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良き隣人となって下さったイエス様を愛しなさい(ルカ10:25-42)
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- pastor 2017-12-20 23:20
ソロモンによる感謝の祈り(2歴代誌6:1-21)
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神殿建設が完成し、しかるべきものがしかるべき所に配置され、そして主への捧げものと賛美とが捧げられた時、主の宮は主の栄光の雲によって満ちた事が前章において示された。
この章は、ソロモンによる感謝の祈りと、神殿奉献の祈りである。
6:1 そこでソロモンは言った、/「主はみずから濃き雲の中に住まおうと言われた。
6:2 しかしわたしはあなたのために高き家、/とこしえのみすまいを建てた」。
この言葉は、続く祈りを端的にあらわしている。
すなわち、ソロモンは主のために「家」を立てたが、しかし主が住まわれる所は、そこではない、という事を。
6:3 そして王は顔をふり向けてイスラエルの全会衆を祝福した。その時イスラエルの全会衆は立っていた。
6:4 彼は言った、「イスラエルの神、主はほむべきかな。主は口をもってわが父ダビデに約束されたことを、その手をもってなし遂げられた。すなわち主は言われた、
6:5 『わが民をエジプトの地から導き出した日から、わたしはわが名を置くべき家を建てるために、イスラエルのもろもろの部族のうちから、どの町をも選んだことがなく、また他のだれをもわが民イスラエルの君として選んだことがない。
6:6 わが名を置くために、ただエルサレムだけを選び、またわが民イスラエルを治めさせるために、ただダビデだけを選んだ』。
ソロモンは真っ先に主を誉め称えた。
主の祈りもそうであるが、祈りとは人間が神様に願い事をだらだら並べるものではなく、人格ある主との会話であり、真っ先に発するべきは、主への賛美と感謝である。
ソロモンは、この主の宮は「誰が」「誰を通して」「どこに」という事を表明する。
すなわち主の宮は、ダビデとソロモンの共同作品などではなく、主ご自身が、ダビデを通して、エルサレムに、建てた、という事を表明した。
6:7 イスラエルの神、主の名のために家を建てることは、父ダビデの心にあった。
6:8 しかし主は父ダビデに言われた、『わたしの名のために家を建てることはあなたの心にあった。あなたの心にこの事のあったのは結構である。
6:9 しかしあなたはその家を建ててはならない。あなたの腰から出るあなたの子がわたしの名のために家を建てるであろう』。
6:10 そして主はそう言われた言葉を行われた。すなわちわたしは父ダビデに代って立ち、主が言われたように、イスラエルの位に座し、イスラエルの神、主の名のために家を建てた。
6:11 わたしはまた、主がイスラエルの人々と結ばれた主の契約を入れた箱をそこに納めた」。
ここで強調されている事は、真実であられる主は、約束された言葉を真実に、忠実に行われた、という事だ。
主は、聖書のはじめから終わりまで、世界の始まる前から、ただの一度も約束を自ら破った事は無い。
人間は、聖書のはじめから終わりまで、何度も何度も約束を破ったが、神は真実なるお方である。
6:12 ソロモンはイスラエルの全会衆の前、主の祭壇の前に立って、手を伸べた。
6:13 ソロモンはさきに長さ五キュビト、幅五キュビト、高さ三キュビトの青銅の台を造って、庭のまん中にすえて置いたので、彼はその上に立ち、イスラエルの全会衆の前でひざをかがめ、その手を天に伸べて、
6:14 言った、「イスラエルの神、主よ、天にも地にも、あなたのような神はありません。あなたは契約を守られ、心をつくしてあなたの前に歩むあなたのしもべらに、いつくしみを施し、
6:15 あなたのしもべ、わたしの父ダビデに約束されたことを守られました。あなたが口をもって約束されたことを、手をもってなし遂げられたことは、今日見るとおりであります。
ここからの祈りは、神殿奉献の祈りであり、もし人が、これこれの状況でこの神殿にて祈るなら、答えて下さい、という祈りが続く。
6:16 それゆえ、イスラエルの神、主よ、あなたのしもべ、わたしの父ダビデに、あなたが約束して、『おまえがわたしの前に歩んだように、おまえの子孫がその道を慎んで、わたしのおきてに歩むならば、おまえにはイスラエルの位に座する人がわたしの前に欠けることはない』と言われたことを、ダビデのためにお守りください。
6:17 それゆえ、イスラエルの神、主よ、どうぞ、あなたのしもべダビデに言われた言葉を確認してください。
ソロモンは、主の言われた約束の言葉を盾にとって祈っている。
私達も、決して変わらない主の言葉を信じ、盾にとって祈るなら、主は答えてくださる。
ただし、ここでソロモンが祈っている通り、「おまえがわたしの前に歩んだように、おまえの子孫がその道を慎んで、わたしのおきてに歩むならば」という前提ありきで、それを守ったなら、「おまえにはイスラエルの位に座する人がわたしの前に欠けることはない」という主の真実を主はあらわして下さる。
6:18 しかし神は、はたして人と共に地上に住まわれるでしょうか。見よ、天も、いと高き天もあなたをいれることはできません。わたしの建てたこの家などなおさらです。
私達は、上を見上げれば空や宇宙があるが、その「天」があり、さらにその向こうに「天の天」と言われる所、天国と地獄がある。
それら全部ひっくるめても、主をお入れする事はできない。主はそれよりも大きなお方だ。
ましてや、人が造った家に、主は住まわれるだろうか、そんな事はない、と、ソロモンは告白している。
6:19 しかしわが神、主よ、しもべの祈と願いを顧みて、しもべがあなたの前にささげる叫びと祈をお聞きください。
6:20 どうぞ、あなたの目を昼も夜もこの家に、すなわち、あなたの名をそこに置くと言われた所に向かってお開きください。どうぞ、しもべがこの所に向かってささげる祈をお聞きください。
6:21 どうぞ、しもべと、あなたの民イスラエルがこの所に向かって祈る時に、その願いをお聞きください。あなたのすみかである天から聞き、聞いておゆるしください。
ソロモンは、この宮で祈る祈りに聞いて下さい、と祈っている。
主はその通り、この宮で祈る人々の祈りを聞いて下さった。
しかし、主は人が建てた建物に住むのではない。むしろ、人の心が主に向いているかどうかこそ肝心である。
主は、主に心を捧げていないのに、みだりに契約の箱を持ちだした人々を打たれたし、また後の時代、ソロモンの子孫たちがあまりに主に失礼なことを長らく続けた故に、この神殿さえも主は異邦人の手を通して破壊された。
結局大切なのは、建物やモノではなく、人の内にあるもの、である。
ヨハネ4:21 イエスは女に言われた、「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。
4:22 あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。救はユダヤ人から来るからである。
4:23 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。
4:24 神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。
主の臨在があらわれるために整えるべき必要なもの(2歴代誌5:1-14)
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- pastor 2017-12-19 9:37
主の臨在があらわれるために整えるべき必要なもの(2歴代誌5:1-14)
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今回の箇所で、いよいよソロモンの神殿が完成する。
しかし、ただ建物だけの「神殿もどき」には、主のご臨在は起こらない。
その中身がかんじんである。
この5章は、そのかんじんの中身は何であるのかを豊かに示している。
5:1 こうしてソロモンは主の宮のためにしたすべての工事を終った。そしてソロモンは父ダビデがささげた物、すなわち金銀およびもろもろの器物を携えて行って神の宮の宝蔵に納めた。
まずは主を礼拝する上で必要な祭具や、ダビデのように主に真心から捧げられたものが運びいられられる。
そして、最もかんじんなものは、契約の箱、主と人との、契約のしるしである。
5:2 ソロモンは主の契約の箱をダビデの町シオンからかつぎ上ろうとして、イスラエルの長老たちと、すべての部族のかしらたちと、イスラエルの人々の氏族の長たちをエルサレムに召し集めた。
5:3 イスラエルの人々は皆七月の祭に王のもとに集まった。
5:4 イスラエルの長老たちが皆きたので、レビびとたちは箱を取り上げた。
5:5 彼らは箱と、会見の幕屋と、幕屋にあるすべて聖なる器をかつぎ上った。すなわち祭司とレビびとがこれらの物をかつぎ上った。
契約の箱は神殿の中で最も大切なものである事に違いは無いが、しかし、主に捧げる心なしでは、たとえ契約の箱があったとしても、何にもならない。(1サムエル記4章)
人の側の「主を愛する心」こそ、最も重要なものである。
5:10 箱の内には二枚の板のほか何もなかった。これはイスラエルの人々がエジプトから出て来たとき、主が彼らと契約を結ばれ、モーセがホレブでそれを納めたものである。
この時代、箱の中には「二枚の板」の他には、何もなかった。
しかし新約の使徒は、幻の中で、箱の中に、さらにもう二つのものがあった事を記している。
ヘブル9:3 また第二の幕の後に、別の場所があり、それは至聖所と呼ばれた。
9:4 そこには金の香壇と全面金でおおわれた契約の箱とが置かれ、その中にはマナのはいっている金のつぼと、芽を出したアロンのつえと、契約の石板とが入れてあり、
さらにもう二つのものとは、マナのはいっている金のつぼと、芽を出したアロンのつえである。
モーセの時代、契約の箱の所には、マナの壺と、アロンの杖を置くように、主に命じられている。
出エジプト記16:32 モーセは言った、「主の命じられることはこうである、『それを一オメルあなたがたの子孫のためにたくわえておきなさい。それはわたしが、あなたがたをエジプトの地から導き出した時、荒野であなたがたに食べさせたパンを彼らに見させるためである』と」。
16:33 そしてモーセはアロンに言った「一つのつぼを取り、マナ一オメルをその中に入れ、それを主の前に置いて、子孫のためにたくわえなさい」。
16:34 そこで主がモーセに命じられたように、アロンはそれをあかしの箱の前に置いてたくわえた。
主は、主の民がエジプトから出た時、荒野でも飢え死にしないように、パンをもって養って下さった事を、子々孫々へと「覚える」ようにと、マナを入れた壺を置きなさい、と言われていた。
しかし、ソロモンの時代にはそれはなかった。
新約の今、私達は主イエス様の御からだであられるまことのパンにあずかる事が出来る。そして、主の御からだが十字架上で裂かれた事を「覚える」ようにと、聖餐を制定された。(1コリント11:23-24)
また、アロンのつえについては、以下の記述がある。
民数記17:7 モーセは、それらのつえを、あかしの幕屋の中の、主の前に置いた。
17:8 その翌日、モーセが、あかしの幕屋にはいって見ると、レビの家のために出したアロンのつえは芽をふき、つぼみを出し、花が咲いて、あめんどうの実を結んでいた。
17:9 モーセがそれらのつえを、ことごとく主の前から、イスラエルのすべての人の所に持ち出したので、彼らは見て、おのおの自分のつえを取った。
17:10 主はモーセに言われた、「アロンのつえを、あかしの箱の前に持ち帰り、そこに保存して、そむく者どものために、しるしとしなさい。こうして、彼らのわたしに対するつぶやきをやめさせ、彼らの死ぬのをまぬかれさせなければならない」。
17:11 モーセはそのようにして、主が彼に命じられたとおりに行った。
ここでも主は、アロンのつえを、あかしの箱の前に保存し、「そむく者どものためにしるしとしなさい」と言われている。
その理由は、「彼らのわたしに対するつぶやきをやめさせ、彼らの死ぬのをまぬかれさせなければならない」からである。
杖、という、既に命としては死んだ木が、たった一晩で生き返る事などありえない事である。
人は、いのちの真似事はしても、いのちそのものを息吹く事は出来ない。まさに、死とよみがえりという復活の主のわざの証明、そして、永遠に祭司である事のあかしである。
こうして、マナの壺とアロンの杖は契約の箱に保存され、主がいのちの養いをして下さる事と、主は死からいのちを息吹いて下さるというあかしが、契約の箱に置かれて主のご性質をいつまでも覚えて生きるはずだったが、ソロモンの時代には、ただ石の板しか無かった。
これらが無いゆえに、ソロモンの生きているその時代以降、信仰は萎えて行ってしまった。
ただ御言葉だけでは、人は離れてしまう。
しかし新約の今、御言葉と共に、命の養いがあり、死からの復活のしるしがある。
そして新約における贖い、主イエス様による贖いは、何度も捧げられなければならない不完全なものではなく、永遠のものである。
ヘブル9:11 しかしキリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき、手で造られず、この世界に属さない、さらに大きく、完全な幕屋をとおり、
9:12 かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである。
主の宮において、これらの命の養いが入り、人が自らを清め、主を誉め称える賛美があふれる時、主の栄光の臨在があらわれる。
5:11 そして祭司たちが聖所から出たとき(ここにいた祭司たちは皆、その組の順にかかわらず身を清めた。
5:12 またレビびとの歌うたう者、すなわちアサフ、ヘマン、エドトンおよび彼らの子たちと兄弟たちはみな亜麻布を着、シンバルと、立琴と、琴をとって祭壇の東に立ち、百二十人の祭司は彼らと一緒に立ってラッパを吹いた。
5:13 ラッパ吹く者と歌うたう者とは、ひとりのように声を合わせて主をほめ、感謝した)、そして彼らがラッパと、シンバルとその他の楽器をもって声をふりあげ、主をほめて/「主は恵みあり、/そのあわれみはとこしえに絶えることがない」/と言ったとき、雲はその宮すなわち主の宮に満ちた。
5:14 祭司たちは雲のゆえに立って勤めをすることができなかった。主の栄光が神の宮に満ちたからである。
モーセの時代においても、彼ら一同が主から与えられた御言葉の通りを行った時、主の栄光の雲が現れた。
出エジプト記40:33 このようにしてモーセはその工事を終えた。
40:34 そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。
40:35 モーセは会見の幕屋に、はいることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。
モーセの時代、主の栄光の雲が現れたのは、『モーセはそのように行った。すなわち主が彼に命じられたように行った。』(出エジプト記40:16)からである。
今も、主の御言葉どおりに行い、主に栄光を捧げるなら、主の栄光の臨在が、私達という神殿に満ちる。
その時、人々が私達を見る時、主が確かに生きておられる、という、主の栄光を見るのであり、それがまことのあかしである。
万軍の主の熱心が凝縮された「ひとりのみどりご」(イザヤ9:1-7)
第一礼拝 Youtube動画 / 音声
賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画
賛美集会音声
第二礼拝音声
週報/メッセージ(説教)概要
処女がみごもってインマヌエル(主が共におられる)という男の子を生む預言は、アハズ王の時代に与えられた。彼は預言者イザヤから「静かに主を信頼しなさい」と言われていたのに、余計な右往左往して、アッシリアに助けを求め、しかもその出先から偶像の設計図を取り寄せ、イスラエルで偶像を建ててしまった。
主に頼る道を捨て、アッシリアという暴力的な力強さに頼る者は、暴力に悩まされ、頑固になまでに御言葉に聞き従わない姿勢を貫き通す者には、頑固なまでに災いが離れない事が、前回のイザヤ8章あった。
人に災いがつきまとう場合、必ず最初に人の側の罪があり、罪が彼を責め立てる口実を得たのである。
しかし主は人がいつまでも災いに苦しんでいる様を黙っておられない。それが今回の箇所で示されている。
『しかし、苦しみにあった地にも、闇がなくなる。さきにはゼブルンの地、ナフタリの地にはずかしめを与えられたが、後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与えられる。』(イザヤ9:1)
ゼブルンとナフタリは、主を礼拝する所から離れていた故、真っ先に異邦人と和合し、罪に染まり、罪由来の災いを真っ先に受けてしまった。私達も御言葉から遠く離れているなら、真っ先に異邦の拝むものや異邦の価値観に感染し染まってしまう。だから、礼拝と聖徒の交わりから離れないように気をつけるべきだ。
『あなたが国民を増し、その喜びを大きくされたので、彼らは刈入れ時に喜ぶように、獲物を分かつ時に楽しむように、あなたの前に喜んだ。』(3節) 「獲物」とは、勝利した側が敵から分捕るものだが、サタンという敵が不当占拠していたあらゆる良きもの、囚われていた人々を分捕り返し喜び楽しむ様が、ここにある。
『これはあなたが彼らの負っているくびきと、その肩のつえと、しえたげる者のむちとを、ミデアンの日になされたように折られたからだ。』(4節) 御言葉に背く先には必ず汗と労苦があり、罪由来のむちと杖による刑罰が必ずともなう。しかし、悔い改めて主に立ち返るなら、彼らを打っていたむちと杖は粉々に砕かれる。
『すべて戦場で、歩兵のはいたくつと、血にまみれた衣とは、火の燃えくさとなって焼かれる。』(5節)
罪の飲み食いをし、罪の取引をする内、人の血を流して返り血を浴びたり、あるいは罪に強い者から血を流されたりする。そうして血に汚れた服や靴は、ひとりのみどりごが来る時、火のえじきとなって清められる。
『ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。』(6節)
長らく全世界を覆っていた、分厚くしつこい闇と死。その漆黒の世の海に、唯一の光、ひとりのみどりごであられるイエス様が投じられた時、前章までの全ての頑固な闇は、解消される。このお方は、どういう方か。
『まつりごと(government)はその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士(Wonderful Counsellor )、大能の神( The mighty God )、とこしえの父(Everlasting Father)、平和の君(The Prince of Peace)ととなえられる。』
「まつりごと」とは、政治である。日本の政府は国会議事堂や内閣府に置かれているが、神の国の政治はイエス様の肩に置かれている。大祭司はイスラエル十二部族の名を肩に負って主の御前でつとめを果たすように(出エジプト記28:9-12)、イエス様は私達の名を負って神の御前で執り成しのつとめを為される。
主は、どんなにしつこい悩みや問題も、解決不能な事さえも解決へと導いてくださるワンダフル・カウンセラーであり、力ある神である。日本の政治のように、月曜から金曜の9時から17時まで、などという限定は無いし、何々の書類を整えなければ受理しない事も無く、ただ「イエス・キリストの名によって」いつでも、どこでも「永遠の父」に申請する事が出来、それをするなら、素晴らしい助言が与えられ、力ある神の権力が行使され、平和の君であられる、それらのあらゆる善き性質を、いつでも求める事ができるのだ。
『万軍の主の熱心”がこれをなされるのである。』(7節) 聖書の中で「主の熱心」が現れる時はいつも、人が悔い改め、自分の罪を離れる時、主がその人を助け、救おうとする場面だ。(イザヤ9:7、37:32、59:17)
熱心。それは無感情の逆であり、主は激情をもって人を愛し、人を救おうとされる。万軍の主の熱心が、究極的に形を取ったのが、ひとりのみどりごである。イエス様は、命を捨てる「passion」(使徒1:3)をもって、私達を救おうとし、十字架という実体を伴った行動をもって、その愛をあらわしてくださった。
私達には、2つの道がある。ゼブルンやナフタリのように、ずっと立ち返らないで、自分の好むことをやり続け、ひたすら強い者から奪われ、搾取され、奴隷とされ続けるか、それとも、イエス様の愛の情熱を受け入れ、永遠にイエス様の政治とカウンセルと力の主権の中で歩んでいくか。イエス様の道を選び、そのとこしえの祝福の内に生きる皆さんでありますように。イエス様のお名前によって祝福します!
ニセ兄弟姉妹に礼拝を取り上げられ悲しむ人に礼拝の喜びを返して下さる主(ゼパニヤ書)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 定期祈祷会メッセージ
- 執筆 :
- pastor 2017-12-15 20:10
神の民をさばきの火で精錬し、残された宝の民を喜び楽しんで下さる主(ゼパニヤ書)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 定期祈祷会メッセージ
- 執筆 :
- pastor 2017-12-15 6:30
神の民をさばきの火で精錬し、残された宝の民を喜び楽しんで下さる主(ゼパニヤ書)
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ゼパニヤ書といえば、3章後半の慰めに満ちた言葉が有名であろう。
しかしゼパニヤ書の前半は、表向きは礼拝者でありながらその実は主を主とせず別物を彼らの主としている者達へのさばきが示されており(1章)、また、主を知らない異邦の者達で主の民を脅かし圧迫する者達へのさばきが示されており(2章)、主に聞かず反逆と暴力に満ちた者達へのさばきが示されている(3章前半)。
主の民といっても、良い麦と毒麦が混合されたような状況であるが、主は、必ず良い人には良い報いを、悪人には悪い報いを、報いてくださる。
その中で、さばきを免れる人は、1章では7節、2章では3節、3章では7−8節の行いをする人達だろう。
ゼパニヤ1:7 主なる神の前に沈黙せよ。主の日は近づき、主はすでに犠牲を備え、その招いた者を聖別されたからである。
ゼパニヤ2:3 すべて主の命令を行うこの地のへりくだる者よ、主を求めよ。正義を求めよ。謙遜を求めよ。そうすればあなたがたは主の怒りの日に、あるいは隠されることがあろう。
ゼパニヤ3:7 わたしは言った、『これは必ずわたしを恐れ、懲らしめを受ける。これはわたしが命じたすべての事を見失わない』と。しかし彼らはしきりに自分の行状を乱した」。
3:8 主は言われる、「それゆえ、あなたがたは、わたしが立って、証言する日を待て。わたしの決意は諸国民をよせ集め、もろもろの国を集めて、わが憤り、わが激しい怒りを/ことごとくその上に注ぐことであって、全地は、ねたむわたしの怒りの火に/焼き滅ぼされるからである。
その事を経て、火の中をくぐって助け出されたような人達に対する、慰めに満ちた預言が、次の言葉なのだ。
ゼパニヤ3:11 その日には、あなたはわたしにそむいたすべてのわざのゆえに、はずかしめられることはない。その時わたしはあなたのうちから、高ぶって誇る者どもを除くゆえ、あなたは重ねてわが聖なる山で、高ぶることはない。
3:12 わたしは柔和にしてへりくだる民を、あなたのうちに残す。彼らは主の名を避け所とする。
3:13 イスラエルの残りの者は不義を行わず、偽りを言わず、その口には欺きの舌を見ない。それゆえ、彼らは食を得て伏し、彼らをおびやかす者はいない」。
3:14 シオンの娘よ、喜び歌え。イスラエルよ、喜び呼ばわれ。エルサレムの娘よ、心のかぎり喜び楽しめ。
3:15 主はあなたを訴える者を取り去り、あなたの敵を追い払われた。イスラエルの王なる主はあなたのうちにいます。あなたはもはや災を恐れることはない。
3:16 その日、人々はエルサレムに向かって言う、「シオンよ、恐れるな。あなたの手を弱々しくたれるな。
3:17 あなたの神、主はあなたのうちにいまし、勇士であって、勝利を与えられる。彼はあなたのために喜び楽しみ、その愛によってあなたを新にし、祭の日のようにあなたのために喜び呼ばわられる」。
3:18 「わたしはあなたから悩みを取り去る。あなたは恥を受けることはない。
3:19 見よ、その時あなたをしえたげる者を/わたしはことごとく処分し、足なえを救い、追いやられた者を集め、彼らの恥を誉にかえ、全地にほめられるようにする。
3:20 その時、わたしはあなたがたを連れかえる。わたしがあなたがたを集めるとき、わたしがあなたがたの目の前に、あなたがたの幸福を回復するとき、地のすべての民の中で、あなたがたに名を得させ、誉を得させる」と/主は言われる。
ベツレヘム=パンの家に留まる人の幸いと、離れる人の災い(ルカ2:15-16)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 定期祈祷会メッセージ
- 執筆 :
- pastor 2017-12-14 22:00





