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礼拝説教メッセージ音声:アクラとプリスキラ(使徒18:18-28):右クリックで保存
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使徒18章の18節から23節までの間、パウロは最低でも2000キロの道のりを海陸移動しているが、著者ルカはわずか5節で表現し、駆け足で書いている。
パウロは、それまで主が異邦人の間で為してくださったいのちの広まりを、エルサレムとアンテオケに戻って報告し、しばらくそこに滞在した後、さほど落ち着く間もなく再び旅立ち、かつて行った事のある地方の兄弟姉妹達を訪ねて力づけた。
パウロは多くの人達を救いへと導き、教会を立てていたため、彼らに対する心遣いと主からの熱心に捕らえられ、自分だけが落ち着くなど出来なかったのである。
我々一般人から見れば、スーパーマンのように見えるかもしれない。
さて、パウロはエフェソにアクラとプリスキラを残して来たが、この町に巡回伝道者アポロがやって来た。
彼は雄弁家で聖書に強く、イエスのことを詳しく語るのだが、ヨハネのバプテスマしか知らなかった。
そこでアクラとプリスキラは彼を招き入れて、もっと正確に神の道を説明した。
目立たない天幕作りの夫婦が、雄弁で聖書に詳しいプロの伝道者を招いて、より正確に神の道を解き明かすのである。
この夫婦は、アポロほど自分の時間を捧げていなかっただろうし、彼ほど雄弁でもなく聖書に通じていたわけでもなかったかもしれない。
それでも神の道についてアポロに説明すべき事があるなら躊躇事無くそうしたし、アポロも謙虚に受ける事によって、より強力な伝道の武器を手に入れる事が出来たのである。
そればかりでなく、アポロが行きたがっていたアカイア州の聖徒達に手紙を書くことによって次の伝道地点までの手助けを為し、アポロもそこの聖徒達を大いに助け、そこの聖徒達もアポロから多くの影響を受けた。
神の働きは、パウロやアポロなどのフルタイム伝道者だけのものではない。
彼らのような表立った献身者の功績は確かに大きいが、表に立つ事のない多くの「アクラとプリスキラ」が背後にいるからこそ、彼等は活動出来るのである。
現代のアクラ・プリスキラとして、世の仕事を忠実に為し、同時に神の国の働きも立派に果たす皆さんでありますように。
イエスの名前によって祝福します!
ブティックでは、必要なお金が次々と満たされています。
○月○日までにこれこれの金額が必要なのだけれど、どうしても足りない。
でも、その日までに自分達の力を超えた所から備えられた、という経験を何度もしていて、不足に陥った事は一度もありません。
貧しい女性が自分でアクセサリーを買えなくても、愛する男性に買い与えられ、彼の望むまま、ただ飾られるように、自分を養う資力が無くても、愛する主からただ与えられるまま与えられ、ただ養われる事は、何と嬉しい事でしょうか。
私も愛する主にゆだねて、彼の望むままに愛のプレゼントを備えられ、ただ飾られる事を待つのみです。
長老夫婦の元に身を寄せていた兄弟が、一昨日の朝に出たまま戻って来ず、連絡をとる手段も無いので、とても心配しています。
先週の祈祷会で放蕩息子のメッセージを彼も真剣に聞いていたばかりでした。
音声(パソコンのみ): http://voice.of.christ.yokohama/media/2011/kitoukai/110527k_houtoumusuko.mp3
まことの羊飼いなる主が探し出し、肩に担いで、連れ戻らせて下さいますようにと皆で祈っています。
祈祷会メッセージ音声:放蕩息子(ルカ15:11-24):右クリックで保存
礼拝説教メッセージ音声:兄弟姉妹同士の争いは(使徒18:12-17):右クリックで保存
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コリントのユダヤ人達は一致してパウロに反対し、法廷に引き立て、彼が律法に反していると異邦人の総督ガリオに訴えたが、ガリオは取り合わなかった。
彼らは異邦人に訴えたりせず、御言葉に即してパウロを論破すれば良かったものを、パウロ達は真理に沿っていたため、結局反論できなかったから、こうして異邦人に訴えて排除しようとするしかなかったのである。
真理を不都合とする者達は、パウロもステファノも、そしてイエス様も、偽りを口実に不真実な者に訴え、ある時は追い出し、ある時は石打ち、ある時は十字架にさえつけるのである。
さて、私達聖なる者が兄弟姉妹を訴える事について、御言葉はどう語っているか。
1コリント6章でパウロは、兄弟姉妹の間で何か訴えごとが起きた時に、聖なる者達の間ではなく不義な者達の前でさばこうとするコリント人を叱責している。
もし兄弟姉妹達が間違っているなら、御言葉の知恵によって戒めるべきであり、御言葉を知らない異邦人に裁きを委ねるべきではない。
主が「右の頬を叩かれたら左の頬を差し出しなさい」と言われたのは「悪人」に対してであって(マタイ5:39)、兄弟姉妹に対しては、身勝手に兄弟姉妹を叩くような悪人たらぬよう御言葉をもって責め、戒め、勧めるべきである。(2テモテ4:2)
もし兄弟姉妹の不義をほったらかして甘んじるなら、その者を神と人との間で「不義な者」「兄弟姉妹ではない」と定め、その者の裁きを神に委ねる行為である。
だからもし大切な「兄弟姉妹」であるのなら、御言葉に従って不義を指摘し戒めるべきである。
もし「兄弟姉妹ではない」なら、甘んじて不義を受け入れ、その裁きを神に委ねれば良い。
そういうわけで、兄弟姉妹を御言葉に従って戒めないまま、異邦人の判断で裁いてもらうというののは、もっての他なのである。
今日、キリスト者は外部からどのように見られているだろうか。いらぬ紛争をしてキリストの名を貶めてはいないだろうか。
全ての事を御言葉に照らして兄弟姉妹を導くみなさんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!
礼拝説教メッセージ音声:託された賜物と遣わされた場所で(使徒18:1-11):右クリックで保存
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パウロは自らアテネを去り、発展した商業都市であるコリントへ行った。
コリントは発展した経済と活発な偶像礼拝のため道徳的に退廃し、当時は退廃した生活を「コリント風」とさえ言っていた。
そのようの町でもイエス様は「恐れず御言葉を語り続けよ、この町には私の民が大勢いる」とパウロに示し、パウロも1年半じっくり腰を据えて活動したため、多くの者達が悔い改めに導かれて洗礼を受けた。
パウロがコリントに来た時、アクラとプリスキラという夫婦に出会った。
「彼らは、カエサル・クラウディウスが、すべてのユダヤ人はローマから退去すべしとの命令を出したので、最近イタリアから来ていたのであった。」(2節)
なぜそのような命令が出されたかというと、ユダヤ人達はキリストの騒動で世界を騒がしているため、そのような「迷惑な民族」はローマから出て行かなくてはならなかったからである。
使徒行伝を見ると、あたかもパウロ一人が地中海世界を伝道していたかのように錯覚するが、そうではない。
名も無い大勢の者達が、至る所に遣わされて伝道し、多くの命を獲得し、そして迫害に遭ってきたのだ。
アクラとプリスキラも、イタリヤにいた時に誰かから伝道されてキリスト者となり、そしてコリントに退去させられたと思われる。
彼らの仕事は天幕作りで、パウロも同業だったため、彼らと一緒に仕事をしながら安息日ごとに会堂で論じる生活を暫くしていた。
福音を伝えながら世の中の仕事もしている人をテントメーカーと呼ぶのは、この箇所が元になっている。
全ての人が専業の献身者にならなくてはならない、というわけではないし、逆に、全ての召された人は必ず世の仕事もしなくてはならない、というわけでもない。
12使徒は、祈りと御言葉の奉仕を差し置いて食卓の事に関わるのは良くないと判断した(使徒6:2)し、主は、福音を宣べ伝える人達には福音によって生活の資を得るようにと指示されている(1コリント9:10)。
パウロがその権利を、コリントやテサロニケで行使しなかったのは、キリストの福音を少しでも妨げないため(同12節)また、怠惰な生活を脱却して働く者になるよう、身をもって模範を示すため(2テサロニケ3:9)であった。
事実、テモテとシラスが来てくれたからパウロは御言葉と祈りに専念でき、その結果、このような堕落した町でも多くの人達が悔い改めて洗礼を受ける事になったのだ。
主の仕事とは何もパウロのような特別な器だけのものではないし、世の仕事をしながらでも十分に出来るし、主の奉仕に当たっている者を支える事も、立派な主の仕事である。
それぞれに託された賜物と遣わされた場所で、それぞれにしか出来ない主の仕事をすれば良いのである。
任された秤に従って、主の働きを忠実に為す皆さんでありますように。
イエスの名前によって祝福します!
昨日はある交流会に参加し、夜まで盛り上がってしまったため、配信出来ませんでした。
月収何百万というクリスチャンの方々とも交わって来ましたが、彼らは本当に謙虚で、人を幸せにしようという意欲があります。
世において富むコツは、与える事。これにつきますね。
AKB48がミスチルを抜き、歴代シングル初動ランキング1位になってしまいましたね。
現代日本は、実にアテネに似ていると思います。
ギリシア神話の神々は、現代日本で言う所のアニメキャラ、ゲームキャラみたいなもので、当時の熱狂的オタクたちが、大きなキャラの像を作り、フィギュアを流行らせ、町や丘にキャラの名前をつけたようなものです。
アイドルの原語はイデア、偶像です。はまり過ぎませんように。。。
礼拝説教メッセージ音声:霊的不毛地帯(使徒17:22-34):右クリックで保存
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アテネの町では、パウロに積極的に「語ってほしい」と頼んで来た。
そういうケースは珍しく、伝道者には一見嬉しい事のように見えるが、何でもかんでも受け入れるアテネのような所こそ、実は要注意である。
アテネ人のように、死の危険が少なく、生活の雑事から解放されて、時間的ゆとりもあると、面白おかしい物事は無いかと探し回り、偶像や哲学、福音さえも「自分に気に入るか入らないか」という身勝手な判断によって取捨選択する。
そのような所は日本のように、福音を受け入れない霊的不毛地帯となりやすい。
彼らは福音さえも「何か新奇なこと」の一つとし、パウロをコメディアンのように新規なネタを提供してくれる者とし、イエス様を「異国の心霊(ダイモニア)」の一つにしてしまう。
日本も色々な神々が祀られ、テレビをつければ日々目新しい事や、面白おかしい事に満ちており、イエス様さえもコメディアンの一つのようにしてしまった。
パウロはアレオパゴスという有力者達の評議会に連れて行かれ、話す機会が得られ、アテネの人達にも分かりやすいようにメッセージを展開した。
有名な詩人の詩を引用し、彼らが知らないで礼拝している神の正体は、実は天地を創造したまことの神である、だから偶像崇拝は意味が無い。。。
そこから真の救い主、イエス様へと話を持っていこうとした所で、唐突にメッセージは終了してしまう。
死者のよみがえりの話になった途端、人々はあざ笑い、「その話だったらまた後で」と言いつつ2度と聞こうとしなかったからだ。
他のほとんどの伝道地では、迫害に遭ったりユダヤ人が騒ぎを起こして出て行かざるを得なかったものだが、ここでは何の迫害も反対も無く自由に伝道出来たのに、パウロ自ら去って行った。そういうケースも珍しい。
もし死者の復活が無ければどうか?
古今東西のクリスチャン達は、自分たちの師を見捨てた卑怯な12弟子たちによるでっちあげ話を信じているわけである。
しかしあいにく、イエス様と出会った者はいっぱいいるし、イエスの名によって悪霊は追い出され病も癒されたケースは数多く、イエスにあって眠った聖徒達の顔は、実に聖なる安らかさがある。
いのちの主であるイエス様は、私達の初穂として蘇られた。そのしるしとして、イエスの名によって多くの良きわざが為されているのを、私達は見ている。
そういうわけで、復活こそ救いの根幹であり(?コリント15:12〜19)それを認めないアテネ人も、復活を信じない「クリスチャン」も霊的には致命傷で、パウロもイエス様も、そういう者からは何も言わずに去っていくのである。
罪と死によって支配されている呪いの生活に対しては十字架の死に明け渡し、イエス様と共に復活し、新しい永遠のいのちという祝福に満ちた人生を歩む皆さんでありますように。
イエスの名前によって祝福します!
今日は聖書勉強会が休みでしたので、ゆばるさんの集会に参加させていただきました。
ゆばるさんのブログ
http://homechapel.sblo.jp/
普通に賛美したり、ハモりながら賛美する事を教えていただいたり、御言葉からメッセージをいただいたり、腹から楽しさが沸いて来るひと時でした。
このような機会を与えてくださった主に感謝します。
