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お葬儀

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礼拝メッセージ説教音声配信 » パスター日記
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pastor 2011-10-4 20:14

教会にたまに来てくださる方の旦那さんが亡くなられ、今日、そのお葬儀に参列しました。

司式された先生は、たまたま夏の箱根での聖会でお会いした方で、メッセージも福音のエッセンスがまとめられて、とても良い式でした。

ご遺族の上に、主の深い慰めがありますよう、お祈りします。

礼拝説教メッセージ音声:イスラエルの救いのために祈れ(ローマ11:7-16):右クリックで保存
韓国語通訳有

イスラエルの人達が、メシヤであるイエスにつまずいたため、かえって救いが異邦人に及んだ。(11節)
彼らが頑なになった事によって、確かに救いは全世界に及んだが、しかし、神の願いはイスラエルがイエスをメシヤとして受け入れ、イスラエルの救いが完成される事である。

神はイスラエルがイエスにあって救いにあずかる事を、願っておられる。
救いを受け入れないイスラエルに対して、神が呻いておられる事は、ローマ9:1-12で学んだ通りである。( http://voice.of.christ.yokohama/modules/d3blog/details.php?bid=557&cid=14 )
「彼らの罪が世の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのであれば、まして彼らが皆救いにあずかるとすれば、どんなにかすばらしいことでしょう。」(12節)

私達とイスラエルは、実は、大いに関係がある。
「麦の初穂が聖なるものであれば、練り粉全体もそうであり、根が聖なるものであれば、枝もそうです。」(16節)
この「根」とはイスラエルの祖先アブラハムであり、本来、イスラエルが救いの枝葉を張っていくはずだったが、彼らは頑なになって、折られてしまい、その代わり、異邦人である私達がその救いの根に接木され、救われたのだ。

私達もイスラエルの救いのために祈る必要がある。
私達が救われたのは、彼らが頑なにされたからだが、神はイスラエルの完成を、うめきをもって願っておられるからだ。
「エルサレムの平和を求めよう。あなたを愛する人々に平安があるように。あなたの城壁のうちに平和があるように。あなたの城郭のうちに平安があるように。」(詩篇122:6,7)

聖徒達が御言葉に示されて、ある方向に進もうとすると、その方面で攻撃や邪魔が入る事があります。

邪魔があるという事を逆に見れば、その方面に我々が行くことを敵が嫌がっている証拠であり、ひいては、その向こうに大きな祝福が待っている、という事です。

今、天声教会では色々な方面で道が開けていますが、その反動の攻撃もまた多くなっています。

ひるまず進んで多くを分捕り、祝福をいっぱい勝ち取りたいと思います。

礼拝説教メッセージ音声:強くあれ雄々しくあれ(ヨシュア1:1-9)
第一礼拝(日本語)礼拝全体音声:右クリックで保存
第二礼拝(韓国語通訳つき)説教音声:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

ヨシュアと言えば「強く雄々しく」だが、主が3度も仰せられているので彼には恐れがあったのかもしれない。
彼はモーセの従者として40年、彼の傍で生きてきたため、彼の偉大さも、民の頑なさも十分承知している。
そのモーセが死に、これからは自分が直接神様から示しを頂きつつ、そしてこの60万以上の民を直接導いていかなくてはならないのだから、どれほどのプレッシャーだっただろう。
そんな彼が、雄々しくなれる裏づけの言葉が、「あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」(ヨシュア1:5)である。

私達にも、強く雄々しくなれる裏づけの言葉がある。
「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:18-20)
私達の主、イエス様に与えられている一切の権威とは文字通り、一切の権威であり、その強さは、会社の上司や家主、総理大臣どころではなく、全宇宙の諸元素一粒一粒に至るまで支配しておられる権威だ。
その主イエス様が私達に命じられている事は、あらゆる国の人々の所に行って弟子とする事、そして、イエス様の御言葉を守り行うよう彼らに教える事で、ヨシュアに言われている事と同じである。
主に命じられた通り、人々を弟子としバプテスマを授け、御言葉を守るよう教えるなら、万軍の主が私達の味方となられ、終りの時代の最終章に至るまで、いつもともにおられるのだ。どうして恐れる事があるだろう。

「あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。」(ヨシュア1:3) ここで神の民が為すべきは、そう信じてその土地に実際に足を踏み入れて行き「ここは私達のもの!」と、所有権を主張すれば良いだけ。神様はそこまで、全てをお膳立てしておられたのだ。
それなのに人々は40年前「あそこには強い人たちがいるから」「私達は弱いから」と言って実行しなかった。
私達はそうあってはならない。
キリストは十字架上で、病や呪い、貧しさをその身に負い、処罰し、死を滅ぼして勝利して下さった。
私達に不利な債務証書は十字架に釘づけられ、無効にされ、キリストにあって全ての支配と権威の武装は解除し晒し物とされた(コロサイ2)。私達はどんな事の中にあっても圧倒的な勝利者だ。(ローマ8:37)
万軍の主が全てにおいて勝利し、お膳立てして下さったのに、私達はどうしてそれを疎かにできるだろう。
ただ主が勝利して下さった勝利を信じて出て行き「ここは私達のもの!」と宣言して戦利品を分捕るのみだ。

モーセからヨシュアへの引継ぎ内容は、実は少なく、主から与えられた律法を守り行う事、これに尽きる。
私達も勝利を得るためにする事も多くはないし忙しくなる必要も無い。むしろ必要な事は、ただ一つである。
マルタは、イエス様が御言葉を話しておられるのに、しもべ達に指示して忙しくさせ、そのうちイエス様にさえ指示を出し、イエス様の足元でじっと座って御言葉に聞き入っていたマリヤさえ糾弾した。
そんなマルタに主が言われたのは、「どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(ルカ10:42)である。
私達が居るべきはイエス様の足元であり、取るべき行動は、御言葉に耳を傾ける事、ただそれだけである。

「この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。」(ヨシュア1:8)
ヨシュア達の世代が目にしたのは、神様の法則を離れて好き勝手にするなら、必ず滅びる、という厳然たる事実だった。私達が繁栄し栄える根拠は何か?それは、御言葉を口ずさみ、守り行う事。これに尽きる。神様が示してくださった法則、イエス様の勝利の行列から離れず、多くを分捕る皆さんでありますように!

次週より、1部と2部の礼拝を統合し、10時半開始の一つの礼拝となります。

そういうわけで今後、主日礼拝は、一部が10時半開始、お昼をはさんで、二部が14時開始となります。

言語は、一部は日本語のみ、二部は日本語の韓国語通訳つきです。

主がなぜそのように導いてくださったかを詳しく知りたい方は、先週と今週の主日メッセージをお聞きいただければお分かりになるかと思います。

主がそのように導いてくださったからには、きっと私達の今まで見なかった、考えもしなかった祝福が待っているのでしょう。

それに関連して、今日、不思議な事がありました。

今までの2部礼拝は、ビデオ映写機が無ければ成り立たなかったのですが、それが、今日の最後の2部礼拝が終わったとたん、皆が見ている前で、その映写機が壊れたのです。

あたかも役割を終えたかのようなタイミングと方法です。

きっと主から「この道に進め」という確信を与えるためのサインだと確信しました。

礼拝説教メッセージ音声:一方的な恵み(ローマ11:1-6):右クリックで保存
韓国語通訳有

パウロは、イスラエルの頑なさの理由を、ローマ9章より解き明かして来たが、いよいよ11章で、神の深遠なご配剤を明らかにする。

「では、尋ねよう。神は御自分の民を退けられたのであろうか。決してそうではない。」(ローマ11:1)
神は、ご自分の民イスラエルを、決して見放さず、見捨てられない。
イスラエルは確かに、神の御前に悪をし続けて来た。
しかし、彼らが見捨てられ絶えるくらいならむしろ、太陽や月星海の運行の定めが取り去られるだろう(エレミヤ31:35-37)、と言われるほど、主が憐れむと定められた民は、御目に尊いのだ。

エリヤの時代、彼は神の偉大なる実業を、大勢の前で堂々と為したにもかかわらず、王の妻イゼベルは悔い改めないどころか、彼を殺そうと付けねらってきた。
イゼベルや王の心頑なさ、人々のどっちつかずさ、神に従う人のいなさに、エリヤさえ絶望しが、神は、選びの器を確かに残しておられるのだ。
「しかし、神は彼に何と告げているか。「わたしは、バアルにひざまずかなかった七千人を自分のために残しておいた」と告げておられます。」(4節)
イスラエルは神の憐れみのゆえに、滅びる事なく脈々と存続し続け、現代にまで至っている。

救いは、神様の側の一方的な恵みの故であり、私達の側の何かには拠らない。
「もし恵みによるのであれば、もはや行ないによるのではありません。もしそうでなかったら、恵みが恵みでなくなります。」(ローマ11:6)

神の愛は、一人子を与えるほどであり、御子イエス様の愛は、命を捨てるほどである。
私達は、父なる神こそ憐れみ深いお方であり、イエス様こそ主であると、感謝しつつ告白するのみである。

鄭先生は70歳近いベテランの牧会者で、この間の来日の時、私にテモテ書を読むようアドバイスを下さいました。

テモテ書は、第1も第2も、牧会者が指針とすべき重要な事柄が、実に多く散りばめられているからです。

テモテ書は私も何度となく読みましたが、改めてじっくり読むと、心に刺さる事や身につまされる事多く、パウロの遺言を読んでいるようで、目頭が熱くなりました。

「あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。」(2テモテ2:15)
「主のしもべが争ってはいけません。むしろ、すべての人に優しくし、よく教え、よく忍び、
反対する人たちを柔和な心で訓戒しなさい。もしかすると、神は彼らに悔い改めの心を与えて真理を悟らせてくださるでしょう。
それで悪魔に捕えられて思うままにされている人々でも、目ざめてそのわなをのがれることもあるでしょう。」(2テモテ2:24-26)

心刺された箇所は他に多くあるのですが、当面、私が心に刻むべき御言葉は、これです。

礼拝説教メッセージ音声:信仰は聞く事から(ローマ10:14-21):右クリックで保存
韓国語通訳有

救われる事の条件は、イエスを信じる事だ。
その前提条件として、まず福音を聞いていなければならない。
そのまた前提条件として、福音が述べ伝えられていなければならない。
「信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。」(ローマ10:14)
だからまず、福音は宣べ伝えられる必要があり、伝道はとても大切という事になる。

しかし、正しい知識の無い熱心は良くない。
まず、イエスというお方について良く知っている必要がある。
このお方は、知れば知るほど伝えたいという衝動が強くなってゆく「善いお方」であり、主から志が与えられ、遣わされなくては伝える事は出来ない。(15節)

本来、イスラエルがイエスというメシヤを受け入れ、その福音がユダヤから広がって行くはずだったが、民族としては、なんとメシヤを拒否してしまった。
「それでは、尋ねよう。彼らは聞いたことがなかったのだろうか。もちろん聞いたのです。「その声は全地に響き渡り、その言葉は世界の果てにまで及ぶ」のです。」(10:18)
まず、律法や預言書によって、イエスが救い主である事が予め示されていたし、このローマ書が書かれた時点でも、福音は地中海世界全体に広がっているし、何より、イエス様が活動された3年半の間、数々の証拠としての奇跡をもって、ご自身がメシヤである事は、イスラエルにおいて既に示されていた。
にもかかわらず、彼らは頑なにそれを受け入れなかった。

例えば、会社に雇われている人が、この商品を売って来るようにと言われているのに、それを聞いていながら行きもせず、自分勝手に机や椅子をピカピカに磨く事で頑張っても、上司から怒られるだけである。
同じように、イスラエルも、神様から示された救い主はイエスなのに、自分勝手な義を勝手に考え出し、それを一生懸命頑張っているだけで、救われないのである。
しかし、神様から示された通りにそのまま信じた異邦人達は、元々神の民ではなかったというのに、救われた。
その結果、イザヤの預言「わたしは、わたしを探さなかった者たちに見いだされ、わたしを尋ねなかった者たちに自分を現した」が実現したのである。(20節)

「しかし、イスラエルについては、「わたしは、不従順で反抗する民に、一日中手を差し伸べた」と言っています。」(21節)

神はそんな頑なな民に対しても、忍耐深く、立ち返るようにと、手を差し伸べながら待っておられる。
私達もイスラエルの罠に陥ってしまわないためには、まず聞いて、そして御心を理解するよう気をつけるべきである。

「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」(17節)

熱心なのは確かに大切であるが、その前に、「聞く」事から全てが始まるのだ。
御言葉をしっかり聞き、御心を理解して、その通り行えば救われ、そして豊かに祝福される。
そのような皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

いっさく

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礼拝メッセージ説教音声配信 » パスター日記
執筆 : 
pastor 2011-9-28 19:18

さきほど聖書学び会の後、例の焼き鳥屋に移動して、婦人達に料理を作っていただき、皆で食事しました。

兄弟姉妹と一緒に食事するのはとても楽しいですね。

この焼き鳥屋は扉が無く中の様子が外に見えるのですが、行く人行く人が歩きながら覗き込んでいました。

やっぱり楽しく笑いに満ちていると、人を惹き付けますね。

そうそう、笑いと言えばこの焼き鳥屋の名前は「いっさく」になりました。

そう、アブラハムの子イサクが元です。

イサクのように、従順で、ただ祝福を頂く、笑いに満ちたお店になるように、という意味が込められています。

礼拝説教メッセージ音声:口で告白する事の大切さ(ローマ10:9-13):右クリックで保存
韓国語通訳有

私達は口の結ぶ実によって満ち足り、その唇による収穫に満たされる(箴言18:20)。
その中で、最も優れた唇の実は、イエスを主とする告白である。
「すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。
なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。」(ローマ10:9-10)

イエスを主とする、とは、主従関係においてイエスが主、自分は従とする事、人生の支配権を、自分から主に譲り明け渡す事である。

もし心で信じるだけであるなら、その事を知るのは自分と主しか知らないため、主に対しては義と認められるものの、世に対しては、主は関わりが無い状態である。
しかしもし口で告白するなら、主と自分のみならず、世に対して自分の主を明らかにする事となりため、救いが成就する。
心の内にある信仰が、口という境界線を越えた時、天地万物の支配者なる主との主従関係が、世に対して示され、適用され、世の諸々の呪われた仕組みから救われるのである。

ダビデは口で告白する事の達人だった。
彼があんなに神に愛され祝福されたのは、自分の困った時だけ主を告白するのではなく、困っていない時も、そればかりか、敵を自分の思いのままに出来る状況にあってさえも、裁きや支配権を自分ではなく神に明け渡す、と、部下や民の前で告白したからである。
「主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。」(詩篇18:2)
彼が、主と自分との関係が何であるかを、これだけ徹底的に告白したからこそ、あらゆる面において祝福されたのである。

私達は口の結ぶ実によって満ち足りる。
自分に対し、友人家族に対し、仕事に対し、人生に対して、あらゆる面においてイエスが主権者である事を告白し、あらゆる面で祝福の実を豊かに刈り取る皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!
 

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