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エデンの外側でいのちの木の実を得る方法(創世記1:9-13)
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週報/メッセージ(説教)概要
本日は収穫感謝祭、主があらゆる良き産物を実らせ、私たちに与えて下さった事を感謝する日である。
神は、創造の第3日目、大海の中からかわいた地を出させ、同じ日に大地から草や木を生えさせ、様々な種類の果物や種が出るようにと定められた。それは、私達人間や、あらゆる生き物が「食べる」ためであり、それもなんと、太陽や月、星が創られるより前に、植物は創られた。神は太陽よりも先に果物や種が実る植物を生えさせた程、また、この世が終わった後にも存在する程、実りを実らせる木は重要だ。
今回、人類にとって最も重要な木である「いのちの木」に至る道を学びたい。
私達は普通に、木や草は、太陽光によって育つものと思っているが、どうやら聖書によると、太陽光なしで育つ、私達の知らない木が存在するようである。太陽なしで育つ木、それは、黙示録22章にも登場する。
『川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。』(黙示録22:1-2) この聖書最終章においては、もはや太陽も月もないが(同21:23)、いのちの木は、太陽なしで育つ。エデンの園の中にあったいのちの木には、ケルビムの剣に阻まれて行けなくなってしまったが、実は、エデンの外側で「いのちの木」に至る方法が、箴言の中に4箇所しるされているのだ。
?『知恵は、これを捕える者には命の木である、これをしっかり捕える人はさいわいである。』(箴言3:18)
いのちの木を得る人の第一の特徴は、知恵を捉えようと努力し、掴んだらそれを離さない人、すなわち、真の知恵である御言葉をテフィリンする人である。テフィリンとは、いつでも御言葉を口ずさみ、暗唱し、心と思いを御言葉で満たして行くものであるが、実際これをする人は健やかになり、頭脳明晰になり、自ずと必要が満たされ、神の性質を身につけて行くという、エデンの園の住人であるかのような性質を帯びてくる。
?『正しい者(ツァディク:法に則った)の結ぶ実は命の木である、不法な者(カハーム)は人の命(ネフェシュ)をとる。』(箴言11:30) すなわち御言葉という真の「法」に則った人は、命の木の実を結ぶ。次のようにも書いてある。『全ての訓練は、当座は喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。』(ヘブル12:11)
つまり忍耐して正しい行いをし続ける人は、平安な義の実、いのちの木を得るのである。
それに反し、「不法な者」と訳された語「カハーム」は、呪術的な邪悪な知恵であり、それは人のたましい(ネフェシュ)を魅了し、奪ってしまう。ちょうど善悪知識の木が、人を魅了し、いのちを奪ってしまったように。
?『望みを得る事が長びく時は、心を悩ます、願いがかなうときは、命の木を得たようだ。み言葉を軽んじる者は滅ぼされ、戒めを重んじる者は報いを得る。』(箴言13:12-13) ここにおいても御言葉を重んじて忍耐して御言葉の成就を願い待ち望む人は、やがていのちの木を得るような喜びを得る事が記されている。
?『優しい(マルペー:治癒的な)舌は命の木である、乱暴な言葉は魂(ルアハ)を傷つける。』(箴言15:4)
いつもテフィリンによって口を御言葉で満たしているなら、そのような人の舌は「治癒的」となり、その人がそこで言葉を発する時、周囲の人は、あたかも、いのちの木がそこにあるかのように癒されて行くのだ。
それに反し、乱暴な言葉は、霊(ルアハ)を破滅させる。霊を救う言葉があり、霊を破滅へと導く言葉がある。御言葉によって洗練された人の宣教の言葉は、人を癒やし、生かし、永遠のいのちへと導くが、しかし乱暴な言葉で人をつまづかせるなら、永遠の滅びへと至らせてしまう。だからイエス様は言われたのだ。
小さな人につまずきを与えるような者は、石臼を首にゆわえつけられて海に投げ込まれたほうがましだ、と。
以上のように、テフィリンこそ、エデンの外側で生きる私達にとって唯一の、いのちの木に至る道である。
テフィリンの逆、いのちの逆は、御言葉に逆らう事と、御言葉から独立した善悪知識である。
アダムは「御言葉」に逆らって善悪知識の木を食べてしまい、エデンから追い出されてしまった。それこそ楽園から追いやられてしまう性質、死をもたらす性質である。アダムとエバは、善悪の木から取って食べたその瞬間に心臓が止まって死んだわけではなかったが、徐々に「死」が体をむしばんで行った。その、徐々に進行して行く「死」と「呪い」に、唯一対抗する手段が、テフィリンなのだ。
天国は、神の栄光が満ち溢れ、神の支配が行き届いており、いのちの木に満ちている。今、この地上において私達は御言葉を口ずさみ、テフィリンし、神の国をもたらし、いのちの木の実を結ぶ者として歩みたい。
イエス様が神殿の中から追い出したもの(ヨハネ2:13-25)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » ヨハネによる福音書
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- pastor 2017-11-17 20:40
神殿のため、主のために捧げる事で沸き起こる大きな喜び(1歴代誌29:1-19)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 1歴代誌
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- pastor 2017-11-17 7:22
神殿のため、主のために捧げる事で沸き起こる大きな喜び(1歴代誌29:1-19)
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いよいよ第一歴代誌の最終章である。
と言っても元々のヘブライ語の聖書には第一・第二の区別は無いが、後代の人はこの歴代誌という書の区切りを、ダビデ王がソロモンに王権を引き継ぎ、神殿を建て上げるという所をハイライトとして区切った。
歴代誌はアダムから始まり、神の民の歴史が記されているが、その歴史書のハイライトが、神殿である、という点は、私達に重要な示唆を与えている。
神殿とは礼拝する所であり、すなわち神様と出会う所、神様と交わりを持つ所である。
聖書の結論である黙示録は、永遠の礼拝によって閉じられている。
すなわち、全ての人にとってのハイライトは、神様との出会い、神様との交わりなのだ。
この、神様との交わりを除いてしまったソロモンから続く王達の呪われた有様が、歴代誌の後半に記されている。
29:1 ダビデ王はまた全会衆に言った、「わが子ソロモンは神がただひとりを選ばれた者であるが、まだ若くて経験がなく、この事業は大きい。この宮は人のためではなく、主なる神のためだからである。
29:2 そこでわたしは力をつくして神の宮のために備えた。すなわち金の物を造るために金、銀の物のために銀、青銅の物のために青銅、鉄の物のために鉄、木の物のために木を備えた。その他縞めのう、はめ石、アンチモニイ、色のついた石、さまざまの宝石、大理石などおびただしい。
29:3 なおわたしはわが神の宮に熱心なるがゆえに、聖なる家のために備えたすべての物に加えて、わたしの持っている金銀の財宝をわが神の宮にささげる。
29:4 すなわちオフルの金三千タラント、精銀七千タラントをそのもろもろの建物の壁をおおうためにささげる。
ダビデは、神殿建設のために、収入の中から取り分けて財産を取って置いたが、主に捧げる心と、仕える事の喜びのあまり、彼は自分の財産からも、さらに多くを捧げた。
会計的に神殿建設用として仕分けた資金ではなく、彼のプライベートで使う財布からも、さらに多くを喜んで捧げたのである。
神は、喜んで捧げる者には喜んで増し加えさせて下さり、惜しんで捧げる者には、その報いもまた惜しまれた形でしか与えられない。
2コリント9:6 わたしの考えはこうである。少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる。
9:7 各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。
9:8 神はあなたがたにあらゆる恵みを豊かに与え、あなたがたを常にすべてのことに満ち足らせ、すべての良いわざに富ませる力のあるかたなのである。
9:9 「彼は貧しい人たちに散らして与えた。その義は永遠に続くであろう」/と書いてあるとおりである。
9:10 種まく人に種と食べるためのパンとを備えて下さるかたは、あなたがたにも種を備え、それをふやし、そしてあなたがたの義の実を増して下さるのである。
9:11 こうして、あなたがたはすべてのことに豊かになって、惜しみなく施し、その施しはわたしたちの手によって行われ、神に感謝するに至るのである。
9:12 なぜなら、この援助の働きは、聖徒たちの欠乏を補うだけではなく、神に対する多くの感謝によってますます豊かになるからである。
献金などの捧げものをする、とは、交わり(コイノニア)に参加するという意味もある。
8:3 わたしはあかしするが、彼らは力に応じて、否、力以上に施しをした。すなわち、自ら進んで、
8:4 聖徒たちへの「奉仕(コイノニア)」に加わる恵みにあずかりたいと、わたしたちに熱心に願い出て、
8:5 わたしたちの希望どおりにしたばかりか、自分自身をまず、神のみこころにしたがって、主にささげ、また、わたしたちにもささげたのである。
主の交わりに奉仕者として加わる、あるいは献金をささげる、とは、神様へ捧げ物を捧げるという意味の他に、その交わりに参加する事であり、その交わりに参加したからには、その交わりの中心であるキリストから豊かな保障を得る権利を得る事なのだ。
ダビデ王は、人々にチャレンジを促す。
29:5 だれかきょう、主にその身をささげる者のように喜んでささげ物をするだろうか」。
29:6 そこで氏族の長たち、イスラエルの部族のつかさたち、千人の長、百人の長および王の工事をつかさどる者たちは喜んでささげ物をした。
29:7 こうして彼らは神の宮の務のために金五千タラント一万ダリク、銀一万タラント、青銅一万八千タラント、鉄十万タラントをささげた。
29:8 宝石を持っている者はそれをゲルションびとエヒエルの手によって神の宮の倉に納めた。
29:9 彼らがこのように真心からみずから進んで主にささげたので、民はそのみずから進んでささげたのを喜んだ。ダビデ王もまた大いに喜んだ。
なんと、多くの人々が、主の奉仕に加わった。
その結果得たのは、大きな喜びである。
私達も、主に大いに捧げるなら、喜びが沸き起こる。
その喜びの内訳の中には、主が共に喜んで下さる主の喜びがあり、主から報いと守りと保障が得られる、という確信が入っている。
29:10 そこでダビデは全会衆の前で主をほめたたえた。ダビデは言った、「われわれの先祖イスラエルの神、主よ、あなたはとこしえにほむべきかたです。
29:11 主よ、大いなることと、力と、栄光と、勝利と、威光とはあなたのものです。天にあるもの、地にあるものも皆あなたのものです。主よ、国もまたあなたのものです。あなたは万有のかしらとして、あがめられます。
29:12 富と誉とはあなたから出ます。あなたは万有をつかさどられます。あなたの手には勢いと力があります。あなたの手はすべてのものを大いならしめ、強くされます。
ダビデ王の感謝の祈りの中心は、全てのものは「あなたのものです」という点である。
王に、国に、与えられた富も、力も、栄光も、見えるものも、見えないものも、全て主のものである。
29:13 われわれの神よ、われわれは、いま、あなたに感謝し、あなたの光栄ある名をたたえます。
29:14 しかしわれわれがこのように喜んでささげることができても、わたしは何者でしょう。わたしの民は何でしょう。すべての物はあなたから出ます。われわれはあなたから受けて、あなたにささげたのです。
29:15 われわれはあなたの前ではすべての先祖たちのように、旅びとです、寄留者です。われわれの世にある日は影のようで、長くとどまることはできません。
29:16 われわれの神、主よ、あなたの聖なる名のために、あなたに家を建てようとしてわれわれが備えたこの多くの物は皆あなたの手から出たもの、また皆あなたのものです。
今、自分が捧げたものは、主から出たもので、全ては主のものである。
29:17 わが神よ、あなたは心をためし、また正直を喜ばれることを、わたしは知っています。わたしは正しい心で、このすべての物を喜んでささげました。今わたしはまた、ここにおるあなたの民が喜んで、みずから進んであなたにささげ物をするのを見ました。
ダビデが告白している通り、主は心をためされるお方であり、そしてシンプルな、正直な心を喜んで下さる。
世の神々は、人間が捧げる「モノ」を喜ぶかもしれない。10円よりも10万円のほうを喜ぶかもしれない。
しかし主は元々富んでおられるお方であり、人が神に捧げる10円も、10万円も、その与える・与えないを支配しておられるお方である。
だから主は、人の心をこそ、計られるのである。
29:18 われわれの先祖アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、あなたの民の心にこの意志と精神とをいつまでも保たせ、その心をあなたに向けさせてください。
29:19 またわが子ソロモンに心をつくしてあなたの命令と、あなたのあかしと、あなたのさだめとを守らせて、これをことごとく行わせ、わたしが備えをした宮を建てさせてください」。
ダビデは祈った。人々の、この捧げる志がいつまでも続き、その祝福のサイクルがいつまでも続くように、と。
ソロモンのためにも祈った。しかしソロモンは、生涯の途中から、その父の祝福に相応しくない行いを続け、祝福から漏れてしまった。
主との対面は、一対一である。
私達は正直な、まっすぐな心をもって主に捧げるものでありたい。
ソロモンを力づけるダビデ(1歴代誌28:9-21)
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続いてダビデは、自分の子であり、この神殿建設の事業をこれから成していくソロモンを力づける。
28:9 わが子ソロモンよ、あなたの父の神を知り、全き心をもって喜び勇んで彼に仕えなさい。主はすべての心を探り、すべての思いを悟られるからである。あなたがもし彼を求めるならば会うことができる。しかしあなたがもしかれを捨てるならば彼は長くあなたを捨てられるであろう。
28:10 それであなたは慎みなさい。主はあなたを選んで聖所とすべき家を建てさせようとされるのだから心を強くしてこれを行いなさい」。
ダビデが真っ先に命じた事は「あなたの父の神を知り」なさい、という事だった。
主を知れば知るほどに畏敬の念が生じ、正当な恐れが出て、決して、軽がろしく神の国の奉仕を成すという事がなくなる。
続いて、「全き心をもって喜び勇んで彼に仕えなさい」と命じた。
その理由は、「主はすべての心を探り、すべての思いを悟られるからである。」
主は私達の全てを知っておられる。
ヘブル4:12 というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。
4:13 そして、神のみまえには、あらわでない被造物はひとつもなく、すべてのものは、神の目には裸であり、あらわにされているのである。この神に対して、わたしたちは言い開きをしなくてはならない。
だから、主の仕事を真心から進んで成していくべきなのだ。
私達は、主を知れば知るほどに、主のための仕事がいかに誇り高く、永遠の意味を持つものであるのかを知り、その働きが世のどの仕事とも全く違う、喜ばしいものである事がわかってくるのだ。
そしてダビデは言った。
「あなたがもし彼を求めるならば会うことができる。しかしあなたがもしかれを捨てるならば彼は長くあなたを捨てられるであろう。」
残念ながらソロモンは、生涯の後半、主を捨ててしまい、そして彼は、父ダビデへの憐れみがあったものの、悔い改めなかった故に、結果的にその子孫は王権を断ち切られてしまった。
28:11 こうしてダビデは神殿の廊およびその家、その倉、その上の室、その内の室、贖罪所の室などの計画をその子ソロモンに授け、
28:12 またその心にあったすべてのもの、すなわち主の宮の庭、周囲のすべての室、神の家の倉、ささげ物の倉などの計画を授け、
28:13 また祭司およびレビびとの組と、主の宮のもろもろの務の仕事と、主の宮のもろもろの勤めの器物について授け、
28:14 またもろもろの勤めに用いるすべての金の器を造る金の目方、およびもろもろの勤めに用いる銀の器の目方を定めた。
ここの12節はKJVでは「And the pattern of all that he had by the spirit」で始まる。
つまり、主はダビデの心に「御霊」で示し、神殿の全ての間取りや寸法、仕様を細かく示し、それのみならず、仕事の内容や用いる器物類のそれぞれの重量、それぞれに用いるべき金銀、仕事をする人員の組み分けやローテーションに至るまで、御霊は細かく示してくださり、ダビデはそれを仕様書に記して、ソロモンへ渡したのだ。その事が18節まで、細かく記してある。
つまり主は、主の働きをする人が、何をどう為すべきか、何を用い、どのように人を配置し、何をどこまで用いるべきか、どこからを用いてはならぬのかに至るまでを、教えて下さるのだ。
28:19 ダビデはすべての工作が計画にしたがってなされるため、これについて主の手によって書かれたものにより、これをことごとく明らかにした。
主は、主のための仕事を、計画から設計に至るまでを、主の霊によって示し、主の手によって建て上げさせてくださる。
そしてダビデは、ソロモンをさらに力づける。
28:20 ダビデはその子ソロモンに言った、「あなたは心を強くし、勇んでこれを行いなさい。恐れてはならない。おののいてはならない。主なる神、わたしの神があなたとともにおられるからである。主はあなたを離れず、あなたを捨てず、ついに主の宮の務のすべての工事をなし終えさせられるでしょう。
これはモーセがヨシュアに対して言った事と同じである。
前の指導者が偉大であれば偉大であるほど、それに続く指導者が恐れを抱くのは、正当なもので、むしろ恐れが無いとするなら、そのほうが問題である。
もし、何か悪いことをして、それがばれやしないか、という事について「恐れてはならない。おののいてはならない。」という言葉を持ち出すのは、不当な御言葉の用い方である。
主がヨシュアやソロモンに対して「恐れてはならない。おののいてはならない。」と言われたのは、主のための大仕事をこれから控えている事への「正当な恐れ」を和らげるためにである。
私達も、主から与えられる仕事を為そうとする時、恐れを感じる事がある。
なにしろ、主は、私達の経験や能力を超えた事を「しなさい」と言われる事が、よくあるから。
しかし、信仰をもって進み行くなら、私達は、主の偉大な愛の御手に守られつつ、主が進ませてくださる事を知るようになり、恐れる事がなくなってくる。
主は、神の国の建て上げのために、私達に必要なものを備え、知恵をそなえ、人材を備えて下さるからだ。
それでダビデは、つぎのように締めている。
28:21 見よ、神の宮のすべての務のためには祭司とレビびとの組がある。またもろもろの勤めのためにすべての仕事を喜んでする巧みな者が皆あなたと共にある。またつかさたちおよびすべての民もあなたの命じるところをことごとく行うでしょう」。
主が進めと言われる所、主が為しなさいと言われる事を恐れずに成し、神の国の建て上げのために大いに用いられるみなさんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!
主が選び、主が建てて下さるゆえに建て上げられる主の家(1歴代誌28:1-8)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 1歴代誌
- 執筆 :
- pastor 2017-11-15 7:13
主が選び、主が建てて下さるゆえに建て上げられる主の家(1歴代誌28:1-8)
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28:1 ダビデはイスラエルのすべての長官、すなわち部族の長、王に仕えた組の長、千人の長、百人の長、王とその子たちのすべての財産および家畜のつかさ、宦官、有力者、勇士などをことごとくエルサレムに召し集めた。
今までの章では、ダビデの治世において定められた神殿奉仕者とその分担が、また、行政・政治・経済をつかさどる人々とその組織などの詳細が記されて来たが、その全ては、神殿へと集約して行くのが、第一歴代誌後半の流れである。
28:2 そしてダビデ王はその足で立ち上がって言った、「わが兄弟たち、わが民よ、わたしに聞きなさい。わたしは主の契約の箱のため、われわれの神の足台のために安住の家を建てようとの志をもち、すでにこれを建てる準備をした。
ダビデが生涯、何を志して来たかが、ここに表れている。
まずは、主の契約の箱のため。
ダビデはその直前の時代に起きた事件、すなわち、契約の箱が奪われた事件を聞いて、大切なのは契約の箱という「もの」ではなく、契約そのものだ、という事を良く知っていた。
いくら契約の箱を担ぎ出したところで、契約の内容そのものを守っていないなら、それは取り上げられてしまうのだ。
それは皮肉にも、イスラエルの後の歴史もまた証明してしまっている。
そしてそれは、現代を生きる私達にさえも適用される真理である。
聖書とは、旧契約と新契約から成る、神と私達との間の、契約の書である。
それを守り行うなら幸いを得るが、それを破るなら呪いが待っている。
ダビデは主の宮を建てたいという志が与えられたが、しかし次の理由から、彼は、建ててはならないと主から言われた。
28:3 しかし神はわたしに言われた、『おまえはわが名のために家を建ててはならない。おまえは軍人であって、多くの血を流したからである』と。
ダビデはいつも周囲から戦いを挑まれ、仕方なくであったが、神の宮は、平和の人が建てなくてはならず、主のミニストリーは、戦いや血を流す事によって建て上げられてはならないのだ。
もう一つ、理由は、主の家は、人間は誰一人、建てることが出来ないからだ。
使徒7:48 しかし、いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。預言者が言っているとおりである、
7:49 『主が仰せられる、/どんな家をわたしのために建てるのか。わたしのいこいの場所は、どれか。天はわたしの王座、/地はわたしの足台である。
7:50 これは皆わたしの手が造ったものではないか』。
ダビデは、自分は快適な杉材の家に住んでいる、主にも、幕屋のような粗末な所ではなく、もっと豪勢な住まいを建てたい、と願ったが、主は、人が匠の技を駆使して巧妙にこしらえた家を喜んで、そこに住むのだろうか。逆である。
むしろ、それを建てた大工に匠の技を与えたのも、知恵を与えたのも、また、杉を山で育てたのも、そのために必要な太陽や雨を創造したのも、全部、主なのである。
28:4 それにもかかわらず、イスラエルの神、主はわたしの父の全家のうちからわたしを選んで長くイスラエルの王とせられた。すなわちユダを選んでかしらとし、ユダの家のうちで、わたしの父の家を選び、わたしの父の子らのうちで、わたしを喜び、全イスラエルの王とせられた。
28:5 そして主はわたしに多くの子を賜わり、そのすべての子らのうちからわが子ソロモンを選び、これを主の国の位にすわらせて、イスラエルを治めさせようとせられた。
ダビデは告白している。主が、わたしを選ばれたのだ、と。
そして、息子ソロモンが神殿を建てるようにと選んでくださったのも、主だ、と。
詩篇127:1 主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。
127:2 あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。
28:6 主はまたわたしに言われた、『おまえの子ソロモンがわが家およびわが庭を造るであろう。わたしは彼を選んでわが子となしたからである。わたしは彼の父となる。
28:7 彼がもし今日のように、わが戒めとわがおきてを固く守って行うならば、わたしはその国をいつまでも堅くするであろう』と。
主はソロモンについて言われた。「彼がもし今日のように、わが戒めとわがおきてを固く守って行うならば、わたしはその国をいつまでも堅くする」と。
これは全ての人類に対して言える事であり、私達に対しても、そうである。
ソロモンと、その子孫たちは、残念ながらそうではなかった。その結果、王権は取り上げられてしまった。
これは法則である。サウルもそうだったし、旧約に記されている事は、現代の私達に対する戒めだからである。
ヘブル4:1 それだから、神の安息にはいるべき約束が、まだ存続しているにかかわらず、万一にも、はいりそこなう者が、あなたがたの中から出ることがないように、注意しようではないか。
ダビデは招集した全イスラエルの会衆に向けて言った。
28:8 それゆえいま、主の会衆なる全イスラエルの目の前およびわれわれの神の聞かれる所であなたがたに勧める。あなたがたはその神、主のすべての戒めを守り、これを求めなさい。そうすればあなたがたはこの良き地を所有し、これをあなたがたの後の子孫に長く嗣業として伝えることができる。
これもまた、法則である。主はヨシュアに対しても同じことを言われた。
ヨシュア1:7 ただ強く、また雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法をことごとく守って行い、これを離れて右にも左にも曲ってはならない。それはすべてあなたが行くところで、勝利を得るためである。
1:8 この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。
御言葉を守り行い、祝福のまっただ中を歩む皆様の人生でありますように!
主の創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ(イザヤ65:17-18)
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- pastor 2017-11-14 17:40
イザヤ書 講解説教メッセージ
主の創造するものを、いついつまでも楽し
それぞれ与えられた賜物と役割をもってキリストのからだを建て上げる(1歴代誌27:1-34)
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- 執筆 :
- pastor 2017-11-14 6:58
それぞれ与えられた賜物と役割をもってキリストのからだを建て上げる(1歴代誌27:1-34)
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第一歴代誌の終わりが近づいてきたが、第一歴代誌は、ダビデ王が、ソロモンをはじめとするイスラエルの主だった人々全てに対し、神殿建設の最終的な指示をする場面で終わるが、その布石として、色々な分野の組織や長、その数が記されている。
27:1 イスラエルの子孫のうちで氏族の長、千人の長、百人の長、およびつかさたちは年のすべての月の間、月ごとに交替して組のすべての事をなして王に仕えたが、その数にしたがえば各組二万四千人あった。
27章は、1−15節には軍事面での組織と長たちが記されており、続く16-22節は行政的な長たちが記されている。
27:16 なおイスラエルの部族を治める者たちは次のとおりである。ルベンびとのつかさはヂクリの子エリエゼル。シメオンびとのつかさはマアカの子シパテヤ。
・・・
27:23 しかしダビデは二十歳以下の者は数えなかった。主がかつてイスラエルを天の星のように多くすると言われたからである。
27:24 ゼルヤの子ヨアブは数え始めたが、これをなし終えなかった。その数えることによって怒りがイスラエルの上に臨んだ。またその数はダビデ王の歴代志に載せなかった。
この23-24節の挿話は、21章のダビデによる人口調査とは別物で、それよりも、もっと以前の出来事と思われる。
なぜなら、21章の人口調査はその数は記録されたがここでは「数は載せられなかった」とあり、また、7節に登場するヨアブの兄弟アサエルは、ダビデが全イスラエルの王になる前、サウルの将軍であったアブネルによって殺されているからである。
神のなさる事は、人は数え切れない。
もし数えてそれを人が管理しようとするなら、それは神のわざを人間が塞いでしまう行為であり、神よりも人のほうを上とする主従関係の逆転である。
だから教会の運営も、神が運営して下さるままに為して行くべきであり、決して、人が目標や計画を立ててそれを神に補佐していただくものではない。
25-31節には、王家の財産や経済的な長が記され、32節以降は、ダビデ王の側近で重要な役割を担った人達が記されている。
これらの人々が、ダビデ王の指揮のもと、こぞって神殿建設に携わっていく。
御国の民のの中心は、神殿、すなわち礼拝生活であり、神に捧げる事である。
当時、神殿を中心に、イスラエルに様々な役割を持った人々が使えたように、現在は教会において神は様々な役割を持つ人をお立てになった。
エペソ4:11 そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった。
神は一人一人にそれぞれの得意分野を与え、ダビデ王の時代には、ある人には軍事、ある人には経済と、それぞれ神のために役割を果たしていったように、現在の私達も、おのおの計り与えられた賜物の応じて、それぞれが、それぞれ神に対する役割を果たして行くべきである。
次のように記されている通りである。
エペソ4:12 それは、聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさせ、
4:13 わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである。
4:14 こうして、わたしたちはもはや子供ではないので、だまし惑わす策略により、人々の悪巧みによって起る様々な教の風に吹きまわされたり、もてあそばれたりすることがなく、
4:15 愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するのである。
4:16 また、キリストを基として、全身はすべての節々の助けにより、しっかりと組み合わされ結び合わされ、それぞれの部分は分に応じて働き、からだを成長させ、愛のうちに育てられていくのである。
神の国は人が地に種を蒔くようなもので(マルコ4:26-29)
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イエス様はよく「神の国のたとえ話」をされた。
マルコ4:26 また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、
Mar 4:27 夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。
Mar 4:28 地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。
Mar 4:29 実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」
神の国とはバシレイア・トゥー・テウー、神の支配領域である。
種は、人はどのようにして育つのかは知らないが、しかし特定の条件下になれば、ひとりでに芽が出て育って行くものである。
神の国もまた、人手によるのでなく、以下の御言葉のように、神の支配によって物事が為されていくものである。
申命記 11:10 あなたがたが行って取ろうとする地は、あなたがたが出てきたエジプトの地のようではない。あそこでは、青物畑でするように、あなたがたは種をまき、足でそれに水を注いだ。
11:11 しかし、あなたがたが渡って行って取る地は、山と谷の多い地で、天から降る雨で潤っている。
11:12 その地は、あなたの神、主が顧みられる所で、年の始めから年の終りまで、あなたの神、主の目が常にその上にある。
マルコ4:26の「種」はスポロス、すなわち「蒔かれた状態の種」であるが、その他にも、人を援助できる資力という意味もある。
人を助けたり御霊の実を結ばせたり、神の国を成長させるためには、「蒔かれた種」である事が大切である。
太陽と雨の恵みを受けていれば何の苦労も無く自然すぎるほど自然に実を結ぶものである。
神から産まれた人は、神の種が宿っているから罪を犯さない。(1ヨハネ3:9.10)
罪も犯したとしても、神の種が宿っているなら、罪を犯し続けるということはできないのは、神の種が宿ってから、罪を犯し続けると苦しくなるのである。
それに対し、悪魔の子達は罪を犯し続けても何とも無く、正しい生活を続けられない。たとえ神を信じると言っていても、兄弟を訴え続けたり、分裂を促したりしているようでは、神の種が宿っているとは言えない。
蒔かれた状態となるのは、種自身の死を意味する。
それは人の目には絶望のように見えても、その死からいのちの何倍もの実りがはじまる。
使徒8:1 サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。
ここの「散らされた」はディアスパイロー、すなわち「あちこちに」「種が蒔かれる」事である。
神が、キリスト者を各地に蒔かれたのである。その結果、御言葉の種が広がり、キリストのいのちが爆発的に広がっていった。
神が蒔かれたなら、光なるキリストに照らされてひとりでに育ち、以下の御霊の実を豊かに結ぶ。
ガラテヤ5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、
5:23 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。
イエス様は主の祈りにおいて、神の統治が為されるようにと祈るように教えられた。
マタイ6:10 御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
結局、神の統治は人にとって最善・幸いなのだ。
申命記11:8 ゆえに、わたしが、きょう、あなたがたに命じる戒めを、ことごとく守らなければならない。そうすればあなたがたは強くなり、渡って行って取ろうとする地にはいって、それを取ることができ、
11:9 かつ、主が先祖たちに誓って彼らとその子孫とに与えようと言われた地、乳と蜜の流れる国において、長く生きることができるであろう。
11:10 あなたがたが行って取ろうとする地は、あなたがたが出てきたエジプトの地のようではない。あそこでは、青物畑でするように、あなたがたは種をまき、足でそれに水を注いだ。
11:11 しかし、あなたがたが渡って行って取る地は、山と谷の多い地で、天から降る雨で潤っている。
11:12 その地は、あなたの神、主が顧みられる所で、年の始めから年の終りまで、あなたの神、主の目が常にその上にある。





