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- pastor 2016-2-27 0:32
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してはならない飲み食いを止めなかったヤロブアム(1列王記13:20-34)
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- pastor 2016-2-24 23:40
してはならない飲み食いを止めなかったヤロブアム(1列王記13:20-34)
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ヤロブアム王に対し、力あるわざを伴った預言をした南ユダ王国の預言者は、主の言葉を伝えたら、そのまま飲み食いしないで帰らなくてはならない、という事も、主から示されていた。
しかし彼は、北の老預言者の「主」の御名を用いた言葉に騙され、してはならなかった飲み食いを、してしまった。
『彼らが食卓についていたとき、主の言葉が、その人をつれて帰った預言者に臨んだので、彼はユダからきた神の人にむかい呼ばわって言った、「主はこう仰せられます、『あなたが主の言葉にそむき、あなたの神、主がお命じになった命令を守らず、引き返して、主があなたに、パンを食べてはならない、水を飲んではならない、と言われた場所でパンを食べ、水を飲んだゆえ、あなたの死体はあなたの先祖の墓に行かないであろう』」。』(1列王記13:20-22)
この老預言者は、自分で騙しておきながら、同じ口で、その事を言った。なんとも理不尽である。
この老預言者のように、自分の身勝手な願いを満たすために、人を「主」の御名を用いて不当な飲み食いへと導くなら、騙された人は、それによって滅びへと導かれてしまうのだ。
『こうしてその人は立ち去ったが、道でししが彼に会って彼を殺した。そしてその死体は道に捨てられ、ろばはそのかたわらに立ち、ししもまた死体のかたわらに立っていた。人々はそこをとおって、道に捨てられている死体と、死体のかたわらに立っているししを見て、かの老預言者の住んでいる町にきてそれを話した。』(1列王記13:24-25)
あの大活躍した預言者は、ライオンに殺されてしまった。
そして不思議な事に、血に飢えているはずのライオンは、その人を食べもせず、じっと立ったままで、しかも、ろばも逃げずにライオンと一緒に死体のそばに立っていたのだ。(28節)
動物界では、有り得ない事である。
そして、この預言者に起こった事は、実に理不尽な事である。
理不尽な、そして有り得ない事が起こると、人はそれに心を留めるものである。
『そこで預言者は神の人の死体を取りあげ、それをろばに載せて町に持ち帰り、悲しんでそれを葬った。すなわちその死体を自分の墓に納め、皆これがために「ああ、わが兄弟よ」と言って悲しんだ。』(1列王記13:29-30)
どうして、あの人が死ななければならないのだろう。
それに引き換え、どうしてあの人はのうのうと生きながらえているのだろう。
この世界は、そのような疑問でいっぱいである。
ただ、人の生死について、また、悪い行いへの報いの早い・遅いは、私達がとやかく口出しできる事ではない。
全世界の、全ての人間の最善をご存知である主は、全て主権をもって支配しておられるのだ。
歴史を支配される主の采配の見事さは、その時はすぐに分からなくても、何十年、何百年と後になってから分かるようになって、それに人は大いに驚かされるものである。
『彼はそれを葬って後、むすこたちに言った、「わたしが死んだ時は、神の人を葬った墓に葬り、わたしの骨を彼の骨のかたわらに納めなさい。彼が主の命によって、ベテルにある祭壇にむかい、またサマリヤの町々にある高き所のすべての家にむかって呼ばわった言葉は必ず成就するのです」。』(1列王記13:31-32)
実際、ライオンに殺された彼の預言は、300年後に成就する。
彼は、ヤロブアム王が構築した偶像の祭壇は、ヨシヤという名のダビデ王家の人によって破壊され、汚される事を預言していた。
事実、300年後にその通りになり、300年後、自分の行った事を言い当てられた事を知ったヨシヤは、その預言者の墓を守った。(2列王記23:15-20)
かの預言者の非業の死は、多くの人達に、納得の行かない事だったかもしれない。
しかし、彼の、そのような尋常でない事があったからこそ、その後に生まれ出る多くの預言者達には、強烈な教訓となったであろう。
主から与えられた言葉は、決して曲げてはならなず、そして示された事は断然、伝えるべきである、という事の。
そしてその後、この事件は300年もの間、彼が葬られたその墓と共に、ずっと語り継がれる事となった。
当時のヤロブアム王にも、この出来事はすぐに伝え知らされが、残念ながら彼は、この事から何ら教訓も得なかった。
『この事の後も、ヤラベアムはその悪い道を離れて立ち返ることをせず、また一般の民を、高き所の祭司に任命した。すなわち、だれでも好む者は、それを立てて高き所の祭司とした。この事はヤラベアムの家の罪となって、ついにこれを地のおもてから断ち滅ぼすようになった。』(1列王記13:33-34)
ヤロブアムは、偶像礼拝という、「戻ってはならない飲み食い」へと、戻ってしまい、その事は、彼に滅びをもたらすこととなる。
北の老預言者は、南の預言者に「してはならない飲み食い」へと促す「偽りの助言」によって滅びへと導いてしまったが、それと同じように、ヤロブアムも、人々に「偶像礼拝」という「してはならない飲み食い」へと導き、それによって多くの人々を滅びへと向かわせてしまった。
老預言者は、かの預言者に次のように言った。
『あなたが主の言葉にそむき、あなたの神、主がお命じになった命令を守らず、引き返して、主があなたに、パンを食べてはならない、水を飲んではならない、と言われた場所でパンを食べ、水を飲んだゆえ、あなたの死体はあなたの先祖の墓に行かないであろう』(1列王記13:21-22)
この言葉は、かの預言者に対して言われたばかりでなく、まさにヤロブアムに対する警告でもあり、そして北イスラエル王国歴代の王たちに対する警告でもあったのだ。
これらの事は、現代の私達に対する警告でもある。
北イスラエル王国の人達は、この預言者の墓を300年見続け、語り継がれ続けていたのに、結局この事から何の戒めを受けず、偶像礼拝という「してはならない飲み食い」を止めずに、滅んでしまった。
私達はこの事に戒めを受けて、してはならない飲み食いを止めるべきなのだ。
預言者が、元々与えられていた主の命令とは違う事を言って来た場合(1列王記13:11-19)
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- pastor 2016-2-22 23:38
預言者が、元々与えられていた主の命令とは違う事を言って来た場合(1列王記13:11-19)
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主は、北イスラエル王国を偶像礼拝へと導いたヤロブアムの罪を、南ユダ王国から来た無名の預言者を通して指摘し、彼を通してインパクトのあるしるしをもって、警告した。
その事はたちまちうわさとなって人々に伝わったが、その出来事を「主からの警告」として心に留めるのではなく、「大活躍した預言者」という人間に注目して、その人にあやかろうとする人も出て来る。
『さてベテルにひとりの年老いた預言者が住んでいたが、そのむすこたちがきて、その日神の人がベテルでした事どもを彼に話した。また神の人が王に言った言葉をもその父に話した。父が彼らに「その人はどの道を行ったか」と聞いたので、むすこたちはユダからきた神の人の行った道を父に示した。』(1列王記13:11-12)
この老預言者は、ヤロブアムが偶像を安置したベテルの町に住んでいたというのに、その罪を犯したヤロブアムに対しては、何の警告もしていなかった。
それでおきながら、南から来た預言者が、大胆に主の御業を為した事を聞くと、彼に会うために出かけて行った。
このように、「御言葉を伝える」という働き人としての分を果たさないまま、活躍した著名な預言者に会いに出かけて行く働き人は、この時代にもいたのだ。
『「あなたはユダからこられた神の人ですか」。その人は言った、「そうです」。そこで彼はその人に言った、「わたしと一緒に家にきてパンを食べてください」。その人は言った、「わたしはあなたと一緒に引き返すことはできません。あなたと一緒に行くことはできません。またわたしはこの所であなたと一緒にパンも食べず水も飲みません。主の言葉によってわたしは、『その所でパンを食べてはならない、水を飲んではならない。また来た道から帰ってはならない』と言われているからです」。』(1列王記13:14-17)
南ユダの預言者は、ヤロブアムに言った事と全く同じ事を、そのままこの老預言者にも伝えた。
すなわち、彼に主から与えられたミッションは、ヤロブアムが造った祭壇に対して預言する事、そして、語るべきを語り終えたなら、一切飲み食いせず、以前通った道も通らずに帰る事だ、という事を。
『彼はその人に言った、「わたしもあなたと同じ預言者ですが、天の使が主の命によってわたしに告げて、『その人を一緒に家につれ帰り、パンを食べさせ、水を飲ませよ』と言いました」。これは彼がその人を欺いたのである。そこでその人は彼と一緒に引き返し、その家でパンを食べ、水を飲んだ。』(1列王記13:18-19)
老預言者は「欺いた」。
彼は、この南ユダからの預言者に、「主(エホバ)」の名を用い、偽の預言をしたのだ。
南の預言者は、彼の偽預言を疑いもせずそのまま受け入れ、飲み食いしてしまった。
ここで疑問が沸き起こる。
このような場合、どうすべきなのだろうか。
すなわち、はじめに主から命じられていた事とは全く別の、あるいは、真逆の指示が、別の人から主の御名によって来た場合は。
そのような場合は、まず、主ご自身に聞くべきである。
彼は、その老預言者の言葉を一切吟味する事なしに飲み食いし、はじめに与えられていた命令は破ってしまったが、その事は彼にとって災いとなってしまう。
ちょうど、アダムとエバが、主から最初に与えられていた命令、善悪を知る知識の木から「取って食べてはならない、食べるなら必ず死ぬ」という命令があったにもかかわらず、蛇からの「食べても決して死なない、むしろ、食べるなら神のようになれる」という言葉にそそのかされ、食べてしまい、そうして呪いと死を招いてしまったのと同じように。
今、私達はどのようにして主ご自身に聞くべきか。それには、預言などの特別な能力はいらない。
私達には既に、「聖書」という、確固とした預言の言葉が与えられており、それに聞くべきである。
もし、この事は聖書に即しているか、いないかが、すぐに分からない場合は、主イエスはいつも生きておられ、いつも聞いておられるお方である。この御方に祈って聞くのだ。
「主よ、いまこの人は、これこれの事を勧めて来ましたが、自分には良し悪しがわかりません。主よ、あなたが教えて導いて下さい。」と祈るのだ。
もしその時、平安が無く、心がざわざわするなら、拒絶したほうが良い。
相手が、かの老預言者のように、経験も立ち居振る舞いも実績も立派に”見える”人であるなら、無意識的に言葉を信じて受け入れやすい所が私達にもあるが、少しでも「おかしいな」という気持ちがよぎったなら、御言葉を開き、祈り求めるべきである。
御言葉に反しているような事であるなら、相手がどんなに偉く経験豊かな人、あるいは、伝統ある大きな団体であったとしても、それを受けてはならない。
現在、多くの人々が、自称・預言者や、自称・神からの導き者と名乗っている人、あるいは宗教団体に惑わされている。
同性愛は許されるのだ、とか、イエス様以外にも救いはあるのだとか、経験も立ち居振る舞いも実績も立派な「老預言者」が、聖書に反する事を堂々と公言しているのは、メディアでよく目にする。
しかし人は、その言葉を発している人や団体が、あまりに有名であったり実績があったりするのを見て、容易に騙され、信じこまされ、いつの間にか主への反逆と呪いへと、向かわされてしまっているものである。
イエス様は、終わりの時代について、あらかじめ注意された。
『またオリブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとにきて言った、「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」。そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。
また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。』(マタイ24:3-7)
現代、イエス様が言われたように、戦争のうわさや、国同士・兄弟姉妹同士の敵対、ききんや地震の頻発のうわさについて、ほぼ毎日メディアから入ってくる。
戦争や地震に備えるのは確かに重要だが、しかし、主が真っ先に「気をつけなさい」と言われた事は、「人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう」という事だ。
だから、主の民とされた私達が今、真っ先に気をつけるべきは、人に惑わされないよう気をつける事、なのだ。
私達はこの終わりの時代、決して変わることも裏切る事も無い、真理の御言葉に基づいて行動し、そこから離れずに歩みたい。
再建を邪魔する者への対処方法(ネヘミヤ4章)
第一礼拝 Youtube動画 / 音声
賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画
賛美集会音声
第二礼拝音声
週報/メッセージ(説教)概要
今年に入り、天声教会設立当初にビジョンとして与えられたハガイ書から礼拝の再建について学んでおり、礼拝が再建された後は、ガードするための城壁の再建するべき事を、ネヘミヤ記から学んでいる。
ネヘミヤ達は、わずか52日で城壁を完成させたが、きょう、今年が始まって52日目である。私達の再建はどれ程進んでいるだろう。一日二日で終わらせられないような事でも、やってみれば意外とすぐに終わるのに、山積みの問題を見ると、やる気を失わせられてしまう。エルサレムはそうして何十年も防護壁が崩れ放題、きつねが出入りし放題だったが、私達は主にあって建て直しを進めるなら、すぐ建て直される。
今回のネヘミヤ4章を見ると、再建のわざは、何の妨げも無くとんとん拍子に進むわけではない事が分かる。
人がより健やかに、より主に向き合うようになる事を、歯ぎしりして嫌がる敵、すなわちサタンがいるからだ。
サタンに同意する人もまた、人が健全になるのを邪魔する事には、エネルギーを惜しまないものだ。
礼拝の再建、人生の再建をしようと取りかかった時、それを邪魔する者が現れる事は、しっかり想定しておき、それが現れた時には、いかに対処すべきかを、このネヘミヤ4章から学びたい。
『サンバラテはわれわれが城壁を築くのを聞いて怒り、大いに憤ってユダヤ人をあざけった。・・・「この弱々しいユダヤ人は何をしているのか。自分で再興しようとするのか。犠牲をささげようとするのか。』(1-2)
彼らはちょうど、人が働く気を起こし行動し出した所の気持ちをくじく。
私達も、自分の崩れてしまった人生や性格を建て直そうとする時、礼拝を再建しようと働き出す時、敵は非常に憤慨してあざけり、1日ではとても片付けられないような、瓦礫のような有様にフォーカスさせて、やる気を失せさせたり(2節)、あるいは、せっかく頑張っても、たった一匹のきつねが来ただけで、何もかも台無しにされてしまうかのように思わせ(3節)、働かなくても良いという「なまけ心」を巧妙に引き起こさせる。
敵の気落ちさせる口撃が来た時、ネヘミヤは祈って主に直訴した(4-5節)。私達も敵の攻撃の第一陣、すなわち、言葉で失意させる矢が飛んできたなら、それは自分で受けずに、そのまま主に持って行って訴え祈るたしなみを身につけたなら、それで城壁は半分まで修復したも同然だ(6節)。
そうして再建が進んで行くと、敵はさらに怒りを燃やして、邪魔しに来る(8-9節)。そればかりでなく、身内からもマイナス感情に囚われて「できない」という言葉をかけてくる(10節)。私達も、健やかになる事や人生が建て直される事、礼拝が再建される事で「できない」という言葉が発される時、我に返るべきだ。
そのような時、ネヘミヤは家族ごとにそれぞれ武器を持たせて言う。「あなたがたは彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、あなたがたの兄弟、むすこ、娘、妻および家のために戦いなさい。」(14)
神の家の再建は、自分だけの戦いでなく、兄弟姉妹と共同の戦いである。御言葉の剣を握りしめ、恐れている心の人を助け合い、支えあって、将来のため、息子、娘たちのために戦うのだ。
私達の側が共に力をあわせて、徹底抗戦する様を敵が見る時、敵は、そのたくらみを止めるのだ。(15節)
敵が妨害を止めたからと言って、ガードを解いてはならない。ネヘミヤ達はその日以来、半分の人は工事につかせ、半分は武装させ、片手で工事し片手に武器を執った(16-17節)。
また、角笛を吹く人、すなわち、常に見張って、もしもの時には警告を吹き鳴らす人を置いた。(18節)
そのように、敵が退けられたと見える時でも、城壁が完成するまではガードを解いてはならない。
ネヘミヤ達が城壁の破れの大きい所に、武装した人を配置させたように、私達も、自分の中で、攻め込まれ易い弱い所がある事は、正直に認め、そこが建て直されるまでは、いつでも角笛を吹き鳴らして助けを求められる体制を、兄弟姉妹の間で整えるのだ。これを続けていくなら、立て直しはもっと進んでいく。
私達も御言葉の剣を常に帯びて仕事をする気概が大事である。武器を片手に、道具を片手に工事をするなら、仕事がはかどらないと思うかもしれないが、逆である。敵は、私達が剣を帯びている様を見るなら、攻撃を仕掛けられないもので、敵に邪魔される事なく、嘲られず、かえって仕事がはかどるのだ。
私達も、御言葉の剣をいつも口から手放さず、昼も夜もそれを口ずさむなら、水路の傍に植わった木のように、何をしても栄えるのだ。気落ちさせようとする敵に決して屈しず、御言葉によって互いに建て上げ合い、再建を進めて行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!