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「上り」の歩みと「下り」の歩み(コロサイ3:1-4)
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3:1 このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。
3:2 あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。
3:3 あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。
3:4 わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。

私達はキリストと共によみがえらされた。よみがえった、という事は、ひとたび既に死んだものである。
生まれながらの肉欲に溺れた生き方に対し、罪に対し、世に対して。
そして、私達のいのちの本質は、もうこの地上ではなく、天国に、キリストと共に神に隠されている。

電車に上り線と下り線があり、都に近づく方面を上り、遠ざかる方面を下りと言うが、私達は天の都へといつも向かう者であるべきだ。
キリストに召し出されて御言葉を聞いた者が全員約束の地に入れるという訳ではないからだ。
地上の歩みは、ちょうど出エジプトした民が荒野を通って約束の地カナンを目指すようなもので、約束を見上げつつ約束の地へ入る事ができる者もおれば、過去を思いエジプトを懐かしみ、結局荒野で屍をさらす者もいる。
多くの民が荒野で滅んだのは、今の時代を生きる私達への警告である事は、ヘブル人への手紙3-4章を見れば明らかである。

ヘブル3:12 兄弟たちよ。気をつけなさい。あなたがたの中には、あるいは、不信仰な悪い心をいだいて、生ける神から離れ去る者があるかも知れない。
 3:13 あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、心をかたくなにする者がないように、「きょう」といううちに、日々、互に励まし合いなさい。
 3:14 もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。
 3:15 それについて、こう言われている、/「きょう、み声を聞いたなら、/神にそむいた時のように、/あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない」。
 3:16 すると、聞いたのにそむいたのは、だれであったのか。モーセに率いられて、エジプトから出て行ったすべての人々ではなかったか。
 3:17 また、四十年の間、神がいきどおられたのはだれに対してであったか。罪を犯して、その死かばねを荒野にさらした者たちに対してではなかったか。
 3:18 また、神が、わたしの安息に、はいらせることはしない、と誓われたのは、だれに向かってであったか。不従順な者に向かってではなかったか。
 3:19 こうして、彼らがはいることのできなかったのは、不信仰のゆえであることがわかる。
4:1 それだから、神の安息にはいるべき約束が、まだ存続しているにかかわらず、万一にも、はいりそこなう者が、あなたがたの中から出ることがないように、注意しようではないか。
 4:2 というのは、彼らと同じく、わたしたちにも福音が伝えられているのである。しかし、その聞いた御言は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。
 4:3 ところが、わたしたち信じている者は、安息にはいることができる。それは、/「わたしが怒って、/彼らをわたしの安息に、はいらせることはしないと、/誓ったように」/と言われているとおりである。しかも、みわざは世の初めに、でき上がっていた。

イサクはひと度、ゲラルという世に「下って(ヤラド)」しまった。パンがなくなったためだ。
「下」は世であり、そこは一見食料に満ち、美しく栄えているように見えても、破滅への誘惑に満ちており、降った人は、家族や財産を、あるいは命を失い、散々な目で帰って来た例が、聖書に多数ある。
世に下ると、世の流儀の生き方をしなくてはらなくなり、嘘や罪を増し加えなくてはならない。

イサクは最終的に、ベエル・シェバへ「上った」。
「上る」はヘブライ語で「アラー」、上に向かう、あるいは「捧げる」事の意味があり、これが派生して「全焼のいけにえ(オラー)」となる。

創世記22:2  神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭(オラー)としてささげ(アラー)なさい」

私達は上にあるものを求める歩み、すなわち、「神に捧げられた歩み」をすべきである。
それをして行くなら、決して荒野に骨を埋める事がなく、約束の地に入ってそこで産んで増えて行く事が出来る。

ローマ12:1 兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。
12:2 あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。

しかしもし下るなら、エリメレク一家のように、あるいはエルサレムからエリコへ下った人のように(ルカ10:30)、散々な目に遭って何もかも奪われ、あるいは死んでしまう。
出エジプトした民の大部分は、約束の地を見上げる歩みではなく、かつてのエジプトをなつかしむ歩み(下の歩み)をし、約束の地に入れず、荒野で骨を埋めてしまった。

だから、言われている。
ヘブル3:13 あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、心をかたくなにする者がないように、「きょう」といううちに、日々、互に励まし合いなさい。
 3:14 もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。
 3:15 それについて、こう言われている、/「きょう、み声を聞いたなら、/神にそむいた時のように、/あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない」。

高慢と怒り - 主を恐れる事を忘れさせ、地獄のさばきの感覚を麻痺させる麻薬(2歴代誌26章)
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26:1 そこでユダの民は皆ウジヤをとって王となし、その父アマジヤに代らせた。時に十六歳であった。
26:2 彼はエラテを建てて、これをふたたびユダのものにした。これはかの王がその先祖たちと共に眠った後であった。
26:3 ウジヤは王となった時十六歳で、エルサレムで五十二年の間世を治めた。その母はエルサレムの者で名をエコリヤといった。
26:4 ウジヤは父アマジヤがしたように、すべて主の良しと見られることを行った。

ウジヤ王の父アマツヤ以前の3代はマタイ1章の系図から除外されていたが、ウジヤ王から再び掲載されるようになる。
彼が主の目に適う事を行ったからである。しかし、そこには次の但し書きがある。

26:5 彼は神を恐れることを自分に教えたゼカリヤの世にある日の間、神を求めることに努めた。彼が主を求めた間、神は彼を栄えさせられた。

彼にはゼカリヤという霊的に指導する人がいて、その人が生きている間、神を求めることに努めた、と書いてある。
という事は、このゼカリヤという指導者がいなくなってしまったとたん、そうではなくなってしまったのだ。
それは全く、彼の祖父・ヨアシュと同じ道である。
しかし、心と信仰はどうあれ、神の命令を守り行っている限り、祝福はついて回る。

26:6 彼は出てペリシテびとと戦い、ガテの城壁、ヤブネの城壁およびアシドドの城壁をくずし、アシドドの地とペリシテびとのなかに町を建てた。
26:7 神は彼を助けてペリシテびとと、グルバアルに住むアラビヤびとおよびメウニびとを攻め撃たせられた。
26:8 アンモンびとはウジヤにみつぎを納めた。ウジヤは非常に強くなったので、その名はエジプトの入口までも広まった。
26:9 ウジヤはまたエルサレムの隅の門、谷の門および城壁の曲りかどにやぐらを建てて、これを堅固にした。
26:10 彼はまた荒野にやぐらを建て、また多くの水ためを掘った。彼は平野にも平地にもたくさんの家畜をもっていたからである。彼はまた農事を好んだので、山々および肥えた畑には農夫とぶどうをつくる者をもっていた。

彼の治世は、内政においても軍事においても祝福され、その名声は鳴り響いた。
心はどうあれ、御言葉の通りを守り行う人は、祝福される。これは現代のユダヤ人を見ていると、確かにその通りだと実感できる。
彼らはイエス様を信じる信仰は無いが、律法の行いがあるため、世界中どこにいても有力者となりお金持ちとなり支配者となっている。
ひきかえクリスチャンは、信仰はあっても行いが無いと、経済においても地位においても、彼らと比べるなら祝福されていない。行いが伴っていないからである。

26:15 彼はまたエルサレムで技術者の考案した機械を造って、これをやぐらおよび城壁のすみずみにすえ、これをもって矢および大石を射出した。こうして彼の名声は遠くまで広まった。彼が驚くほど神の助けを得て強くなったからである。

ここに書いてある通り、ウジヤ王が強くなったのは、神からの驚くほどの助けがあったからである。
私達もいつも主の助けによって強くされるという事を、あるいは主にあって強くされたという事を、忘れてはならない。
ウジヤ王は、祝福を受けた絶頂期に、忘れてしまった。

26:16 ところが彼は強くなるに及んで、その心に高ぶり、ついに自分を滅ぼすに至った。すなわち彼はその神、主にむかって罪を犯し、主の宮にはいって香の祭壇の上に香をたこうとした。

聖所で主に香を炊けるのは、アロンの子孫の祭司のみである事が律法に書いてある。(出エジプト記30:7-8)
だから王といえども聖所に入る事や香を炊くことは、律法違反であり、主に対する不敬の罪である。

26:17 その時、祭司アザリヤは主の祭司である勇士八十人を率いて、彼のあとに従ってはいり、
26:18 ウジヤ王を引き止めて言った、「ウジヤよ、主に香をたくことはあなたのなすべきことではなく、ただアロンの子孫で、香をたくために清められた祭司たちのすることです。すぐ聖所から出なさい。あなたは罪を犯しました。あなたは主なる神から栄えを得ることはできません」。

偉大な王として名声を鳴り響かせて久しい王に戒めるというのは難しい事かもしれない。しかし、祭司アザルヤは正しく戒めた。
この時点で、ウジヤ王は主に打たれてはいない。
この時、戒めを受け、自分のしたいと思っていた事を止めて出ていれば良かったのであるが、彼は戒めを、怒りとともに退けてしまう。

26:19 するとウジヤは怒りを発し、香炉を手にとって香をたこうとしたが、彼が祭司に向かって怒りを発している間に、らい病がその額に起った。時に彼は主の宮で祭司たちの前、香の祭壇のかたわらにいた。
26:20 祭司の長アザリヤおよびすべての祭司たちが彼を見ると、彼の額にらい病が生じていたので、急いで彼をそこから追い出した。彼自身もまた主に撃たれたことを知って、急いで出て行った。

ウジヤは、聖別されていない身で、怒りの心をもって、主に香を焚こうとした。
大祭司アロンの子、ナダブとアビフさえ、御前で異なった香を焚こうとしたなら御前から火が出て打たれたのだ。(レビ記10章)
それはどれ程大きな罪であっただろうか。
主の御前で、ふさわしくない者、ふさわしくない心で、祈りの香、賛美の香、奉仕という香を上らせるのは、忌み嫌われる事である。
モーセの姉ミリヤムさえも、妬みと怒りによってモーセを訴えた結果、主は彼女をらい病で打たれた。(民数記12章)
私達は、ウジヤのように、怒り狂ったような、ふさわしくない心で主に捧げていないだろうか。
それは恐ろしい事をその身に招く。

26:21 ウジヤ王は、死ぬ日までらい病人であった。彼はらい病人であったので、離れ殿に住んだ。主の宮から断たれたからである。その子ヨタムが王の家をつかさどり、国の民を治めた。
26:22 ウジヤのその他の始終の行為は、アモツの子預言者イザヤがこれを書きしるした。
26:23 ウジヤは先祖たちと共に眠ったので、人々は「彼はらい病人である」と言って、王たちの墓に連なる墓地に、その先祖たちと共に葬った。その子ヨタムが彼に代って王となった。

ウジヤは王権からも主の宮からも追い出されてしまい、王が葬られるべき所に葬ってもらえなかった。
私達も、高ぶること、怒る事、分を超えてしまうような事によって、彼のようになってはならない。

高慢は主を恐れる事を忘れさせ、怒りは地獄のさばきの感覚を麻痺させる麻薬である。

ヤコブ1:19 愛する兄弟たちよ。このことを知っておきなさい。人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。
1:20 人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。
1:21 だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい。御言には、あなたがたのたましいを救う力がある。

頑なさ:信仰者の集いから除外されてしまう性質(2歴代誌25:14-28)
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主から遣わされた預言者の言葉に従ってアマツヤは大勝利を収めたが、彼は信じられないような事をする。

25:14 アマジヤはエドムびとを殺して帰った時、セイルびとの神々を携えてきて、これを安置して自分の神とし、これを礼拝し、これにささげ物をなした。

なんと、彼に勝利をもたらしたイスラエルの神を捨てて、自分に打ち負かされた国の神を持ち帰り、その前にひれ伏したのだ。
私達の中にもあるかもしれない。自分が大いに勝ち得た時、ぶんどった相手の素晴らしく見えるもの、仕組み、力の前にひれ伏してしまうような所が。
勝利し祝福されたその時、私達は気をつけるべきである。

彼の行いには、主に対する尊敬も畏れ敬う事も無い。
結局、彼は心から主を愛していなかったという事だ。
父が主に従わなかった結果、非常に分かりやすい形で呪われ、非業の死を遂げたのを見た当初は、嫌々でも御言葉に従っていたかもしれないが、しかし勝利の味をしめてしまった時点から、気が緩んでしまったのだろう。

25:15 それゆえ、主はアマジヤに向かって怒りを発し、預言者を彼につかわして言わせられた、「かの民の神々は自分の民をあなたの手から救うことができなかったのに、あなたはどうしてそれを求めたのか」。
25:16 彼がこう王に語ると、王は彼に、「われわれはあなたを王の顧問にしたのですか。やめなさい。あなたはどうして殺されようとするのですか」と言ったので、預言者はやめて言った、「あなたはこの事を行って、わたしのいさめを聞きいれないゆえ、神はあなたを滅ぼそうと定められたことをわたしは知っています」。

アマツヤは主の預言者に対し「われわれはあなたを王の顧問にしたのですか。」と口を挟んだ。
少なくともダビデは、王の顧問よりも主の預言者のほうを重んじた。
しかし愚か者とは、自分が、ダビデよりも誰よりも偉大なものだと思い込んでいるものだ。

25:17 そこでユダの王アマジヤは協議の結果、人をエヒウの子エホアハズの子であるイスラエルの王ヨアシにつかわし、「さあ、われわれは互に顔をあわせよう」と言わせたところ、
25:18 イスラエルの王ヨアシはユダの王アマジヤに言い送った、「レバノンのいばらが、かつてレバノンの香柏に、『あなたの娘をわたしのむすこの妻に与えよ』と言い送ったところが、レバノンの野獣が通りかかって、そのいばらを踏み倒した。
25:19 あなたは『見よ、わたしはエドムを撃ち破った』と言って心に誇り高ぶっている。しかしあなたは自分の家にとどまっていなさい。どうしてあなたは災を引き起して、自分もユダも共に滅びようとするのか」。
25:20 しかしアマジヤは聞きいれなかった。これは神から出たのであって、彼らがエドムの神々を求めたので神は彼らを敵の手に渡されるためである。

主は、頑なな者を良くない思いへと引き渡される。
ローマ1:28 そして、彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた。

25:21 そこでイスラエルの王ヨアシは上って来て、ユダのベテシメシでユダの王アマジヤと顔を合わせたが、
25:22 ユダはイスラエルに撃ち破られ、おのおのその天幕に逃げ帰った。
25:23 その時イスラエルの王ヨアシはエホアハズの子ヨアシの子であるユダの王アマジヤをベテシメシで捕えて、エルサレムに引いて行き、エルサレムの城壁をエフライム門から、隅の門まで四百キュビトほどをこわし、
25:24 また神の宮のうちで、オベデエドムが守っていたすべての金銀およびもろもろの器物ならびに王の家の財宝を奪い、また人質をとって、サマリヤに帰った。

エルサレム城壁が破壊され、代々蓄えて来た宝が奪われた。大惨敗である。
しかし、生きていただけでも、まだ主の恵みが注がれている。
大きな痛い目を見て、主に従う事をするなら、主は豊かに立ち直らせて下さるが、なおも頑なを続けるなら、主は王権を取り上げる。

1サムエル記15:22 サムエルは言った、/「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、/燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、/聞くことは雄羊の脂肪にまさる。
15:23 そむくことは占いの罪に等しく、/強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。あなたが主のことばを捨てたので、/主もまたあなたを捨てて、王の位から退けられた」。

25:25 ユダの王ヨアシの子アマジヤはイスラエルの王エホアハズの子ヨアシが死んで後なお十五年生きながらえた。
25:26 アマジヤのその他の始終の行為は、ユダとイスラエルの列王の書にしるされているではないか。

アマツヤはその十五年、主に従い、平和に過ごしたようである。しかしその後、主に従う事を止めてしまい、結果、次の事が起きる。

25:27 アマジヤがそむいて、主に従わなくなった時から、人々はエルサレムにおいて党を結び、彼に敵したので、彼はラキシに逃げて行ったが、その人々はラキシに人をやって、彼をその所で殺させた。
25:28 人々はこれを馬に負わせて持ってきて、ユダの町でその先祖たちと共にこれを葬った。

アマツヤは心頑なだった。
彼は、マタイ福音書の王族の系図から除外されてしまっている。(マタイ1:8)
心頑なにする事、それは、安息に入る事が出来ない性質であり、信仰者の列から外されてしまう性質である。

ヘブル3:7 だから、聖霊が言っているように、/「きょう、あなたがたがみ声を聞いたなら、
3:8 荒野における試錬の日に、/神にそむいた時のように、/あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない。
3:9 あなたがたの先祖たちは、/そこでわたしを試みためし、
3:10 しかも、四十年の間わたしのわざを見たのである。だから、わたしはその時代の人々に対して、/いきどおって言った、/彼らの心は、いつも迷っており、/彼らは、わたしの道を認めなかった。
3:11 そこで、わたしは怒って、彼らをわたしの安息に/はいらせることはしない、と誓った」。
3:12 兄弟たちよ。気をつけなさい。あなたがたの中には、あるいは、不信仰な悪い心をいだいて、生ける神から離れ去る者があるかも知れない。
3:13 あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、心をかたくなにする者がないように、「きょう」といううちに、日々、互に励まし合いなさい。
3:14 もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。

ベエル・シェバに入れ(創世記26章)
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賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画
賛美集会音声
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週報/メッセージ(説教)概要

 去年、2018年の天声のカレンダーを作る時、2018年の標語となるべき御言葉を祈り求めていた所、ベエル・シェバという言葉が与えられた。このベエル・シェバとは何か。年明け最初の礼拝では語られたが、主日礼拝で語られた事がなかったので、今回、あらためてベエル・シェバとはいかなる所であるのかを見てみたい。

ベエル・シェバは「七つの井戸」「誓いの井戸」という意味の地で、信仰の父アブラハムが井戸を掘ったが、アビメレクのしもべが来て奪ってしまった。イサクが生まれて後、何をしても栄えるアブラハムをアビメレクは恐れ、不可侵条約を結びに来るのだが、その時、アブラハムはベエル・シェバを返すように抗議し、アビメレクは七頭の雌の子羊を受ける事で、そこは確かにアブラハムの地所であるという誓いを立てた。
『これによってその所をベエルシバと名づけた。彼らがふたりそこで誓いをしたからである。…アブラハムはベエルシバに一本のぎょりゅうの木を植え、その所で永遠の神、主の名を呼んだ。』(創21:31-33)
アブラハムが植えたとされるぎょりゅう(御柳)は今でもベエル・シェバにある。この木はヘブライ語でアシェル(「幸い」の意味:詩篇1:1)で、水が無い所でも深くから水を汲み上げる性質があり、イスラエル民族が1900年ぶりに入植した時、砂漠地帯だった所を、アブラハムに習ってこの木を植えた所、緑化に成功した。

以上のように、ベエル・シェバは信仰の父アブラハムが正統な手続きを経て入手し、潤いある地へと開墾したのだが、息子イサクは飢饉が理由でそこを離れ、再びアビメレクの元に身を寄せに行く。その時、主は彼に現れて言われた。『エジプトへ「下って」はならない。わたしがあなたに示す地に留まりなさい。』(26:2)
道や電車は、都に近づく方を「上り」、遠ざかる方を「下り」と言うが、霊的にも「上る」「下る」の概念がある。
「下」は世であり、そこは一見食料に満ち、美しく栄えているように見えても、破滅への誘惑に満ちており、降った人は、家族や財産を、あるいは命を失い、散々な目で帰って来た例が、聖書に多数ある。
私達は、上にあるものを求め続けるべきだ。そこはキリストが神の右に座しておられるからだ。(コロ3:1)
イサクは食糧難を「下」の方法で解決するため、異邦のアビメレクの元に「下った」結果、散々な目に遭う。
彼は異邦の地で無事に生きるために妻リベカを「妹です」と偽ったり、せっかく百倍の収穫を得ても、それを妬まれ、父アブラハムが掘った井戸を埋められた挙句、アビメレクから出て行くように言われてしまった。
追い立てられた先で井戸を掘っても、そこを奪われ、さらに出て行った先で井戸を掘っても、またしても井戸を奪われ、さらに次の場所へ行かざるを得なかった。どうしてそのような事が起きるのだろう。
それは、そこは主が定めた定住すべき地ではないからであり、「下」の見方で心が曇ってしまったイサクを、主が、「人」という鞭を用い、そこに住めないように導いておられたからだ。私達も「下」を見過ぎて目が曇ってしまい、主が示しておられる地が分からなくなってしまう時、主は「人」や「状況」を鞭として用い、主が示される地へと追い立てて行く事がある。その場所においてなす事がやる事がうまく行かない、やられっぱなし・奪われっぱなしである時、どこが本来いるべき「ベエル・シェバ」であるのかを求める必要がある。
イサクは、井戸をせっかく掘り当てた、と思ったのに、結局そこは狭い場所で、敵だらけで、いつも気を張っていなくてはならなかった。私達も、今の仕事や状況でそのように感じているとするなら、主に御心を求めて行くべきである。主が導いて下さる地、広くて、安心して産んで増えて行ける所を求めて。

『イサクはそこから移ってまた一つの井戸を掘ったが、彼らはこれを争わなかったので、その名をレホボテと名づけて言った、「いま主がわれわれの場所を広げられたから、われわれはこの地にふえるであろう」。彼はそこからベエルシバに上った。』(22-23節) 三度目にようやく争いの無い井戸を掘る事が出来たが、彼はすぐベエル・シェバへと「上る」。彼は「上」を見上げたのだ。彼は結局、信仰の父が掘った井戸の地、神の約束が示されていた地こそ、自分が産んで増えて地に満ちていくべき場所だとようやく悟ったのだ。
するとその夜、早速主がイサクに現れて言われ、「恐れてはならない」「わたしはあなたと共にいてあなたを祝福し、あなたの子孫を増す」と言われた。それで彼は、その所に礼拝場所を築き、天幕を張って井戸を掘り、住み込む準備を整えた。(24-25節) 私達も主が「ここだ」と示される地、示される仕事、示される礼拝を求めるべきである。そしてその「ベエル・シェバ」を得たなら、そこで産んで増えて地に満ちていく準備を整えるのだ。ベエル・シェバをわがものとし、産んで増えていく今年でありますように!

主から国々の富をわざとふるい落とされるような人になるためのコツ(ルツ記2:8-20)
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成功したい人は、成功者に見習え、という事は良く聞く事である。
私達は聖書の中から、霊的成功者の行動パターンを良く研究し、それにならい、また、霊的失敗者の行動パターンも研究し、それを遠ざける事により、霊的成功者を目指して行くべきである。
今回、霊的成功者であるルツから学びたい。

2:8 ボアズはルツに言った、「娘よ、お聞きなさい。ほかの畑に穂を拾いに行ってはいけません。またここを去ってはなりません。わたしのところで働く女たちを離れないで、ここにいなさい。
2:9 人々が刈りとっている畑に目をとめて、そのあとについて行きなさい。わたしは若者たちに命じて、あなたのじゃまをしないようにと、言っておいたではありませんか。あなたがかわく時には水がめのところへ行って、若者たちのくんだのを飲みなさい」。

イスラエルからは忌み嫌われるはずの異邦のモアブの女ルツは、どうしてこのような、ボアズから幸いな言葉を得る事が出来たか。
その第一の理由は、神である主を彼女の助けとして宣言したからである。

ルツ1:16 しかしルツは言った、「あなたを捨て、あなたを離れて帰ることをわたしに勧めないでください。わたしはあなたの行かれる所へ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です。
1:17 あなたの死なれる所でわたしも死んで、そのかたわらに葬られます。もし死に別れでなく、わたしがあなたと別れるならば、主よ、どうぞわたしをいくえにも罰してください」。

第二に、彼女は神の民であるしゅうとのナオミに真実を尽くしたからである。
ナオミは、社会的にはホームレスのような地位に転落してしまった、にもかかわらずである。
神の民の、最も小さい者のひとりにした事は、主に対してした事であり、たとえ水一杯でもその報いに漏れる者はいない。

2:10 彼女は地に伏して拝し、彼に言った、「どうしてあなたは、わたしのような外国人を顧みて、親切にしてくださるのですか」。
2:11 ボアズは答えて彼女に言った、「あなたの夫が死んでこのかた、あなたがしゅうとめにつくしたこと、また自分の父母と生れた国を離れて、かつて知らなかった民のところにきたことは皆わたしに聞えました。
2:12 どうぞ、主があなたのしたことに報いられるように。どうぞ、イスラエルの神、主、すなわちあなたがその翼の下に身を寄せようとしてきた主からじゅうぶんの報いを得られるように」。

ボアズはルツを、イスラエルの神、主の翼の下に身を寄せようとしてきた、と評価した。
その通りである。そして、全能者の翼の下に身を避けて来た人の幸いは、詩篇91篇にある。
詩篇91:1 いと高き者のもとにある/隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は
91:2 主に言うであろう、「わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神」と。
91:3 主はあなたをかりゅうどのわなと、恐ろしい疫病から助け出されるからである。
91:4 主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。
91:5 あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。
91:6 また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。
91:7 たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、万人はあなたの右に倒れても、その災はあなたに近づくことはない。
91:8 あなたはただ、その目をもって見、悪しき者の報いを見るだけである。
91:9 あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので、

2:13 彼女は言った、「わが主よ、まことにありがとうございます。わたしはあなたのはしためのひとりにも及ばないのに、あなたはこんなにわたしを慰め、はしためにねんごろに語られました」。

第三に、彼女のこの慎ましさが、彼女を幸いにした。
クリスチャンの中には、イエス様はやさしいお方、赦してくださるお方だ、という事で、平気で主に対して失礼な事をしたり、高ぶった態度をとったりする人もいるが、そのような態度では祝福が降りてくるはずが無い。
私達もルツのように、主を敬い、感謝し、自分を低くする者には、次のボアズの行動のような祝福を、主は注いで下さる。

2:14 食事の時、ボアズは彼女に言った、「ここへきて、パンを食べ、あなたの食べる物を酢に浸しなさい」。彼女が刈る人々のかたわらにすわったので、ボアズは焼麦を彼女に与えた。彼女は飽きるほど食べて残した。

ボアズは、食べ物を酢に浸して渡してくれた。それは、特別な親愛の表現である。
イエス様は最後の晩餐の席で、裏切り者は誰かと弟子達に問われた時、それは自分がパン切れを浸して渡す人だと言ってから、イスカリオテのユダにパンを渡した。
状況的に、ユダが裏切り者だと示しているのは明白なはずなのに、弟子達はなぜか「祭りに必要な物を買いなさい」とか、「貧しい人に何か施すように」とか、ユダに言われたのだと思った。(ヨハネ13章)
きっとその時のイエス様の所作は、裏切り者を示す行為だとは到底思えない程、ユダへの親愛の情に満ちていたからであろう。
主は、裏切り者にさえこのような親愛の情を示してくださった。

2:15 そして彼女がまた穂を拾おうと立ちあがったとき、ボアズは若者たちに命じて言った、「彼女には束の間でも穂を拾わせなさい。とがめてはならない。
2:16 また彼女のために束からわざと抜き落しておいて拾わせなさい。しかってはならない」。

ボアズはさらに、わざと穂を抜き落として、それを拾わせてくれた。
ハガイ書において、主は国々を揺り動かして国々の宝物をイスラエルにもたらす、と言われたが、それはハガイの時代、主に対して失礼な態度を捨て去り、主を礼拝する礎を据えたからだ。(ハガイ2章)

2:17 こうして彼女は夕暮まで畑で落ち穂を拾った。そして拾った穂を打つと、大麦は一エパほどあった。
2:18 彼女はそれを携えて町にはいり、しゅうとめにその拾ったものを見せ、かつ食べ飽きて、残して持ちかえったものを取り出して与えた。
2:19 しゅうとめは彼女に言った、「あなたは、きょう、どこで穂を拾いましたか。どこで働きましたか。あなたをそのように顧みてくださったかたに、どうか祝福があるように」。そこで彼女は自分がだれの所で働いたかを、しゅうとめに告げて、「わたしが、きょう働いたのはボアズという名の人の所です」と言った。
2:20 ナオミは嫁に言った、「生きている者をも、死んだ者をも、顧みて、いつくしみを賜わる主が、どうぞその人を祝福されますように」。ナオミはまた彼女に言った、「その人はわたしたちの縁者で、最も近い親戚のひとりです」。

ルツが、自分のみならず、養うべき家族をも、満たして下さる恵みにあずかれたのは、彼女の慎ましい性質の故である。
私達も主に対して身を低くし、感謝し、主を敬うなら、国々を揺り動かし、わざと恵みをふるい落として下さるのだ。

大金を既に支払って邪悪な者と同盟を結んでしまった場合の、御言葉による対処法(2歴代誌25:1-13)
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25:1 アマジヤは王となった時二十五歳で、二十九年の間エルサレムで世を治めた。その母はエルサレムの者で、名をエホアダンといった。
25:2 アマジヤは主の良しと見られることを行ったが、全き心をもってではなかった。

ヨアシュの子アマツヤは、父ヨアシュが歩んだように、最初は主の御旨に叶う事を行う良い王であったが、祝福され栄えるにつれ、傲慢になり、主に忌み嫌われる事を行う王となって行ってしまう。

25:3 彼は、国が彼の手のうちに強くなったとき、父ヨアシ王を殺害した家来たちを殺した。
25:4 しかしその子供たちは殺さなかった。これはモーセの律法の書にしるされている所に従ったのであって、そこに主は命じて、「父は子のゆえに殺されるべきではない。子は父のゆえに殺されるべきではない。おのおの自分の罪のゆえに殺されるべきである」と言われている。

もっと他の守るべき御言葉もありそうなものではあるが、少なくとも主の御旨に叶う歩みをし始めるなら、主は祝福を返して下さる。
それは、聖書全体が示す法則である。

25:5 アマジヤはユダの人々を集め、その氏族に従って、千人の長に付属させ、または百人の長に付属させた。ユダとベニヤミンのすべてに行った。そして二十歳以上の者を数えたところ、やりと盾をとって戦いに臨みうる精兵三十万人を得た。
25:6 彼はまた銀百タラントをもってイスラエルから大勇士十万人を雇った。

彼は栄え、多くの軍隊を得た時、土地を取り戻そうと、エドムと戦おうとし、自国の精兵三十万人と、北イスラエルから銀百タラントで雇った兵十万の、合計四十万で戦おうとした。
しかし、そこに神の人が現れる。

25:7 その時、神の人が彼の所に来て言った、「王よ、イスラエルの軍勢をあなたと共に行かせてはいけません。主はイスラエルびと、すなわちエフライムのすべての人々とは共におられないからです。
25:8 もしあなたがこのような方法で戦いに強くなろうと思うならば、神はあなたを敵の前に倒されるでしょう。神には助ける力があり、また倒す力があるからです」。

戦いを仕掛ける時、主に喜ばれない者達と同盟を組んで、一緒に行ってはならない、というのだ。

そうである。
神の民は、神の忌み嫌われる事を平気でしている者達と一緒になってはならない。

箴言1:10 わが子よ、悪者があなたを誘っても、それに従ってはならない。
1:11 彼らがあなたに向かって、「一緒に来なさい。われわれは待ち伏せして、人の血を流し、罪のない者を、ゆえなく伏してねらい、
1:12 陰府のように、彼らを生きたままで、のみ尽し、健やかな者を、墓に下る者のようにしよう。
1:13 われわれは、さまざまの尊い貨財を得、奪い取った物で、われわれの家を満たそう。
1:14 あなたもわれわれの仲間に加わりなさい、われわれは共に一つの金袋を持とう」と言っても、
1:15 わが子よ、彼らの仲間になってはならない、あなたの足をとどめて、彼らの道に行ってはならない。
1:16 彼らの足は悪に走り、血を流すことに速いからだ。
1:17 すべて鳥の目の前で/網を張るのは、むだである。
1:18 彼らは自分の血を待ち伏せし、自分の命を伏してねらうのだ。
1:19 すべて利をむさぼる者の道はこのようなものである。これはその持ち主の命を取り去るのだ。


私達も、自分の欲望を果たすために、悪者と連合したり、邪悪な者にお金を払って、その力を得ようとするなら、主は共に行ってくださらない。
ただ、支払ったお金も失い、負けてしまい、何もかも失うのみである。
神は、敵を倒す事も、敵の手を通して私達を倒す事もおできになり、そのどちらになるかは、私達が神に従順するか、それとも逆らうかにかかっているのだ。

しかし、もう既に、大金を払ってしまった。
私達も、このような事がある。
無知ゆえに、欲に目がくらんで焦った故に、既に邪悪なものにお金を、自分自身の人生を、すでにいくらか預けてしまうような事が。
焦った故に、結婚を急いだ結果、実は相手がとんでもない者だと分かって来たのだが、既に色々な手続きを進めてしまい、引くに引けなくなってしまったような状況など。
そのような場合は、どうしたら良いか。

25:9 アマジヤは神の人に言った、「それではわたしがイスラエルの軍隊に与えた百タラントをどうしましょうか」。神の人は答えた、「主はそれよりも多いものをあなたにお与えになることができます」。

預言者は言う。
神は、邪悪な者に支払ってしまったお金よりも、多いものも、与える事がおできになる、と。
主に従う時、御言葉に従う時、神は、邪悪な者に奪われてしまったものより、多いものも、与える事がおできになる。
彼は、最善の判断をした。邪悪な者と連合する事なく、主の言葉に従った。
いかに支払ったものが多いにしても、それを失うばかりでな人生を失うよりはましなのだ。
そして実際に、預言者の言葉のとおりになった。

25:11 しかしアマジヤは勇気を出し、その民を率いて塩の谷へ行き、セイルびと一万人を撃ち殺した。
25:12 またユダの人々はこのほかに一万人をいけどり、岩の頂に引いて行って岩の頂から彼らを投げ落したので、皆こなごなに砕けた。

預言者の言葉に従順した彼は、余裕の大勝利を得た。
主は、お出来になるお方である。

25:10 そこでアマジヤはエフライムから来て自分に加わった軍隊を分離して帰らせたので、彼らはユダに対して激しい怒りを発し、火のように怒って自分の所に帰った。
25:13 ところがアマジヤが自分と共に戦いに行かせないで帰してやった兵卒らが、サマリヤからベテホロンまでの、ユダの町々を襲って三千人を殺し、多くの物を奪い取った。

北イスラエルの傭兵たちの化けの皮が剥がれた。
普通、お金を得て、かつ危険な軍務につかなくても良くなった、というなら、益はあっても怒る筋合いは無いはずだが、彼らは互いが互いに「怒り」を投下し合い、激しい怒りを燃やしてこのような邪悪な事を行った。
だから神は、このような者たちと一緒に行ってはならない、と預言者を通して言われたのだ。

主の言葉に従って歩むなら、祝福が待っている。
しかし主の忌み嫌われる者と共に歩もうとするなら、その忌み嫌われる者の受ける災いを受けてしまう。
私達は最初から祝福の道を外さずに歩む者でありたい。

前代未聞の好待遇を受けた祭司エホヤダと、前代未聞の悪待遇を受けたヨアシュ王(2歴代誌24:15-27)
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24:15 しかしエホヤダは年老い、日が満ちて死んだ。その死んだ時は百三十歳であった。
24:16 人々は彼をダビデの町で王たちの中に葬った。彼はイスラエルにおいて神とその宮とに良い事を行ったからである。

この祭司エホヤダ、主に従わない者達が権威を取り、王家の血筋もあやうく根絶やしにされそうになり、霊的混沌となってしまった王国を立て直し、主の宮を再建し、寿命尽きる時までイスラエルを霊的に指導した、偉大な祭司エホヤダは「日が満ちて死んだ」。
この「日が満ちて死んだ」はヘブライ語でワイスバ・ヤミーム、素晴らしい宴会に敬意をもって招待されるニュアンスがある。
彼はダビデの町で、王達と共に葬られた。未だかつてなかった素晴らしい待遇である。
彼はまさに、そうされるに相応しかった。

こうしてエホヤダが霊的に立て直した健全な状態は、残念ながら、速やかに踏みにじられてしまう。

24:17 エホヤダの死んだ後、ユダのつかさたちが来て、うやうやしく王に敬意を表した。王は彼らに聞き従った。
24:18 彼らはその先祖の神、主の宮を捨てて、アシラ像および偶像に仕えたので、そのとがのために、怒りがユダとエルサレムに臨んだ。

エホヤダ以前の罪深い時代、罪の飲み食いと肉欲の楽しみを覚えていたユダのつかさ達は、エホヤダが死んだと同時に、うやうやしくヨアシュ王に敬意を表し、ヨアシュ王は彼らのいうことに耳を傾け、主から離れ、偶像をイスラエルに持ち込んでしまったのだ。

素晴らしい霊的指導者がいなくなった途端に、それまでずっと抑えてきた罪と肉の欲望を発散させ、せっかく長年霊的な指導を受けて来たにもかかわらず、それら全てを覆すような事をする人はいる。
彼らに対しては、主からの災いによる報いが待っているが、次のような人は要注意である。すなわち、表向きは善良な礼拝者を装ってはいても、普段から霊的指導者をうるさく思い、その指導する人が遠出したり、忙しくしたりしていると、なまけぐせが顔を出して、手抜きをしたり、威張り散らしたり、仲間を打ち叩いたりしてしまう人は。

24:19 主は彼らをご自分に引き返そうとして、預言者たちをつかわし、彼らにむかってあかしをさせられたが、耳を傾けなかった。

24:20 そこで神の霊が祭司エホヤダの子ゼカリヤに臨んだので、彼は民の前に立ち上がって言った、「神はこう仰せられる、『あなたがたが主の戒めを犯して、災を招くのはどういうわけであるか。あなたがたが主を捨てたために、主もあなたがたを捨てられたのである』」。
24:21 しかし人々は彼を害しようと計り、王の命によって、石をもって彼を主の宮の庭で撃ち殺した。

あろうことか、あの大きな恩のあるエホヤダの子、ザカリヤさえも、ヨアシュ王は石で撃ち殺す命令をくだしてしまったのだ。
ヨアシュはおよそ40年もの間、表向き偽りの礼拝生活を送って来ていたという事だ。

ヘブル4:2 というのは、彼らと同じく、わたしたちにも福音が伝えられているのである。しかし、その聞いた御言は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。
4:3 ところが、わたしたち信じている者は、安息にはいることができる。それは、/「わたしが怒って、/彼らをわたしの安息に、はいらせることはしないと、/誓ったように」/と言われているとおりである。しかも、みわざは世の初めに、でき上がっていた。

ヨアシュ王は結局、40年受けていた指導の御言葉に、ずっと信仰を混ぜあわせる事をせず、口うるさい戒めとして我慢しながら従っていたのだろう。

24:22 このようにヨアシ王はゼカリヤの父エホヤダが自分に施した恵みを思わず、その子を殺した。ゼカリヤは死ぬ時、「どうぞ主がこれをみそなわして罰せられるように」と言った。

主は、全て義人が流してきた血がそのまま虚しく地に落ちるような事はされない。必ず報いをされるお方である。(黙示録6:9-11)
当時の南ユダ王国とヨアシュ王に対するさばきは、速やかに来た。

24:23 年の終りになって、スリヤの軍勢はヨアシにむかって攻め上り、ユダとエルサレムに来て、民のつかさたちをことごとく民のうちから滅ぼし、そのぶんどり物を皆ダマスコの王に送った。
24:24 この時スリヤの軍勢は少数で来たのであるが、主は大軍を彼らの手に渡された。これは彼らがその先祖の神、主を捨てたためである。このように彼らはヨアシを罰した。

わずかな軍勢により、ユダは大損害を受けた。そして、ヨアシュを惑わし、ゼカリヤを殺した民のつかさ達は、速やかにことごとく滅ぼされた。
また、ヨアシュ自身も大怪我を負わされた。

24:25 スリヤ軍はヨアシに大傷を負わせて捨て去ったが、ヨアシの家来たちは祭司エホヤダの子の血のために、党を結んで彼にそむき、彼を床の上に殺して、死なせた。人々は彼をダビデの町に葬ったが、王の墓には葬らなかった。

イスラエルに大きな功労を立てた大祭司エホヤダは王の墓に葬られた。それは前代未聞の待遇である。
しかしヨアシュに対しては謀反が起こり、しかも病の床の上で殺され、王の墓から外された。これもまた、王の死に方としては前代未聞である。
神の国とは、そういうものである。

ヨアシュにはアハブとイゼベルの血も流れているが、やはり血は争えないのだろうか。
確かに人は、親から受け継いだ血も、肉欲も、あるいは人によって意図的に操作されて育ってしまった自分の性格も、自分ではどうしようもない。
しかし、キリストにあっては、大きな希望がある。

ヨハネ1:12 しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。
1:13 それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。

あらゆる病、貧困、死、全てサタンに属するものを打ち砕く主(ヨハネ11:20)
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11:20 マルタはイエスがこられたと聞いて、出迎えに行ったが、マリヤは家ですわっていた。
11:21 マルタはイエスに言った、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう。
11:22 しかし、あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています」。
11:23 イエスはマルタに言われた、「あなたの兄弟はよみがえるであろう」。
11:24 マルタは言った、「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」。
11:25 イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
11:26 また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。
11:27 マルタはイエスに言った、「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」。

マルタは、イエス様が生ける神の御子、キリストである事を信仰告白した。
信じる者に、主はその栄光を豊かにあらわしてくださる。
それも、死をよみがえらせるしるしである。

11:28 マルタはこう言ってから、帰って姉妹のマリヤを呼び、「先生がおいでになって、あなたを呼んでおられます」と小声で言った。
11:29 これを聞いたマリヤはすぐに立ち上がって、イエスのもとに行った。
11:30 イエスはまだ村に、はいってこられず、マルタがお迎えしたその場所におられた。
11:31 マリヤと一緒に家にいて彼女を慰めていたユダヤ人たちは、マリヤが急いで立ち上がって出て行くのを見て、彼女は墓に泣きに行くのであろうと思い、そのあとからついて行った。
11:32 マリヤは、イエスのおられる所に行ってお目にかかり、その足もとにひれ伏して言った、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう」。
11:33 イエスは、彼女が泣き、また、彼女と一緒にきたユダヤ人たちも泣いているのをごらんになり、激しく感動し、また心を騒がせ、そして言われた、
11:34 「彼をどこに置いたのか」。彼らはイエスに言った、「主よ、きて、ごらん下さい」。
11:35 イエスは涙を流された。
11:36 するとユダヤ人たちは言った、「ああ、なんと彼を愛しておられたことか」。
11:37 しかし、彼らのある人たちは言った、「あの盲人の目をあけたこの人でも、ラザロを死なせないようには、できなかったのか」。
11:38 イエスはまた激しく感動して、墓にはいられた。それは洞穴であって、そこに石がはめてあった。

イエス様は、涙を流された。それは、ラザロが死んで悲しいからではない。
イエス様はラザロが死んだ、という事を、はっきりとおっしゃった。確かにイエス様が、ラザロが生きている間にラザロの所に会いに来て、病をいやす事はおできになったが、この度は、意図的に、死んだ後に来られたのだ。
なぜ、敢えてそのようにするのか。この病の苦しみ、死ぬほどの苦しみに遭わせないでくだされば良いのに、と人は思う。
しかし、それを敢えてされた理由は、次の言葉に示されている。

11:4 「この病気は死ぬほどのものではない。それは神の栄光のため、また、神の子がそれによって栄光を受けるためのものである」。
・・・
11:14 するとイエスは、あからさまに彼らに言われた、「ラザロは死んだのだ。
11:15 そして、わたしがそこにいあわせなかったことを、あなたがたのために喜ぶ。それは、あなたがたが信じるようになるためである。では、彼のところに行こう」。
全ての病、死、それら、サタンに由来するものは、主を信じる時、神の栄光・イエス様の栄光へと変換されるのだ。

イエス様が涙を流されたのは、「彼女が泣き、また、彼女と一緒にきたユダヤ人たちも泣いているのをごらんに」なられたからだ。
人が病に、死に、サタンにいいようにされ、為す術もなく、ただ泣くしかない状況に。
イエス様は人に涙を流させる全てのものに対して憤りを覚え、人の目から涙を拭い去って下さる。

11:39 イエスは言われた、「石を取りのけなさい」。死んだラザロの姉妹マルタが言った、「主よ、もう臭くなっております。四日もたっていますから」。
11:40 イエスは彼女に言われた、「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」。

腐っている死体が入った墓の墓石を取り除くのは誰もしたくはない事だが、しかし主はよみがえりであり、いのちである。
私達も、イエス様がよみがえりであり、いのちである事を信じ、取り除きたくない墓石を、取り除くなら、主の栄光を見ることができる。

11:41 人々は石を取りのけた。すると、イエスは目を天にむけて言われた、「父よ、わたしの願いをお聞き下さったことを感謝します。
11:42 あなたがいつでもわたしの願いを聞きいれて下さることを、よく知っています。しかし、こう申しますのは、そばに立っている人々に、あなたがわたしをつかわされたことを、信じさせるためであります」。

イエス様のこの祈りは、プライベートな、神との一対一の祈りではない。
人々が信じるために、あえて祈ったのである。

11:43 こう言いながら、大声で「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわれた。
11:44 すると、死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた。イエスは人々に言われた、「彼をほどいてやって、帰らせなさい」。
11:45 マリヤのところにきて、イエスのなさったことを見た多くのユダヤ人たちは、イエスを信じた。

多くの人々が、イエス様を信じた。
全ての奇跡は、イエス様の栄光のためにであり、そして、イエス様こそが、人の死の縄目を砕いてくださるお方であると信じるようになるためである。
そう、イエス様はあらゆる病、貧困、死、全てサタンに属するものを、打ち砕いて、私達の涙を拭い去り、永遠のいのちを与えて下さるお方である。

ことばのとどろきの中でも守られ恩恵を受ける人(ハガイ2:6-9)
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ハガイ2:6 万軍の主はこう言われる、しばらくして、いま一度、わたしは天と、地と、海と、かわいた地とを震う。
2:7 わたしはまた万国民を震う。万国民の財宝は、はいって来て、わたしは栄光をこの家に満たすと、万軍の主は言われる。
2:8 銀はわたしのもの、金もわたしのものであると、万軍の主は言われる。
2:9 主の家の後の栄光は、前の栄光よりも大きいと、万軍の主は言われる。わたしはこの所に繁栄を与えると、万軍の主は言われる』」。

ヘブル12:18 あなたがたが近づいているのは、手で触れることができ、火が燃え、黒雲や暗やみやあらしにつつまれ、
12:19 また、ラッパの響や、聞いた者たちがそれ以上、耳にしたくないと願ったような言葉がひびいてきた山ではない。
12:20 そこでは、彼らは、「けものであっても、山に触れたら、石で打ち殺されてしまえ」という命令の言葉に、耐えることができなかったのである。
12:21 その光景が恐ろしかったのでモーセさえも、「わたしは恐ろしさのあまり、おののいている」と言ったほどである。
12:22 しかしあなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の天使の祝会、
12:23 天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者なる神、全うされた義人の霊、
12:24 新しい契約の仲保者イエス、ならびに、アベルの血よりも力強く語るそそがれた血である。

出エジプト記12:12 その夜わたしはエジプトの国を巡って、エジプトの国におる人と獣との、すべてのういごを打ち、またエジプトのすべての神々に審判を行うであろう。わたしは主である。
12:13 その血はあなたがたのおる家々で、あなたがたのために、しるしとなり、わたしはその血を見て、あなたがたの所を過ぎ越すであろう。わたしがエジプトの国を撃つ時、災が臨んで、あなたがたを滅ぼすことはないであろう。
12:14 この日はあなたがたに記念となり、あなたがたは主の祭としてこれを守り、代々、永久の定めとしてこれを守らなければならない。

詩篇114:1 イスラエルがエジプトをいで、ヤコブの家が異言の民を離れたとき、
114:2 ユダは主の聖所となり、イスラエルは主の所領となった。
114:3 海はこれを見て逃げ、ヨルダンはうしろに退き、
114:4 山は雄羊のように踊り、小山は小羊のように踊った。
114:5 海よ、おまえはどうして逃げるのか、ヨルダンよ、おまえはどうしてうしろに退くのか。
114:6 山よ、おまえたちはどうして雄羊のように踊るのか、小山よ、おまえたちはどうして小羊のように踊るのか。
114:7 地よ、主のみ前におののけ、ヤコブの神のみ前におののけ。
114:8 主は岩を池に変らせ、石を泉に変らせられた。

ヘブル12:25 あなたがたは、語っておられるかたを拒むことがないように、注意しなさい。もし地上で御旨を告げた者を拒んだ人々が、罰をのがれることができなかったなら、天から告げ示すかたを退けるわたしたちは、なおさらそうなるのではないか。
12:26 あの時には、御声が地を震わせた。しかし今は、約束して言われた、「わたしはもう一度、地ばかりでなく天をも震わそう」。
12:27 この「もう一度」という言葉は、震われないものが残るために、震われるものが、造られたものとして取り除かれることを示している。
12:28 このように、わたしたちは震われない国を受けているのだから、感謝をしようではないか。そして感謝しつつ、恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう。
12:29 わたしたちの神は、実に、焼きつくす火である。

出エジプト記19:16 三日目の朝となって、かみなりと、いなずまと厚い雲とが、山の上にあり、ラッパの音が、はなはだ高く響いたので、宿営におる民はみな震えた。
19:17 モーセが民を神に会わせるために、宿営から導き出したので、彼らは山のふもとに立った。
19:18 シナイ山は全山煙った。主が火のなかにあって、その上に下られたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山はげしく震えた。
19:19 ラッパの音が、いよいよ高くなったとき、モーセは語り、神は、かみなりをもって、彼に答えられた。
19:20 主はシナイ山の頂に下られた。そして主がモーセを山の頂に召されたので、モーセは登った。
19:21 主はモーセに言われた、「下って行って民を戒めなさい。民が押し破って、主のところにきて、見ようとし、多くのものが死ぬことのないようにするためである。
19:22 主に近づく祭司たちにもまた、その身をきよめさせなさい。主が彼らを打つことのないようにするためである」。
19:23 モーセは主に言った、「民はシナイ山に登ることはできないでしょう。あなたがわたしたちを戒めて『山のまわりに境を設け、それをきよめよ』と言われたからです」。
19:24 主は彼に言われた、「行け、下れ。そしてあなたはアロンと共に登ってきなさい。ただし、祭司たちと民とが、押し破って主のところに登ることのないようにしなさい。主が彼らを打つことのないようにするためである」。
19:25 モーセは民の所に下って行って彼らに告げた。

出エジプト記のキアズムは、最初は民の叫びが主の耳に届いた所から始まり、その終わりは、礼拝場所すなわち幕屋建設が完了し、栄光の雲が満ち溢れた所で終わる。
その間に、ほふられた子羊の血による贖いがあり、また、シナイ山における主の顕現がある。
黒雲の闇の中、あちらこちらで稲妻と角笛が鳴り響き、山の上に主が火の中に降りて来られた様にイスラエルの民は震えおののいたが、自らを血潮で清める者は、恐れる必要はない。しかし、不遜にも御言葉を破り、きよめも資格も無い者が超えて来るなら、その者は裁きに耐えられない。

結論。
主の御言葉を守り行う人、イエス様の血潮の守りの内にいる人は、ハガイ書の言葉の通り、全世界が揺り動かされる時、揺り動かされる側ではなく、揺り動かしによってもらされる良いものを受ける側である。

ハガイ2:6 万軍の主はこう言われる、しばらくして、いま一度、わたしは天と、地と、海と、かわいた地とを震う。
2:7 わたしはまた万国民を震う。万国民の財宝は、はいって来て、わたしは栄光をこの家に満たすと、万軍の主は言われる。
2:8 銀はわたしのもの、金もわたしのものであると、万軍の主は言われる。
2:9 主の家の後の栄光は、前の栄光よりも大きいと、万軍の主は言われる。わたしはこの所に繁栄を与えると、万軍の主は言われる』」。

しかし、主の御言葉を破る者、イエス様の贖いを軽んじる者は、揺り動かされ、その裁きに耐えられない者である。

第一礼拝 本来あるべき礼拝の回復(ハガイ2:1-9)
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週報/メッセージ(説教)概要

第二礼拝 「言葉の振動が起こす奇跡(詩篇19篇)」 賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画

 最近、講解説教や出張先などでハガイ書の御言葉が再び頻繁に示されるようになって来た。ハガイ書は天声教会開拓の根拠となった御言葉である。ハガイ書の主要テーマは「神殿を再建せよ」という命令であるので、与えられた当初は、新しい会堂を建てる事だと思っていたが、御心を求めて行く内に、「本来あるべき礼拝を回復せよ」という事だと分かってきた。本来あるべき礼拝とは、何だろう。今回詳しく学びたい。

キリストの福音はユダヤ人から始まった故に、初代教会は、ヘブライ思考に基づいた礼拝をしていた。
ヘブライ思考は徹底した「御言葉中心」で、礼拝では御言葉をそのまま朗読し御言葉そのままを暗唱した。
それで初代教会は、主日ごとに会合を開いて礼拝をする時、旧約聖書や使徒の書簡を「そのまま」朗読し、説教とした。ユダヤでは今でもそうだが、教会の「説教」に相当するものは、全部「御言葉の朗読」で、人間による解釈は一切混ぜ込まず、また、彼らの祈りも、詩篇など「御言葉そのまま」を祈りの言葉としていた。
「御言葉そのまま」を聞いた会衆一同は、各自が御言葉そのものから働く聖霊に心動かされ、各々に必要な慰めや指導や訓戒など、各々に違った特有の養いを、聖霊から受けていた。これを「聖霊牧会」という。
神が求められる礼拝は、聖霊と御言葉による礼拝である。『まことの礼拝をする者達が、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。』(ヨハネ4:23-24)
これは、あるサマリヤの女に対してイエス様が語られた言葉である。彼女は結婚に5回も失敗し、現在6人目の男性と同棲し、人目を避けて暮らしてたが、それでも真理を求めていた。彼女は自分の先祖はヤコブであると主張し、ヤコブの井戸から先祖代々飲んできた事を誇りにしていた。彼女が話している人が預言者だと感じた時、真っ先に尋ねたのは、礼拝についてだった。どの場所で、どのように礼拝するべきか。
イエス様は言われた。父なる神が求めておられるのは、霊とまこと(真理)によって礼拝する礼拝者だ、と。
すなわち、御言葉そのものから聖霊に導かれる礼拝者である。聖霊牧会こそ、本来あるべき礼拝の姿だ。
彼女は、メシヤが来られる時には全てを教えて下さると言った。彼女は日頃、メシヤを待望していたのだ。
彼女がこのような志を、日頃から持っていたから、主は彼女に会うためにわざわざサマリヤに来て、あの井戸で待っておられたのである。私達も、いかに罪と弱さを持っていたとしても、日頃から彼女のように真理を求める心を持ち、メシヤなるキリストの待望を待ち望んでいるなら、主がわざわざ会いに来て下さるのだ。

ハガイの時代は、バビロン捕囚の後、イスラエルの民がエルサレムへ戻って来た時だ。彼らは自分の家・生活・経済を良くしようと走り回ったが、神殿は廃墟のままだった。結果、働けど働けど、暮らしはなお楽にならなかった。多く蒔いても取入れは少なく、飲んで食べても満たされず、穴のあいた財布にかきこみ入れているように、生活は慌ただしく、実り少なく、貧しいままだった。(ハガイ1:4-11) 礼拝が荒れ果てた状態で生活や外面を立派にしようと頑張っても、虚しく終わる事は、法則である。私達が本来の礼拝を回復し、神の国とその義をまず第一に求めるなら、必要なモノ、事、人のほうが、私達を追いかけて来るのだ。
『あなたがた残りの者のうち、以前の栄光に輝く主の家を見た者はだれか。あなたがたは今、この状態をどう思うか。これはあなたがたの目には、無にひとしいではないか。』(ハガイ2:3)
捕囚前の神殿を知っていた老人達は、新しく建てられた神殿を見た時、無いにも等しく見えて、泣いた。
彼らは、外面的に豪華だった神殿が破壊され、今の神殿にはその外面的な栄光が無い事で泣いたが、神殿の栄光とは、教会の栄光とは何か。神殿や教会は、主を礼拝をする所であって、建物や器物など人・モノ・仕組みの素晴らしさを見物しに来る所ではない。神殿や教会の栄光とは、礼拝されるべきお方・主の栄光であり、その栄光の主を仰ぎ、ひれ伏す所が教会なのだ。初代教会は迫害の時代にあり、家々の中で密かに、小さく礼拝を行っていたが、主の栄光は豊かに現れ、速やかに多くの人々が救われて行った。
主は、礼拝者の心を見られ、その心が主に対して真実でまっすぐであるなら、主はその集い(エクレシア:教会)を「以前の栄光にも勝る」ようにされるのだ。結局、主の栄光は、外面的にきらびやかに飾った所よりも、主に対する愛と純粋さ、主に対する従順や服従を持っている群れにこそ、現れるのだ。
御言葉なるキリストを純粋に求め、聖霊に牧会され、主の栄光に満ち満ちた集いとなりますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

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