの神、主に寄り頼まなかったので、スリヤ王の軍勢はあなたの手からのがれてしまった。
16:8 かのエチオピヤびとと、リビアびとは大軍で、その戦車と騎兵は、はなはだ多かったではないか。しかしあなたが主に寄り頼んだので、主は彼らをあなたの手に渡された。
16:9 主の目はあまねく全地を行きめぐり、自分に向かって心を全うする者のために力をあらわされる。今度の事では、あなたは愚かな事をした。ゆえにこの後、あなたに戦争が臨むであろう」。
彼は主に聖別し捧げたはずのものを、取って、異邦の王に手渡してしまった。
それまで主が守り、祝福を注いでくださった、その源を取って、他のおうに手渡してしまう。
そうするなら、その面において主からの守りが除かれ、自分の手でやりくりし戦い続けなくてはならなくなってしまうのだ。
彼の父祖ダビデは、預言者からの警告を受けた時、素直に自分が罪を犯した事を認め赦しを乞うた。
その本気度は、詩篇51篇を見れば分かる。
アサはどう対応したか。
16:10 するとアサはその先見者を怒って、獄屋に入れた。この事のために激しく彼を怒ったからである。アサはまたそのころ民のある者をしえたげた。
彼は自分を省みるのでなく、その先見者に対して怒りを燃やして、彼に「足かせ」を課した。
のみならず、その時、民のある者達を踏みにじった。
その結果、3章にわたって記されていたアサについてのストーリーは、突然、エンディングへと突入してしまう。
16:11 見よ、アサの始終の行為は、ユダとイスラエルの列王の書にしるされている。
16:12 アサはその治世の三十九年に足を病み、その病は激しくなったが、その病の時にも、主を求めないで医者を求めた。
病気になったら医者に頼るのは当然と思われるかもしれないが、この時ばかりは、そうではない。
主の言葉を届けに来た人に怒りを燃やし、「足かせ」をした結果、「足」の病が激しくなった。
これは、あからさまな主からのサインである。
そうであるなら、これは主からの警告である事は明確であり、主の前に出て、自らの罪を悔い改め、赦しを乞うべきなのに、逆に頑なになって、偶然の一致だ、これは普通に病気になったのだ、とばかりに、あくまで自分の非を認めようとせず、医者に助けを求めたのだ。
しかしそれを続けた結果、二年後に、その病が元で死んでしまう。
16:13 アサは先祖たちと共に眠り、その治世の四十一年に死んだ。
16:14 人々は彼が自分のためにダビデの町に掘っておいた墓に葬り、製香の術をもって造った様々の香料を満たした床に横たえ、彼のためにおびただしく香をたいた。
心が主から離れている人が、いかにむなしくなってしまうか、エレミヤ書に次のように記されている。
『主はこう言われる、「おおよそ人を頼みとし肉なる者を自分の腕とし、その心が主を離れている人は、のろわれる。彼は荒野に育つ小さい木のように、何も良いことの来るのを見ない。荒野の、干上がった所に住み、人の住まない塩地にいる。』(エレミヤ17:5-6)
医者に頼るとか、外交手腕に頼むとかが、問題なのではない。
問題は「心が主から離れている事」であり、その状態であるなら、主はその人にサインを送られる。
アサのように、足で罪を犯したなら、足に病を送られる、など。
この方面で、このタイミングで、この災が起こったなら、主からのサインを見極めるべきである。
それを、見て見ぬふりをし、強引に自分の非を認めない方向で行くなら、とても残念な結果が待っている。
主に依り頼んで行くなら、アサの前半人生のように祝福されるだろう。
しかし、祝福された後こそ、心して、傲慢の罪にこそ対処するべきである。
詩篇19:12 だれが自分のあやまちを知ることができましようか。どうか、わたしを隠れたとがから解き放ってください。
19:13 また、あなたのしもべを引きとめて、故意の罪を犯させず、これに支配されることのないようにしてください。そうすれば、わたしはあやまちのない者となって、大いなるとがを免れることができるでしょう。
この祈りが、いつでも私達の祈りとなり続けるべきである。
特に、主に依り頼んで成功した時こそ、そうである。
アサ - 御言葉に従う事の莫大な報酬(2歴代誌15章)
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主に頼って戦いに勝利したアサに、主は預言者を遣わして御心を示される。
2歴代誌15:1 時に神の霊がオデデの子アザリヤに臨んだので、
15:2 彼は出ていってアサを迎え、これに言った、「アサおよびユダとベニヤミンの人々よ、わたしに聞きなさい。あなたがたが主と共におる間は、主もあなたがたと共におられます。あなたがたが、もし彼を求めるならば、彼に会うでしょう。しかし、彼を捨てるならば、彼もあなたがたを捨てられるでしょう。
主が人の味方になるか、敵対者になるかは、結局、本人次第なのである。
2歴代誌15:3 そもそも、イスラエルには長い間、まことの神がなく、教をなす祭司もなく、律法もなかった。
このように書いてあるものの、主が「存在しなかった」わけではなく、律法すなわち御言葉が存在しなかったわけではない。
主は、有りて在られるお方であり、御言葉は世が終わった後も残るものである。
ただ、3節にあるとおり、本人自身に主を求める心が無いなら、本人自身の中に、その家庭に、その職場に、その国に、主がいないかのようになってしまうのだ。
本人自身が御言葉を無視し、全く信仰を働かせずに歩むなら、御言葉が存在しないかのようになってしまう。
あたかも、家の中には多くの札束があるのに、それを使わず、あたかもお金が全く無いかのように生きたまま、寿命が尽きてしまうように。
それは、まことにもったいない事だ。
2歴代誌15:4 しかし、悩みの時、彼らがイスラエルの神、主に立ち返り、彼を求めたので彼に会った。
15:5 そのころは、出る者にも入る者にも、平安がなく、大いなる騒乱が国々のすべての住民を悩ました。
平安がなく、騒乱と悩みがある。それは、御言葉に従わない事の報いである。
その逆は喜びと楽しさ、平安であるが、それらは、御言葉の知恵を求める人に与えられる報酬だ。
箴言3:13 知恵を求めて得る人、悟りを得る人はさいわいである。
3:14 知恵によって得るものは、銀によって得るものにまさり、その利益は精金よりも良いからである。
3:15 知恵は宝石よりも尊く、あなたの望む何物も、これと比べるに足りない。
3:16 その右の手には長寿があり、左の手には富と、誉がある。
3:17 その道は楽しい道であり、その道筋はみな平安である。
2歴代誌15:6 国は国に、町は町に撃ち砕かれた。神がもろもろの悩みをもって彼らを苦しめられたからです。
主を恐れ敬わない期間は、根拠不明な恐怖や不安に悩まされ、やる事なす事全て失敗し、敵にかすめ奪われてしまうものである。
そして、根拠不明な怒りや憎しみが沸き起こるゆえに、味方同士・身内同士で必要の無い争いや喧嘩があって、いらないエネルギーロスがあり、消耗し合い、共に砕かれてしまう。
『あなたがたのうちで生き残る者にも、彼らが敵の国にいる間、彼らの心の中におくびょうを送り込む。吹き散らされる木の葉の音にさえ彼らは追い立てられ、剣からのがれる者のように逃げ、追いかける者もいないのに倒れる。追いかける者もいないのに、剣からのがれるように折り重なって、つまずき倒れる。あなたがたは敵の前に立つこともできない。』(レビ記26:36-37)
それまではそういう時代だった。
15:7 しかしあなたがたは勇気を出しなさい。手を弱くしてはならない。あなたがたのわざには報いがあるからです」。
繰り返すが、御言葉を守り行う事には、大きな報いがある。
詩篇19:7 主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。
19:8 主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。
19:9 主を恐れる道は清らかで、とこしえに絶えることがなく、主のさばきは真実であって、ことごとく正しい。
19:10 これらは金よりも、多くの純金よりも慕わしく、また蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い。
19:11 あなたのしもべは、これらによって戒めをうける。これらを守れば、大いなる報いがある。
書いてある通り、主の御言葉は、魂を生きかえらせ、賢くされ、心を喜ばせ、眼を明らかにする。
御言葉は慕わしく、甘く、いましめを受け、そして守るなら、大きな報いがある。
2歴代誌15:8 アサはこれらの言葉すなわちオデデの子アザリヤの預言を聞いて勇気を得、憎むべき偶像をユダとベニヤミンの全地から除き、また彼がエフライムの山地で得た町々から除き、主の宮の廊の前にあった主の祭壇を再興した。
15:9 彼はまたユダとベニヤミンの人々およびエフライム、マナセ、シメオンから来て、彼らの間に寄留していた者を集めた。その神、主がアサと共におられるのを見て、イスラエルからアサのもとに下った者が多くあったからである。
御言葉を守り行う事によって祝福されるなら、人々が集まって来る。
15:12 そして彼らは契約を結び、心をつくし、精神をつくして先祖の神、主を求めることと、
15:13 すべてイスラエルの神、主を求めない者は老幼男女の別なく殺さるべきことを約した。
15:14 そして彼らは大声をあげて叫び、ラッパを吹き、角笛を鳴らして、主に誓いを立てた。
15:15 ユダは皆その誓いを喜んだ。彼らは心をつくして誓いを立て、精神をつくして主を求めたので、主は彼らに会い、四方で彼らに安息を賜わった。
主を求めない者は老幼男女の別なく殺さる、一見きびしい契約に見えるが、しかし人々は、それを「喜んだ」とある。喜んだ、のだ。
なぜなら主に従う事が、こんなにも大きな報いがもたらされるのだ、と、彼らは経験したからであり、従わなかった今までがいかに損であったのかが分かったからである。
15:16 アサ王の母マアカがアシラのために憎むべき像を造ったので、アサは彼女をおとして太后とせず、その憎むべき像を切り倒して粉々に砕き、キデロン川でそれを焼いた。
アサは、母であろうと、退ける事に躊躇しなかった。
15:17 ただし高き所はイスラエルから除かなかったが、アサの心は一生の間、正しかった。
15:18 彼はまた、その父のささげた物および自分のささげた物、すなわち銀、金並びに器物などを主の宮に携え入れた。
15:19 そしてアサの治世の三十五年までは再び戦争がなかった。
このように、主と主の言葉に従う事には喜び、楽しみ、祝福の報いがある。
しかし従わない事には、災が、呪いがある。
一体どちらの道が得な道だろうか。
欺瞞を突かれたパリサイ人と律法学者たち(ルカ11:37-54)
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- pastor 2018-1-10 23:50
妻に裏切られてしまった夫のようにむせぶ主(エレミヤ2:1-19)
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- 執筆 :
- pastor 2018-1-10 20:10
アサ - 主から助けをいただける人の性質とは(2歴代誌14章)
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14:1 アビヤはその先祖たちと共に眠って、ダビデの町に葬られ、その子アサが代って王となった。アサの治世に国は十年の間、穏やかであった。
14:2 アサはその神、主の目に良しと見え、また正しと見えることを行った。
アサは、ソロモン以降初めての「良い王」である。
良い王とは、主を恐れ敬い、主に聞き従い、努めて主に喜ばれる事を行う王である。
14:3 彼は異なる祭壇と、もろもろの高き所を取り除き、石柱をこわし、アシラ像を切り倒し、
14:4 ユダに命じてその先祖たちの神、主を求めさせ、おきてと戒めとを行わせ、
14:5 ユダのすべての町々から、高き所と香の祭壇とを取り除いた。そして国は彼のもとに穏やかであった。
祝福の条件は、まず、主に忌み嫌われるもの、事を除き去る所から、である。
先代のアビヤは確かに主に求めて戦いに勝利したが、あいにく神殿男娼を取り除かないままだった。
男と男が汚らわしい事を行うようなものを取り除かなかったままに、戦いに出て、一時的に主に求めて勝利を得たアビヤだったが、相変わらず忌み嫌われるものを残したままだった故に、彼は王になってから3年目にして死んでしまい、次の代に王権を譲らなければならなかった。
私達も、酒とか、怒り癖とか、努めて忌み嫌い、除き去るべきである。
イザヤ55:6 あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、主を尋ねよ。近くおられるうちに呼び求めよ。
55:7 悪しき者はその道を捨て、正しからぬ人はその思いを捨てて、主に帰れ。そうすれば、主は彼にあわれみを施される。われわれの神に帰れ、主は豊かにゆるしを与えられる。
努力をして主に求める時、アサ王の時のように、主は助けてくださり、そして豊かな繁栄を返して下さるのだ。
14:6 彼は国が穏やかであったので、要害の町数個をユダに建てた。また主が彼に平安を賜わったので、この年ごろ戦争がなかった。
14:7 彼はユダに言った、「われわれはこれらの町を建て、その周囲に石がきを築き、やぐらを建て、門と貫の木を設けよう。われわれがわれわれの神、主を求めたので、この国はなおわれわれのものであり、われわれが彼を求めたので、四方において、われわれに平安を賜わった」。こうして彼らは滞りなく建て終った。
14:8 アサの軍隊はユダから出た者三十万人あって、盾とやりをとり、ベニヤミンから出た者二十八万人あって、小盾をとり、弓を引いた。これはみな大勇士であった。
主に嫌われるものを取り除き、主に喜ばれる事を選択して行うなら、平安が与えられる。
そうするとゆとりが生まれ、さらに生活の防備を固められるのだ。
14:9 エチオピヤびとゼラが、百万の軍隊と三百の戦車を率いて、マレシャまで攻めてきた。
14:10 アサは出て、これを迎え、マレシャのゼパタの谷に戦いの備えをした。
ここに戦いが起こるが、兵力も装備もユダが不利な戦いである。
14:11 時にアサはその神、主に向かって呼ばわって言った、「主よ、力のある者を助けることも、力のない者を助けることも、あなたにおいては異なることはありません。われわれの神、主よ、われわれをお助けください。われわれはあなたに寄り頼み、あなたの名によってこの大軍に当ります。主よ、あなたはわれわれの神です。どうぞ人をあなたに勝たせないでください」。
アサは、主を呼び求めた。
主を呼び求める事、それは霊の世界を揺り動かし、真理の世界を揺り動かし、結果、現実世界が揺り動く。
14:12 そこで主はアサの前とユダの前でエチオピヤびとを撃ち敗られたので、エチオピヤびとは逃げ去った。
14:13 アサと彼に従う民は彼らをゲラルまで追撃したので、エチオピヤびとは倒れて、生き残った者はひとりもなかった。主と主の軍勢の前に撃ち破られたからである。ユダの人々の得たぶんどり物は非常に多かった。
14:14 彼らはまた、ゲラルの周囲の町々をことごとく撃ち破った。主の恐れが彼らの上に臨んだからである。そして彼らはそのすべての町をかすめ奪った。その内に多くの物があったからである。
14:15 また家畜をもっている者の天幕を襲い、多くの羊とらくだを奪い取って、エルサレムに帰った。
主に聞き従う者が、主に助けを求めるなら、主は答えてくださる。
聖書の中に、例外は無い。
ダビデがアビメレクの前で狂ったさまをよそおい、追われて出ていったときの歌
34:1 わたしは常に主をほめまつる。そのさんびはわたしの口に絶えない。
34:2 わが魂は主によって誇る。苦しむ者はこれを聞いて喜ぶであろう。
34:3 わたしと共に主をあがめよ、われらは共にみ名をほめたたえよう。
34:4 わたしが主に求めたとき、主はわたしに答え、すべての恐れからわたしを助け出された。
34:5 主を仰ぎ見て、光を得よ、そうすれば、あなたがたは、恥じて顔を赤くすることはない。
34:6 この苦しむ者が呼ばわったとき、主は聞いて、すべての悩みから救い出された。