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主日礼拝
全ての面で豊かで健康であれという祝福の挨拶(3ヨハネの手紙2節)
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週報/メッセージ(説教)概要
新年おめでとうございます!御言葉を聞いて信じた皆様の生活に、主の恵みの年が実現しますように!
今年より、月初めのメッセージ箇所は、お配りしたカレンダー聖句のその月の箇所から養いをいただく事となった。今月の箇所は、第三ヨハネの手紙2節である。『愛する者よ。あなたの魂がいつも恵まれていると同じく、あなたがすべての事に恵まれ、また健やかであるようにと、わたしは祈っている。』
ヨハネは、1節の挨拶で「愛している(アガペートス)」、「親愛なる(アガパオー)」と、2回も「愛する」という言葉を用いた。2節も、「愛する者よ(アガペートス)」と呼びかけている。アガペーは無償の、完全な、捧げ尽くす「愛」で、昔日本に来た宣教師は、これに該当する日本語が中々見つからず、「ご大切」と訳した。
今年最初の主日である今日、私達は、聖徒同士の交わりの中に、また互いの挨拶の中で、真っ先に、「ご大切」を込めるべき事が示されている。裏表のない、相手を大切に思う愛で、互いに関わるべきだ。
そして今回の御言葉で、ヨハネが、愛する聖徒に「こうなってほしい」と願い、2回も用いた動詞は「ユーオドー」である。その意味は、「道が開ける」「順調である」「繁盛する」「成功する」で、もう一つ、彼が願った動詞は、「健康である(フギアイノー)」、意味は、「健康で、健全である」、「適切である」事だ。
ヨハネは、聖徒の「魂(プシュケー:思い、意思、感情)」がいつも満ち足りているのと同様に、あなたが全ての面においてもそうでありますように、と願ったが、クリスチャンが安定した信仰生活を送っていくなら、当然のように、「内面」は恵まれ繁栄して行く。しかし、「内面」が健やかでも、「外面」が不健全だったり、貧乏だったり、というのは、願わしくない状態で、キリスト者は、その状態を受け入れたままであってはならない。
もし私達が、何度も同じ罪を犯してしまったり、同じ失敗を何度も繰り返してしまう、といった「くせ」があるなら、「自分はそういうキャラだから」とか「衰えたから」などと言い訳したり、納得して受け入れてはならない。
そのような不健全な「くせ」は、叱りつけ、私達の中から追い出すべきである。
私達キリスト者は、不信仰や不従順など、御言葉に反する”死”がはびこる時、いのちの御言葉で上塗りしなくてはならない。また、そのような「くせ」を持った人が、強く主張したからといって、それに合わせてもいけない。「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣く」のは、不信仰な者と共に信仰を捨てる事ではないし、臆病な者と一緒に臆病になる事でもない。もしヨシュアやカレブが、臆病な者が強く主張したからといって、一緒に臆病になっていたら、約束の地に入れなかった。私達はむしろ、真理で偽りを上書きし、健全な御言葉で不健全さを上書きし、神の無限な豊かさでもって貧乏を豊かさへ上書きして行くべきなのだ。
キリスト者は本来、何についても「ユーオドー」、すなわち道がひらけ、順調で、成功して、然るべきである。
なぜなら、圧政的に支配する悪を、神の民が支配権を奪還し、神の国を広げなくてはならないからだ。
この「ユーオドー」の内容は、新年礼拝の祝祷の後に捧げられた「ヤコブの祝福」という賛美と、まさに一致している。これは、ヤコブがヨセフに与えた祝福(創世記49:22-26)が元で、互いに祝福し合う賛美である。
「どうかあなたが、主の若枝のように垣根を越え、限界を超え、支配領域を広げていきますように。」
「どうか、御父の約束どおり、全ての面で押し入れ、揺すり入れして与えられ、満ち溢れますように。」
「あなたは激しい嵐にも、主の力で勝つ事ができます。」「アルファでオメガなる主が、あならの盾・やぐらです。」「あなたは神の人、選ばれた神の民です。」「わたしはあなたのために、主に祈ります。行く手に幸あれと。」「あなたは神の者、愛らしい若枝です。御胸に従って豊かに花咲く、枝となりますように・・・。」
私達は、この賛美のように、互いのために、神の国を広げる道が、開かれ、成功し、順調に繁盛して行くよう、互いに祝福のあいさつをし合うべきである。聖徒の交わりの中ではもちろん、親子関係や、夫婦関係、職場の関係においても。ボアズがききんの時代、有力者として地位が上がって行ったのは、麦畑という「職場」で、祝福のあいさつを交わしていたからだ(ルツ記2:4)。祝福のあいさつをせず、立てあげる言葉ではなく破壊する言葉、分裂する言葉で、互いにあいさつしあっているなら、互いの間で滅ぼされてしまう。
今年、私達はますます愛(アガペー)をもって祝福のあいさつをし、貧乏や不健全さは、「ユーオドー(道を開く、順調である、繁盛する、成功する)」で上塗りし、内面のみならず、外面においても、あらゆる面においても健全で健康となって行くこの年の皆様でありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
ニューイヤーズ・イブ礼拝
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さあ、再建の仕事に取り掛かろう(ネヘミヤ2:17-20)
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詩篇講解説教
神の民による永遠の賛美(詩篇89:1-18)
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詩篇89篇表題:エズラびとエタンのマスキールの歌
この詩篇の作者はエタンで、彼は、前章の作者・ヘマンと同じく、ソロモンと比べられる程の知恵者で(1列王記4:31)、また、聖歌隊指導者の1人として記されている。(1歴代誌15:19)
エタンの名の意味は、「永遠の」「恒久的な」で、その名前どおり、彼はこの詩篇において、永遠的に主の栄光をあらわしている。
この詩篇では、特に、神様がダビデと結んで下さった契約において示された主の恵みと真実を賛美している。
エタンはまず、1-2節において、彼の信仰を告白し、宣言した。
詩篇89:1 主よ、わたしはとこしえにあなたのいつくしみを歌い、わたしの口をもってあなたのまことを/よろずよに告げ知らせます。
詩篇89:2 あなたのいつくしみはとこしえに堅く立ち、あなたのまことは天のように/ゆるぐことはありません。
いつくしみ(ヘセド)は「恵み」、まこと(エムナー)は「真実」とも訳されるが、それらキーワードがこの詩篇で繰り返され、神様の恵みと真実が強調されている。
詩篇89:3 あなたは言われました、「わたしはわたしの選んだ者と契約を結び、わたしのしもべダビデに誓った、
詩篇89:4 『わたしはあなたの子孫をとこしえに堅くし、あなたの王座を建てて、よろずよに至らせる』」。〔セラ
ここは、2サムエル記7章にて主がダビデと結ばれた契約を指している。
主はダビデに、「あなたの子孫(単数形)」をとこしえに堅くし、王座を建てて、よろずよに至らせる、と約束された。
その、ダビデから出る「単数形の」子孫は、私達の救い主イエス・キリストである。
私達はなぜ、エタンが言ったごとく、「永遠に」主を賛美できるのか。
それは、ダビデの子孫として来られたイエス・キリストの、十字架の贖いのゆえである。
イエス様が、私達の身代わりとなって処罰を受け、私達のいのちを買い戻して下さった。
それを信じる者は、聖別され、永遠のいのちが与えられる。
それゆえに、私達・聖徒は、とこしえに主を褒め称えるのである。
5節以降には、主が為して下さったくすしいわざへの賛美が捧げられている。
詩篇89:5 主よ、もろもろの天/にあなたのくすしきみわざをほめたたえさせ、聖なる者のつどいで、あなたのまことをほめたたえさせてください。
そう、天は、主を賛美しているのだ。
太陽も、月も、星々も。
そして、御使いたちも。
そして、地においては、「聖なる者のつどい(直訳:聖なる集会)」の中で、賛美が捧げられている。
聖徒の集会における賛美は、天における御使い達の賛美に匹敵する、すばらしい体験なのである。
詩篇89:6 大空のうちに、だれか主と並ぶものがあるでしょうか。神の子らのうちに、だれか主のような者があるでしょうか。
詩篇89:7 主は聖なる者の会議において恐るべき神、そのまわりにあるすべての者にまさって/大いなる恐るべき者です。
詩篇89:8 万軍の神、主よ、主よ、だれかあなたのように/大能のある者があるでしょうか。あなたのまことは、あなたをめぐっています。
そう、天でも、地でも、私達の主に、比べうるものはいない。
啓示録においても記されている。
天の御使いが、こぞって賛美する、のみならず、天と地と、地の下と、海の上の、あらゆる造られたものが、さらに、その中に生息している全生物が、賛美するのだ。
黙示録5:11 また私は見た。私は、御座と生き物と長老たちとの回りに、多くの御使いたちの声を聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍であった。
5:12 彼らは大声で言った。「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」
5:13 また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。「御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。」
5:14 また、四つの生き物はアーメンと言い、長老たちはひれ伏して拝んだ。
この、天的な賛美においては、父なる神と、ほふられた小羊とに、賛美が向けられている。
神の小羊キリストが、その十字架の血潮をもって、全被造物を贖って下さったからである。
9-13節においては、被造物に見られる主のみわざの栄光が、賛美されている.
詩篇89:9 あなたは海の荒れるのを治め、その波の起るとき、これを静められます。
詩篇89:10 あなたはラハブを、殺された者のように打ち砕き、あなたの敵を力ある腕をもって散らされました。
ラハブは、前章でも見たように、エジプトを象徴的に表している。
エジプトは、神の民イスラエルを束縛し、奴隷化し、虐げた。
しかし主が、それを打ち砕き、神の民を解放して下さった。
同じように主は、神の民である私達キリスト者を束縛し、奴隷化し、虐げるような、あらゆる勢力を打ち砕き、そこから解放して下さる。
詩篇89:11 もろもろの天はあなたのもの、地もまたあなたのもの、世界とその中にあるものとは/あなたがその基をおかれたものです。
詩篇89:12 北と南はあなたがこれを造られました。タボルとヘルモンは、み名を喜び歌います。
詩篇89:13 あなたは大能の腕をもたれます。あなたの手は強く、あなたの右の手は高く、
ここに、2つの山がでてくる。
1つ目のタボル山は、いわゆる変貌山と呼ばれる山で、また、アブラハムが戦争で勝利した際、メルキゼデクが彼に現れ、アブラハムはメルキゼデクに十分の一を捧げた山である。
現在、メルキゼデクの記念碑と、イエス様の変貌記念教会がある。
2つ目のヘルモン山は、豊かに水をもたらす山としてよく聖書に出てくる。
2000m級の非常に高い山々で、サタンはイエス様をそこに連れて行って、全ての国々の栄光を見せた所(マタイ4章)、また、人間を捕獲し、バベルの塔を建てた、ニムロデの城が発掘されている。
しかし主は、悪い者に高慢な事に用いられた所であっても、変わらず、力ある御腕を現して下さる(13節)。
詩篇89:14 義と公平はあなたのみくらの基、いつくしみと、まことはあなたの前に行きます。
義(ツェデク)と公正(ミシュパート)は、主のご性質である。
しかし、私達・罪ある人間は、義と公正なる主の前に立てない。
しかし、主が「恵みとまこと」(ヘセドとエメス)を先立せて下さった。
それで私達は、おりにかなった助けをいただくために、大胆に御前に進み出る事ができるのだ。
15-18節には、主を賛美する民の幸いが語られている。
詩篇89:15 祭の日の喜びの声を知る民はさいわいです。主よ、彼らはみ顔の光のなかを歩み、
詩篇89:16 ひねもす、み名によって喜び、あなたの義をほめたたえます。
「主の御顔の光」は、主の恵みと平安の祝福である。(民数記6:21-27)
主を賛美する民は、その祝福の中を歩む。
詩篇89:17 あなたは彼らの力の栄光だからです。われらの角はあなたの恵みによって/高くあげられるでしょう。
詩篇89:18 われらの盾は主に属し、われらの王はイスラエルの聖者に属します。
主のご恩寵によって、私たちの角(力と勢いの象徴)が、高く上げられる。
そして、ダビデもよく言っているように、主が、私達・主の民の「盾」となって下さるから、私達は守られる。
それゆえ私達も、とこしえに、主を賛美するのである。
主日礼拝
ヨセフの模範にならって(創世記50:15-21)
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週報/メッセージ(説教)概要
今年最後の主日礼拝となった。今年も変わらずコロナの脅威が厳然として存在し、また最近は、ごく普通にしていた人が突然、無差別テロのような事件を起こす事も増えて、荒んだ時代が継続している。人の心に怒りや妬み、恐れなどの負の感情が鬱積して来ると、ある人は事件という形で、ある人は事件にはならない形で発散させ、その周りは荒んだ雰囲気となり、恐れや不安、絶望のサイクルを引き起こさせて行く。
ヨセフの兄たちは、妬み・憎しみに燃えて、弟ヨセフを奴隷として売るという「事件」を起こし、ポテファルの妻も、彼に無実の罪を着せて、彼を獄屋に入れてしまった。しかし、彼の主であり、私達の信頼する主は、人の闇や時代の闇がいかに深くても、それら全部をひっくり返して「益」に変えて下さる力強いお方である。
ヨセフは、悪に対して悪で報いず、かえって善をもって対応したゆえに、神は彼の為す事全てを成功させ、むしろ彼を、エジプトの総理大臣にされた。ヨセフは、その主から託された権威を、復讐する事に用いず、また莫大な富を自分のために用いず、むしろ、神様から与えられた「役割」を忠実に果たすためにそれらを用いて、神の民・イスラエルを大民族へと、そして国家へと成長させるための、土台づくりを整えた。
かつて、妬みに燃えてヨセフを売り飛ばした兄たちは、ずっと後悔や恐れに苛まれて生きてきた事が、今回の箇所から分かる。彼らは、父ヤコブが死んだ時、ヨセフに、父の遺言だと言って、ヨセフに赦しを願い出たが、ヨセフはそれを聞いて、泣いた。ヨセフはもう、とうの昔に、主から慰めをいただいて、兄達から受けた仕打ちも、主が忘れさせて下さっており、十分祝福され、癒やされた。なのに、兄達はずっと、17歳だった時のヨセフにしてしまった事を、ずっと後悔し、悩まされ続け、恐れ続けて来たのだと、知ったから。
そういうわけで、私達も、ヨセフの性質を身につけるべきであり、また、かの兄たちのように、瞬間的な妬みや怒りをぶちまけるような性質や行動を、捨て去るべきなのだ。私達も、主の前に日々、誠実を養って生きるなら、心の傷や、経済の傷などは、全て主が癒やし、忘れさせ、むしろ主が引き上げて下さるのだから。
私達は今年から、不正や悪を行う者に腹を立てず、主を信じ、日々、誠実を養ったヨセフの模範にならう宣言し続けて来たが、昨年の今頃と比べて前進はあっただろうか?続けてきた聖徒達には、大いにあった。
ヨセフは兄達に、やさしく語りかけた。『あなた方はわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを「良きに変らせて(ハシャバ・レトバー)」、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました。』(創世記50:20)
ハシャブは「織り込む、染み込む」の意味、レトバー(トーブ)は「パーフェクト、ビューティフル、グッド」である。私達の主は、人のした悪をさえ、パーフェクト、ビューティフル、グッドに変えて下さるのだ!だから私達も、ヨセフのような性質を身につけ、主に用いられる「器」となる必要がある。主はいつの時代も、人という「器」を通して、時代に介入されて来たからだ。今、私達に悪を企んで立ち向かって来るものが多い時代だ。
コロナという悪意、人の心を荒ませる悪意など。それは、時代(アイオーン)に働く、空中の権威を持つ支配者・サタンが仕掛けて来るもので(エペソ2:1-7)、その悪意に侵食されてしまった”犠牲者”が、諸々の事件を起こしている。 パウロは言っている。私達が格闘するべき相手は、血肉を持った人ではなく、主権、力、この暗闇の世界(アイオーン)の支配者達、また天にいる諸々の悪霊に対するものだ、と(エペソ6:12)。
そのために霊的な武具を身に着け、絶えず目をさまし、忍耐しつつ御霊によって祈りなさい、と命じている。
私達は日々、真理の宣言によってそれをしているなら、守られ、祈りが聞かれ、開かれないように見える道も、次々と開かれて行くのである。主は、願っておられる。主が時代に介入できる「器たち」の現れを。
私達は今年、大きな事に用いられた主の「器」を、幾人か学んできた。ヨセフ、ヨシュア、クロス王、ロックフェラーなど。彼ら全員に共通していた事は、主から示された御言葉をそのまま実行した事、また、主から託された大きな権力や富を、我がものとはせず、ただ神の国の拡大のために用いた事である。今、この荒んだ時代を変革するために、主が用いられる器とは、彼らのように、御言葉に従順な人であり、神から富や権力が託されても、それを私有化し占有せず、神の国の実現のために用いる、心の整えられた人である。
私達はますます、主に用いられるべき器を目指そう。たとえ世界に、悪事をたくらむ人がさらに多くなったとしても、それら全部を、トーブに変えさせて下さる主に用いられ、来る年も、神の国の拡大のために大いに活躍して行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
クリスマスの主人公たちが共通して持つ性質:従順(マタイ2:9-15)
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メシヤのしるしを見極め、時を算出した東方の博士たち(マタイ2:1-12)
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English Service:
The Oriental Wise Men who discerned the signs of the Messiah and calculated the time (Mat2:1-12) Youtube動画
週報/メッセージ(説教)概要
救い主イエス・キリストのご降誕を待ち望むアドベント第4週目となった。イエス様が赤ちゃんとなって来られた当時、救い主のご到来を心待ちにしていた人々は、残念ながら、とても「少数」だった。むしろ当時の人々は、救い主など、来てもらっては困る状態だった。実際当時、イスラエルを支配していたヘロデ王は、救い主を示す星が現れた事を聞いた時、恐れ惑い、エルサレム中の人も王と同様であった(マタイ2:3 )。
キリストがお生まれになった時、この赤ちゃんこそ万民の救い主である、と、シメオンやアンナを通して告げ広められたのに、その赤ちゃんも両親も、人々から厚遇される事は無かった。シメオンが言ったように「イスラエルの多くの人が倒れ、また立ち上がるために定められ、また反対を受けるしるし」なのだ(ルカ2:34)。
しかし、少数ながらでも、救い主が来て、エルサレムが贖われるのを待ち望んでいた人たちは、確かにいた(2:38)。しかも、イスラエルから東へ遠く離れた異邦の地にも存在した。それが、東方の博士たちである。
「博士」の原文は「マゴス」、ペルシャ系の占星術の祭司で、しかも高位の祭司であったと考えられている。
異教の占星術師…。それはイスラエルでは最も忌み嫌われるはずの人達であった。しかし彼らは、前回の栄光の系図に加えられたあの女達のように、まことの神と、救い主メシヤを、強烈に憧れていた。それで彼らは、救い主メシヤのお生まれ示す星が上がったのを見て、エルサレムへの遠い旅路をやって来たのだ。
それにしても彼らは、どうしてそれが「メシヤの星」だと断定できたのだろう。よほど確信が無ければ、忙しい中、危険を冒して、メシヤへ捧げる高価な捧げものを携え行ったりはしない。それがメシヤの星だと確信できたのは、彼らは御言葉を熱心に調べ、メシヤの来られる時期と前兆について綿密に調べていたからである。メシヤが来られる時、一つの星が出現するという預言は、旧約・民数記に1節だけ登場する。(24:17)
メシヤが来る時、しるしとなる程の星が出現する事を、彼らは、数多ある御言葉の中から見逃さなかった。
それにしても、ひときわ輝く星など、歴史の中でいくらでもあったはずなのに、どうして”この星”がメシヤの星だと特定できたのか。それは彼らは、メシヤの来られる時間(タイム)も、御言葉の中から手がかりを掴んでいて、そのご到来はもう間近だと算出していたからだ、と、推測できる。その算出の手がかりは、博士達の国・ペルシアにかつていた、ユダヤ人の偉大な預言者・ダニエルが書き残していた。
ダニエルが残した文献によると、彼は、メシヤ到来の時期とその役割について、天使ガブリエルから示されたという。ダニエル書9:20-27によると、メシヤに油が注がれる時は、エルサレム再建の命令が出てから七週プラス六十二週。しかしその後、メシヤは絶たれ、町と聖所は破壊されるが、最後には、荒らす憎むべき者に絶滅が降りかかる…。その「時」は、歴史上で正確に成就して行く…。ペルシャのアルタクセルクセス王の第20年(BC455年)、ネヘミヤが王にエルサレム再建の願いをして、聞き届けられた(ネヘミヤ2:1)。
その時点で、メシヤ到来のカウントダウンが動き出す。それから、7+62=69週目、すなわち483日目。この「日数」を「年数」に変換し足し算すると、メシヤに油が注がれる時は、AD28年。それはまさに、イエス様がバプテスマのヨハネによって洗礼を受けた時期、すなわち、メシヤに聖霊の油が注がれた時期である。
博士たちは、律法や預言者の残した巻物をつぶさに調べ、研究し、さらに御言葉から「時」を計算し、もう今、メシヤがお生まれになっていてもおかしくはない時期だ、と悟り、心を備え、天を見上げていたのだ。
博士達はヘロデ王に言った。私達はメシヤを「拝みに(プロスクネーオ)」参りました、と。プロスクネーオは「プロス(前に)」+「クオン(犬)」、犬が喜んで主人の手をしきりに舐める様子から、ひれ伏す、拝む、礼拝する、の意味となった。彼らは、喜んでひれ伏す心をもって、宝物を用意し、東方からはるばる来たのだ。
主は、そのような志をもって礼拝に来る、この異邦の博士たちに、無事にメシヤの元にたどり着けるよう、星に彼らを先導させ、宇宙を動かして、彼らを導いたのだ。それを見た彼らは、この上ない喜びで、喜んだ。
心を尽くして主を呼び求め、聖書を調べ、時をはかって準備し、たとえ遠くでも、また忙しくても、捧げものを携えてメシヤを探し求める者に対し、主は、宇宙を動かしてでも導き、メシヤと出会わせて下さるのだ。
イエス・キリストの系図に、本来入るはずもない異邦の女達が系図に入り、異邦の占星術師たちも、誠実と熱心によって、メシヤと出会う幸いを得た。今、この時代、マタイ24章の記述からすると、主の来られるタイムは、間近に近づいている事が分かる。私達も今、博士たちのように、心を尽くして主を求め、御言葉を調べ、主から宇宙規模の導きをいただく皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!





