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礼拝説教メッセージ音声:信仰の偉人たち - アブラハムとサラ(ヘブル11:8-16):右クリックで保存
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人は70歳を超えると、住み慣れた場所で余生をゆったり過ごすものだが、アブラハムは75歳の時、主からの召しに応え、さらなる祝福の約束を信じ、見知った土地での家族との平和な暮らしを捨て、どこに行くかも分からずに、主の示されるままに出て行った。
彼の信仰は確かにすごいが、サラもすごい。
もし旦那がある日突然、神から示されたので新しい土地に出て行く、と言い出し、しかもその行き先は分からない、と言うなら、一体どうするだろう。
そこだけを見ると、この夫婦は素晴らしい信仰のように見えるが、最初からそうだったわけではない。
創世記をよく読むと、彼らも最初は信じられなかった事が分かる。(創世記17:15-17)

アブラハムは最初、約束を信ぜず、約束を聞いた時は笑いしか出てこなかった。
しかし最終的に、彼は信じた事の実体として、主から契約の印とした与えられた「割礼」をその日のうちに施す、という行動をした。
割礼は、男性の包皮を切り取るが、それは男性にとってはかなりの覚悟が要る行為である。
アブラハムはその日のうちに、彼自身だけでなく、彼の家にいる男子全てにそのようにさせ、彼の信仰に行いという実体を示した。

サラはどうだったか。
彼女も最初、約束を信ぜず、約束を聞いた時は笑いしか出てこなかった。
しかし彼女は後には主に信頼し、不信仰に恐れる夫の間違った指示にさえ従順を示し、全ての事から救い出して下さる主に全面的に委ねた。(創世記20章)
サラが主に明け渡したからこそ、主はアビメレクに直接介入され、サラは救い出されただけでなく、羊や奴隷、銀1000枚を得た。

そうして彼らは信仰においても整えられ、主は彼らを省みて、主が言われたその時期にサラは男の子を生んだ。

新約聖書に記述されている彼らに対する評価は、かなり良心的だ。
しかし旧約を読むと、彼らの実際はもっと汚くどろどろしている。
旧約は人のおどろおどろしい実態を、ありのままに暴いているが、新約では、人が犯したおどろおどろしい部分は記録から省かれ、信仰の賞賛だけが残っている。

永遠の書物に記載される内容は、人のどろどろや汚い罪の部分は、主イエスにあって無かった事にされ、ただ信仰によって歩んだ結果だけが残り、賞賛だけが残るのである。
しかしもし彼らが信じないで、御言葉を無視して相変わらず自分の力でやりくりしていたなら、そのような良心的な記載はされなかったどころか、永遠の書物からも抹消されていたであろう。

御言葉は、あまねく平等に注がれるが、それを信じ、信仰の実体である行いを示す者は、わずかだ。
御言葉が与えられ、その通り信じて行えば、豊かな祝福を得るけれど、もし恐れたり無気力になったりして、信仰の行いをしないのなら、ただいたずらに歳を取っていくだけである。

アブラハムやサラのように、信仰によって一歩進み、約束された祝福を得て、笑う皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

今日は思いがけず、教会の庭で焼き鳥パーティになりました。

炭火をおこして焼く焼き鳥はとてもおいしかったです。

火の熾し方や味のつけ方、どうすればおいしくなるかなど、色々と研究するのは楽しいです。

新潟グローリーチャペル 聖会 「もはや人の祭りは終わり」音声

第1部 8/15 「もはや人の祭りは終わり
第2部 8/16 「約束の地へ入る者

講師: 林和也師、 川合ゆきえ師
 

礼拝説教メッセージ音声:罪が増した所に恵みが溢れた(ローマ5:12-21):右クリックで保存
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一人の人アダムを通して罪が人類全体に入って来たように、その罪過を覆う恵みの贈り物も、一人の人を通して人類に入って来た。

私たち人類に罪がある事は、律法によって知る事が出来る。
律法に「偽りの証言をしてはならない」と書いてあるから、私達が嘘をついてしまう時に、私たちに罪すなわち違反があると、知る事が出来る。
旧約聖書や律法は、耳に痛いから嫌いだと言って、目を向けない者がいるが、御言葉は好き嫌いで判断するべきではない。
なぜなら律法なしには恵みは在り得ないからだ。

「律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。
こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。」(ローマ5:20,21)

嘘も方便とか、良い嘘もある等、御言葉に人間の教えを混ぜてはならず、たとえ人の命を救うためにつく嘘であろうと、嘘は違反として認めるべきである。
もし人の命を救うために嘘をついたのであれば、自分は人の命を救うために嘘という違反を犯した事を主イエス様に告白し、赦しを請うべきである。
罪は主に告白すれば赦して下さるが、御言葉をねじ曲げるなら、罪の赦しという法則を自ら絶ってしまう事になり、恵みを頂く余地も無くなってしまう。

福音の示す所は、人間には罪がある、だから神は怒りを下し罰を与える、ではない。
人間には罪がある、だから罪は覆われ赦される必要がある、そののために神は大切な一人子を罪の身代わりとされ、私たちはこのお方・イエス様を信じる事によって救われる、、、というのが、福音である。
 

礼拝説教メッセージ音声:命がけで愛された(ローマ5:6-11):右クリックで保存
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恋人や友、子のために命を捨てる、というストーリーの映画や小説はよくあるが、その命を捨てる相手が、平気で裏切ったり嘘をついたりする卑怯者であるというストーリーは、ほぼ皆無である。
人間の想定できる愛の枠組みからあまりに離れているし、人間の美意識という枠組みからも外れているからだ。
「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」(ローマ5:8)
神の愛は人の思いを越えて遥かに高く、理解不能なほど懐が深い。

主は私達のために命を捨ててくださった故に私達は愛を知り、兄弟姉妹を愛する手本が私たちに示された。
私達はたとい自分の心が責めても、兄弟姉妹を行いと真実を持って愛すべきである。(1ヨハネ3:16-24)
例えば、兄弟姉妹がお金に困っていて、自分にお金があるけれども、それを施したら財布が空になってしまう、というような時、施さないままでいるなら心は責められるが、施せば責められない。

はたして主は、私たちが施して空になってしまった財布を、そのままにしておかれるお方だろうか?そうではない。
「そして願うならば何でも彼から受けることになる。なぜなら私たちは彼の誡めを守っており、その面前で意にかなうことを行なっているからである。」(1ヨハネ3章22節)
神の御心を行っているのであれば、神は必ず必要を備え願っている事を受ける事ができる。

神は、愛する御子イエス様が命を懸けて救ってくれた私達の事を、どうしてすげなくできるだろうか。
また、尊い御子イエス様が命懸けで私たちを救ってくれたというのに、どうして私たちは、自らを軽んじたり、傷つけたり、自殺したりして良いだろうか。
たとい自分がどんなに薄汚く、みじめで、絶望的に見えようとも、主が命がけて救ってくださったからには、私たちは主の命の値がつけられた者に相応しく、誇り高く生きるのがスジである。

1ヶ月ほど前、ある事について、継続すべきかそれとも止めるべきか、主に御心を求めることがありました。

それについて「もし**の○○が下がったら、継続しなさいという主からの徴だ」と、アブラハムの僕のように、ほぼありえない事を、あまり考えもせずに主に申し立てておりました。

それが、、、今日聞いたところによると、なんと○○は下がっていました!

どのようにそれを継続していくのか、具体的な手段はまだ示されておりませんが、主の鮮やかなGOサインに思わず笑いが込み上げて来ました。

今は詳しく書けませんが、いずれ感謝の報告が出来る日の来ることを、楽しみにしております。。

礼拝説教メッセージ音声:患難が希望を生む(ローマ5:1-5):右クリックで保存
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私達は信仰によって義とされ、主イエスキリストを通して神との間には平和がある。
キリストは、隔ての壁すなわち敵意を破壊して下さり、ご自身において私達を新しい人に創り上げ、十字架を通して神と和解させて下さった。(エペソ2:14-18)

私達はキリストにおいて神と和解させられたのみならず、神の子とされた。
子であるからには、全ての良き相続を相続する権利があり、その良き相続を得るにふさわしく整えるため、神自ら、私達に最善の教育を受けさせて下さる。
その最善の教育とは、私達が昨日・今日と経験してきた、日常生活である。

主が私達を教育するために患難を与えられる事もあるが、それは本来、喜ぶべき事である。
患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すからだ。(4節)

日本の教育では90年代以降、いわゆる体罰に対して神経質になり、本来罰すべき時の罰さえ差し控えられる事が多いが、聖書の教える所では、子を懲らす事を控えてはならず、「むちを控える者はその子を憎む者である。子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる」(箴言13:24)とさえ書いてある。
聖書は教育においても真理であるが故、いかに日本の教育が懲らしめを控える現状になろうと、主が私達を教育する時は、懲らしめを控えるという事は無い。

主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれる。(ヘブル12:6-11)
私達はこれを鍛錬として忍耐しなければならない。
なぜなら神は、私達を子として取り扱っておられるから。
もし主からのむちを控えられ、悪い事をしても罰が来ないのであれば、それは私生子であって、本当の子ではない。
主は、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられる。
それは当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのだ。

「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」(ローマ5:3,4岩波訳)

その時その時に主からいただいく教育をしっかり修了し、朽ちる事の無い希望を得て行く皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

信徒さんの韓国料理屋でテレビを見ていたら、島田紳助の引退について、色々な人のインタビューをひたすら流していて、しかも枝野官房長官までインタビューしていました。

インタビューを受けた有名人はほとんど「残念」という言葉でしたが、なんで暴力団とのメールで引退するのかも不思議ですが、
夕方のゴールデンタイムにこぞって一芸人の引退ばかり報道して、しかも官房長官にまで聞くのか、というテレビ局の在り方に、ある種のぞっとするものを感じました。

他に地震や放射能問題、政治問題など、報道すべき事は色々あるでしょうに。

ちなみに私は塩酸タンクに作業員2人が落ちて死亡、というニュースが一番ぞっとしました。

礼拝説教メッセージ音声:笑わせて下さる主(ローマ4:16-25):右クリックで保存
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もし、70歳以上の老夫婦に子供が生まれると言うなら、それを信じられる信じられない以前に、笑いが出てくるのではないだろうか。
それはアブラハムもサラも同じだった。

アブラハムは99歳の時、性的に死んだも同然だと認めていたのに、神様から、あなたの子孫をおびただしく増やし、サラから産まれる子孫はおびただしくなる、という約束が与えられた。
彼はそれを聞いた当初、笑ったのだが、神様は、その信じ難い約束を信じられるようにすためにフォローして下さり、彼は最終的に信じるに至った。
彼は信じたからこそ、その日の内に、自分自身だけでなく家の僕や奴隷に至るまで全ての男子に割礼を受けさせた。
男性にとって、包皮の肉を切り取るという行為にはよほどの覚悟が要る。
しかしアブラハムがその日の内に為したのは、与えられた約束への強い確信があったからに他ならない。
そして事実、神は約束を果たして下さり、彼は100歳にして念願の子を得るに至った。

信仰によって救われた私達も、アブラハムの子孫である。
アブラハムやサラのように、たとい老いたとしても、何の喜びがあろうかと思えたとしてもても、情けなくて笑うしかないような状況であったとしても、
主はそんな私達の弱った信仰をフォローして下さり、回復させて下さり、からし種ほどの信仰さえ私達が持ち続けるなら、主は約束を成就させて下さる。

いつもメッセージ概要をツイッターに140字以内で載せていて、そこに載せた内容がそのままFacebookやmixiにも自動反映するようにしています。
その内容に興味を持ってホームページへ来てくれる方が結構いて、この140字に、いかに内容を詰めようかと、いつも心砕いています。

それで昨日、
「そもそも、割礼はなぜ男性器という部位に為されるのだろう。 続き:http://t.co/9d4VKFn」
と投稿したところ、かなりの流入がありました。

「アブラハムはメソポタミヤで生まれ育ち、、、」みたいな見出しでは、やはり人は興味を示さないようで。
mixiニュースやスポニチみたいに、性的・男女系ネタをたくさん書けば流入が良くなるのでしょうけど、、、私はパウロみたいに、ただ愚直に御言葉だけを語って行きたいと思います。

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